2018年11月24日

ゴーンも東電の清水社長コストカッター (総合的に判断できる社長など今はいないーグロ−バル化の否定へ)


ゴーンも東電の清水社長コストカッター

(総合的に判断できる社長など今はいないーグロ−バル化の否定へ)


連続して浮上してきた数々の事件・事故・トラブルの背後にある原因のほとんどが、こうしたコストダウン・コストカットに集約される。加えて「嘘をつく」「誤魔化す」「隠す」「手を抜く」「騙す」「脅す」「法律違反をする」など、倫理観すらコストダウンに飲み込まれている。

ニュースサイトで読む: https://biz-journal.jp/2016/02/post_13625_2.html
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どうして危険だと分かっていた1号機の廃炉をしなかったか。上の記述で明らか。10円を惜しんで、1億円を失ったのです。

社内の土木調査グループから、国の研究機関である地震調査研究推進本部の長期評価を用いて試算したところ、福島第一原発が15.7mの津波に襲われる可能性があるという報告がなされた。

しかし、吉田氏を含む東京電力の経営陣は、そうした津波の発生確率は1万年から10万年に1回程度で、防潮堤建設にも数百億円の費用がかかることを主な理由に、対策を打たなかった。

またGEは竜巻の経験はあるが、津波のことはまったく念頭になく、電源盤や非常用ディーゼル発電機などを、補修がやりやすいよう、建屋の地下にまとめて設置しており、これが3・11の大惨事を招いた。

東電から、福島第一原発を8.6〜8.9mの津波が襲う可能性があるという試算結果を説明され、その場合、ポンプの電動機が水没して冷却機能が失われることを認識していたが、「聞き置いた」だけだった。


日産の会長、カルロス、ゴーンの逮捕で気になったのがコストカッターだということであった、二万人の社員を首にした
それを恨みに思っている日産社員が語っている
そしてゴーン自身が会社の金を私的に流用して50億円を裏金として利用していた
社員を非情にコストカットのために首にして自分自身は裏金で日本に税金も払わず
私用に使っていた、ベルサイユ宮殿でまた結婚式までしていた
これでは腸(はらわた)がにえくりかえるともなる

経営はわからないにしても東電の事故でも清水社長はコストカッターでのし上がったと常に言われてきたのである
東電自体でもコストカットの圧力があり会社全体で取り組んでいた、社員も整理していたそもそも経営では常にコストカットが要求される、営業ではノルマを果たすことが要求される、それが強硬なものとなり社員に圧力がかかりプレッシャーとなり何が何でもノルマを果たすために客をだますということにもなる
私企業ならもうけを出すことが最優先なのだからそれはどこの会社でもある

ただ東電に関してはそのコストカットが重大事故の原因になったから問われた

原発事故の原因はいろいろあるが

●アメリカの押しつけ

●日本の技術の未熟性

●日本の風土の無視

●無理なコストカットの強制

●コストカットで安全の無視

これが主要なものとしてあった、原発はもともと原子力潜水艦から生まれ技術であり原子力技術者は陸で行うことは危険だから反対していた
つまり科学者でも技術者でも原発には反対する人がいたのである
ただそこにアメリカの圧力とか日本の政治の圧力があり無理やり作られたのである
最初に湯川秀樹はアメリカの原発を導入しようとしたときまだ時期が早いからやるべきではないと言っていたのである

結果としてアメリカからの強力なおしつけで古い型のマーク1の原子炉を売りつけられたのである、それは危険だからやめるべきだという意見もあったが無視された
アメリカでは外国だから事故のことを真剣に考慮しないからだった

もう一つはアメリカでは竜巻があるからそれにならって地下に電源を置いた
そのことが最大の過ちとなったのである
日本にはそんな巨大な竜巻は来ない、でも地震と津波が来るのである
それでもともと津波とか警戒して高台に作る予定していてそうなるはずだった
そうすれば津波の被害はなかったのである

コストカットするために高台に作ろうとてして土盛りもしたがわざわざ低くしてそれで地下に電源を置いた結果津波で破壊された
コストカットと日本の地震とか津波を予測されていたのにしなかった
何かここに経営の失敗の共通性がある
経営はわからないにしろ総合的なものから判断する必要がある
それを統括する人は社長になるとただコストだけを見ていたら失敗する
ゴーン社長もコストだけを見ていてそれをカットしたことには成功した
でもそのために二万人が犠牲になっていたのである
そうして犠牲にさせていて自分自身は巨額の会社の金を私用に使っていたのである
コストカットは誰でもできることだという意見もある

つまり経営は総合的判断だからコストカットということだけに目がむくと他がないがしろにされる、その総合的に判断することが社長の役目なのである
その総合的になるということが現代の複雑な社会では至難なのである
なぜなら吉田社長でもそうだけど私は資材部門の専門であり復水器については知らないと言っていたのである、復水器は原発の安全に欠かせない重要な装置だったが知らなかったのである
技術でもあらゆる技術を知り得る人はいない、そんな人がいたら神のような人だとなってしまうだろう
それで大病院で癌の見落としがあったことが問題になっている

主治医は、報告書が届く前に画像だけを見て診断し、患者に説明することも少なくありません。その際、主治医は自分の専門分野、例えば肺なら肺、腎臓なら腎臓の臓器だけに注目し、周辺に映っているほかの臓器に注意を払わない傾向があるといいます。ほかの臓器に異変があるかもしれない、そうした可能性を考えることなく判断を下す

「相次ぐ『がん見落とし』 背景に何が」(時論公論)
                                               
これも同じように体全体を診れる医者がいないのである、いくら技術が発達しても優秀な医者でも体の一部分しかしらない
全体の体を診れないのである、だからそこに落とし穴があるのは原発でも同じだった
原発全体を見渡せる知りえる人はいないのである、するとどうなるのか?
もう事故になったら何もできない、壊滅的なカタストロフィー大崩壊が起きて成す術もなくなるのである
それが現代文明の宿命でありそれで文明が崩壊するというのも納得する
誰ももう全体を知ることはできない、それはAIになってもそうである、そして操作不可能になり大事故になっても成す術がなくなり文明が崩壊する、それが現実にここで起きたことなのである
原子力文明の崩壊だったのである  

ゴーン社長でもコストカットということだけに目を向ける、そこでは成功している、しかし二万人の首切りとか犠牲があった
それはコストカットには必ず無理があるから犠牲が生まれる
それにしてもブラジルからレバノンからフランスから日本と渡り歩く人にも驚く、その育った家庭もグローバルだったのである
でもこのグローバルなものが実は今や危険だということを知る
原発事故でわかったようにそれぞれの国には歴史があり風土があり地歴があって成り立っている
日本には日本の文化があり会社文化もある、社員を大事にするという文化がある、社長が飛ぶ抜けて給料を独り占めするようなことは日本ではない、欧米では普通にある、それは階級社会があったからである、そこに奴隷も存在したからである
それでフランスの人の発言で富裕層は仲間でありこうした悪も暴かれないが日本では暴かれたとして喜んでいる
欧米では支配階級と被支配階級が明確に二分されているのである、それは歴史的にもそうである
日本は平等社会なのである、侍がいたとしてもヨ−ロッパの貴族とは違っている、質素なのである
極端な格差がないのが日本社会でありそれが歴史であり文化なのである

だから会社でも日本では日本文化に基づいた会社形成をするべきだという人がいるのもわかる
社員の幸福のために会社があるのであり株主のためではないという思想である
いづれにしろグローバル経済はいたるところでほころび限界に来ているのである
それは国々の地歴を風土文化を無視しているからである
そこが最大の問題でありそこからさまざまな軋轢が生まれるのである
グロ−バル化というのは今や限界に来ていてもう全否定とはいかなくても否定する方向に世界で向かっているのである



posted by 老鶯 at 20:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

大根干し、冬籠り(小山田村の冬景色)


大根干し、冬籠り(小山田村の冬景色)

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大根干し蔵ある家や冬ごもり

小山田の墓地をたずねて冬紅葉

貧しきや土地に働く冬あざみ

溜池に落葉沈むや一部落

鴨数羽しばし安らぎ去りにけり

残菊や人影見えず細き径(みち)

日短き墓地をたずねて名も知れず

小山田の細道今日も我は行く残れる菊にワレモコウかな

この写真は絵になっていた、今なかなか農家でも農家らしくなくなっている、田舎でも田舎らしくなくなっている、この風景はいかにも日本の農村の風景である
それで矛盾しているのがこの道をまっすぐゆきと常磐高速の鹿島のSAになる
そこで昼食をとったが混んでいる、あれほど混む所はこの辺ではない
働いている人も今日は十人以上いた、ひっきりなしに人がきて並んでいる
数えてみれば何人来ているのか?百人とかは軽く越えているだろう
500人とかわからないが相当な数である
これだけ駅と高速道路の相違があることに愕然とするのである
客にしても百倍どころではない千倍の差があることになるからだ 

だから何かこうして鄙びた感じの小山田村を紹介するとき奇妙になるのだ
常磐高速道路にこうした鄙びた村を通りそうした場所に行くからだ
常磐高速から町の方へ来る人は少ない、あそこだけが鹿島では人が集まる場なのである

今では田舎的風景がどこにでもあるという訳ではない、この大根干している風景はいかにも田舎的である、そして冬籠りの季節になる
今になると冬籠りというのもなくなる、冬は土も眠り栄養を貯える時期である
そのことは畑で野菜を作る人がしきりに言っていた
冬には土が眠り栄養が蓄えられるという、冬は増える(ふゆ)なのである
そういう感覚は農業していた人から伝えられたのである
春は張るであり張り田というのもそうである、夏はなじむとかであり秋は商(あきなう)となると商業の感覚が入ってくる、収穫したもの売るということで秋となっるからだ
いづれにしろ季語はこうして実際の農民の生活感覚から生まれたのである
ただ風流とか詩人とかが作り出したのではないのである
つまり実際の生活感覚から離れて芸術もないのである

冬籠りまたよりそはん此の柱芭蕉 

子を負うて大根干し居る女かな 正岡子規

これなどはいい句である、またよりそはむというとき何か変わらぬものがありそうなる
今だと変わりやすいからそういう感覚もなくなる、この柱とは人間と見ればそこに頼りになる親しい同じ人間がいるともなる、そういう人がいつもいるわけではなく現代は人でも変わりすぎるのである

冬田の畔の道を自転車で行く人は知っている人に見えた
最近なにか遠いけど仕事が見つかったとか言っていたからだ
その家に行ったのかもしれない、何か田舎だとあの人はどこの人どこに行くのかとか見ているのである、わかるのである
それで嫌だとなる、写真とっていたら写真とっていたなとか言われたからである

あそこの溜池ははじめて見た、溜池は多い、広い溜池もある、それは人口の沼のようになっている、その回りは林でありなごむ場所だった
鴨も数羽いたがすぐに去って見えなくなった

今年の紅葉は遅いし何か季節的に合わない、一応冬になったたら冬紅葉となるが何かそういう感じではない
まだ秋の感じでもある、なんか季節的に合わない、ただ冬らしくはなってきている
大根干すと冬ごもりで二つの季語になるのはまずい、季語は俳句では一つだからである
都会だと季節感がない、冬ごもりというものもない、一年中活動している、活動も必要だが過剰なのである
冬はやはり休む時であり栄養を貯える時なのである、そういう季節感もない所では住みたくないとなる
暑い寒いの感覚はあってもまわりで季節を感じないからである

日は短くなった、人間は本当にはかない、死んでみればすぐに忘れられる、そして墓に埋められるが
その人をどれだけの人が記憶しているだろうか?
ほとんど忘れられてゆく、そして名前を読みとろうとしてもできないとかなる
あの墓地は慶応とかあったから江戸時代からあった、たいがい田舎の墓地は江戸時代からあった所にありその継続として墓地がある、古い墓があるのは原町であり新地にも古い碑があるのは伊達藩内は相馬藩内より古い碑が多い
それだけ相馬藩より歴史があり古いとなるからだ