2019年02月01日

なぜ駅の見守りは鉄道運行の業務はしないのか? (それはJRで責任をとりたくないから?AIは機械は責任はとらない)


なぜ駅の見守りは鉄道運行の業務はしないのか?

(それはJRで責任をとりたくないから?AIは機械は責任はとらない

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切符の販売や清算、列車の運行等に関する駅業務のご案内はいたしかねます

なぜこういう取り決めにしたのだろうか?

JRでは責任をもちたくないから

おそらくここを一番肝要なものとして決めた
それはなぜかというと私自身が時刻表とかバスの案内とか乗り継ぎの案内を置いたり貼った時、禁止されたからである

ではなぜ禁止されたのか?

それはJRで許可したということはJRの責任になる、何かとJRに問い合わせが来るからである

許可した会社に責任がある

とにかくなんでも契約がめんどうになり複雑になりわかりにくいのは何かあった時の責任を逃れるためなのである
何かあると必ず責任が問われるからそれを怖がっているのである

でもここでは

JRで見守り役を置くことを許可した
でも鉄道の運行とか鉄道関係の業務にはかかわらない
こういう契約で市で頼んだNPOに委託したとなる
これは例えば政府で東電に原発を作ることを許可した
だから政府にも責任があるというのと同じである
なぜなら許可したりしない権限は政府にあったからである

それで不思議なのは駅を無人化して自動化するとそこには駅員がいない
今いるのは高校の通学生などの見守り役であり駅員ではない、駅の業務にはたずさわらないとしているからだ

つまりこれも変だなと思った、責任をとりたくないのはわかる

では駅を無人化したら責任をとらなくてもいいのか?

何かあったらそこに駅員がいないのだから自己責任にされる
JRでは自動化して乗客に困らないようにしました
後は何かあったらそれはJRの責任ではない、自己責任ですよ
これも奇妙だなと思った

つまり機械化自動化するとそこに責任者はいないのである
機械やロボットや自動化したコンピュターが責任をとることはないのである
機械やロボットやITでもコンピュターでも責任はとらないのである
ここが人間と機械やコンピュターの相違だった
何かあれば故障したら責任とるのはコンピュターではない人間なのである
責任をとれるのは人間しかいないからである

だからJRで駅を全自動化して機械化して経費を節約するのはわかる
でもそのことでその責任は実は乗客の自己責任になったのである
例えば勝手にホームに入れるが事故が起きたりしたらその責任はJRにはないとなるのだ
これは何か変でではないか?

現実に無人駅から無人駅に乗った人が支払いに困ったがでもそれを教える人もいない
駅員がいないからだ、ただインターホンで聞くことはできる
でも分からない人は聞くこともできない、初めての人はわかりにくいからである
第一常に仙台行きと原町行のホームさえわからないから良く聞かれるからである
張り紙しているのだけど聞かれるのである

要するに全自動化して人は置かないということはJRで責任をまねがれて自己責任にするということではないか?

そこに責任をとる人間はいない、機械とかコンピュターとかAIでも責任はとらないからだ
これはこれからの時代を示唆している、何でも自動化するがそこに人間がしないとなると事故がおきたら誰が責任をとるのか?
機械はもともととらない、コンピュターもとらない、AIだってとらない
それで自動運転でそこが問題になったのである

何か人間には社会には常に責任問題がつきまとっているのである
それだからこそJRでこれほど責任をさけている

でもそもそも全自動化して無人駅化していることこそ無責任だ!

そこに人を置かないことが危険にもなるし責任をもたないというのも変なのである
ただ駅員を置かないということにはJRの言い分もある金がかかるから置かないのであるまた見守りの人との契約もJRで鉄道の業務に切符の販売でも委託すると金がかかるから頼まないのである
経営的に人を雇いないからそうなっているのである
それは利用者にも責任があるともなる、利用する人が少ないならどうにもならない
利用者が責任をとってくださいとなる
無人化しないと鉄道の経営はできないからそうしているとなるからだ

なんかこんなことまで考えるのもめんどうだと普通はなる
これは何か事故があったりすると法律問題になりこうした理屈で争うということにもなるなんか自分は理屈が好きだったから今になると法律を学べば良かったと思う

とにかく社会は責任問題にうるさいのである
正式に雇われない人には賃金の不払いが日常的にある、ちょっと飲み屋で手伝ってくれとか頼まれた人に賃金が払われない、また前も半年も働いても賃金がもらえなかったとかある
それは正式に契約しないで働いているからなのだ
だから明らかに働く方にも責任があるともなる、働いた分をちょんと払わないなら訴えるとか何か対抗策が必要になるしそういうところでは働かない方がいいともなるからである

無人駅では運賃を払わなくてもわからない、それは各自の自己責任にしているのである
JRでは鉄道の経営が苦しいからそうしている
つまり自己責任というのはJRにだけあるのではない、利用者側にもある
鉄道を利用したいなら自己責任でしてください、駅員を置くことはできないですけど支払いをしてくださいとなる
だから消費者に責任がないようでもある雇う人や雇われる人の関係でもどっちも責任があるとなる
要するに人間社会には人間には責任が必ずつきまとっているのである
それをむずかしくいえば宗教的になるとカルマだとなる  

いづれにしろ無人駅がこんなにいろいろな問題が生まれるとは思っていなかった
これは明らかに未来の問題なのである、なぜならしきりにAI化機械化自動化とか現実的に言われている時代である

でもAIが判断したとしてもAIは責任はとらない、機械もコンピュターもとらない
責任をとるのは人間なのである

このことは肝に命ずるべきである

モノが売れないモノ余りの時代でも売れるもの (オーダーメイドになり個々人の要望に応じるものーDIYの時代に)


 モノが売れないモノ余りの時代でも売れるもの

 (オーダーメイドになり個々人の要望に応じるものーDIYの時代に)
  
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柱と柱の間に棚がどうしても必要だった、ここは手作りする他ないものだった


物がない時代は終わった、物があふれていてなんとか買ってくださいという時代である
少子高齢化で家でも土地でも金でもあまってくる
何か今まで売れるものが売れなくなる、規格品が売れなくなる
それでオーダーメイドが売れるものとなるがそれがむずかしい
個々のニーズにあったものを提供するとなると手間になるし必ずしも金にもならないからだ

今私はいろいろ家を整理している、それが本が多くて家が傾くほどになった
それは二階が書斎になっていたからである
でも本の整理は意外とむずかしい、買ったのだ積ん読になっていた
半分以上はそうである、それで半分とか本を捨てたがまたアマゾンで古本とか安い本を買うようになった、それは安いからである
そしてわかったことは知的作業にもビッグデーターが必要なのである
多読が必要なのである、精読するものがあるにしてもやはり何か新しい見解を発表するには様々な研究があり本がありそれらを参考にして引用して編集すると訴える効果が大きくなる、つまり知識は膨大だということである

だから本を買っても読んでいなかったのである、ただ本を買ったということで知識が身についたような錯覚に陥っていたのである
この家には本が一万もあるのかとなるとその人が知識があると思うがそうでもない
なぜなら本はいくらでも買うことができるが理解して自分のものにすることが容易ではないからだ、ただそれなりに量があればいろいろな見方を知るからよりデーブなものになる
本棚にしても窓際にただ棚を作っただけで本棚になった、それは簡単だったが部屋に合わせる必要がありそれは自分しかできないものだった、手作りが必要になったのである
必ず部屋を使いやすくするに整理するのはその人自身にしかできない
規格品ではできない、なぜならその人なりが望むものがありみんな違っているからであるだから整理とかは確かにそうした家具でも本棚でも売っているがそれだけではたりないのである、つまり自由に本棚でもその人なりの必要に応じて手作りする必要があった
それは日曜大工でもなんとかできるものだと見た
ただ板を切るのが大変なので電動のこぎりの安いのアマゾンで注文した

本当は家作りでもそこにその人なりの好みのものを作れればいいとなる
何か家作りでも庭作りでも出来合いの物ではなくその人なりに手を加えるものができてくる、そして家というのはそこに住む人が子供なら成長するし親が死んだりするし変化するするとその変化に見合ったものが必要になる、リホームが必要になる
だから家というのは建て売りのように規格品を買うと後で直せなくなるから問題になる
その人なりに整理したりその人なりに変化させて使用することが必要になる
人間は何でも一定して変わらないものはない、変化の中を生きているのである

老人になると断捨離が必要になる、この仕事も意外と大変なのである
簡単になんでも捨てられない、本でもそうである、ほとんど読まなくなったものでも今読んでみるとこんなことが書いてあったのかと発見する
最近はそうしてし深く読めるから自分の文脈の中で引用できるようになった
だから本の批評に向いていると思った
その要旨でもさっと読めばわかる、本にはやはりその人の経験したことがその人が仕事した分野の蘊蓄(うんちく)が集積されているのである 

本でも家でもそうだが整理が大事である、でも家を整理するのは手間である
でもそれは他の人にはできない、その人の人生がありその人の貯えてききものがありその整理になるからだ、だから親でも子供が残されたものを整理するときは大変になる
そこには人生の思いでが詰まっているからつまらないものでも大事になる場合があるからだ

とにかく両親と言える人も死んで残されたのは自分一人になったがその整理も大変になるだからいくら整理しても整理しても整理がつかないのである
一番困っているのが本なのである、本はがさばるから困るのである
そして本は内容があり良質なものが多いからなかなか捨てられないのである
とにかく最後に人生の総決算がある、それが様々なものの整理なのである
限りなく整理するものがある、今までホームページに書いたものがありプログに書いたものでも整理がありこれも膨大になるからそれをしているだけで時間がとられるのである

いづれにしろ人間は規格品だけではたりなくなる、いくらAIが発達しても人間の手作り感覚でするものがありそれは機械でもAIでもできないのである
そうして手作り感覚なものが今は望まれている、オーダーメイドなものが望まれている
それはどうしても売っているものではない場合がある
だから材料の板とか買うにしても後は自分で手作りする必要がある
それはさほど難しいというものでもないが手間になる

それを楽しみにしている人もいる、ともかく今の時代はいくらモノ余りでも売れないとなっていてもやはり時代によって必要なものは売れるとなるか
安い電動のこぎりはこの辺では売っていなかったのでアマゾンで買ったのである
そういうDIYの要望が高くなるとその道具とか材料が売れるようになるかもしれない、
それは出来合いの物ではなくDIYを助けるものである
規格品とか出来合いのものの需要は減ってゆく、オーダーメイドでありその家とか部屋とかその人の望むものが違ってくるからそうなる
それは衣服関係でもそうであり料理すら毎日カレーを違ったものを出している店が小さな店でも繁盛している、でもそうなるとその個々人の要望に応えるのは容易ではないでも規格品では売れない時代なのである

情報でもインタ−ネットになったとき個々人の要望に応じるものも検索している、テレビだと何百万の人の関心あるのしか伝えない、それで商売としてマスコミは成り立っていた、それはもうインタ−ネット時代にスマホ時代になるとない
膨大な情報にアクセスできるがテレビのように何百万人に答えるものではないのである
テレビでもyoutubeが無数にありそこは意外と芸能人ではない、その人独特の持ち場があり経験があり仕事がありそれを語るからかえってためになる、勉強になるとなっているのだ
そういう時代の変化があり規格品は情報でも見られなくなる、多様な情報を取捨選択するそして自分なり編集して見たり読んだりするとなる、だからビッグデーターはインタ−ネットでも本にもある、本の方が良質なものがありまだ必要である
それでアマゾンでかえって買う本が増えたのである
ただ長い本になると読むのが辛い、二三時間で読める文庫本なら多読できるのである
そして精読しない、何か自分の必要とする文を情報を拾い読みして活用するのである