2018年12月28日

外食産業がチェーン店もは時代のニーズに合わなくなった (手作り感や人間味が求められているー時代で変わる商売)


外食産業がチェーン店もは時代のニーズに合わなくなった

(手作り感や人間味が求められているー時代で変わる商売)

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単純に言えば、家族でやってる3ちゃん企業は固定費や人件費がかからんのです。
店員が10人いたら、売り上げがあろうとなかろうと10人分の人件費は払わなくてはなりません。
大企業では本社などのスタッフ部門の給料も売り上げから捻出する必要がありますが、3ちゃん企業はもちろん本社は自宅なので、会社としてもオペレーションコストは不要です。

田舎の小さな店は、地縁血縁の固定客がいますので、細く長い経営が成り立っています。
大型チェーン店は一見の客が多いので、よほど味やサービスが良くないと長続きしません。


食事はめんどうだから外食するのが一人暮らしだといい、でもそれがチェーン店でもファミレスでも何か定量化されて決まりきっていて飽きる
それで毎回カレーでも違ったものを出している小さな店が繁盛しているのもわかる
しかしこうなると出す方も大変になる、決まったものを出している方が楽だからである
手間もかからない、機械的に作ればいいとなる
何かチェーン店は流れ作業のようにして食事を出している感じになる
客も流れ作業のように処理している、相手にするのは個々人ではない
数であり一人一人のニーズには答えられないからそっけないともなる

だからかえってこじんまりとした飲み屋とか食堂でも見直される
要するにそこにはチェーン店にはない魅力がかえってあるとなる
どうしても料理は定番化してくるから飽きる
そして何か変なのは自分は田楽が好きなのだがそういうものは出していない
あと鍋物を出していない、そういうのは自分で手間で作るほかない
どうしても料理を楽しみたっかたら手作りになるのだ

今何かあらゆるものが時代の変わり目に来ている
それは外食産業だけではない、マスを相手にしたもの大衆を相手にした定量化したものに飽きている、同じものを大量に供給することも時代的には合わなくなっている

そもそも情報産業すらそうなっている
みんなテレビの芸能人のばか騒ぎにはうんざりしている
テレビ自体が視聴率をとるために大衆を相手にしてそういう番組作りになったがそれも限界にきている、だからもう若い人は見ないのである
新聞だって見ないのである、キーワードで何でも調べるという時それはその人のそれぞれのニーズから調べているのである

新しい自転車を買ったらその備品を買うのが意外と多かった、ベルを新しくとりつけたとかサドルの痛くならないを買ったとかいろいろあった
それはアマゾンでぴったりしたものがあった、ただベルは一つは千円で買うの失敗した
それは今回買ったもののようにブザーのように音が大きく出なかったからである
それはキーワードを間違えたからそうなったのである
どういうキーワードを入れるかがいい買い物をすることになる
それからその人にあった情報もキーワードから導かれるからキーワード検索はインタ−ネットに向いている
テレビは一方的におしつけるメデアだからである

現代は何でも大組織になり経済が動く政治でも動く、だから大衆をマスを相手にしてきたマスコミ二ケーションだった、宗教さえそうだった
数を集めることが第一でありその人がどんな人かなど全く考えない
要するに一票になりそれで勢力をもって社会に影響するためにある
悟りだとか何か求道などとは関係ない世界である
ただ大衆相手に数を増やすことが第一でありそれで社会に影響力を権力を誇示するだけなのである

何か時代が変わる時がある、その変わり目に来ている
大衆相手マスを相手にするのは終わった、大量規格品の生産も物が豊富なのだから飽きられる、みんな同じだとしたら価値がないのである
そういうマスを大衆相手のものは終わってゆく
だから外食をするにも何かそこに一人一人に気を配ってくれるものを望んでいる
それでかえって小さな飲み屋がつぶれないでやっていけるというのも逆説である
それよりそういう小さなものでも見直されるものがあったとなる 

ファミレスとかチェーン店は高度成長時代とかその後の時代にあったものだった
家族で贅沢する場であり晴れの場を演出するものだった、それあ安価でできたということで全国に普及したのである
それも時代のニーズにあっていたのである
でも今はまたニーズが変わったのである、高齢化社会とかまたシングルが多いとかニーズが変わった、このニーズにあわなければ商売も成り立たないのである
ただそのニーズに合わせるにしても毎日カレーのメニューを変えることは容易ではない
でも時代のニーズに答えないと適応しないと商売もできなくなる
つまり社会も同じままに進行しない、必ず変化があり変化を望むのである

これからの時代は小さなもの、個人個人の好みに合わせるとか何か今までとは違った価値観が生まれる、すでにインタ−ネットなどではそうなっている
それは大衆相手ではないからである
だからマスを相手にしているマスコミとかはもう終焉に向かっている
それぞれの要望がありそれを基に情報も検索して探しているからである

これからの時代は逆に東京一極集中はなくなってゆく
地方に人は分散してローカルなものの中でそれぞれに合った生き方をする
つまり大量生産マスを相手にした社会は終わりになる
それは文化の時代にもなく、大量規格生産では文化ではないからである
ただ自分の場合は料理は手間がかかりすぎるからしたくない
簡単にすませたいのである、それで外食に行くからこんなことを考えるようになったのである

posted by 老鶯 at 18:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

「おしん」の再放送を見る (明治大正戦前戦後十年の庶民の生活は江戸時代の継続だった)


「おしん」の再放送を見る

(明治大正戦前戦後十年の庶民の生活は江戸時代の継続だった)

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学校に子守りして行ったが学校で学べなかった
奉公先で字を正式に覚えたのである



「おしん」の再放送を見た、これも古なった

『おしん』は、1983年(昭和58年)4月4日から1984年(昭和59年)3月31日まで放送されていた日本のNHK連続テレビ小説第31作。

これは34年前である、その時の俳優も若かったなとつくづく見る、その一人はもう70代で死んでいる、30代だと若いなと見る、女性は20代である
このドラマほど人気になったものはない、外国でも放送されるようになった

おしんは山形県の最上川沿いを舞台にしている、山形県は雪が深い、それがわかるのは仙台から面白山のトンネルを春にぬけるといつも雪が残っていることである
山形県と宮城県の境はここでは明確なのである
トンネルを抜けると雪国だったとなる、山形県は最上川がありそれが道となり酒田に通じている、そして酒田から大阪とに北前船で米が運ばれた道でありベニバナが運ばれた道である、それで山形市内には市が開かれた日にちの地名が多い
それだけベニバナなどが主に売られた市がたち最上川経由で運ばれたからだとなる
三日七日十日市とかあり常に市が開かれていたのである、それだけ取引が盛んだったということである

このくおしんを見てなつかしいなと見たのはこのドラマの内容が心に訴えるものがあったそれは私の父親が明治生まれであり双葉の新山で酒屋の丁稚奉公に出ていたからである
そして暖簾分けして今の土地に住んだのである
そして私もその跡を継いで住んでいるからである
丁稚奉公とは明治以降でも江戸時代と同じく普通にあった、子供の時から丁稚奉公に出された、松下幸之助すらそうだったのである
そこが学びの修行の場だったのである、学校でもあったのだ

それでなぜ私の父親が良く筆で字を書いたのかということを疑問に思っていた
どこで字を覚えたのかと疑問だった、それがおしんのドラマを見てわかった
おしんも字がわからなかった、それで奉公先で子守りさせられて学校にも行った
子守りしながら学校に通っていて嫌われた
それで学校には行かなくなったが何か字を教える人がいたり字を読むものがあり読んだりして字を覚えた、その後は奉公先で字を教えられた
そのことで子守りさせられた大正生まれの女性が子守りして学校に行けなかったと聞いたでも小説を読んで覚えたということを聞いたのでそういうことだったのかとこのドラマをまた見てわかった
丁稚奉公の先は教育の場だったのである、私の父親も丁稚奉公先で字を覚えたのである

つまり明治に代わっても庶民の生活は変わらなかった、丁稚奉公とは江戸時代からあったからである、そして明治になっても庶民の生活そのものはさほど変わらなかった
竈で米をたき炭を使い水は東京でも江戸水を使っていた、水道がなかったのである
私の世代は子供の頃、同じ生活をしていから実感がある
ただこのドラマを見て感じたのは死んだ父親や母親のことを家族をふりかえるようで懐かしく思ったのである

過去をふりかえるとき祖父母までは話に聞いても生々しいのである
でも江戸時代になると遠くなるから実感がなくなる
でもこのおしんのドラマでも東京に出たおしんが大正時代でも脚気になっていた
白米を食べられたのはいいのだが脚気になった、それは江戸患いと言われたものでありこれも明治から大正へと継続されていたのである
江戸時代の継続が明治大正戦前戦後の十年間くらいまで普通にあったのだ
ということは庶民レベルだと江戸時代と変わらない生活をしていたのである
違ったのは確かに学校ができたことだがそれでもみんな大正時代まで学校にも通いなかったのである、それは貧乏のためにそうなっていたのである


髪結いでもそうである、日本髪に師匠についておしんが働いたが、洋風の髪型に変わった時期である、そういう変化があったが日本髪はまだ基本としてあった
それからその頃米が経済の基本としてありおしんは米五俵ひきかえに奉公に出されたのである、それは江戸時代と同じなのである、米が貨幣だったのである
そのことを母が製糸工場の女工だったので米十俵とか賃金の代わりにもらって親に喜ばれたとか聞いた、その頃も米が貨幣代わりだったのである
小作と地主の話もこれは生々しいものとして残っている
そのことが当時の最大の農民の問題だったのである、格差の問題でありそれは地主と小作と明確に分かれていたからわかりやすかったのである
現代も格差社会になったという時複雑で何が格差を作り出しているのかわかりにくいのである

いづれにしろ親の人生は生々しいものとして子供に伝えられる、それで祖父母から聞いた話が郷土史になると書いてきた、それは生々しいものだからである
ただ戦争とかなると日常から離れているからわかりにくくなるのである
普通の生活ならわかるが戦争はとても経験した人でないとわからないのである
この辺では津波とか原発事故のことは延々と語られる、それは一時代が終わった時冷静に回想されるのである
その時起きた渦中にいると何か冷静に回想できないのである、あとでこうだったのかとわかる、それは歴史でもそうでありこうして親のことから昔を回想して歴史をふりかえる
こういうことはやはり老人に向いている
何か経験したことを実感しとて語れるからである、そのことで現代を見ると違ったものとして見えるのである
posted by 老鶯 at 11:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)