2019年04月11日

人を雇うほどやっかいなことはない―人手不足はなぜ起きる (奴隷のしつけ方(本)を読む)


人を雇うほどやっかいなことはない―人手不足はなぜ起きる

(奴隷のしつけ方(本)を読む)


コンビニでも人手不足で24時間営業ができなくなるとか曲がり角に来ているとかなる
24時間影響でないと仕入れを夜にして早朝に品物を出せなくなるとかある
それより人手不足が深刻のためもう維持できないとなっている
都会では外国人労働者が多くなる

そもそもなぜ人手不足が起きるのか?
少子高齢化とかいろいろあるにしても現代では労働したくないのである
人間はもともと労働をしたくないというのがある
労働は重荷になるからである

だからこそ機械化自動化することに経営者は熱心になる、また誰でも機械化して家事ですら楽にしたいということで機械化したのである
人間の楽園はエデンの園では労働はしていない、そこには果物でもふんだんに実り労働する必要はなかった、アダムが罪を犯してエデンの園から追放されて労働させられるようになったのである、労働は呪いであり神からの刑罰だったとなる

私自身も労働を嫌悪した、それは底辺で流れ作業のようなことばかりしていたからであるそれはまさにロボットにされることだったのである
そこに人間の尊厳は丸ごと奪われこる、機械と同じにされる、ならば機械化して人間はいらないとなるのは当然である
それ以後私は一切仕事はしていないのである

コンビニに働く人がいないのはなぜか?
そこで働く人に敬意をもつ必要があるとか言っていたがまず今働く人に敬意をもっているのは医者とか科学者とか技術者とかくらいだろう、弁護士などもそうなる
後は底辺の労働者にまず敬意を持つ人はゼロだろう
そこには敬意どころか感謝すらないのである、感謝されるのは買う方だとなっているからだ

駅で道案内とか何か案内してありがとうと言われる、その時すら感謝しているがコンビニとかスーパーで働く人に感謝している人など皆無である、ただ文句と不満しかないのである、だからそういうところで誰も自主的に働いているわけではない、しかたなく金のために働いている、それはみんなそうである
つまり現代はあからさまな奴隷はいない、金銭の奴隷化されたのが現代である

人手不足というけど別に元気な老人が膨大にいるしその人たちはパークゴルフとかして働かない、ニートもいてその数も60万とかいる
つまり現代は働かないで暮らせる人が膨大なのである、何千万人といるのである
それだけの余裕があるからそうなっている

人間というのは本当に歴史をふりかえると過去には奴隷がいて過酷だったとかなる
でも現代でも資本主義社会で巧妙にかえって過酷な奴隷にされているということがある
それはあからさまに奴隷ではないからそう自覚しないだけである
「奴隷のしつけ方」−マルクス、シドニウス、ファルクス・・は面白い本である
ローマの奴隷となると過酷な本当に奴隷のように思っていたがそうではなかった
奴隷も人間だから人間的に扱うようになる、そうしなければ奴隷を働かせることはできないと書いている

不思議なのはかえって人間的なものがそこにあった
奴隷は奴隷ではない人間であり主人でも奴隷のように仕えるのでは人間として仕える
そして忠誠を誓い主人のために命までささげた奴隷もいたのである
それは家族のような紐帯が一緒に暮らしているから自ずと生まれていたのである
人間はどんなことしたって家畜ではない、家畜のようにはできない、必ず人間的情が生まれる、奴隷は家の中で働くから余計にそうなるのである
家族の一員のようになってしまう、現実に奴隷でも家族と一緒に食卓を囲み食事していたことがあった、奴隷というと鎖縛られて家畜のように扱われたように見ていたが違っていたのである

現代の方がむしろ非情な奴隷化システムが構築されている、そこには人間の情が親愛の情が通わない、ロボットのようにまさに工場では流れ作業をさせられているのだ
後進国だと余計にそうさせられる、子供まで安い賃金で働かせられる
だから時代が進んでも文明化されても人間が幸福になるということはなかったのである
誰もが今働きたくないというとき労働する者に敬意をはらわないというときローマの奴隷以下にされているのが現代なのである

そして決して人間は奴隷のように働かすことは不可能である
だからこそ外国人労働者でも自国並みの待遇をしなければもう日本には来ないとなる
それでそういう法律もできる、いかに人間を働かすことはやっかいなことかである
とても機械のようにロボットのように働かすことはできない、だから奴隷というがそれは今よりましだったともこの本を読んで思った

正直それを自分自身が嫌というほど経験した、もう根も尽き果てるほどになる
雇う方が重荷になるのである、それでまた機械化ロボット化が雇う側にするとそうする事情がある、人間を雇うということはどれだけ負担になるのか?
そうなら機械化ロボット化自動化ですまそうとするのは必然なのである
だからコンビニでもどこでも自動化する、駅でも無人化するのである
そのコストは金銭面だけではない、様々なことで負担になるからである
そして自らの自主的な意志で働く人はまれである
それからどこでも働いてる人に敬意などもたない、むしろサービスがたりないたりないと文句と不満しかないからである
それでベーシックインカムでも現代に堂々と言われ実行さえされている
でもこれも失敗になっている、働かなくてもいい社会である
なぜならみんな働きたくないからそうなる

ではベーシックインカムになったらみんな働かないかというとそうではない
私の家にきて働いた人は今は何もしない、皿洗いもなにもしない、ただ三日に一度くらい話にきて金をせびるだけだとなる、でもその人は小さな畑でたいして野菜もとれないがその仕事だけは文句言いながらしたいのである
それでもそこには種だと肥料だ道具だと金がかかるがそれも払っている、それでもらったのはキュウリ二三本だったのである、だから一本一万以上のキュウリになっていたのである

いづれにしろ人間は金のために働く人は奴隷である、ソローも「森の生活」でそう言っていた、もちろんベーシックインカムなども実現不可能なことはわかる
でもそれが公然と言われすでに実行されたのはやはり現代のシステムはローマ時代より過酷な奴隷労働化されているからである
ローマの方が主人との親愛の情が生まれ主人のために命まで捨てた人もいたのである
それは武士社会でも主従関係が生まれてそういうことがあったのとにている
そこにはどうしても家族のように一緒に暮らすからそういうことが自ずと人間だからこそ生まれたのである

今はただ人間と人間の関係は金しかなくなったのである
そこに一切人間的情を省かれた社会なのである、だから索漠とした社会である
もちろんローマの奴隷でも召使でも奴隷でも常に盗まれるとかがあったから今と同じである、でも何かそれでも家族内労働となると人間的な情愛が生まれる
現代の問題は情が喪失した省かれた非情化した世の中である
そしてすべてが金に換算されるだけで一切人間の情は通わない世の中なのである
だからまず家の中に入る人はローマの奴隷ように危険である
まず金しかもらうということしかない、だから後は盗めばいいとなってしまうからであるローマでもそのことで苦労していたけど反面家族のようになった人もかなりいたということである

つくづく人間の進歩とはなんなのだろうと思う
ローマの奴隷とかなると映画とかで見ると非人間的な社会だと見ていた
実際はむしろ現代社会より情的であり人間的であったともなる
現代の方が非人間的であるとすると自由社会でありながら巧妙に資本主義のシステムのなかで奴隷化されている、どうせ社畜なんだよなと常に言うのもそうである
会社員でも奴隷だと意識しているわけである 

だから元気な老人でもニートでもなんでも金さえあれば働きたくないのである
そして当然そうなれば働くことを強いられなければ働かないとなる
それも責められるにしても自分のように別に働かなくてもいいなら働かない
駅でボランティアしているのは別に働いているわけではない
そこで人と話したりその合間に困った人がいたら案内しているだけだとなる
別に雇われているわけでもない、だから雇う人は何の負担にもならないのである
私は何もしない人でも金を払っているのとは違うのである



posted by 老鶯 at 10:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2019年04月12日

高倉村の短歌十首と詩(生業がなくなると村も死ぬ)


高倉村の短歌十首と詩(生業がなくなると村も死ぬ) 

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高倉は奥にしあれや生業のここにもありて春の日暮れぬ

高倉に山雀見つく誰か棲む広き庭かな春の日暮れぬ

高倉を装う桜あわれかな墓地のみここに訪う人もまれ

高倉や巌にスミレ清らかに流れの上や我がたずねけり

高倉の春の日あわれ古き家田の手入れやしばし語りぬ

高倉の花に染まるも墓地ありて訪ねる人もまれに淋しも        

高倉に山雀一羽見つけしも辺り人無く春の日暮れぬ

墓一つ倒れてあわれ夏草にここにも生きにし人のありしも

高倉にしみじみ鳴きぬ蝉の声街を離れてここにひびきぬ

山の村貧しく淋しも誰か見む神見守りて愛しむべしも

高倉の街に遠きを生業のここにありしも冬の日あわれ  




高倉村の老夫婦

国見山の麓高倉村押釜村
押釜村に紙漉き一六戸
個数数十軒相共に暮らしぬ
水清らかにその生業厳しも
高倉村社も古りぬ碑も古りぬ
草刈りする老人あり
今草茫々と草に埋もれぬ
ここに共に暮らす日の長しも
街より離れて遠く
秋の蝉鳴く声ひびきあわれも
この山里に長くも暮らし
やがてここに死すや
岩のごとくここにとどまれや
その裔も見守りてあれや
しかし悲しも里は荒れにけるかな
虫かすかに鳴きて老夫婦
ここにありしもあわれかな




高倉村は江戸時代からありその前からもあった、それなりに古いとなる、でもでもあんな奥にどうして暮らしていたのか?
今になるとそう思うがどうも江戸時代とかなると違っていた、木材の供給地であり炭焼きをしていたし紙漉きも盛んだった
生業がその土地にあったからだ、そこが今と大きな相違なのである 
飯館村でも1950年代に11000人いた、その後6000人になった、約半分になったのである
戦後は引揚者が入ってきて増えたのである、だから良く貧乏な時代にそれだけの人を養っていたと今になると不思議になるのだ
戦後10年くらいは炭焼きもしていた山村に仕事があったともなる、でもそれも10年くらいで終わったのである

いづれにしろ押釜村とか高倉村とか大原村とか橲原村は奥座敷になる、特に高倉村と橲原村は秘境のようにもなる
でもどうも江戸時代でも戦前でもそれだけ人口がいたということはそうではなかった
人が結構いてにぎわっていたともなる、それが勘違いしているのである
高倉村は行き止まりの村であり何か一段と淋しい所だと思った、でも不思議なのは高倉村から石神村が分村した原町市史に書いてあった、これもだから理解できないのである、石神村は今は広いからである

とにかく何か山村とかは別に原発事故前からグローバル化などで燃料も炭から石油となり木材は外材になり生業が奪われていたのである
それで原発事故でそうして生業が奪われていた所にさらなる打撃となったのである
そして生業がなくなると実は村も死ぬのである
それは具体的に山の手入れをしないとかいろいろ人の手が入らないと何か自然も荒れて災害すら起きてくる
だから生業を返せと裁判を起こしたがこれも前からすでに生業はいろんな面で奪われていたのである
漁業だってそうなっていたから漁業権を東電に売り渡したりした、それは実はグローバル化経済とか産業構造の変化で限界集落が全国に生まれたのである、だからマクロ的視野から見るとその影響が余りにも大きすぎたとなっていた 

いづれにしろ桜の咲いている所は工事している、バンガローがあるが人がいなかった、何か他から移った人が神社に異常に興味をもっていた、その人と駅で会ったがどこに住んでいるかわからなかった
ただあのような奥地に桜があんなに咲いていたが何か村自体は淋しいとなる、田畑は荒地化して放置されて外に出た家もある
そうなるともう村は死ぬ、多少でも田畑があり営みがあり生業があるとき村は生きていたのである
もし生業がなくなればただ家があるというだけになるからだ

次は高倉村の歴史を探求して書いてみよう

相馬の城跡から坪田の都玉(くにたま)神社を回る (相馬藩の悪因縁がカルマとなり原発事故につながったのか―足尾銅山と関係していた?)


相馬の城跡から坪田の都玉(くにたま)神社を回る

(相馬藩の悪因縁がカルマとなり原発事故につながったのか―足尾銅山と関係していた?)


相馬の城跡で写真をとっている人がいたのでその人と話した
その人は高校の歴史の先生だった

「この石垣が野面積みですか」
「これは会津の侍が来て教えられて作ったんですよ」
相馬駒焼があるけどあの跳ねた馬の絵を工夫したのは外から来た絵師だったんですよ」
「ええ、そうですか、知らなかった」
「そうですか、外から来た人が何かを教えてそれが残ることはあります」
「城の石垣というとき穴太(あのう)衆が有名です」
「それは近江ですね」
「信長がそのあなう衆に安土城を作らせて有名になったんですよ」

それから私は気にかかっていた、相馬の城の桜は何か大きくない、成長がとまっている

「染井吉野は60年が寿命ですよ」
「なぜここの桜は大きく成長しないのか」
「土地が悪くて栄養が悪いからかもしれません」
「そういうことあります、とにかく土地が悪いと作物も育ちませんし花も咲かないですから」

それから津波の話をした、その人は松川浦の津(つのみつ)神社を津波の神社と言っていた
それは違うと私は強く言った、それは渡来系のツノガノアラシトから出ていると言った
そのことは私が最近津波のことを調べてわかったことだったからである
それは私が発見したことでもあった
なぜなら津神社とは松川浦にもあるし烏崎にもあるし原町の雫(しどけ)にもある
津波の神社がそんなにはない、本当にまれにしかない、名取の波分神社くらいが由来がはっきりしているのはないのである

高校の歴史の教師だったその人は由緒ある相馬藩士の子孫だった

「私は伊東であり相馬藩士の子孫です」
「野馬追に出ているのですか」
「出ていますよ」 

この伊東という人の姓は多い、でも途中伊東という墓が成田にあったのも不思議であり具体的く狭い地域だとつながるのである

それから足尾銅山とか麻生副総理とかの話になった

足尾銅山が本格的に稼動し始めたのが1877年(明治10)経営が古河市兵衛になってからです。古河市兵衛は1875年、新潟県草倉鉱山を政府からの払い下げを受け順調な経営をしていた。1877年、古河市兵衛は鉱山業に専念する事を決意し足尾銅山を買収することになった。古河市兵衛は小野組(市兵衛の養父が幹部を務めていた)に属していた頃に縁があった元相馬藩藩主(この時相馬家)を買取り、名義人として立て足尾銅山を買収した

1610年から明治に至るまで幕府の御用銅を生産していました。そしてその銅は日光東照宮や江戸城の建造の際にも使用されています。その他にも寛永通宝にも使用されています。足尾銅山で採掘された銅の寛永通宝は年間約400万枚も鋳造されていました。1枚3グラムで使用されていた銅は400万枚で12トン、もちろん寛永通宝以外でも銅は使用されていたことを考えるとそれ以上の銅が産出されていました。足尾銅山で産出され作られた一文銭の裏には足尾を意味する「足」の字が刻まれ「足字銭」と呼ばれています。 なお、この寛永通宝は足尾以外で作られた物を合わせて、現在100億枚近く残っているそうです。

第三十三代当主和胤の母雪香は日本の民主主義の父と言われた尾崎行雄の娘であり、認定NPO法人「難民を助ける会」の創設者。妻雪子は、麻生太郎元内閣総理大臣(92代)の妹である。

旧領地は、2011年3月11日東北地方太平洋沖地震による津波で被災した。縁のある麻生太郎は、相馬市長立谷秀清の要請も受け、震災後、国会議員として初めて現地入りし、被災見舞いと現地視察を行った。

インタ−ネットで麻生副総理のことがいろいろ出ていた
麻生氏は財閥であり天皇と縁戚にありそれで力をもった
その裏のつながりも出ていた、麻生氏にはあまりいい印象を持たない人が多い
知り合いの女性も威張りすぎていると言っていた
女性は直観で判断するがそれが当たることもある

何かこのつながりは一つの相馬藩の歴史としてあった
それは必ずしもいいものともならないものだった
相馬藩の歴史という時何か野馬追がありほめたたえられることがあるが暗黒の面もある
それはどこにでもある、どうして山口県に首相が出るのが多いのかというと長州閥が歴史的に継続しているからだと指摘する人も多い、そこが未だに政治的力をもっているのはなぜなのかとその裏を暴いて指摘している人もインタ−ネットにはいる
天皇家とは必ずしもほめたたえられるものではないと非難する人もいる
インタ−ネットで「心の青雲」のプログで最右翼の都築詠一氏があれほど昭和天皇を批判したのは意外だった、そのように天皇家でも権力と関係していて権力と関係する者は何か陰謀論につながるのである
天皇とは日本の権力構造の中で必ず祭り上げられて利用される存在だったからである

当時、日清戦争・日露戦争のさなかであった政府としては、鉱山の操業を止める事はできず、反対運動を食い止めるため、政府は運動の盛んだった谷中村の廃村を決し、1907年強制破壊が行われる。その後、村民は主に隣の藤岡町や群馬県板倉町にあたる地域、下都賀郡の他の町村、古河町(現在の古河市)、那須郡、北海道常呂郡佐呂間町に移住した。また、元谷中村民以外も一緒に移住したが、実質的には元谷中村民救済の意味が強かった。なお、佐呂間町にある「栃木」という地名は、この移住の際につけられたものである

足尾鉱毒事件(あしおこうどくじけん)
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何かこれもつながっている不思議がある、足尾銅山と内村鑑三も関係していた

田中正造が釈放された後の12月27日、学生約800人によって、鉱毒被害地学生視察団が組織され、内村を団長として谷中村はじめ渡良瀬川流域の村々を回った。内村は、行った先で「毒塚」(鉱毒の混じった泥を集めて積み上げた塚)の一つに駆け上がり、学生や地元参加者を前に朗々と演説を行ったという。

 ところが、翌年になると内村の鉱毒事件への関与は格段に小さくなる。その理由は詳らかでないが、運動から離れ聖書研究へと没頭していく。

 ともあれ、今から112年前に書かれたこの文章が、福島第一原発事故を経た現在にそのまま通じることに、複雑な思いを抱くことを禁じざるを得ない。われわれは何も学んでいないのか、それともただ歴史は繰り返すものなのか


ここに内村鑑三の文が出ている

最も耐え難き災は天の下せし災に非ずして人の為せし災なり、天為的災害は避け得べからず、人為的災害は避け得べし、而して、鉱毒の災害は後者に属し、而かも、其の最も悲惨なる者なり。
 悲しむ者は一府四県の民数十万人なり、喜ぶ者は足尾銅山の所有者一人なり、一人が富まんが為めに万人泣く、之を是れ仁政と言うべき乎。

 これも原発事故と通じるものがあった不思議である、相馬藩の殿様がこの銅山の所有者の一人でもあったのである
歴史はここで継続したものとしてふりかえることができる、相馬藩の殿様がこの足尾銅山にかかわり富を得た、その財閥と麻生氏が継続して天皇もかかわり原発事故とも関係してくる、今回の原発事故はそうした相馬藩がかかえるカルマだったのかとも思う
それは天明の飢饉とも通じている、カルマとは何か必ず苦しみとなって現れるのである
それは個々人でもそうだしある土地でもそうしたカルマが苦しみとなって現れるからである、つまり一つの事件であれ事故でも突然偶然に起きるのではなくこうした歴史の継続としてカルマがあって起きてくるのではないか?
相馬地域がかかえたカルマ(業)があって原発事故でも起きたのかともなる
そうした過去の罪業がカルマとなり相馬藩の地域に原発事故や津波ともなったのか
天罰だったのか?

というのはなぜ相馬藩では相馬藩政記に二行しか700人溺死としか記録されていなのか?
それも津波の後に発見された二行だったのである
そのことを問うてきたがそれはその時相馬藩がこの地を支配していない、戦国時代の争いの渦中にあり津波の被害が甚大でもそれにかまっていらないということがあったとも推測した、だから記録もそれだけですませたとなる
その時民の苦しみは隠されて表に出さなかった、そして相馬氏が権力を得るために支配するために没頭していたからだともなる
何か相馬藩にも暗黒の歴史があったことは確かでありそれが津波や原発事故としてカルマとして現れたのかもしれない、それは私の家でもそうだしどこの家でも必ず暗黒の面をもっているからである、それが私自身が塗炭の苦しみにあったのはそのことが原因してきたと書いてきたからである

インタ−ネット時代になるとこうした暗黒面を盛んに指摘する人がいて陰謀論をいう人が多い、それにも閉口するが何か暗黒の歴史が必ず人間にはありそれがカルマとなって個々人でもある地域に災いとなりカルマとなり苦しみとなって現れるのではないか?

そこから今度は線路に沿って坪田の方に行った、いつも見ている線路脇の神社は「都玉神社」である、それはいつも車窓から見ていたがその由来を尋ねることもなかった
今日地元の人に聞いてわかった、それは(国魂)クニタマ神社であった

正徳五年(1715年)、第五代藩主・相馬昌胤公の息子・都胤がわずか五歳という年齢で亡くなってしまう。
都胤公を寵愛していた昌胤公は嘆き悲しみ、現在の社殿のある場所の裏山に石室を築き、都胤をそこに埋葬する。
その後、享保三年(1718年)には神社を建立。
都胤(くにたね)公の御魂(みたま)を祀ったので、『 都玉(くにたま)神社 』と称するようになったのだとか。
さらに、昌胤公の死後、天保十三年(1842年)には昌胤公も合祀される形で都玉神社

だからこそ都の字がついていたのである、これも歴史としてつながっている
その子のために神社を建てるというのはなぜなのか?
国魂(くにたま)とはこの地域の魂だともなる、でも庶民だってそういう人はいくらでもいた、その息子がかわいいとしてかわいそうだというのもわかる
でも庶民でもそういう親はいくらでもいたからそれを特別供養して地域の人に供養させるというのはどうかという理屈も成り立つ
それは現代だから言えることになる、当時にしてみればそれに文句を言う人などありえないとなる、侍と庶民は別でありましてや殿様の子となれば別格だからである
ここには子安神社もあるから子の安かれとなるし子安神社も多いのは庶民でも医療が発達しないから死ぬ童子が多かったからである

そこから坪田の道を行き歩いてくる人がいたので聞いた 

「この辺は何村ですか」
「坪田です」
「なかなかどの辺までは坪田村なのかわかりにくいです」
「坪田があり八幡があり成田がある、八幡は八幡神社があるからだよ」

なぜ村の範囲がわかりにくいのか?それは江戸時代なら村ごとに年貢を納めていたし村が行政の単位であり村ごとに人は結束して生活していた
それがなくなったとき村の範囲はあいまいになったのである

「柚木(ゆぬき)は南柚木と北柚木がある」
「柚木が相馬市でも鹿島のように思う人もいる、まぎらわしい」
「柚木は南柚木と言って北柚木とは言わない」
「方角地名となるとどこが中心かで方角が変わる、相馬藩は小高にまず相馬氏が城を置いた、だから小高から北が北郷になる、相馬市に(中村に)城を移した時、その城が中心になって南になるから南柚木となった、北柚木とは言わない」
「そういうことか」
「それで鹿島は北郷であり北郷と宇多郷が野馬追の時、雲雀が原に出陣するとき一体化して合流して向かうことになった
南相馬市となったのは相馬市の城から南だからそうなった」
「なるほど・・・」

こうして何かその場で話すると会話すると会話が活きてくる、それはその場にいるからである、そして地理は相馬市でもわかりにくいのである、鹿島ならだいたい村でもどの辺までか見当がつくが原町とか相馬市なるとつかないのである
だから地理だけはその土地に住んでいる者しかわからないから別に知識がなくても地理だけは土地の人がわかるのである
常にそこに住んで体でわかっているからである、それは地図を見てもわかりにくいのである

いづれにしろこれだけの歴史をふりかえることができた、今はインタ−ネットをしていないと情報弱者になる
なぜなら古代のことでも学者の論文を最近読めたことや慶長津波のことが記録がないにしろ慶長津波の前と後ではやはり天明飢饉のように石高が激減していたことをインタ−ネットで読めた、それが学者の論文であり数字から確実に慶長津波の影響があったこと証拠ともなるからだ
そういうことで今はインタ−ネットにアクセスしないと情報弱者になりわからなくなる
高校の教師だった人もそういう点でインタ−ネットをしていないから情報弱者となり知識的に遅れるのである










posted by 老鶯 at 22:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2019年04月13日

桜田議員の「復興以上に大事なのが高橋議員だ」で辞任 (相馬藩の津波被害も戦国時代で伝えられなかった、戦争の方が大事だったから?)


桜田議員の「復興以上に大事なのが高橋議員だ」で辞任

(相馬藩の津波被害も戦国時代で伝えられなかった、戦争の方が大事だったから?)


この発言の意味するものは何なのか?

そのことで政治家というのは変わらないものだとも見た
変なのだけど津波のことで相馬藩の歴史をいろいろ調べた
でも津波のことは相馬藩政記に二行だけ生波(津波)700人溺死としか記されていなかった、それで本当に津波があったのかどうか疑問にまでなった
慶長津波のことは本当にあったのかどうかさえわからない

それはなぜなのか?

相馬藩政記には戦争のことや世継ぎのことなどは事こまく記してある
その時は戦国時代だから戦争のことは詳しく記されている
だから記録することができないというのではなかった、大事なことは記録していたのである、でも肝心の津波の被害については何も記されていないのである

そのことでいろいろい調べても結局わからない
それで学者の人がその時相馬藩が小高の城から中村(今の相馬市)城を移したのは津波の復興のためだったとか言った
そんなことはありえないことだったのである
津波の被害があったとしても無視されたのである

つまりこの桜田発言と同じだったのである!

復興以上に大事なことは高橋議員だ!

選挙に自民党が勝つことだ!

相馬藩で大事なことは戦(いくさ)に勝つことだ

津波の被害者などにかまっていられない、相馬氏陣営が勝利を治めることだ


何かこうなっていたのである、その時は激しい戦(いくさ)が相馬氏が在地の勢力と争っていたからでありまた伊達氏とも争いが激しかったからである
この戦争とは政治のことなのである
今は選挙なのだが明治以前の戦争は戦争で決まる
政治は平和的に解決しないと戦争で決着してきたのが人間の歴史なのである
選挙というのは戦争と同じなのである、選挙に敗れれば政治生命もなくなるからだ
だから創価公明党でも選挙が最大の戦いであり勝てば仏法の勝利であり負ければ敗北とまでなっている
選挙にそれだけ必死になるのはやはり自民党でもどこの党でも政治が昔の戦争と同じであり選挙に勝つ者が勝利者となり権力を得ることができるからである

だからここで本音がでた、津波の被害の復興より自民党の陣営の立候補が選挙に勝つ方が大事なのだとなったのである
これは別に戦国時代なら普通のことである、相馬藩だけではない、他でも宿敵が津波の被害を受けて弱体化してそれで攻勢に出たとか歴史にあったからだ

まず政治家は民衆のことを第一にしない
自分たちの党派の陣営が選挙に勝ち権力を得ることなのである
選挙ではみんなのために命をかけて戦いますとかいうけどそんなことはただ選挙の時だけだとなる、選挙のためなら頭を下げるし嫌なことでもなんでもする、でもそれは選挙のときだけだと政治家自身が言っている人がいたからである

戦国時代とかなるとそんな嘘は言わない、正直なのである
ただ強い者が勝つのであり民衆のためなど誰も口に出さない、政治とは歴史をふりかえればずっとそうだったのである
民衆のことなど考慮した政治家がいるのかともなる
そして民衆にとってそうして侍でも戦争することは迷惑になる、農民にも被害が及ぶからである、でもそんなことにかまわず侍は戦争をしてきた
権力争いをしてきたのである

つまり政治家というのは今も変わっていない
確かに民主主義になり制度が変わったけど政治家自体は変わっていない
第一の目標は我が党派が選挙に勝つことであり復興のことより津波の被害より大事だったとなる
何か政治というのを歴史でふりかえるというそういうことが多いのではないか?
政治家も変わっていないし人間も変わっていない、同じカルマを繰り返している
会社でも組織集団でも必ず宗教団体でも序列が問題になり熾烈な派閥争いが行われる
それは人間の業(カルマ)であり変わらないのである

それは会社内の政治なのである、確かに表面上は制度は変わっているから殺し合いしない戦争で決着しないにしてもやっていることは同じだとなる
もちろんなかなか400年前とかの時代と比べてもわかりにくいことはわかる
でも何か歴史でも人間には常に共通したものがありそれで歴史でもカルマを繰り返すとなる、人間の業(カルマ)は変わらないからだと見てしまうのである

津波の復興より被害者のことより選挙に勝つことだ!

これが戦国時代なら津波の被害のことより戦争に勝つことだ!

これと同じことになっているのではないかと思った
もちろんここには違和感があることは確かだがそういうことが歴史をふりかえれば繰り返されてきたのが人間だったということは現実にあるからそう思ったのである

posted by 老鶯 at 21:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

桜田議員の「復興以上に大事なのが高橋議員だ」で辞任 (相馬藩の津波被害も戦国時代で伝えられなかった、戦争の方が大事だったから?)


桜田議員の「復興以上に大事なのが高橋議員だ」で辞任

(相馬藩の津波被害も戦国時代で伝えられなかった、戦争の方が大事だったから?)


この発言の意味するものは何なのか?

そのことで政治家というのは変わらないものだとも見た
変なのだけど津波のことで相馬藩の歴史をいろいろ調べた
でも津波のことは相馬藩政記に二行だけ生波(津波)700人溺死としか記されていなかった、それで本当に津波があったのかどうか疑問にまでなった
慶長津波のことは本当にあったのかどうかさえわからない

それはなぜなのか?

相馬藩政記には戦争のことや世継ぎのことなどは事こまく記してある
その時は戦国時代だから戦争のことは詳しく記されている
だから記録することができないというのではなかった、大事なことは記録していたのである、でも肝心の津波の被害については何も記されていないのである

そのことでいろいろい調べても結局わからない
それで学者の人がその時相馬藩が小高の城から中村(今の相馬市)城を移したのは津波の復興のためだったとか言った
そんなことはありえないことだったのである
津波の被害があったとしても無視されたのである

つまりこの桜田発言と同じだったのである!

復興以上に大事なことは高橋議員だ!

選挙に自民党が勝つことだ!

相馬藩で大事なことは戦(いくさ)に勝つことだ

津波の被害者などにかまっていられない、相馬氏陣営が勝利を治めることだ


何かこうなっていたのである、その時は激しい戦(いくさ)が相馬氏が在地の勢力と争っていたからでありまた伊達氏とも争いが激しかったからである
この戦争とは政治のことなのである
今は選挙なのだが明治以前の戦争は戦争で決まる
政治は平和的に解決しないと戦争で決着してきたのが人間の歴史なのである
選挙というのは戦争と同じなのである、選挙に敗れれば政治生命もなくなるからだ
だから創価公明党でも選挙が最大の戦いであり勝てば仏法の勝利であり負ければ敗北とまでなっている
選挙にそれだけ必死になるのはやはり自民党でもどこの党でも政治が昔の戦争と同じであり選挙に勝つ者が勝利者となり権力を得ることができるからである

だからここで本音がでた、津波の被害の復興より自民党の陣営の立候補が選挙に勝つ方が大事なのだとなったのである
これは別に戦国時代なら普通のことである、相馬藩だけではない、他でも宿敵が津波の被害を受けて弱体化してそれで攻勢に出たとか歴史にあったからだ

まず政治家は民衆のことを第一にしない
自分たちの党派の陣営が選挙に勝ち権力を得ることなのである
選挙ではみんなのために命をかけて戦いますとかいうけどそんなことはただ選挙の時だけだとなる、選挙のためなら頭を下げるし嫌なことでもなんでもする、でもそれは選挙のときだけだと政治家自身が言っている人がいたからである

戦国時代とかなるとそんな嘘は言わない、正直なのである
ただ強い者が勝つのであり民衆のためなど誰も口に出さない、政治とは歴史をふりかえればずっとそうだったのである
民衆のことなど考慮した政治家がいるのかともなる
そして民衆にとってそうして侍でも戦争することは迷惑になる、農民にも被害が及ぶからである、でもそんなことにかまわず侍は戦争をしてきた
権力争いをしてきたのである

つまり政治家というのは今も変わっていない
確かに民主主義になり制度が変わったけど政治家自体は変わっていない
第一の目標は我が党派が選挙に勝つことであり復興のことより津波の被害より大事だったとなる
何か政治というのを歴史でふりかえるというそういうことが多いのではないか?
政治家も変わっていないし人間も変わっていない、同じカルマを繰り返している
会社でも組織集団でも必ず宗教団体でも序列が問題になり熾烈な派閥争いが行われる
それは人間の業(カルマ)であり変わらないのである

それは会社内の政治なのである、確かに表面上は制度は変わっているから殺し合いしない戦争で決着しないにしてもやっていることは同じだとなる
もちろんなかなか400年前とかの時代と比べてもわかりにくいことはわかる
でも何か歴史でも人間には常に共通したものがありそれで歴史でもカルマを繰り返すとなる、人間の業(カルマ)は変わらないからだと見てしまうのである

津波の復興より被害者のことより選挙に勝つことだ!

これが戦国時代なら津波の被害のことより戦争に勝つことだ!

これと同じことになっているのではないかと思った
もちろんここには違和感があることは確かだがそういうことが歴史をふりかえれば繰り返されてきたのが人間だったということは現実にあるからそう思ったのである

posted by 老鶯 at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2019年04月14日

芽吹き( 近間を回る)

  
 芽吹き( 近間を回る)
  
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写真と水彩にアレンジしたものである

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これは暗い所で撮ったから相馬焼がうまく映っていない
生け花で壺と花は一体である
だから壺が大事になる
ここでは相馬焼が活きていたとなる
ここは常磐高速のSAである
あそこは人の出入りが多く時々催し物があるから花でも飾る
鹿島駅の方は人の出入りがないから何も飾らないのである



この道やスミレにそえて小さき花

光満ちしょじょうばかまに蕗の薹                            
                        
浜通り桜に東風の吹きそよぐ                        

今しばし散るを惜しみて花の影

ぽっかりと春の雲浮き国見山

百輪の椿に桜光満つ

坂越えて視界新たや芽吹くかな

磐を打つ流れひびきて芽吹きかな

我が走る流れ早しも燕飛ぶ

若草に燕の飛びて流れかな 

相馬焼紅梅さして迎えけり


咲き満ちる花に夕日のさしにつつその栄しも短きものかな

栃窪に蔵ある家の古りにしや枝垂桜に夕暮れにけり  

昨日も近くを新しい電動自転車で回った、これは何度も言うが平均時速20キロは出る
そして走りが軽いのである、走りそのものが違っているのである
だから楽に走れるとなり遠くまで行ける
バイクとまではいかないにしろそれと似た感じになる
ス―ピド感覚が違っている、それで行動する範囲が広がったのである
道を悪い所も行けるのも強みである

この俳句には実はこのヤマハのJPY-XCに乗って生まれたともなる
水のように早く流れ燕のように軽快に早く飛ぶ
その感覚がこの一連の俳句にでている

坂を上ると新しい視界が開ける、今は芽吹きと桜の咲く季節である
ただ桜は夕日がさし映えているときすでに散ることを予感する
不思議なのは山桜は散っていた、たいがい街の麓の染井吉野が咲いた後に山桜が咲くが
すでに散っているのはなぜだろうか?
これもわからないことであり残念だった

とにかく今は一番でかけるのにはいい、5月になると日ざしが強くなり去年は熱中症になったことがあるからだ、今年はまだ去年より暑くはなっていない
なぜ今これほど出かけようとしているとかとなると去年は暑かった
6月になると梅雨になり出かけられない、次に7月8月は日ざしが強く出れなくなる
日ざしを自転車はまともに受けるからである
日ざしに体が弱くなったからである
すると今の季節が出かけるのにはいいとなり新しい自転車で遠出するとなったのである




間違ってホテルを教えた (北海道から来てレストパルに泊まった人)



間違ってホテルを教えた

(北海道から来てレストパルに泊まった人)

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今日駅にいたのは消防署の人だった、そこでおりてきた乗客がキップを消防の制服を着ていたので渡そうとした              
その制服が確かに駅員に見えたのである
わからない人はやはり制服で判断する
キップの入れる場所は入り口にあるがそれに気づかない人が多い

そして今日は大失敗だった

レストパルに泊まるという人を案内したのがてっきり小池にあるコモドインのホテルだと思った、ここからホテルだとそれしかないからである
それでそのことを案内して失敗した

レストパルは六号線の金沢にある、そこは大きな食堂があるということでは同じだった
そこは結構立派なホテルだった
いつも通っている所で知っていたが名前を注意して見ていなかったのである
人間はつくづく灯台下暗しである
名前に注意していないのはそこを見ていてもホテルとして利用しないからである
あそこでは食事したこともあるが名前に注意していなかった
それが小池の方のホテルだと思ったのである

つまり地元の人でもこうして知らないことがあり道を教える場合でも勘違いして教えることが良くる、だからスマホとかの方が間違わないことがある
それは私自身が旅して良く経験している
地元の人でも道を丁寧に教える人はいない、適当にあっちだこっちだとか言うだけなのが多いからである
そもそも地理は事前に知っている人でないとわからない、それで相馬藩内でも道とか聞くときもともとある程度知っているからわかるのである

その人は北海道の登別からきた、室蘭だとも言っていた、登別と室蘭は一緒だとも言っていた、そこは行ったことがあるが室蘭と登別の地理はわからなくなっていた
伊達紋別駅ののことをしきりに言っていた

それは伊達市のことであり伊達市は今の亘理から出た伊達藩の侍だと教えた
何か苫小牧から近かかった、それも頭の中でわからなくなっていた
これも地図をみればわかるが頭の中だけではわからなくなる
だからこそスマホで地図を見るのは人の案内より確かなのでいつでも見ているのである
ただそれだけでは案内はできない、人に聞く必要もあるがこれも今回のように地元の人でもあいまいにいい加減に教える人が多いのである

とにかく今回の案内は失敗だった、最近コモドイの食堂にはずっと言っていない
それで鹿島に来てホテルに行くとなるとコモドインだとばかり思っていたのである
レストパルは案内したことがないからである
つまり案内でも常に専門的に案内していればそこで調べたりして正確に案内できる
普通の人は案内人ではないのだから適当になってしまうのである
これは案内する人も気をつけねばならない
タクシーがきて別な方向に行ったので間違ったことに気づいたのである
大きな食堂があるということは同じだったがそれ以外の案内は間違っていた
駅の案内ではホテルのことは良く聞かれるから知っている必要がある
それも意外とわからないことがあるのだ

abstract painting (spring forest)


abstract painting (spring forest)

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forest in the morning 

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north forest

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go into the mountains



森が一番定型的に作り安い、ただこれも数が多くなると重なることがある
でもなにかみんな同じではない、違っている
それがAIの創作だとなる、一つのソフトウェアの機能から大量に作り出す
人間にはこんなに大量のものを作ることができないからだ


Forests are the most routinely made, but sometimes they overlap as the number increases
But not everyone is the same, they are different
It will be the creation of AI, create a lot from the functions of one software
It is because human beings can not make so many things
タグ:spring forest

2019年04月15日

小田急で学生が駅員のアルバイト (学生も仕送りがたりず苦しむ時代)


小田急で学生が駅員のアルバイト

(学生も仕送りがたりず苦しむ時代)

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 駅員でもバイトにしているのは金がかかるからである
小田急というとき大学で通って利用していた
だからなじみがある

ここで人身事故があると大学に行けなくなるというのはそこで時間がとられるからなのかよく人身事故ではないが信号機の故障で遅れることは経験している
人身事故もあったから経験している

そもそも何か駅で無人駅でも事故があったら誰が責任がとるのか?

今高校生の見守り役がいるけど駅の業務はしないとしている
朝はいても昼間はいない、自動化した無人駅とかでは誰が責任をとるのか?
これもわからない、日立木駅で待合室の一部が壊された
普通はあそこまでやることはない、鹿島駅だとトイレに落書きされたが日立木駅の被害は駅を壊されたのだからひどい
それはあそこが乗り降りが二三人なのか本当に少ないからである
そして駅前には店もなにもなく見ている人もいないからである
もちろん夜にしたとしてもあそこまでやるのは気がひけるからだ

いづれにしろ人件費を減らすのと今学生の仕送りが8万とかなり苦しい、親の給料があがらないのと学費とか家賃とか生活費は上がっているからだ
学費でも相当に上がっている、私立でも上がっている
安いアパートもなくなっている、だから学生はみんなバイトをしている
そしてバイト中心の生活になり勉強もできないとなる
文系だともともと勉強していない人が多かったからそれも社会勉強なのかともなる
それなら文系はたいして役にたたないから大学に行っても無駄だとなる

40代でもリストラが話題になっているのは人件費が負担になるからである
駅の無人化でもそうである、鹿島駅とかで高校生の見守りは南相馬市で金を出している
相馬市の人も来ていたが南相馬市で金を払っているのである
だから駅の業務をしないのだからJRでは金を出さなくてすんでいる
それがそうした取り決めをした理由である
駅の業務を委託すればJRで金を払う必要が出てくるからだ

駅の無人化と社会で自動化がすすむのは人件費節約のためである
40代のリストラでもそうである
駅にかかわりそこが社会とかかわることだとも思った
案内で間違ってホテルを教えたことでもそうだった
案内でも仕事ととしていれば間違って教えたら大きな問題となる
なぜならもし案内所で間違って教えたら客が困るからである
それで学生が駅員としてアルバイトしてもそこで社会を学ぶことはある
むしろ学校では文系の場合遊んでいるだけだとなるからだ
自分の場合社会経験が足りないから仕事しなかったから結局そこで問題が起きたのである


強風で大幅遅れ (新幹線で帰る人があせって車で原町駅に行く)


強風で大幅遅れ

(新幹線で帰る人があせって車で原町駅に行く)

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今日は強風で遅れた、一時間遅れで電車が二つは出た
その後さらに遅れた、とにかく風が強いから遅れる

そこに来たのが新幹線で帰るという人だった
その人は相当に困っていた、それでインターホンで連絡した
浜吉田で何か飛んできて障害になり遅れたとアナウンスがあった

そしてその人は電車は日立木を出たと私に言ったが電子掲示板には電車が走るマークがでていないのである
それは新地に来ればでるのである、だからもう一回私がインターホンで聞いた
すると山下に来ているという、ただ風で規定があり止まると言っていた

それで山下まで来れば鹿島駅まで来て原町駅で折り返しになるから行けると言った
それでなにやかにやとあった、四人くらいで来ていたのである
ただ新幹線に乗るのは一人だったかもしれない
その人は困った様子だったからである
それで他の人が車で原町駅に行った方がいいとなり原町駅にその人を車に乗せて行った
原町駅だと直接駅員にも聞けると言ったり売店があると教えたからだ

そこにいた高校生の見守り役は何も教えない
なぜなら私は駅の業務をしない、責任を問われるからしないとそう言ったからである
これもおかしいと思う、そこで困っていたら別に教えても問題はない
ただ昨日はホテルを間違って自分が教えた
そういうことがあり責任が問われることがある
でもそもそもJRで教えない、みんな自動化しているからそれで間に合わせろとなっている、それも無責任だと思う
みんな自動化しているから教えなくてもいいとなっているのも変なのである

その時しきりに原町駅だと駅員に直接聞けるからいいとなり原町駅に行ったからである
その人は新幹線で遠くに帰るからあせっていたからだ
風の時は必ずこういうことがあり混乱する
二人は地元の人だったからあわてない、でも遠くから来る人はあわてる
前はタクシーで原町駅まで行った
それからバスが直通のが仙台に出ている、風でも出ている教えた
それは原町駅に行けばわかると教えた

この風の時はやはり遠くから来た人は困る、帰れなくなるということもある
そして鹿島駅にはバスの停留所の案内の紙は貼ってあるが時間がでていない
午後に一回二時ころのが出ている、その時間を出していない
時間を書いておけと言っても書いておかない
前は私がその時刻を書いて張っていたがルールで置かないと取り除かれた
これもおかしなことなのである
ではバスの時間を書いておけばいいのだが書いていないのである

ただ私一人だけではなく何人かJRに訴えればJRではそれに答えるのである
仙台行きと原町行が外から来た人がわからないと言ったら表示してくれたからである
ただ鉄道を利用する人が少ないから関心がないのである

ともかくこれだけ風が強いとルールで泊まるからまた電子掲示板でも時間がさらに遅れるそれで電子掲示板も変わるからそれだけではなくインターホンで聞いてみる必要があるのだ、ただ日立木駅まで来ていたというのは間違っていた
聞き違えたのである、それで私が聞いたら山下駅まで来ているが風で止まることがあり時間的にまだ遅れかもしれないと言ったのである

それで四人ほどで来た人は車を運転して原町駅に行ったのである

タグ:強風で遅れ