2019年05月12日

abstract japanese house


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近辺の夏の短歌(原町区馬場村の墓)


近辺の夏の短歌(原町区馬場村の墓)


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(鹿島区)

ふるさとの小径にあわれすみれかな

ふるさとの小径のあわれ我が行きて夏の夕ぐれ細き月いず

故郷の道隈なくも我か行くもなお知らぬ道夏の夕ぐれ

雲雀鳴く夕べに波のひびきけり夏の日輝き山脈に没りぬ

 (馬場区)

釣り人や藤の花垂れ奥の沼

夏の花まばゆく映えて石神村の広くもあるかな

水張る田山影写し奥の家藤の花房長く垂れにき

二本の木の下にあわれ文久の墓夏の日ここに夫婦(めおと)眠りぬ

夫婦なれここに生き死ぬあわれかな二本の木のここに離れじ

ここに生く形見と墓や忘るるな我尋ねて夏の日暮れぬ

(飯館村)

飯館に住む人あわれ何頼る花は咲くとも糧のありなむ



石神は広い、小学校が二つもあるし広い、

明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、石神村・牛越村・大谷村・大木戸村・大原村・押釜村・信田沢村・高倉村・長野村・北長野村・馬場村・深野村・北新田村の計13か村が合併して行方郡石神村が発足

こうなったから広くなったのである、でも昔の村を郷土史だと見なければならない

今日は石神村の昔の馬場村に行った、山側であり荒れた土地が多かった
やはり放射線汚染されている度合いが強いからだとなる
この辺では山側は荒地が多くなっている、そこで生業がないとき荒れたものとなる
自然があっても生業がないとそこは荒れた感じになる
人間の手の入った所は必ずそうなるのである

飯館村で出会った六〇代の女性がいる、すると山菜を私は食べているよという
それも糧である、花が咲いても糧がなければ生きていけない
そこが田舎キの問題だとなる、美しい自然があっても糧がなければ生きていけないのである、飯館村だって米でもとれればそれが糧となっていたし山菜でもそうである
それが放射性物質で汚染されて食べれなくなったからそうなったのである

奥の方に溜池があった、そこは自然の沼のように見えた、釣りしている人が五六人いた
そこではブラックバスは放されていない、鮒を釣っていた
私は釣りする人には興味がある、なぜなら釣りする人は自然の中に溶け込むからである
だからパ‐クゴルフとかパチンコとかで時間を潰すよりはいい

馬場村の丘の高台に日本の木があった、それもかなり古い木である
その下に墓が五つくらいあった、そこに信士信女とあり夫婦の墓がある
ここは文久となると幕末だが農民の墓があった、ただ農民が墓をもてたのは幕末頃であるその頃豊かになった人が墓を作ったのである、その頃墓を作るだけでも手間だから金がかかったから作れなかった
そして墓で注意すべきなのが一家の墓はないのである
個人墓か夫婦墓なのである、一家の墓は明治以降国の政策でおしつけられたものだったのである、だから実際は不自然なものなのである
新しいものであり日本の古い伝統から生まれたものではないのである

夫婦墓は明治になってからもありそれは江戸時代の継続としてかえってあった
家族の結びつきもあるが夫婦の結びつきが強いからそうなったともなる
そこに古い二本の木があったということがいかにも夫婦(めおと)の木と見た
こうして自然と一体化してあるとき何か昔を偲ぶことができる
その土地に何かを残して伝えているとなる、伝説とかの類もそうして生まれた

ここで大事なのは人間はそうしてその土地に墓があるときその継続として次代の生があるつまり苦労してその土地を拓き暮らした人がいてその次の世代もまたそこに生きる
そういう自覚が必要になる、墓でも残ればそれを自覚する
墓はだから次代に受け継がれるなにかだともなる
農家の場合は土地と一体化しているから土地に記憶が刻まれているとなる
それで津浪や原発事故などでその土地自体が荒廃して住めなくなったことは次代に受け継がれるものがなくなったことなのである
津波の恐怖は村自体根こそぎなくなったから伝えるものもそこになくなる
それで津波は語り継がれなかったとか言う人もいる

農家でも跡を継がれないということはその土地に生きた人たちのことを忘れるということである、それで大原でも知っている農家の人の家が空家になっている
その人は死んでしまい墓に眠っている
息子はいても跡を継がない、すると何か伝えたいものがあっても伝えられないのである
いづれにしろ墓を見る時江戸時代は貴重なものとして見る、明治以降はなぜか貴重なものとして見ないのである、歴史だと古ければ古いほど価値があるとなるからである
元号でも古ければ価値があるからだ、相馬市の新田になぜ元禄の碑があったのかと思う
そこは新しく田として開拓した所である、それがすでに元禄なのである

いづれにしろまた新しい自転車で毎日のようにサイクリングになった
ほとんどの道を行っているがまだ行っていない道があった
馬場村には初めて行ったのである、それだけ相馬藩内でも広いのである
今度のヤマハの電動自転車は悪路にも強いし楽に走れるからいい
それで行動範囲が広がったのである
退職したトラック運転手の人も自転車で近くを回っている、自転車は健康的いいのであるまず会社を退職したら仕事することはむずかしい
ボランティアでも無料でもむずかしいことは駅でしてわかった
つまり老人は退職したら何もするなとういことなのである
これもおかしいと思うけどそうなのである
だからパークゴルフとかパチンコとか釣りとか遊んでいるほかない、そうならボランティアのようにめんどうなことはないのである
そもそもそのように社会がしているのである
ただ消費者になれ生産者にはなるなともなっているからだ


昨日はそれほど暑くなかったから良かった、でも暑くなると熱中症が怖い
ただ今の時期は一番いい時期だからでかける、後は梅雨になりまた七月から八月は暑くて出かけられない、自転車はもろに光を受けるから夏が本番になると出かけれなくなるから今の内出かけた方がいいとなる