2019年02月27日

経済原理だけのグロール経済社会の限界 (環境保全とか景観の視点と価値観の転換の時代ー文化経済学へ)


経済原理だけのグロール経済社会の限界

(環境保全とか景観の視点と価値観の転換の時代ー文化経済学へ)

●戦後経済の見直し作業

原発事故は様々な現代社会の矛盾を具体的なものとしてつきつけたのである
それを追求してきた、大きな時代の変革の時にこういうことが起きてくる
それは明治維新とか戦争に敗北したとかで起きてきた
そういう時代に突入しているのが現代である、それは世界的な現象でもある
この世界に適応されたのは経済原理だけである
要するにグロ−バルに金で価値を計る社会である
あらゆる価値を金で計算する、それは国境を越えてもそうである
そこで国すら越えてグローバルな多国籍企業が世界を牛耳る時代になった
そこにあるのは経済原理しかない、金ですべての価値を計るのである

そこで問題が起きる、巨大企業が進出して環境も破壊される
それはこの辺の原発事故でも起きた、自然環境が放射性物質で汚染されて住めなくなった未だに松川浦で潮干狩りができない、それは観光の打撃となっている
アサリが汚染されたからだ
でもそういうことがなぜ起きたのか?そのことを延々とプログで追求してきた
それは現代社会のグローバル経済の矛盾でもあった

そこには一つの価値観しかない、経済原理だけなのである
国家だとGDPが増えればいいとか個人レベルだと金になればいいとかしかない
数量的価値観と金ですべてを計る価値観である
そこで原発を作った国家でも東電でもそれにかかわる人たちも地元民も金さえやれば納得する、それよりそうして地方を活性化させるためる地元民が積極的に誘致させたのだとまでなる、頼まれて原発を作ってやったのだとなっていたのである

でもあらゆるもの経済原理で金で価値は計れないのである、つまり人間の価値はあまりにも多様だからである
私はワインなど飲まない、飲まないということはそれに価値を置いていないということである、でも金持ちでなくても日本でもワインを飲む習慣が生まれている
ある人にとってそれは価値がないがそれを楽しめる人は価値があるとなる
  
ecocccc111.jpg

cultueeco1.jpg

この表はわかりやすい、価値観が対象的にしているからである
赤丸で囲んだ価値への転換なのである、これは自分も特にそうだがそういう社会状況になったからみんながそういう価値観を求めれば自ずとそうなってゆく、もちろん金だけの価値観を克服することは容易ではない
ただ変革の時代にはそういうことも総体的に起きてくる

 ホスピタリティとか気遣うと情とか場所の価値とか倫理主体とか計算不能の価値観である、つまりすべてを金で計算できない価値の社会なのである
等価交換ではない、不等価交換である、実際時と場合により価値は変わる、価値は多様だから一定しないのである、だから時給いくらとかで労働力を計算するのは非人間的なのである、つまり現代から奴隷がなくなったようで巧妙に資本の論理で奴隷労働化されているのである、それで今仕事をしたくないというときそこに生きがいを見いだせないからである
お前の労働は時給いくらだ、それがすべての価値観となっているからである

●価値は多様であり一定ではない

例えば旅行でも豪華な列車で金持ちでも多額な金を払って一回限りの旅をする
また高級バスで何十万を払い超贅沢な旅をすることが話題になる
私は旅ばかりしたけどそういう旅をうらやましいとも思わない、ワインを飲めなくてもそれで不幸だともなんとも思わない
旅だとむしろ歩くなり自転車なりの時間をかけた旅の方が旅という経験をしているからだそんな豪華な旅はもう旅でも何でもないのである
確かに金のある老人の楽しみだとはなるがそれが旅とは言えないのである
つまり旅を経験していないのである

あらゆる価値はいくら金を出しても手に入れることはできない
例えば読書などがそうである、高い本でもいくら買えるとしてもそれを鑑賞することは相当な知的レベルを要求されるしそれを自分のものとして読むことは容易ではない
ただ私はやっとこの年になって鑑賞できるようになったことでもわかる
だから自分なりに本を読んでその解説ができる
するとその時こそ本当に読書しているとなっているからだ     
若い人はこれはできない、経験とかがものいうからである
また老人のように精神的に成熟しないからである

とにかくあらゆるものを金で手に入れることはできない、老人になるともう体力もないから登山もできないとか無理なことができなくなる、それはいくら金をだしても体力がもどらないのだからできないのである
若者だったら金がなくても別に野宿しても旅はできる
だから野宿して旅ししている人と豪華な贅沢三昧の旅をしている老人をとどっちが旅をしているかとなると若者の方だとなってしまうのである
それは老人がいくら金を積んでもそういう旅ができないからである

経済原理だけで金だけすべてを計る社会はもう限界にきた、貧乏な時代は豊かになりたいというのはわかる、でもそれもある程度満たされると人は価値観が変わるのである
それは今や社会全体に及んでいる
金でなんでも手に入れることはできないということがわかりつつある
老人ならそのことを何もむずかしい本を読まなくても経験から知っているのである

●農業漁業林業は生態系維持環境保全としての価値がある

だから価値というのは様々でありすべてを金だけで経済原理だけで計ることは人間を不幸にする、それがこの辺が原発事故で起きたことなのである
農業とか漁業でも林業でも第一次産業は金にならないとして誰も跡を継がないとかもう放置されるような状態になったときとうなったのか?
原発でも金になればいいとなった、結果として水すら飲めないとか空気すら吸いないとまでなって住めなくなった、これほど最悪なことはなかったのである
土も利用できないから田畑も利用できないとかなる、すると地元で食べるものすら得られないとなったからだ

価値観の転換として農業というのをただ食料生産の面から見るという視点より環境保護のために必要だということも価値観の変換である
環境保全の役割を農業はになっいていた、それは水の利用とか自然と密接につながりそうなっていた、それが自然環境の保全の役割を果たしていてその結果として農村の景観が作られていたのである
そういう景観と自然環境でも農業をただ経済原則だけからみたら金にならないとしてみんな誰もやらない、放置される、そして耕作放棄地が全国に膨大に増えて景観も破壊されるのである
そこには今度はソーラーパネルだらけになったり風力発電の風車が森の中や山にもできるそして景観は破壊されるのである
それはそもそも第一次産業を金にならないという経済原理からしか見ていないからある
でも実際生活するにはそうなるからやっていられないというのはわかる
でもみんながそうではない、経済原理だけからしか見ない価値観を変換させればまた違ってくる

東京のようなビルの谷間で人口が異常に集中して暮らすのが人間の生活なのかという疑問も都会から起きている
つまり景観とか環境保全があって人間は幸福に暮らせるという意識が高まると価値観が変わるとみんな金だけではない、経済原理だけではない価値観の変化が起きるとやはり社会は変わるのである
食料を生産するだけではない、環境保全、持続可能な自然との共生とか景観の保全とかが価値となる生活である、そこに意味があるのだとなれば金だけでは計られないものとしてそこに金を回すとういことも起きてくる 
そんなことではまともな暮らしができないというときそれはまた価値観の転換が必要なのである、それで家族一緒で故郷に住めるなら蝋燭でもいい言う人がいたときそれは極端でもそうなるのである   

●恵みはめぐるであり生態系の維持があって恵みがある

グロ−バル経済は多国籍企業が世界を経済原理で動かして支配するシステムなのである
そこにもともとある自然も無視するしそうして生活していた住民も無視する
それは原発事故で起きたのである
もちろんもともと住んでいた住民もまた今の社会の価値観に染まっているからそうなったそういう矛盾がこの辺では生まれた
元の貧乏な生活にもどれというのかとかそこにはまたいろいろな問題がある
ただ人間の価値を経済原理だけで金だけ計る時代は終わり新たなまた古くからあるものの価値観を見出すべき時代になっているのだ

恵みとは巡る、めぐることなのである、ロールすることなのである
水のように山から平地へと田んぼへと水は巡り恵みを与えるのである
それが自然との共生の生活でありその中で自然環境は保全されまた景観も維持できるのである
そういう恵みの思想が工業とか巨大企業にはないのである
何か自然から富を資源でも収奪する他国からでも収奪するというのが現代のグロ−バル経済である
それで自然は破壊されて極端になったのがこの辺だったのである
だからどうしても価値観の転換が望まれている
経済原理の金中心の経済を止めることなのである
何でも買うそして捨てるという生活なども見直す時代である
そういう傾向はシェア経済などで生まれてきている、大量生産大量消費の時代は終わったのである
そうなると確かに不景気とかになるがそれも時代だからやむをえないのである
そうなったならなったで人間は適応して生きてゆくほかないということである

●経済は意味と価値を求める時代になる

原発事故では現代の矛盾が噴出したのである、それはとりもなおさず現代社会を見直すものとなった
例えば松川浦の人が漁もできなくなった、放射性物質の汚染でできなくなった
その時「俺はここになんのためにいるのか」と自問していた

「漁もしない、俺はここになんのためにいるのか?」
「あなたたちは多額の補償金を原発事故前からももらっていたから別にいいんじゃない」「それはそうだけどでもなんのために生きているのかもわからないよ」
「今も十二分に補償金を特別もらっているだからいいんじゃない、みんなうらやましがっているよ」
「そう言われてもな」
「そもそもさ、漁業権を東電に売ったことがおかしいんだよ、その漁業権はそもそも資源保護とか環境保護のために与えられたんだよ、それは必ずしも漁業者のものじゃなかたんだよ、みんなのものだったんだよ、ただ資源保護のためにみんなから委託されたものなんだよ」
「そういうむずかしいことはわかんねえな」
「あなたたちは特権を与えられていたんだよ、その特権には責任が課せられていたんだよそういう自覚が必要だったんだよ」
「かといって漁業で暮らすことはできない、いろいろと金がかかるし魚もとれなくなっているからな」
「でも漁業権を東電に売ってどうなったのか、金だけはもらい何の意味も価値もない者になったんじゃないか」

原発事故は漁業関係者に一番矛盾が現れたのである
事故前も原発御殿が建っていたとかその後は軽く一千万以上の庭を作っているとか一番恵まれていたからである、ただ津波の被害にあったから家族でも死んでいるからその点は犠牲が大きかったとなる
それで近くでも漁業に関係しない人もいるから罰があたったとか言う人もいたのである
そこまで言うとはやはり周りの人はそういう恵まれた人に相当不満があったということである

そして松川浦では現実にアサリ採りが潮干狩りができないから観光でも大きな打撃だったのである、資源保護のために漁業権が与えられていたのにその資源保護の務めをしなかったとなる

とにかくここに象徴的に補償金で別に生活には困らない、補償金は継続的に東電や国から入ってくる、でもその存在意義と生きる意味とか価値は地域で失ったのである
ただ現代のグロ−バル経済はこの生きる意味とか価値とか意義とか倫理的なものは追求していないのである、むしろそうしたものを省略化して成り立つのがグロ−バル経済なのである
世界をそうして人間的属性としてあるものを省く、ただそこで経済原理、金だけで計るようにしたのがグロ−バル経済だからである
それで失敗したのは移民となると外国人を入れるとなると相手は人間だから物のように金で計ることはできない、様々な問題が生まれ福祉や共同体にどうして受け入れるかとかが問題になり失敗したとなる
人間はモノの用地扱えないからそうなったのである 

漁業が跡継ぎがいないとかいうけど漁獲高が多い所でかえって跡継ぎがいなくなった
教育に金をかけて子供を育てたが東京に就職したとか漁業を継がない
でも漁獲高が低くく子供の教育に金をかけなかった所は子供が漁業の跡を継いで残ったというのも皮肉である  
これも何か現代の矛盾した社会を示唆ししている、跡継ぎがいないというとき農業でもそうだし山村でもそうである、それは人間の生きる意味とか価値を経済原理だけで計っているからである、金になればいいとう価値観しかないからである

●万人の万人に対する戦い、モラルなき社会は地獄に生きることだ

ただ確かに先立つものは金だというときその矛盾は大きい
そんなものは理想論であり現実はそうはならない厳しいから適応できないともなる
でも明らかに現代の社会の行き詰まりというか荒廃はゆきつくところまで来ている
倫理もないモラルなき金だけが突出してふりまわされている社会である
それが自分自身の体験で嫌というほど経験した
もう金のために保険金殺人のように殺される一歩手前まで来ていたのである

金でめんどうみてもらへ

金をよこせ

金をください

これしかなかった、自分苦しい時にも相手は金しかみていなかったのである
それは芥川龍之介の羅生門の世界である、人間は生きていても死体でありその死体に身につけている髪の毛でも金属類でも金になる者が価値になる世界となっている、もうグロ−バル経済では人間的なものが省略されし見えないからそうっないるのだ
物がありそれに債権化された金しか価値観がない世界である

それほど金の亡者となり人を人とも見なくなっている社会である
それは何であれ生活をレベルを落としたくないということもある
今までいい生活していたのにそれを落とすことがむずかしいからである
でもそうだからといって他者から金を奪い殺してもいいとまでなることの怖さである
だから情なき経済原理だけの社会が極端化すれば万人が万人の戦いなっているのである

「万人の万人に対する戦い」とは国家や法律のない自然状態を表現した、ホッブズの言葉である。『リヴァイアサン』で語られており、自然状態におかれた人間は、すべての人が各々、自己保存の権利を無制限に追求して自由にふるまう。その結果、相互に敵対的な立場を取り、暴力的な混乱状態が発生してしまう。このホッブズの利己主義的な人間観は、「人間は人間に対して狼」とも表現されている

まさに現代のグロ−バル経済は世界的にそうなっている、そして極端な格差社会になっている、モラルなき社会と化しているのである、まさにこうなると地獄に生きているのである、そして生きる意味とか価値とかは無視されて金だけを追及する
それで何か原発事故でもそうした社会の中で起きた極端なものでありそれが具体的な現象として現れたともなるのである
posted by 老鶯 at 10:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題