2019年02月28日

禍福は糾える縄の如し 万事塞翁が馬 (人間は未来が予測できない―不幸が幸福になり幸福が不幸になる)


禍福は糾える縄の如し 万事塞翁が馬

(人間は未来が予測できない―不幸が幸福になり幸福が不幸になる)


鹿児島の硫黄島に漁獲量の豊富な地区とそう多くない地区があって、漁獲量の多い地区がかえって過疎化した
その地区子供の教育に金をかけることができるので、子供は進学のために島をでて、都会で就職して帰ってこなくなった
一方教育に金をかけることができなかった地区は子供が漁業を継いで過疎化に歯止がかかった (文化の時代の経済学入門)

これは何を示唆ししているのか?
漁獲量が多い地区は金が入った、だから子供の教育に金をかけることができた
それは悪いことではない、いいことだったのである
それが島という狭い土地を離れさせる原因になったのである
どうしても島に住みたくないとなったのである
それは教育を受けさせた結果だとなった、ここには島の事情があるから一般的に適用はできないだろう

でもこれは何を意味しているのか?
人間は良かれと思ったことでもそれが必ずいい結果を生むとは限らないことである
人間の幸福はまた計れないことである、だから江戸時代と今の時代と比べて江戸時代の人が不幸だったとはならない、幸不幸は計れないからである
そういう時代を生きることはまたその時代を生きない限りわからないのである

人間はこれが幸福につながると思ってもそれが不幸なになったり不幸と思っていたことが幸福につながったりする
何かたりないものがあると思ってもそのたりないことが幸福につながることもある
日本がは資源がないから教育に力を入れて先進国になったとかそれぞれの国でもすべてを満たされた国はないからである
郷土料理は金をかけたものではない、その土地でとれたものを工夫して利用したものでありそれは金かけた材料で作るものではない、だからこそそれが今になると貴重なものになっている

原発事故でもわかったようにそれはこの土地にとっていいものだったのである
それは富をもたらしたのである、そのいいものが事故になり住むことすらできなくなっただから未来は予測できないものとしてある
それがいいことだと思っても悪いことに転化する
それは社会にとってもそうであり個々人でもはそうである
硫黄島の場合はそこに何ら悪いと思えるものを予測しえないものでもそうだったのである子供にいい教育をさせることにどこも悪いとはならない
それですら思わぬ結果になったのである、それは未来を予測する能力が人間にないからだとなる

そういうことは人生でも組織でも団体でも国家レベルでもある
いいと思うことが悪い結果を生み悪いと思うことがいいことを生む
戦争に負けて300百万人も死んだことは最悪だった
でも不思議なのことは戦争の結果として日本は高度成長を遂げたのである
それは既得権益者が一掃されて新しい国造りができたからだともされる
そしてその時なぜ食料もないのにベビーブームになり団塊の世代が生まれた
その人たちが労働力となり日本は経済成長を遂げたのである
これも予測し得ないことだったのである
つまり人間には個人でも社会でも予測し得ないものがあり思わぬ結果になる
そういう運命を握っているのは誰なのか?それは神なのかもしれないとなる
それでfortuneとは運命でありまた財産にもなっている
富も財も努力が必要でも運の力も大きいということである
でもその運がまたどういうふうに作用して幸福をもたらすのか不幸をもたらすのかもわからないのである

個々人でも技術関係で理系で優秀な人がいてもそれが経営者になったときまるで実際は違った分野であり失敗したという人も多い、あることで優秀でも人間すべてに優秀ではないからだ、だから優秀だと言っても一部のことであり神のように万能にはならないのである万能でないからこそ人間は原発事故であれなんであれ必ず躓く失敗する運命にある
また成功してもまたそれが永続したりもしない、成功したために失敗につながることもある
つまり人間の未来は予測できない、未来を握っているのは神にもなるからだ

だから硫黄島のことなど本当にそうである、どこも悪いことではないのにいい結果をその土地の者には家族にでももたらさなかったのである
そういうことはこの世にいろいろあるからこの諺が生まれたのである
だから悪いと思える所にいいことがあり見出す努力すればある
いいと思うところも原発事故のように悪い結果をうむのである
だから人間の未来は予測できない、だから悪いことがあったとしてもいいことに通じるということもあるのだからそういう志向が大事になる
そしていいことと思ったことでも悪いことに通じるということを知るべきだとなる
そこに謙虚さが必要だとなる、いいと思うことは才能でも奢りになりそれが失敗に通じているのが常だからである、それは一つの法則のようなものなのである
だから別にむずかしい学問でないにしろ庶民の間で諺が残された
それが今日でも生きているのは人間個々人でも社会でもそもそも人間は変わらないからである

人生が終わりになっている、老人に聞いてみるといい

意外な結果に終わったな  こんなはずじゃなかった

こうなっているのである、いくら努力したとしてもそれがいい結果になるとは限らないし思わぬ幸運も不運もあるからである
これこそ未来は予測できないからこうなっているのである
人間個々人でも人生でも思うようにはならないのである、それはたとえどんなに恵まれていたとても最後はわからないからだ
必ず思わぬことが起こりみまわれてそうなっているのである



posted by 老鶯 at 10:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題