2019年03月16日

春の日に多珂神社近辺をたずねる


春の日に多珂神社近辺をたずねる


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多珂神社

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紅梅の朝に匂いて鳥の来ぬ近くに椿赤く映えにき

日々ここを通りて匂う梅の花さらに匂いのましにけるかな

参道の苔むし静か春日さし狛犬久しく守りいぬかも

綿津見の神社のありて海望む春の日さしぬ丘の上を行く

羊歯生えてここに根ずきぬ古木かな南方の木なり春の日さしぬ

隠されて古き墓あり林中今日我たずね春の日暮れぬ

木の切られその根の残るこの家の古きにあれや椿の散りぬ


多珂神社の近くに綿津見神社がある、とにかくこの辺では綿津見神社がなぜこれほど多いのかというのが謎なのである
多珂神社は近江にある多賀神社由来だというのはわかる
綿津見神社は安曇氏の神だとしても安曇氏という名前も聞かないから不可解なのである

綿津見神社となれば海に望む場がふさわしい、でも飯館村にも綿津見神社はある
海から山へと移動している、神社とは移動するのである
例えば山の神社が海の方にも移動する、山津見という地名が松川浦にあるからだ

いづれにしろスダシイの森があったがそれも南限の地として南方系の木がここに繁茂していた、それは車輪梅が南限の地として海老村に自生していたことでもこの辺が気候的に南方系の植物が自生する限界の地だったのである
それで真野の草原(かやはら)はそうした境界線として奈良の都の人たちに意識された場所だったのである
                 
何かこの辺では放射能汚染の関係で木が切られている、それも大きな木が切られている
家の周りの木が切られている、何かそれも残念に思う
屋敷林ある家は古いからである 

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この説明の碑は何なのだろうか?こうなると記念碑である
看護婦になった動機がここに記されている
墓とは記念碑なのか?そもそも墓が何なのかわからないことがあるのだ
記念碑となればこうして記しておく、でも記念碑として残されるのは何か特別にその土地でもどこでも功績のあった人であり普通の人はこうして記念碑を建てない
そもそも墓が記念碑なのかとなるとこれもわからないからだ
記念碑となれば記念碑だらけになってしまうからだ
そもそも墓参りするのはその家のものとかその家系に連なるものである
一般の人は他人の墓参りなどしない、私が墓を見るのはそれは土地の歴史を知るためである、ここが江戸時代からあったのかと知るためなのである