2019年01月31日

雪深し(俳句十句) (会津と東北などの雪に関するエッセイ)


雪深し(俳句十句)

(会津と東北などの雪に関するエッセイ)

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会津なる大木一本雪深し

雪深く踏みて知るべし会津かな

雪深く代々の家重しかな

手仕事の技を伝えて雪深し

雪深く竹細工して長野かな

蔵の梁太しく籠る外は雪

雪深く黒ずむ柱年を経ぬ

雪深く巌の堅く譲らざる

雪深く黙しがちなる人の顔

雪ふるやマントの人や北の駅

雪深し訛りの強く北の国

雪深し烏の黒のなお黒し

(津軽焼)

土の色黒の素朴や雪深し

弘前や煉瓦の銀行朝の雪

区界に電車とまるや雪厚し

区界(くざかい)の雪の厚さやなお消えじ


立春もら近いけど東北は会津とか日本海側とか岩手でも青森でも山形でも雪である
福島県では会津が雪国だけど中通りでもそれほど雪はふらない、浜通りは二三回ふるだけである
それでどうしても雪国のことが実感として理解できないのである
ただ前にも書いたけど雪と言っても「心から信濃の雪に降られけり」という一茶は信濃の長野県の雪であり会津の雪もあり山形県の雪もあり岩手県の雪もあり青森県の雪もある
これらはみんな違っているのである、同じ雪でも土地によって違って感じるのである
弘前では朝の雪がきれいだった、それは雪に浄められるという感じの雪だった
そこに明治以来の古い煉瓦の銀行があるのもあっていた

そして雪というときテレビで長野県の戸隠(とがくし)のことを映していたがそこで竹細工をしていた、何かそれが雪国にあっている感じになる
なぜなら外は雪に閉ざされているとなると外で働くことができないからである
すると家に籠って仕事をするとなるとそうした手仕事になる
それは会津でも同じである、それで絵蝋燭と漆塗りの木工細工とかが発達した
雪国だとそういう家で籠って仕事することに向いているからである
こういうことは雪を知らないと実感できないのである

雪国から形成される性格もある、何か人間も開放的なくこもりがちになり口が重くなる
東北弁とか東北人の性格は雪国で寒いということで作られてきた
関西とかの言葉とあまりにも違いすぎるからだ、抑揚が違う、ズーズー弁である
それはやはり気候の影響が大きいのである
でも東北がどこでも雪がふるというものでもないし寒いとも限らない
宮城県とかは海に面している地帯は別に寒くないのである
それで方言で語尾がだっちゃだっちゃというのである
これはんだんだという口ごもるような言葉とは違う感じになる
何か相手に押し付けるような感じになる
宮城県は東北ではないというときそうなる、伊達政宗のような人は東北人ではないとなってしまうのである、

会津で良くいうならぬものはならぬということでもそうである
これはやはり雪国で頑固になり譲らない性格が形成されたのである
何か風土に影響される、だから津軽焼は土の色と黒になっている
この黒が何か冬に合う、家でも中に黒の煉瓦のようなものをあしらって落ち着く空間を作り出している映像を見た
黒がかもしだすものは何か重厚で落ち着くとなるからそういう作りにした

私は「家」といふものが子供の時から怖しかつた。それは雪国の旧家といふものが特別陰鬱な建築で、どの部屋も薄暗く、部屋と部屋の区劃が不明確で、迷園の如く陰気でだだつ広く、冷めたさと空虚と未来への絶望と呪咀の如きものが漂つてゐるやうに感じられる。住む人間は代々の家の虫で、その家で冠婚葬祭を完了し、死んでなほ霊気と化してその家に在るかのやうに形式づけられて、その家づきの虫の形に次第に育つて行くのであつた。 
「石の思ひ」坂口安吾

雪国の家となるとやはりこんな感じになるのだろう

岩手県の区界(くざかい)は標高が高く雪が厚く積もっていた、それは春になってもなかなか消えないのである、その区界とはまさに字のごとく境なのである

浜通りだともう梅が咲いた、意外に早いなとも見た、でもまだまだ東北の半分以上は冬である、浜通りでも二月に雪がふりやすい、東京が降るとここも雪がふりやすいのである
とにかく雪の感覚がここではわかりにくい、いつでも曇って雪がふりつもるというのも嫌になるだろう、そういう所に住んでいれば自ずと性格も陰気になって不思議ではないのである、浜通りの人間は比較的明るく開放的なのは海に面して気候がいいからである
雪はほとんど降らないからである





老子の思想と江戸時代の意味 (大陸国家は戦争の歴史でグロ−バル化も平和をもたらさなかった)


老子の思想と江戸時代の意味

(大陸国家は戦争の歴史でグロ−バル化も平和をもたらさなかった)

そこには世界政府がない、すべての国の国民に責任をもち、グローバリゼーションのプロセスを監督してくれる存在がない
「そこには世界政府のない世界統括」とでも言うべきシステムである
少数の機関ー世界銀行、IMF,WTO,-と少数の人間ー特定の商業的、金融的利害と密接に結び付いた金融や通商貿易の担当者、−が全体を支配してその決定に影響される多くの人々ほとんど発言権のないまま取り残される
(世界を不幸にしたグローバリズムの正体ージョセフ・E・スティグリック)

グローバリズムを考える時やはり歴史的に考察する必要がある
この世に起きていることは継続でありあることが過去の歴史と無関連に起きない
それは人間の業(カルマ)として人間個々人の人生もありまたその同じ人間が繰り返すのが歴史だとなるからだ
「歴史は繰り返す」とはカルマを繰り返すということなのである

大陸国家というのはヨ−ロッパからユーラシアから中東から中国とそれは絶え間ない戦争の歴史だったとなる、それはアーリア人が好戦的でありそれが世界戦争をもたらしたというのも大陸国家は陸続きだかたら衝突が起きれば戦争になる
移民でも別に戦争しないにしても飢饉とかなると隣の国が陸続きなのだからなだれこんでくる、それがモンゴルでありそれを防ぐために万万里の長城が作られた
今でもアメリカのトランプがメキシコの国境に壁を作ろうとしているのもそのためである
グロ−バル化経済とはそこには経済の原理しか働かない、金の原理しか働かない
人間の生活は経済だけではない、様々な要素があって成り立っている

だからこの辺で起きたこともそうである、電発事故の避難民のことを追求してきたが人間の生活は金があればいいというだけでは成り立たない
そうなるとどうなるのか?もう金があれば一億円もらったら別に原発事故で放射能に汚染された故郷でも住む必要がなくなる、それで若い人たち世代は流出して老人だけが取り残されたのである
そこに先祖がいて歴史があったがそれも簡単に断たれることになる
そういう金にならない経済的効果がないものでも価値がある、それがその国でも地方でも文化であり文化は無視されるのである
ただ経済的効果価値あるもの、金になるものだけが価値あるものとなりその他一切無視される、それがグロ−バル経済なのである
それは世界をかえって荒廃させたのである
世界の市場化自体がそうした歴史と文化的価値を無視した異常なことだったのである

人間社会ではそんなことが成り立たないのである、そしてただ多国籍企業とか株式とかで一部のものに富が集中する、数パーセントが世界の富を収奪するようになる
世界規模になればそこに集まる富も莫大なものになるのだ
それは歴史的には帝国が皇帝に王様に富が集まったとにている
戦争で他国を略奪してその富を帝国の貴族階級に集める、ローマ帝国であれフランス帝国であれそうである、版図を拡大すれば他国の富を入ってくるからだ
そういう世界の歴史の継続としてグロ−バル化経済がある

ただ帝国とかはそこにないが実際はアメリカ帝国支配になっている
ドルがアフリカでも世界の果てまで通じていることでわかる
石油の決済もドルでありそれでカザフスタンとかでは困り中国のブロックチェーンを利用してドルを使わないで決済する方法を産みだした
だからドルが世界で通用することはアメリカの世界を支配することになる
一方でアメリカでもグロ−バル経済で国内経済がだめになりアメリカ第ファーストの政策に切り替わった、これもまた矛盾しているのである
なぜならアメリカが世界を支配できたのはグロ−バル経済の結果だからである
それでもそういうことになるのはグロ−バル経済が世界的矛盾を産んでいるからである

それで歴史をふりかえると江戸時代が老子の思想を具現化したものだったということに気づいた

老子が言う小国寡民の国。そこでは兵器などあっても使われることは無く、死を賭して遠方へ向かわせる事も無い。船や車も用いられず、甲冑を着て戦う事もないと、戦乱の無い世界を描く。民衆の生活についても、文字を用いず縄の結び目を通信に使う程度で充分足り、料理も衣服も住居も自給自足で賄い、それを楽しむ社会であるという。隣の国との関係は、せいぜい鶏や犬の鳴き声がかすかに聞こえる程度の距離ながら、一生の中で往来する機会なども無いという。

こういう思想が生まれたのは2000年前だから驚く、その時の中国の人口は一億とかなるとそんなに人口が多くない世界なのである
中国は三国志から絶え間ない戦争の歴史だっからそのアンチテーゼとしてこうした思想が生まれたのがわかる

どうしたら戦争のない平和がありうるのか?

それが切実な問題だからこういう思想が生まれた
つまりこれはグローバル化経済社会のアンチテーゼなのである
その小国寡民などこの文のようなことが実際に実現していたのが日本なのである
江戸時代の鎖国の時代がそうだったのである
国としては大きいがなぜ300年間も戦争がなかったのか?
このこと自体世界史ではありえないことだったのである
それは江戸時代自体がまた日本の国のなかでも村々が自給自足でありあまり遠くとはかかわらない社会だったからである
そして国自体も島国で世界とはかかわらなかった
ただ貿易は長崎の出島だけからしていたのである、それで他国とも友好関係にあり戦争もなっかたのである
朝鮮通信使とかも江戸時代に来て歓迎されていたし今のように戦争の結果として日本がは憎むこともなかった、だから江戸時代を韓国では評価している
明治以降は侵略されたとして評価していないのである

なぜ明治以降凄惨な世界大戦が起きて膨大な人間が死んだのか?

この原因は何なのか?やはり老子の言うように世界がグロ−バル化して自由に交わる世界になった結果である、それは一見いいようでもその国と国の軋轢が増して悲惨な戦争となる、その戦争の原因は貿易戦争でもある
貿易というのはすべていいようにみえて必ず国と国の軋轢を増してそれが戦争につながる日本がとアメリカでも日本の車がアメリカ人に壊されたり日本でも牛肉を食べる習慣がないのにもっと牛肉を食べろとかなる
それは文化の破壊に通じる、肉食は日本ではあまりしていなかったからである
日本は魏志倭人伝から牛とか馬とか羊がいない世界であり肉食をしない、漁労民族だったからであ
それが文化であり料理でもそうだからである

これからの世界で参考になるのはグロ−バル化世界ではない、日本の江戸時代のような鎖国したような世界が理想となる、そこには300年間戦争がなかったからである
戦争ほど悲惨なものはないからである
だから人間のプライオリティはまず戦争をしない、戦争をなくすことなのである
その次に様々な問題の解決がある

グローバル経済の世界自由貿易はいいようでもそこに国々との軋轢をもたらす、そして欲望が世界大に拡大してとめられなくなる
その欲望が国同士の戦争にもなる、第一こんなに食べ物でも世界の食べ物を得ようとする必要があるのか?
それは老子の言うようにいろいろな味を追求しても結局水が一番いいとか無味を味わうとかなるのである

いづれにしろグロ−バル化経済がもたらし負の面があまりにも大きくなりすぎたのであるそこには統治するものもない、アナキーな経済原理だけが働いているのである
そしてそこでもたらす荒廃は金さえあればいいとなりもともとあった歴史的文化的価値も無視される、それは金にならない経済的効果がなくても価値があるものだが無きものにされる
そしてこの辺ではただ補償金だけをもらうことだけが価値になりその他の価値は無とされて若い世代は流出して残されたのは老人だけになったのである
これはグロ−バル広域経済がもたらした結果だったのである
歴史的にグロ−バル経済社会の負の面を世界的に否が応でも認識されたのが20世紀だったのである
その反省に基づいた新たな経済の在り方を模索する時代である
その見本になるのは江戸時代なのである、そして老荘思想だともなるのである