2019年03月08日

梅匂う日々(災いないことが幸せ)


梅匂う日々(災いないことが幸せ)


日を重ね濃厚に梅の匂うかな今日も通りて夕ぐるるかも

馥郁と梅の匂いて山鳩の今日も来たりて事のなきかも

山里に老梅匂い家古りぬ昔の暮らしここにありなむ

春日さす姉母死しても我が家かな災いなくもここに暮らさむ

事もなく石にありなむ春日さし老いにし日々をここに過ごさむ
                                            

結局人間は災いがないことが平和だったのである
とにかく一身上でも津波原発事故でもこれほどの災いはなかった
もう本当に消耗したとなる、気力もなくなる
まず人間の一生で災いがないなどありえないのだ
だから火宅の世なのである
だから何も事がないことが平和なのであり何か退屈だなというときその時は平和な時なのである
現実は何か必ず災いがありそれにみんな苦しんでいるのである

だからいろいろあっても江戸時代が戦争がなくなったことで300年平和だったことは奇跡的なことだった、絶えず戦争が世界では起きていたからである
20世紀は戦争の時代だったのである

ともかくこれだけいろいろなことがあればもう何も事件が災いが起きてくれるなとなる
でもこの世から災いがなくなることはない、だから災いがないことこそ平和だとなる
津浪や原発事故が大災害だが常に災いは起きてくる
それはニュースを見ればわかる、災いは絶えることがないのだ

老後は意外と家が大事になる、そこがくつろげる場所として終の住処として重要になる
そうして家族はみんな死んだけど家に住んでいられるから幸いだとなる
だからそうして住み慣れた家を失うことは相当にショックだったのである
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以前として原町行と仙台行きがわからない人がいる (JRの人が4人今日見に来た)

以前として原町行と仙台行きがわからない人がいる

(JRの人が4人今日見に来た)


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こういうふうに書けばわかりやすい

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2とかは二両の電車が止まる位置、4は4両となる



今日駅に四人ほどJRの人が来た
何を見ていたかというと2とか4の番号があるけどあれは二両の電車が止まるとか4両の電車が止まる位置だった、あれは普通はわからない

それから仙台行きと原町行きのホームがわからないので良く聞かれると言った
そのために向かい側に渡る階段の前に原町行と書いたものを入口にかかげたが
それでもわかりにくいのだろう
駅の入り口に1番線と2番線の仙台行きと原町行のことを書いた紙を張ったがそれでもそれがわからないのである
これも意外だった、初めての人はわからない、気付かないのである

だから向かい側の2番線の休憩所のところに大きく「原町行」と書けばわかりやすいと言った、ただJRの人は誰かわからない人が言うことを聞かない
でも原町の駅長は私がそのことを言ったら聞いて階段の所に原町行と書いたものをかかげたのである

何かこういうことでも現場にいないとわからないのである
私自身がそんなこともわからないのかと思った
はじめての人には意外とわからないものなのである

今日は競走馬で引退した馬を見に来る人がいた
それで案内した、その人はその馬主と事前に連絡していたのである
それは右田の建設会社の置き場にあった
それは牧場でないからわかりにくくかったのである
有名な皐月賞をとった引退馬だからぜひ見たいと来たのである
それで私はそこまで案内した

そのことは明日書く、写真をとれなかったから明日写真をとってそのことを書く
案内することは時々ある、ただ不愉快なのは何かわからないと思い説明すると説明されなくてもわかっているとか怒る人すらいる
それは地元の人だった、だから何か教えたくてもむずかしいところがある
相手が聞いてきたと聞きならいいが自分が何か案内する人となっていないからから聞くこともしないともなる
その辺は何か身分がない認められないボランティアはやりにくいのである

でもNPOの高校生の見守り役は何の役にもたっていないといつも見ている自転車屋の人は言っている
第一駅の案内を運行でもなんでも鉄道に関してはしないと契約を交わししているからだ
それは市とJRで決めてそうなったのである
でもどこから見ても駅員に見えるのである
だからそういうことを聞かれて案内しても別にいいのである
でもJRでは責任をとらされることを恐れるから嫌がるからそうしている

なにかこれもおかしいのである、無人駅で責任をとらされるとしたらその他にもある
子供が入ってきたり何か無人駅で危険なこともある
では何かあったら誰が責任をとるのかともなる
無人駅だから責任は乗客にすべてあるとなるのか?
ここにも無人駅の問題があるがJRではそんなことかまわないのである

この見守り役にしてもそこで何をしているのかというと小さな携帯のテレビを見ているだけなのである、あとはなにもする必要ない、ただ高校生は通り過ぎてゆくだけだからである
それで市で金を出すというのも何かおかしいとなる
ただ個人的なボランティアは一切何か認められないのである
ただ怪しいとか警察に通報されたりJRでは嫌がられるだけなのである
前の自転車屋は四六時中を駅を見ている
でも一切JRの人は来ていない、自転車屋は案内所みたくなることがある
聞く人がいないからそこに聞きにゆくことがあるからだ
でもJRでは一切関係しないのである
JRは何か無人駅にすればすべて事がすむとしているからだ

ただでは乗客でも問題がある、みんな利用しないから駅に鉄道に関心がない
もし多くの人が利用すれば関心を持ち無人駅ではだめだとかなる
でも関心がないから無人駅でいいとなる、そして無人駅でもわかっているから説明もいらないとなる
それでも盲人団体の人たちは東京で事故があり死んだとかあり無人駅にするなと抗議しているのだ、それは団体だからできたのである

ここでも毎日盲人の人が按摩で通っている、それで私は案内したりする
その人を毎日自転車屋の人は見ているのである
誰が来ているから毎日見ているのである、それは四六時中駅のじき前であり見えるからである、だから自転車屋が案内所に向いている
そこにはいつも人がいるからである
それで今日も自転車屋の人と話したのである

でも不思議なのはヨ−ロッパでは駅があってもホームに出入り自由である
無人駅とにている、自転車でもそのまま入ってのせられる車両がある
だから自由である、でも何かあったら自己責任になっているのだろう
私はわからないのでホームにある検札を入れる場所が機械があるのにしないで怒られた
それをしないと相当な罰金になっている
そういうことは無人駅と同じになっているのかもしれない
ヨ−ロッパでは日本の駅でも他でも自己責任になりやすいのである
そこで事故が起きてもそれは乗客が悪いとなるからそうなっている
日本がでは会社の責任になりやすいからうるさいとなる
責任をとりたくないからそうなることはわかる

競走馬の引退馬を仙台から見に来た人 (ノーリーズンが北右田で飼われていた)


競走馬の引退馬を仙台から見に来た人

(ノーリーズンが北右田で飼われていた)

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この引退馬が見れる


繋養展示場所〒979-2313 福島県南相馬市鹿島区北右田字大橋39〜1
鹿頭ステーブルTEL090-2606-9589
展示時間10時00分〜15時00分連絡予約3日前まで見学方法希望により案内あり厩舎内への立ち入り可

父: ブライアンズタイム
母: アンブロジン
品種: サラブレッド
性別: 雄(セン)
毛色: 鹿毛
生年月日:1999年06月04日
母馬所有者: ノースヒルズマネジメント
生産牧場: ノースヒルズマネジメント
産地: 北海道新冠郡新冠町
重賞競走
'02 皐月賞 G1



最初何かわからなかった、駅で案内板を見ていたので引退馬を見に行くと言うので案内した、そんなところに今牧場があるのを見ていない
前は北右田に牧場があったのを見ている、そこは津波で家もろとも流されてなにもなかったからだ

その馬がいたのは建設会社の置き場であり野球場の近くだった
だから普通はわからない、見えないからだ
ただ郵送用の車が置いてあるのでそうなのかとは思った

小屋となり一頭一頭がしきられた狭い部屋で飼われている
そこに確かにノーリーズンという馬がいた
案内の人がわざわざ車で来たからである
なぜわざわざ手間かけて案内したのか?
それはインタ−ネットに案内すると広告していたからである
事前に連絡していたからそれができた
だから無理を言ったわけではなかったのである

この馬は皐月賞をとっているのだから凄い馬だったとなる
でもそれは2002年である十六年もすぎているのである
もう老馬なのである、競走馬として活躍できるのは二歳から6歳くらいと短い
それは人間でも青春が短いと同じである、盛りは生物では短い
でもオス馬の場合は種馬として利用価値がある
なぜなら馬は血統できまる、世界的にもそうである
これは日本で育てられたのではない、アメリカで育てられた馬だからである
それでノーリーズンとつけられた、
ではノーリーズンの意味は何なのか?理由なしという名は何を意味しているのか?
外国産は英語名とかになり日本産は日本名とかになる

もう一頭外国産アメリカ産の馬が飼われていた
それも賞をとった馬である
競走馬は賞をとった馬は相当に価値がある、それは引退馬になっても価値があり馬好きの人はこうして見にくるのである
その仙台から来た学生はしげしげとその馬の頭をなで一時間以上見ていた
よほど馬が好きなのである、こんな人もいるのかと思った
年取ったからおとなしいのかと見たら暴れるから去勢したとか馬主が言っていた
狭いところで暴れて仕切りの板を壊してもいる
だから馬でも牧場で運動させないとまずいと見た
ただ牧場となると広い所が必要だからほとんどの競走馬は北海道で飼われているのである北海道はあれだけ広いから牧場に一番向いているのである

そもそも馬はモンゴルのような平原に向いている
今でも馬は羊を追うとかで使われている、私は競馬には興味がないが草原を走る馬には魅了される、
野生の馬はもともと草原を走っていた
草原を疾走する馬は見ているだけで気持ちいいとなる
競走馬が走るにしても狭い場所であり活きてこないのである
ただ私は競馬で一度も実物を見ていない
野馬追いでは競馬を見たがやはり迫力がある、あれでも相当に早いから実際に見たら相当に早いとなる
ただモンゴルの馬は小型なのである、足がつくくらいである
なぜあんな小型の馬でジンギスーパーハーンの大帝国ができたのか不思議だともなる
自分もその馬に乗れたからだ、高くないから初めてでも乗れたのである

いづれにしろ引退馬を見に来る人はいるし引退馬を生かすための応援する団体もある
特に賞をとった馬はやはりみんな馬好きだからその後も忘れずに見にくる
その人は何度もしげしげと見ていたのである
では学生で競馬に行っていたのかともなる
何かその辺が理解できなかった

引退馬を生かしておきたいというときやはり馬に愛情をもっている、殺すにしのびないとなってそうなっている、やはり馬は生き物だからそうなっている
生き物相手だと動物でも人間のように見ることがある
例えば猫でもそうなのである
私の家の庭をびっこの猫が通る、それをみているとあわれだなと見る
びっこでも良く生きているなと見る、懸命にビッコでも生きようとしているのである
動物でも何か人間に見える時がある
でも動物には情がない、そのビッコ猫を襲う猫がいたからである
縄張りのためにそうなっている、動物には同情がないのである

馬でも馬と結婚したとか伝説があるのはそれは曲がり屋で昔馬とともに暮らしていたからである、馬がなじみがなくなったのは日常の生活で関わらていからである
馬を見るのは競馬とかこの辺では野馬追いだけだからである
野馬追いはそうして馬がいた時代を思い出す祭りでもあるのだ
馬にふれる機会がなくなっているからだ
だからこの辺では小さな牧場があり馬を野馬追いのために飼っている
だから馬をみかける、それで少女が馬の頭をなでるのを見ていたことがある
つまり馬と親しむ機会がこの辺ではまだ残っているのである

ともかく引退馬とインタ−ネットで検索するといろいろでてくる
それだけ引退馬に実は関心がある人がいるとはいうことである
野馬追いがあるからこの辺では馬に関心をもつ、でも馬とは実用になっていないから何かわからなくなっている
あそこの六頭の馬は他の土地から来た人たちが共同で飼っているのかもしれない
それは小高とか浪江とかの人たちが場所がなくてあそこで飼うようになったのかもしれない、鹿頭となるとこの辺の姓にはないと思うからだ
この辺では外から入ってきている人が多いからだ
ただ牧場をもつとなるとなかなか土地がないということはある
それで共同で飼う場所を持ったのかもしれない

なんらか馬に詳しくなるのはこの辺では野馬追いがあるからそうなる
でも現実今は馬を知ろとしたら競走馬しかないのである
たいだい馬を知っているのは興味あるのは競走馬のことだからである
野馬追いではその引退馬とか活かせる場所である
たいだい競走馬を使っているからである、他では利用価値がないから活かせないとなるからだ

posted by 天華 at 21:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2019年03月09日

原発事故で問われたもの? (空気と水と土が汚染された生きていけない!)


原発事故で問われたもの?

(空気と水と土が汚染された生きていけない!)

原発事故ではいろいろなことが問われた
その中で何が一番問題だったのか?
それは空気と水と土が汚染されたことである
そういうものを大事だと普通は意識しない
ただ水は大事だと意識していた
空気と土は意識しない
空気という時、酸素だとか水素だとか二酸化炭素だか元素がいろいろある
そういう元素が地球からなくなったら植物も動物も生きられないのである
ただ空気を意識することは普通はできない
でもその意識できないものが一番生きるために大事だったのである

空気と水と土が汚染されたら生きていけない
水というとき塩水も入る、海は塩水でありそこで生物が生存できる
他にも確かにいろいろ必要なものがある
でも基本的に空気と水と土が汚染されたら生物はもう生きていけないのである
それは普通は意識しない、それを原発事故で意識させられた

つまりもうもうこれらが汚染されたら空気も吸いなくなったら生きられないからだ
住むこともできないからだ、他はなくても生きられる
例えば石油がなくても車がなくても鉄道すらなくても生きられる
他にもいろいろなものがあるけど生きられるし住むことはできる
それは江戸時代までそうして生きてきたからである
つまり江戸時代は極端化すれば空気と水と土があって生きていた社会だとなるからだ
その他の物がなくても生きることはできるしその土地に住むことはできたのである

でもこの三つが汚染されたときもう人間は生物でも生きていけないからその土地に住むこともできなくなる、そのように深刻なものを原発事故で自覚させられたのである
人間は現代は贅沢をする、電気がなくてはならないとか石油がなくてはならないとか
車がなくては生活できないとか言うがそれは別になくても生きられない、その土地に住めなくなるということではない、現実に江戸時代はそこで生きて生活していたという事実があるからだ、今になるとパそんな生活できないというけど現実に生きて住んでいたのである、エネルギーは炭だったとか薪だったとかなる
それも木があるから木が土があって育つからできた
その木すら使いなくなった、なぜなら木を燃やすと放射性物質が出てきて放射線が出るからである、木すら使いなくなったのである
その深刻さはもう生きられない、住めないということだったのである

でもここまでの被害になることに気づかなかった
今でも原発がある所はそんなに深刻に考えていない
原発がありもうそれで生活が成り立っているから原発をなくすことは死ぬことだ、生活できない、ここでは生きられないと逆に考えているのである
この辺でもそうなったからである
そこに原発がどういうものか深刻に考えていないのである

原発とともに核というものがどういうものかも考えていない
それを使ったらどうなるのか?人類が滅びるものでありどれほど危険なものか自覚していない、それを自覚するのは核で人類で滅びてからだとなる
「猿の惑星」になってからだともなる
原発事故でもそうだがそうなってみないと人間は意識しないのである、自覚しないのである

石油がなくなったらもう終わりだ生きられないとか車がなくなったら生きられないとか電気がなくなったらもう終わりだ、生きられないとかまでならない
なぜなら江戸時代を見ればわかる電気がなくても生きていたからである
それは戦後でも葛尾村などは電気がなかったのである
ネパールでも山の村では電気が通じていないのである
だから生きるということなら電気がなくても生きてきたし住んできた、電気を利用するようになったのはここ百年もみたないのである

原発事故はこうして最悪の結果をもたらしたのである
それを他の原発ある所ではここと同じように自覚していないのである
事故など起きないとしているからだ
でもその危険はあまりにも大きすぎたのである
人間は生きられない、その土地に住めないということほど最悪なことはないからである
ただそれはそうなってみないと意識しないし自覚できないのである

原発は別になくてもそれで本当に困るということはないのである
電気だってなくなることもないのである
なぜ原発があるのかやめられないのかは別な問題としてある
それは政治的軍事的問題とかアメリカの命令だとかありできないのである
核爆弾を製造するもののために備えているとかもある
原発はなくなっても電気がなくなることはないのである

田りここまで深刻に人間は考えない、でも本当にここまで原発事故は考えさせるものとして具体的な被害として現れたのである
ただ人間はこうして被害者にならないとその痛みとか自覚できないのである
戦争を経験しなければその痛みはわからないと同じなのである
そうなると戦争だって軽く考えてしまいまた戦争になる
核戦争が現実化するかもしれないのに核競争をしているというのもそうである
でも核そのものが人類を滅ぼすという恐ろしいものだということを自覚しない
いくら安全だといっても人間に完全なことはないからどうしても事故は起きる
核兵器だって使用することもありえるのだ
だからそもそも核を廃棄する使わないというのが一番いいのだがそれができないのであるそれで遂に人類が核で滅亡するという未来がすでに廃棄できないということで見えてくるのである

いづれにしろ日本でも原爆が唯一落とされた国なのに原発をやめられないというのは何なのだろうと思う、日本人が一番自覚するべきものだった
原発は平和利用だからいいというものではなかったのである
核そのものが非常に危険なものだったのである、そういうことがヒロシマの原爆被害者にもなかったことが問題だったのである
平和利用ならいいとなるものではなかったのである
こんなものを発明した科学者も悪魔的だったとなるのである
科学とか技術には怖いものがある、それを自覚していなかったともなる
科学技術がなんでもいいものとしては作用しないのである
つまり遺伝子組み換えとかでも何が起きてくるかわからないということである
核を発明した人でもそれは予測できなかったからである

原発事故から8年過ぎたけど以前として浪江とか双葉とか大熊とか復興していない
浪江では千人とか小中学生がいて五六人くらいしか帰っていないというのもショックである、もうほとんど若い世代は帰ってこないのである
そういう街を復興させることは本当に容易ではない
それはやはり空気と水と土が汚染されたことで住めなくなったことが最大の問題だったのである、空気は吸わざるをえないし水も飲まざるを得ないし土を利用しないでは生きていけないからそうなったのである


浪江町民登録の小中学生約1200人の1%に満たないが、
ふるさとの学舎(まなびや)での学校生活に期待を膨らませた。

これも少ないすぎる、何か絶望的になる



posted by 天華 at 08:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

春の日に大倉―佐須ー霊山―玉野の道

  
春の日に大倉―佐須ー霊山―玉野の道 

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大倉

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枝が折れた木
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これはアカタテハなのだろう

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樅の木の若木

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蛇のようにからまる蔦と樅

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佐須の峠より吾妻連峰―クリック拡大



霊山から見える残雪の吾妻連峰


初蝶や樅の若木の育つらむ

初蝶の崖に動かぬ一羽かな

初蝶を山の奥所に二羽見たり

猫柳山の家一軒残りけり   

東風吹くや相馬市に向かい山下りぬ

滝一つ山にひびくや芽吹きかな

山下る春田に流れひびくかな   

三本の松の残りて春の暮


さえづりの山にひびきて渓流にそいて上るや残る雪かな

山の奥去年の落葉を踏みにつつ樅の二本春日さすかな 

山の奥去年の落葉を踏みにつつ樅の若木のここに育つらむ

瑞々し若木生い立ちさえづりの高鳴りひびき山を登りぬ

痛々し枝おれし木や山の奥春の日のさしてやわらぎにけむ 

蕗の薹はやいでにけり飯館の山の奥所や沢のひびきぬ

春日さす道そ遠くも来たりけりなお住む人の家しありなむ  

ここにありし家はなきしも春日さし何をしのばむ飯館村に

残雪の吾妻嶺望む我が越えし佐須の峠や伊達に入るかな

残雪の吾妻嶺光る霊山を我が登りてさえづりひびく

霊山の高きにさえづりひびくかな吾妻嶺望み残雪光る 

(山津見神社)

岩にふれよじりのぼりぬ隠されし社の一つ春日さすかな

隠されし社一つやよじのぼる岩場の道去年の落葉踏みて下りぬ

玉野村昔の道に古き家去年の落葉踏み春の日通りぬ 

サイクル者走り来たりぬ春の日や若き等の命燃えにけるかな 

月光りなお我家のありにしや夜梅におい帰り来たりぬ  


大倉から佐須へ霊山と最近買った自転車で行った
失敗は8万で買った一眼レフのカメラを落としてだめにした、直すと3万以上かかるので買えなくなった
新しいのを買った方がいいからだ、今度の自転車の弱点は荷物をのせられないことだったのである
もう一つの一万のカメラもこわれた、これはいいとして8万だとかなり損だった
そのカメラはほとんど使っていなかったからだ、何か高く買ってもロードでも使えなかった
カメラは落とすと使えなくなる
自転車が動くから落としやすいのである

大倉には家が残っているからそこで猫柳が映えている、家がなくなると何か映えないのである
そこは自然に帰るというものでもない、荒地化するのである
大倉とか佐須には家は何軒か残っているのである                      

前に詩にした日本の樅の木はここだったと思ったがはっきりしない、こんなふうに見えなかった
その時秋だった、何かそうして実景でも心の中で見ることがあるから実際は違っていることもある
樅の木が新しく水々しい葉で育っていた、何かそれが新鮮だった
つまりこれもここに新しく育つ命であり人間に見えるからである
人間が住んでいればどこでも人間化するのである
そこが原生の自然とは違っているのだ
だから人間が住まなくなるとそこが一段と淋しくなるのである

佐須の峠を越えると残雪の吾妻嶺が見える、ビューポイントである
でも写真はとれなかった、紹介したプログの写真を参考にしてください

それから霊山を下ると小さな社が二あった、玉野にあったのは若木神社と愛宕神社と八坂神社である
八坂神社は多い、これも渡来系だというが浜通りなるわかるが山の方まで古代に来たのかともなる
玉野の伊達と相馬の境にある集落は古い、宿場町だと土地の人が言っていた
確かに古い家がありそれから昔の道に古い碑がある、元禄の碑とかあり古いのである
ただに西玉野とかあり昔は笹町と言っていた
西玉野の方なのか?そこは戦後開墾に入った集落があるという
そこで酪農で牛を飼っていた人はそうして戦後開墾に入った人だった
その人の妻はフィリンピン人だったのである
それから浪江の津島で妻が都会に出たいと夫を襲ったのは中国人の嫁だったのである
要するに日本人の嫁が来ないからそうなったのである
別に街にも外国人の嫁は来ているのである、それだけ嫁がいないからそうなっているのだ

そこから下り途中に鳥居があったから上った、そしたら岩場をよじのぼりそこに小さな社があった
隠されるように合った、それは山津見神社だった、おそらく佐須の山津見神社の分社なのだろう
今回の短歌のテーマは去年(こぞ)の落葉である
何かその去年の落葉を踏むということはこの土地に住んでいるからこそである

そして相馬市に出ると帰りは五本松を通る
そこにはもう三本しか松が枯れてないのである
でも何かそれが人間に見えるのである、松は人間に一番親しい木なのである
杉とか樅の木は人間には見えないからである
何か三人人が待っているという感じになる

家に帰ると誰も待つ人がいない、何か一人になってから家もなくなるんじゃないかと不安になる
そもそも誰も待っていない家というのも不思議なのである
ただ家が待っているというわけにはならないからである
まあ、警備してくれと親しい人には頼んでいる
ただそれも頼りないことはある、でもいないよりはいい

新しい電動自転車は楽である、ただ荷物がのせられないこととスタンドがないこととそういうものが長距離になると不便になる
カメラを落としたのもそのためだった、だから使いこなすにはそれなりになれる必要があるのだ








2019年03月10日

壊れたカメラを直せた (今は自分で機械に通じないと損する)


壊れたカメラを直せた

(今は自分で機械に通じないと損する)

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量販店に壊れかカメラをもっていったら3万5000円かかるといわれれた
自分はカメラはただデジタルカメラしか使っていなかった
一眼レフとかを使ったのは一年前二年間買ったが使用しなかった
それはソニーのα6000だった
これは大きいし重いから使わなかった
自転車を使用するので動くから使いにくい、そして今回落としてしまった

でも今日いじっていたら直せた、故障部分がわかったのである
レンズが落としたとき故障したのだ
それで前に買った望遠レンズをつけたらそれが動作したのである
それも十年前とかである、そんなものが使えるのかと驚いた
それは別にデジタルカメラ用でなかったのに使えた不思議である

カメラも覚えるには手間なのである、今わかったことはレンズが多様なものがあるからそれを使用するとかなり専門的になることが今になってわかった
一眼レンズ強みはレンズ交換だったのである
そんなこと誰でも知っていることが私は聞いていてもそれを実行して経験していないから理解していなかった、それより実際にそうしてカメラを操作していなかったからだ
それは何かと追われてそうなっていたのである

今回カメラを落としたのでレンズ部分を回していたらレンズが悪いのでありその本体は壊れていなかったのである
量販店ではカメラを見ないしわからずに3万5千円かかるとしたから修理に出すのをやめた、おそらくヨドバシカメラにはカメラの専門家がいるから故障の原因がわかったかもしれない、とにかくカメラの故障を直せたということは意外だった
電子機器は普通は直せないからである

機械はいかにして使いこなすかである、いくら機械を買っても使いこなせないと役にたたないのである
つまりノウハウが大事になるのだ、機械を買っても操作できない、ノウハウを会得できないのが今は多いからだ
これはいくらいい機械がでても使いこなせないと宝の持ち腐れになる
その一番いい例がヤマハの電動のロードだったのである
これは25万以上したのに全く使えなかったからである
これは老人に向いていなかったのである
若い人はそもそもロードにのるのは坂を上るのに快感だとしているからそこが根本的に違う、車にロードを積んで坂を上っているのである

今度のヤマハのYPJ-XCは形はマウテンバイクだから若者用だと思っていた
ただ最新のドライブユニットを使っているというので大金をだして買ったがこれは思った以上自分にあっていた、老人にあっていた
乗りやすいしバイクのようにすいすい走る、別に平坦な道でも走りやすい
悪路も行ける長距離も行ける、自転車だとしてはこれだけの機能あるのはなかなかない

これの最大の問題は荷物がのせられないとかスタンドがないことなのである
それでしょっちゅう倒して一部ライトが壊れたりした
たてかけていても大きいし重いから倒れるのである
でもこれは使いこなすと相当に役にたつものだった
高いだけの価値はあった
いくら高くても使いこなせないとただ宝の持ち腐れになる
だから買い物でも金があってもそれを有効に使うことは意外ととむずかしいのである
いろいろ機械でも道具でもあふれているけどそれを使いこなすことがノウハウを覚えることの方がむずかしくなる
パソコンなどが特にそうである、検索する能力、ノウハウがなかなかわからないからだ

いづれにしろカメラはやはり広角レンズとか望遠レンズを使わないといいのはとれないことが今になってわかった
ただ自転車で持ち歩くことは今回のように危険だった
そこが一眼レフの問題点だったのである

今の時代同士しても写真の映像の時代だという時、プログでも映像を写真を出さないと見られないことはある、だからこそyoutubeが盛んになっているのである
それだけ訴えるものがyoutubeにあるからそうなる
動画の訴える力があるからそうなる、ただ私は動画はしない、動画をするとまた手間になるからだ、そんなにいろいろなことはできない
ようやく介護が終わってできるようになったが以前として家事に追われたり忙しいのである
家の整理とかいろいろな今までしたことの整理に追われているのである
その一つが写真でも今まで買っていたレンズを使わなかったことでもわかる
何かしようとしていたができなくなっていたのである

震災から8年過ぎて・・・・・ (復興特需が終わり旅館も客が来ない)


震災から8年過ぎて・・・・・

(復興特需が終わり旅館も客が来ない)


テレビ放送していた三陸の旅館も最初はボランティアとか来て復興特需があった
だからこれならやっていけると見込んで県から金を借りて復興を目指した
でも最初は良くてもその後は客が来なくなった
津浪で砂浜もなくなったとか前のようななごむ風景がなくなったとかある

結局いつまでも復興のために応援する人はいない
みんなむしろそうした旅館とかホテルに行くのはリフレッシュするためなのである
でも今でも何かそういう被害地にはみんなまだ応援しなければならないと強制される雰囲気になる、するともう行きたくないなとなる
だからアドバイザーがいかにそうした雰囲気から脱出するのが課題としている
いつまでも津波の被害にこだわりかわいそうだから応援してくれでは客はもう来ないと言っている

これもそうなのである、震災から8年過ぎているからだ
でもあまりにも被害が大きすぎてその傷は癒されないのである
そういう場所に観光で遊びくつろぐというわけにはいかないのである
この辺だって何か避難区域になった小高になるとどうしてもそうなる
俺たちは被害者なのだ、俺たち援助されるべきだ
予算を病院再興もするべきだとなる
それに反対するのは冷たい奴だ、同情心もない人間じゃないとまでなる
それで何か言うとお前は傷に塩ぬって楽しいかとかなる

そういう人たちと場所とはかかわりたくないともなる
ただ南相馬市はさけることはできない、なぜなら同じ南相馬市民であり浪江でも近いから傍観しているわけにいかないのである
現実に原町区や鹿島区や他でも相馬市でも相当数の避難民が復興住宅などで生活しているからである

何か現代社会は被害者とか障害者と病人とか弱者に手厚い社会である
それが悪い訳ではないが、それが何かかえって特権化している社会なのである
かわいそうと思わないのかとなり普通の人が暗黙の内にでも責められる社会なのである
一旦そうして被害者になるとそれがもういつまでもつづく
一代でも終わらない、それを証明しているのが韓国とか沖縄なのである
そのために責められて援助を強いられる、日本は韓国国民を苦しめただからその賠償は終わることがないとなる

原発事故の地域とそうでない宮城県とかの海岸線はまた違っている
原発事故は手厚い補償がありそれで生活に困らないとかある
でも宮城県とか岩手県にはない、原発事故だったら復興資金を借りても返済などしなくてもよかったろう、でも返済が迫られて多くの会社が苦境にたたされて倒産したりやめるとなる、原発事故地域ではかえって多額の補償金をもらって喜んでいる人たちもいる
ただ表面上は苦しいと言うことはある、それは人によっていろいろである

でも観光となると本当にむずかしい、観光とは何か癒しとか安らぎとかを求めているからだ、そこで何か被害地として犠牲者のことを延々と語ることも8年過ぎると問題になるというのもわかる
ただそれだけ被害が大きすぎたからどうにもならない責められないということもある

おそらく原発地域だっていろいろあっても飯館村などでも復興はしない
それは時間でしかしないのではないのか?
昨日飯館の森の中に入ったら樅の木新しく根付いて育っていた
それがなんとも瑞々しく感じたのである
新しい命がここにもやはり育つのだなと新鮮に見た
別にそれが放射能に汚染されいるとも見えないのである
小鳥はさえづり山にひびいて気持ちよかった

ただ人間と比べると村に子供も帰ってこない、立派な建物の学校ができても若い世代は子供は帰って住んでいない、それでも保育所とか無料にしたとかで人気にもなっている
そこで子供は暮らし住んでいない、学校には村外から通っているのである
放射性物質の汚染で自然が死んだとはなっていないのも不思議なのである
それが放射性被害の不思議さだった
実際は眼に見えなくても放射線とは怖いものだという、レントゲン写真で放射線をあびることは150日寿命を縮めるとかいう研究者兼医者もいる
だから正直放射線被害について私はわからないのである
細胞が成長する子供には特に影響するとなると親がそういう場所を避けるのは同にならないともなる
思うとすぐに解決する問題ではなくなっている
何か手っ取り早い方策がないのである

そういことでこれはもう時間が解決するしかないのかともみる
セシウムは30年で半減するというときそのことを象徴している
それだけの時間を待つ他ないのかとなっているのだ
そんな時間を待てないというのもわかる
でも方法がないのである、30年後でも50年後でも百年後にでも時間が解決するのを待つほかないのかと見てしまう
そうすれば森でもセシウムは半減する、その前に除染しても無駄な感じになる
森からいくらでも放射性物質が流れてくるからである
今なぜまた溜池の除染を方々でしいるのかというのも疑問なのである
それより補償金をたりない所に配った方がいいともみるのである

人間は普通の状態でもある家に病人がでたり何か負担になることがあると人はよりつかなくなる、私の家でもそうだった
それはそういう所に行くと負担を感じるし現実に負わされるからである
そこには重苦しい雰囲気がある、だからよりつかなくなるのである
それと三陸の旅館がにていたのである
最初はボランティアが来たとしてもそれを継続はできない
みんな癒しとか楽しみたいとして本当は来るからである
特殊事情で一時的にボランティアなどが来たがそれを継続できないのである

そしてその被害をいつまでもひきづると人は余計にこなくなる、来ずらくなるのである
俺たちは被害者なのだとそれはもう終ることがないのだ
援助されるのは当然だ、ここに来たら寄付金を出すのが人情だとなるからである
でもそういう状態から解放されるのは本当に50年とか百年とかの歳月が必要なのかもしれない、それだけ被害が大きすぎたのである

水産関係とか漁業とかは農業でも林業でももともと衰退産業だった
そして高齢化社会であり跡継ぎがいないとかなっていた
そのことを言う人がいたのもわかる、そういう弱体化した地域に津波が原発事故が襲ったのである、だから致命傷にもなったとなる
人間は暗い雰囲気の所に行きたくない、店でも暗い場所にあると飯もうまくないとかなる人間は明るい場所を好むのである、だから店の立地は明るい場所がいいのである
とにかく暗い重い雰囲気とか被害者であり応援する義務があるとかなるとそこで日ごろの仕事で疲れた体と心も癒せないのである

別に通り過ぎるくらいならい、現実に旅館に泊まらないで去ってゆく人が多いという
今も津波被害を語る会があるからである、それを聞いたら泊まらないで去ってゆくというのはくつろげないからだろう
人だって何かそういうことを未だに強制されているのである


俺たちがこうなって仕事もなくなったとか何が失ったとかこうなっているのは全部原発事故と津波のせいなんだということが言葉になくても重くのしかかるのである
現実は何もすることもなく朝から酒飲んでアルチュウになったというのも浪江の人にもいたのである
それだってみんな東電や国のせいだとかしていれば責められない、むしろ生業を返せとなりそれが補償金もらうために協力しろとなる
沖縄でもいつまでも日本人のために沖縄はひどいめにあったとその被害を今も訴えつづけている、韓国でもそうである、それでそういう場所には近づきにくくなる
人があまりにもそういう心の状態にあると地元の人とふれにくいとかなる
それはこの辺でも同じなのである

南相馬市内でもそうでありそういう被害者とは近づきにくくなる
それも8年過ぎても同じだからそうなる
おそらく十年過ぎても同じである、二十年過ぎても同じである、ようやく30年過ぎてこの辺ではセシウムが半減したとき多少変わるかもしれない
それは一代で終る問題ではない、二代も三代もつづく、それは韓国や沖縄の人たちとにているのである
こうなったのは全部津波と原発のためだとなり毎日酒飲んでいてもギャンブルしても生業を奪われたのだからしかないとされるのである

結局復興が8年過ぎてもできない、インフラはできたが人の心はしていない
それで心のケアが大事だとか孤独死をしない見守りとかに力を入れる
何かこれも時代だったのである、高齢化社会とか第一次産業の衰退と重なりそういうふうになった
でももしトヨタとか車産業が被害を受けたらみんなでなんとか復興しようとするだろう
ローカル線でも衰退している利用しないから津波でやられてももともとたいして利用はしていないとかなる、だからやめた方がいいとなる
北海道でも台風の被害で一部復旧していない、それは莫大な金がかかるからである
それより車の時代なのだから鉄道はやめた方がいいとなる
つまり時代が影響して復興できなくなったのかとみるのである
その手っ取り早い解決方法はない、ただ30年とか50年とか百年の時間が解決するとかしか方法がないのである
いろいろ試してみてもそう感じてしまうのである

momifresh1.jpg

飯館村の森中に育っていた樅の若木

これが大きくなったとき30年後50年後に復興しているかもしれない


posted by 天華 at 17:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 津波、災難の対処

2019年03月11日

故郷に住まなければ復興はない (そのジレンマに苦しむ)


故郷に住まなければ復興はない

(そのジレンマに苦しむ)


復興という時、すでに避難区域に指定されたところをでて外で生活基盤を持った人復興とは関係ないだろう、なにかしらあるにしても関係は薄くなる
例えば浪江の人は東京に出てそこで中学高校とか出た人もいる、その人は東京で就職したしまたその祖母は東京に住むようになった、そして原町の復興団地に祖父が一人残されて住んでいる
小学生一年でも震災以後8年過ぎればも学校すら地元とは関係なく故郷とは関係なく生活してきたのだからその関係が薄れたのである

そうして外部に出やすかったの多額な補償金をもらえたことだったのである
宮城県とか岩手県だと原発関係は関係ないから補償金はもらえないから県から企業でも援助されても融資されても返さねばならないとかで今になって事業がうまくいかず苦しんでいる、仮設の商店でも資金繰りで今は苦しんでいる
旅館でも再建したのはいいとしてもやはり復興特需が終わったら客が来ないと苦しんでいる、福島県ごと補償金をもらっているから違っていた
そうはいっても放射線の被害は大きいのだからその後の風評被害などで苦しんだのだからそれは当然だとなる

復興というとき

●市町村の全体の復興 

●個々人の家族の復興

この二つに分かれている、もう8年もすぎて所属した市町村から外に出て生活している人は家を建てたり仕事をもったりしている人はもう帰らない、するとその人たちは復興に関係あるのかとなる
残されたのはその親や祖父母である、だから関係ないとは言えないが実質的に故郷との関係は薄れてしまって関心もなくなっているともなる
それより移住した土地での生活で精一杯だとなる
ただ南相馬市は小高が避難区域になっても南相馬市民だし現実に原町区とか鹿島区に多数移り住んでいる、家も建てた人も多いのである
そこが事情が違っている、でも小高区だと40パーセントはすでに帰還しているのである仮設に住んでいたが住めなくなって家があるから帰ったという人も多いだろう

南相馬市で浪江とか他からの人たちが流入して家を建てた人が多いのである
だから南相馬市ではかえって人口が増えているように見える
そういう人たちは南相馬市民となっていないからである
それで手続きで鹿島駅から浪江まで行く人がいた、それもめんどうなのである
でも浪江町民から南相馬市民に籍を移すことはできない、そうすると補償金とかが関係してくるからそうなる

いづれにしろ復興というとき市町村の復興と個々人の復興は分けて考える必要がある
そして復興、復興といっているとき実際は市町村の復興のことなのである
つまり全体をどうにかしてくれということなのである
それを一番切実に思っているのはそこに帰って住んでいる人たちなのである
他に移り住んだ人はもう復興といっても関係ないとはならないにしてもすでにないともなる、ただ復興住宅とか団地に住んで帰るのか帰らないのかどっちにしていいのかわからない人たちもいる、ただ外に出て家を建てて生活の基盤を持った人は帰らないから復興とは関係なくなっている、そうしてそういう人たちが多いのである

それで今日のテレビで大槌町で新しくしして自転車屋を始めた人がいる
もともとしていたのだが新装して始めた、カフェもやるとか家を新しく作ったのである
でも4000人くらいしかもともといなかったのにさらに人がいないのだから商売なるのか?。
ここでも一万くらいの人口でなんとか一軒の自転車屋がやっているからだ
その人の願っているのは子供もいるしなんとかみんな帰ってきてくれ、客も来てくれとき切実なのである
だからそういう場に住んでいる人はなんとか復興してくれ人も帰ってくれ住んでくれとか切実なものとして復興を願っているのである

でも外に出て家を建てて8年もすぎたらもう故郷とは疎遠なものになってゆく
ただ南相馬市とか事情が違っている、また浪江とかでも近くの復興住宅や団地に住んでいる人は時折様子見に行っているから違っている、なんらか故郷とつながりがあり帰る準備もしているのかとなる
とにかく人が住まなければその土地とは関係が薄れる、住んでいる人はその住む場所をなんとか良くしようとする、でも住まない人は無関心になってゆく
そこに住む切実さもうすれてゆく、原発事故だって津波だって遠くの人は切実なものとはならないからだ
つまり関心の度合いが根本的に違ってくるのだ、そこにやはり報道でも土着的なものが必要だという時、その土地に住んでいる人と住んでない人では切実さが違ってくるからである、その土地の水でも土地でも汚染されることは命の危険につながるから関心度が違うからそうなる

だから復興という時、そこに住まないかぎりないのではないか?
そこに住んでいるからこそ復興してくれと切実なものとして訴えることになる
大槌町の自転車屋にしても人が住んでくれないことには商売にもならないからである
そしてそこに住めないということが帰還しないことが最悪だとなる
それができていないから復興はすすまない、何か絶望的にもなるのである

その例が愛媛県と小高で農業をしている二重生活者である、その人は故郷を避難して別な場所に住んで復興にかかわれないことにうしろめたいものを感じているという、なにかしらそういうことがあっても帰りにくい
でも小高で米を作り愛媛でミカンを作っている、でも妻は南相馬市の実家には小高ではない所には帰るが小高には帰らないという
そういう人がまた多いのである、小高の人たちは原町とか鹿島と相馬市とか新地でも家を建てて移り住んでいるからである
ただやはりそれでもうしろめたいものを感じているのだなとは見た
なぜならもうそうして新しく家を建て移り住んだら小高との関係はあったとしてもうすれてゆく、関心がなくなるのである
それで農業している二重生活も限界だというのも理解できる
そしてあまりにも遠すぎるのである、いづれはどっちかを選ぶ決断が迫られる

ただこの放送で貯金をとりくずして生活していると言うが小高ではかなり補償金をもらっているからそんなに金に困るというのではないと思う、その辺がテレビでは放送しないから誤解が生まれる
いづれにしろこの二重生活とか南相馬市でも小高区以外に住むなら妻も賛成するという気持ちがわかる
現実にそうしたことがここで起きているのを見ているからである
ただ小高でそこに住まない限り復興はありえない、そういうことが他の避難区域でもできないから絶望的になっているのである



posted by 天華 at 17:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2019年03月12日

望遠レンズで電車を撮る


望遠レンズで電車を撮る

koubaitrain.jpg

これは一眼レフの望遠レンズで撮った、これまで利用しなかったがやはり良く撮れている一眼レフは重くなり持ち運ぶのに不便なのである
特に自転車だと余計にそうなる、それでカメラを落として壊したがレンズ部分だったので本体は壊れずに助かった
一眼レフなにか構えて獲らないとまくいかないだろう
とっさに反応して撮ることはむずかしい
駅で待っていて撮った
撮り鉄がいるがそれはやはり電車というのは絵になるからである

今回でも望遠レンズだから紅梅が映っていたのである
電車は景色とマッチするからいいのである
あとは広角レンズをアマゾンの中古品で買うのもいい
そうなると持ち運ぶに大変になる
そして写真をとるために旅するようにもなるからかえって回りのものを人間の五感で見ないということがある
そこも問題だと思った、やはり人間の五感にまさるものはないからだ
そうはいっても紅梅が映っていたということでそこが新鮮だった
なかなか肉眼で見えないものが写真で見えるということもあるからだ
その兼ね合いむずかしいとなる
タグ:撮り鉄 紅梅