2019年01月28日

宮城県山元町の海岸線の津波による変化 (小湾がいくつかできていた)


宮城県山元町の海岸線の津波による変化

(小湾がいくつかできていた)


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NHKの津波のアイカーブで見たら山元町の海岸線がえぐられて小さな湾にっていた
松原があったがここも全部消失した
そしてこのように小さな湾になった、地形を変えてしまった驚きである

相馬地域でも磯部でも今の六号線からは離れていても広い湾になったことには驚いた
山元町の被害も大きかった、ここでは仙台へ通勤する人が多かった
新しい住宅地が駅前とかにあった、それも全部流された
そして海岸線の変化が激しかったのである

今はこういう地形はなく埋め立てられて防波堤ができているだろう
でも原初の地形にもどったのかとも見る
湾になっていて砂浜があればそこから小舟でも出しやすいとなる
そこで何か魚とか貝とかをとって縄文人が暮らしていたのかとなる

現実に伝説は当時の生活を物語っている

鹿狼山に手長明神(てながみょうじん)と いう手がとても長い神様が住んでいて、貝が大好物だったとか。長い手をぐいっと新地の海に伸ばして貝を拾っては食べていたそう。その貝殻をポイポイと捨ててできあがったのが新地貝塚だったという伝説です。

縄文時代は深く陸地に海が入り込んでいた、だからこういう地形もありえた
ただ鹿島地区ではもっと縄文海進で奥に海がはいりこんでいた
でも何かこの地形は原初にもどった地形なのとかとみる
そこに砂浜があり丸木舟を浮かべれば内湾で魚もとれたとなるからだ

ともかく津波による地形の変化は驚きだった、それは自然の驚異だった
海岸線にいくつもの沼ができたのもそうである
だからこそとにかく沼とつく地名が日本には多い、沼だらけなのである

この地形の変化でも小湾ができてそこに砂浜ができて周りに木が生えたりして自然状態にもどったら景観としてはいいなとイメージした
どうしてもこの辺は湾がないから入江がないから殺風景になっていたからである
湾が入江ができれば小舟でもそこに浮かべやすいとかなる
湾ができるとそこは人間的営みに適したものになる
新地の伝説があるようにこうした湾があってそこで貝をとって縄文人は暮らしていたのである、何しろ奥まで海が入り込んでいたからそこは内湾になり魚でもとれたとなる

例えば南相馬市の鹿島区の江垂(えたり)でも六号線を津波が越えたようにもっと奥の方まで海が縄文時代から入り込んでいた
それが失われたとき忘れられていたのである
現実に魚の骨が桜田山の下から発見されているからだ
魚を食べていたし鹿も食べていた、海の幸があった、だから食生活も貧しいとは言えなかったともなる

ともかくこれだけの変化には驚嘆した、自然は海岸線は変化しやすいのである
それは海の浸食を受けるからそうなる、もともと八沢浦は本当に津波で奥まで柚木の方まで海になったが江戸時代は入江であり船も入っていたのである
それが明治以降開拓されて田んぼになったのである
あんなに奥まで海になったということの驚いたがもともとそこは海だったのである
posted by 老鶯 at 18:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2019年01月29日

始皇帝陵(漢詩もどき一将功成万骨枯) (世界の歴史は極端な格差社会の継続だった)

  
始皇帝陵(漢詩もどき一将功成万骨枯) 

(世界の歴史は極端な格差社会の継続だった)

始皇帝陵

春雨濡始皇帝陵
興国中華祖威容
万騎兵馬俑面々
大軍地下深埋没
平原平沙興亡国
一将功成万骨枯     

格差社会をいろいろ現代で言われるけどもともと人間の歴史をみれば極端な格差社会である
王が栄華を極め人民はそのコマとなり広大な大地に平原に砂漠に埋もれる
その図式が世界史ではいたるところにある、ヨ−ロッパでもベルサイユ宮殿とかでもそうである
中国は極端にその人民と王の格差が激しいのである
王にすべての富が集中する構造になる、その富で広大な土地だから限りなくななる
今の中国をみればわかる、同じ構造だからやはり極端な格差社会になる

共産党幹部は王朝であり幹部が何兆円もの財産を所有して貧富の差が極端なのである
だから平等を目指す共産主義がまた極端な貧富の差を産みだしたというのも皮肉である
つまり中国社会の構造は始皇帝の時代から変わっていないのである
それは歴史的にも莫大な富が王に集まりそこに大宮殿が生まれ遂に始皇帝の場合は大規模な地下宮殿になる
その地下宮殿に行ったことがある、それは作られたものだった
でも死んで地下まで現世の栄華を作り出し残すという執念は中国人らしいとなる

日本がは国土が狭いしまず巨大な富を産みだせないし平等な国になっていた、第一侍がいたとして支配したとしても庶民の暮らしとさほど食べ物でも変わらないからだ、中国とかヨ−ロッパでも宮廷料理があるが日本には侍料理などないのである
殿様料理があったとしても鯛を食べるくらいが贅沢だとなる
侍でも質素なのはそれだけの富を作り出せないからである
日本がの古墳でも大きいのがある、仁徳天皇陵は世界的に見ても巨大である、始皇帝陵は一つの人工の山を成しているので高さの点では大きい、でも日本の天皇はそんな贅沢をしていない、豪華さがないのである
大陸国家のように国土が狭いからそれだけのい富を作り出せなかったのである


高き屋に登りて見れば煙立つ民のかまどはにぎはひにけり

『新古今集』

この歌は古代の聖帝として有名な仁徳天皇を偲んで詠われた
歌です。

仁徳天皇は八幡さまのご祭神として知られる応神天皇の第四皇子です。
仁徳天皇のことで最もよく知られている逸話は、民のために
3年間租税を留められたことです。
そのため、宮殿の雨漏りはひどく、天皇は、屋根の破れ目から星の光がさし
入るような中、休まれていたといわれています。

三年を経過して民の生活力はすっかり回復しかまどの煙が立ち上る
ほどになり、天皇も「百姓富めるは則ち朕が富めるなり」と仰せられて
喜ばれたのです    


この歌は後世のものであり史実ではないのもわかる、第一仁徳天皇陵は巨大だからである
もしかしたらそういう脚色して天皇をほめることにしたのかもしれない
あまりに格差があると質素を装うことがある、あれだけの天皇陵を作った人がそういう気持ちになるのか?
確かに何か疑問が生まれる
ただ天皇はもともと質素なのである、大陸の王とはまるで違ったものであり権力はなくただ担がれるものでしかなかった
日本でで巨大な権力者となると秀吉くらいだったろう

ともかく中国とは何かとなるとその広大な国土と国民の人間の多さがその国柄を作ったし人も作ったのである
「一将功成万骨枯」である、それはアメリカとか今のグロ−バル社会でもそうである
数パーセントの人世界の富の半分とか集中して保有している、アメリカも極端な格差社会なのである
グロ−バル資本主義自体がそうした格差を作る、今は世界の富が資本家というか多国籍企業に集中してその幹部や社長が莫大な富を得ているから世界史いうのも変わらないのかとなる
2000年前でもそうだし今もまた形を変えているが極端な世界的な格差社会なのである

中国には十数年前に三回くらい行っている、それで何か中国というのも理解した、あの時は鉄道は通っていても出稼ぎ者が車両に家畜のように詰め込まれていた、出稼ぎ者の大移動があった、流民というのを実感した
膨大な人間が集まり流民となり都市に移動していたのである、その貨車に人民という家畜が詰め込まれていたとなる
中国では人間が多すぎるから人権とかは成り立たない、人民は奴隷でありその莫大な人間を支配するには圧制になる
それが共産党に代わっても同じだったのである
大陸国家にはそうした共通性がある、莫大な富が王とか少数の人に支配階級に集まる、そういう仕組みがある

グローバル資本主義もそうだったのである、後進国がそうした支配階級の奴隷と化している
それが世界的規模になっているから何か公正な原理で働いているようで実際は同じ構図なのである
何か国が大きくなり規模が巨大化するとそうした格差社会になる
日産のゴーンでもそうだろう、富が社長に集中する、その金の額に驚くことになる

日本では村という小さな単位が共同体でありそこでは格差が生まれにくい、みんな平等を追求する、極端な富者はありえないのであるそれは規模があまりにも小さいからである、そういう国の差がやはり国土から生まれているとなる
ロシアでもプーチン皇帝となるように国土が広大になるとそうして圧制があり一党独裁となり王が君臨することになる
中国の謎は村というものがないというのである、日本がで村というものは中国にないというときこれも理解しにくいのである
中国の共同体の単位は相当に一国のように大きなものだということである
要するに日本人が大陸国家を理解できないのはその国土のスケールの相違が大きいからである
平原があり砂漠があり湖にしても琵琶湖の三倍とかもっとありなんでもスケールが大きいからイメージできなくなるのである

私の場合中国で犯罪にあわなかったのはバックパッカーだったが汚い恰好していたから中国人に見えた
中国人と日本人でも見分けがつかないところがあったからである、これがヨ−ロッパだと見分けがつく、ただ日本人は中国人になる
つまり私は中国人民の群れのなかに埋没したから目立たなかったから犯罪にあわなかったとなる
あのころ中国人は相当に貧乏だったからである、それが十数年で新幹線から月まで行くとかスマホとかit先進国になっているのが信じられないとなる、こんなに変わるものかと驚くことばかりである
この辺の津波でも原発事故でもそうだったが十年一昔になり十年なると世界でも様変わりするものだと驚く
特にグロ−バル化でその変化が世界的になり激しいのである、だから中国は経済的に崩壊しているとかyoutubeで盛んに言うが
アメリカでも衰退してアメリカは日本を見捨てるというのも現実である、アメリカも常に変わっているからである
最も勢いのある時代をアメリカはもう過ぎているからである、だからなぜ中国は崩壊するとか言うのが理解できないのである







2019年01月30日

グローバルな大陸的思考がない日本 (奇貨置くべし―人材のグローバル化は必要)


グローバルな大陸的思考がない日本

(奇貨置くべし―人材のグローバル化は必要)


日本人の性向とか国柄とかどこから生まれてくるのだろうか?
他の国でもその国に生まれ育つとその国なりの性向が生まれる
これも人間は環境の産物だからそうなる、風土から文明文化が作られる
では日本人の性向の基本的なものベースとなるものは何なのか?
それは狭い村という範囲で作られてきた
狭い村では争いを極力避けないと生きていけない
村からまた他の村とかに移ることができないのが日本がだからである
江戸時代はもう村から出れない、移動の移住の自由がないからだ
そうなると狭い範囲で生きるためにはどうするのか?
なるべく争わないことである、みんなと同じようになり目立たないことである
そこで一番重い罰は村八分だからである
ここから日本人の性向が作られてきた、同調圧力が強い性向が生まれた

日本人は大陸国家の人間とは文化とか文明でも相当に違っている
日本人は山が多いから山にさえぎられて国土が狭いから平地が少ないからその狭さでいろいろと制限されるのである
まず中国でもモンゴルでもロシアでも東ヨ−ロッパでもフランスでもドイツでも砂漠の中東でも広大な土地が広がっている
だから常に移動することが羊飼ってもそうなる、そういう生活感覚が日本にはない

日本がは島国でありさらに狭い地域の村で同じ人間と生活していた
大陸だと国境があっても大陸はつながっていて越えられるから絶えず異民族が嫌でも侵入してくる、国境を作るには万里の長城のようなものを作らない限り異民族の侵入を抑えることはできない
そこから日本と大陸国家の差が大きいものとなる
そもそも大陸国家はグローバルに展開しやすいのである
モンゴルでもいつも移動しているのが生活なのだからそれがそのまま大群となって移動すれば他国への侵略にもなるからである

そこで大帝国が生まれやすい、しかし一方でまた侵略される方にもなりやすい
そしてそこに民族の興亡と国家の興亡がくりかえされる
つまり常に歴史的にもグローバルに展開しやすいから今だけではないグロ−バル社会になる
そして戦争に勝てば他国を侵略して富を得る、その富を集めることができる
それで大陸にはペルシャ帝国であれエジプト帝国であれオスマン帝国であれナポレオンのオスマン帝国であり版図を拡大して莫大な富を集める、それが大陸国家の歴史だった
グローブとは地球のことでありその地球は大陸でつながっている地球のことだった

そして他国と戦争して勝てば領土を拡大すると莫大な富が入ってくる、また負けた国の人は奴隷となる、スラブ民族のスラブとはスレーブから来ている、つまり奴隷なのである
戦争にされれば奴隷にされるのである、そういう過酷な世界が大陸国家の宿命だとなる
ただ奴隷にされるとかになっても逆にそうして帝国が形成されてもまたその帝国も興亡があり興隆してもまた衰退もする、そういう繰り返しの歴史がある、日本では島国でありそういう富が蓄積されなかったのである

世界規模になれば富がある時はスペインにある時は七つの海を支配したイギリスにとか集中する、現代でもグローバル社会という時激しい技術競争がありその技術競争に勝てばその国は世界の富を集めることができる
今では通信の世界で覇権を争っている、アメリカと中国になっているようにである

いづれにしろ中国を理解することはこのように大陸国家としてあったことである
そして中国人の思考とかもそうした歴史と文化から風土から作られてきたのである

趙の人質となっていて、みすぼらしい身なりをした秦の公子・異人(後に子楚と改称する。秦の荘襄王のこと)をたまたま目にして、「これ奇貨なり。居くべし (これは、掘り出し物だ。手元におくべきだ。)

この時期には孟嘗君や信陵君などが食客を集めて天下の名声を得ていたが、呂不韋はこれに対抗して3,000人の食客を集め、呂不韋家の召使は1万を超えたと言う。この客の中に李斯がおり、その才能を見込んで王に推挙した。更に客の知識を集めて『呂氏春秋』と言う書物を作った。

人材を広く求める、変わった奴でもまた外国人でも取り入れる、それによって国が豊かになるという考え方である
つまり中国自体がグロ−バルなのである、それをアメリカがしてきた
IT関係の人材を世界から集めたからである、ただその人材とはどうしても今の単純労働者とは違う、技術者であり知識人であった
それは日本でも韓半島から来たのは鉄の生産とか陶器の生産技術を持つ人たちであり何ももたない人は来ていないのである、そういう人は別に日本でも必要なかったからである
おそらく中国人の性向としてあれだけ人口が多いと人間がなんとかして目立たないと注目されないとだめだということになる
なせならありふれた人間の数が膨大だからである
そんな人間は見たくないとなり石でも岩でも奇岩が求められ庭に置く、ありふれたものでは目立たないからである
それは人間にも言えたのが中国だとなる

いづれにしろ大陸的思考は奇貨置くべしというのにも如実に現れている
日本がだとそういう変わった人は受け入れないからである、みんなどんぐりのせいくらべになる、変わった人間は拒否されるのが狭い村で生きることはできないからだ
とにかく大陸だと外国人であれ常に移動してくるから拒否できないのである
もし拒否したら侵略してくる、そもそもアメリカでもトランプ大統領が移民を壁を作って入れないようにしも必死で入ってくる人たちがいる
そうなるともう戦争にもなる、移民を殺すほかなくなってくるのだ

これから日本はグローバル社会で生きるとなるとき日本に移民を受け入れるにしても単純労働者ではない、介護関係とかでもない、優秀なグロ−バル競争に勝つ技術者とか頭脳を入れなければ競争に勝てないのである
グロ−バル経済を否定してきたがそれは物の自由な出入りとかではなく人材のグローバル化ならいいとなる
そうしないと日本は後進国になる、現実に例えば車の生産にたずわる人が日本では8パーセントもその下請けなどをふくめてあるということは農業にたずさわる人たちと同数だとなる、それは多すぎるというのもわかる製造業にたずさわる人が多すぎる、それでit時代に日本がは遅れをとったのである
車自体が時代が変化してそんなに大量生産てし売れるとはならない、何かそこに技術革新がありそれがit技術と一体化するからであるでも肝心のit分野で遅れをとっているから日本はグロ−バル競争についていけず経済も衰退したとなるからだ


2019年01月31日

老子の思想と江戸時代の意味 (大陸国家は戦争の歴史でグロ−バル化も平和をもたらさなかった)


老子の思想と江戸時代の意味

(大陸国家は戦争の歴史でグロ−バル化も平和をもたらさなかった)

そこには世界政府がない、すべての国の国民に責任をもち、グローバリゼーションのプロセスを監督してくれる存在がない
「そこには世界政府のない世界統括」とでも言うべきシステムである
少数の機関ー世界銀行、IMF,WTO,-と少数の人間ー特定の商業的、金融的利害と密接に結び付いた金融や通商貿易の担当者、−が全体を支配してその決定に影響される多くの人々ほとんど発言権のないまま取り残される
(世界を不幸にしたグローバリズムの正体ージョセフ・E・スティグリック)

グローバリズムを考える時やはり歴史的に考察する必要がある
この世に起きていることは継続でありあることが過去の歴史と無関連に起きない
それは人間の業(カルマ)として人間個々人の人生もありまたその同じ人間が繰り返すのが歴史だとなるからだ
「歴史は繰り返す」とはカルマを繰り返すということなのである

大陸国家というのはヨ−ロッパからユーラシアから中東から中国とそれは絶え間ない戦争の歴史だったとなる、それはアーリア人が好戦的でありそれが世界戦争をもたらしたというのも大陸国家は陸続きだかたら衝突が起きれば戦争になる
移民でも別に戦争しないにしても飢饉とかなると隣の国が陸続きなのだからなだれこんでくる、それがモンゴルでありそれを防ぐために万万里の長城が作られた
今でもアメリカのトランプがメキシコの国境に壁を作ろうとしているのもそのためである
グロ−バル化経済とはそこには経済の原理しか働かない、金の原理しか働かない
人間の生活は経済だけではない、様々な要素があって成り立っている

だからこの辺で起きたこともそうである、電発事故の避難民のことを追求してきたが人間の生活は金があればいいというだけでは成り立たない
そうなるとどうなるのか?もう金があれば一億円もらったら別に原発事故で放射能に汚染された故郷でも住む必要がなくなる、それで若い人たち世代は流出して老人だけが取り残されたのである
そこに先祖がいて歴史があったがそれも簡単に断たれることになる
そういう金にならない経済的効果がないものでも価値がある、それがその国でも地方でも文化であり文化は無視されるのである
ただ経済的効果価値あるもの、金になるものだけが価値あるものとなりその他一切無視される、それがグロ−バル経済なのである
それは世界をかえって荒廃させたのである
世界の市場化自体がそうした歴史と文化的価値を無視した異常なことだったのである

人間社会ではそんなことが成り立たないのである、そしてただ多国籍企業とか株式とかで一部のものに富が集中する、数パーセントが世界の富を収奪するようになる
世界規模になればそこに集まる富も莫大なものになるのだ
それは歴史的には帝国が皇帝に王様に富が集まったとにている
戦争で他国を略奪してその富を帝国の貴族階級に集める、ローマ帝国であれフランス帝国であれそうである、版図を拡大すれば他国の富を入ってくるからだ
そういう世界の歴史の継続としてグロ−バル化経済がある

ただ帝国とかはそこにないが実際はアメリカ帝国支配になっている
ドルがアフリカでも世界の果てまで通じていることでわかる
石油の決済もドルでありそれでカザフスタンとかでは困り中国のブロックチェーンを利用してドルを使わないで決済する方法を産みだした
だからドルが世界で通用することはアメリカの世界を支配することになる
一方でアメリカでもグロ−バル経済で国内経済がだめになりアメリカ第ファーストの政策に切り替わった、これもまた矛盾しているのである
なぜならアメリカが世界を支配できたのはグロ−バル経済の結果だからである
それでもそういうことになるのはグロ−バル経済が世界的矛盾を産んでいるからである

それで歴史をふりかえると江戸時代が老子の思想を具現化したものだったということに気づいた

老子が言う小国寡民の国。そこでは兵器などあっても使われることは無く、死を賭して遠方へ向かわせる事も無い。船や車も用いられず、甲冑を着て戦う事もないと、戦乱の無い世界を描く。民衆の生活についても、文字を用いず縄の結び目を通信に使う程度で充分足り、料理も衣服も住居も自給自足で賄い、それを楽しむ社会であるという。隣の国との関係は、せいぜい鶏や犬の鳴き声がかすかに聞こえる程度の距離ながら、一生の中で往来する機会なども無いという。

こういう思想が生まれたのは2000年前だから驚く、その時の中国の人口は一億とかなるとそんなに人口が多くない世界なのである
中国は三国志から絶え間ない戦争の歴史だっからそのアンチテーゼとしてこうした思想が生まれたのがわかる

どうしたら戦争のない平和がありうるのか?

それが切実な問題だからこういう思想が生まれた
つまりこれはグローバル化経済社会のアンチテーゼなのである
その小国寡民などこの文のようなことが実際に実現していたのが日本なのである
江戸時代の鎖国の時代がそうだったのである
国としては大きいがなぜ300年間も戦争がなかったのか?
このこと自体世界史ではありえないことだったのである
それは江戸時代自体がまた日本の国のなかでも村々が自給自足でありあまり遠くとはかかわらない社会だったからである
そして国自体も島国で世界とはかかわらなかった
ただ貿易は長崎の出島だけからしていたのである、それで他国とも友好関係にあり戦争もなっかたのである
朝鮮通信使とかも江戸時代に来て歓迎されていたし今のように戦争の結果として日本がは憎むこともなかった、だから江戸時代を韓国では評価している
明治以降は侵略されたとして評価していないのである

なぜ明治以降凄惨な世界大戦が起きて膨大な人間が死んだのか?

この原因は何なのか?やはり老子の言うように世界がグロ−バル化して自由に交わる世界になった結果である、それは一見いいようでもその国と国の軋轢が増して悲惨な戦争となる、その戦争の原因は貿易戦争でもある
貿易というのはすべていいようにみえて必ず国と国の軋轢を増してそれが戦争につながる日本がとアメリカでも日本の車がアメリカ人に壊されたり日本でも牛肉を食べる習慣がないのにもっと牛肉を食べろとかなる
それは文化の破壊に通じる、肉食は日本ではあまりしていなかったからである
日本は魏志倭人伝から牛とか馬とか羊がいない世界であり肉食をしない、漁労民族だったからであ
それが文化であり料理でもそうだからである

これからの世界で参考になるのはグロ−バル化世界ではない、日本の江戸時代のような鎖国したような世界が理想となる、そこには300年間戦争がなかったからである
戦争ほど悲惨なものはないからである
だから人間のプライオリティはまず戦争をしない、戦争をなくすことなのである
その次に様々な問題の解決がある

グローバル経済の世界自由貿易はいいようでもそこに国々との軋轢をもたらす、そして欲望が世界大に拡大してとめられなくなる
その欲望が国同士の戦争にもなる、第一こんなに食べ物でも世界の食べ物を得ようとする必要があるのか?
それは老子の言うようにいろいろな味を追求しても結局水が一番いいとか無味を味わうとかなるのである

いづれにしろグロ−バル化経済がもたらし負の面があまりにも大きくなりすぎたのであるそこには統治するものもない、アナキーな経済原理だけが働いているのである
そしてそこでもたらす荒廃は金さえあればいいとなりもともとあった歴史的文化的価値も無視される、それは金にならない経済的効果がなくても価値があるものだが無きものにされる
そしてこの辺ではただ補償金だけをもらうことだけが価値になりその他の価値は無とされて若い世代は流出して残されたのは老人だけになったのである
これはグロ−バル広域経済がもたらした結果だったのである
歴史的にグロ−バル経済社会の負の面を世界的に否が応でも認識されたのが20世紀だったのである
その反省に基づいた新たな経済の在り方を模索する時代である
その見本になるのは江戸時代なのである、そして老荘思想だともなるのである

雪深し(俳句十句) (会津と東北などの雪に関するエッセイ)


雪深し(俳句十句)

(会津と東北などの雪に関するエッセイ)

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会津なる大木一本雪深し

雪深く踏みて知るべし会津かな

雪深く代々の家重しかな

手仕事の技を伝えて雪深し

雪深く竹細工して長野かな

蔵の梁太しく籠る外は雪

雪深く黒ずむ柱年を経ぬ

雪深く巌の堅く譲らざる

雪深く黙しがちなる人の顔

雪ふるやマントの人や北の駅

雪深し訛りの強く北の国

雪深し烏の黒のなお黒し

(津軽焼)

土の色黒の素朴や雪深し

弘前や煉瓦の銀行朝の雪

区界に電車とまるや雪厚し

区界(くざかい)の雪の厚さやなお消えじ


立春もら近いけど東北は会津とか日本海側とか岩手でも青森でも山形でも雪である
福島県では会津が雪国だけど中通りでもそれほど雪はふらない、浜通りは二三回ふるだけである
それでどうしても雪国のことが実感として理解できないのである
ただ前にも書いたけど雪と言っても「心から信濃の雪に降られけり」という一茶は信濃の長野県の雪であり会津の雪もあり山形県の雪もあり岩手県の雪もあり青森県の雪もある
これらはみんな違っているのである、同じ雪でも土地によって違って感じるのである
弘前では朝の雪がきれいだった、それは雪に浄められるという感じの雪だった
そこに明治以来の古い煉瓦の銀行があるのもあっていた

そして雪というときテレビで長野県の戸隠(とがくし)のことを映していたがそこで竹細工をしていた、何かそれが雪国にあっている感じになる
なぜなら外は雪に閉ざされているとなると外で働くことができないからである
すると家に籠って仕事をするとなるとそうした手仕事になる
それは会津でも同じである、それで絵蝋燭と漆塗りの木工細工とかが発達した
雪国だとそういう家で籠って仕事することに向いているからである
こういうことは雪を知らないと実感できないのである

雪国から形成される性格もある、何か人間も開放的なくこもりがちになり口が重くなる
東北弁とか東北人の性格は雪国で寒いということで作られてきた
関西とかの言葉とあまりにも違いすぎるからだ、抑揚が違う、ズーズー弁である
それはやはり気候の影響が大きいのである
でも東北がどこでも雪がふるというものでもないし寒いとも限らない
宮城県とかは海に面している地帯は別に寒くないのである
それで方言で語尾がだっちゃだっちゃというのである
これはんだんだという口ごもるような言葉とは違う感じになる
何か相手に押し付けるような感じになる
宮城県は東北ではないというときそうなる、伊達政宗のような人は東北人ではないとなってしまうのである、

会津で良くいうならぬものはならぬということでもそうである
これはやはり雪国で頑固になり譲らない性格が形成されたのである
何か風土に影響される、だから津軽焼は土の色と黒になっている
この黒が何か冬に合う、家でも中に黒の煉瓦のようなものをあしらって落ち着く空間を作り出している映像を見た
黒がかもしだすものは何か重厚で落ち着くとなるからそういう作りにした

私は「家」といふものが子供の時から怖しかつた。それは雪国の旧家といふものが特別陰鬱な建築で、どの部屋も薄暗く、部屋と部屋の区劃が不明確で、迷園の如く陰気でだだつ広く、冷めたさと空虚と未来への絶望と呪咀の如きものが漂つてゐるやうに感じられる。住む人間は代々の家の虫で、その家で冠婚葬祭を完了し、死んでなほ霊気と化してその家に在るかのやうに形式づけられて、その家づきの虫の形に次第に育つて行くのであつた。 
「石の思ひ」坂口安吾

雪国の家となるとやはりこんな感じになるのだろう

岩手県の区界(くざかい)は標高が高く雪が厚く積もっていた、それは春になってもなかなか消えないのである、その区界とはまさに字のごとく境なのである

浜通りだともう梅が咲いた、意外に早いなとも見た、でもまだまだ東北の半分以上は冬である、浜通りでも二月に雪がふりやすい、東京が降るとここも雪がふりやすいのである
とにかく雪の感覚がここではわかりにくい、いつでも曇って雪がふりつもるというのも嫌になるだろう、そういう所に住んでいれば自ずと性格も陰気になって不思議ではないのである、浜通りの人間は比較的明るく開放的なのは海に面して気候がいいからである
雪はほとんど降らないからである