2019年01月01日

2019 新年おめでとう HAPPY NEW YEAR


2019 新年おめでとう

HAPPY NEW YEAR

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私はイノシシ年です

今年は新しい自転車で最後の猛ダッシュになるかもしれません

自転車人生のしめっくりかもしれません

それから故郷の自然とアイディンティティ化した詩の集成です

その他今までしたことの総まとめとなる
                          


今年もよろしくお願いします

みなさまも明るい年であることを祈ります

明星(2019新年の挨拶) (青年よ師を偶像を殺し龍となれ!)


明星(2019新年の挨拶)

(青年よ師を偶像を殺し龍となれ!) 

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雲破り初日輝く年男


新年や月と明星輝きて遠くに一つ星きらめきぬ

新年や明けゆく空の清しかな月光り明星輝く幸のあれかし

新年や龍とならむや若者の未来をつぶす大人なるかな

雲さえぎ初日の出待つあせらずに光に欲す時を待つべし


三日月が月の脇に光っていた、それは金星なのか木星なのか?
さらにかなたに一直線の中に小さい星もきらめいていた
今年はめずらしく早く起きた
今年も幸先良いのか?明星は幸運の星なのか?
何かが新しく開ける年なのか?また新しき人が出る年なのか?

私が俳句とか短歌をはじめたのは20代でありそれも25頃からはじめたのである
その時はただ575とか言葉を並べるだけだった
だから結社に入ったが俳句関係は全く認められなかった
ただアララギの結社に入って選ばれて何首かのった
だからここでは認められたが他では認められない
その後どこの結社も入っていない独自で精進してきたのである
だから今でも評価はされていないのである

ただ結社というのはそこに師匠がいてそれがかえってつっかえ棒になる
才能をそぐことになる、そもそも師というのは危険な存在のである
自分より優れたものを出ることを拒むからである
若い人は確かに未熟だけでそれはただ芽であるだけにすぎないからである
その芽があとで大きく花開くことがあるのだ

それはどこの分野でもそうである、日本人は師を異常に崇拝する、人間と一体化するというとき日本的な特徴なのである
だから師と同じくなるなという人は自らを否定する師はいないのである
結局人間は一番自分がかわいいからである
自分がどこまでも崇められたいとしているからである
それでカルト教団では師が神の如くなりそれと一体化して崇拝する
それが偶像崇拝になるのだ、この偶像崇拝ほど怖いものはない
なぜなら一番神が嫌うことだからである
神は妬む神なのである、これは本当なのである
聖書でも信仰とは偶像崇拝の戦いだったからである
それは命がけだったのである、師の呪縛から離れられないからである
子弟不二などという思想はそれはもう師のコピーであり人間として生きることはなくなる
ロボットなのである、人間はなんらかで生まれとか環境とか時代も違うから個性的なるのが神が定めたことなのである

まず俳句とか短歌の師が多すぎるのである、それらは小粒なのだけど師として崇められたいだけなのである
だから師とは否定すべきものである、どうしても人は時代の子でありまたその生い立ちとか性格とかいろいろ違っているから十年も違うと世代の差が生まれてその下の人が理解できなくなるのである
だからその若者がどういう未来があり未来を築くのかはわからないのである
それで必ず師は若者を卑くくみる、つまららないものとみるのである
それは未来というものがわからないしその時代が離れるからそうなる

とにかく私自身の場合は何か才能が開花したのは60過ぎてさらにもう死に近くなってからだった
なぜか不思議なのだけどいろいろなことが理解できる、深く理解できる
今まで理解できないことが深く理解できる、自分なりに理解できる
これが本当に不思議に思う、若い時でもその後なかなか本を読んでも理解できないが今は即座に理解できるのである、そこから自分なりの見解をもつことができる
大器晩成というけども別に自分は大器の片鱗もない、平凡な人間だった
むしろ普通より劣っていたし才能だってなかったのである
啄木とかみればわかる、なぜあんなに若くして才能があったということに驚くからである天才というはそうういものなのである
とにかく師は危険である、師に追従するだけになり自分の個性も才能も殺されるのである

臨済録の「仏や祖師に出逢ったら直ちに殺せ 、父母や親族に出逢っても殺せ」

これは確かに過激なのだけど祖師とか親でもその才能を伸ばさせたりしないのである
むしろ親のいいなりになることを望むし師にしてももしその弟子が大きなものになることを望む人はないないのである、まずは俳句とか短歌の師を崇めていたりしたらもうその未来は小さくされる、そんな人たちは小粒だからである
結社で威張りたいだけなのである
そして自分の不思議は特殊な環境にあり学校とか会社とか集団生活になじめない性格だった、でも会社に入らなくてもその後自由に生活できたし自由に旅もできたし自由が与えられていたのである、それで咎められない環境にあったのである
そのことも自分の形成に大きく影響したのくである
こういうことはなかなかありえないのである、それでマイナスの面もあったが何かそれが自分を大きくしたということは確かである 

私は禅宗にひかれる、真宗とか日蓮宗は庶民的でも盲目的である、奴隷的になりやすいのである、なぜそういう宗教がこれほど普及したのかというとそもそも鎌倉時代とか字を読めない人が多かったからである
そうなればただ題目をあげていれば救われるというのが一番わかりやすいから普及したのである
それはキリスト教でもそもそも字が読めないから絵で説いていたとかなっていた
聖書を読めた人は司祭だげだったとなればそうなるからだ、禅宗は何か個の自立をうながすものであり大衆化しなかったのである
禅宗はだから今の時代にも適合する、自然に習う時禅宗が参考にされるし禅的なものが自然と一体化することなのである
雲水とかでも旅する人でもそうなったことでもわかる、だから日本の宗教では禅宗が普遍的なものとなる
世界的にもそうだったように禅宗は世界的にも普遍的な要素をもっていたからである
それは師を否定する、偶像崇拝を否定するということで普遍性をもったのである

俳句とか短歌は日本の伝統であるがどうしても自分でもそこに限界を感じるから詩の分野にも広げている、とても表現しきれないからである
ともかくいかなる師も危険な存在であり偶像になる危険性がある
もちろん師に一時的に学ぶことは必要である、ただそれが神のようになり永続化することはありえないのである
常に時代は変わりそれとともに人間も形成される
インタ−ネットが生まれればそれによって新しいものが生まれる、技術改革で今までにないものが生まれるからである、インタ−ネットを駆使できる時代とできない時代には才能と関係なく大きな影響を受けるからである

つまりこうしてプログでも自由に表現できることは今までありえないことだったからである、必ず表現するにしても本だった勝手に出せないし雑誌にものせられないしテレビなどでも必ず許可がなければ出れないし意見も言えないのである
それはメデアが力をもっていたからである、インタ−ネットは本当にただメデアであり媒介するものにすぎないのである、そこに誰かの会社の許可がなければできないとはならないからだ
だから表現の幅が広がったのである、インタ−ネットにも問題があるにしろ自分にとってはいいものだったとなる 

青年よあせることなく最後に龍となり天に飛翔せよ!

ということでまた今年も書きつづけますのでよろしくお願いします







2019年01月02日

なぜ正月気分がなくなったのか? (農業が主な仕事でなくなったため―自然から遊離した現代文明の危険)


なぜ正月気分がなくなったのか?

(農業が主な仕事でなくなったため―自然から遊離した現代文明の危険)

なぜ正月になっても正月気分にならないのだろうか?
ただ年が変わるというだけである
それは日本とかアジアでは農業社会でありそこから正月とかの祭りとか様々な行事が生まれていたからである
そもそも日本でも農業社会では密接に自然と結びついた生活をしていた
春は張るであり張り田などがあるとしたら春は張りだったとなる
冬はふゆであり増えるである、これも農業社会だから生まれていたのである
農業している畑を趣味でしている女性は冬は土も眠り土に栄養分を貯えるというのもそうである、冬は農業している人にとっては本当にふゆー増えるだったのである

例えば農業というときいかに農業社会だったかというと小学校の時、「農休み」があったそれは日曜日ではないのである
農家が田植えとか稲刈りとかになって忙しい時学校すら休みになっていたのである
農業社会だからこそそうなっていた、日曜日は明治以降新しくもちこまれた制度である
それは会社員とか工業社会になった時定期的に休めるようになったからである

農業社会ということで社会が成り立っていた時代が江戸時代でも長くつづいた
俳句でももともと農業社会から生まれたものである、誰か芸術家が作り出したものではない、農業社会がありそこで田植えとか稲刈りとかいろいろ季節ごとに仕事があって季節感が生まれた、確かに農業と離れても日本独自の季節感はあってもその基礎は農業にあっただから天皇とは大嘗祭を行うように豊作を祈る司祭だった
日本の神社の由来はいろいろあってもほとんど豊作を祈るものに変わったのである

そもそも農業文化が今では廃れたともなるのは明治以降の工業化とかで変化したからである、でも戦前までは農業社会だった、農民が8割とかだったからである
そして養蚕がどこでも行われるようになったがそれも農業なのである
蚕の餌となる桑を育てることは農業だからである
私の裏の畑にも桑畑があった、それはどこでもあったのだ
それで面白いのは阿武隈高原のどこかで蒸気機関車が通ると桑畑が煙でだめになるとしして反対していたことでもわかる、それだけ養蚕が生活になっていたからである
天皇でも豊作を祈る司祭だった、今でも皇居内で田植えとか養蚕をしていることでもわかる

正月というのは農休みとにているというとき農休みは田植えが終わったころに休むということでもある、一斉に村中で田植えをしてその後にみんなで休むことが農休みでもあった同じリズムで仕事していたからそこに共同性が生れ共同の感覚から共通の自然観が生まれ俳句の季語が生まれたのである
農業社会は密接に自然と結びつくから自然に神が存在してそれを貴重なものとして敬い祭りが生まれていたのである
ただ養蚕が盛んなになった時、貨幣経済が浸透してきて草鞋作りとかの副業がなくなったという、養蚕は輸出産業であり私の母が製糸会社で糸取りとして働いていた
でもその時米十俵とか給料としてもらったというときまだ貨幣経済になりきっていなかったのである、江戸時代と同じで米が貨幣となっていたのである

何か現代は自然と遊離しているというときそもそもが農業社会でなくなったからである

草山の奧の澤べにひとり來てなはしろ茱萸をわが食みにけり 古泉千樫

草山(くさやま):日本国語大辞典だと、江戸時代、まぐさや肥料にするための草を刈る山で、多く一村または数村の入会地であった。草場。とある。古泉千樫は農民だったので、この意味のほうが正しいと考える。

なはしろ茱萸:山本健吉『季寄せ』には、仲夏(芒種6/6-小暑7/7の前日まで)の季語「苗代茱萸」があり、蔓性の常緑樹で、枝に刺(とげ)がある。田植どきに、長楕円形の実が赤く熟するので、はるぐみ・俵ぐみとも言う、とある


ここで解説しているように草山とかの地名はある、萱場とか萱とつく地名の方が多い
それは萱を茅葺の家だったとき材料となっていたからである
それで思い出すのは会津を自転車で旅したときである、山全体に萱がなびいていたのである、萱に埋もれて暮れるという感じになった

そしてこの辺で右田の海側に住んでいる農家の人がやはり橲原(じさばら)に入会権として山をもっていた、そこで草を刈り田の肥料にしていたのである
その当時だと車もないから馬車で運んでいたのである、農業にとって肥料に苦労していたでも遠くから肥料を仕入れることはできなかったから地元でまかなうのがほとんどだったのである

正月に松の内とあるがこの由来は正月ではない農休みと関連していた

幾日も働いたので休みたくなったとき若い衆が部落の総代の家の前に松をたてて馬の鞍のなわをつったり蚕玉様の石塔をたてたりするとお松が立ったとといって総代が農休みのふれをだす所(伊那市西春近小出)や総代の木戸へ松を建てると次の日に仕事を休む所もある
(我が村の記録ー上伊那の明治、大正、昭和―中村寅一)

松の内はこうして部落の人たちが一斉に休む期間のことでありそれが正月の行事になったのである
こういうことは農業社会だからその由来がそうした生活から生まれていたのである
苗代茱萸(ぐみ)というのもそうである、苗代を作る時まさにその茱萸がなるということで農業と密接に結びついていたのである

ともかくこうして農業社会から工業社会に変わった時その変わりようが余りにも激しかったのである
そしてどうなったのか?人間の生活は自然と密着した農業者からか遊離したのである
そのことは原発事故関係でも書いてきた
農業とか自然と関係することが希薄化してまたなくなったとき農業で働く人が一割にもみたなくなったとき農業は軽んじられる、それで父親が農業だけはやるなと言って子供が殴られたという、そしてその子供は原発とか建築とか土木関係で働くようになったのであるそのことは極端にしても現実に農業とかを社会で重んじる人はいない
そこから何が生まれたのか?自然と遊離して自然を軽視する
そして最も大事なのものは科学技術であり工業でありそしてグローバル化社会になった時加速して金が最も大事になる、そうして自然への畏敬など喪失した
漁業関係者は船主は漁業で生活していたのでない
原発の補償金で事故前も事故後も豊かな生活をしていたのである
だからそうなるとどうなるのか?
一匹の魚の恵みに感謝することなどない、その一匹の魚を軽んじる一粒の米を軽んじるとき自然が怒り津波や原発事故を起こしたと私は指摘してきた
この辺は風力発電やソーラーパネル工場のようになった、これだって問題があり景観が破壊されたので嫌だとなる 

でも土地を活かすには農業などしても金にならないとしてそうなった
津波の跡はしかたないにしても小さな田んぼが維持しても金にならないからソーラーパネルになったのである、それでいつも通る所がソーラーパネルになったので嫌だとなった
ただ自分の場合はあまりにも景観を重視していてその景観が農業という基盤があって維持されていたことをないがしろにしていたのである
だから八沢浦が元の美しい入江にもどったとき驚嘆して奇跡だと本当に思った
この辺では入江がないからである、でもそこは明治以降苦労して開拓して田にしたところだったのである
そもそも自分はそういう田より米をとれることより景観の方を優先していたのである
田んぼなどどうでもいい、米など減反政策でありあまっている、いくらでもとれる入ってくるということで軽視していたからである
それはまさに農業社会でなくなったことだったのである
自分自身が農業のことをなにやかにや言っても現代社会に生きる時代の子から逃れることはできなかった
そういう時代感覚は誰でも共有するものなのである、つまり農業とか漁業とか林業とかは価値あるものとならず軽視されているのが現代だからである

天地の寄り合ひの極(きはみ) 玉の緒をの 絶えじと思ふ 妹いもがあたり見つ

天地(あめつち)と相栄(あいさか)えむと大宮を仕へまつれば貴(たふと)く嬉(うれ)しき(万葉集)

 農業社会だったら天地ときりはなせずにある、天地があって人間のつながりがある
玉の緒で結ばれるた人間があり売る、天地とともに栄えるのが人間なのである
でも科学技術社会になると原発とともに栄えるのがこの辺だった
それはここだけではない、社会全体がそうである、そうなると天地から離れているのだからもう天地を敬ったり感謝したりしないのである、そうした祭りも神社でも何でも廃れるのである、崇めているのは神の如くなっていたのは原発だったのである
ただそれが崩壊したときどうなったのか?
水も空気も汚染されて住めなくなったのである、それは天地から遊離した人間への罰だったとなる、また漁業にしても一匹の魚を軽んじたことで神からの恵みを軽んじたことで津波は罰だったともふりかえればなる
科学技術が神のようになる時そこには恐ろしい呪いが隠されていたのである
それは天地から自然から離れたものでありそこに恐ろしい呪いがあることを自覚できなかった、ただそれはここだけの問題ではない、現代文明そのものの問題だったのである
それがここでは何でも極端なものとして事実として現れたのである




Dマガジンと楽天マガジンの比較評価 (インタ−ネットで変わる情報世界)

Dマガジンと楽天マガジンの比較評価
(インタ−ネットで変わる情報世界)

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楽天マガジン

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Dマガジンを見ていたが操作できなくなってもうアクセスできないと思ったので楽天マガジンに入会した、本当はしたくなかった
電話でも簡単に連絡できないとも思ったからだ
何かインタ−ネットでは電話がすぐに通じないし通じなくなるから不安になる
でも実際は私自身の操作の間違いだった、その手順が間違っていたのだ
こういうことは良くある、何かこういうことで私自身はミスが多い

ただDマガジンでも安い、楽天マガジンはさらに安い、こんなに安くていいのとなる
週刊誌でも一冊買えば400円とする、それがあれだけの雑誌を全部読んでも一か月400円はかだから安いと感じる
それだけインタ−ネット時代になると情報は廉価になる
それは情報を出すのが電子空間だと簡単だし金がかからないのである
新聞でも雑誌でも本でもこれを印刷して配達するとこれはもう個人の手に負いないからである、配達して本屋で売るということで手間がかかり金がかかるからだ
だから新聞でもメデアであり新聞に載せてもらうと目立つからそれで広告費とか稼ぐ
新聞に載せてもらうことはそれだけ宣伝になるからだ
それは新聞社が何か特別な取材力とか何かなくてもいいのである
新聞に載せてくれという人でも会社でも頼みにくるからである

それがインタ−ネットになるとどうなったのか?
自分でもしているように誰でも個人レベルで雑誌が作れる感じになった
それも金はかからないから個人レベルでできる
ただインタ−ネットで読まれるのには意外と読みやすさとか見やすさとかが関係してくる楽天マガジンは横にスクロールして一覧できる
これは読みやすい見た、そこで読みたいものを見たいものをクリックすると見れるし拡大縮小もマウスで自由にできる
Dマガジンだと一気に2倍3倍になり拡大がマウスで自由にできないのである

何より、dマガジンで一番不満に感じていたのがページめくりのアニメーション。dマガジンではページを勢いよくめくっていくと文字がぼやけて表示され、少し待つと読めるようになるというインターフェイスで、雑誌を流し読みしたいときにも文字を読むのに待たされることがストレスでした。

ただ文春とか新潮とかは楽天マガジンでは読めなかった、でも種類は楽天マガジンが多いという
でも「紙の爆弾」という雑誌は創価の問題を取り上げていたり他にないものがあった
楽天の社長は創価だったとか聞いたことがあるがこういう雑誌を置かせないだろう
インタ−ネットでは出版できないようなものでも個人レベルで出すことができる
それで「心に青雲」の都築詠一氏は過激なプログを書き続けて69歳で死んだのである
それが驚きだった、文学に造詣が深くそれで毎日7年間くらい読んでいたからである
この人はプロ級の人だったのである、実際に有名な作家の編集にたずさわっていたからだもっと書いてもらいたかったが死んでしまったのは残念だった

インタ−ネットは情報世界を変えた、週刊誌がコンビニに置くと目立つから売れたのである、何かセンセーショナルあ見出しを見て買う人もいた
情報では目立つことが読まれることであり売れることなのである
ただそうできるのはそうして宣伝力がある大きな会社とかがないと目立つようにはできない、インタ−ネットで出しても目立つことがいかに大変なことかわかる
無数のプログがあってももう読まれないからだ
コンビニに雑誌でも置けることはそこに人の出入りが多いから目立つからそれで読まれたり売れたりしていたのである
その内容がどうかということでもない、それはテレビはいつも茶の間にあって見られから力をもったのである
最初は何でもいい、映るだけで驚きであり食い入るようにして見ていたのである
だからなんでもいい、内容がなくても何百万人の人たちが見ていたのである

ただそういう時代は終わった、インタ−ネットが情報世界で変化をもたらした
とにかくこうして私自身が延々と長文を書いているけどそれは書きやすいからなのである書いたら即座にアップして公表できるからである
私は誰がどう読んでいるかとか考慮していない、自分の思うことを感じたことを書いているだけである、そこに問題があるのだがそうなっている

ただインタ−ネット時代はこうして何でも書けるから一億総評論家になる、くだらない発言でもできるからだ
それでもインタ−ネット時代はこうして誰でも書いて発表できるのだから何か記事でも本でも読んだらその感想を評論をして見るべきである
ただ読み流しただけでは読んだことにならないからだ
対話的に読んで評価してゆくと自分なりに読んだことになるからだ
だから私の場合は書くことが無限にありただ詩についてはまだ出していない
それも相当に書き溜めたものがあるからだ
詩となると一般的ではないからあまり読まれない
ただ自分のしていることは本当に雑誌作りだった、それも一人でしているのである
それができたのはインタ−ネットだからだった
ただ楽天マガジンのように縦書きでスクロールして読めるようにしたらもっと読みやすくなる、それをするとやはり個人的には無理だとなる
現実になぜドコモのDマガジンではできるはずなのにしていないからだ
それくらいの会社だったらできるはずなのである
そこに差が生まれているからだ

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インタ−ネットでの契約は一時的に一冊本を買うとかではない、一年とか長く契約する
それは一か月でも400円であれだけのものが読める、すると一か月でそのくらならと金を払うがそれは一年とかでも継続するものとなる
だから読者は一回だけでやめるということがなく一年とか継続するからそれでやっていけるのかともみる
だからこの表現は面白い見方だと思った、恋愛は気まぐれで結婚はそうではないからだ

ともかく今は旧来のメデアが批判される、それがインタ−ネットでしやすくなったのである

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ボクシングの公式戦かと思い見た、それはエギゼビションでありショーにすぎなかった
一回でノックアウトしたし何か前のも日本人がキックボクシングで勝ったけど作られたもの嘘に感じた、それはこれは公式戦ではなかったからだ
権威あるものとして試合が成されたのではなかったからだ

こうあるるようにテレビの発言者はテレビ局の言いなりになるロボットなのである
そういう人しか呼ばれないのである
だからもうテレビを見ないとか信じない、マスコミでも信じないとか増えている
そもそも新聞はその寿命がもう尽きている、なくなるのが目に見えている
テレビでも今のような放送はなくなる、ただ良質な番組はcsとかで有料で放送される
その過渡期なのである
映像的な番組作りはやはりなかなかドラマでも個人的にはできない、それは相当な金がかかるからそういうものはまだ放送として価値がある
ただ大河テレビとか飽きたとなる
要するに本当に情報社会となり情報の戦国時代になったのである
百家争鳴になったのである、今は私は一日二回長い文を書いている
これも読む方となると疲れると思う、でも私の仕事がこうして書き続けることなのであるつまり書くことによりただ受け身になるだけでなくアウトプットすることによって理解を深めているのである
だから何でも情報を受け流すだけでなくその感想でも自分なり書いたり評価するとより理解が深まるのである

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2019年01月03日

常磐高速SAで南相馬市の津波原発事故からの今の現状紹介 (環境カウンセラーの原町区雫(しどけ)の長沢さんに聞く―復興は失敗)


常磐高速SAで南相馬市の津波原発事故からの今の現状紹介

(環境カウンセラーの原町区雫(しどけ)の長沢さんに聞く―復興は失敗)

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雫(しどけ)では鉄塔が折れ曲がった
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雫の道



常磐高速のSAで何か催し物がないかと行ってみた、そこで写真などで今の南相馬市の現状を紹介する女性がいた、なにか都会的な人であり話が上手でありいろいろ知っている
神戸から子供連れで来た人とかを案内した
その女性は原町区の雫(しどけ)の人であり津波が襲ってくるのを目の当たりにしたという、すぐ家の前まで津波が来たからである
津波の恐ろしい光景をじかに見たのである
津波はある程度距離があると見てすぐ逃げたら助かる、現実に助かった人がいた
鹿島区の大内となる二キロくらい海岸から離れているから津波が来るのを見てトラックで逃げて助かったとか八沢浦では百メートルくらい前が海であったが遮る丘がありすぐに裏山に逃げて助かったのである
つまりすぐに逃げれば津波が来たのを見ても助かることがある

雫ではあそこは萱浜などからすると高いと感じていたが一番被害が大きかったとか言っていた、鉄塔が無惨に津波に壊されていた記憶がある、南相馬市では700人近く死んでいる、ただ8年とかたつと何か津波の跡はソーラーパネルとか風力発電とか津波の生々しいものは消えている
何かそこで高台を作るためにかさ上げするのに高くするのにナンセンチかとかするに何千万かかるとか言っていた、その金も凄い金だと思った
ともかく津波の跡の土木工事でも除染でも何兆円とか莫大な金がかかった
でもここだけではないそんな金を使っても復興は進まなかったのである
その金は大手ゼネコンとかに流れただけなのである
だから飯館村の人でもそんな除染に金を使うより補償金としてもらった方がいいと言う人も多かったのがわかる
そして除染より飯館村に住んだ科学者が下の土を上にもってくることが良かったと言っていた、表土が無惨に削られて荒廃したからである

それよりその環境カウンセラーと意見が一致したのはそもそも住民の意志が全くなかったただ政府の言いなりになり30キロで区切られそこで小高と原町と鹿島で分断された
そのことでこの辺は復興できなくなった
そのことが復興できなくさせている一番の要因だと言っていたことには同感である

心を一つに

南相馬市の最大の課題がここにあると言っていた、でもみんなを集めても意見を言う人は少ないという
小高だけではない、南相馬市として合併したのだから市全体の復興をどうするかということを市民が協議することが大切だと言っていた
私も住民意志が全くなかったことを言ったのでそれで同意した
小高と原町と鹿島が合併したけどそれぞれでもどうしたら市全体を小高でも鹿島でも復興させるのか?
将来をどうするのかみんなで協議するということが全くなかったのである
ただ補償金をもらって個々人の家族の復興だけを考えたのである
つまり原発事故が起きたとき市であれ町であれ村であれ蜘蛛の子が飛散するように散らばったのである

確かに爆発したときは恐怖だった、だから極度に恐れたこともわかる、とうしていいかわからないということもあった、第一その時噂で前の市長が北海道に逃げたということがいわれたりした、南相馬市の病院でも看護師は逃げて帰らなくなったからである
ただふりかえればその時爆発しても海側は二三日で20マイクロシーベルトから0・5とか低くなったのである、だからその時点で科学者が危険でないと避難させるべきではなかったのである、ただ30キロということで科学者ではそこが危険地帯になっていることで科学的根拠があり言ったことであり素人にはわからないから避難したのである
でも二年とかたったらもうたいした放射線量でないすぐに影響するというものでもなかったのである、一ミリシーベルというのはあまりにも厳しい数字である
科学的根拠があるにしろ現実問題として市町村を自治体を維持することを優先させるという選択もあった
だから避難したとしても冷静になれば2年で避難解除して返すべきだったのである
これは政府の大失政だったのである、政府によってめちゃくちゃにされたともなる
それは他の津波被害地域でもそうである

それはなぜかというと住民の意志が全く無視されて政府指導で行われたからである
いくら土地を高くして人を住ませようとしても住民は住まないのは住民の意志を聞かない無視して政府指導でしたからである
民主主義は住民の意志が参加が基本の制度である、でもそれがなかったとすると民主主義はここにはなかったのである
そもそも原発自体が政府指導で成されたものでありそこに住民の意志はもともと全く無視されて作られたものなのである
住民には金を与えればいい住民が望むのは金しかないと見ていたからである
そこに住民自体の問題もあったのである

住民の意志がそもそもなかったともいえる、市町村でも心一つになどなっていない
グロ−バル社会のことを批判してきたが広域的にグローバルに経済的に交流があるとしても内部の結束が絆はない社会だったのである
だから市全体を町全体を村全体をどうしようとか協議したり何か議論したりもしない
ただ個々人が家族が金を得て生活すればいいとしかない社会なのである
だからこんなに簡単に町でも村でも崩壊したのかとも思う
それはここだけではない現代社会は確かに広域的にグローバルにつながっている
今日買ったのは熊本から来たトマトだった、これも熊本地震で被害にあった所から来たのかとか考えたがわからない、ただ物だけはどこからでも入ってくる社会である
となれば金さえあればいいという社会になる、今住んでいる所はただ金があれば一時的に住んでいるともなる、金が得られないなら他に移ればいい、金があるから別に故郷にこだわったり地元にこだわり住む必要がないとなる
ただ老人は愛着があるから帰ったのはほとんど老人なのである

いづれにしろなぜ復興に失敗したのか?
それは緊急事態にうまく対処できなかった、市長でも対応できなかった
そして政府の言いなりになり住民同士でも何の協議もしていない、市町村をどうすればいいのかとかみんなで意見を出し合うとか協議することもない
ただ補償金をもらえばいいとしかなかった、それも個々人のことであり家族だけを考えてそうなったのである、市町村全体をどうするのかということを考えた人はいないのであるそもそも市長自体が原発が爆発したとき北海道に逃げたという噂があるようにそのこと自体がこの辺のことを象徴している、市民のことなどどうでもいい患者のことなどより自分が先だとなり逃げたのである、後は補償金をもらえばいいしかなくなったのである

だから山梨県の笛吹市の社長経験者が言うことは筋が通っていた
市町村全体の復興のために金を使うことだと言っていた
その人は会社を経営しているから復興をどうするかとか意見が言えたのである
ただその社長は仲間に裏切られて社長をやめた、会社経営に失敗した人だったのである
でもやはり経験しているから言えたとなる
会社経営と市長運営の経営もにたところがあるからだ
前の桜井市長は役所の人とうまくいかなくなっていたことも影響したとも言われる
やはりこういう緊急自体にはトップの判断でその後も決まる
戦争の時だってやはりトップの判断で決まっていたからてある
住民が協議するにしてもやはり誰かが強引にでも引っ張らないと緊急事態にみんな意見を出し合ってもまとまらないからである

ただこれも今になると結果論である、ああだこうだと自分が言ってもお前もそういう緊急自体に何かできたかとなるとそうはならないからだ
ただ小高はギャンブルとかばかりしていたから二年くらいで別に放射線量が高くないのだから返すべきだったというのは誰でも回りでもむずかしいことでなくわかったことでありそれで協議もしないでだらだら五年以上仮設にいてそれで補償金をもらえばいいとか俺たちは被害者だとなり被害者意識だけが全面にでて何もせず終わったのである
その時町をどうするのか復興するのをどうするのかとか住民がみんなで協議したりしていないのである、ただ個々人のこと家族のことし考えなかったのである

NPOというとこれまた問題があり金の無駄使いだとか言う人もいる
また左が多いからそこで政治的に利用される、党派に利用されるとかもなる
ただ地元だからどうして復興できないかというとい心が一つになっていない、そこを指摘したとういことは同意する
何か津波でも原発事故でもあまり話題にならなくなった
なんでも関心はオリンピックのことでありそこが復興よりも大事になり人もそこにとられているとか、放送もしてくれないとか言っていた
確かに津波原発事故のことはあまり全国的には放送されていないようだ
それも政府の意図であり政府はオリンピックに国民の目を向けさせて震災のことは忘れさせようとしているともなる
その政府の復興政策は失敗だったからである、そのためにこの辺では荒廃したままだとなるからだ
posted by 天華 at 15:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2019年01月04日

2019新年の抱負 (木の力(詩)内なる力、国風文化の時代へ)


2019新年の抱負

(木の力(詩)内なる力、国風文化の時代へ)

木は大地に根を張り
木は徐々に成長する
木はあせることなく年輪を重ねる
そしてやがて大木に成長する
せかして成長させることはできない
時間を早めることはできない
木と木はその土地に根付き
木と木とは騒ぐことなく
静かに深い信頼で結びついている
木と木とは並び隣の木を傷つけない!
言葉でもって傷つけない!
口を堅く閉ざして厳守する
木は決して乱れることがない
木々は争うことはない
木はそれぞれの内に充実する
内なる力が木に満ちている
木の力は外に向かわず内に向かう
その内なる力に習い!
木はそうしてその地を離れずに
長い年月そこにありて動かず
一本一本の木は内なる静かな力に満ちて
ここに自立して立ちゆるぎない
そしてその地に一つの荘厳な神殿を形成する
神の良しとする平和の殿堂がそこに成る 

(変わらざる契りにあれや冬深む)

人間には歴史をふりかえると時代を形成するものがある、世界史でもそうである
大航海時代から外に向かう力がグローバル世界と向かうものがあった
それで西欧文明の挑戦を受けたのが日本だった
そのヨ−ロッパが外へ向かう力が世界を席巻した、世界がそのヨ−ロッパの強引な力によってふりまわされたともなる、その象徴的なものがインカとかマヤ文明がスペインの強盗団のような一団によってあっけなく滅ぼされたことである
ヨ−ロッパのアーリア人というか力づくの征服の時代だったのである
そのヨ−ロッパの延長としてアメリカとういう超大国が生まれてアメリカによって世界史が作られることになった

第一次世界大戦でもそうである、最後にアメリカがイギリスに参戦をうながされアメリカが参戦したときドイツは敗れたのである
それは第二次世界大戦でもイギリスが日本にシンガポールなどを奪われたときアメリカが参戦して日本は大敗北になったのである
アメリカによって今度は世界が席巻される時代になったのである
大航海時代から外へ外へとヨ−ロッパが向かい征服する時代でありそこからグロ−バル社会が形成されるようになっていた

なぜなら日本の不思議は鎖国して300年平和を保っていたからである
これも世界史的にはまれだとなる、ヨ−ロッパは戦乱つづきであり300年間戦争がなかったなどないのである、第一次世界大戦でも一千万人以上死んでいる
それも悲惨だったが日本は参戦してもその戦争の舞台はヨ−ロッパだったのである
ヨ−ロッパとは悪い面をみれば絶えず戦争する国だったのである
それはアーリア人的気質からそうなっているというのも一つの見方である
ただアングロサクソンの気質だというのもそうである

ではアジアはどうかというとアジアといってもそれはインドとか中東とか中国とかふくまれて広いのである、だからアジアとは何かとなれば何か明確ではない
中国だってあれだけ広大な国だから戦乱がやまない国で三国志が生まれた
でも何かヨ−ロッパとアジアというとき何が違っているのか?
それは宗教せアジアから生まれたものである、イスラエルもアジアなのである
キリストでもアジアから生まれたというとき東方の三博士に祝福されたというときその東方とはアジアである

ヨ−ロッパはもともと狩猟や遊牧民の国であり移動する外に向かう民族性がある
ドイツ語に秋の言葉がないというのもそうである、秋は収穫の時なのにないのはやはり遊牧民の国だからだとなる、秋は農耕民にとって重要な収穫の季節だからである
その遊牧民的気質が文化がやがて地中海に出たときフェニキア人が船を操作して後悔して貿易する商業の民となったという説もわかる
遊牧民とかは常に移動して外へ外へ向かう気質があるからそうなる

一方農耕民は内に向かう、一定の土地に定着する、そこで力を養いはぐくむ
それは詩にしたように木とにているのである
その相違がヨ−ロッパと西欧文明と東洋文明の相違としてある
ただこの二つが明確に二つに分かれるというものではない
例えば建築を見ればかわる、ヨ−ロッパのゴシック教会が森を象っているという時
それは内面的なものであり木の詩に思考に通じるものがあるからだ
だから中世は内面的な時代であり大航海時代になった時、外へ外へ向かう時代になったのである

そして世界はどうなったのか?遂にアメリカが世界の覇者となったとき大航海時代から世界を一周してグローバル化は完成した
そしてグローバル化の世界はさらに中国の台頭でアジアが興隆して今度はアジアの時代になる
そしてヨ−ロッパでもEUでもイギリスが脱退するとかアメリカでもアメリカファーストとかそれぞれの国が内に籠る時代と向かっている、それは経済的なこと貿易的なことだけではない、世界が内に向かう時代になったのである
この内に向かう時代とは何か?

日本を例にとれば奈良時代は唐の文化を取り入れる外に向かう時代であり、漢字を取り入れて日本と中国文化の融合を計った、次に平安時代はかなを発明して国風文化を築いた時代である、日本でも外来文化をとりいれるグロ−バル化とその後に国風文化が起こる
仏教を取り入れたが鎌倉時代はその仏教を日本化して内面化したということがある
戦後時代は一時信長キリスト教をとりいれたようにグロ−バル化が起きる
その時絢爛なものが生まれる
江戸時代の鎖国の300年もまさに国風文化の時代であり日本の基礎を作ったのである

そして明治維新で西欧文明を取り入れてグローバル化の中に組み入れられた
その時日本はアジアという国へ中国までも外へ向かっていたのである
明治維新から吉田松陰などは韓国も中国へも進出する思想をもっていたのである
それが現実化したのが第二次世界大戦だったのである
江戸時代から明治というときグロ−バル化してゆく日本がはじまったのである
その当時の思想はアジアを視野にしていたということが詩などでもそうである
それもアメリカに敗れて終わったのである

いづれにしろこれからの時代はこうして大航海時代からグロ−バル化した世界は行き詰まり終わる、資本主義とはもともと大航海時代からはじまったという説もある
つまり船の株主を募集してそれが成功すれば莫大な富が手に入る、でも失敗すれば大損失になる、そしてそれが成功したからオランダとか小国にも富が集積したのである
その資本主義ももう投資する先がないとかフロンティアがないとかで金がだぶつく、それでもう資本主義が終わりつつあるというのもわかる
資本主義とは何かそうして外に向かう力だったからである、その外に向かうものが今はなくなったからである
そしてグロ−バル化はいろいろな矛盾をもたらしたからである
グロ−バル化はいいように見えて負の部分も大きかったのである  

だから世界史的にも世界がナショナリズム化してゆくのはそのためである
それはその国の土地に還る、日本国内ですら東京一極集中とかはグロ−バル化も影響している、地方が経済的に衰退したのもそうである
田舎がグロ−バルと関係しないようで深く関係していたのである
林業が衰退したのは外材を輸入して日本にこれだけ森があるのに無用となったからである食料だって麦でも大豆でも外国から特にアメリカから入っていることでもわかる
その影響は田舎の方が大きかったのである
でもそこでいろいろな矛盾が生んだのである

つくづくなぜ原発事故で町でも村でもこんなに簡単に家族がばらばらになり離散して町や村でも廃墟化したのか?
それを考察する時やはりグロ−バル化が影響していたのである
グロ−バル化とは外へ向かう時貨幣の力が大きくなる、世界中金さえあればその金もドルがあれば生活できるとまでなる、土地とかが最大の財産であった時代ではない
金さえあれば日本国内ならどこに住んでもいいのである
そうなるとこの辺では補償金をもらうことこそ最大の関心となりそのために争うようになって分断されたからである
親がいたとしても親は老人は捨てられて若い世代は補償金をもらいすぐに外で家を建てたとかなる、その変わりようが早かったのである     

それは故郷といってもそこに愛着するということがないからである
金があって一時的に住んでいる、一億円もらえば外に出て暮らした方がいいと前からそうなっていたからかえって金をもらったから好機となり若い世代は出て行ったのである
老人は土地に愛着があるから残ったのである
だから絆が盛んに言われけど内部では絆はなくなっていたのである
かえってグロ−バル化と広域社会になると外部との絆があったとなる
それで避難した小高の人が私たちはこの土地の人に金を使って助けているのよということを言った、まさに消費者は王様であり金があるものが王様の社会であるからそうなった
そういう矛盾がこの辺では露骨に現れたのである
それがグロ−バル社会の広域化社会の矛盾でありそれは人間そのものを歪めるものになっていたのである

グロ−バル化で金融資本主義になり一握りの人たちに富が集中するというときもそうである、戦争の原因がやはり金融を金をもつものによって引き起こされたことがあった
第一次世界大戦でも何か金融関係者、株を扱う人たちが大金持ちが戦争を金儲けの手段として奨励したとかある、それも資本主義の負の面が戦争ででてきた
だから世界的にみても資本主義は限界にきているのだ
その格差が大きくなりその不満がこれから爆発するからだ
現実に自分自身がそういう被害を受けた、金ある所から奪えばいいとしか人々の気持ちがなっている、働くの馬鹿らしいとなっているからだ、ただ奴隷にされて働かせられているだけだとなっているからだ
その人たちが金持ちに牙を向くから金持ちも安穏とはしていられない時代になっている
それは資本主義がもう限界にきて破綻するとう時代になっているからである

いづれにしろ時代は常に変わる、その変わりようが早いのである、また気づかないのである、中国があんなに変わるのには本当に驚いた、十数年前はあまりにも貧乏で悲惨だったからである、家畜のようにして鉄道の車両につめこまれていたのである、実際に鞭でたたかれていたというからその時中国人が家畜だったのである
それが新幹線と同じものが走っているとういことに驚くのである
そういう時代の変化についていけなくなる、でも世界史的にはグロ−バル化とか資本主義が矛盾をもたらして限界にきている

その結果としてグロ−バル化は終わりナショナルな志向が強くなりそれが影響して内面化する国風文化の時代になる、自分自身すら旅ばかりしていたグロ−バル化した広域化した世界に生きていたがそれと同時に私は故郷で自然とアイディンティティで化して内面化することもしていたのである                                          
こういう詩が作れるのもやはり定着していないとできない、田舎に住んでいないとできない、つまり内面化の時代は外へ外へ向かう時代ではない、定着して思考を深める内面の充実に向かう時代である

それが本当は宗教なのだけど高度成長時代の宗教はカルトでありそれも外へ向かうあくなき欲望の達成だったのである、時代の影響を受けて宗教もそうなった
だから創価でも高度成長時代とともに会員も増えたのである
でも高度成長時代が終わると会員も減ったのである、そこは欲望資本主義社会とよりマッチした過激な欲望達成のための利権集団を形成したのである、ただカルトだからそこに人間のいろいろな悩みがありそれをただ一票に結びつけたのである
そこには一切内面的思考などない、がむしゃらな欲望の追求ということでグロ−バル資本主義の中に組み入れられた集団であった、本来の宗教と何のかかわりもないものだったのである

いづれにしろこれからの社会は世界でもグロ−バル化は終わる
資本主義も矛盾が大きくなっているからなんらか破綻するのか新たなものが生まれるのかその岐路にある、ただ世界史的傾向としても何か中世の時代や日本でも江戸時代にもどるというとき内面化する時代であり宗教でも文化でも国風文化の時代になるのである
要するにグロ−バル化とは限りなく物質を得るためにのグロ−バル的欲望の社会だった
次は人間の内面の精神的探求だとなる
木の詩でもそうである、大地に根を張る定着した木がまさにその象徴なのである
ただ別に今だけではないそういう時代は常にあったからそういう時代に回帰するということである 



もろもろの静かなる力 その広さをはかり
かたみに 暗く 相まみゆなり

ふるえる手もて われは きみを築かむとす
アトム また アトム と 積み重ねつつ
さあれ、大伽藍よ
何人か よく きみを築きおおせむとす

さあれ おりふしの夢の中にありて
きみの堂宇を大観す
深き土台より
屋根の黄金の先端にいたるまで

はた われは見る 最後のかざりを
わがこころ
造り また 築きつつあると

(リルケ)




リルケは内面を追求した詩人である 深き土台よりといつうときその深き土台は都会ではありえないのである
大地とか山とか自然があってアイディンティティ化されるのである
だから木などどこにでもあるけどそういう木を毎日見ていると自ずと人間の心に反映してアイディンティティ化されるのである
都会の高層ビルを見て何がアイディンティティ化されるのか?内面化されるのか?
そこは自然と遊離した世界でありただ数字化された抽象的な金だけがやりとりされる世界だともなる
毎日株取引でもデイトレダーなどは数字を相手にしているだけなのである、ただそこで巨万の富が流れ込んだりする世界である
そこに生の充実はないのである、ただ別に金でも有効に使えば活きてくる
今はかえっていかに金を有効に使うかの方がむずかしくなっているのだ
それは物質が飽和状態になってしまったからである、内面の精神的な追求は必ずしも金はかからないのである
それは精神的なものであり物質として現れないし金にもならないからである
だから無価値にもされる、でも金にならいもの物質化しないものの価値がこれからは追求される時代になる
だから文化の時代になるのである、車社会はこれも現代的ツールだった、常に外に向かうもの遠くに行くものとしてあるからだ
でも自然を感じて内面化するものではない、風をさえぎり外の空気を遮断する密閉された空間の移動なのである
現代とは交通が異常に発達して遠くと結びついたがグロ−バル化したがこれからは定着して内面化する時代になる
それは文化の時代なのである







2019年01月05日

世界の歴史認識をどう見るのか? (第一次二次世界大戦の構図ー武田邦彦氏の歴史観の検討)

                                    
世界の歴史認識をどう見るのか?

(第一次二次世界大戦の構図ー武田邦彦氏の歴史観の検討)
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そもそも歴史とは何なのか?人間の生の集積だとなりそれは無数にありもう一人一人の生も歴史になるからとてもそれらあいちいちとりあげていたらもうわからなくなる
ただ武田邦彦氏の言うように大きな流れを見ることは大事である
それで最近NHKで見た映像の記録の第一次世界大戦のことがわかりやすかった

なぜそこでドイツがイギリスとフランスとロシアに対して戦っていたのか?
その理由が良くわからないけどドイツはロマノフ王朝時代からオスマン帝国時代からフランスとイギリスに敵対して戦っていたのである、ロシアともそうである
それが第二次世界大戦まで継続していた歴史がある
歴史はそうして必ず継続している、ドイツはなぜそれほどイギリスとかフランスとかロシアに敵対したのか、両側から責められたら苦しいからである
それでオスマン帝国と同盟して戦うようになった

ヨ−ロッパ大陸のつづきとはしてロシアがありそこが熾烈な戦いになってのだろうか?
同じキリスト教徒なのにそうなっている、オスマン帝国はイスラムだがロシアもロシア正教でありキリスト教の分派である
それがなぜあれだけの熾烈な戦いをしたのだろうか?
ただ覇権争いが世界史ではありヨ−ロッパ諸国がその覇権争いになった
スペインが覇権国になり次にスペイン艦隊がイギリス艦隊に敗れイギリスが覇権国となったり興亡はヨ−ロッパで繰り広げられてきたヨ−ロッパで覇権国となることが世界で覇権国になることだったから熾烈な戦いになったそこに最後に一枚加わったのはアメリカだったのである
第一次世界大戦もアメリカの参戦で決着したからである

最近オスマン帝国とエスカりてーナ二世のテレビの連続ドラマを見て身近に感じた
その歴史ドラマを見ると今のシリアをめぐる争いもその継続だと理解した
オスマン帝国としてシリアもあったからである
サウジアラビアもオスマン帝国の支配下にありなぜサウジアラビアの王室を批判した記者が殺害されたのか?
それは昔のオスマン帝国に逆らうものとしてサウジアラビアがありアラビアのローレンスはオスマン帝国からの独立をうながした
それはイギリスの狡猾な二枚舌だったのである、そのこに悩んでローレンスは死んだのである

つまり今起きていることは過去からの歴史の継続であり突然起きたことではない
だから現在を知るには過去からの長い歴史を見なければわからないのである
歴史の大きな流れを知ることは確かに大事である、個々のこまかいことをとりあげていたら切りがないからである
ではヨ−ロッパで起きていた歴史とアジアがどういう関係にあるのか?
世界史はヨ−ロッパの歴史から世界史と発展したからそこにアジアも関係しているとなる欧米史観として世界史があるからそれで世界史を見るからである

大航海時代にスペインがインカとかマヤ文明を亡ぼしたりてポルトガルもそうだった
ヨ−ロッパが世界へ進出して支配した歴史が世界史となっているからだ
ヨ−ロッパの植民地を世界に作ったからである、そのヨ−ロッパ内で熾烈な覇権争いがあった、その派遣争いで中心的役割を果たしたのがドイツだったのである
ドイツにどうしてフランスとかイギリスもロシアを敵にして戦うことができたのか?
それだけドイツ一国が力をがあるからだともなる
それが第二次世界大戦までナチスの登場まで継続されていたのである
そのドイツと日本が同盟国となったのである

第二次世界大戦はドイツ対フランス、イギリス、ロシアとなっていた
それは日本が第二次世界大戦で戦った相手と同じだったのである
ロシアは後から参戦したから違っていたが構図がにていたのである
そして最後にイギリスにうながされてアメリカが参戦して日本が負けたのも似ている
過去の歴史の構図がそのまま第二次世界大戦にも引き継がれたともなるからだ

でもなぜアーリア人として武田邦彦氏は一くくりにしているけどドイツ人もそうである
そのアーリア人同士が苛烈に戦ったのだろうか?
そのヨ−ロッパでの戦いが世界に波及したのが第二次世界大戦だった
そこに中国があったのだか中国は白人側についた国だとしている
つまり日本だけがアーリア人連合の白人と戦った唯一の国だったとしている
でもドイツ人もアーリア人でありそのドイツがヨ−ロッパでは孤軍奮闘していたのである
不思議に今ドイツと中国が接近して連合化しているのもその継続なのか?
アメリカと対立したときドイツと連合する、日本にも接近するのはアメリカというヨ−ロッパから生まれ鬼っ子と対立すると実はドイツであれ第二次世界大戦で敵となったものと戦うということになる
中国を除いて欧米列強と戦ったのに中国だけは白人側について戦ったという歴史認識も今になると中国は失敗したというのもそうなのかとなる
中国はアヘン戦争などであれだけヨ−ロッパとかにひどい目にあったのにヨ−ロッパ人は白人は尊敬しているのである、日本人は常に小日本人として卑しめるのである
それはもともとも中国文明の漢字文化圏にあり日本は中国の朝貢国として見ているからである、そもそも日本は中国の子供のようなものであり親なる中国に責めてきたことが許されないのである、プライドが許さないのである

日本がしきりに右だと太平洋戦争は植民地解放のために日本人か戦ったというのは疑問である、なぜなら結果的にそうなってもそもそも明治維新の時アジアへ進出する野望があり吉田松陰でも西郷隆盛でも征韓論がありそれは植民地解放するということではなく日本がアジアに進出してアジアを支配するということがあったからだ
それは結果論として言っているのでありそういう意図があり理念があったとは言えないのである
ではアジアをヨ−ロッパ列強から植民地解放するというならもし植民地を解放したなら日本人が勝ったらその植民地から日本人が撤退するということはなかったと思う
結果的にそうなったのでありそれは快挙であってももともと植民地解放思想というのは大平洋戦争にあったと言えない、それは結果的にそうなったのである


ただ歴史認識は時代とともに変わる、アメリカと中国が覇権争いになるとき歴史認識も変わる、中国がアメリカにつぶされるというときアメリカこそが敵だったと第二次世界大戦の日本の立場になる
しかしその時周りの国は中国を応援するのか、同盟するのか?
それが一帯一路計画でも拒否されたようそうはならないのである
中国は侵略国とはなされるようになったからである
だから日本にもまた接近してくる、協力を願うとなる
つまり中国独自ではアメリカに対応できないからである
だからもともと第二次世界大戦では日本と中国は同盟して欧米と一致して戦うべきだったという反省があるというのもわかる
中国がいかに巨大でもアメリカとは依然として一国では戦いないのである
そこで過去の歴史認識もまた変わってくるがそれを言えないというのもわかる
そうなると歴史認識がくつがえされて共産党の立場がなくなるからである
弱い日本を悪者にしているのが楽だからである、アメリカを悪者にはできないのである

ともかく歴史の継続としてドイツと日本は似ていてこの二つの国を無視して世界史もなかったとなる、江戸時代は世界史とは関係なかったが明治維新で日本は世界史に参加して世界史を塗り替えたというのは言える
ただ次に覇権国になるのはどうこなのか?アメリカなのか中国なのか?
それを考える時、アジア対欧米という構図で見るのも歴史認識である
もはや中国は白人側につくのではなくアジア連合として第二次世界大戦の主役となった日本の立場になる、でも中国はそうなると歴史認識を見直すことになり共産党は崩壊してしまうかもしれない不安がある

中国の周辺国を侵略して支配するのでなく同盟国してアジアが連帯して欧米列強に立ち向かうとういうことをしなければならなくる
それは歴史認識を大幅に変えねばならないからジレンマになる
中国が今度世界の覇権国になるには周辺国の特に日本の同意が必要になってくる
でも反日政策とか共産党一党独裁とかでは同盟できない、それは中国の恐怖政治の下に国を置くことになるからである
ただなんらか日本の立場もむずかしくアメリカ一辺倒の時代は終わったとしてもでは次をどうするのかとなるまだ日本自体の立場が見えないのである
二つの強国のながて右往左往しているだけなのかともなる、しかしアメリカがこれから今もすでに衰退している、もう国内優先であり世界にかかわらないというとき世界の覇権を誰がにぎるのかリードするのかとなりその模索時代になっているのである
確かなことは欧米からアジアへ西から東に覇権は移り今度は東が興隆してゆくことは確かである
すると大きな流れを見ればアメリカにだけ頼る時代せ終わったのである 

それは経済的なことだけではない、文化面でも日本独自の国風文化の興隆でありアジアの再生、ルネサンスを目指す、これからインドが一枚また加わってくるときそうなる、西は衰退するのである、その大きな歴史のサイクルを指摘する人もいる
やはり歴史の大きな流れを見れば東から西へ西から東へと栄えはシフトするのである、そういう歴史の分かれ目として現在がある
そこで日本だけが欧米列強と対等に応戦して次なるアジアの未来を開いたという見方もある程度はわかる
でも3百万人も死ぬという犠牲はあまりに大きかった、戦争の悲惨は世界的に極点に達したのである
だからその戦争をそのまま賛美することは危険になる
ただ第二次世界大戦はアーリア人の暴虐的気質から生まれそれに席巻されたとかはわかる、アーリア人とかは何かわからないにしてもアジアは気質的にインドになると平和の民だからである、ガンジーの無暴力の民だからである
それを攻撃的戦闘の民にしたのはアーリア人に対抗してそうさせられたというのもある
アジアとは何か?東洋文明とは何かというとわからなくなった
ただそれはまた再びよみがえらせることになるから東洋ルネサンス(再生)が日本なら国風文化が再び起こるのである
それは物質文明の極点になった東京とかからは起こらないのである、地方から起きるのである
その試みをしているのが自分だったともなる

    アメリカ一強の時代は終わり

   中国一強の時代へ?

   EUは分裂、ロシアはまだ力たらず、インドはまだ途上

   日本は経済的に停滞

   日本とドイツが鍵になる
    
   第二次世界大戦の繰り返しの構図か?     
    
とにかく確かに西へ西へと進出したフロンティアを求めた時代は終わった
それをホイットマンは示唆していたのである、地球を一周してアメリカの西部開拓がありそこは大平洋で閉ざされた
でもそこから太平洋を越えて西へ日本に向かいアジアに向かい逆に今度はアジアから東から西へと向かう大きな歴史の流れがありそれは繰り返されてきたのである
その時間は500年とか長いからなかなかそういう時間とかの長さで見通せないのである


カリフォルニアの岸辺から西に向かって―ホイットマン(草の葉)

カリフォルニアの岸辺から西に向かって
倦むことなく問いかけつつ、まだ見つからぬものを探しつつ
年をとっても子供のぼくは、波路はるかに母なる者の住む家を
移住者たちの母国を遠望し
今まさに円をめぐり終えようとして 西部の海の岸辺の沖のかなたに眼を馳せる
想えばかつてヒンドスタンから、カシミールの渓谷から
アジアから北国から神から賢人と英雄から
南国から花咲く半島、香料におう島々から、西をめざして旅立ったが
以来長きにわたってさまよいつづけ、地球をぐるりとさまよい終えて
今喜びに胸をおどらせつつ、ようやく故郷との再会を果たしている

長い間準備を重ねた無形のものが遂に君に宿って形ができる
今日以後君は、たとえ何がどうなろうと君自身として確固不動だ



西へ西へと向かう旅が遂にアジアが終着点だったことを示唆している
アジアが再び勃興することを示唆している、 アジアに還るということである
アジアがオリエントでありすべての起源であるからそうなる
アジアが再び東から西へと一めぐりして再び戻ってきたということである

 長い間準備を重ねた無形のものが遂に君に宿って形ができる

これは老人になると誰でも経験したものや追求したものが実る、それはある意味で不思議な現象である
人は死ぬ前に何かわからぬが神の力が働いて最後に壮大な詩をうたい死ぬということがあるのかもしれない
ただ個人の力には限度がある、自分は天才でもなんでもない凡人にしかすぎなかった
それでも何か天才とか凡人とか関係ないのかもしれない、誰かに神の力は働く、その神の力にうながされて何かを成す
才能でも発揮されるとかなる
それはこれまでの人類の英知の芸術でも文化でも歴史の集積したものが一人の個人を通して現れることがある
それは天才だからではないのだ、つまりそういう時代に巡り合うことが大事なのである
現実に天才芸術家でも有能な人でも戦争では死んで実りとならなかったからである

歴史とは何か?

無数の屍の上に築かれている

なぜこんなに第一次第二次世界大戦でも他にも共産党の粛清でも無数の人が死んでいるからだ
なぜこんなに死なねばなはないのか?だからこの言葉が生まれるのである   





posted by 天華 at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年01月06日

無用の空間の効用ー西洋から東洋へのシフトの時代へ (内なる力の時代への変化)


無用の空間の効用ー西洋から東洋へのシフトの時代へ

(内なる力の時代への変化)

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現代は無用な余計な物が多すぎる、それで空間も狭まめられる
そこで余裕も生まれないのである
断捨離(だんしゃり)が必要なのである


大きな冷蔵庫に変えて半分くらいの冷蔵庫にして配置を変えたら台所が広くなった
そこで台所で動きやすくなった、やはり広くなる空間ができるとそれで活動しやすくなる何かものをごたごた置いて部屋を狭くするとそこで活動しにくい
老子とかのいう無用の空間の効用がある
すべてが有用なものとしてあるのではなく何もない空間の効用である
人間社会は有用なものの空間として埋め尽くされているとかえって活動しにくくなる
日本ではそういう空間が作りにくいのである
広い空間が土地がないからである

だから狭い田んぼは最近はソーラーパネルになったけどそこはいつも通る所なので嫌なのである、でもこの辺では小さな田んぼは米をとるのにも放射性物質の汚染で敬遠される
実際にこの辺でとれた米は飼料米になっているのが多いのである
西洋と東洋とは何か?それは非常にむずかしいことである

でも空間の考え方に西洋と東洋の相違がある、インドでゼロが発明されたのも仏教で空即是色とかの教えがあるのもそうである、空という観念はゼロが生まれた、ゼロは何もないことではないからだ、インドではなぜitとかに強いのか、やはり伝統的にゼロを産みだし国だからともなる、数学に強い国なのである
どうしても西洋には空という観念が生まれ得ない、世界は有用なものとして埋め尽くされる世界にしたいのである

そういう空とか無用の教えは老子にもあるから中国もやはりインドと共通したものがあるただ中国とインドは相当に違っている
東洋と西洋は何かとなるとそうした考えたのレベルからいろいろある
それが社会全般に影響している、資本主義でもそうである
time is moneyであり時間すらすべて計り無駄をなくす効率化するのである
その時計に追われて一秒一分を無駄なく効率的に有用に生活というのが西洋の思想であり資本主義の思想なのである
要するに西洋文明に世界は席巻されたのが20世紀であった
資本主義でもそうである、それは西欧文明の所産なのである
ビジネスしている会社員はびっしりと手帳に一日の計画が書いてあるという
それだけで憂鬱になり余裕がなくなり時間に追われている生活なのである
それで鬱病が増えるのもわかる

ただ別に東洋とか西洋というのではなく何か相対的に見る手法はある
西洋だと男女の区別を言葉でも冠詞でしている、自然でも男女に分けてみている
中国でも基本的に陰陽の思想がありそれも西洋の男女に分ける思想とにている
だから二つの世界に分ける手法はどこにでもある
西洋は特にアーリア人は外に向かう侵略的謀略的気質がありそのアーリア人が世界を席巻して二度の世界大戦があり膨大な死者を出したのが20世紀だったのである

東西文明論というとき宗教とか哲学があるがそもそも宗教はアジアから生れたものであるキリスト教とか一神教でもそうである、イスラエルはアジアであり西洋というとギリシャを起源としたものなのである
思想的に西洋を作ったものはギリシャでありその後にローマ帝国だったとなる
そこでキリスト教はローマ帝国に組み入れられたのでありカトリックが政治化したのもそのためである
だからヨ−ロッパのキリスト教は本当のキリスト教ではないという人もいるのである

西洋と東洋の相違は外なるものに向かうのが西洋であり内なるものに向かうのが東洋だともなる、西洋がヨ−ロッパから大航海時代が生まれたのは必然だったとなる
でもそれも世界を一周して再びアジアに回帰する時代となる
それは経済とかだけではない文明そのものがアジアに東洋に回帰する時代となる
それはもう資本主義が限界となりもう経済発展は望めないとか世界的なものとして現象化しているからである
だからこれからアジアの時代の回帰となるとき木の詩で書いたように物質的欲望や外へ外へ移動していた時代からかえって内なる思考を深める時代になる
そもそも文化というとき奈良時代であれ鎌倉時代であれ仏教がそのベースにあったとしてそれは内なる思考から生まれているのだ

いづれにしろ大航海時代から外へ外へ拡張する時代は終わった、それはホイットマンも予言していた、西部のカリホルニアの西海岸から東を望みそれを思ったからである
資本主義もまた大航海時代から船の株主となったとき始まったという説もあり外へ外へ拡張する時代だった、また世界成長する無限の成長原理に基づいていたのが資本主義なのである、でももうフロンティアはなくなった
それが大きな時代の転換期なのである、だから世界の経済の無限の成長を目指す資本主義はもうありえないのだ、金は銀行でもだぶついているし投資先がないのである
だから資本主義が終わったというのは一つの大きな時代の変わり目にきてそうなったのである


その内なる力とは何なのか?それは禅宗にある、なぜ座禅して瞑想するのか?
それは何の効用を生むのか?西洋的思想ではそういうことは起こりえない
常に奉仕しろとか有用であれとなっているのが西洋の思想だからである
つまり資本主義がウェバーのキリスト教に基づいたものから起きたというとき修道院から起きたというときまず何もしないで寺で座禅して沈黙して瞑想していることはありえないからである、そこが根本的に宗教でも違っているからだ

禅宗とは内なるものに重点を置き沈黙の修行をすることである、沈黙することは自然に通じることである、なぜなら山でも木でも石でも大地でも沈黙しているからである
雑念を払い欲をおさえ沈黙することが修行なのである
それが内なるものに向かうことであり自然と一体化することなのである
期せずして社会から離脱して生活していた自分は沈黙の行者のような生活を隠者となり30年間してきたともなる
ただそれは自分が望んだことではない、社会に不適応者でありそうなってしまったというだげである、自分が望んだわけではないがそういう生活を家庭環境でもできたということである、ここにも実際は問題がありそれがすべていいとはならなかったからである 
ただ自然に没入するということではそういう生活は合っていたとなっていたとふりかえるのである

外国人労働者が移民が日本に来て残す嫌な記憶 (指を切断した人が多いーこれが国際問題化する)


外国人労働者が移民が日本に来て残す嫌な記憶

(指を切断した人が多いーこれが国際問題化する)

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「選ばれない国ー日本」

週刊東洋経済 2019−1−12



移民を大幅に受け入れることになり話題になっている、外国人で一人はスリランカの人だったが指を切断したした人を知っている
それからテレビの放送で「外国人に選ばられない日本」という放送でもその人は指を切断していた
週刊東洋経済の記事でもやはり指を切断した中国人の写真が出ていた
それは機械でドリルで穴をあける仕事で指を切断しやすいのである
そういう仕事をアルバイトでしたことがあり一日機械のようにドリルで穴をあけるのが嫌になった
私がした仕事はそうした単純作業であり底辺の仕事しかなかった
それ以来私は仕事したくなくなった、それで30以後は仕事していない
結局遊びだったといえばそうである、そういう特別恵まれた家庭環境だからこそそうなったのである

スリランカの指を切断した人は義指というか人口の指をつけるためち病院に通った
だからそのまま放置されたりしてはいない、会社ではその事故に対してめんどうみていたのである、ただそれも20年前とかなるから事情が今とは違っていた
まだこんなに人手不足にはなっていなかったからだ

人手不足という時、広島の大雨で洪水で被害にあった町では家を修理する大工不足で復興できないとかある、人手不足は深刻なのである
それもオリンピックの方に建築工事関係の人手がとられているからである
肝心の災害の被害の復興に人が集まらないというのも不公平なのである
オリンピックより災害の復興の方が大事だからである

つまり人手不足の時代は何を優先順位にするからが問題になるのだ
オリッピックに人手が必要だとかなると本当にオリンピックが日本にとって必要なものなのか日本の国にとって優先的に必要なものなのか?
そこがもともと疑問であり私自身はもう日本はオリンピックなどに金をかける必要がないということを書いてきた

ただ何が優先的なものなのか?プライオリティとは何なのか?
それが大きな国単位になると判断がむずかしくなる
それは個々人の人生でもそうである

何を優先的に選び金を使い時間を使うべきなのか?

そのことが人生を左右するから何に優先的に時間でも金でも投資するのかが大きな問題になる
それは大きな国でもそうだった、景気対策として公共事業が必要でないのにも全国で莫大な予算を使って高速でも道がいたるところに作られた
そんなに道が必要なのか?農道でも舗装したり必要なのかとか問われた
ただそれは地方に仕事を与えるためにそうしたのであり必要性から金を使ったのではない地方には建築土木関係で仕事する人が多いからである
そこでその人たちのために仕事を与えねばならないと国でそうしたのである
だからそれが一概に必要性がないから無駄だっと言えない
ただその反省から民主党がコンクリートから人へとかの政策変換を計ったのである

日本では移民というとき大量の移民は入ってきていない、確かに中国や韓半島からの亡命者とかはかなりの数入ってきた
それは鉄の生産に従事したとか技能者だったのである、日本では大量の普通の労働者を受け入れた歴史はないのである
そこにどうしても普通の労働者を受け入れる素地がない、歴史的にノウハウがないのである

相馬藩では天明の飢饉で藩内の人口が三分の一に減った
その時越中とかからの移民が大量に入ってきて穴埋めした歴史がある
その移民は江戸時代だから必死で移住してきた
江戸時代に移動の自由がなかったからだ
命がけで移動してきたのである、でも困窮した場所になぜそうして移住してきたのか?
今アメリカとかヨ−ロッパに移住しようとする人たちはもう自分の国に住んでいられないという危機感からやむをえず脱出を図り移住してきている
その時移住する先が飢饉で苦しんだような場所ではないのだ
ただそうなったのは荒れた土地でも農業の時代だから土地が与えられるということで移住したのである、その後も相馬藩では移民は苦しんだのである
それが加賀泣きということが伝えられている、加賀から来た人が苦しくて泣いていたということである

これは時代が違うが現代の移民はどういう事情でくるのか?
貧乏な親に仕送りしたり助けたいということもある
それは貧乏な国から豊かな国に来るのである、そうなれば同じ人間だから同等にあつっかてもらいたいとなるのである
でも移民だったら江戸時代でも相馬藩に来た移民は苦しい一段劣ったものとして扱われたそれでも何代もここに住んでやがて豊かになっていったのである
豊かになるとかは一代ではできないしまた日本人になるというときもできない
それで農家では前は三代までつづいたとき一人前として受け入れたとなっていたのである
移民を日本ではどういうものとして考えて受け入れるのか?
それが問題になっているのだ、次世代の日本人を作るものとして受け入れるというなら
それは長期的視野で日本を支える人を作っていくとなる
一時的なものではないからその対策もかなり違ったものになる
ただ一時的に受け入れるとなるとそれは付け焼刃のようなものになる

ただ私の町でホンダで働ている人は車の免許もとりネパールから奥さんを呼ぶとしているから定住するのである、定住する人を認めるようになるとそれは次世代の日本人になる
でもそこで軋轢が生まれる、本当に日本人として受け入れ覚悟があるのか?
もちろんでは移民でもどういう考えて入ってくるのか?
ただ一時的に金を得たら後は関係ない、そうして帰った人も多いからだ
ただでは日本人となることはどういうことなのか?

中国人と韓国人が問題になるのは反日であり中国人はアメリカで問題になったようにアメリカのスパイとみられる
中国では移民したとしても中国に忠誠を誓う法律がある、つまり移民して定住しても中国の国民となっている、そういう人たちを受け入れられるのか?
そうなると東南アジアとかベトナムとネパールとかいいとなる
中国は豊かになったのだから別に日本に来る必要もないとなっているからだ
だからそういう国の選択も必要になるのである
要するに移民は機械として一時的な労働力の穴埋めとして受け入れるのと日本人として受け入れるのは相当に違っているのだ
そのコンセンサスが日本ではできていないのである

ただ三人が指を切断したということは重いことである、そこで日本がについてどう思うかとなるといい思い出はない、ただ切断した指を見て苦い思い出となる
それは現実に日本で働いたからそれが日本への記憶となっているのである
日本のために受けた傷だとなる、そういう記憶はなかなか消えないのである
ただ日本人でも工場で死ぬ人もいるし怪我もしている、でも何か日本人が怪我するのと外国人が日本に来て怪我するのが違っている
それは外国人だからそうなっているのである、そこに国と国の国際問題になっているからである、そこに移民を受け入れるむずかしさがある

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posted by 天華 at 18:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層