2019年04月01日

なぜ南相馬市から青森の老人施設に入れられたのか? (青森は月額利用料金が全国で最低だった)


 なぜ南相馬市から青森の老人施設に入れられたのか?

 (青森は月額利用料金が全国で最低だった)

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 週刊現代2019年4月13日号
 

福島県は一か月の入居費が13万だからそれなりに高い
東北では宮城県についで高い、13万くらいが全国平均になるのか?
東京となると20万とか格別になる、入居費用も高い
最低は宮崎県だった、ここも青森と似ているし九州は10万以下であり
東北より低いのはなぜだろうとなる
北海道は12万でそれより高いからである

この図は日本全国の経済状況を反映しているとなる
青森が下から二番目で安いから今南相馬市では青森に介護される人が送られているという福島県でも南相馬市でも人手不足であり施設という建物があっても介護士とかそこで働く人が不足しているからそうなる
ではどこでめんどうみてくれるのかとなると青森が費用が安いからとなり送られている
青森はもともと仕事がない地域だったからである
九州でも福岡を除いてそういう傾向があった、福岡市とかに人口が集中しているのである

老人になるとこういうことに興味をもつ、明日は我が身とかなるからだ
でも8万とかなると安い、何か身元保証人すらなくても入れる施設があるという
そこは劣悪でもそういうのもあるのかと知る
そこでなぜ経営破たんして倒産しているのか?
それは長生きしすぎると新しく人を入れられないのでそこで収入が減るとかのためだと書いてある、これも経営するためには金のことを考慮すればそうなるのか?
そういう施設では経営が苦しいから何を使うのにも金を要求される
細かく要求されるという  

青森の施設に入った人も貧乏でありぎりぎりしか払えない、でも入って終わりかとなるとそうではない、何かその他にかかる費用があり食費でも別に払う
その金がないので息子が働いて払うという
その息子もまた苦しいのである、建築関係で働いていて給料の高い所に行っているという飯館村でまだ除染の仕事とかしてもいた、今度は宮城県の方に行くとかしている
それで家族が青森まで呼ばれて行った
その時その人は新幹線で行くとしてその金がないとかなり援助してくれとかなる
帰りはバスで帰ってこといと言った

2025年になると団塊の世代で介護される人が増大する
その時どうなるのか?みんな安い青森に送られるのか?
青森がそうした老人の引き受け場所となるのか?

ともかく施設でもなかなかそこは終の住処にはなりにくい、家族でも世話できないとかなり介護難民があふれとか認知症になった人が日本中でうろうろする時代が来るとか言われる、認知症の介護となると自分も経験したからその労力は生半可なものではない
心身ともに衰弱してしまうのである
そういう人を介護する家族は自分もそうだったが鬱病になるのである

新元号が令和になったけど何かこれもいい面もあるが令は冷たいにも通じている
老人がこれだけ増えるということはいい時代にはならない
青森が姥捨て山になるのか?そう前にも書いたが安い料金の身元保証人もいらない所はそうなる、そういう施設でも無許可でも需要があるから増えてくる
それも老人にとっては地獄かもしれない、だてから長生きしすぎるとそれも不幸になるなと予想する、でもどうしても手当したりするから長生きするのである
長生きすると施設でも新しい人を入れられず収入が得られないというのも矛盾なのである


新元号は「令和」 (意外と時代に合った良い元号なのかも)


新元号は「令和」

(意外と時代に合った良い元号なのかも)

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「初春の令月にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす」から引用したものであります。

鏡前の粉…女人が鏡の前でよそう白粉。梅花の白さをいう。
蘭…蘭はフジバカマだが、広くキク科の香草をいう。ここでは梅と対にして香草をあげた文飾で実在のものではない。
珮後…珮は本来帯の飾り玉。ここでは身におびる程度の意。

蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす...実景ではない、詩的創作である

梅の花がふんぷんと匂い、珮後に蘭が咲きとか花が咲き交じりそこに花の匂いに満たされる、阿部首相がそれぞれの花を咲かせる平和な時代であって欲しいということを記者会見で言っていた
やはり時代としてはそれぞれの花を個性を活かす文化の時代を言ったともなる
それで文和というのを私は挙げた、文化の時代になると思うからである
ただこの令は予想外だったし誰も予想してなかったから意外だった
何か最初違和感を感じたのである

でもそれなりに調べてみるとなるほどと思うこともあった

嘉辰令月歓 無極 万歳千秋楽 未央」の詠み

「嘉辰(かしん)令月歓(よろこ)び極まり無く

   万歳千秋楽しみ未だ央(なか)ばならず」

★「かしんれいげつ よろこび きはまりなし、
  ばんざいせんしうたのしみ いまだなかばならず」 
  
  1 何事をするにもよい月。めでたい月。「嘉辰(かしん)令月」
2 陰暦2月の異称。

大辞林 第三版の解説

れいげつ【令月】

@ 何事をするのにもよい月。めでたい月。よい月。
A 陰暦二月の異名。

精選版 日本国語大辞典の解説
れい‐げつ【令月】

  
  
  
禮記卷六 月令 東風解凍

東風解凍、蟄蟲始振、魚上冰、獺祭魚、鴻鴈來。

東風凍とうを解き、蟄虫ちつちゆう始めて振うごき、魚冰こほりに上のぼり、獺だつ魚を祭り、鴻雁こうがん来きたる。

【通釈】正月には東風が氷を解かし、土にもぐっていた虫が動き出し、魚は氷の上に姿をあらわし、かわうそは魚を岸に並べて祭をし、鴻おおとりや雁が飛来する。

「月令」(「がつりょう」または「げつれい」と読む)は一年間の暦や恒例行事、季節の変化を月順に述べたもの。『呂氏春秋』の十二紀とほぼ同じ記述である。引用部分はその冒頭、孟春之月(旧暦正月)における自然の変化の特徴を述べた部分である。「東風解凍」を踏まえた和歌は夥しい数に上る

凍りゐし志賀の唐崎うちとけてさざ波よする春風ぞ吹く(大江匡房『詞花集』)

「月令」があるから例がないというわけではなかった
ここでも月のことだった、最初なじめなかった、意味もわからなかった
ただクールムーンなのかと思った
これが国民になじめるのかと思った

ただ新年になりずっと月をみているとなごんだ、それが満月となり穏やかに感じた
それは津波原発事故から8年すぎたからである
その時間がすぎてようやく何か月を見て平和を感じたのである
それで俳句にしたりした、その月を満月を見た感じは 

凍りゐし志賀の唐崎うちとけてさざ波よする春風ぞ吹く(大江匡房『詞花集』)

この感じである、凍てりついた風景も心の傷も何か穏やかになり癒されるという感じになったのである、それは歳月がそうさせたのである
それでこの元号もいいのかなと思い直した

平成とは全く平成でなかった、もう津波原発事故で大災難の時代になったのである
平成の記憶はもう悲惨な戦争の時代と同じだった、それからバブルの崩壊とかもあり日本は停滞した失われた20年と2になっていた氷河期世代も平成である 一身上でも平成の三〇年の後の一〇年間は介護や病気で惨憺なる状態だった
もう責められるだけの地獄の世界を経験したのである

ともかく人間は世代によってどういうふうに生きるのかどういう時代になるのか違っている、まず明治とか大正とか戦前の戦争から戦後の生きた人たちは激動を生きたのである
だから昭和でも戦後生まれは平和の時代を豊かな時代を生きたとなる
特に団塊の世代は高度成長時代を生きたので余計にそうなっていたのである

梅の花匂い放ちて夕べ散る満月照らし心おきなし

紅梅の匂いに満月美しき盛りの時や幸にめぐまる

月影に浮かびしもあれ死にしもその面影や彼岸となるかな  


こんな歌を今年は作った、やはり令月の気分が出ている、令和にふさわしい気分である、だから最初はこれは何と思ったが意外といいものなのかもしれない、自分にもあったものなのかもしれないと思った
ただこれは賛否両論がかなりある元号だと思う、何か最初違和感を感じたからである
ただ自分の心境に照らし合わせると意外と合っているなと見直したのである

posted by 老鶯 at 14:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

一世一元制は明治からはじまった (日本の長い歴史にはなかったことでかえって伝統に反していた)


世一元制は明治からはじまった

(日本の長い歴史にはなかったことでかえって伝統に反していた)


年号(元号)は、漢の武帝の即位した紀元前141年の建元元年に始まる。それ以後、各王朝の皇帝は、祥瑞(めでたいしるし)や天災を機会に年号を代えてきた(改元)。改元は皇帝の権限であった。明を建国した朱元璋は、洪武という年号を立て、皇帝一代一元として絶対に改元をしてはならないと定めた。皇帝は死後、廟号として太祖といわれるとともに、元号によって洪武帝と呼ぶ習慣ができた。これ以来明、清の皇帝はいずれも一世一元の制を守っていく。

日本でも明治になって一世一元とされた。一世一元制はまさに皇帝の絶対権力の成立とともに始まったもので、

 彗星が接近したら改元(例:久安・宝徳など)

・戦乱が起きたら改元(例:応仁・享禄・天正など)

・火事や大噴火が起こったら改元(例:明暦・宝永など)

・他にも将軍の改元、江戸城が燃えたから改元、山崩れのため改元、などなど


元号というとき常に私は郷土史を知るために墓地とか石碑でもまずいつの時代かをみる
江戸時代だったら必ずマークしてここは古いなとかみる
でも元号をみて天皇を意識したことはないのである
元号で意識するのはその元号の時代に何が起きてどういう時代だったのかを知りたいとなるが容易ではない
例えば大同というのは東北では重要な元号である
それはその時代に蝦夷征服を大和朝廷で推し進めていて坂上田村麿が活躍した時代だからである、それで田村市とあるとそこから市の名前になっている
相馬市も南相馬市も相馬市一族が千葉方面から移住して支配したからその名になったとにている

また文明となるとこの時飢饉があり相馬藩で三分の一の所帯が減ったから常にマークされる、それは文明という元号が大事なのではなくその時起きた大惨事故に記憶されているのである
明治以降でも太平洋戦争だと昭和になる、でも戦後の昭和は高度成長の時代であり平和の時代を享受したのである、だから戦後はもし江戸時代だったら改元している
ところが一世一元になっていたから変えられなかったのである
そうなると元号から時代を見ることがむずかしてなる、なぜなら戦前と戦後とはまるで違った社会となっていたからである
アメリカの民主主義を全面的に取り入れた社会になったからである

歴とは元号とはその時代に何が起きたかどういう時代の特徴があるのかが肝要なものとなる、それの目安としてある
それで天変地異があったり戦争があったり何か大きな事件があったりすると改元したというのはその方が歴史にとって重大なことだからである
つまり歴史にとって元号とはあくまでも時代の目安となるものであり何か明治以降は強力な天皇制が全面に出たから時代が逆戻りしたのかともみる
古代では天皇は現実に神になった、でもその後は江戸時代などは天皇の名前すら知らないとか京都で貧乏暮らししていたとかなる、実質の権力は政治は武家によって行われていたからである

だから明治以降は日本の歴史は古代に返ったとなる、尊王攘夷思想でも天皇を前面に押し出すものとなりそれが西欧化による対抗手段として用いられたのである
そのことが尾をひいて太平洋戦争に天皇を御真影として神として300百万人が死ぬ犠牲を払うことになった
これは実は歴史の逆戻りだったのである
明治といえば明治天皇時代であり大正でも昭和でもそうである

一世一代の元号の利点は江戸時代の年号をみればわかる、5年で改元されたとかあまりにもその年数が短すぎるから元号で歴史をたどると細分化されているのでわかりにくくなる特に幕末は変わりすぎたのである
だからなぜもし元号が日本の歴史に必要だというのはわかるとして一世一元の元号にするのくだろうか?
それは天皇の権威を保つためだともなる、そうしないと天皇の権威が失われるからだともなる

元号より西暦でもその数字よりその時代に何が起きたのかどういう時代なのか知るか事が重要である、それによってその時代をしる、西暦でも元号でもそうである
キリストが生まれたときから西暦が始まるのだからキリストが生まれたという大事件がそうさせたのでありイスラム教になるとモハメッドが生まれた年だとか釈迦が生まれた年をはじめとするのもそのためである
一世一元の元号にも利点がある、天皇と同時代を生きる感覚が生まれる
それでそのことを書いた、明治とか大正という時代になると私の父が明治生まれで母と姉は大正生まれでありそれでその時代に親しみを覚えているからだ
でも元号で天皇を呼ばない、明治以降だけ元号を天皇が生きた時代として現すようになったのである

ただ昭和となると何か親しみがないというか時代が長すぎるとなったのである
つまり頻繁に改元するのも良くないが戦後は改元するべきだったとなる
なぜなら江戸時代まではそうしてきたからである
古代の神のような天皇を継続させる時代ではなかったけど日本が西欧列強に植民地されるとかの危機感から古代の天皇に逆戻りしたとなる
何か日本を統一するのに天皇はどうしても必要になったからである
天皇とは何かとなるともともと政治的道具として権威として利用されてきた経緯がある

ともかく元号を継続するのか?天皇制を継続するのか?
これも曲がり角に来ているとなる、でも二千年つづいた元号を簡単に廃止はできない
それが日本の文化だという時、天皇制ともまた違って元号の意味を考える時なのかもしれない、天皇とあまりにも深く結びつくことは象徴天皇制の時代に合わないのである
なぜなら明治天皇とか大正天皇とか昭和天皇の時代となり天皇が中心となる歴史に逆戻りするからである
つまり歴史を作るのは天皇ではない、その時代を作るのは天皇ではないからだ
だからこそその時代に起きた天変地異とか戦争でも大事件でもそうである
この辺では東日本大震災と大津波と原発事故により時代がまるで変ってしまった
だから津波前と原発事故前と後で時代が変わったから元号も変わってもいいとなる
ただ江戸時代のようにそうして頻繁に元号を変えるのも問題だとなる
そうなると西暦の方がいいともなる

だからこそ戦前の昭和と戦後の昭和はまるで違ったものだから元号を変えてもうたいして事件も起きなかったのだから元号を変えない方が歴史をみるには良かったのである
天皇が時代を作るわけでもないからである、そして元号を秘密裏に決めるとかも何か民主主義にかなっていないのである
この権限は政府にあり天皇になるとかなる、ただ天皇は元号を決められない時代になったすると誰が元号を決めるのか今の政府が秘密裏に決める、そして何か今の政府の権威を高めるイベントにするともなる
もちろん私は日本古来の伝統文化を維持し復古させるべきだという立場にある
でも天皇制を今のように維持するのかとてるとそれは別な問題になる
元号にしても歴史的に一世一元ではないしそういう趣旨でつけられた元号は今までなかったからである、そうしたら二千年の歴史的伝統に反していたとなるからだ

それで思い出すのは都築詠一氏があれほど昭和天皇を批判していたのか?
強力な武闘派の極右とも見えたのになぜなのか?

「心に青雲」の都築詠一氏が誉めていた光厳天皇の跡をたどる(キーワードー都築詠一) 

なぜこれほど光厳天皇をほめていたのか?それは南北朝の争いで光厳天皇が自ら蟄居して深く反省したからだとしている
それに反して昭和天皇は自分の命が助かりたくてGHQに命乞いしたとか痛烈に批判していたのである
それが極右なのになぜだろうと良く理解できなかったのである
普通は極右だったら天皇は批判しないからである、だから一世一元制にも反対したともなる
ただ今や日本人にとって天皇とは何なのか?それも問い直されている
それはマスコミとかでは表立って言わない、だからまともな議論にもならない、何か日本が危機になる時天皇が問題になる
南北朝時代がそうでありまた明治維新の時もそうだった、錦の御旗が強力なものとして勝敗を分ける
官軍と賊軍に分断されてしまうのである、それが日本の歴史だったともなる

でもそれが今後適応されるのか?日本は混乱が生じると天皇を担ぎ出す、それが権威となるからだ
だから今は自民党がそうである、これはいい機会だとして政権を強化するものとして利用する政治的意図が働くとなる
かといって元号は日本の歴史そのものであり文化だというとき否定するのもむずかしいしメリットもある
そういうことで元号は日本の歴史とかをふりかえる話題として良かったとなる
そして元号がなぜ維持されているのか?
それは日本が漢字圏であり漢字を使用していることにあった、漢字二字で深い意味をもたらす、漢字一字一字にも深い意味があるからだ、でも中国では元号は廃止された、それは共産主義国家になったからである
王朝を否定するものだからそうなった、日本では天皇を象徴制として維持するのはやはり日本の歴史と文化の継続のためとしてあるからだともなる



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