モノが売れないモノ余りの時代でも売れるもの
(オーダーメイドになり個々人の要望に応じるものーDIYの時代に)
柱と柱の間に棚がどうしても必要だった、ここは手作りする他ないものだった
物がない時代は終わった、物があふれていてなんとか買ってくださいという時代である
少子高齢化で家でも土地でも金でもあまってくる
何か今まで売れるものが売れなくなる、規格品が売れなくなる
それでオーダーメイドが売れるものとなるがそれがむずかしい
個々のニーズにあったものを提供するとなると手間になるし必ずしも金にもならないからだ
今私はいろいろ家を整理している、それが本が多くて家が傾くほどになった
それは二階が書斎になっていたからである
でも本の整理は意外とむずかしい、買ったのだ積ん読になっていた
半分以上はそうである、それで半分とか本を捨てたがまたアマゾンで古本とか安い本を買うようになった、それは安いからである
そしてわかったことは知的作業にもビッグデーターが必要なのである
多読が必要なのである、精読するものがあるにしてもやはり何か新しい見解を発表するには様々な研究があり本がありそれらを参考にして引用して編集すると訴える効果が大きくなる、つまり知識は膨大だということである
だから本を買っても読んでいなかったのである、ただ本を買ったということで知識が身についたような錯覚に陥っていたのである
この家には本が一万もあるのかとなるとその人が知識があると思うがそうでもない
なぜなら本はいくらでも買うことができるが理解して自分のものにすることが容易ではないからだ、ただそれなりに量があればいろいろな見方を知るからよりデーブなものになる
本棚にしても窓際にただ棚を作っただけで本棚になった、それは簡単だったが部屋に合わせる必要がありそれは自分しかできないものだった、手作りが必要になったのである
必ず部屋を使いやすくするに整理するのはその人自身にしかできない
規格品ではできない、なぜならその人なりが望むものがありみんな違っているからであるだから整理とかは確かにそうした家具でも本棚でも売っているがそれだけではたりないのである、つまり自由に本棚でもその人なりの必要に応じて手作りする必要があった
それは日曜大工でもなんとかできるものだと見た
ただ板を切るのが大変なので電動のこぎりの安いのアマゾンで注文した
本当は家作りでもそこにその人なりの好みのものを作れればいいとなる
何か家作りでも庭作りでも出来合いの物ではなくその人なりに手を加えるものができてくる、そして家というのはそこに住む人が子供なら成長するし親が死んだりするし変化するするとその変化に見合ったものが必要になる、リホームが必要になる
だから家というのは建て売りのように規格品を買うと後で直せなくなるから問題になる
その人なりに整理したりその人なりに変化させて使用することが必要になる
人間は何でも一定して変わらないものはない、変化の中を生きているのである
老人になると断捨離が必要になる、この仕事も意外と大変なのである
簡単になんでも捨てられない、本でもそうである、ほとんど読まなくなったものでも今読んでみるとこんなことが書いてあったのかと発見する
最近はそうしてし深く読めるから自分の文脈の中で引用できるようになった
だから本の批評に向いていると思った
その要旨でもさっと読めばわかる、本にはやはりその人の経験したことがその人が仕事した分野の蘊蓄(うんちく)が集積されているのである
本でも家でもそうだが整理が大事である、でも家を整理するのは手間である
でもそれは他の人にはできない、その人の人生がありその人の貯えてききものがありその整理になるからだ、だから親でも子供が残されたものを整理するときは大変になる
そこには人生の思いでが詰まっているからつまらないものでも大事になる場合があるからだ
とにかく両親と言える人も死んで残されたのは自分一人になったがその整理も大変になるだからいくら整理しても整理しても整理がつかないのである
一番困っているのが本なのである、本はがさばるから困るのである
そして本は内容があり良質なものが多いからなかなか捨てられないのである
とにかく最後に人生の総決算がある、それが様々なものの整理なのである
限りなく整理するものがある、今までホームページに書いたものがありプログに書いたものでも整理がありこれも膨大になるからそれをしているだけで時間がとられるのである
いづれにしろ人間は規格品だけではたりなくなる、いくらAIが発達しても人間の手作り感覚でするものがありそれは機械でもAIでもできないのである
そうして手作り感覚なものが今は望まれている、オーダーメイドなものが望まれている
それはどうしても売っているものではない場合がある
だから材料の板とか買うにしても後は自分で手作りする必要がある
それはさほど難しいというものでもないが手間になる
それを楽しみにしている人もいる、ともかく今の時代はいくらモノ余りでも売れないとなっていてもやはり時代によって必要なものは売れるとなるか
安い電動のこぎりはこの辺では売っていなかったのでアマゾンで買ったのである
そういうDIYの要望が高くなるとその道具とか材料が売れるようになるかもしれない、
それは出来合いの物ではなくDIYを助けるものである
規格品とか出来合いのものの需要は減ってゆく、オーダーメイドでありその家とか部屋とかその人の望むものが違ってくるからそうなる
それは衣服関係でもそうであり料理すら毎日カレーを違ったものを出している店が小さな店でも繁盛している、でもそうなるとその個々人の要望に応えるのは容易ではないでも規格品では売れない時代なのである
情報でもインタ−ネットになったとき個々人の要望に応じるものも検索している、テレビだと何百万の人の関心あるのしか伝えない、それで商売としてマスコミは成り立っていた、それはもうインタ−ネット時代にスマホ時代になるとない
膨大な情報にアクセスできるがテレビのように何百万人に答えるものではないのである
テレビでもyoutubeが無数にありそこは意外と芸能人ではない、その人独特の持ち場があり経験があり仕事がありそれを語るからかえってためになる、勉強になるとなっているのだ
そういう時代の変化があり規格品は情報でも見られなくなる、多様な情報を取捨選択するそして自分なり編集して見たり読んだりするとなる、だからビッグデーターはインタ−ネットでも本にもある、本の方が良質なものがありまだ必要である
それでアマゾンでかえって買う本が増えたのである
ただ長い本になると読むのが辛い、二三時間で読める文庫本なら多読できるのである
そして精読しない、何か自分の必要とする文を情報を拾い読みして活用するのである