2019年05月26日

夏蝋梅、夏の庭に畑(クリスマスローズの詩)

     
夏蝋梅、夏の庭に畑(クリスマスローズの詩)

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涼しきや夏ろう梅の葉陰にそ石の一つの休みけるかな

うつむきてクリスマスローズ石の側長くも咲きて夕日さすかな

黄菖蒲のあまた咲きにし畑にそ笑い声ひびきなお暮れぬかな

夕べなお明るし庭に咲き初めぬ夏蝋梅や道に面して



クリスマスローズ(冬の貴婦人)

石のそばに
クリスマスローズが
いつもうつむき咲いていた
長く咲いていた
この花にそっと誰かふれなむ・・・

この夕べ光りが庭にさし
その花にさした
その花には陰になり
光がささなかったが
今日光がその花にさした

いつもうつむいている花
うなだれている花
石のかたへにひっそりと
冬の貴婦人という名がいい
でも今はもう夏なのに咲いていた

神この花を知りやはり光がさした
それを知ったのは何か月も過ぎてからだった
でも神は見ていて光がさした 

黒揚羽が庭に舞い家に籠る
その石のかたへに神の加護ありて
我は安らかに眠らむ 

Christmas Rose

By the stone
Christmas Rose
It always bloomed
Long bloomed
It feels like someone touches this flower

This evening light is in the garden
I saw the flower
It becomes a shade to the flower
There was no light
Light came to the flower today

A flower that is always depressed
Nodding flower
Secretly to the stone
The name of a winter lady is good
But now it has already bloomed in summer

God knows this flower and the light still came
It was after months since I knew it
But God looked and lighted

God bless you by the stone
I sleep in peace     


これもグーグルの翻訳だけど何か韻を踏んでいる
それは偶然にしてもそうである
ただこうした翻訳した詩とかは外国人に通じるのか?
絵なら抽象画でも通じることがある
でも詩となると相当にむずかしくなる
第一自分自身が外国の詩を訳せないのである
だからグーグルの翻訳は便利である
ただ詩となると限界がある


クリスマスローズは冬の貴婦人であり冬に咲く花である
でも夏になっても咲いていた、長く咲く花である
今日は真夏の感じだったが浜通りは30度は越えない
海からの風が吹くからだ
その花は

耐寒性強い
耐暑性弱い
耐陰性強い

というとき冬にふさわしい花なのである
日陰に向いている花である
だから長く咲いていたのか?
でも本当に長く咲いていたのである、枯れないのが不思議だった
それは日当たりが悪いからかえって良かったのかとなる
場所にあっていたから良かったとなるのか?

花にはいろいろあり性質があり育てるのもむずかしい
私の庭はここは納屋であり土が悪いから花を植えても育たないのが残念である
ただバラは咲く、30輪くらい蕾が出ている
根が深く張るのは育ち花が咲いている
夏ろう?梅でもそうである、これは大きな葉が育ち木陰をなすので夏にふさわしい
本当はもっと花を楽しみたいが庭が狭くて細くて鑑賞できない
第一庭の手入れ自体がめんどうになる、人間一人でそんなにいろいろなことはできない
手伝いさんとかは今はなにもしない、何か金ばかりせびられるので頼みにくい
私は金持ちでもないからである

ただ畑代は払っている、畑をの話を聞くのが興味あるからだ
川端に黄菖蒲が一杯咲いていた、そしたら夕べ木陰の道で休んでいると畑に女性の大きな笑い声が聞こえた、その声になにか陽気な気分になった
なぜなら畑をしている女性から聞くことは憂鬱なことが多いからだ
絶えず周りを気にしている、近くに団地のビルがあるがそこからも見ているという
そんなところから見ている人がいるのかとなる
隣の畑とかでもその人が気になり心が休まらないのである
そしてカンナの花も盗まれたとか必ず盗まれる話になる
この前は組費を集めて盗まれたとか必ずトラブルになるのである
それを自分が払わされるから嫌になるのである
ただ花とか畑に詳しいからそういうことで受け入れているのである

いづれにしろ畑に大きな笑い声がひびいたときは平和が戻ったということを感じた
やはり生業がないとその土地も死ぬのである
原発避難区域の小高であれ浪江であれ草ぼうぼうであり田畑は荒地しかないからだ
するとそこに生業もないから死んだものとなる
活気が生まれてこないのである、それは飯館村でもそうである
そこに生業があり人の手がはいり笑い声でも聞こえればその土地は活きているのである

それで田んぼに満月が映り蛙の声が合唱がひびいた、その時も元に戻ったということを感じた、つまり蛙と田んぼは一体化していたのである
田んぼがなく荒地になっていれば蛙もいないからである、、蛙も生きることができないからである
そもそも田舎は田畑がなければ田舎と感じないからである
ロボットとかドローン工場ができてもそれは田舎にふさわしいとはならないからである
ソーラーパネルでもそうである
そこには何か安らぎがないのである
だからビルばかりの東京とかなるともう精神的に異常化してくる
そこになごむものがないからである





カルマは繰り返すこと (人間の業(カルマ)は消えない)


カルマは繰り返すこと

(人間の業(カルマ)は消えない)

カルマとは何なのか?カルマとは業でありくりかえすことである
同じことを繰り返すことである
例えば親戚だった家では夫が病気で身体障害者のようになった
それも若い時なのである、その時結婚した妻は大変な苦労をした
その時、どう思ったか?離婚したいとかいろいろ思ったが時代で離婚はしなかった
その後に娘がいて結婚した、相手は技術者であり恵まれていた
でもその夫が事業を起こして失敗した
それで借金で苦しむ、その時どう考えるか?
つまり親と同じことで苦しんでいるのである
その時、親がとれだけ夫苦しんだかを実感する
親の因果が子にめぐる、これもカルマなのである

カルマはこのように個々人でも多様なものとしてある
でも国単位でも国のカルマがある、中国はあれだけ大きな国だからまとめるのが困難になる、それで三国志が生まれた、それは今でも変わりないのである
国が三つに分裂するというとき今でもそうした危機がある
それは国が大きいのと人口が多すぎるからである
そういうカルマをもった国なのである
だから常に政治が最大の仙台になり政治の国なのである
代々そうしてカルマを受け継いでいるのである

カルマはまたその国の自然とか風土でもそうである
日本ではまず地震の国であり自然災害が多い国であり今回の津波でもそうだった
津波が来るということを忘れていたがカルマが現れて苦しんだ
日本の風土の地理のカルマを忘れていたのである
そんなところに原発を作ること自体危険であり間違っていたのである
カルマは必ず現れて苦しみとなったとき自覚する

人間はともかくカルマから逃れられない運命にある
第一必ず生まれた土地でも故郷でもそこのカルマを背負うことになる
その土地に生まれたことはすでに責任を負わされていたのである
だから原発事故で住めなくなったというときその土地に住むことで責任をすでに負わされていた、ただそれを真剣に考えなかっただけなのである
そして生まれた土地に住めなくなったのである

災害は忘れたころにやってくるというときカルマも忘れたころに苦しみとなって現れそれを自覚する、まず苦しみとならなければ自覚しないからである
カルマとは苦しみのことだからであ400年前にもこの辺で700人溺死と記録されていた、でも全く忘れていた、今回の津波でそれを自覚したのである
700人死んだことは大きなことだったが全く忘れていた
その時無念に死んだ人たちがいたが全くその人たちのことを忘れていた
そんなことがあったのかそんなに死んだ人たちがいたかなど誰も知らなかったのである
今回の津波でその死んだ人たちのことを知りふりかえるようになった

そして先の戦争で3百万人死んだということも月日がたつにつれて70年が過ぎ100年過ぎるとそれは事実でもあいまいなものとなる
そこからまた戦争になることもある、それがカルマである
人間が戦争やめられないのもカルマである、時間がたつと戦争の悲惨さも忘れられる、自覚できなくなる、戦争は格好いいとかまでなる
そこで戦争になってまたその悲惨さを経験した時、3百万人死んだ人たちのことを実感するのである、戦争とはこんなひどいものだったのかと実感するのである
戦争のことをいくら言ったところで実感できないからである
ただその地獄の苦しみを受けたとき実感するのである
カルマは苦しみとなったとき実感するのである

カルマは国単位であれ個々人の単位であれ苦しみとなって現れない限り自覚しないのである、だから何もなければカルマのことは自覚しない
原発事故でもこうして一回大事故があったカルマを作った
でもこれも時間がたつと忘れる、そしてま大事故が起きてそのカルマを自覚するのであるそういう業(カルマ)のくりかえしが人間なのである
そのカルマから逃れられないのである

若気のいたりとかは別に時代と関係なく起きていた、若い時は無謀であり欲望があふれるからそうなる、おさえることができないのである
それは人間がもつ本能であり業だからどうにもならない、それで必ず若気(わかげ)の至りになるのである
人間はそういう繰り返しなのである、カルマの繰り返しなのである
カルマをキリスト教では罪だともなる、人間の業はそれだけ深いということである
だから結局若い人をみればまた同じような犯罪を犯しているし変わらないのである
ただ手口が変わっているだけなのである
何かもし世の中が時代によって変わるなら若い人がもう同じ犯罪を犯さないとなるはずである、でも同じようにカルマを繰り返している
つまりこの世は実際はいくら科学技術が発展しようがいろいろ変わるようでも本質的には変わらない、科学技術で人間の業は(カルマ)は消えないのである
そうなら犯罪がなくなっているはずだからである