2019年01月13日

怠(なま)け者が認知症になりやすい (頭を体も働かせないと危険)


怠(なま)け者が認知症になりやすい

(頭を体も働かせないと危険)

なぜ認知症になるのか?この原因はなんでもそうだが一つではない、だからこれが原因だというのは言えない、犯罪でもなんでもその原因となるのは一つではないからだ
私の家族が認知症になった一つの大きな原因が怠け者になっていたことである
人間はそもそも本来怠けやすいのである、そういう習性がある
だから人間は怠ける環境にあると自ずと怠けるのである
それで怠けられない環境にある、強いられる環境にあることも大事になる
人間は怠けるし楽をしたいとか快楽を求めるということがあり決して自ら苦しむようなことはしたくないのである

過去に人が苦しんだのは自らそうしたのではなくそう強いられていたのである
貧乏な時代だったら嫌でも働かざるをえない
ニートのような人はまず団塊の世代ではほとんどいなかった
みんながむしゃらに働いていたのである
そういう中で働かない人は本当にまれだったのである
今はなぜ普通にニートがいるのか、それはそういう環境にあるから働くなくてもいいからそうなっているのである

ただここに危険があった、私の家族の一人公務員で働いていたが55歳くらいで早期退職した、その後何も仕事はしていない、家事も何にもしない、趣味はしていたがそれも別に才能がないからその趣味を究めるものでもなかった
それでふりかえるとその後30年くらい仕事もしない、家で何もしない、だらだらと過ごしていたのである、そこには緊張感もない、張りもない生活だったのである
ただそれを自分は気づいていなかった、認知症になってから気づいたのである

そしてわかったことは家事を自分でしてみてこれは結構大変だなと実感した
まず掃除というのは本当は毎日しなければならない、それができないから自分の家は汚れている、散らかっている、こまめにしていないとだめなのである
それから片付けるものが常にある、特に手間がかかるのが料理なのである
だから自分自身は料理は買ったものでまにあわせている
ところがその買う種類が多いので買うことが一仕事になる
何を買うかが問題になるのだ、それで時間がかかる
また何を買うべきかわからないのである

そして一番の問題は料理なのである、料理は本当に手間がかかる、そろえるものが多すぎるのである、それで冷蔵庫の中に種類が多いからいつも何が入っているからわからなくなる、なぜならいつも見てチェックしていないからである
他にやることがありプログを書いたりインタ−ネットを見たり本を読んだりしているからそんなに頭が回らなくなっているのだ
だから料理とか家事は一仕事だと思った
そして一番料理は頭を働かすから料理をしていることは頭を働かすことなのである

それで一人は店を70頃までかしていたしずっと90過ぎても料理して家事をしていた
趣味はなにもないが庭に花を植えるのも無駄だとしてそうして働くことしかなかった
大正生まれだった、でもそうして家事を90過ぎてまでしていたことが良かったのかと思う、最後に95過ぎて介護状態になって認知症になっていた
もう90過ぎる半分は認知症になるのであるからやむをえないとなる
だから姑が嫁におばあさんはなにもしなくていいですよ、テレビでも見ていてくださいと役割がなくなると呆け安くなるのである

人間は何か強いられないと仕事はしない、怠け者になりやすい、だから強いられるということも大事なのである
朝起きるにしても強いられなければ朝早くは起きないからだ
規則的生活も強いられないとできないからだ
勉強でも自主的にするものだかある程度強いられないとしないのである

何か自分は介護から今でも一人になってから常に追われている、家事することがなにかかにかあるのだ、その合間にプログを書いているから追われるのである
つまり自分は家事をしないでいられない、強いられているからしているのである
誰もしてくれる人がいないからである、今までは全部料理でもなんでもしてもらっていたのである、そこて自分は怠けものになっていたことは確かである
人間は環境によって作られるのである、時代時代で環境が違うから人間もその時代で環境で作られるのである

認知症にならないためにはどうしたらいいのか?
その一つは心身ともにWORKさせることである、働かせる、機能させることである
そこで危険なのが役割がなくなることなのである
会社を退職すると役割がなくなる、かといって家事が妻がしていたりすると何もすることがなくなる、これが危険なのである
料理はいろいろ頭を使うのである、でも夫は何もしないと危険になる
つまり人間は役割がなくなると心身ともにworkしなくなるのである
それで頭を使わないからだんだん機能が低下してくるのである
それが認知症につながってゆくことがある、それがすべてではないにしろそうなりやすいそうでなくても老化してゆくのだから認知症になりやすいのである

いづれにしろ認知症の予防ができるかぎり心身ともに働かすことである
男性と女性はまた違っているが男性の場合会社を退職すると役割がなくなるから危険なのである
女性でも障害児をかかえてそのことが心配で世話を焼いて心身を働かせていたら人は認知症にならないとか言う人もいたのも逆説である
何か自分自身の家族でもそうだった、あんなに一方は働いているのに一方ただ食事を出されているのを待っているだけだったのである
だから奇妙なのは主人がいて召使いるとき何でも召使がしていたらその主人呆ける認知症になるともなる、それも逆説である
つくづく人間は何が幸せかわからないのである
実際に経験しているだろう、不幸が幸福の原因になっていたり幸福が不幸の原因になったりしているからである

いづれにしろあまりにも怠ける状態にあることは危険になる

シーシュポスは神々を二度までも欺いた罰を受けることになった。彼はタルタロスで巨大な岩を山頂まで上げるよう命じられた(この岩はゼウスが姿を変えたときのものと同じ大きさといわれる)。シーシュポスがあと少しで山頂に届くというところまで岩を押し上げると、岩はその重みで底まで転がり落ちてしまい、この苦行が永遠に繰り返される

怠け者の罰はこうなる、有益なことをしないから延々と無益なことを強いられるともなる
ただ人間は何もしなくても何かしても必ずカルマを積んでいる、楽をした人も金を持ちすぎた人も有効に使わない人は罰をカルマをもち何かそれが後で苦しみとなって現れるのである、要するに人間ち起きることは何かしら因果応報だともなるのだ

六号線鹿島区永田で交通事故(午後1時頃)


六号線鹿島区永田で交通事故(午後1時頃)

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9日午後5時すぎ、南相馬市鹿島区南柚木の国道6号線で、軽トラックと普通乗用車が正面衝突する事故があり、さらに普通乗用車のうしろから別の軽乗用車が追突しました。
この事故で軽トラックを運転していた相馬市山上の解体作業員、粂井浩志さん(61)が心肺停止の状態で病院に搬送され、その後死亡しました。

今日起こった事故は永田だった、柚木の手前である
坂を上る時に起こった、私はずっと前にもこの坂を下った所でも事故が起きたのを見ている
柚木はその先である、六号線でも事故が起きている
硝子片が散らばったくらいであった
でも毎日のように南相馬市内でも事故が起きているのである

だから私は原付のバイクに乗らない、歩道を走れないからである
今度の電動自転車は半分バイクだから楽である、坂でも悪路でもすいすい行くから結構今日は相馬市の山上や今田の奥の方へまた坂を上り高い所にも行ってきた

トラック運転手に女性が増えている (機械化で女性でもできる時代になっている)


トラック運転手に女性が増えている

(機械化で女性でもできる時代になっている)

その人はトラックの運転手だった、良く自転車に乗っているからまた駅であった
自転車の人とは自分も乗っているから話しやすい
なんで自転車に乗っているんだろうと思ったから足を悪くして車に乗れなくなったからだった、アクセルとブレーキを間違うから車には乗れないと言っていた
その人も80近いのかもしれない、ただトラック運転手していて車に乗れないのは辛い
前にも80の人が車の免許を返して失敗したとい言っていたからである
ただ本当に車が危険になり乗れないという人が80近くなると増えていることは確かである
そいうう人に4人くらいあっているからだ

高齢化で車を利用できないと鉄道とか自転車を利用するようになる
自転車は電動自転車ができて便利になった
自分が今度買った電動自転車は悪路にも坂にも強い、半分のバイクのように走るから楽である、今日はそれで山上とか今田の奥の高い所を走ってきた、遠くに海が見えて気持ち良かった、今日は風も吹いていないので楽だった
その途中で交通事故を見たのである  

その運転手はしきりに女性が運転手になっているのが多いと言った
女性でもできるのと聞いたら今は女性が増えている、でも力仕事があるのではとか聞いたら今は機械化しているから荷物でも自動化して下したりしている
それから運転席も快適にできているという、それで細腕の女性でもしているしできるという、そんなものかと知らないから思った
月給もとる人は一か月50万もとっている人がいるという
それは多いにしても女性でもトラック運転手になるとスーパーとかのパートなどよりずっと高くなる 

今は人手不足だから待遇も良くするし女性でも男性と変わらず仕事ができる
だから人手不足の解消は女性の活躍にあるのかもしれない
女性が建築現場にも入れるような環境を整えれば入ってくる
テレビでトラックの自動運転を言っていたが現実にトラックは半分自動化しているらしいだから女性でも入り安いとなる、農業も機械化しているからこれも人手不足を補えるかもしれない、つまり人手不足は外人頼みでなくても解決する方法が今ではあるとなる

なんらか今は女性が男性の職場に進出する、それはやはり女性も外で働かざるをえない時代になっているからだ、共稼ぎでないと生活が成り立たないとかなっているからだ
すると収入のいい職場に女性も進出してくる
それが機械化で楽になれば余計にそうなるのである
やはり機械化ということが大きなポイントになる
今度買った私の電動マウンテンバイクのように体力なくなってもこれならまだ坂でも遠くへも行けると思ったからだ
これだけは技術のありがたみを感じたのである、車にも乗れないから特にそう感じたのである

実際は女性が男性の職場に進出して働いている、鉄道でもそうでありどこでもそうである第一女医が多いのもそうである、それは女性が働き安い職場が増えたためなのである
力仕事というのは機械化しているから別に力がなくてもやれるとなれば女性でもやれるとなるからだ、現代は力があるということがメリットにならないのである
これからAIも進歩すると簡単な頭を使う仕事も自動化される、すると人手はいらなくなるのである
だから外国人だけに頼るというのは疑問なのである
外国人労働者に頼るのは国と国の問題になりめんどうになるからである




年間休日120日以上!積み降ろしはリフトで行う大型ドライバー

雇 用
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女性も活躍中の大型トラックドライバー
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女性の体力では難しい業務が多いのはもちろん、文化としても男性至上主義が根強く残っていたからでしょう。

しかし! その時代もついに終焉を迎えつつあります。

我らが運送・建設業界にも女性進出の大波が打ち寄せてきたのです…!!

レッスン2

■トラガール(女性トラックドライバー)急増の2大理由

男文化を貫いてきた業界に、女性ドライバーが増えてきたのは何故でしょうか?
その理由は、2つありました。

理由1.インターネット通販の普及
大きな理由の1つは、『Amazon』や『楽天市場』といったインターネット通販の普及です。



やはり時代が変わっていた、通販全盛時代となり人手がたりない、でも女性でもできる仕事でありかえって女性が選ばれている事情がある、たから時代が変わるとある仕事はヘリある仕事は増えてゆく
それは機械化でもAIでもそうなのである
それで意外と女性向きの仕事が増えてくるかもしれないのである、これはその一例なのである

2019年01月14日

葉牡丹(相馬市の山上から塩手(茄子小田)から市街へ


葉牡丹(相馬市の山上から塩手(茄子小田)から市街へ

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ここから海が見えて見晴らしがいい

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茄子小田であり塩手とある

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すぐ前にこの山がある
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白い所に雪が残っていた、この辺は雪が降ったから寒い

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茄子小田という地名がある



冬耕の畑や高台に我が来る

葉牡丹や蔵ある家に古木かな

茄子小田と隠さる家や冬の暮

家の前冬あたたかく里の山

山上の奥にしあれや昨日(きぞ)ふりし雪の山蔭に残り白しも

どの辺を行ったのか?
相馬市の道の駅から山の方へ上っていった
そこに隠されるように人家があった
今田とかを通り山上の奥である、宇多川にそって上ったからだ
途中の高台から見晴らしのいい場所があった
近くでも行ったことがないところがあり見晴らしのいい場所がある

それから塩手というところは変わった場所がある、すぐ前に小高い山があり何か人間的である

今度の自転車はypj-xcはマウンテンバイクでありそれがぐいぐい走るというかぶーんと走るというか坂でも悪路でも平坦な道でもすいすい行くから楽である
地形的に変わっている、私が求めているのは景観とか地形とかでありそれを縦横に行けることだった、それには車ではだめであり今までの自転車でも行きにくかった
今度の自転車はオールマイティなのである
タイヤが大きいし厚いというのもいいのである
一番いいのは走りが楽なのである 

蔵のある家の所の地名は茄子小田となっているのも何か隠れた里である
それから塩手から常磐高速に出た、その脇の坂道を上り相馬市の方ででた、そこは高く松林になっていた、相馬市の市街と海の方が見えた
そこは細い道であり車はめったに通れないが家が数軒あった
結局坂があると敬遠してきたがこの自転車だとどこでもすいすい行ける感じになる

ともかく昨日は風もなく寒くもなく穏やかだった、今頃はこの辺は風が吹く
だから風が吹かないから自転車で行くのは向いていた
この自転車だと今まで行けない場所に行ける
そこに近くでも新しい発見がある




2019年01月15日

相馬市の山上の塩手山や茄子小田の地名の由来は?


相馬市の山上の塩手山や茄子小田の地名の由来は?

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こういう地形だから塩手山は地形から名付けられた


「なす」の語源は、「なすりつける」とか、「ならす」の意味の他に、「なずむ」というどろどろの湿地の意味もある。栃木の那須は平坦な地形の「なら」に通じる地名由来だ。岐阜県の茄子川は、川がついているので、平らなところを浸食した意味も含まれる。 


シオデ(牛尾菜)

漢方では、根茎を「馬尾伸筋(ばびしんきん)」と呼び、鎮痛などに効能があるとしています。 

しおしおと

 凹んでーしぼんで、生気を失う、陰気な・・・・

地名を解くとき注意しなければならないのが漢字は当て字でありその漢字から地名を見てはいけないのである、もともと音がありそれに漢字を当てたからおかしくなる、誤解されるのである、北海道のアイヌに漢字をあてた結果奇妙な地名になっているのでもわかる

茄子とあるから茄子と関係しているのかというとない、那須は有名だけどそれ茄子とは何の関係もないのである、地形的なものなのである
川が関係しているとなるとあそこにも川があるからそうなのかともなる
そして茄子小田となれば小田は小さな田だからまさにそうである

そして塩手山とあるがそれは何になのか、塩とあるから塩とは関係ないことが多い
それは山の中に塩とつく地名が多いからである

 山間に多い塩地名 ― 塩原(しおばら)
  
(1)楔形の谷の奥
(2)川の曲流部
(3)撓たわんだ土地(長野県北部〈北信〉にみられる)
(4)植物のシオデ(牛尾菜)に由来 

この四つのどれかとなる、楔形の谷の奥、川の曲流部、たわんだ土地というとき塩手山とか奈須小田はあてはまる、しぼんでゆくつ地形であり、しおしおという言葉がありそれは何か陰気な生気がなくなる場所としているからだ
確かにそういう地形なのである

もう一つはシオデという植物がありそれは薬草として利用されていた、農家の出の人は自分の家で薬草を作って処方していたという、それは千振(せんぶり)とかドクダミとかである、それから血止め草と呼ばれていたのもあり薬がない時代は自家製で作っていたのである、現実に千振山といかのがあったり薬として欠かせないものが野草にあった
これはチフリ山と読んでいる

この地方で人気のある「薬来山」は、昔は「せんぶり」の宝庫でした。

千振(せんぶり)山とつく地名があるのか?センブリが薬草として貴重だから薬の山はセンブリが豊富にとれる山だったとなっていた

たいがい何か花でも薬になる、トリカブトは毒薬でありこの辺で山中深く咲いていた
漢方薬が生まれたのは人間にとって必然だったのである
ただそういう知識は専門化したがもともと自家製でも作っていたのである
そうしないと生きていけないからである
その農家出の人は納豆まで作っていたというからだ

いづれにしろ地名の由来で一番多いのは地形に由来したものである
だから塩手山がシオデという植物に由来するかとなると疑問である

インタ−ネットでは地名に関するものが多いから参考になる
全国的に共通なものを調べやすいのである

台町とかあったけどかなり高い所にも畑があり見晴らしが良かった
その前にあの辺は今田という地域である、今田とは新しく田にした地域だともなる
新田は新しく開拓した田のことである
あそこには紙漉川というものが近くにあるから紙漉きが行われていたのである
あの辺は地形的に複雑である、入り組んでいるからである

南相馬市と相馬市の相違は原発事故の被害が南相馬市と相馬市では格段の差があった
放射線量は海側だと変わりないが南相馬市では鹿島区でも半分は避難したのである
相馬市は避難した人はほとんどない、その影響が大きかったのである
だから南相馬市の地域は原発事故で田畑が荒地化した、8年過ぎて回復したにしても南相馬市地域では荒地が依然として多い
特に橲原とか大原とか山側になると荒地のままなのである
それから小さな田はソーラーパネルになったりする、小さな田畑はもともと跡継ぎがないとか生産性が低いので原発事故以後は放置されてしまったのである
だから金にするためにソーラパネルにされやすいのである
宮城県とかでも津波の被害地では農業をやめた人が多いというのもわかる
それはもともと農業していたのは60歳以上であり高齢化で継続できなくなっていたからである

ただそうして荒地化しているのが景観として嫌なのである
でも相馬市は山側でもあんなに高い所でも田畑を継続しているから南相馬市とは違っているとみた
そもそも小高などは避難させるべきではなかったのである
みんな言っている、3年農業をやらないともうできない、体がなまってできないと言っているからである、今でも原発事故の後遺症は南相馬市にあり相馬市は津波の被害が大きかったが荒地は目立たない、全国的に耕作放棄地は多い、それをどう利用するのかとなると全部ソーラーパネルになるのかとなると嫌だなと思う
グーグルの地図で見ると山の中にもあり玉野村では大規模なソーラーパネルが設置されることで問題になっているのである
もうそうなると山村というものではない、工場地帯みたくなるから嫌だなと見る
海岸部は仕方ないにしろ山の中までそうなるのは景観的に嫌だとなる
でも私の場合は景観とか風流だけから見ているからそうなる
そこで生活するとなるとまた違った問題になるのである



posted by 天華 at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2019年01月16日

鹿島駅に市でNPOの見守りの人を置く


鹿島駅に市でNPOの見守りの人を置く

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ここに人を置くとすれば駅員のようになる
切符も売っているのかとと思う
どういうことになるのか?




昨年12月10日に相馬(福島県相馬市)−浜吉田(宮城県亘理町)間で運転を再開し、JRが1カ月間の利用実績を調査。新地(福島県新地町)−岩沼間では震災前の86%に当たる1日平均約8400人、原ノ町−新地間では82%の約3100人が利用した。平日の利用者数の落ち込みが大きく、JRは、通勤客が大幅に減ったと分析している

通勤客は山下駅、山元町が津波の被害で人口減になった、あの辺まで仙台の通勤圏だったのである
通勤となると高校生の通学のように毎日乗るから定数になるから乗客が常時見込めるからいいとなる
双葉とか大熊、富岡とかまだ不通になっているのも痛い
この辺は原発があり乗降客が多かったからだ
ここがいわき市までつながればまた乗降客は回復する

鹿島駅には常時見守りの人を置くようになる、コーヒーは出さない
市の方で援助する、npoの人が来る
私は30分くらいしかいないから役にたたない
でも常時いれば直接わからないとき聞けるからいい
自分の仕事はなくなるということはある

ただ自分は駅が広場の役割がありそこで何か話したり案内したりする
今日は小高のばあちゃんが鹿島がなつかしいと言って待っていた
息子なのか淡路島の方に行ったという、それで原町の復興住宅に住んでいる
この人も車をもっているが何か車検とかで電車で来た
誰もいない駅より何かちょっとでも話したりするとなごむということはある
ただ嫌がる人もいるからみんなと話はできない。
ばあちゃんとかは話しやすいのである

その駅の見守りの人でも市の方で金を出す、npoだからそうなる、でもいくらくらいもらえるのか?たいした仕事ではないにしろ半日でもいれば仕事である
それで金をもらうからである

自分の役目は終わったともなるがこれからも駅に30分くらいは買い物帰りにたちよる
そこで待っている人と話したりする、また駅は広場でありそこで土地の人ともあって話したりする場である

でも駅に常時人がいるということは切符でも売れるはずだがしない
そういうふうにJRではしない、市の方で見守りの人を置くとなるとそうなのだろう
切符くらいついでに売るようにしたらいいと思うが何かめんどうなのだろう
そうなるともしかしたらJRで金銭の負担があるから頼まないとなっているのかもしれない今日は市役所の人とJRの人が来ていて相談していた
でも金銭の負担は市の方でするのだろう

世の中は三日見ぬ間の桜かなー三日見ぬ間の枯木かな (老人は時代の変化についていけない)


世の中は三日見ぬ間の桜かなー三日見ぬ間の枯木かな 

(老人は時代の変化についていけない)


人間の一生でも世の中でもこんなに変わるとは想像もできなかった
この辺では特にそうだった
ここ十年で体験したことは変化が激しすぎたのである
第一津波では村がいくつも消失したからである
村ごと消えるなど想像もできなかった
その津波で家族も死んだ人も多数いるし原発事故では故郷に住めなくなった
それもありえないことだった
人生は無常だということを一身上でも家族が認知症になりみんな死んでそうだった
ただ茫然として一人取り残されたとなる

ただ人生とはそういうものだったのである、だから日本でも70年間平和だったということはまれだったし自分自身でも何事もなく暮らしていけたことの方が幸運だったとなる
でも一回は水害などがあったがそれほどの被害ではなかった
床上浸水だったがそれほどの被害ではなく乗り越えられた
それ意外に何か不幸なことはなかったのである

それが一度にここ十年介護やら自分の病気やら回りは津波や原発の被害にあった
それは想像を絶したものだったのである
世の中もそうだが個人的にも家族でも変化が激しいのである
人生とは常に変化なのである、成長してゆくこと自体が変化なのである
大きな変化は30頃まで起きる、そこが青春なのだけどこれもあっというまに過ぎる
青春の若さとか女性なら美とかあっというまに色あせてすぐに老人になる
そして見る影もなくなる、つまり枯木になるのである

世の中は三日見ぬ間の桜かなというときそれは盛りの時期である、また個人的にも世の中でも国でもそうである
中国を見ればわかる、十年二十年をふりかえってみればわかる
どれだけ遅れていたか?物価は日本の十分の一とかであり技術は最低であった
それが今見れば驚くばかりである、給料だって日本とたいして変わらなくなっているし新幹線が走っているしスマホとかの技術では中国が優れている
論文の数では中国が日本を百倍単位で引き離している、それだけ技術が進歩しているのである
でも中国という時、何か依然として右の人は日本がより科学技術でも遅れた国だと見ている、それはあまりにも変わるとそれに追いついていけないのである
三日見ぬ間の桜かな、その三日が十年であり二十年であり同じである
もはや中国は満開に花が咲いているともなった

しかし一方で衰退するのも早いのだ、女性でも若いと思ったらたちまち老人になり若い時の面影もなくなる、三日見ぬ間の枯木になっているのだ
だから国単位でも栄えていたと思ったら枯木になっていたというのはいくらでもある
そのスピードが早いのである、アメリカと中国は今や同等でありアメリカがいつまでも栄える強国ではなくなっている
でも今までのようにアメリカの位置は強国として世界をリードするものとして見ている
でも現実はそうでなくなっている、自分の国が優先だとなっている
それはアメリカがもう衰退しているからである

人間はその変化を見抜けないのである、銀行が地銀が真面目な仕事であり地方ではエリートだと思っていた、でもその地位ももう保てない
それで追い詰められているから収益をあげられないから投資信託をうりつける
これは銀行で売った時点で絶対に損しない商品なのである
手数料が確実に入るから毎月配分とか言って売りつける
だから地銀とかは対面的に営業の人が来てその人を信じるということがある
それでおばあちゃんが投資信託で一千万損しても銀行員を信じていたというのもそのためである
それは老人は急激な変化に対応できないからである
それは自分自身もそうだったのである、銀行というとき信じていたのである
でも世の中の時代の変化が激しいからそれに追いつけず失敗する

つまり三日見ぬ間の桜なのだがまた三日見ぬ間の枯木にもなっている
そういうふうに人間の変化が激しいのである、人間関係でもそうである
常に変化している、60年一緒に生活していても死んでしまうともう帰ってはこない
ただそこで茫然としているだけである
そしてただ過去をふりかえるだけだとなる、最後には同じことを認知症になって千回も話する、それは別に認知症にならなくても老人になると過去のことを嫌になるほど繰り返し語るからである、なぜならそうして語ることが生きたことだからである

ダーウィンは、「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ」という考えを示したと言われています

変化に対応できるものというとき時代を見ればわかる、明治時代には本当に激変した社会に変化したものが生き残った
その変化に対応できたのは若者だったのである、とても老人では適応できない
それはいつの時代でもそうである、子供でも若者でも一番その時代の社会に適応する能力がある
でもすでにすぐに40とか50になると適応力がなくなるのである

おそらくなぜ日本が衰退するのかという時、時代の変化に適応する若者がいない、若者が活躍しない、それは老人が多い、高齢化社会になると新陳代謝がなくなる社会になるからだ
明治だったら若者が創始者になって創業者になってやるほかない、だから明治に会社でも大学でなんでも創始者になったのである
そしてなぜ戦後にこれだけ日本が発展できたのか?
それは戦争に負けた結果、既得権者が一掃されて新陳代謝が行われた、強いられた結果なのである
その変化も激しかったのである
高齢化社会はその新陳代謝がうまくいかない、老人がいつまでも権力を握っている社会である
相続でも60とか70になってやっと親の財産でも相続するとかなっている
そうなると下の世代は権力をもたないから自由にできない、自分のやりたいこともできないのである
新陳代謝ができない社会が少子高齢化社会なのである

それで女川辺りでは津波の被害地域でも老人は口出すなと言って若い世代に街作りをまかしたのである
急激に変化する時老人は対応できない、若い世代は40くらいまではまだ適応できる
でもそれ以上になるとむずかしくなる、私が失敗したの50から海外旅行したので遅かったのである
若い世代なら今の時代に適応して新しい未来を目指し作ることができる
時代に適応できるからである、だからこの辺ではそうした若い世代が明治時代のように活躍できる場でもある
何もないところから一から始めねばならないということになったからである

いづれにしろ戦後70年過ぎてまた明治から戦争まで70年であり戦後の高度成長を経て70年でありそこでまた大きな変革の時代に変化の時代になる、それで色々な分野で変革が迫られているのである
ただその激変に老人はついていけないのである
                                            
世の中は三日見ぬ間の桜かなー三日見ぬ間の枯木かな

世の中も人生もこれだった、いつの世もそうだった、常に変化であり無常の世界だったのである


2019年01月17日

ボランティアの矛盾 (遠くの人が助けて近くの人が助けない)


ボランティアの矛盾

(遠くの人が助けて近くの人が助けない)


東京の方から去年だったか、まだ仮設に住んでいた小高の人の引っ越しを手伝いに来たボランティアがいた
そんな遠くから良く来てくれるものだと感心していた
でもよくよく考えると交通費はどうしたのだろうとか、そんな遠くから自費でわざわざきてもらうほどなのか?それが今になり疑問になった
津波でも最初は京都とか大阪から来て泥をとりだしていた
その時は労働力が必要だったし地元ではできなかったからだ
その時は有効に働いていたのである

でも5年6年すぎるとどうなるのだろうか?
第一小高の人たちは津波の被害者と違ってそれほどの被害ではない、家を失ったり家族を失ったりしていないのである
それで補償金を多くもらったりして喜んでいた人もいるしまた仮設暮らしを楽しんでいた人もいるのである
でも毎日のように仮設に入った人はやることがなくパチンコだとギャンブルで遊び暮らしていたのである、補償金も入ってそうなったのである
だから外から来て働く人が怒っていたのである
そういう人たちを見たらやる気がなくなるからだ

そもそもなぜ5年とか6年過ぎてもボランティアが来ていて引っ越しの手伝いをしていたのだろうか?何も近くの人で小高の人たちが協力すればできることだった
そうして引っ越し費用も必ず援助されるのが原発避難者だったのである
そうすればその金で引っ越しを手伝う人もいただろう
金に困っている人は周りでいるからである
その事情はわからないにしてもこういうことは他にもあった

でも現代社会の矛盾は遠くが近くなり近くが遠くなっているという現実がある
そういう社会の反映でもある、例えば避難した先が妻の実家に行くとなると本当に全国に散らばったのである、この前会った人は淡路島に行ったとか四国に行ったとかなる
それだけ広域社会になっているからそうなったのである
その広域社会だからこそ遠くからボランティアでも援助に来る人たちが多かったのである
でも肝心な地元の人たちは協力しないというのも変だったなとつくづく思う
第一普通の生活で何か困っていても苦しんでいても協力などしないのである
むしろ苦しんでいるのを楽しんでいることさえあるのが普通である
近くの人は助けないのである、介護でもそうだし自分自身も苦しんでいたけど同情すらされないしただただ責められるだけだったのである
それも自分自身のカルマだったにしろ矛盾していたのである

仮設に移り住んだ小高の人たちは困っているからと常に外部から同情されていた
それで奇妙なのは自分が苦しんでいる時自分の家に来た人も事業に失敗して苦しんでいるから助けるところではなかった、それで借金もしているから金に困って自分が弱い立場になったことをいいことに脅迫までしてきたのである
その時その人の家ではパチンコ屋で働いていたのである
そのパチンコ屋には小高の人などが毎日つめかけていた
そして自分自身は何ら助けられることがなかったということで憤りにもなったのである
これも本当に矛盾だったのである

普通はまず困ったら家族が助け合う、次に近くで助け合うのが順序である
まず今は遠くの人が助け近くの人は助けない、これも矛盾していた
そして地元では補償金で助け合うところではない、心は一つになれない、分断されたのである、これも現代の矛盾なのか、まず内部で団結しなければ復興などありえないとなる
外部頼りならもう外部の人に一切まかせて地元の人たちは外に出た方がいいとなる
現実は若い世代は外に出て帰ってこないからそうなったのである

遠くから来るボランティアも必ずしも有効なものとなったとは言えない、その善意はありがたいにしろ何かボランティアが有効に働くのは自分の経験でもむずかしいのである
全然認められないこともあるしやはり社会で認められないということである
いろいろあったけどまず苦しい時は家族だったら家族でまず助け合う、次に近くの人が助け合う、次に外部の人に助けてもらうのが順序である
それがまず外部の人、遠い人が助けることになった
復興の仕事はほとんど外部の人たちがしていたのである一部は地元の人たちがしたとしてもほとんどは会部の人たちだった
家を建てるにしても何をするにしても外部の人が建てたり工事した
それは地元ではできないからそうなったのだからそれを批判することはできない
でも何か外部まかせとなったことがある

何も6年とか7年も過ぎたら自分たちできることはすべきだったとなる
そして結果的にどうなったかというと地元では協力しない、外部とは協力するがその外部の人も来なくなる、残されたのは地元の人たちでありその地元の人たちが補償金などで分断されて協力ひない、心ひとつになれないのである
それを言えば小高の人たちにすれば何で地元の人が協力しないのだと怒りになっている
俺たちは苦しいのに助けないのか、冷たい奴らだとなり怒りになっているだけなのである
こういう内部事情があり外から来るボランティアが悪いとはならない、でもそれが有効に働くかどうかは別問題になる、それは自分自身もそうだったからである
駅でボランティアしても何も認められない、それはそれとしてかまわない、道案内とかしてありがとうと言われるから気分いいからかまわない
ただボランティアがすべてうまく有効に機能しないことは言えるのである
それよりまず地元でやれるかとはやる、地元でまず協力しあうべきだったができなかったのである、それが一番の問題だったのである                                                  

posted by 天華 at 09:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

粘土社会から積み木社会になり崩壊した原発事故の避難区域 (家の重みとか土地とか先祖が一体化したものが喪失した現代社会)


粘土社会から積み木社会になり崩壊した原発事故の避難区域

(家の重みとか土地とか先祖が一体化したものが喪失した現代社会)

前に考察したけどなぜ原発事故でこんなに簡単に町とか村とかが解体したのか?
確かに強制的に国によって避難させられたり強制されたことがあった
そににしてもこんなに町でも村でも自治体でももろいものだったかということである
放射線問題があるにしろそれだけがすべてだったのかという疑問である
それは何か現代社会の特有の問題として生まれた問題ではなかったのか?

グローバル社会とか広域社会とかがそうである、そういう社会の構造の中で必然的に起きたのではないか?
現実に復興で働いたのはほとんど外部の人である、内部の人はただ助けられる存在であり自助努力もしない、一部はしてるにしろ外部まかせである
自分たちで復興する意志もなにもない、ただ補償金をできるだけ多くもらうことしかなくなったのである
その権利がありそれが当然でありそれに何を文句を言うのだとなる

でも何か現代社会というマクロ的な視野で見ると現代の社会は交通が発達して外部と世界的に経済でも関係する社会である
そのことが逆に中心的役割を果たす地元の絆を紐帯を喪失させたともなる
ここだけではない、現代の社会は過去の村のような粘土社会とは違う
いくら田舎でも地元に住んでいてもそれは一時的に住んでいるという状態になっていたのかもしれない、昔の村だったらそんな簡単に何かあれ村から離れられないからである
だからこそ繋がりが絆が強いものとなっていた
つまり粘土のように人と人がくっついて離れられないような社会だった

現代は何か市町村でも積み木社会のようになっていないか?
ただ一時的に積み木をして作った市町村のようになっているのではないか?
それは積水ハウスとか大東建託でもそうだがそうした大会社が積み木で家を作るように
ただ組み立ててたちまちアパートをこの辺では15、6棟を建てたからである
何かそれは積み木のように建てたとなる
積み木だからこそ壊すのも解体するのも簡単なのである

絆、絆と震災以後盛んに言われたがその絆は外部との絆であり内部の絆はかえって希薄化していたのである
積み木社会だから粘土のような粘着性のある市町村ではないからこそこんなに簡単に村や町でも崩壊してゴーストタウンになったりした
まず村とか町でも維持してゆこうとする絆がない、人と人の絆がないし土地との絆もない社会である
粘土社会とというとき木とか石に象徴される土着的とか土に根ざす社会ではなくなっていた
木は土深く根をはり栄養分をとる、でも花は深く根を張らないから栄養分がとれず枯れてしまうことが多い
木はその土地に深く根を張り動かない、そこに充実感があり生きる意義がある

そもそも現代社会はその土地に土着して深く根を張る生活をしていない
積み木のように壊れやすい社会だからこそ原発避難区域は簡単にゴーストタウンになったのかとなる、それは双葉とか大熊とか原発があった所ではない
その周辺である、浪江とか小高とか富岡とか30キロ圏内である
そこは避難区域にされたから放射線量でそうなった、国でそうしたのだとなるのもそうである

でもそれだけなのか?現代の社会は実際は一つの小さな土地にしばりつけるものではないそれはグロ−バルにモノでもヒトでも流通する時代だとなる
そこで起きたことは何なのか?
何かあったらそこにとどまり抵抗するとか一致して協力するとかではない
まずマイホームでありマイカーであり町や村のことは関係ないともなる
それでみんな強制されたにしてもその後もだらだらと6年も仮設に住んだり他に家を建てたのである

だから私はどうしてもこんな簡単に村でも町でも崩壊するのかということが納得いかないのである
現代社会はもう一時的な仮の宿なのかもしれない、ホテル家族などとも言われたことがあった、一時的に積み木のように組み立てられては街ごと簡単に積み木は崩されて破壊されるのである 

天皇の御製歌(おほみうた)一首

あをによし奈良の山なる黒木もち造れる室(やど)は座(ま)せども飽かぬかも

太上天皇(おほきすめらみこと)の御製歌(おほみうた)一首

はだすすき尾花逆葺(さかふ)き黒木もち造れる室(やど)は万代(よろづよ)までに  

家でもこういう重みがなくなっている、外部から来た積水ハウスでも大きな会社が積み木のように組み立てて家を建てる、そこに永続性とか持続性がないのである
田舎だとこの辺だとそうした永続性とか持続性のある家はあった
この家のもつ感覚が西洋と東洋では違っている、西洋といっても遊牧民になると砂漠とか草原の民となると常に移動するのだから家に重きを置かない、その土地にも執着しない
だから現代人は車で絶えず移動する遊牧民になっていて心情的にも変化したとなる
とにかく通販で絶えず物を運ぶ時代である、グローバルにも世界は交通が発達してモノでもヒトでも入ってくる流通する時代である
ただそこに何かが欠けてくる、もうその土地とか家とか人と人の絆とかアイディンティティとかでもその土地にない社会である
金があればどこにでも住んでいいという社会になる時人々は故郷でも長く住んだ所でも移り住む、それはアメリカではそういう傾向が強いというときやはり遊牧民的体質があるからだともなる

これは理屈ではない、最近60年一緒に生活した家族がみんな死んで家に一人残されていつも思うことである
農耕民にとって家というのは単なる家ではない、家には死者の霊だ訪れ宿るということがある、だからお盆というのはそういう何か根源的なものとして理屈ではないものとして伝えられてきて今日日本人に残っているのである
お盆には死者が家に迎えるというとき何か今の現代風の家ではなく古い長持ちする奈良の山なる黒木もちとかなるのである
こういう感覚は日本人特有というか農耕民特有のものである

家というのに思い入れが深いのである、でもその家すら簡単に捨てて町や村も捨てられたということが理解できないのである
家だけではない先祖の霊が山に眠り春には先祖が田植えのときに降りて来るという信仰でも死んだ人はともにまだその土地にいて生活を見ているとなる
その心情は理解できるのである
つまり家とか土地と先祖とが一体化しているのが農耕民であり日本人だとなるからだ
それは理屈ではない、死者は見えないにしても何かその霊魂というかそういうものが土地とか家に宿っているということを感じるからである
家であれその家の周りでも死んだ人の霊魂がいる、見ているようにすら感じるからである

中国の少数民族の瑶族は、家というのものを特に大切にする
出産はもちろん、死ぬ際も家の中であることを望む
それは家以外の場所で死ぬと、家族はその死体を家まで運ぶことができないという慣習があるためだ
それゆえ彼らは遠くで長い間働いたりすることを拒む
重い病気になったりしたら家へ帰りたがる
魂は必ず家へ戻れるようにとの想いは今でも根強く残っているという
「森林理想郷を求めてー平野秀樹」

これは理屈ではない、そういう心情は誰にでもある、特に日本人は家に対する思いが強いのである、昔なら農業が8割とかしていたとなると家と土地と人は一体だったのである
そして魂も一体化ししていたのである
こういう感覚は遊牧民にはない、ヨ−ロッパでもいろいろありかえって石の家があり何かそこには永続性がありその家はこうした農耕民の家とにたものがある

例えばマイホームとかマイカーのことで指摘したがマイホームというのはそういう家ではない、それは会社人間化工業化してできた単位であり本来の家でとなくなっていたのである、その証拠にマイホームとは東京とか都会に来た人たちが家を持ちたいとしてその言葉が流行になったからである
本来の家はそういうものではないからだ、マイホームというとき一代限りのものであり代々つづく農家のようなものではないからだ
一時的なものとしての住まいであり代々続くものではないのである
永続性とか接続性はないのである
それは近代化によって工業化社会で会社員にみんなが成ったとき生まれた言葉なのである
いづれにしろ病院でも老人ホームでも人はそこで安住しない、そこで死にたいとも思わないのはみんなそうだろう、家に帰りたいとかいうとき家に対する思い入れが理屈ではなくみんなもっているからそうなるのである
まず無機質な病院は死にたくない、老人ホームもまた家ではない
家とはただの建物ではなく精神的拠り所になっている所なのである


そんなに家にこだわるのは古いとかもなる、でもなぜこんなに簡単に家を捨て他所に移り故郷でもその土地でも簡単に捨てるというとき何かそれはただ原発事故だからしかたがないというだけでかたづけられるのか?
そこが常に疑問だったのである、現代の社会は積み木のようにもろい、簡単に何かあれば崩れる、ばらばらになるのではないか?
そういう社会にみんな住んでいるということを知らねばならない
なぜならそうなると市町村でも自治体でも何か大きな事故であり災害であれあると自治体自体がもろくも積み木のように崩壊する
それがグローバル社会であり広域社会でもある、それがいいとか悪いとかではない
そういう社会を作ったてきたのが現代だったということである


人間の存在を問うときその存在意義でも問うときそれでいいのか?
そういう根源的な問いをこの辺ではつきつけられたともなる
何か現代社会は実は積み木社会であり簡単に積み木は崩されて破壊されてしまうというのを知らしめたのではないか?
それはマクロ的に国家などでもそうなのかもしれない、愛国心とかもかえって常に戦後は悪いものとして否定されてきたからである
そしてただ経済一辺倒になり金になりさえすればいいという価値観しかなくなっていたからである、そういう社会は先祖でも家でも土地でもつながりがなく絆もなく壊れやすいということである、物質性があっても精神性がない社会だともなる
日本人の心情として東洋の心情として物はただの物ではない、物が憑くとか物心とかあり物は単なるものではない、物は魂と一体化したものとしてあった

西洋では物はobjectであり客観的魂のない対象物である
人間の心とは切り離されている、東洋では物と心は一体なのである
だから家とはただの建物ではないのである、心が先祖の霊でも宿っているとか感じているのである   
これは信仰とういのではなく日本人の共通した心情なのである、農耕民が長い生活のなかで共通の感情として持ったものなのである、だから遊牧民とかの心情とはかなた違っているからこの両者の文化の相違は大きい、それで理解しあえないということがある
どっちがいいとか悪いとかではない、そういう生活形態がありそれが理解しにくいのである


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posted by 天華 at 22:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2019年01月18日

新聞に出ていた鹿島駅に置く見守りの人について (電車の運行などにはかかわらないのはなぜなのか?)


新聞に出ていた鹿島駅に置く見守りの人について 

(電車の運行などにはかかわらないのはなぜなのか?)

市が同社から同駅舎の一部を借り、同市のNPO法人相馬救援隊が駅に駐在して利用者の見守りや観光案内などを行う。同社によると、地域活性化事業で自治体と協定を結ぶのは同支社管内初めてで、県内でも珍しいという。

1/1(火) 11:16配信 (福島民友)

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ここでは切符を売らない、なぜか?
切符を売るとなるとJRで委託することになり金銭の負担が生じる
でも自治体がかかわると自治体でnpoに払うことになる
どういう協定なのかは詳細はわからない

ともかく定期的に見守り役がいれば助かる、そのことは書いてきた
いろいろ聞かれるからである、その時直接その見守り役に聞けばいいからである
私はイレギュラーに30分くらいしかいなかった
でも結構その時案内があったから案内はある

タクシーの電話番号は駅舎を出た所にあるが気が付かないのである
それをスマホで探すのだがすぐに見つからない時がある
そういうことでも駅に人がいれば聞けるからいいのである

駅はやはり街の案内所である、鹿島には道の駅がないから車の人もここに来るからだ
ここが街の中心としてわかりやすいし車も一時的でもとめられるからである
商工会も近くにあり観光案内しているがわかりにくいし車もとめにくいのである
だから外から来た人にとっては目立つわかりやすい場所がいいのである 

とにかくこの駅の窓口の張り紙には

切符の販売や清算、列車の運行などに関する駅業務の案内はいたしかねます

これは何を意味しているのか?
JRでは切符の販売はしないというのは何かめんどうになるからだ
機械を設置したり費用もかかるからだろう
また委託するとJRで金を払うことにもなるからだろう
列車の運行などの案内をしないというのも解せない
なぜなら駅員が窓口にいるからだ
そしたら必ず聞かれるからである、でも何かJRでは責任を気にしている
だから駅を勝手にはできない、無人駅でもできない
私が自分で作った時刻表でも置くなとなんでも勝手にできない
それは駅の方に苦情が来るからである

この張り紙だけを見ると高校生とかの見守りが中心になるのか?
それは小高駅では高校があり高校生の出入りが多いということでここの駅員が小高に移った
ここもそういうことなのか?何か女性だと心配することがあるからだともなる
それで自分が警察に通報されたのもそのためなのかとなる
今はそういうことに過剰に敏感になっているからだ

今日孫と一緒に来たばあちゃんが椅子に座ると寒いと言っていた
座布団でも置けばと言ったが私は置けない、JRの許可がないと置けないと言った
ただ小高には他でも座布団を置いている、それはJRの許可をとっている
その許可をとることがめんどうなのである
だから商工会とか団体に入らないと何でもしにくいのである
まず個人は何もできない、今の社会はそうなっているのだ
それが善意でもできない、個人のボランティアは認められないのである

私は別にただ駅に案内するとかあるがそこに買い物ついでに様子を見ているだけである
でも今度の見守りの人は長くいる
でもなんらか電車の運行のことは聞かれるのである
つまり会社でも何でも今は責任を気にしている
それが過剰になるともう何もできなくなる
子供に声かけることすらできないような状態になっているのだ
そういう窮屈な社会になってしまったのである
それはテレビで全国放送すると過敏に反応するからである
事件とかは常に起きているが全国だらそうなるが全部はそうならないのである

今日も風で遅れたからそこで心配になる、そのことで水戸の案内所に連絡したりした
20分くらいの遅れだったようだから良かった
運休になることもある、これから風が吹くからだ
それが駅のこれからの一番の問題なのである

今日は相馬救援隊の人が一人来ていた、見守りの人を置く場所を直していた
それは記事にもでていた
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ふるさと納税で寄付金をもらっていたが平成30年で中止している
でも相馬救援隊の活動はしている







タグ:相馬救援隊