2019年02月03日

意味と価値を追求していない投資 (除染に使った何兆円もの無駄?)


意味と価値を追求していない投資

(除染に使った何兆円もの無駄?)

kanna1234.jpg

明るしや畑に人無くカンナかな
kannnaaa12321.jpg

投資とは何なのか?そもそせこれもわからなものだった、私が投資したのはその投資の意味とか関係ない、ただ金を増やしたいからした
銀行でも利子がつないとかですすめられたからである
私は投資のことは経験もないし何も知らなかったのである
そして銀行も知らなかったから私と同じだったのである
銀行で考えたことは投資信託をすすめて確実に手数料をとることしかない
顧客のために利益をあげることなどあまり関心がなかった
だから株が上がっていたのに投資信託にその株を売って手数料をとったのである
結果的にそのリートも損していたのである 

投資についてその事業がどうのこうのとかわからない
ただそこで利益をあげてもらい金を増やすことだった
でも本来の投資は違っている、確かに利益をあげることが絶対であり利益があがらないとしたらそんなものに投資して金を使っても無駄だとな
そんなことしたら銀行でも成り立たないからそんな人には貸さないのである
その事業は社会にとって有益でも利益ならなければ銀行は絶対に貸さないし
また担保がないと貸さないのである

ところが何かこの辺で起きたことは金の使い方で無駄があったなと思う
除染に何兆円も使った、本当にこれが有益だったのか?
それが科学者でないからわからないけど除染は本当に効果あるものだったのだろうか?
その額があまりにも桁外れだったからそんなに湯水のように金を使っていいのかとも思った、だからその金を補償金に回せばいいと言った人の気持ちもわかる
それもまた問題があり有効な使い方かどうかはわからない
でもその金は本当に地元にとって有効に働いたのだろうか?
結局ゼネコンとか大手の大企業に金が流れただけではないか?
国民の金が無駄に使われたのではないかという疑問が残った

それで私自身が投資しているのは小さな畑で野菜を作る人である
そのために肥料とか種代とか一年に十万も払った
こんなに肥料代にかかるのかと驚いた、鶏糞だ貝殻をつぶしたものをまくとか他に化学肥料とかもまく、それでもらったのは大根一本とかでありほとんど何ももらっていない
まずとれないのである
ただそこにカンナが咲いたのであれは大きな花なので荒地にしているよりはいいなと見たこの辺では原発事故以後荒地になっているのが多いからだ
畑をやめた人が多いのである
それは見た感じが嫌なのである、荒れた感じになるからだ
だから花でもそうして映えていれば気持ちいいなとなる

だから私が投資した金はただ損したのかとなるとそうでもない、それは花が映えたことで荒地になっいるよりは環境的にいいとなる
でもそれでは金には全くならないし腹のたしにもならない、それなりに野菜はとれてその人は助かっている、でもまともにとれるということはない
ただそこへの投資は利益をあげないが無駄だとは言えない
でも除染に何兆もかけたものが本当にすべて有効なのかとなれば疑問なのでる
10万と何兆円の差も天文学的になる、だからそれだけの金をかけるとしたら本当に除染が効果的でありもう放射能を心配することがないなければ効果があったとは言えない
でも実際は除染はそれだけの金をかけてもそれが精神的な慰めなのかとも思った
放射性物質をとりのぞくことは本当に容易でないし不可能に近いものともみたからである
それで小高でも浪江でも避難区域になったところは田んぼは荒れて草茫々の荒地になっている、それを見たらそこに住むことも嫌になるだろう
そこに住んでいる人もほとんど老人というのも何か淋しいとなる
だから金を投資するにしても莫大な金でもそれが無駄になることもある
金の使い方がやはり大事だとなる
だから投資というのは本来その意味を知り投資するものの価値を知る人がすべきだとなるただグロ−バル社会では投資は全く投資するものが何なのか理解できないのである
それで銀行にあずけた金が環境を破壊する会社にも投資されたり武器を作る会社とかにも投資される、それは利益を生むから見返りがあるからそうしている

ともかく金をどう使うのか、投資するのか?それもこの辺で問われた
私の見解ではもう田んぼでもつづけるのは回復するのは無理だからお花畑にすればいいともなる、荒地にしているよりはいいとなる
これはあくまでも私のまさにお花畑な思考にもなる
ただ荒地にしておくよりは花を植えて育ててきれいにしていれば地元で暮らす人でも外から来る人でも荒地になっているよりはいいとなる
だからそのために金を使っても無駄ではない
第一何兆円もの金を使って除染してもその金は大手のゼネコンに流れただけだとなるからだ、それは東京に住む者の懐に入っただけだともなる

この辺で問われたのは何兆円とか何か莫大な金が補償金でも入ったがそれが有効に使われたとも思えないのである、補償金のために一体感は失われたとかもあり深刻なものになった
投資するという時そもそものその投資するもの金を使う意味とか価値を追求していないからである
ただ利益が上がることを第一にしてその他は一切考えないことが問題になるからだ
それで利益があがったとしても世界的な環境破壊する多国籍企業がもうけたりしているからだ、武器会社がもうけたりしているからだ
それでグロ−バル経済を批判することもわかるのである

現代の資本主義は利益は追求ているがその投資するものの意味とか価値は追及していない利益をあげないものは無価値であり無駄であるとなっている
でも利益があげなくても荒地がお花畑になったりしたらそこに住む人にとっても外から来る人にとってもいいことなのである
この町は花一杯で気持ちいいなまた来てみようとかなるのである
それは明らかに価値を生んでいるし利益だってうむ、なぜなら外からでも訪ねる人があれば何かしら買い物したり効果が生まれるからである
だから資本主義の社会でグロ−バル経済で銀行は批判される
銀行はその投資するものへの意味とか価値を追求していないからである
ただ無条件に利益をあげるものが価値あるものとして投資するだけだとなる
そもそも地銀とかでも震災の被害があり復興のために何か考えているのか?
そういうことも見えないのである

これは政府でもそうである、除染だけに何兆円もの金を使いゼネコンに流したのである
それは復興になったかとなると疑問であるし補償金だってそうである
だから投資とは何なのか?今のグロ−バル経済ではそれはもう不可解である
投資した意味と価値など関係ないのである
ただ利益があがれば価値があったとなるだけである、それが環境破壊になっても武器会社に投資してもその他そういうことはグロ−バル化するとわかりにくいからである
そのわかりにくいことも問題なのである
何兆円使ってもなんち効果がないということもあるのかとも思った
一千億円でも使ってお花畑とか庭園でも造った方がいいかのかとも思った
なぜならもう田んぼを回復できないし米はいくらでも外から入ってくる
ブランド米が入ってくる時代である
そうしたら米に田んぼにこだわるよりお花畑にした方がいいとなるからだ
ただこれはあくまで一つの例であり否定されるのもわかる
でも何か金の使い方が間違っていて復興にならなかったことは言えるしみんな感じているのである

それは私の見解だけどオリンピックも今の時代に意味とか価値はないと思っている
景気刺激になるとかいうけど日本にとって東京オリンピックは戦後復興で意味があったし国民もそういう気分で開いたから意味と価値を認識していたのである
私はオリンピック自体が無意味に思う、商業主義であり必要ないものとなっている、時代が変わったからである
百メートル競走で一秒にもならない速さを競ってなんの意味があるのだろうか?
ただ勝つことだけをメダルをとることだけを追求して何の意味があり価値があることなのか?
それで世界の平和に貢献することもない、結局大国はやはり争いその間でシリア難民とか生まれているし平和になるわけでもないのである
要するに意味と価値を追求することこそ大事でありただ金儲けだけの社会は荒廃してゆく
それは政府でもそうだし大企業でもそうだし銀行でもそうである
そうなると暗黒を作りだしているだけだとなる
世界の国々でもやはり意味と価値を追求することが平和でももたらすことになる
グロ−バル経済にはそういうことがない、無政府状態の市場原理でありただ利益があがればいいというだけなのである
それが世界を精神的にも荒廃させている、モラルもなにもないただ金をだけを追求する無政府状態なのである
posted by 老鶯 at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

常磐高速のSAは日曜日でもすいていた (小高の若い人が働いていた)


常磐高速のSAは日曜日でもすいていた

(小高の若い人が働いていた)

鹿島のSAで小高の若い人が働いていた、あそこでは30人くらい働いているだろう
掃除する人だけで10人くらいとかきいた
土曜日とか日曜日に行くと車が一杯だった、食堂も一杯だった
今日見たら閑散としている、めずらしいと見た
正月に外出したから今はまだ寒いし雪もふったから外出しないのだろうと言った
それからどきうししても常磐高速は二車線なのでつかえるから利用しにくいと言っていたそれで東北道を利用する人が多い

それはわかる、もともと東北道の方が新幹線でもなんでも東北に来るには利用しているからだ、どうしてしも東北に遠くから来る人は浜通りは少ないのである
そして外国人が多いというのも昨今の事情である
確かに時々外国人をみかける、ベトナム人が多いというとき福島県はベトナムと友好関係を結んでいるからだともいうのもわかる
ベトナム人は今は中国人より多くなっているのだ
でも私が見た限りでそんなに外国人が多いとは見えなかった
ただその人は毎日そこに勤務しているのだから自分よりは詳しいのである

ここはいつも混んでいるとかいうとあまり混むと宮城県の方でもっと客を集めたくなるとかいう、亘理の鳥の海がSAになっている、鹿島のSAが混むのは途中が遠いからここによりやすいとか言う
そういう地理的条件でそうなっている
福島県と宮城県が客をひきこむために争うというのもまたあるのかと思った

高速のSAには私は良く行くようになった、やはり食堂があることと休む場所があるためである、時々催し物もあるのがいい
今日は駅前の鈴木食堂で弁当を出していた、それは今までにないものだった
鶏肉の弁当で500円は安かった、それから粟饅頭を買った
これも駅前の大岩食堂で出しているものなのである
これでわかるように駅前では商売にならない、人が集まらないからである
だからパークゴルフ場でも蕎麦とかうどんを鈴木食堂で出している
あそこも老人が集まる、だから商売になる

ただSAの問題はほとんど街の方に来る人がいない、一時的に休憩して去ってゆく
駅の場合は街と直結しているから違っている、街を歩いたり利用するのである
ただ鹿島神社の火伏祭りを見に来たと伊達の人が言っていたが特別案内するものがない
小池の古墳を見に来た人はいた

駅とSAには交互に行っているがやはり食堂とかが中にあり休む場あるのとないの差は大きい、それは街中にあるとしても駅にまた駅前にあるのがいい
でも大岩商店とか鈴木食堂があっても鉄道で来た人は鈴木食堂は聞かれたことがあったがあとはほとんど関心がない、でも駅に休んでいると何かこの辺で休む場所とか食べる場所とかお土産売る場所ありませんとは聞かれたことがある
ただその数も少ないから商売にならない、だからSAに置いたのである

小高の若い人が働いていたので小高がどういう状態なのか聞きたかったがわからなかったでも老人が鹿島の病院に親の介護に来ている人とかもう一人やはり親の介護している人に出会ったし新聞にも仮設に住んで親の介護している人とか知った
つまり介護している人が老人だから多いのである
そしたら親を介護した後その介護した人が今度は介護される方になる
そういう老人ばかりの町が成り立つのかという疑問である
シルバータウンが成り立つのかという疑問である
働く場もないからここで働いていたともなる
別に今までも小高の人は原町でも他でも働いていたから特別なことではない
でも小高で働く場があればいいとなる


先日一時帰宅した際に全線開通した常盤自動車道を走ってみた。それほど混み合ってはいなかったが、いわきインターチェンジから北は片側一車線。一台でも遅い車がいれば、全体がそのペースで走らなくてはならない。追い越し車線はたまにしかなくその区間も短い。

この高速道路の特徴は避難区域の中でも最も規制が厳しい「帰還困難区域」の中を通ることだ。富岡インターチェンジを過ぎるとすぐに「帰還困難区域」に入る。次の浪江インターチェンジまではサービスエリアもパーキングエリアもなく通過するだけ。トイレは「ならはパーキングエリア」から「南相馬鹿島サービスエリア」まで50キロもないので要注意だ。楢葉から浪江にかけて9箇所の放射線モニターが設置されてリアルタイムで線量をデジタル表示している。大熊町を通過するところで最高値が毎時5.7μSV。他はずっと低く毎時1〜3μSV程度だった。意外にも居住制限区域の楢葉町で毎時4μSVを超す表示が出た。

日本エネルギー会議

http://www.enercon.jp/%E6%9C%AA%E5%

88%86%E9%A1%9E/8957/

こういう事情があったので鹿島のSAは混んでいた




従軍看護婦となった姉への召集令状 (マレーシアのジョホールバルへ4年間の従軍へ)

              
従軍看護婦となった姉への召集令状

(マレーシアのジョホールバルへ4年間の従軍へ)

shoshurejyo.jpg
小林カツ

召集令状には「一銭五厘」という俗称もあるが、これは応召者が本籍地から離れて住んでいる場合、実家から郵便で令状が届いた旨の連絡がされていたことにちなむもの、とされている。
しかし実際には、通知を受け取ってから部隊へ出頭しなければならない日時までの時間的余裕があまりないのが一般的なため、電報などで知らされることが多かったという。
令状の表面には「応召者の氏名」「配属される部隊名」「部隊へ出頭しなければならない日時」が、裏面には「この令状の提示により、部隊所在地までの交通費が割引になること」「天災や伝染病の流行による交通遮断などで、期日までに部隊へ出頭できなくなったときの連絡先」「応召者の心得」などの備考や注意事項が記されていた。


通知を受け取ってから部隊へ出頭しなければならない日時までの時間的余裕があまりないのが一般的なため、電報などで知らされることが多かったという

これは召集令状というより電報で知らされたのである、カタカナで召集令状とあり福島支部とあり赤十字の支部なのである
これは陸軍の命令であり三陸会というのに所属していた

とにかく急なことでありそれでとまどうとか考える余地もなく戦地の地獄に連れていかれたのだ、何か悪いことは何でも急に予告なもなく来るのが多いのである
ベ―トベンの運命のうよにである
その時父と母でも別れを惜しむという時間とか余裕さえないものだった
それはみんなそうである、赤紙一枚来たらすぐ戦地に行かされたのである

今日奇妙だった戸棚を開いたら姉の母の遺影が出て来た
姉の母は私の母ではない、私の母は姉の母が死んで後妻に来たのである
姉の母は姉が戦地に四年間行っている間に死んだのである
そして姉が帰った時死んでいた
それで墓を掘り出してその母の顔を見たという、まだ顔でもそのままだったとか言っていた、それほど日にちがたっていなかったのか?
その頃は土葬だったとなる
姉は父にたって頼み埋められ死体を墓から掘り出したのである
これも悲劇だった、つまり急に召集令状の電報が来てすぐに戦地に行かされてそれが遂のこの世の別れとなってしまったのである
人間は何か思わず最後の別れとなることも多いのである
戦争の時はみんなそうなることが多かったのである

姉の母は新地の出でありそのことはわかるが後は一切わからない
ただ不思議なのは戸棚の奥に姉の母の遺影が残っていたことである
姉の母のことを知っている人はいるだろうか?
親戚ににいたがその人との縁も切れたし今では姉の墓参りとかに来る人もいない
なんらか死んだりしているし縁がみんな切れてしまったのである
親戚なども代が変わると疎遠になり縁が切れるものだった
私の家にはそもそも親戚がいない家庭だった
母の実家の縁も切れた、だから残っている親戚関係はいないのである
こんなに親戚家系などもいづれ切れてしまうのである
これも無常である

戦争のことは親の代が実際に戦争を経験していればその子はその話を聞くがその孫となると伝えられたことを聞くから何か別なものになる、実感がさらになくなるのである
戦争というのは経験しない限り理解しにくいものなのである
人と人が殺し合う世界は実感しにくいからである
だから孫に今度は祖父母の戦争経験を伝えてもさらに理解しにくくなる

ただ戦争の経験が実際はあまりにも重いものだったのである
それで姉はひどい認知症になったけど死ぬ一か月前まで戦争のことを話ししていた
その前にも千回話を聞いたので嫌になっていた
でもそれだけ青春が戦争だったということで忘れ々ことができないものだったのである
青春時代のことはなかなか忘れられないことが平和の時代でもあるからだ
貴重な青春時代を戦争に費やされたのだからそうなる
姉はあねご肌であり体育系でありはきはきしていて頭の回転も速い
太っていたけど動くの機敏であり大の男も恐れなかった
かえって大の男が恐れていたのである
それだけ気丈夫だから家を支えたとなる、ただ何か死んでから訪ねる人もないということは淋しいとなる
ともかく人間は死ぬと急速に忘れられるのである
そんな人いたのとなってしまうのが普通なのである

家というのは今整理しているけど何かそうしたものが出てくる
それは記録として思い出として残されたものなのでみんな捨てるわけにはいかない
これば貴重な資料だとなり家にとっても大事だとなる
そして姉の母のことは忘れていた
それが戸棚を開けたら奥にその遺影があったのである
これも不思議だともなるがやはり家にはそうした記録だけでない現実に家にはそうした家に思いがあり残っているとなる

何か思いが家に残っている、私の家の墓には父と姉と母と父の前の母と後妻に来た兄が埋まっている
兄は不幸にも交通事故で41歳とかで死んだ
母の実家に埋めたがその骨もなくなっていた、それで私の家の墓の隣に墓標を建てて供養している、そこには骨は埋まっていない
私は恵まれたが兄は恵まれなかった、それで墓標をたてて自分が一人供養している
娘がいるとしても何か関心がないのである
何かひどいめにあったから恨んでさえいるのである
ともかく家には何か必ず負の面がある、それはどこにでもある

私は今毎日整理が仕事である、家の整理というのは簡単にできない
終活といってもなかなか終わらないのである
それはやはり家にはそれぞれに家で暮らした歳月が長いからそれを次の代でもすべて終わりにすることはなかなかできない
それで何か残っているとそこから死んだ人を思い出すのである
特に古い家だと蔵がありそこに何代も前のものが残っている
それで先祖のことをふりかえるのである
それぞれの家自体が二代でも歴史になっているのである 

photounknown1.jpg


我が家にありしも忘らるその遺影い出きて思ふ家の歴史を

時にして忘らる死者のその霊の浮かびて思ふ冬のくれかな

思うは面うになる、面と顔と関係していたのである、遺影がそうだったのである
この女性は新地の人でありでも戦前になるともう実家もわからないし誰も知らないとなった
もう時がこうして過ぎればみんな忘れられてゆくだけである
墓さえ捨てられる時代だから最後に記憶するものもなくなんてゆくのである




posted by 老鶯 at 11:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)