2018年11月17日

人間は身近な所を見逃している (原町のHARD OFF-ハードオフは去年から始まていた)


人間は身近な所を見逃している

(原町のHARD OFF-ハードオフは去年から始まていた)

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青は海をイメージする、黒は何か?茶色は土をイメージする
これはやはり黒がミソである、黒の配色がいいとなる

黒は林のイメージである、森のイメージである
するとこれは新地のイメージなのだ!
海と林と土の色である
それは詩にもしたからである
やはり何か抽象画でも具象画をイメージする時活きてくるのである



これも大失敗だった、震災以後閉鎖されたとずっと思っていた
そこに人の出入りしたのを見たことがないし閉鎖している思っていた
今日は外から明るく人の出入りがあり入った
確かに内部は今日はきれいにしていた
でも今までも開いていたのである

なぜ人間は身近な所すら認識しないのか?
灯台下暗しということを何度も自覚させられた
原町のモスバーガーも10年以上とかそこにあったのに気づいたのは最近だったのであるそれは車をもっていないからわからなかった
車のみの人が利用する場だと思っていた
車をもっていてい人は車社会になった時知らないことが起きる

それは社会からはずれている自分特有の問題だということもあった
でも人の出入りがひんぱんにないとするとそこははやらない店と見られやすい
認識しにくいとなる、だから店にはレストランでも人がいないとかなるとそこは休んでいるのかとも見られることもある
だから繁盛している所は人の出入りが多いのである
人の出入りが多いことでそこは人気がある店だとか判断されやすいのである

そこを知らないで失敗したことは今家を整理して売るものがあったからだ
それは利息三文でも整理したいものだったからである
それで捨ててしまったものがある
たいしたものじゃないが誰かに使ってもらったら良かったと思う
あそこの店は買い取りとかが便利にできていたからだ
小さい店だと売るのがめんどうになるから行かなかった

何か狭い地域でもわからないことは損したり困ることになる
実際今は隣り合っていても何をしているのかわからないということがある
何の職業なのかもしわからない、そういう社会というのも問題である
だから買い物でも通販ばかりしているのも問題だともなる

人間は身近な所でも本当に気づかないことが多い
近くの神社に天明の碑があったことでもそうである、となるとここも相当に古い場所なのかとも認識する
不思議なのはすぐ自分の家の近くに松一本が残された家の跡がある
庭の跡も残されている、それは震災以後その家の人がいなくなった
でもすぐ近くに誰が住んでいたかわからないのである
皆目見当もつかないのである、ただ松一本が残っているからここに家があり人が住んでいたと自覚する、でも全く誰が住んでいたのかわからない
その回りは空き地になっているような所だから都会のような混んだ場所とは違うのだから誰が住んでいたかわかるはずなのである

いづれにしろ現代は近くでも何かわからなくなっている
それだけ人と人がつながる社会ではないからだろう、通販などは全く地域と関係ない商行為だからである
ネットなどでも全国と世界に通じているとしても人と人がつながるというものでもない
有益な情報が得られても人と人がつながるわけではない
それですぐ身近な人のことがわからない、認識されないということが起きてくる

ともかく300円くらいでこの陶器を買った
陶器には興味がありこの青が何とも言えないので買った
何か自分は青が好きらしい、青色に興味があるということはそうした性格だともなる
赤とか好きでないからである、それだけ陰陽があるとき陰の性格なのである
この性格は母もそうだから遺伝したとなる

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ここに誰が住んでいたかわからない謎
posted by 老鶯 at 19:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

地方議員がいらないというのはなぜか? (私は今回は棄権でありそれは民意が反映されないからだ)


地方議員がいらないというのはなぜか?

(私は今回は棄権でありそれは民意が反映されないからだ)


我が家の近所に住む町内会長さんは、無償で公園の掃除をしたり、祭りを仕切って慕われているが、地方議員より、よほど地元に貢献している。

日本は民主主義の本場のアメリカから比べても本当に議員の数が多すぎる
ここの主張では議員を減らして行政にたずわる人に金を回した方がいいとしている
議員は無駄飯くらいとしている
それだけ何をしている人たちなのかわからないのである
それで選挙の時いい大学出ているとかで評価したりする
でも政治はその人なりもあるが何をしたのか、どういう働きをしたのかが問われる
しかしそれがわからないのである

選挙の時だけ騒ぐけど日ごろ議員の時何をしているのかわからない
ただ金をもらっている人だともなる
だからここでは町内会長が公園の掃除を無償でしている
その人の方が役に立っているとなる
要するに議員は高給取りでも何をしているのかわからないのである
議員は暇でしょうがない職業だともここで書いてある
ただ議員となれば議員という地位と金が入るとなるだけでだとなる

ともかくアメリカからすると倍以上というより何倍も議員が多いのである
それでかえって効率的でなくなる、行政を担うのでもない、だから直接行政で働く人を増やした方がいいとなる

この辺では様々な問題が山積みだけどその解決に議員がどれだけ努力しているのか何か方策を考えているのか?それもわからない
これだけの問題をかかえても議員が何をしているのか良くわからないのである
鹿島区で高速無料となったのは市長の権限なのだろう
市長は何かをすることができるが議員がどうかかわるのか見えない
だから議員代議制は特に地方の場合形骸化しているのである

それでいろいろな方策を提案するようになる
何か議員に一票投じることが虚しいのである、それは何の効果もないからである 
 
 平成22年(2010) 

震災前は72パーセントの投票率

 平成26年(2014)

 59パーセントである
 
震災前が高かったが震災以後の2014年は低い、これは小高が避難区域になり投票者が散らばったからかもしれない
今回はどれくらいになるのか?
70パーセントにもどるのか?

ただ正直選挙に関心がもてない、地域に住んでいればいろいろと関心をもつ、私自身が鉄道と駅に関心をもったので報告した
それは身近な存在だからそうなった
つまり議員でも何をしているのかプログなどでも報告する義務があるとなる
そういうことをしている人はいても少ないし内容がともしいのである

現実にどういう主張してどういう成果をあげたかなどわからない、ただ選挙の時お願いしますお願いしまだけなので嫌になる
つまり町内会長さんが無償で公園の掃除をしている人の方が市のために役に立っているともなるのだ
議員は前はそれも昔になるが土地の有力者などが無償で行っていた名誉職だった
だから無償のボランティアとして始まっていたのである
今は高給とはいかなくても市の財政から金を払っているのだからそれなりの仕事をしてもらいたいとなるがしていない、またわからない、だからボランティアで公園の掃除している人の方が役に立っているのである

いづれにしろ今回は私は棄権である、誰に入れていいかわからない、そして民主主義で棄権が多くなるとそれは民主主義自体を否定することになるから民主主義の危機なのである、もう50パーセントくらいの投票率では成り立たないともなる
民意は反映されないシステムになるからである
だから個々の事案について投票するシステムを作れとかいろいろ言う人が出るのもそのためである
つまりもう選挙では何も反映されないとなるからそうなる、そしてシルバー民主主義のように選挙する前から決まっている
数が多い方に有利になっているから若い人は選挙に行かない、この辺だと合併して原町中心になったからそこは6万とかの人口の内
4万いるから原町区中心に何でも決まってしまうのである
だから補償金でも鹿島区の三倍原町区はもらっている、鹿島区が不満でもどうにもならないのである
原町区の方が人口が多いし票が多いのだから文句言っても多数決で決まるからどうにもならないのである
それはシルバー民主主義と同じなのである、そしてどうせ自分たちの意向は反映さないとなり棄権になり投票率が下がり民主主義の危機になっている、だからなんらかの制度を改革が必要なのである


posted by 老鶯 at 10:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層