2019年02月14日

原町の高見食堂に行って食べてみた (そこはやはり狭かった)


原町の高見食堂に行って食べてみた

(そこはやはり狭かった)

高見食堂に今日行ってみた、けんちん汁食べるのかと思ったらトン汁だった
どんぶりで出していた、4人くらい忙しく働いていた
中は狭い、一人で入るとカウンターに4人くらいしか座れない
他には四人用であり一人は座りずらい、高見ランチを出していたが
ミックスランチを頼んだ
メンチとアジフライとかぼちゃのコロッケだった、何かそれが大きい
家庭料理的であるから人気があるのか?

ビジネスホテルの高見の料理はいかにもレストラン風なのである
でもあそこは広いしゆったりしてくつろげる
四人座れるところに一人でも座れる
そしてコーヒーも無料なのである

それでなぜあそこは客が入らないのか?一時は外部の人がきて10人くらい入っていた
今は何か5,6人とかしか自分は見ない
料理は悪くない、サシミ定食はおすすめである、千円でもマグロがついているし高いとは言えない、味噌汁は独自のものを出しているからいい
でも人が入らないのはラーメンを出していないからかもしれない
高見食堂は麺類をいろいろ出しているからだ

ともかく何かこうしてレストランとか食堂とかにこだわるのは自分自身外食するからそうなる、自分で料理できないから外食で安くていいものを食べたいとなるからそうなる
そして不思議なのはなぜ外食の方が自分で作ったよりうまく感じるのか?
これも不思議である、雰囲気の作用もあるとなることはありえる
高見食堂では一人ではゆっくり食べられない、カウンターが狭すぎるからだ
ただメニューがいろいろあるから入っているのかもしれない

ところで鹿島区の仮設の食堂のはる食堂は小高で再開すると聞いたが始まったのだろうか聞いたところではしていないという、あそこはラーメンも野菜一杯とかうまいものだったカレーライスが500円ではうまかった、そういう味を覚えたのである
何か自分は年になって味にこだわるようになった
アジをかみしてめ食べているという感じになる

それが意外と脳にもいい、味覚の感覚も大事なのである
味覚は脳を刺激する、すると脳が活性化するのである
それは例えば本を読んでも何か深く味わって読むともにているのである
年をとると深い考察ができるようになるからだ
何か新たに発見するものが多いのである、今まではただ一方に読まされているとんう感じだった
今は必ず自分なりに読んで評価して利用もできる、引用できるからだ

味覚というのはだからこれも他の五感と同じであり脳を刺激して新しいセンスを磨くのである
だからといって贅沢するのではない、別に普通の料理でも味覚を磨くことができる
もし味覚の能力が減退したらそれはかなり老化したともなる
それは健康にとって危険な状態なのである

認知症になると五感が衰退して何も感じなくなる、寒くても寒さを感じなくなったりする味覚でもそうである、感じなくなる、それが危険なのである
感覚がなくなることはやはり脳がもう弱体化している
なぜなら脳で人は感じるのであり体ではないからだ
人間だけが性欲でも快楽でも脳で感じて記憶している
一旦快感として記憶したものはまた快感を覚えたい味わいたいと必ずなるのである
つまり快感の記憶は強烈に脳に刻印されるのである
だから麻薬だとか何か薬でも一端脳が覚えた快感を忘れられないからそれをやめることができなくなるのである

いづれにしろ食を豊かにすることはむずかしい、料理はめんどうである
だから何か外食するからそれでレストランとか食堂にこだわるようになった
でもこの辺ではそれには限度がある、どうしてもたりないからだ
そして外食の弱点は飽きるということである
どんなにいいレストランで食事してもそれが飽きるのである
それでカレーでも毎日違ったもの工夫して出している店が東京であり紹介したことでもわかる、やはり手料理とか家庭料理が必要になるのが料理だったのである

posted by 老鶯 at 13:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記