2019年05月25日

原発事故の原因ーその地に住む者と住まない者の差 (責任は住む者に強いられるー東電の人は住んでいないから無責任)


原発事故の原因ーその地に住む者と住まない者の差

(責任は住む者に強いられるー東電の人は住んでいないから無責任)


原発事故の原因とか責任を追及してきた、その原因は一つではないし多様なものがある
だからこれだけの大事故だともう国全体の責任として国民全体の責任として波及したし世界的責任にもなっていた
何故なら海とか大気まで汚染されたからそれは一国とか一地域の問題でなくなっていたからである、原発は日本だけではない世界的な影響があるものとして事故が起きた
それはチェエルノブエリですでに証明されていた、ヨ−ロッパ全土に波及したからである
福島の事故ではそれがなぜ起きたかとなるいろいろ原因はあり追求してきた
人間は住んでいる場所に一番関心があり住んでいる場所を良くしようとする
住んでいる場所が何であれ汚染されたりすると住めなくなったりするから敏感になる
毎日使う水でもなんでも汚染されたら住めなくなるからである

つまり何であれ住んでいればその住んでいることだけで責任を強いられているのである
そういうことは自覚されないが今回のような原発事故とかなるそこに住んでいた人が住めなくなり責任を強いられたのである
だから住んでいること自体責任が課せられていたのである
生れたときすでにその土地に責任をもたされていたともなる
なぜなら親がいて先祖がいて次の代もありうるからである

家だって住んでいると汚れればきれいにしよとかなる、放っておくとゴミ屋敷になってしまう、だからすでに家に住むこと自体家に責任が生じて掃除することを強いられているのである、責任を持たされているのである
何かを所有することは責任をもたされる、土地をもっていればそこを荒地にしていれば土地を有効に使わないとして土地をもつ権利すらなくなる
現実に山でも明治以降無数の権利者がいてその山全体を有効に活用できなくなった
ただ名前だけで土地を所有されているのはもう権利がないと法律もできる

原発でもそもそも東電では東京に作るのが筋である、送電線の費用もいらないし合理的だったのである
それを福島にもってきたことが災いになったのである
まず離れているということで無責任になる、東京には300キロ離れているから事故があっても安全だとなる
そこに東電の幹部とか社員が住んでいて福島に一部は住んでも住んでいない
すると住んでいないから無関心になり真剣に原発の安全など考えないのである
だからこそ東京に原発を作ることが安全を守ることだったのである
なぜならそうなればすぐ近くにあるのだからもう絶えず監視して安全を守るからである
ただそうなると反対勢力が大きくなり原発は建てられなかったとなる

そして事故になった時、離れているから的確な指示を東電の経営者はできなかったのである
そこで吉田所長の肩にその責任がのしかかったのである
実質的に原発の責任者になっていたからである
でも東京と離れているので意思疎通ができなくなっていた
それは東電の幹部でもそこに住んでいないからである

何かそうして離れていると支持もできなくなる、日本の戦争でも満州の陸軍が中央の指示を無視して暴走したとか他でも大帝国になると地方の支配がままならず反乱が起きてくるそれは離れているから中央の指示が通らなくなるためである
何かかならずそこに行き違いとか生じてくる、意志疎通がスムーズにできないのである
そうして大帝国でも崩壊してゆくことがある

そして東電にしても福島原発でも上の人がいて現場をで働く人たち、電気関係者でも千人もいたというのである
その人たちは原発の危険性を現場から見て知っていたが東電には逆らえない、東電の命令は絶対だとなっていてその危険性があっても上の人は聞かないし抑えるだけだったのである
つまり絶大な権力をもてばそうなる、その権力者に逆らうことはできなくなる

こうして東京の幹部と現場の福島の吉田所長などの乖離が起きた
いくら情報がやりとりできるとしても現場との乖離が生まれた
それは住んでいないから危機感がもともとなかったからである
福島原発の回りに住んでいたら危機感が違っていた、そのことから危機感がもともとなく大事故になった
一方で女川原発は東北電力であり地元である
それでその時東北電力の副社長が10メートルの高さに原発を建てようとしたとき15メートルにした結果すれすれで助かったのである
それも危機一髪だった、ただ女川とか三陸地域は津波が明治にもあったからそういう危機意識があったからそうできたともいえる
だからもしかしたら東北電力が原発を建てていれば危機意識があるから違ったものとなっていたかもしれない、東電は東京であり離れているから危機意識を持たなかったからである

いづれにしろそこに住んでいる人は原発がすぐ近くにあるのだから放射線とかのことがわからないにしろ危機意識を自ずともつはずだったのである
毎日原発の煙突を見ていたからである
ただ私の住んでいる所は30キロ離れていたから関心がなかった
それが福島市とか中通りまで影響したのである
福島県民も離れていると思い関心がなかったのである

いづれにしろ人間は住んでいる場所に一番関心があり責任が強いられている
だから駅でも鹿島駅のことを書いてきたが鹿島の人が高校生の見守り役でもかかわるべきだったとなる
なぜなら鹿島に住んでいる人とまた原町に住んでいる人は違うからである
鹿島に住んでいれば鹿島のことに一番関心がありまた責任が強いられるのである
そして一番駅に関心をもっていたのは駅前の自転車屋だったのである
なぜなら四六時中駅を見ているから一番詳しかったのである
私はただ毎日買い物帰りとかに昼間寄っていた、それで関心をもつようになったのであるそこはすく近くで住んでいるからである

ともかく住む場所に一番関心があり責任も強いられる、そうでないものはやはり関心がない、外から来る人でもその駅に継続的に関心はない
一時的であり一回くらいしか寄らないとすれば関心がない
そこで何か駅に要求することもない、でもそこに住んで鉄道を利用するとなると違ってくるのである、日々利用していれば鉄道に関心をもつからである
ただ車時代では鉄道を利用する人が少ないから関心がないのである

グロ−バル経済でも物が入ってきてもその物を作る人に関心などない
そこに住んでいないというより国外なのだから関心をもちえようがないのである
だからそこに住む者と住まない者の差は本当に大きい
関心の持ちようが根本的に違うし責任も強いられる
そうして現実に多数の人が故郷に長年住んだ場所に住めなくなったからである
住めなくなるということが最悪だったのである
住むということがまずできてこそその他のものがありうる、住めなくなるればもうすべて終わりだともなってしまうからである

posted by 老鶯 at 17:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

貨幣に頼ることで生まれた大きな弊害 (グロ−バル経済では投資でも金の流れが見えない)


貨幣に頼ることで生まれた大きな弊害

(グロ−バル経済では投資でも金の流れが見えない)


グロ−バル経済になると金がどう流れているのか?それがわからない、見えないのであるだからいくら世界の富が数パーセントの人に蓄積されているというのもわからないから見えないからその人に怒りをぶつけるわけにもいかない
それは王様がいたらフランス革命のようにギロチンで殺されるとなる
それは明確に格差社会であり階級社会に対する反乱だったからである
それは中国でもそうした金持ちに対して反乱して盗賊の首領が実際に一時的でも王様になったのである、皇帝になったのである
それは攻撃する相手が見えたからそうなったのである
グロ−バル経済ではでは数パーセントの人が富を収奪しているとしてもその人が誰なのかとなり見えないから陰謀論で終わっているのである

金が血液のようなものだというときその金の流れが見えないのである
その金の流れは江戸時代とかだけではない、戦前でも金の流れは狭い経済圏だと見えていたのである、だから巨万の富を得ていればそれが見えるから反乱するということはあった地主と小作は明確にその差がわかる、地主に対して不満を向ける、それで太宰治の家は大地主であり米を収めさせていた、高い塀で囲んでいたのは小作の不満があり攻撃されることがあるからだった、警察も地主の見方だった、今でも金持ちの上級国民の見方が警察でありその構図は変わっていない
なぜなら小作は汗水たらして働いている、そしてその米を地主に与えるから目に見えているのである、すると不満をぶつける相手がいつもはっきり見えているのである
それは江戸時代でも一揆が起きたのはそれが侍が搾取しているとかその対象がはっきり見えているからそうなった
汗水垂らして収穫した米を年貢として納めることでそうなったのである

今の時代はそういうふうに不満をぶつける対象がグロ−バル化しているのだから目に見えない、世界市場は見えざる手によって導かれているというが実はサタンによって導かれているともなる、公平な市場はないのである、そんな世界の富が数パーセントの人が得るということ自体なんであれシステムとしてもう経済は機能していないのである
投資しても世界の株式市場に参加しても実際はそこにこそ株式のプロがいて一般人はカモにされているだけだというとき本当だった
株の上げ下げは巧妙にそうした世界の経済を支配するグロ−プによって世界のエスタブリシュメントによって操作されているとしている
つまり株式市場では一般人が参加してももうけられない仕組みになっていたのである

だから目に見える経済とは狭い世界でしかありえないとなる、エコノミーが家政から始まっているのだから経済という時家政だったのである、それなら手にとるように見えるからである
地域貨幣を作り出そうとしているのも経済を目に見えるにするものであり何か年貢で税金を納めることモノで治めると経済がわかりやすいというときもそうである
なぜなら貨幣になるとそれが便利でも不正もしやすくなるからである

それでグロ−バル経済になり金融資本主義とかただ金を右から左に流して巨利を得る人たちが現れたのである、貨幣というのはもう今は数字なのである
数字を操作するだけで巨万の富が流れ込む仕組みが現代の資本主義である
だからそういうことで貨幣万能主義とか金万能主義に陥ってしまった
それは貨幣自体があまりにも便利であり今は市場はコンピュター化されている
結局タックスヘイブンとか騒いだけどマネーロンダリングでも止めることはできないという、その国に税金を払わない巧妙な方法があり大金持ちは今でもしているという
それも金の流れがグロ−バル経済によって見えないことから起きているのである

何か私はその人に何も働いてもらわないのに金を与えた
その金はその人とその非正規の息子とその女性の前の夫に流れたことが眼に見える
その前の夫は青森の施設に入ったからである
すると金の流れはその困窮した女性に流れ息子に流れ前の夫の施設に入った人に流れた
それからその夫を世話する青森の介護する人に流れた
こういうふうに身近だと金の流れが眼に見えるのである
ではそれが有効に働いた金なのかどうかわからない、ただ困窮した人に流れて息子でもその前の夫でも助かったとはなるし青森の施設に働く人も助かったとはなる

今は金は投資したってグロ−バル経済ではどう流れているかわからない
それでクラウドファンディングとかインタ−ネット上でできるようになった
それは小規模の個人の事業でもインタ−ネットで集められるからである
とても銀行ではそうした個人には金を貸さないからである
そこでもう銀行の役目はなくなりつつあるともなる
金を貸す相手がなくなりつつありそうした個人事業者などに金を貸さないからである
これも金の流れを目に見えるようにするものとして働かせるものなのである

郷土史などというと何かその地域だけの狭い閉ざされた世界の探求だともなるがこれもやはりその土地に根ざして目に見える経済としても探求しようとしている
それが一つの無人駅で報告することがあれほどあったということが自分でも驚きだったのである、となると他でもそうして地域の一部分でも仕事でも報告することがあると思ったただそれが報告されるていてもわからないとかはある

とにかく現代は社会が見えない、その見えないことから原発事故のような危険があったことを自覚する、第一原発はすぐ目の前にあっても誰も中に入ることすらできない
地元の人でもできない、私たちはここに住んでいるからどういうものか知りたいのですが中を見せてくださいとか教えてくださいといってもできないのである
そこは秘密のベールに閉ざされているだけである
国家機密だからできないともなるからだ

そうして目に見えないことから大事故とかが起きてくるのである
金の流れでもそうである、目に見えない知り得ないからそこに不正があり巨額の金が誰もしりえない人たちに集められる、でも抗議もできないとなる
そこにグロ−バル経済の限界がある、そんな広い天文学的金が流れる世界市場では不正が行われても見えない、そこに限界が生まれる
突然リーマンショックのような破綻が生じる、そういう世界的恐慌とか破綻が近づいてるそれは必然的グロ−バル経済は宿命としてなる
資本主義だけではない中国のような共産主義でも同じなのである、やはりグロ−バル経済の中にあるからである
世界的に同時にそうした破綻が起きてくるのである