2019年05月08日

烏崎村の津波被害にあった人と話する (父親は漁師だったが50歳で死に会社で働いた)


烏崎村の津波被害にあった人と話する

(父親は漁師だったが50歳で海で死に会社で働いた)
                                                                                

1971年3月に1号機の原発営業運転を開始

昭和52(1977)原町市議会で「火力立地推進に関する決議案」可決
昭和52年鹿島町議会で「火力建設の協力に関する決議案」可決
昭和58年漁業補償協定および付帯覚書を締結
平成5年建設工事開始
平成8年(1996)発電機を送電系統に連系(初並列)
平成9年通商産業省の使用前検査に合格(営業運転開始)

1971年に副失敗第一の原発ができて開始している
1996年にに25年後に原町の火力発電所が運転開始している

それは20年後だったのか?

となると原発はそんなにこの辺では早くから建てられたいたとなるのは注意すべきである

その人は川の土手の道に杖を持って立っていた、そこで立ち止まり話した
その話が長かった、3時間以上も話した
その人は烏崎の人であり津波の被害にもあい復興住宅に家族と住んでいる
一軒屋にしても部屋が二つとか狭いと言っていた

その人は脳卒中になった、64歳だと言っていた、だからまだ若い
しゃべることはしゃべれるし脳はやられていない、ただ足にきして歩くのが不自由になったのだ、そういう人と前もあった、それは同級の人だった
一人は結構重かったのだがダメージは軽くてすんだ
足も悪くないし一時痩せ細っても頭脳も明快である
ただ病気になったから激しい運動はできない、でも自転車で運動するようになった
それで高いヤマハの最新式の電動自転車を買ったのである
もう一人は足にきた、びっこひいている、でも車で買い物に来ている
脳卒中も多いなと思った

その人は何かよっぱらったようにしゃべるが普通にしゃべることができる
一時は呂律がまわらなくなってひどかったらしい、リハビリして回復した
ただ何かときどきしゃべるのが変だから酔っぱらっているのかとも見える
なにか良くしゃべる人であった

その人は烏崎村の漁師の父親のもとに生まれた、その父親が50歳の時海で死んだというから早く父親が死んだとはなる
それでいわきの水産学校に入った、その時漁師になろうとしたのだろう
でも父の仕事は受け継がなかった、すでにその頃から漁師は魚でもとれなくなっていたのか?
                                                                                
漁獲量はピークだった1982年の1282万トンから、2012年には484万トンにまで落ち込みました。前年の東日本大震災の影響もあるとはいえ、約3分の1にまでなってしまった

漁業も農業と同じくこういう状態だったのである

でも不思議なのは妻とヨ−ロッパ旅行していたのである
その時円はドル換算で240円だったという、その頃ヨ−ロッパ旅行した人は田舎ではほとんどいない、ハワイとかの旅行が人気になった時ではないか?
ヨ−ロッパに円が240円のとき行けた人は相当な金持ちである
第一外国はそのときまだまだ遠い所だったのである
だからこんな田舎からなぜヨ−ロッパに行ったということが不思議だった
私も本当は外国に行きたかったがその時は飛行機代が50万円とか高い時があった感じになる、そうなると普通の人は行けないはずである 

ジャンボ機の登場で高額な旅行代金が大幅に引き下げられ、特別なものだった海外旅行の門戸が少しずつ広げられていった。海外旅行者数はジャンボ機の就航を挟み、1969年〜1973年の4年間で4倍以上となる223万人に拡大ーー。まさに海外旅行の第1次ブームと言っても過言ではないが、そのブームの海外旅行客を魅了したものの1つが、ジャンボ機そのもの。そのスケールの大きさは旅客を圧倒し、機内で写真を撮り歩き、収拾がつかなくなることも珍しくなかったという

ジャンボ就航前年の1969年。最低40人単位でパッケージされた旅行が対象で、その価格は個人普通運賃の60%という大幅な割引が設定された。これにより、60万円台だったヨーロッパ商品が30万円台に、30万円台だったハワイ商品は最大7割近い値下げも行なわれたという。

この時から海外旅行は安くできるようになっていたのだ
私が失敗したのはその頃から海外旅行に行くべきだったとはなる、50歳では遅すぎたのである、もし海外旅行を早くしていれば人生が変わるということもあった
だからこんな田舎にすでにヨ−ロッパに旅行した人がいたのである

ともかくトランジスターとか言うとすでに日本の過去となり歴史となった

池田勇人は、「就任以来、高度成長、貿易振興を促している私は、自ら各国の首脳にトランジスター・ラジオを手土産に持って行って売り込んだのだから、偉大なるセールスマン、トランジスター首相」
                      
池田勇人首相はあのだみ声で所得倍増を言った人だった、その時日本は高度成長時代に入っていた、ソニーのトランジスターラジオが売れるようになっていたのだ
何かそれも歴史となりつつあり日本の繁栄期の象徴的なことにもなってしまった
高度成長時代は日本の電機製品は世界一となり売れたからである

この辺で最先端の電話の開発をしていたということもあったのか?

 電話交換手がスイッチボードのプラグにジャックをさしこむかわりに、特定の入力条件が満たされたときにリレーが回路を閉じるという方式を利用したのだ。リレーを使う ...

phonejack11.jpg

こんなことを電話局ではしていて相手の電話とつないでいたとなる
だからこれが不便なので新しいものにするために開発していたが失敗したと言っていた
その時すでにソーラーパネルも開発していたがこれも失敗していたという
ただそうした先進的な取り組みをしている会社となると一流だったとなる

その人の言ったことで不思議なのはもともと今の火力発電所がある所には原発が建てられる予定があったか烏崎村の人が反対してできなかったという
そんてことがあったのか、私は覚えている、火力発電所を東北電力で建てる時会社で案内したのである、それは火力発電所であり原発ではない、ただそういう計画があったのか?その辺が良くわからないのである

火力発電所が建つ前の状態を私は知っている、そこは海であり原町まで砂浜がつづいていたのである、景色的に原始のままだったともなる
右田の松原もあり景観のいいところだったのである
だから火力発電所ができたということは大きなこの辺の変化だったのである
何かそれで烏崎の人に補償金が入り景気良くなって呉服屋が旅行に招待したとか知っている、家族の人が呉服を買っていたからである
ということはその時火力発電所が建った時、景気が良くなっていたとなる
ともかく原町の火力発電所ができてから40年がすぎている 

1971年3月に1号機の営業運転を開始

その約20年後に原町の火力発電所ができたとするとありえる、つまり双葉で火力発電所ができたからこっちにも作ろうということはありうるからだ
ただ意外と早く原発はすでに稼働してしいたのである

宮城県での建設候補地が町域に含まれる女川町および牡鹿町(現・石巻市の一部)の両議会も9月に誘致を決議し、石巻地区市町村長(1市9町)も誘致を請願して、浪江と女川で誘致合戦に陥ったが、1968年(昭和43年)1月5日に東北電力は女川町小屋取地域に建設することを決定した(浪江には浪江・小高原子力発電所が建設準備中だった)

浪江と小高の中間地帯の崖の上に原発は建設される予定だったより工事は始まろうとしていたのである、それが震災と津波で廃止になったのである
つまり津波と原発事故がなかったら小高に東北電力の原発は作られていた
それで小高の大工さんが景気良くなると言っていたのである
そこに建っていると相馬市まで30キロ圏内になり事故があったら住めなくなっていたかもしれない、ここは人口が多いからその被害も甚大になった
そして小高に東北電力の原発が建つことも知らない人が多かった

私自身も知らなかったのである、なぜなら原町はその時市であるから6万くらいの人口があったから左寄りの人たちがいて反対運動してきいるはずだがしない
そして小高でも共産系の人たちが多い町なのにしていないというのも解せないのである
だから知らない人が多かった、原発は何か知らないうちに建てられていたのである
それは原発の土地を買い県の許可がおりりれば作れるというものでみんなで協議するとかなかったのである、だからここには民主主義は全く機能していなかったのである

烏崎で中学の同級生も死んだ、地区の世話役で老人に避難勧告をしていて老人は頑固で逃げないので避難が遅くなって死んだとか言っていた
そういうことは他でも聞く、時間がないのに老人とかを回って逃げ遅れて死んだ人がかなりいたのである
また前が防波堤で遮られて海が見えないからわからなかったということも言っていた
そういえば確かに防波堤の上を自転車で行ったことがある
津波の場合、津波が来たのを見て早く逃げて助かった人の話を聞いている
八沢浦でも海に近いのに津波が来たのを見て裏山に逃げて助かった人がいた
それだけの余裕があったとはなる

海岸に接していても白い波が盛り上がるのを見たらすぐ逃げれば助かった
烏崎でもすぐ裏山があり高い所があったからである
それは歩いても近いのである、何か避難することでも失敗して相当数が死んだのである
大内では津波が来るのを見てトラックで逃げて助かった人もいる
つまり津波は意外は津波が押し寄せるのを見ていると怖いから逃げることがあるが見ないと逃げないこともあった、それが盲点でもあった
人間はやはりじかに見ないと危機を感じなかったということである

その人は今、二間の復興住宅に二人くらいで住んでいる
でも息子はいわき市と仙台にいるというから近いからいいと思った
それなら何かあったら来てもらえるからである
金はないと言っていた、それは船主でなくなっていたからである、漁業組合にも入っていない、仕事は電機関係とかの会社だったからである
そこで働いたことの苦労も語った

ともかく60代になるとなんらか病気になっている人が本当に多い、実はその人の同級生も64であり病気になっていた
自分自身も60代で病気になり入院して手術もしたのである、そのことはプログに書いてきた、まず60代以降は健康が大事である
一旦軽いにしても脳卒中になり障害がでると身体障害者になる
だからその人は歩くことはしても自転車にも乗れないのである
そして時々めまいするとかいうからやはり一時は呂律もまわらなくなったのである
でもリハビリして回復したのである
そして病気になってから誰も来ないとか言っていた、健康ではないからパークゴルフもできないと言っていた、確かに人間が何か病気になったり障害が出ると人は来なくなる
そういう人と付き合うことはさけられる、車も運転できないから一緒に行けないからである、なんかそれも淋しいと思った
車椅子の人を良くみかけるがその人も脳卒中になってそうなったのかもしれない
高齢化社会でこうした人たちも増えてゆくのである

いづれにしろこうして老いて昔を語るようになる、その人はまだ呂律がまわらないようになったりししても語れるからいい、もっとひどくなるとしゃべれなくなるからである
それもショックだとなる、こうして会話ができれば何かを伝えることはできるのである
これも一つの郷土史として記録されるとはなるからだ







        
  


posted by 老鶯 at 21:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

「安全の要」である駅業務の外注化は鉄道の安全を崩壊させる


「安全の要」である駅業務の外注化は鉄道の安全を崩壊させる

  2015年4月より「業務委託駅における業務の委託範囲拡大」が実施された。

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  人身事故などが発生し輸送障害が起こった場合、今までは最終的な安全確認は管理駅社員(JR社員)が行っているものを、業務委託駅社員が行うことができるというものだまた、列車非常停止警報装置の復帰扱い業務についても、業務委託駅社員が自らの判断で復帰扱いを行い、管理駅に事後報告する。
  
  つまり、駅における安全の確保に関してJRが全く責任を取らなくなるということだ。
  この攻撃に真正面から立ち向かい、職場から、「鉄道業務の外注化反対!」「乗務員勤務制度改悪反対!」「分社化・転籍反対!」の怒りの声を組織しよう。
  
  
これも何なのだろうか? 

業務委託駅社員にまかせる→コスト削減→安全が損なわれる

駅の機械化自動化→コスト削減→サービス低下

何か大きな都会の駅でも機械化自動化している、委託業務というのは駅の業務を委託することである、無人駅では管理することをまかせる
それは一日一回見回りしているだけである、でも一応管理を委託している

その駅の委託業務の範囲を広げる→安全が損なわれる

それで組合が反対している
でもなぜ鹿島駅では無人化したか駅の見守り役は置いたの高校生の見守りということで駅の業務はしないという約束でしたのである 

列車非常停止警報装置の復帰扱い業務についても、業務委託駅社員が自らの判断で復帰扱いを行い、管理駅に事後報告する。

これはとかなり専門的になるから危険なことは確かである
でもなぜそんなことまでまかすのか?
私はそんなことをまかせられない、駅でボランティアで時間とかその他案内しただけで嫌がられ拒否されたからである
別に無料でしているからコストとは関係ないのである
だからJRではただ素人の人がJRの職員でないものが入ってきて何かされるのを嫌がってそうしているのかと思った

でもここではJRではコスト削減のために危険な専門的な仕事まで委託業務する

これも何かなのかわからなくなった
結局JRでは経営が苦しいから委託業務する、JRの正社員でするとコストがかかるからだとなる、JRではなるべく正社員を減らして委託業務してコスト削減するとなるのか?

何かそういうことは日本全体に起きている、正社員になれない非正規社員が膨大なのである、一千万とか二千万とか非正規の時給労働者となっているのは本当に異常だと思う
それからグローバル化して外国人労働者が大量に入ってくるとますます底辺労働者は賃金が低くおさえられるのである
それで絶望を語っている底辺労働者がyoutubeにいた

でもここで起きていることはなになのか?

JRではコスト削減しろ

●危険なことでも委託業務させてコストをおさえろ

●機械化自動化AI化してコストをおさえろ

何かこういうことなのだろう
ではなぜ駅の見守り役には委託業務させないのか?
これもコスト削減であり委託業務させない、させるとコストがかかるからなのか?

でもわからないのは危険な仕事まで委託業務させているのである
この辺の理由がわかりにくい

ただ確かなことはJRではコスト削減のために委託業務と自動化機械化AI化している
委託業務でもコストがかかる場合はしない、それが鹿島駅の無人駅の高校生の見守り役だったのだろうか?
私が勝手に駅員のようなことをしたことを拒否したのはなぜなのか?
別に危険なことではない、それよりもこれは危険である

列車非常停止警報装置の復帰扱い業務

そういうことまで委託業務している、確かに危険なのにさせているのは何なのだろうとなる

そしてJRでは責任はない、委託業務者にあるとしている!

自動化機械化AI化すれば責任はJRにはない!

それは乗客にある、自己責任だとなるのか?

実際に駅員がいないのだから人間がいないのだから責任はないとなるのか?
機械とかAIはロボットは責任をとれないからである

これも何か変なことであり何か問題が起きる、その時どう対処されるのか?
法律的にどうなるのか?それは自動車の自動化とか他にもAI化で無人化される店とかいろいろな分野で起きてくる問題である
責任をとるものは誰なのか?機械やAIやロボットには責任はとれないからだ
結局責任は人間がとるほかないからである

いづれにしろ無人駅問題からこれだけいろいろなことがあり波及するとは思わなかった
とすると様々な現場で報告することはささいな場所でもありうる
ただ今までのマスコミでは報道されないだけだったのである
この報道にしてもマスコミでは取り上げないからだ
ただ無人駅を面白がってとりあげる放送はある、秘境駅とかである
でも現実の鉄道に関するこのような問題はとりあげないし追及していないのである
だから現場からインタ−ネットではいろいろなことを追求するようになる

それで「底辺労働者」についての深刻の訴えに同情したともなる

Love & Freedom「底辺労働者」が現実を生々しく体験から報告している(youtube)

こういうことはマスコミでとりあげない、報告されない、だから報道も変わったことを意識したのである

コスト削減はJRだけでない、底辺労働者が増えたのは会社のコスト削減のためである
東電でもコスト削減した結果として原発事故が起きた
社長でもコストカッターとして知られていたのである
結果として安全が無視され大事故になった
何か社会でも共通した問題がある、それで一番わかりやすいのコストカット、削減のために会社が賃金とか安全にかかる費用を削減する、それはグローバル競争にさらされているからそうなる
また日本が経済が停滞して貧困化しいるからだともなる、会社に余裕がないからそうなる
また鉄道は利用しなくなったからそれで収入が減ったからだともなる
そこに現代の様々な問題が鉄道をとってもあり無人駅から見えたとなる










ヨ−ロッパの鉄道は自己責任社会に基づいている (日本でも無人駅は自己責任である、責任をとる駅員がいないから?)


ヨ−ロッパの鉄道は自己責任社会に基づいている

(日本でも無人駅は自己責任である、責任をとる駅員がいないから?)

駅の近くに大きなホテルがあり、そこで日帰り湯に入るためにこの駅で下車しました。駅舎もなくホームに直接出入りすることが出来ます。ホームには、待合所があるだけの本当に質素な駅です。

駅などで発券する長方形の切符の場合は、列車に乗る前に改札印を入れる「コンポスタージュ(Compostage)」が必要なことが多いです。「必要ない」と書かれている切符もありますが、すべては仏語で書かれているため、とりあえず乗車前に刻印しておきましょう。  
切符を買う時間がないからと、飛び乗りで乗車すると、車掌から切符を買う際に通常の数倍の車内乗車料金を請求されます。

私がなぜ無人駅で駅員のようなことをしていたのか?
それは自分自身が鉄道旅行が好きで日本全国を鉄道で回ったからである
ヨ−ロッパで鉄道に乗ったし中国でも乗った、アメリカでも乗ったからである
つまりそれだけ鉄道には世話になったとなるからだ

確かにヨ−ロッパでは刻印しないで乗ると馬鹿高い罰金がとられるとかあった
私はしなかった時外国旅行者ということで許されたのである
本当は許されない、ヨ−ロッパの鉄道は日本とはシステムでもかなり違っている
それも20年前だから今は違っているようだ

つまりホームまで自由に出入りできるとか自由があったのはやはり自己責任社会だっからなのかとなる、刻印しないと罰金がとられるというのもそうである
ただ日本でも今では駅員がいていない所は自己責任なのである
駅員が教えてくれないからである、そこに問題が生まれることは延々書いてきた

ただ無人駅では自由にホームに出入りできるのが多い、第一駅員がいないのだからそうなる、監視カメラがあってもわからないし注意されないからである
日立木駅をみればわかる、誰も見ていないから待合室の壁が壊されたのである
あそこでは自由に出入りしても誰も見ていないしわからないのである

いづれにしろ日本の駅がうるさいくらい危険ですからとか電車がいちいち来ることでアナウンスする、そういうことがヨ−ロッパの鉄道では一切ない
そこは文化の相違なのだろう、ヨ−ロッパは自己責任社会だから危険は自分でさけてください、それで事故が起きても鉄道会社では一切責任はとりませんとなる

でも不思議なのは自動化機械化するとすでに自己責任なのである
JRでは自動化して乗客が困らないように便宜を図っています、それで何かあったら自己責任ですとなる、駅員がいると責任が駅員からJRになるからだ
だから駅の見守り役でも駅員がいる切符売り場だったところにいるから駅員だと乗客は思ってしまうから駅の業務はしないという訳にいかなくなるのである

いづれにしろもう鹿島駅は無人駅ではないと思う
朝と2時半ころは高校生の見守り役として駅員がいるとなる
昼間は確かにいないがそれだけの時間が駅員がいるとなるからだ
とすると駅員と思い駅の業務をするようになる、あそこにいるとわからないと必ず聞かれるからである、それで私たちは駅の業務はしないですとは言えない状態になっているからだ

ただ駅の業務をしないとういのはJRで責任をとりたくないからなのだろう
でも自分自身は駅の業務をしていたのである
JRの許可もなくしていたのである、それは乗客に聞かれたからそうなった
でも別に自分はJRから頼まれたわけでもないし委託された駅員でもないのである
だから本当は駅の業務はしてならないものだったのかとなる
ただ駅の外での案内などは自由である、そこは駅の管轄にないからである

とにかくここたけではない、会社員でないのものが勝手に会社の仕事などできないだろう、かかわることもできないだろう、仲間で組織で仕事しているからである
そういうふうにして外部の者は会社とかの内部には入れない
原発でも確かに仕事で入る人がいても厳重に管理されている、許可がなければ何もできないからである、そういうことはわかる
ただ私がしたことは別に危険なことでもない、あそこで駅の業務といってもそんなに危険なことはないのである 
のでも何かJRからするとしてもらいたくないということがあった

それは組織で仲間で仕事しているので関係ない第三者に入ってもらいたくないのということはあった
ただ駅はJRだけでなく地元の市民でも遠くの人でもみんなかかわっている
それは実際は人間は会社にしてもなんでも公共のためにある
公共善のためにあるとかなる、だから会社でも悪いことをしたりするから原発でも外部の第三者の監視が必要だったのである
それが原発になると絶対にできない、それが大事故につながったのである

つまり社会でも公共善とかのためにみんながかかわる、知るということも大事である
そこで知らされないと何もわからないからである、そして国民のためにもならないからである、そこに報道の役割があったのかとなる
無人駅の問題を追求したが無人駅はそういうことだったのかと考える人も関心を持つ人もでてくる、ただ鉄道はマニアのようにな人が関心をもっているが今は乗る人が少ないから関心がないことが問題なのである