2019年03月14日

南相馬市の古代史(高村にある多珂神社の由来の謎)



南相馬市の古代史(高村にある多珂神社の由来の謎)


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益田神社もありこれは一体なのである
つまり地名もこうして移住した人たちが名付けたものであることを証明している



高神社 
京都府綴喜郡井手町多賀天王山1

元明天皇の和銅4年(西暦711年)東村宮として多賀明神社が字川辺に建立され、次いで神亀2年(西暦725年)字西畑に久保村宮が、神亀3年(西暦726年)字綾の木に谷村宮が、それぞれ建立されました。聖武天皇の天平3年(西暦731年)勅願により高御産日神の名より「高」の字を採って「多賀神社」を「高神社」に「多賀村」を「高村」と名称が変更されました

島根県益田市にある。
益田駅の東2Kmほどの染羽町鎮座。
益田川の北側、高校のグラウンドの横が参道。

北西に延びる参道の途中に鳥居が建ち、
鳥居の脇には、「式内 縣社 染羽天石勝神社」と刻まれた社号標。
参道の灯籠には、「瀧蔵大権現」と刻まれている。

式内社である石勝神社は御朱印地を持った神社として
有名で、祭神は天石勝命である。社伝によると神亀二年
(七二五)に創建され、瀧蔵権現と称して、承平元年(
九三一)には別当寺勝達寺を建立し、中世には益田氏の
庇護を受けて発展した

社伝によると、聖武天皇神亀二年の創建。
上古、大和よりこの地に移住してきた春日族が
その祖神を祀ったものであるという。

染羽国造 Simefa   標葉郡  福島県双葉郡浪江町苅宿     標葉神社、標葉郷

染羽成務阿岐国造同祖10世孫足彦命(たらしひこのみこと)
陸奥標葉.志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に阿岐国造の先祖の十世の孫の足彦命を国造に定められた

浮田成務崇神の五世孫賀我別王(かがわけのおおきみ)

陸奥宇田志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に瑞籬の帝(崇神天皇)の五世の孫の賀我別王を国造に定められた。

信夫成務阿岐国造同祖久志伊麻命孫久麻直陸奥国信夫郡

福島市志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に阿岐国造の同祖の久志伊麻命(くしいまのみこと)の孫の久麻直(くまのあたい)を国造に定められた。

 標葉が染羽を由来とし、志波(しは)と訓読みする。
続日本紀に標葉と記し、先代旧事本紀では、成務天皇(13代)阿岐(安岐)
国造の飽速玉男命(あきはや)を10世紀足彦命を国造に定めたと。
信夫国と同系、後に石城国となる。

広島は、阿岐(安岐)とよばれ宮島がある所。
厳島神社より格が上だったという!
ということで、標葉の祖は、鹿児島〜愛媛〜広島の水軍=海賊だったかもしれない

大和の蝦夷地へ政権として五国を治めていたのは、
阿尺国、思(太)国、伊久国、染羽国、信夫国。
これが鉄であり、九州から鉄を求めて開拓をした。

染羽の地を開いた春日族が、石神(いわがみ)として祀ったそうで、
やはり春日神なのだ。
春日神とは、藤原氏(中臣氏)の守護神である武甕槌命(鹿島神宮)と経津主命(香取神宮)、
祖神である天児屋根命と比売神を祀る。四神をもって春日神と総称される。

秩父・仙台まほろばの道

インタ−ネットで調べたら詳しい
春日族には真野氏と小野氏が入っている

これらを総合的に連携している、この一帯にかかわった氏族がどういう人たちだったのかわかる

志賀高穴穂の帝(成務天皇)というのが染羽=標葉(しめは)にかかわっている
浮田国造とは南相馬市鹿島区にある

真野氏とかの製鉄族が渡来人とともに入ってきた、真野氏自体が渡来人ともされるからだそれから日本の国造には最初出雲が大きな勢力としてありその出雲の正体は蝦夷だったということもある、だから出雲がある島根県とか鳥取県が深く関係している
それで末続とか常磐線にある駅名は出雲大社とか島根県と関係していた
ともかくなんらかの技術者が製鉄関係でこの地にやってきて神社を建てた   

南相馬市小高区の奈良、平安時代の「横大道よこだいどう製鉄遺跡」(国史跡)にあった製鉄炉を復元し、当時の製法で鉄を作る実験が、考古学研究者らによって福島市で進んでいる。年内には、その鉄を使って刀鍛冶、藤安正博さん(67)(福島市)が古刀を再現する計画だ。

行方郡多珂郷(福島県)を今の高平にしているけど地理的に合わない
多珂神社があるところは磐城大田の地域なのである
高平は離れているのである、だからそれは間違いである
この多珂神社は海が見えるとしても高い丘にあるからだ
この近辺が多珂郷なのである

次回は綿津見神社がなぜ南相馬市に多いのか?(安曇族の謎)

posted by 老鶯 at 11:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)