天皇を受け継ぐことの重み
(高齢化で代替わりが遅くなるが経験しないとわからない)
何か最近政治家でも高齢化している、マレーシアの前に首相をした人でマハテールもまた首相になったが92歳なのに驚く、トランプ大統領でも70歳であり今度民主党から立候補した大統領候補も80近いとかサンダースでも74だとか政治家がこんな年齢で勤まるのかという疑問である
ただ高齢化社会は世界的なものでありこうなっても不思議ではない
これも今までの固定観念がありそう思うだけだとなる
百歳人生だったら70頃から本格的にその本領を発揮するということがある
やはりそれだけ経験とか知識を積んでいれば若い人よりは有利だとなるからだ
ただ政治という時何かハードに感じるからこんな年でやれるのとなる
学者とか芸術家とかは別に家にこもってでもやれるが政治はそうはいかないから体力がなかったらできないとみるのである
天皇を受け継ぐにしても皇太子だって60近くになっている、それは昔だったら老人なのである、こうして高齢化社会になると遺産とかでも受け継ぐのが親が死ぬのが遅いから60くらいになるのが普通になる
それも社会を停滞させるということがある、なぜなら人間はどんなに優秀な人でも実際にやってみないとわからない、経験しないと理解できないからだ
それがもう60くらいになって天皇でも跡を継ぐというとき天皇になることがどういうことかすぐには理解できないのである
いくらそういう皇族の中で育っても実際に天皇になることがどういうことなのか実感できない、それは天皇になったとき徐々に実感してゆくのである
天皇になることはこういうことだったのかと実感してゆく
それは家の跡を継ぐことでも同じである、家の跡を継ぐことはこういうことなのかと実際に継いでみてわかる、でも60近くになって家の跡を継いでも遅いとなる
家を継いで新しいことを始めるのにも60とかなると苦しいとなる
実際に跡を継ぐ人も老人になっているからだ
ましてや天皇を継ぐということはその重みは計り知れないとなる
こんなことを言うのは自分自身がそうだったからである
家を継ぐとういことが自分にはわからなかった、でも親が介護になり家族がみんな死んだとき否応なく家を継ぐことになったのである、私は家に付随したようなものだったが今は後を継いで家の主となっている、それも一人だかそうなっている、それで家を維持することが今度は重いものとして自分にのしかかったともなる
何か家が残っていることで後を継ぐということを意識する
でも家が残っていないとそういう意識もあまりもてないかもしれない
それだけ家のもっている重みがあったともなる
家の中に死んでも先祖が生きているということを実感するからだ
おそらく新天皇でもそういうことを徐々に実感する、皇太子と天皇では全く違ったものでありその重みも全く違ったものになる、でもそれを意識するのはすぐにはできないからだ時間が何でもかかるからである、天皇になることはこういうものだったのかと意識してゆく、つまりその人がどうであれそういう立場になり権力を持つとかならないと実感できないのである
王様になるにしてもその地位に実際についてみないと皇太子ではわからないのである
それはここの家でもそうだし会社とか団体と政党とか何でもそうである
社長になってみないと社長がどういうものかすぐにはわからないのである
それで若い人でも重責にある地位につけば能力を発揮することがある
それは経験してみないとわからないからである
人間の能力が発揮できるのは必ずしも能力があるかないかもあるがそういう立場に実際になってみて力を発揮することがある
でもそういう立場を与えられなかったら何も発揮できないのである
それで今度は天皇は夫婦で留学経験があるから外交面で力を発揮するかもしれないとか言われる、天皇となると世界的にも影響があるそこでやはり英語でも自由にしゃべれれば会話がはずむとかなり外交力を発揮するとなる
いづれにしろ天皇を受け継ぐということは国家を受け継ぐとかにもなりその重荷は計り知れないものとなる
それで平成天皇は戦没慰霊者を全国を回ってしてきた、それは日本国家の天皇家の負の遺産でありそれも大きいからそうなったのである
個々の家にも必ずカルマがあり負の遺産がある、プラスの遺産もあるが負の遺産もある
そういうものを担うのが後を継ぐことだと意識するようになる
江戸時代のようなあまり変化しない時代だと後を継ぐということは特別能力がなくてもできた、徳川幕府の将軍が別に能力があるから継がれたのではない、長子相続が継続されたのは平和な時代がつづいていたから継続されたのである
グロ−バル化とか激動の時代になったら跡を継ぐとしても守れないとういことがある
戦国時代では能力のない跡継ぎは駆逐されるからだ
いづれにしろ天皇のようにな国家の跡を継ぐようなものになるとその重責をひしひしと感じる時がこれから生じてくる
でも実際に経験して次代の天皇として成長するともなるがもう天皇制は限界でありそれは大統領制にして国家の重責を担わせる時代へ移行するようになることも考えられる
ただここで国家とは何かとかが問題になる、それもまた二千年の歴史を知らないと答えは出せないのである
家を継ぐ我なりしかも牡丹の五六輪庭に重く咲き継ぐ
天皇となればまさに牡丹である、栄光を受け継ぐとなる、ただ家でもいろいろある、家も何も残さない人だっている
子供が親にひどいめにあって死んだが墓参りもしない人もいる、家もいろいろでありカルマがあるからだ
ただ家は具体的形になっているから受け継ぐというときわかりやすいのである
どういう訳か狭い庭に牡丹だけが毎年咲いている、五六輪は咲くのである
新しく倉庫のような所を壊して作った庭には花が咲きにくいのである
だからなぜ牡丹だけがこうして咲いているのか不思議だとなる
私の家は古い家ではない、でも跡継ぐということはこういうことがあるなと思った
ただたいして金持ちでないにしろ家とそれなりの財産とかがないと跡を継ぐにしても淋しいとはなる
受け継ぐというとき具体的な目に見えるものだけでもない精神的なものを受け継ぐことがある
それも遺産なのである、日本精神を受け継ぐとかなればそうである
そういうものが天皇に凝集しているということが日本の特殊性にはなる
あとがき
七宝焼の皿は売り物である、10万している
これは令和にふさわしいかもしれない、日の出工芸社となっている
令和にからんで売れるものがあるし宣伝している