2019年05月24日

抽象画の建築の変化のデザインの不思議 Wonder of the design of architectural change of abstract paintings

抽象画の建築の変化のデザインの不思議

Wonder of the design of architectural change of abstract paintings



takenakaccc123.jpg



airporttcc1.jpg

enlarge

timerroom111.jpg


waterwayyyy123.jpg
Japanese architecture

tunnelllbbl12342321.jpg

greentunneltrain1122.jpg
a hidden port 

mountainlinedmix1.jpg


建築と抽象画の関係あるのか?絵画と建築は密接に関係していた
なぜなら絵画は独立していない、もともと建築の一部でありまた音楽でも大聖堂と一体化してあった、つまり建築と一体化してあった
大聖堂の一面にキリスト教の絵画とかが描かれていたし仏教建築でも寺の中に絵が絵がれていたとか城の屏風に絵が描かれていたとか建築と一体化して絵画があったからだ
その後に絵画が建築から離れて独立して存在するようになり売買されるようにもなった
そのように近代化とは何でも分離してゆくことなのである
部分化してゆくのである

不思議だったのは竹中工務店のホームページの写真をきりとり抽象画に変化させる
ここは空港だったのである、すると空港にあったデザインにソフトで変化したのである
それが何か斬新なものとなっていたので不思議なのである
こんなふうに普通はなるとは思えないからだ
でも前にもこうして建築をソフトで変化して作ったものがある
何か建築をデザインしているのかともなる

この私が作る抽象画が自動生成しているから実際はAIが作っているとなる
だから大量に作れるのである、自動生成していればそうなる
それを選んで多少手直しするがそうすると何か不自然にはなる
でもそのままだと著作権違反になる、見本としてこれは著作権違反になるだろうか?

とにかくデザイン分野とこの抽象画の製作は関係しているとなる、デザインとなると建築であれ他の製造物でも関係するとなる
そのデザインにもコンピュターがソフトの製作が深くかかわってきているのである


Is there a relationship between architecture and abstract painting? Painting and architecture were closely related
Because the painting was not independent, it was originally part of the architecture and the music was integrated with the cathedral, ie it was integrated with the architecture

Christian paintings were drawn on one side of the cathedral, and even in Buddhist architecture, pictures were drawn in the temple, or pictures were drawn in the style of a castle, or pictures were integrated with the architecture Body
After that, the paintings were separated from architecture and became independent and became to be sold
As such, modernization is about separating everything
It will be partialized

What was strange is to change the photos of Takenaka's homepage into abstract images
It was an airport, and then it was soft and changed to the design at the airport
It is strange because it was something new
It's because I don't think it's going to be normal like this
But before, there is also something that changed and made architecture this way
It is also possible to design something

Because this abstract image I create is automatically generated, AI actually makes it
So you can make a lot, it will be if you generate automatically
Choose it and make some adjustments, but if you do, it will be unnatural
But if that is the case, it will be a violation of copyright. As a sample, will this become a violation of copyright?

Anyway, the field of design and the production of this abstract will be related, both in design and in architecture and other products
The design of software is deeply involved in computer design as well.

なんのために働くか悩む時代 (人は価値と意味を求めている)


なんのために働くか悩む時代

(人は価値と意味を求めている)


底辺労働者の苦悩は働くことの意味とか価値がわからなくなっている
毎日非正規のその場限りの仕事である、肉体労働でありスキルも身につかないとか嫌になっている
それで自分には哲学などは関係ない、それより今日一日の糧となる金が必要だとなりいやいや働いている、それは金のためだけでありその労働が評価されない
何か今の労働はただ金に換算されるだけでありそこに意味とか価値は見いだせなくなっている
その人は(Llove and freedom)底辺労働者のyoutubeの人も結婚もしていないし家族もいないのだから家族のために働くという基本的な動機すらないからだ、ただ自分が日々食べるために仕方なく働いているとなる
要するにその人は働きたくないのである、それで生活保護を考える
そして今では機械が働き人間はベーシックインカムでしたいことをすればいいとかなる

江戸時代辺りだと働く意義とか価値とか意味とかあまり考えないだろう
豊かになった時考えるようになる、ただ毎日食べるために働いているということも多いからそうなる、そんなことで悩むということもない
悩んでいる余裕がないともなる、だからその人は哲学とかも否定しているがいろいろと理屈をこねているのはその人は大学院まで出たインテリだからである


駅前の自転車屋のことを考えるとその人は病気である、でもこの街に一軒しかもう自転車屋がない、すると自転車屋は貴重な存在でありなくてはならない存在である
そういうことは医者にもあるかもしれない、医者がいない僻地で医者がいることはその人は必要不可欠だから周りの人から頼られているのだからその人が働くことについてその価値とか意味を考える必要がないのである
それでその一軒だけの自転車屋が存続してもらいたいとなり25万とかで買った電動自転車のロードを中古品としてリサイクルショップに売ろうとしたがその自転車屋にくれたとなる、つまり一軒しか自転車屋がないのだから存在価値が大きくなっているのだ

現代は社会が複雑であり無数のパーツとして部分として働いている、一つのものを作るにも無数の人がかかわる、江戸時代の職人だったら一つの物、簪(かんざし)を作る、下駄を作る、籠を作るとか一人の職人が一つのものを作っていた
それでその職人が作ったということでその作ったものにその職人の名前までつけられていたのである、それはその人が一人で作ったものだからである
今は一つの物を作るのにも無数の人がかかわる、すると誰が作ったとか関係なくなる
会社で作ったとなるとそれを作るのにかかわった人の数は多くなるからだ

それからグローバル化すると一体誰のために何のために働いているかもわからなくなる
地球の裏側の人のために働いて金をもらうとなったりしているから誰のために働くなど関係ないのである、ただ金のために働くとなるのが多いのである
そしてグロ−バル化経済の矛盾は世界の富の数パーセントが富を独占している
すると働くということはそういう数パーセントの人たちのために働いているのか?
そういうふうになると馬鹿らしくなる、その人たちは株式を操作して働かなくても莫大な金が入るからである
アメリカではそれが極端なのである、そういう世界が成り立つのかとなる
それで資本主義は働くとういことでその価値も意味も見出させず崩壊するとまでなる

なぜなら資本主義が修道院から生まれたという時、働くということは神の奉仕であり人を助けるためだったからである、愛の行為として働くという意味と価値を見出したからである、それがもう全くなくなったとき資本主義からモラルはないのだから資本主義自体がただ金を得るためだけだとなったときそれはもう基本的に崩壊しているのではないか?

グロ−バリゼーションでも働くことはただもし数パーセントの人たちに莫大な富を得させるものためだったらもう誰も働くことに意味も価値も見いだせなくなる
そこにそうした富と金を集めている人の責任が問われるが現実はその人たちはグロ−バル経済の中では見えないのである、それはグロ−バル経済だからである
経済でももともとエコノミーとかは家政から発しているから家族単位の経済だったのである、働くということも端(はた)を楽にするというというとき家族とか村とかの狭い範囲で働くということが意味と価値をもっていたのである
だからグロ−バル経済とかなるともう意味とか価値とかはわからなくなるのである
するとただ目前の金のためにだけ働くというだけになり何のために働くのかもう世界中でわからなくなっているのである

そこに現代の危機がある、資本主義崩壊の危機が生まれている、グロ−バル経済ではとてもどんなことしても働く意味とか価値を見出すことは不可能だからである
だからこそ数パーセントの人に富が金が集中してただ搾取されている労働だともなる
それも見えないからそういう怒りが革命ともならない、結果的にどうなるのか?
働くことの拒否現象が起きる、働いたら負けだとかなりニートとか非正規でも前は自由時間をえるためにフリーだとかなっていたのである
それは実際は正社員になれない人たちを膨大に作り出したのである

そういうことから資本主義は崩壊してゆく、共産主義でも中国で共産党の幹部とか官僚でも一兆円とかとてつもない富を得ているのも同じなのである
そういう不公平な格差社会が継続できるだろうか?
そこで働くことはそういう一握りの超富豪のためでありグロ−バル化経済でもそうである働くことの意味も価値も見いだせないと悩むのは社会にモラルが喪失してもうそういう社会システム自体が崩壊しつつある現象なのである

posted by 老鶯 at 08:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題