松川浦の津波はどうだったか?
(地形は自ら歩む、自転車で地形を感じる、地図では土地の高低などがわからない)
青い線は津波前からあった
川口神社 鳥居と石碑は流された
でもここは高いから神社は残った
なぜこんなに高い所に作ったのかとなる
それで神社は津波からまねがれたのが多い
この線よりは下だった、もともと青い線は津波の前からあった
この松が枯れずになぜ残っているのか?
ここまで津波が上がらなかったのか?
塩水をかぶれば枯れているはずだが?
相馬共同火力発電所がある方でも小泉川の方におしよせた
この神社の石段まで津波が来たが社のある所には来ていない
だから石段を上り避難すれば助かった
ただここは別に津波の神社ではない
津神社はみんな津波とは関係なかった
墓地で津波がさえぎられたという不思議
おそらく今日聞いた墓地の所で両側から津波が来た
そういうふうに一方方向でない、地形により津波は変化する
ある所で渦巻いたというから空恐ろしいものだった
○の所が墓地である
この墓地で津波がとまったというのも不思議である
そんな効果が墓石にあったのかとなる
松川浦のホテルが津波に襲われた映像は衝撃的だった
松川大橋の下を津波がおしよせた
今日行ってみると川口神社は高い所にあったが鳥居とか石碑が流された
そこに立つとホテルが見えた、そこは低い場所だった
坂道になっていた
これも不思議なのだがなぜ川口神社もあんなに高い岩の上にあったのか?
あそこまでは津波がとても届かなかった
低い場所には津波が襲い被害が大きかったのだ
ホテルに青い線があったがあれは津波の前にもあった
youtubeの動画の映像に映っていた
あの線よりは下だったのだろう
津神社(つのみつ)でもそこの神社がある所までは津波は来なかった
でも石段までは来ていたのである
道を津波が上っていったのである
ただ津神社の境内に入れば助かった
それからぐるとまわって船越行く所に墓地がありそこで偶然そこに住んでいる人に聞いた
「あの墓地の所で津波が止まったんです」
「ええ、あの墓地で止まったんですか」
「ええ、向こう側は被害があったんです」
「あの墓地でね、そんなことがあったんだ」
「そして右側からも尾浜の方から津波が来たんです
それから原釜の方からも津波が来たんです
両側かから来たんです、それは恐ろしものでした」
「両側から来たんですか、それは恐ろしいですね」
「避難所に逃げたのですがその途中で津波に襲われた人がいるんです」
「そういう人もいたようです、逃げるにも津波は早いからぎりぎりだったった」
津波は逃げる途中で確かにさらわれて死んだ人も多い、車でもそうだった、逃げきれなかったのである、それは車が渋滞とかなって逃げ切れなかったのである
一刻を争う時車は障害物にもなったのである
あの墓地の近くの船越観音も高い場所にあり津波から残ったのか
錨堂などがあった、とにかく原釜の被害が大きかった
ただ相馬共同火力発電所は海に近くそれなりに津波も襲ってきたのだから被害が大きくても良かったがそれほどでないとも聞いた
原町の火力発電所は海に面して突き出た所にありもろに津波に襲われて被害が大きかったそこで私は原町の火力発電所から煙が出たのを見た
火事になったのである、原町火力発電所の被害は甚大だったのである
当時、発電所には社員やPRセンターを訪れた家族ら約1100人がいた。全員が1号機のタービン室に避難したが、津波で建屋1階が浸水し丸1日孤立したという。
貯炭棟といった施設や変圧器などの電子機器は全て水浸し。石炭を運ぶベルトコンベヤーは壊れ、揚炭機2機は大きく傾いた。その南側には石炭船が座礁している。
ここもは被害は大きかったが原町火力よりは早く復旧したのである、原町火力は被害がやはりこちらより大きいから復旧が遅れた
いづれにしろ津波から8年になるがだんだん忘れるということがある、他からも忘れられるということがある
ただ今になると冷静に見れるので再検討した
それにしてもあんなに海に近いのに原釜の松が枯れていない不思議がある
原釜の家の被害は甚大であり壊滅状態だった、今は高台になったいる
それから大きなタンクはガスタンクでありここが供給基地となり今も大きな工事をしている
ここはだからもともと人数として多く働く場だったがガス関係でまた働く場が増えたとなる
今回松川浦全体を回りわかったことは
地理は地形は歩くか自転車かで踏査しないとわからない、地図を見てもわからない
土地の高低が地図を見てもわからない
これをつくづく感じた、人間の五感に優るものはない、地形を地勢を知るには自らの足で歩み感じるほかないのである
今回の新しい電動自転車は役にたつ、機動力があるからだ、すいすい坂でも行けるからである
すると地形もわかりやすくなるのである
そして錯覚したのが松川浦では結構高台に家があり松川浦が全滅のようにテレビでは見えたがそうでもなかった
低い場所の被害が大きかったのだ
テレビはやはり錯覚をもたらす、実際に知るにはその現場を自ら歩み五感で知ることである
テレビの画面からだけでは錯覚を生むのである
とても立体的な地理をテレビの画面からだけでは知りえないからである
のである
これはどこでも津波の教訓だったのである
低い場所は津波には弱かったのである
だから低地に家を建てるのは海に面していたら危険だったのである
ただ高台は不便だから低地に家を建てるようになったのである
もともとは最初は高台に人は住んでいたのである
そのために古い神社はたいだい高台にある
その高台に人家もあったとなる
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