2019年02月17日

20万入りのサイフを落とした! (これもつくづく不運ー金運がない自分)


20万入りのサイフを落とした!

(これもつくづく不運ー金運がない自分

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これまで着ていなかったものでありこの裏ポケットから財布が落ちたらしい
それしか考えられない、すぐに気付けばよかったが家事で忙しくすぐに金を
別な所に保管しなかったのでもう探せなくなったのである

これはポケットというものではない、何かわからないがとりつけたものだった
両側があいていたからである



こうなったのは朝にカードで金を下ろしにコンビニに行った、そこで20万おろした
そのサイフを穴のあいた内ポケットに入れたためだった
今日あたたかいからうすいジャンパーにして中にこのチョッキを着た
それが不運だったのである
それも用心しすぎた結果である、チャックがないポケットだと落ちたりすると思って内ポケットがあるからそこに入れた
それはポケットというものでもなかった
半分あいているポケットだったのである
これは利用していない、今回はじめて着たようなものだった
普通にジャンパーにサイフを入れていればこうはならなかった

これは探しようがなかった、帰ってきてすぐに気づけばよかったが家事でいつも忙しいのでそれを忘れていたのである
まず落とすとは思ってもみなかったからだ
これは本当に不運としかいいようがない
私は金運がないとつくづく思った
金運があったのは姉であり母にも父にもなかった
今頃もし姉がいなかったから私の家は貧乏だし自分も貧乏だった

なぜなら父は酒屋だったがその酒屋もつぶれたりそれから母の実家も事業に失敗して一家離散になったりもう一軒も会社が倒産して悲惨にその両親の跡を継いだ息子夫婦は死んだそれからまた父方の親戚とまでならないにしてもやはり事業に失敗した
それで借金をかかえていて苦しんでいたから自分の家が苦しい時助けることはできない
何かこうして金運とか事業運とかてない家系なのである
ただ姉は違っていた、金運があるし事業も成功するような人だったのである

だからこそ遺産を残したのだがそれで自分にも金運がないのだが金運があったとなる
ただ自分自身にはつくづく金運がない、遺産を受け継いでもそれが減るばかりだった
大金をタンス預金をして盗まれたとか銀行に投資信託で失敗したとか何かその後金は出てゆくばかりだった
それも自分の運命だったと思う
こんなふうにしてサイフを落とすというのもよくよく不運だったのである
不注意というものではない、内ポケットがあいたものだったということなど予想もしなかったのである、それもたまたま着たこともないものを着たのだから不運だった
これは不注意とはいうよりは不運としか言いようがない
こういうことは人生である、これはどうにもならない不可抗力の運命がある
そもそもそうだろ、人間のそれぞれの運命をみればもう若い内に死ぬ人もいる、事故で死ぬ人もいる、すでにもう同級生の一割は死んでいる、重い病気になる人もいる
津波で死んだ人もいる、つまりこれらはただ不運なのである
そうとしか考えようがないものである

財産がf0rtuneというとき運命ともなっているからである
何らかの運が作用しているのであり人間一個人の力でまず財産は作れない
それは時代にもよる、高度成長の時代だったらいくらでも財産を作れる時代だった
貯金でも7パーセントとかの利子がつく時代があったからだ
それはただ時代の幸運だったのである、いつの時代に生まれか生まれないかでも運不運がある、どの親に生まれかでもそこに最初から運不運がある
それこそ生まれたときから運不運があり将来も決められていたともなる
今や銀行にあづけても投資信託などをすすめられて利益はとられるだけである
この相違も大きかった

いづれにしろタンス預金で大失敗したしまたキャッシュでも失敗したから現金を持ち歩くこと自体危険だからキャッシュレスの方がいい
それは老人にはめんどうでも必死に覚えようとすれば覚えられる
それが安全とわかればそうできる、ただ今の状態がつづいているのは別にたいして不便を感じないからである、ただ安全面からするとキャッシュレスの方がいいとなる

とにかく親が介護になり病気になり死んでも何か自分には不運が続いているのである
もともと幸運だったのだから不運なのではないがそういう不運が今になって続出しているそれもカルマだったとなる、不運というのではなく自分のもったカルマだったとなる
こんなふうにしてサイフを落とすということはありえないことだからである
よほどの不運であり不可抗力だったと思うからである
まずこの金は帰ってこないと思う、前は忘れた所がわかりスーパーとかでとっておいてくれたから良かった、でもその時はたいして金は入っていなかった
今度は大きな金だったかちショックだったがこれもカルマだったのである
小さい金ではないということがやはりカルマとして現れたのである
金になんかカルマが関係していることは間違いないのである
何か金を出てゆくカルマがあったとなるのだ

結局ある程度の年になればもう生きていることが得だとも考えるようになる
なぜなら同年でも死んだ人が増えればそうなる
ああ、まだ自分は生きていたな、幸運だったとなる
20万なくしたにしても命はあまだあるとか考える、まだ金もあるとかなる
これもショックだったが不運はどうにもならない、防ぎようがないからあきらめる他ないのである
posted by 老鶯 at 17:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

不正乗車は「運賃3倍」徴収、時代に合っているか (無人駅ではどうなっているのか?)

                
不正乗車は「運賃3倍」徴収、時代に合っているか

(無人駅ではどうなっているのか?)

 今では駅の無人化や省力化が進んでいる。改札口にバーのない入出場を記録するための簡易なICカードリーダーが設置されているだけの駅も増えている。その点では有人駅が多かった時代よりも、監視の目を盗みやすく少額の不正乗車がしやすくなっている面もある。
 乗車券確認が乗客の行動に委ねられることになるのならば、引き換えにその信頼を破壊した場合のペナルティを重くすることで、抑止を図るというのは合理的である。

 東洋経済オンライン

感心するのは無人駅では入り口に乗車券とか入れる箱を設置している
それを定期的に見回りに来て回収する
それを見ているとみんな真面目であり切符を入れている、それには感心する
通り抜けることは簡単だからである
例えばA駅からBCD駅となるときB駅までの切符を買ってD駅は無人駅だからそのまま素通りすればわからないからだ
それはキセル乗車とにている
なんかそんな経験している人は多いのである、それに責任も感じなかった

最近遅きに失したが社会的責任を感じるようになった、人間は社会的責任を感じるには仕事をしてみないとわからない
だから自分の欠点は備わらなかったのは社会性だった
旅ばかりしていては社会性は備わらないのである
だからニートとかの危険性は社会性が備わらないからある所で介護とか何かあると危険になる、対処できなくなるのからだ

要するにここで問題になっているのはサービスを提供する側と提供される側の問題なのである
第一そうだろう、何か食堂に行ってもどこかで買い物するにしろ何でもサービスを提供される側にばかりなっていたら社会のことはわからない
もし仕事しないニートとかなるとそのことがわからないのである

そしてサービスを提供する側には必ず責任が生じる
それで必ずクレームが文句が言われるし責任が問われるのである
でもサービスを受ける側、消費者側になると何も責任を問われないのか?
それが無人駅とかの問題だったのである

サービスを提供する側でもそれ相応の金をもらえないと提供できないのである
千円でいい料理をだしてくれと言ってもそれには限度がある
それはなんでもそうである、金によって提供するサービスには差が生じるからである
JRでは経営上収入がローカル線などでは少なくなっているから駅員を置けないのであるそれが東京でもかえって自動化したのはそれだけ自動化した方が手間が省かれるからだ
そこで経費を節約できるからである
機械化自動化は医療でもAIを利用する時医者不足だから機械に頼るようになるのであるそれはこれからどこでもそうなる
ただもし駅員を乗客側で置けと言うなら今の乗車賃を倍にするとかなる
また不正乗車を見つけたとき多額の金を罰金として払ってもらうとかなる

ここまで考える人は少ないだろう、それはJRという会社が巨大会社だから別に倒産するようなことがないからだと思っている
でもローカル線では経営的にコストとして維持できなくなり廃線になる
それを維持しろといってもできない、サービスされる人が利用しないのだからできないのである、それを維持しろというのは勝手だとなる
それで自治体がかかわり費用を負担するとかしてなんとか維持するとなる

結局現代の資本主義社会は金が責任なのである、もうからなければ金にならなければ維持する責任などないのである
もしJRで駅の高校生の見守り役でなくて駅の業務にかかわらせると切符販売でもさせるとそこに費用の負担が生じるからしないのである
業務委託すればJRで金を払うことになるのだから無人駅にする意味が価値がなくなるからである

要するに現代の社会は金が責任なのである、百円、千円、一万と金によって責任が課せられている、だから何であれ一億円持っている人は一億円の責任が課せられることになる
それをギャンブルとか無駄に使うと責められるのである
だから金のない人は責任はないとなる、だからかえって気楽だともなる
とにかくなんであいつはあんなに金をもっているんだ、その分を社会に尽くしてもらおうとなるからだ
金を与えるということは責任を課されたともなるしそれは雇うことは金で責任を与えることになる、それで悪ふざけで動画をインタ−ネットにアップしアルバイトは賠償金まで請求されることになる
ただそうはいってもなぜアルバイトがそんなことをしたのか?
それは自給とか安いからでありその自給なりの仕事と責任しかないということでそうしたからそんなに責めるべきではないというときもそうなのである
金の多寡によって責任の度合いが決められているのが資本主義社会だからである

いづれにしろ無人駅の問題はサービスを受ける乗客とそれを提供する側の両者に責任がある、責任は何か一方的なことはない、原発事故でも責任は住民にもあったというときもそうである、金欲しいから積極的に誘致したのも事実だからである
だから住民の責任もなにかやとあるが問われる結果になったのである

江戸時代なら政治に庶民は口出すこともできないから責任は全部侍にあったとなり重い責任を課せられていた、それで切腹させられたのである
それで庶民はそういう重い責任を負いたくないから侍になりたくないとなっていたのである、気楽な方がいいとなっていた
でも今の社会はあらゆる人が責任を課せられている社会なのである
それも金によってその責任が問われる明確化されている社会だとなる
何であれ金を多くもらった人はその分の責任が問われる、果たしてくれとなる
金の多寡によって責任の度合いが決められている社会だともなる
とにかくなんらかの責任の自覚をする、それを庶民にも要求される社会である
だから不正乗車を軽く見ることはできないともなる
ローカル線とかげは金を払わないから廃線になる、でも廃線にするなと言うのは無責任だとなるからだ