2019年04月21日

神社は何なのか、何のためにあるのか? (謂れがわからないのが多い)


神社は何なのか、何のためにあるのか?

(謂れがわからないのが多い)

なぜ日本にはこんなに神社があるのか?もう無数にある、それは何を意味しているのか?それは信仰の対象というよりは歴史的遺産として残してある
でもそもそも不思議なのはなんの謂れかもわからないものだとするとそれは何のためにあるのか?
それは相馬市の坪田の都玉神社がある、これは国魂神社のことである
国の魂となる神社という意味なのか?

主祭神は相馬都胤命(そうまくにたねのみこと)。

合祀神は大貴己命(オオナムチノミコト)、相馬昌胤命(そうままさたねのみこと)。
正徳五年(1715年)、第五代藩主・相馬昌胤公の息子・都胤がわずか五歳という年齢で亡くなってしまう。

都胤公を寵愛していた昌胤公は嘆き悲しみ、現在の社殿のある場所の裏山に石室を築き、都胤をそこに埋葬する。

その後、享保三年(1718年)には神社を建立。

都胤の御魂を御祭神として祀ったのだという。

都胤(くにたね)公の御魂(みたま)を祀ったので、『 都玉(くにたま)神社 』と称するようになったのだとか。

さらに、昌胤公の死後、天保十三年(1842年)には昌胤公も合祀される形で都玉神社に祀られている。

このように由来が明確である、だからここにお参りする時は五歳で死んだ相馬都胤命を祭るからその人を供養することになる
由来が明確だからその是非はともかくそこにお参りする理由にある
他にも子安神社などが各地にありそれは子を安らかに産んで育てる願いがあって建てられた神社であり社である、それもわかりやすいのである

ところが神社には何の謂れがあるのかわからないのが多いのである
それでおかしなのは今回の津波で相馬市の松川浦の津神社が津波からまねがれた
そこで言い伝えがあり津波の時にその神社に逃れると助かると伝えられていたという
それで実際に助かった人がいたからここは津波を記念して建てられたのだという人がいたそれで相馬市の城跡で会った歴史の高校教師であった人すらそう言ったのである

ところが津神社というのは「つのみつ)神社と言っていた
津神社となっていてもツ神社とは言わないのである、それは当て字なのである
これがまぎらわしいのはツの神社となるがツノはツできれるのではなく角(つの)なのである
つのみや神社とかも言っているからだ
そして津神社はこの辺で海岸沿いに多いのである
砂鉄を求めて来た渡来人の技術者達が建てた神社だったとなる
原町の雫(しどけ)も高い所に津神社があるがそれもつの神社なのである
烏崎にも津神社があった、その神社はもともと高い所にあったが移されたのである
それもツ一字では読まないはずである
そもそもこうして津神社が多いという時、それが津波のために建てられたものではないのである
津浪に由来する神社は仙台市の波分神社くらいである、そこで津波の波が分かれたというので明確である、実際に今回の津波でもそこまで津波が来ていたのである
他にはほとんどないように思う
津神社はツノガノアラシトのツノなのである
ただそれも大和王権に統一されたとき隠されたのである
そして由来がわからなくなったのである

神社の由来がわからなくなると別にお参りしなくても何のためにあるのだろうとなる
鹿島神社は多いがこれも大和王権に統一される過程で作られたタケミカヅチの神である
武力で制服した神なのである、ただ後で豊作の神とかにされたのである
他に綿津見の神が多いし山津見の神社も多い、これは安曇族など海人が移動してきて建てられた、そういう人たちが入ってきてその人たちの先祖が祭ったとなる
それは歴史的遺産として残っているし残しているとなる

神社でもそうだが何か祭る時、それは何かしら伝えるものがありそれで祭られている
でも何を伝えようとしているのか?それがわからなかったら維持できなくなるのではないか?何かわからないとしたら何のためにお参りしているのかもわからない
祭りでも何の祭りかもわからないのがありそれだけ古いものだからそうなる
でも何の言い伝えが謂れがわからないものをいつまでも維持できるだろうか?
信仰するにしてもそうだろう、何かわからないものにただ祈ることはできない

ただそうでも何かしら歴史を伝えるものではあるから残している
でも相馬市の松川浦の津神社を津波の神社とか真面目に言われ歴史の高校の教師まで信じていた、別に松川浦には他にも神社がありすれすれで津波からまねがれているのである
それは神社が古いからもともと海だった所や湿地帯だった所には低い場所にはないのが多いからである

とにかく神社の問題は何か由来がわからないのが多いから気持ちとしてすっきりしないのである、何か不明な謎としてあるとなりすっきりしない、それでいろいろ調べる人がいるそれは謎だからそうなるのだ
それで都玉(くにたま)神社の謂れはわかりそこにお参りする土地の人が守るというとき五歳で死んだ子供を供養するということになる、また相馬氏の殿様がそこに葬られ祭られたと知る
それは明確でありわかりやすいのである
でも神社には何か由来がわからないのが多すぎるのである
それで安産の神だとか豊作の神だとかに後世にされたが実際はそういうことで建てられものではないものが多いのである
飯館村の山津見神社でも狼を神としているがもともと関係ないのである、それは海人系の綿津見神社と対になった神なのである
後から別なものの神にされているのである
神社というのは確かなことはその土地土地に根付いた先祖がいてその人たちが祭ったことは確かである、それも大和王権が成立する前からのも多いから謎になるのである
ツノガノアラシト系とか韓国系統とか物部系統とか蝦夷として大和王権に征服された人たちの神は祭られているとしても隠されたからその由来がわからなくなっているのである
それは敗者の神だからそうなったのである、でも歴史的遺産として残されているのである



posted by 老鶯 at 20:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

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