2019年04月16日

貧困化する日本の実態 (外国人観光客より貧乏な日本人)


貧困化する日本の実態

(外国人観光客より貧乏な日本人)

【貧乏・貧困・格差社会の日本】半額弁当や半額惣菜に群がる人たち…


閉店まぎわの半額弁当を半額惣菜に群がる、外国人観光客がデパチカで高い弁当を買っている、半額弁当の取り合い争奪戦になっているという
それは戦後の配給とにているという、アフリカなどで援助物資を奪い合っているという

貧乏のこと今いろいろ言うけどこれは何か生々しい、そんなに日本人が貧乏になっているのか?それがショックである
田舎のスーパーではそういう光景を見かけない、とすると都会の方が数が多いから貧乏人も多いのかとなる
これはもうすでに日本は逆に東南アジアとか中国人の貧乏人のレベルとなったのか?
そういう光景である、外国人観光客を優遇して金を使わせる
それはかつて日本人がそうだった、日本人がパリとかでもブランド品を買い漁っていたのである、その時日本の円高で安く買うことができて海外旅行ブームになったのである
その逆の現象が起きている

これも国レベルのカルマ現象なのかと思う
後進国で貧乏な国で日本人が威張っていたからである
今度は逆に外国人様様になり観光客を優先して地元の人はないがしろにされる
テレビで外国人と旅館のおばちゃんが抱きあっているというのもそうである
日本人が観光客として来ないからそうなっている
貧乏な国は前は外国でもそうだったからでありその時日本人は威張っていたからである

ただそれだってたかだか20年前くらいは日本人の海外旅行ブームだった
でも中国でもそうだが10年過ぎると世の中は急速に変わるということに驚く
あるyoutubeでは外国人労働者を正規の労働者として受け入れることに積極的なので日本人の底辺労働者が追い詰められているともい、それはなぜかというと外国人労働者は若いからである、その若さが会社でも活気を与えるからだという
日本人は中高年が多すぎるからそうなっているという、それもわかる
やはり若いということは価値があり社会にとって活力を与えるのである

なぜ高度成長時代が生れたのか?
戦後の焼け野原から団塊の世代のベビーブームになった、その時子供が膨大に増えたのである、だから良くそんなとき食べ物がないのに子供を育てることができたと感心する
その団塊の世代が労働力となり高度成長時代が生まれたのである
中卒の金の卵とかが東京に行き労働力となったのである
何かその時はふりかえると日本が活力があった時代だったとなる

その団塊の世代ももう70以上になり高齢化して今度は逆に負担になり重荷となり経済でも成長はない、少子高齢化で日本経済は縮小してゆく
そういう貧乏な時代になってきた
それは私の一身上でも経験している、事業に失敗した人が追い詰められた借金を要求してくる、それも自分も病気であり介護でもそんなことをかまっていられない
また手伝いに来た人に大金を盗まれるとか困窮した人が金を貸してくれとくる
その人は必ずガス水道電気がとめられてどうにもならないと泣きついてくるのである
ただ金額が少ないから工面できる

事業に失敗した人は俺は億の財産があると言っていたからそんな人とどうして事業家でもない自分が都合できるのか?借りる金が千万とかまで普通になる
そんな人と付き合えるのかとなる
その人は成功しているとかレベルの高い生活をしてきた、それを落とすことができないのである、それはこれまで高度成長とかバブルを経験した人にも言える
今までの生活のレベル落とせないのである
でもそれを借金で継続していたらどうなるのか?他者にも多大な迷惑をかけることになる
だから貧困化する時代にはそれなりに生き方を変えなければならなくなる
それは日本全体でそうなるからだ、銀行だって金を貸す会社がないとかなり投資信託とかそうした株と投資信託には素人でしかないのに手数料がとれるのですすめる
それも結局日本全体の経済が落ち込んでいて銀行でもどこでも利子をつけられないからである、だから逆に客から貯金している人から利子を与える代わりに投資信託とかで手数料商売にしているのである
日本経済全体の落ち込み衰退の結果なのである

だからこれから生活を根本的に変えねばならない時代に突入したのではないか?
消費が進められても消費税が10パーセントになったら貧困化しているのに消費できるわけがないからだ
すると庶民の防衛策としては消費しない、節約する他ないとなるのである
それは資本主義社会では経済成長をとめるものだとしてもそうならざるをえない
投資など普通の人はもうからない仕組みになっているからだ
するとその対抗策は節約しかないとなる

貧乏という時、本当の貧乏を戦後生まれの人は知らない、また江戸時代の貧乏がどれほど過酷だったかもしらない、もちろん飢えることがどういうことかも知らない
だからそういう時代と比べればまだましだとも考えることができる
それは時代的に合わないとしてもやはりここでも歴史を参考にすることはできる

(徒(かち)町百首俗解に描かれた徒町弥田之進の短歌)
                                                            
徒の町土塀南瓜の霜がれて赤椀する時は来にけり

赤椀をふすともしらで家中人こたつをやたらほりばたの庵(いお)
                            
これもどん底の貧乏である、赤椀をふせるとは炭が買えないから赤椀をふせて炭火の感じをだしていた、炭も変えなかったのか、会津のような寒い場所で炭も買えなかった
そしたらそんな寒い所でどうして過ごせるのかと今なら思う
炭は別に子供の時団塊の世代では使っていたのである
炭だと炬燵でもあたためられるからましだとなる

今になるとこれは貧乏な人がガスとか電気水道をとめられることなのである
なぜならそうなるともう生活できないからである
たいがいそこまで追い詰められてくる
いづれにしろ貧乏な時代をどう生き抜くのか?それが日本人の課題になってきている
でもそれがむずかしいのは高度成長とかバブルとか贅沢を経験しているから生活レベルを落とすことがむずかしいからである
だからどうしても借金することになりそこで追い詰められる
でもそんなことをしていたら首を自ら絞めることになる
では貧乏にどう対処するばいいのか?庶民には節約しかない、ぎりぎりに節約する他なくなってくる、それもむずかしいにしても追い詰められればどうにもならなくなる
ともかく日本が豊かだっか時代の感覚ではもう生活できないことを自覚するべきである

そしてこうして日本人が貧困化する時、それは必ずまだ余裕がある金持ちでも影響する
それが自分自身が体験した、治安は悪くなるしそうした追い詰められた人が多くなれば決して金持ちでも安閑としてはいられない、社会自体が余裕のない不安な暴動寸前のような状態になり金持ちが現実に襲われて殺されたりもする
そういうことが革命にもつながっていたからである
だから日本の貧困化でもそれは一部だけの問題ではない、日本が全般で深刻なものとなってゆくから怖いのである

ただ奇妙なのは老人は節約しやすい、何か贅沢しなければ食べていればいいと考えればたいして金はかからない
でも海外旅行だとかまた何か金をかかることをするとそうはならない
でも何か老人はあまり金を使わない、何か新しい機械を買っても道具を買っても使いこなせないとかある
その点では有利である、使うとしたら医療費用とか介護費用なのである
その他は使わない、だから節約というとき老人はできるかもしれないが若い人はいろいろ自分に投資するから苦しいとなるし
また日本自体の活力が衰えるともなる


posted by 老鶯 at 09:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

浪江に住んでいた原発で働いていた人の話 (何の困った様子もないあまりにも楽天的だった)


浪江に住んでいた原発で働いていた人の話

(何の困った様子もないあまりにも楽天的だった) 

●駅前の喫茶店で休み駅で請戸に住んだ人と話す

今日は旧街道を通り小高のマルシェで休み浪江に向かった
小高のマルシェは立派である、食堂と軽食喫茶があり中庭があり子供の遊びとか催し物をする建物がいくつもある、あれは休むのにはいい場所である
何か飯館村でもそうだが建物は立派になっている

そこから浪江に向かった、駅前の新しくできた喫茶店で休んだ
あそこには何もなかったから休む場所ができていい、でも駅前にはあとは何もない
殺風景のままである                              
駅で会ったのは請戸に住んでいていわき市に家を建てた人だった
その人はなまりがない、だからもともと浪江に住んでいた人なのかと見た
まるで東京の人のように見えたからだ

いわき市では土地が5倍くらいに高くなったとか言っていた
二万人とかが移り住んだという時そうなる、ここでも二三倍になった所がある
原発のことで東電では海の方に放射性物質を流そうとしていた
でもその時民主党政権であり官首相が消防隊に水をかけるとかなんとか邪魔してできなかったとか言っていた、何かあのとき官首相が原発のことをわかるようなことをいいそれがかえって東電でも適格な支持を出せなくなったとかあった
確かにベントを早くして放射性物質を海の方に流せば良かった
何かその辺で適格な支持ができずに被害を拡大させた
その人はバスでいわき市に帰った
その人は何か浪江町に愛着があるとか感じない、苦しいとか悩んでいる風にも見えなかった   

2号機からは1〜3号機の中で最も多くの放射性物質が放出されたと推定しています。これは、1, 3号機では、圧力抑制プールの水によってある程度放射性物質を取り除いてから格納容器の外へ気体を放出する「ベント」という操作が成功したことに対し、2号機ではベントのラインを開放することができず、ベントに失敗、格納容器から直接放射性物質を含む気体が漏洩したためと推定しています。

このことを言っていたのだろう

それから裏の路地を回ったら一人歩いている人がいた
その人に話しかけたらその人はいろいろととにかくしゃべる人だった
前にここで書いたが浪江町長が津島に避難した時は爆発した原発の前のことでその時は放射性物質は津島の方に流れていなかった
爆発したのは津島の方に避難してからだった
だから町長の指示は間違っていないと言っていた

その人は原発で長く働いていた、浪江では人口二万は多いと言ったらみんなこの辺は原発の仕事だよ、東電の人も多いしその原発関係者が飲み食いするから店でもはやっていたんだよとか、この辺では4000人も人口があればいい方だよ、なんにもないんだから
そういう人を知っている、原発の掃除など下請けをしている人だった
何らか浪江では原発にかかわっていた、町自体が原発の町になっていた
他に産業がないからである

●原発の現場で働いていた人は知っていた

それからその人は電源がなくなったとき実は電源は東北電力の送電線がありそこから電気をとることができた、電気で仕事する関係者千人くらいいたとかとも言っていた
東電ではその電気関係者を帰したという、そのことをしきり言っていた
電気とれたが東電ではそれをさはなかったという
そして東電の会社というのは上の命令が絶対だったという、それに従わないものは下請けの会社から排除されて潰されたという
その権限が絶大だったのである、だから決して東電には逆らわない、何か現場では不具合があることに気づいたがそれも絶対に上の人には言わない、そうすると東電の仕事をもらえず会社がつぶされるからだとういう

そしてその人は事務のような書類も書いて提出していた、それも東電の都合のいいように書き換えていたという、つまりその提出書類は東電のいいように書き換えられていたのである、それをその人は知っていても何も言えないと言っていた
そうしてそれが証拠となるからそれを指摘して追求できる人は誰もいなかったという

プルサーマルのこともしきりに言っていた、プルサーマルは危険なものでありあれのために被害が大きくなった、プルトニウムと関係していてそれが危険だったのである
それで前の知事の佐藤 栄佐久知事はそのプルサーマルに反対していてもめていたのである
その人は現場で働いているから知識がないにしろ何か外部のものより知っているのである
津波の前に地震で配管が壊れたというのもそうである、津波のせいにしているが地震で配管が壊れてそこから放射性物質がもれることがあった
だから原発は複雑であり大きな地震でも壊れるのである、まず配管は老朽化してくるからである  

プルトニウムはウランに比べ、中性子をよく吸収し、核分裂を起こしやすいなどの性質があります。つまり、ウラン燃料よりも制御が難しく、また、ひとたび事故が起これば、よりたくさんのプルトニウムが環境中に漏れ出す可能性があります。使用済みMOX燃料棒の発熱時間も、超ウランとよばれる寿命の長い放射性物質を含むため、通常の使用済み燃料棒より長くなります。つまり、いったん事故が起こればウラン燃料より暴走しやすい燃料であるといえます

第3号機は実はプルサーマル原子炉である。この原子炉では、ウランとプルトニウムの混合物をMOX燃料と称して、発電に利用しようとして国と東電が近年、強力に推し進めてきたプロジェクトだ。不思議なことに、NHKなどメディアでは、この事実を正しく報道していない。MOX燃料を使用済み核燃料とだけ報道しているのだ。

 たしかに、このプルトニウム239は、ウラン238の原子力発電の過程で生成される人工的な放射性物質なのだが、「京都大学原子炉実験所 小出裕章によれば、プルトニウムは、『人類が初めて作り出した放射性核種』」であり、『かつて人類が遭遇した物質のうちでも最高の毒性』を持つとされる。


この現場で働いていた人はこのことを言っていたのである
とにかくその現場で長年働いていたその人の話には説得力があった
明らかに東電の指示が間違っていて的確な指示が成されなかったのである
だから現場で働いている人はこうすれば良かったのには今は言っている
しかし東電の命令は絶対で逆らえないと言っていた
そして社長とか会長でも原発でもわからないと言っていた、確かに吉田所長すら復水器のことがわからなかったのだから適格な支持は出せなかったのである

みんなその現場でもその担当している場所については詳しかった、それは吉田所長とか東電の上の人より詳しかったがみんな部分部分の担当であり全体はわからなかった
現場というとき私自身が無人駅で案内していてなぜ原町駅と仙台行きのホームのことが外から来た人がわからないのか不思議だった
そのことで駅長に言ったらその表示を出すようになったのである
それは現場でそれを良く外から来た人に聞かれたからそのことに気づいたのである
つまり現場の人が上の人より気づくことがある

だから原発でもそうだったのである、ある部分については現場を担当して人が詳しかったのである、それでなぜ電気が別に東北電力の送電線が近くにありとれたというのに千人とか電気工事関係者が待機していたのにしなかったのか?
これもわからないことである、そして原発には二万なのか三万なのか凄い数の人が働いていたという、これも凄いと思った、それだけの人手が必要なのが原発なのである
5分しか放射線の高い所に入れないとか聞いたからそうなると相当な数が必要になる 

●放射線は5マイクロでも8マイクロでも被害はない、私は現場で10マイクロで働いていたが被害がない ?

それからその人は放射線量のことについて延々と話しした
私は免震棟の前にいた、10マイクロとかで何にも影響はなかった
みんな30マイクロシーベルトの所で働いていたが死んだ人はいなかったよとか言う
だからその人は8マイクロシーベルトでも体に影響がない

ええ、この辺では0・2で騒いでいるのにそんなことがあるのか?
その人はしきりになんの被害もないという

5マイクロでも8マイクロでも被害はない

私は10マイクロの原発で働いていたけど何の被害もないとしきりに言う
他の人は30マイクロの所で働いていたという、でも死んだ人は一人もいないという
その人はそういう現場にいて被害がないからそうしきりに言っていたのである

それにしてもこの辺では0・2でどうだこうだと騒いでいた、今も基準ではそうである
だから飯館村などは0・7とかあると高いな見ていたのである
これもこの人の言い分からすると何なのだろうとなる
この人の言い分は何か基準からはずれすぎているのである
こんなふうに見ている人は普通はいないと思った
ただ実際にサルでもイノシシでも被害がないとするとき人間も被害がない
そのことをしきりに言うのである

放射線の被害は科学者でも誰も人災のことはわからなかった、ただ推測で言っていたのであり何か実証的なものとして言っていたのではない、どう影響するかわからないものだった、それで避難させたが今になるとそんなに被害がないとなったのである

ともかくあの人の言っていることは極端にも思った、でも現実に被害がないということは言える、被害がでているという人もいるにしろ例えば武田邦彦氏の年間一ミリシーベルというのは厳しすぎる、現実に原発の現場で働いていた人が5マイクロでも10マイクロでも被害が出ていない、死んでもいないというからだ
それをあてはめることができないにしてもその基準にあてはめて避難させた結果として町自体を再建できなくなさせたのである
つまり放射線の被害がどうでるかは科学者すらわからなかった、でも強行して避難させた、そのことがとりかえしのつかないことにした、住民の意志を重んじて決めるべきだともしたが政府とかの意向で強行されて避難させられたのである
それはそもそも放射線の被害がどういうものになるかわからなかったからである
別に広島で被爆した人が80でも90でも生きているのである

ただこの人がこう言ったからといってそれを全部鵜呑みにはできない、5マイクロとかでも8マイクロでも大丈夫だと言ったらどうなるのか?除染に費やした何兆円は何だったとなる
その人みんなに配れば良かったという、私もそのことは言ってきた
南相馬市で対立したがそんな除染に何兆円も使うなら金をある程度平等に配れば争うこともなかったからである
飯館村でも裏の森を除染するのに一億円かかったという、それならその金をもらった方が良かったとなる
そう外からだった思うのである、
ただこの人の言うことは本当に現金なのである、まさに金をもらえばそれでいいとしているのだ

そのことを何度問いただしてもまず8マイクロでも5マイクロでも被害はないよ
私は10マイクロで働いていても何でもないよ、誰も死んでもいない
サルでもイノシシでも何の被害もないよ、元気だよ
第一年間一ミリシーベルとかいう基準で避難させる必要もなかったとか何度も言う
そのことは自分も疑問に思っていた                                

なぜ30キロ内で海側では0・5以下なのに避難させたのか?  

それは政府でも科学者でもどう被害がでるかわからないからそうしたとなる 
それはただ混乱をまねきゴーストタウンにして取り返しのつかないことになったからだ

●補償金をもらって老後が保証されてかえって良かった?

そして除染なんかする必要がなかった、その金は一億でも配れば良かったとか言っていた補償金の話になるとまたこれもその人はまさに現金である
浪江では大堀の方では7百万多くもらっているとか言ってた
それからあんな人も住んでいない浪江町に住んでいて困った様子もない
かえって補償金をもらって老後が保証されてよかったとか言っていた
みんな国民年金くらいでは暮らせないからとか言っていた

あんな店もなにもない浪江町に住んで困った様子もないのも不思議だった
病気になったら困るでしょうと言うと別に今までだって原町の病院にみんな行っていたんだから車で行けば困らないよと言っていた
店だってスーパーができるよ、あんなところにいて何か困ったとならない
何か住みたくないとも言わない、その人は家族三人で住んでいるという
あんなところに住んでいて嫌にならないのかと思うがそうはなっていない
なんとも拍子はずれの言い分に不思議になった
さぞかし不満とかあると見たがそうではない
老後など国民年金もらったてたりない、だからその分くらい補償金もらったんだからかえって良かったんだよとしきりに言う

これはなんとも意外だった、確かに電気がないと水道がないとかにはなっていない
でも店もないあんな人もいない街に住めるのかと思う
淋しくならないのか?そんな素振りは何もないのである
これは飯館村の人と話しした時もそうだった
その人は前の土地が住宅地になりその土地を売ったり補償金で潤ったから蔵を直したとか言ってなにか困ったとか苦しむ様子もなっかのである

それで仮設に入った小高の人を外から来た人たちがホランティアなどで同情して援助したその時実は鹿島の人は小高の人は補償金をもらっていいとしきりに言い仲悪くなったのである、対立するようになったのである
実際確かに仮説は狭くて苦しいこともあった、でもなんか長屋のようになり楽しんでいた女性もいたのである、いつも会えるからいいし絶えずボランティアが来て援助していたからである
だからそのこともおかしいなとも見ていたのである
補償金はもらいボランティアは毎日のように来ているから何なのだろうとなる
それは津波の被害者と比べる時相当な差があったのである
そのことは前にも指摘した、津波の被害者は家族も死んだ人が多い、原発避難者は家族が死んだりした人はいない、確かに関連死とかはあったからそうでもないと言う人もいる
とにかく原発避難民は厚遇されたのである
あらゆる補償を受けたのである、介護でも優先的に厚遇されたのである

このことを考慮すると宮城県など原発の補償がない所は津波の被害者でも悲惨だったみる今の世の中はなにやかにや言っても割りきれば金がないとどうにもならない社会である
それでしっょちゅう電気代がガス代が水道代が払えないと泣きつく人は小高の人が補償金をもらったことを羨ましがっていたのであるそれも当然だったとなる

その人の割り切り方は何か徹底している
浪江町などは全員町に住ませないで別な所に住まわせた方が金がかからなかったとかも言う、そして放射能の被害などないとまで言っていた
だから除染も必要がなかった、8年くらいすぎたら相当に放射線量は下がっていたのである、そういうことも意外であり科学者でもわからなかったからみんな避難させたりして失敗したのだという、それは自分自身も常にそう思っていたのである
なんでこんなに町を荒廃させるような避難をさせたのかわからなかったのである

でも水も地下水からとっていると電気もとまるわけではないとか言うけどそんな人間のいないような所で電気とか水道でも維持するのは金がかかりすぎる、それで限界集落なとでもインフラを維持するのに普通の80倍かかるとかなり東京の人が批判する
それは地方交付税とかを東京の人の税金で払うからそうなる
もしそうでなければ自給自足のような生活をして入れは都会の人も何も言わないのである
いづれにしろ今回の話は意外だった、そんなに金だけ割り切り何の困ることもないかえって良かったというのも理解できなかった
そういう面があったとは見ていたがあれほどまでに金で割り切った人がいるとは思わなかった
店もまともにない所で住んでいて嫌になると思ったからである

ともかくこれはもっと深く検討すべきものである
つまり何が原因で事故になったのかを良く調べたり知らないとまた同じ事故が起きるからである

posted by 老鶯 at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2019年04月17日

浪江町で原発の現場で長年働いていた人の発言の検証 〈その指摘は現場の経験で的を得ていた)

        
浪江町で原発の現場で長年働いていた人の発言の検証

〈その指摘は現場の経験で的を得ていた)


所長が統率をとれず、要員が幹部社員も含めて一気に9割もいなくなった福島第一原発では、対応が難しい課題が次々と噴出した。
 まず、爆発は、2号機でなく、無警戒の4号機で起きていたことがわかった。
 定期検査中で、核燃料が原子炉内でなく燃料プールに入っている4号機の爆発は、原発の仕組みを知る世界の人を驚かせた。

 28時間以上にわたり吉田を聴取した政府事故調すなわち政府がは、このような時間帯に命令違反多くの所員の離脱行動があったのを知りながらことを、報告書でまったく言及していないのは不可解だ。
 東電によると、福島第二原発に退いた所員が戻ってくるのはお昼ごろになってからだという。吉田を含む69人が逃げなかったというのは事実だとして、4基同時の多重災害にその69人でどこまできちんと対応できたのだろうか。政府事故調も東電もほとんど情報を出さないため不明だ。


  仮に、この「GEマーク1」という炉が全電源喪失時には燃料棒破損を起こすとします。その際に、水蒸気爆発を防止するためにベントするとして、同じく全電源喪失時には「排気筒からのベント」が不可能であり、建屋上部に排気するしかない、その建屋上部で水素爆発が起きるのを防止するには「ブローアウトパネル」を開放するしかないが、全電源喪失時にはマニュアル対応となり「決死隊」が必要だとします。仮にそうであれば、この炉は「欠陥炉」ということになります。
 
原発事故はなぜ起きたかー原因と背景にある抜本的問題

小石原健介


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●事故が起こり大量の現場で仕事する人が強制的に退避させられた

浪江の原発で長年働いていた人の指摘は的を得ていた、やはり現場を体験しているからだそのことはインタ−ネットで調べてみてもわかった
なかなか詳細は科学の複雑な知識はないから理解できないと思ったが要点としては理解できるものがあった
この事故は一つの要因ではないから、様々な複合的要因で大事故になったのである

28時間以上にわたり吉田を聴取した政府事故調すなわち政府がは、このような時間帯に命令違反多くの所員の離脱行動があったのを知りながらことを、報告書でまったく言及していないのは不可解だ。
 東電によると、福島第二原発に退いた所員が戻ってくるのはお昼ごろになってからだという。吉田を含む69人が逃げなかったというのは事実だとして、4基同時の多重災害にその69人でどこまできちんと対応できたのだろうか。政府事故調も東電もほとんど情報を出さないため不明だ。

浪江の人は電源が喪失したというけど東北電力の送電線から電気はとることができたという、それがどうなっていたかわかりにくい、でもこういうことが後でかるとそうだったのかともなる
つまり東電で吉田所長と69人が免震棟に残ったというけどそれはその時の事情でそうなったので英雄でもなかったという、それより浪江の人が言うように千人も電気工事関係者がいたが強制的に退避させられた、危機的状況で退避させた結果として他でも人員が不足して事故に対処できなくさせたのである
それは確かのようだ   

ベント作業などの決断あるいは意志の疎通を欠く東電撤退問題や情報寸断され大きな混乱をまねいた
東電がその事故の時肝心の事故処理あたる現場の技術者でも担当者を撤退させた、結果的に事故処理あたる人がいなくなったのである電気工事者が千人もいて電源は東北電力の送電線からとれたということはそういうことだったのかとなる
要するに東電はもう事故処理をあきらめたともなる   

4基同時の多重災害にその69人でどこまできちんと対応できたのだろうか。政府事故調も東電もほとんど情報を出さないため不明だ

●現場技術者を無視した東電の上層部

これは浪江町で現場で働いていた人がそれをしきりに言っていた
その人は科学者ではないにしろ現場のことに通じていた
ずっと現場で働いていたからである
意外と上層部は指揮する人が知らないことが多いのである
駅でもその現場にいないとその現場のことがわからなかったのである
原町行と仙台行きのホームがはじめての人にはわからなかったのである
だから表示てくれと言ったらしてくれたのである
その現場にいないとわからないことがあるのだ
そして原発となるとその現場で働く人は二万人いるとかなるとその現場を全部上の人でも命令する人も知らないのである
そして現場の人の意見など上では取り上げない、東電は特にそうであり上の命令は絶対でありもし逆らうと下請けの会社自体が潰されるから何も言えなかったとなる
このことが甚大な事故につながったのである
東電では事故の後でも調査に応じていない、それだけ絶対的権力を国家権力よりもっていたのである

東電の責任は重かった!

確かに政府の責任もあった、かえって政府が介入して混乱して東電では的確な指示ができなかったこともある、でも東電の体質は上の命令が絶対であり現場で実際に仕事している人の意見など聞かなかったのである
それは別に技術者でもない、普通に底辺労働している人でもその現場にいる人の方が知っている時があるのだ
無人駅でも風で遅れる、確かにインタ−ネットで連絡はできる
ところが新幹線に乗って帰るのに急いでいる人が日立木まで電車が来ていると間違って聞いたのである、それで私が聞いてみたら山下駅まで来ているとわかったのである
つまりその人はあわてているから間違ったのである
確かにインタ−ネットで連絡はできる、でもそれだけではわからない
だから駅員がいる原町駅に行った方がいいとなり車で連れてきた人は原町駅に行ったのである

このように緊急時はあわてるから的確な指示ができないのである
そしてそういう時は現場に常に仕事している人がわかっているが上の人はわからないのである、吉田所長自体が復水機のこともわからなかったからである
吉田所長自体が的確な指示をできなかったのである
免震棟に69人残ったというけど千人もいた電気工事関係者が退避させられて何もできなくなっていたのである
結果的にその時運よく最悪のメルトダウンはまねがれて10マイクロをあびても30マイクロをあびても体には異常がでなかったのである

ただその時の判断がむずかしかったからすべてを責めることはできない
でも現場で働く人の意見を事故前から全く聞かないのが東電だったしその後も調査しても応じていないのである
それはその現場で事務で書類を担当していた人が東電の言いなりに書類を書いていたと言っているからだ、だから調査しても誰もわからないようになっている
その書類から証明できないから証拠となる者がないからだと言っていたからだ
「安全神話」が作られたのはそうした現場の技術者がかかわりその意見を取り入れていたらこうはならなかった
現実に東電を訴える裁判で東電の科学者が10メートル以上の津波が来ると予想していたでもそのことを東電の幹部は聞き入れなかったのである
つまりそうした様々な人の現場で働く人の意見すら東電では聞かない
絶対的権力をもっていて聞かない体質だったのである
要するに外部でも内部の現場で働く人の意見すら聞かない、そういう経営体質が甚大な事故につながったとなる

●どんなに優秀でも専門家でも一部しか知らない

原発事故は様々な要因で起きた、富岡の第二原発は電源を別系統で確保して辛うじて事故にならなかったとかアメリカのGEのマーク1の原子炉は古いものでありガスをだすブローアウトができなかったとか指摘されている、ベントしてガスを屋根から偶然に出た原発はそれができたからである
だからその原因は複合的であり一つではない、でも東電のあまりにも上の幹部の命令の絶対的なこと権力の集中で下の現場の意見を取り入れられなかったことも致命的だったのである、だから何でもそういう巨大なものは権力集中すると怖いのである
それはナチス的体質とかにもなる、一局に権力が集中して絶対化することになるからだ
そしてそうした権力は誰もそれをとめることはできないからだ
政府からかかわっていても原子力となると専門家が牛耳りわからなくなる
それで政府の保安院でも何の役にたたなかったのである
そこにも現代の複雑化した世界の問題があった、専門家が絶対化して素人でも別な分野の人の意見でも聞かないからである、お前らに原子力のことがわかるかとなり何も聞き入れないからである
でも原発の問題は理系だけではない文系的にもかかわれるものであり人間の総合的な問題として起きたのである

ではこうして事故がありその後の対策をしているのかとなるとそれもまた疑問なのである管理は厳しくしているにしてもこの事故によって根本的なものが変えたかとなるとまた疑問なのである、そもそもまた事故が起きる時は別な要因で起こるかもしれない
だから人間の力では対処できないともなる
神のような万能な人が入れなけれできないともなっている、それが原発だったのである
人間の社会だった今やそれぞれがいくら優秀でも専門家でもほんの一部しか知らないのである
だから東電の幹部は知らないということで下々の現場の仕事をしている人の意見を取り入れる必要もあったが絶対にそれはしなかったと浪江の人が言っているがそのことが甚大な事故につながったことは言える
それで現場で働いた人の言うことには説得力があるとなる
それは例えば現場というとき良く私が地理のことに興味をもって語るがその地理でも近くでもそこの地元に住んでいる人が別に学者でなくても一番そこで日ごろ生活していて知っているのである、地理だけは地図をみても学者でも実地に踏んでみないとわからないからである、その場を踏んでも地理は簡単にわからないからである
そういうことが人間社会には自然でも常にある、つまり人間の知の限界がある
一人の知っていることまた一会社が知っていることでもそれは一部にすぎないからであるそこでどうしても必ず人間社会には事故でも起きる失敗でも起きる原因がある
つまり事故はさけられないから原発のような危険なものは扱わない方が無難だとなるのだ









posted by 老鶯 at 09:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

桜咲く春の日に原町―小高ー浪江まで浜街道の旅)


桜咲く春の日に原町―小高ー浪江まで浜街道の旅)
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小高神社


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小高の街中のマルシェ


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六号線桜の映えて望む海

東風吹きて浜街道を遠くへと

沖に船浜街道を旅の人

坂越えて春の山々遠くへと

街道や蛙の鳴きて旅の人  

街道にスミレあまたや歩む人

街道に休むやここに花の影

孟宗竹歩む街道に椿かな 

街道に菜の花匂い歩む道

街道を調ぎりとび歩む道

春の日や喫茶店に昼の月


(小高)

花の影つづきし道を東京より来たりし女歩みけるかな

花覆う小高神社の石段を上りてあわれ古(いにしえ)偲ぶ

海よりの風竹にそよぎ桜かな小高神社に我が参りけり

何残る小高神社に散る椿武士(もののふ)の歌ここに残れり

街中に貴船神社や桜映え海に向き建つ社なるかな 

中庭に憩える広場や我歩む柱廊の道春日さすかな 

(大悲山の磨崖仏)  

千年の杉に昼なお暗きかなみ仏の形磐に残れる

千年の杉に桜明るく真昼間に映えてしばし装(よそお)ふ 

はや桜散りそめにけり光中街道遠くさらに行くかな

変わらざる古き碑三つ並びつつ街道来たりて花の影かな  

幾曲がり街道行くや春の日に誘われ行くや次の宿かな

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(浪江)  

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 右手イチョウの大木の下に檜山延命地蔵堂がある。西台、藤橋、酒田の旧三村境にある
「境地蔵」だそうだ。
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浪江神社では、お目当ては浪江宿北口、すなわちさっきの新町交差点にあったという道標だ。本殿左にずらりと並ぶ石塔群の一番奥の「金毘羅大権現」がそうだ。「右ハせんだい 左ハむろはら おゝほり」と書かれているようだ。浪江駅換線碑もある。安政の大火の後、火伏せの行事として浪江宿の西側の火除地に出羽神社を創建して始められた裸詣(はだかまいり)は、今は浪江神社を出発する。出羽神社がここへ移って浪江神社になっているからだ。



三本の枝垂桜の参道や参る人無く社は荒れぬ

三本の枝垂桜の色濃くも神社に映えて我訪ね暮る

帰らざる人無き後の家の跡春になりしも街の淋しき

一本の銀杏の古りて標かな散りし椿や浪江に入りぬ

散る椿踏みて街道我が来たり浪江に入るや昔の宿かな

知らぬ道来たりてあわれ桜にそ月の光りて行く人もなし

春の夜帰れる道に月影のさして明るし家に着きなむ  


原町の六号線から津波の後に海が見えるようになった、松とかにさえぎられてこれまで見えなかった
浜街道というとき海が見えると思うが見える場はまれであった、電車から見えなかった
それが津波で松原などがなくなり見えるようになった、景観が変わったのである
元の景観に戻ったともなる

奥の細道というとき道が細いということは自然がその道に充ちることになる、道が細ければそうなる
六号線だとそこは車専用の通り道なってしまう、だからそういう道を歩いても自然を感じないことがある
ただ六号線から海が見えて沖に船が行くのを見えた、その景観は良かった

小高について土手の桜の道は長い、そこを東京から来た女性が歩いていた
小高でも浪江でもそういう遠くから来る人はいる、小高の桜は小高神社から土手の道へとずっとつづいている
小高神社から実際に海が見えて海が近いから駅の手前まで津波が来ていたのである

マルシェによったがあそこは回廊のようになっいて中にいろいろに利用できる部屋がある
日本庭園がある中庭もある、その中に食堂と喫茶店もあっていい感じだった
あういうものができるとここに住んでもいいなとなるかもしれない、今まではなかったからである
小高はかなり人がもどって住んでいる

そこから大悲山のまがい仏によった、あの千年の杉は見応えがある、桜がそこに咲いていた
でも散り始めてもいた
そこに三つの碑が並んでいた、何の碑なのかいつの時代なのかわからない
街道にはそうして歴史のあるものが残っているし何か歴史を感じさせるから違っている
福岡からなのか詳しく歩いて写真をだして説明しているサイトがあった
あれも感心する、あんなに外から来た人が昔にあった街道まで探り行く人は地元でもいないからである
自分もめんどうだからそんなことしていないからだ
やはりでもあのように街道では歴史を知らないと本当の旅はできないともなる

小高に入る手前で銀杏の木があり地蔵が祭られている、それは檜山延命地蔵堂がある。西台、藤橋、酒田の旧三村境にある
「境地蔵」だというが街道の目印のようにも見えた、でも浪江の小さい範囲での境だったのである
江戸時代では年貢を村ごとにおさめていたから境にうるさかった、隣の村とでもそうであり争ったりしていた

それから浪江に入り「浪江神社」によった、サイトの説明ではもとは出羽神社であり浪江神社になった
何か古い感じであり枝垂桜が三本咲いていた、それが人がわずかに棲んでいる街にあって社は荒れていた
それも何とも言えぬ淋しさを感じた、人が参らない神社も一段と淋しさを感じる
それは山の中の限界集落では余計にそうだった、人が住まなくなって神社も捨てられた、神様をも捨てられたともなるからだ
浪江では建物がかなり壊されている、そこに新しい家が建つならいいが建たないとなるとそこは空地になり荒地となってしまうから一段と淋しくなるのである

そこには確かにサイトの説明にあるように金毘羅の碑があったし安政の碑があった
そして安政時代に浪江では大火があり街自体が変化した
それでその跡をサイトではたどっている
古いものと新しい道ができたからである
大火事になってもその後も人が住み続けたから今日があったが原発事故では壊滅的被害を受けた
そもそもこうした歴史とかが人が住まなくなれば絶えてしまう、その歴史の消失も重要な課題としてある、神社でも何でも歴史的なものでも人が住んでいれば活きるが住まなければ死物となってしまうからだ
それは先祖を捨てることにも通じているのである

いづれにしろ今回は浪江までだが旅した気分になった、今度の自転車は軽快に走るからいい、倍速になるからかなり遠くまで行っても楽なのである
ただ浪江までであり双葉になるともう行けない、自転車は通行止めだからである
でもいつになったら通れるのか?それもわからない。電車は来年開通する
とにかくいきている内にいわき市まで行けるだろう
ただ体力がなくなってくると行けなくなる、残された時間は後何年かかもしれないという不安があるのだ

桜はどこでも咲いている、帰りは街道ではない知らない道を夕暮れから夜に帰ってきた
その知らない道に月が光り桜が映えて美しかった
今の時期は一番いい時期である、でもすぐに桜は散ってしまう
何か不思議なのははじめて街道を通る気分だった
何か人間は忘れやすい、それで初めてまた通るように新鮮だった
やはり旅は歩くのがいいのだが自転車だと自然と一体化できる
道の辺にスミレが一杯咲いていたのも良かった、その時歩く旅人がいたら絵になっていたのである、自然を感じるにはやはり歩くことがいいのである
車は何か自然を感じない、ただぶっ飛ばして過ぎ去るというだけになるから嫌なのであるともかく短い道のりだったが旅であり旅してきたことを思い出したのである

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2019年04月18日

新しい自転車置き場に自転車があふれる (車の駐車に場所がなくなったためー車に追いやられる自転車)


新しい自転車置き場に自転車があふれる

(車の駐車に場所がなくなったためー車に追いやられる自転車)

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新しくできた自転車置き場に自転車があふれていた、歩道になっているところが自転車であふれている
それで前の方に置いた自転車を取り出すのに苦労していた
なぜこうなったのか?
前は両側に自転車が置かれていたからこうはならなかった

それは駐車のスペースを確保するためだった!

これもなんか現代を象徴している、前も言ったがどこでも車は駐車する場がないことに困っている、そこで必ず家を壊されると街中では駐車場になる
つまり車は場をとる、占有率が高いのである
それで津波の時は車が道路にあふれ渋滞になり被害になった

何か自転車が百台もあるのかごちゃごちゃとつめこまれてあり
その前に4台くらいの駐車のスペースを新しくとった
そこにまだ車をとめたのを見ていない
まだ契約していないのだろう
ただそれはどうしてそう決めたのかわからない?

なぜ市の方で新しくするのはいいとしてかえって不便にしたのだろうか?

駐車のスペースは商工会も関係しているのか?
あそこは商工会で契約して金をとっていると聞いたからである

とにかくあれを見たとき自転車は隅に追いやられる
自転車は急に飛び出してきたりするから目障りになる
それで車の人は嫌っている
車社会だからそうなる

車の問題は場所をとる、空間占有率が高いのである、それで駐車場が問題になる
そして自転車は住みに追いやられる、それが車社会だからそうなった
ただあそこは高校生などが自転車をあれだけ利用しているのだから問題になる
私自身は利用していない
いづれにしろ歩行者とか自転車は軽視される、すべてが車中心に回っている
そういうことが当たり前だとなり田舎だと車を持っていない人は能力が劣っているとも
変な奴だとも見られるのもおかしいのである

田舎だとチャリ乗ってると不審者扱いなんだろ 

田舎では、車乗ってないやつは障害者扱いなんだな。 
いい大人が、自転車乗ってるだけで職質される

自分自身もこういうことを常に経験している
田舎だとかえって自転車が目立つからである
車だと誰が乗っているかもわからない、変な奴などいくらでもいるがそれが見えないからわからないのである
いづれにしろこんなに車社会になっているのは本当は異常なのかもしれない
ただその異常さに気づかない、それでかえって正常な者が自転車に乗る人や歩行者でも排除される社会なのである

2019年04月19日

人生百年時代はあせる必要がない (余裕がない人は人を助けることもできない―起業もできない―失敗する)


人生百年時代はあせる必要がない

(余裕がない人は人を助けることもできない―起業もできない―失敗する)


●あせり追われ試験の点数のために勉強する

●あせり早く成功しようとする

●あせり早く成果を出そうとする

●今だけを見て長い先が見れない

●ともかく何するにも余裕がない

私が学校が嫌なのは常に試験試験でありその結果ですべてがみられる
試験の点数がすべてだとなる、そこで自分なりに時間をかけて勉強できない
思考するにも時間がかかるから手っ取り早い解答を出すことで試験の点数をあげる
学校時代から何か常に余裕がなくさせられていたのである
すでに人生は学校時代で学歴で決まるとかいうのもそうである
人生は常に急がされているのである

「忙しい人」は、余裕がないことからその場しのぎの考えで行動することもある

何をするにも起業してもすぐに成功しようとする、成果を出そうとする
そのように追い込まれたりしているから余裕がない
すると起業するにしても十分な資金がなければ余裕がないからつづかない
なぜならすぐに成果をだせない、もうからないとしたらすぐに起業してもやめることになるからだ
でもそれだけの資金の余裕がある人は少ないとなると起業はむずかしいとなる

私が会った人はすべて余裕がなかった

起業した経営者も借金でおいつめられていたからまず自分が苦しんでいることより借金を返すことで頭が一杯だから自分が病気であり介護で苦しんでいてもそんなことに心を配る余裕がないのだ
だからそもそもそんな人は人を助けることはできなかったのである
また手伝いさんでもその人も金に困っている、窮している、すると家に入ってきて物色して金を盗むことしか頭になかったのである
でもそういうふうに手伝いさんとかは金に困った人が多い、余裕ある人はしない
そういう人は遊んでいるのである、金に余裕があるからそんな下働きのようなことをする必要がないからである、それで家に入る人は問題が起きやすいのである
絶えず主人の金をねらっているとなれば安心がなくなる

それから地銀の人でもノルマを課せられているからノルマを果たすことが頭で一杯になっている、成果をだすことで一杯になっている
私は銀行を地銀を信用していた、まかせてくださいというから信用していた
金融のプロだと思っていたのである
でも今や地銀は存続するかどうかの危機であり全く余裕がなくなりもうけることができなくなり投資信託をうりこみ手数料商売になっていたのである
だからリーマンションックの時半分になった株が元にもどり上がり調子の時投資信託に回して損したのである、もしそのままにしていれば相当な利益になったのである

その原因は地銀はもう追い詰められている、余裕がないからである
こうしてそもそも余裕がない人と会社でも接すると危険なことになる
相手のことなどとても考慮できないからである
ただ追い詰められているのだから自分のこと自分の会社のことしか頭になくなるからである
そうして犯罪というのはこうして金でもなんでも余裕がない人が起こすのである
明日食べる金がないとなれば強盗ともなり殺すことまでする、それは余裕がないからである 
余裕がない人と接すること自体が危険なものとなっていたのである

だから余裕というのは何するにも大事である、ただその余裕をもたせられないのが人間なのである、余裕をもって勉強しなさいとか誰も言わないのである
今勉強して試験に受からないとあなたの人生は終わりだとか追われて勉強させられる
何が自分自身のペースでじっくり考え勉強することもあったがそれもできないのである

何するにも人はあせるしあせらされるのである、まず起業してもすぐにもうけをだして成功しなければならないとなる、二三年はそんなにもうからなくても徐々に成果をだしてゆくとかにならないのである、それはそれだけの資金でも余裕がないからである
それは自分自身もそうだった、何かあせりすぐに成果を出そうとして失敗していたのである
人間のすることはなんでも時間がかかる、芸術だって何かすぐには天才でない限り会得できないのである
何か凡才でも俳句とか短歌でもつづけているとそれなりのものができるようになる
私自身がそうだった、20代でも30代でも何か才能があるとみられなかったのである
凡才でも継続は力なのである、何か一つのことでもいろいろな分野が学問的にも実業でもいろいろある、それを継続してゆくものがあればやがて成功する成果が出せるとなる
だからどうしても大器晩成を目指せとなる、早熟なものは花火のように天才でも終わる
成功をせりすぎるのが人間なのである
そして人生百年時代のいい面はそれだけ長い時間の中に成果を出せばいいとなる
あせる必要がないのである、人生50年だったらそんな悠長なことを言っていられないからである                                

余裕がない人はすでに失敗している

日本がの戦争でももう物資が石油でも不足する、するとあせる、追い詰められる、余裕がなくなる、そこで遂にがまんができず暴発する、無理な戦争をして大敗北になった
それは日本には余裕がなかったからである、アメリカには何でも物資でも戦略的にも余裕があった、追い詰められていなかったのである
余裕がないということですでに負けていたのである
すでに余裕がない人でも会社は負けている、そして悪あがきをしてさらに事態を悪化させて失敗して終わる                                     

つまり余裕がない人は会社でもそういう人と接することは危険になる
とても相手のことを考慮できない、ただ手っ取り早く利用することしか頭にない
その人が病気だったらかえってつけこむにいいとなるから怖いのである
また弱者に対してそういうことが通りやすいからである
病気でも薬を売るにしても相手の弱みにつけこむということが常にありいらない薬を医者でもだしているからである、それは一種の脅迫までになり現実に自分は借金して追い詰められている人から脅迫されたのである
だから余裕がない人は危険なのである、でもそういう人が世の中には多いのである

人生百年時代はあせることはない、百年で成果は出せる

こういうふうに人生百年時代のメリットはある、暗黒面も大きいのだが何か人間が成果をだすにはとにかく時間がかかるのである、学問でも芸術などでも本当に時間がかかる
学問となると特に積み重ねだからそうなる
それで〔少年老い易く学成り難し」となっているのは今でも同じなのである

お金のために働く人が、「起業家」に向いていないワケ

これなどはそうだと思う、愛ある人が成功するというときそれは成果をすぐに出せることにはならないからである、愛と言っても余裕がなければ愛もありえないのである
すぐに利益を出すということしか頭になくなるからである

故郷の丘(万葉ふれあいセンター)の桜とスミレ

               
故郷の丘(万葉ふれあいセンター)の桜とスミレ

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故郷の丘にスミレや花の影

満月や栄一時花の散る


故郷の丘にスミレの咲き満ちて朝花散りて光満つかな

桜咲き朝に霞みぬ鹿狼山ここに望みてさえづりひびく


鹿島の桜田山の桜とか万葉植物園は何か死んでいる、来る人もいない
桜の木が枯れているのだ
でもその代わりに整備したのが万葉会館の丘である
あそこは新しく整備して手入れしたから休む場所もあり気持ちいい場所である
あそこから展望できる、ただあそこからは海が見えないのが残念である

鹿狼山(がろう)は見えた、あれは雲雀が原からも見えた、高い山だから目だって見えるでも400メートルくらいなのである、この辺には高い山はないからものたりないのである

丘にはスミレが一杯咲いていた、桜の木はまだ成長していないのもある
あそこは利用したことがない、まず図書館には行かない、ネットで検索しているからだ
ネット最新の学者の論文が読めるのである、それも無料なのである
すると素人でも研究に参加できるとなる
本をとりだして調べるのが手間なのである 

昨日も満月であり今日も満月だった、ただ今日は雲が流れて満月が光っている
花は散っている、でも全部は散らない、半分くらい残っている
まず桜は実際はどこでも日本では咲いているが咲いている期間が短いのでなかなか見れないのである、日本では桜の名所はいくらでもあるからだ  
上野の桜などは見栄えしないのである、やはり都会の桜は見栄えしない
京都と大阪は別である、なぜなら京都とか大阪になるとそこに歴史がありその歴史によって違って見える
大阪城の桜はそうだった、夕日のなかに桜が散って人が絶え間なく来ていた
その夕日の色がなんともいえないものだった、まさに歴史の栄華の大阪城があって
人間の栄枯盛衰があり夕日が大阪城に映えたのである

とにかく桜は一時で散る、満月が輝き散っていた、人間の栄華も一時だったとなる

大阪城の桜

タグ:桜とスミレ

2019年04月20日

南相馬市の高平の西殿の地名の由来は (方角地名はどこが中心で方角が決められるのかが肝心)


南相馬市の高平の西殿の地名は泉官衙跡に由来するのか?

(方角地名はどこが中心で方角が決められるのかが肝心)

●方角地名が世界的にも基本

方角地名が地名でベースになるのは人間にとって見知らぬ土地に行ったとき必ず方角がわからなくなる、それで太陽の昇る方向とか沈む方向とかみる、または星を見る
星がなぜイスラム圏とか大陸で大事になるかというと北極星信仰が生まれたか?
北極星は変わらない定点になっていたからである
それで妙見信仰も生れた、それは北極星信仰であり大陸から入ってきた信仰なのである
遊牧民地帯では常に移動するから目印となるものが必要になる
それが北極星になっていたからイスラムとか砂漠の国や草原とか大陸の国の国旗は星印になる

太陽でも東は日向う(ひゅうが)とからきている、西はイニシで去る方向なのである
それで日立木に日下石」にっけし)があるがそこが西の意味としたときそこが一時津波で海が迫ってきた場だった
ではなぜ海側が西になるのか?それは海から来た人たちがそこに海が迫っていたとき太陽が沈む方向だとして西と名付けたと予測する
なぜならこの辺でなぜこれほど綿津見神社が多いのか?
それは安曇族などの海人族が移動してきたからである、それは海を渡る渡津見の神だったのである、渡ることを海を移動する民だったのである
そういう人たちが来たときそういう名前がついたと予測される
それは一つの説にしてもそういう説明になる

                          
●西殿の起源は泉官衙跡から来ているのか?

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泉官衙(南相馬市に躍動する古代の郡役所ー泉官衙遺跡)より
ここは相当に大きな郡役所だった、ただ方角的に西殿が今の西殿の方面にあたるかどうかはわかりにくい


方角地名で一番の問題はでは南とか北とか東とか西とあるときどこを中心にしてそう決めるのか?それが一番の問題なのである
南相馬市の高平の西殿というのもそうである
もし西殿よりさらに西になれば東殿ともなるからである、現実にそういうことはある


御屋敷、堀、上の坪、中の坪、東殿、西殿、上屋敷、国府殿、四郎殿とな っている 。  宝永 4(1707)年10月14日、紀州沖地擬により 、
大津波が押し寄せ、部落のほとんどが被害をこうむり田畑は砂で埋没したため、年貢米は 5年間赦免されている。 さらに、安政元年 (1854)11月 4日、遠州灘地擬による津波は高さ 10mにも及ぴ、堤防は全壊し部落はほとんど水没した。 しかし、道路が整備され、屋敷囲に根を植えている国府では死人はなく、家屋の被害はすくなかった。国府の歴史は、津波との戦いの歴史ではなかったのではなかろうか。津波の後は、その恐れから、家屋を小高い丘に移し、また便利な平坦地にもどる。その繰り返しをして、部落の移動がたぴたぴ行われていたものと思われる 。

ここに国府があり国府となる所に役所となる建物があり東殿―西殿と地名化した
国府となると正殿がありその東と西に脇殿として建物が建てられた
西脇殿とか東脇殿とかなる


溜池を挟んで東側の台地上にも周囲に土塁を巡らせた城館がある。こちらが西殿という場所であるらしい。60m×80mほどの長方形の郭であるが、所々土塁が分断されている。しかし、旧状を想像することは容易である。溜池側には2段ほどの腰曲輪的な削平地がある。城塁を削っているので、これらの部分も城郭遺構であると思われる。この2つはどちらも、戦国以の初期の居館というイメージである。


つまり原町区の西殿という地名はいつ頃から生まれたのか?
それは鎌倉時代時代以降と推測した、それは相馬氏が古くからが住んだ記録に残るからである
でも泉泉官衙跡が海に近くありそこに古代の役所があった、するとここにあるように国府がありそこに写真のように中心の建物があり西脇殿と東脇殿があってその名があって古代から西殿と名付けられたともなる、ただ西殿はその時は今の地点ではない
これは考古学の発見がありそれを調べないとわからない
ただ西殿とか東殿は戦国時代にもあるがインタ−ネットで調べた城でもあった
だから古代から西殿という名が伝えられたということでもない
国府とか郡衙になるとそういうことがありうる、事実いわき市にはそうした地名が残っている

(根岸郡衙跡)
郡の政治を行う中心の場所です。根岸遺跡では、正殿(せいでん)・東脇殿(ひがしわきでん)・西脇殿(にしわきでん)の三つの建物が中心の広場を囲むように建てられていました。

いわき市にも西殿がある、西殿は殿は古代の政庁跡にある、殿から館になったとき中世に変わったが依然として殿が使われていた

つまり地名の起源は古代にまでさかのぼり古い!

南相馬市原町区高平の五輪の塔の謎 (南北朝に由来して西殿は相馬氏の館があった所)

●なぜ南柚木(みなみゆのき)というのか?
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村の名で検索すると村の領域がグーグルで表示されるから便利

「この辺は何村ですか」
「坪田です」
「なかなかどの辺までは坪田村なのかわかりにくいです」
「坪田があり八幡があり成田がある、八幡は八幡神社があるからだよ」

なぜ村の範囲がわかりにくいのか?それは江戸時代なら村ごとに年貢を納めていたし村が行政の単位であり村ごとに人は結束して生活していた
それがなくなったとき村の範囲はあいまいになったのである

「柚木(ゆぬき)は南柚木と北柚木がある」
「柚木が相馬市でも鹿島のように思う人もいる、まぎらわしい」
「柚木は南柚木と言って北柚木とは言わない」
「方角地名となるとどこが中心かで方角が変わる、相馬藩は小高にまず相馬氏が城を置いた、だから小高から北が北郷になる、相馬市に(中村に)城を移した時、その城が中心になって南になるから南柚木となった、北柚木とは言わない」
「そういうことか」
「それで鹿島は北郷であり北郷と宇多郷が野馬追の時、雲雀が原に出陣するとき一体化して合流して向かうことになった
南相馬市となったのは相馬市の城から南だからそうなった」
「なるほど・・・」  

方角地名で問題なのはどこを中心にして南北朝とか北としているのかである
歴史的にも中心が変わるからである、鹿島区は北郷(きたごう)であるがなぜなのか?
それはもともと小高に相馬氏の城が置かれてそこから北になっていたからなのである
となると歴史を知らないとまた方角地名はわからない、単に南北とあっても歴史によって方角が違ってくる

どこが中心かというとき韓国では日本海は東海なのである、韓国側から見ると東の海になる、それこは韓国中心で見るからである
日本がを中心にして見れば日本海なのである
だからどこを中心にして方角地名が名付けられるのかが問題になる、それは歴史的なものとも関係している
韓国側にすると日本海となれば日本の海だとなりそのことで世界的にそれは違うと訴えて裁判までになる
地名でも国際問題になるのである

南柚木が北柚木と言わないという時、それは相馬市に城がありそこから見て南になるからである
方角地名で大事なのはどこが中心にして東西南北になるかなのである
相馬氏が進出したとき北郷はさけて大原とか小池から相馬市地域、前の中村地域に進出して城を建てた
柚木(ゆぬき)もそうして相馬氏の領地となった、その時北郷は相馬氏の領地にならなかった、支配地にならなかった経緯がある
そういう歴史的経緯があって方角地名が名付けられている、単に南北とかではないのである
だからなぜ南相馬市と合併したのか?
それはすでに相馬市に相馬氏の城がありそこを中心にして名付けられたのである
それで南相馬市はやがて相馬市として合併するとも言われたのである
ただ歴史的北郷(きたごう)は変わらず残っているのである、でもその歴史を知らないと理解できないのである




posted by 老鶯 at 11:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

駅の高校生の見守り役は何もしない (駅前の自転車屋も怒っていた)


  駅の高校生の見守り役は何もしない
  
  (駅前の自転車屋も怒っていた)
  
駅前の自転車屋はいつも駅を見ている、だから駅のことに一番詳しいのである
それでその人は言っていた

私は自転車置き場を作る時これでは自転車置く場所に困りますよ

そのことを忠告していたのである、現実に駐車場として8台分を置くスペースを作った

でもそこに車を置いたら自転車が置けなくなる!

それが工事するときからわかっていたことだったのである
なんでかえって不便になるようにしたのか?

それは車を止める場所がなかったからだ、これは常に駅の問題だったのである
駅前には一時的に止められても長くは止められない
広いスペースは商工会との契約で金を払って駐車の場所を確保している
だから他の人はとめられないのである

それでそこに遠くから来た人でも長くとめられる駐車する場を作った理由はわかる
駐車する場所がなくて困っていたからである
でもそのために大勢の人が利用する自転車の置き場がせばめられて自転車すら置けない
車があったら自転車を取り出すこともできなくなるような状態になっている

商工会の観光係では予約があると金を払えば止められるらしい
ただまだ一度もそこに車が止まっているを見たことがない
商工会の収入となるのはわかる

それから駅の見守り役は何もしない!

駅前の木が枯れるので水をやっていた、それを見守り役に頼んだらしないという
見守り役は駅の業務でもそうした駅の関係でも何もしない
そういう約束だという、何かもめごととかトラブルに巻き込まれることを異常に恐れているのである、それは人間としての常識もないと自転車屋の人は言っていたことがわかる
自分自身もそれで怒ったからである
私は何もしないように上司に言われていますと言うのである
でも市の方から金はもらっている、何もしないのにもらっているとまでなる

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遠くより来る人あれや駅前の花壇に赤くチューリップ咲く

駅前の花壇に赤くチューリップ朝の光に映えて咲くかな


駅前の花壇には今はチューリップが咲いている、そこで遠くから来る人が来るとそれが映える、駅は内部の地元の人だけではない、外部から来る人とも交わる場なのである
そこに駅がいろいろな人が交わる場になって活気をもたらすのである
内部の人だけだったらこうはならないのである
そういう営みがあって駅は活かされるのである、そこが駅の特徴なのである
街の玄関となっているのが駅なのである
だから木でも枯らせると駅の雰囲気に影響する
ただ駐車場の前にも花が咲いていたがそこも荒れている
駅開設120周年という花文字も枯れてなくなった
どうしても植物は手入れしないと枯れたりしてくる、だから人の手を加えないと荒れるのである

タグ:駅前の花壇

2019年04月21日

Spring forest


Spring forest

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