2018年11月16日

全能なる神に祈る (原発事故は科学者に頼っても解決できないから)


全能なる神に祈る

(原発事故は科学者に頼っても解決できないから)


この大災難は何故なるか
そをたずねるも知りえじ
確かなることは神は人に苦難を与える
自然災害のみならず様々なの苦難あり
しかし原発事故はいかなるのものか
それは人間の奢りから生まれた
科学は万能にあらじ
しかし万能なるを望み過剰な期待を抱く
科学が科学者が神のごとくになる
何々が成功したというとき
それはまた一つ人間の万能に近づく標し
そこに災いが生まれる
人は科学にすがる
科学者にすがる
しかし科学者は万能にあらじ
その科学がなべての恵みを与えるや
その科学に頼りすがるも
科学は科学者は万能にあらじ
もろくも打ち砕かれぬ
そして故郷は荒廃しぬ
人は科学に頼り限りなく欲は増大する
実りは神から自然から与えられしもの
人の手により科学によりもたらされしものにあらじ
そこに災いの元のあらじや
人は科学は全能にあらじ
すべては科学の力によってもたらされる
しかしもろくも人の技は砕かれぬ
その災いは大地を森を海を汚し住めなくさせる
そこに科学に科学者を万能として頼る呪いがあった
我らが頼るべきは何か?
全能なる唯一の神なり
その神のみぞ解決しえる
全能なる神よ
希望と力を与えたまい
希望と平和をあたいたまい
天なる力の働きたまい
我らの心を強くしたまい
悲しむ者は幸いなり
神はその涙をぬぐいたもう
祈りは力なり
神に通じる力なり
人の世に災いは尽きじ
災いから逃れさせたまい
それを科学や金でも解決しえない
希望と力を与いたまい
苦難に立ち向かう力を与いたまい
全能の神の力の働きたまい
我らの切なる祈りを聞き入りたまい
その時再び故郷は国もよみがえる
そして長い平和の日を共に享受する
その時そこに真の実りが生まれる
その実りは安易に奪われない
またこのように砕かれることはない
苦難を経し故の実りなれば
家族も故郷も国も苦難により
より強く結ばれることを知るべし

ここて起きたことは何なのか?そして自分自身に起きたことは何なのか?
その非情なることは何なのか延々とと自らにも問うてきた
その解答はないが本当にこのうよな過酷なことがなぜ起きたのかとなる
その原因も追究してきたが一つの明快な答えはない

ただそこで問われたものに科学への科学者とかへの疑問である
現代とは科学の時代である、科学が万能とみているし期待している
何かを発見したとかIPS細胞がガン細胞を攻撃できたとか常にそういうことが伝えられると遂に癌は直せると思うのである
そこに過剰な期待がありいづれは直るとみんな思っている
つまり科学の力で解決できると思っているのだ
だから科学者が神になっているのが現代なのである

でもそもそも原子力というのが技術的に完成されたものでもないし科学者にもわからないものだったのである
事故になったらその処理方法がないことは知られていたのである
メルトダウンしたらもうお手上げなことを知っていた
でも安全神話でそうならないとしていたのである
もし科学が万能なら技術が完成するまで使用してはならないものだったのである
医療だっていろいろ実験してみてこれで安全だとしてips細胞でも治療するようになる
原子力はそういう安全性の技術は確立していないのである

そしてそんなに原発が安全ならその後の処理を放射性物質を一掃する技術を科学者が発明してもらいたいとなる
それこそ切実な願いなのである
科学者よ、なんとかしてくれ、放射性物質を処理して安全にしてくれというのが切実な願いなのである
それができるのかとなるとできないのである

そして原発事故の後の処理にしてもそれがすべて金で賠償金でできるとかなるとできない
なぜならかえって多額の賠償金をもらったためにいち早く故郷を脱出して家を建てて帰らないとなったからである
そして補償金の差でもめて分断されたのである

だからどうしたらこの大問題の解決があるのか、解決する希望があるのか?
それは肝心の科学者にできないのである、なぜなら科学者は万能ではないからだ、また金ですべて解決できるのか?
不思議なのは一人一億円与えるから避難区域に住んでくれと言っても住まないだろう、ゴーストタウンには住みたくないとなるからだ
だから金だけでも解決できない、一億円もらったらみんな便利な所に出て行って帰らないとなったからである
それも放射能で住めないとなれば当然だともなる
誰もそれを強くをとかめることができない、そうして避難区域は老人だけとか限界集落とにたような状態になりゴーストタウンになる

ではどうしたら解決できるのか?
それは全能の神への祈りしかないともなる
科学者も処理できない、全能ではないからだ
全能なる神ならできる、そんなものいるのかと疑問にもなるのはわかる
全能なる神は現実にいるしなんらかこの世界に働きかける
つまり祈りは何かをしてくれるというだけではない
祈る心が大事なのである、そこに祈りの効果が現れてくる
祈りつつなんとか打開策を見つけて働くことである

そうして祈りつつ働くときなんらかの希望が見えてくるし祈ることは力にもなる
なぜなら神は存在するからである、全能の神は存在するからである
だからこそ祈らねばならないのである
科学者になんとかしてくれといってもどうにもならない
全能ではないからである、確かにいろいろ試してはみる
それも努力である、でもそこには限界がある
科学はまるで万能のようであり科学者はその限界を示さないのである、また科学が万能のように過剰に期待しているのである
原発に関しては科学者に頼っても解決できないのである

このことは原発だけではない、この世のことは人間で解決できると思っているができない
何か一つの問題を解決したらまた問題が生まれる、科学でもそうである、AIがもてはやされてもそれがすべていい方向に働くと限らない、そういうことは歴史をふりかえればわかる
科学は技術がすべて人間の問題を解決したわけでばてはない、武器の発達によって殺戮は過酷さをましついには核兵器になって人類滅亡の危機にあることでもわかる、科学技術ですべては解決できないのである
ただ科学技術は良いものとして無制限に追求されるのである
それがいかなる災いをもたらすのか今回の原発事故のようになりとりかえしのつかないものになるとしても追求される
それはまさに人間の業でありその業(カルマ)ゆえに人類も滅びるとなるのである




posted by 老鶯 at 20:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

鹿島の仮設商店街は終わり (はる食堂は小高に移り整体師は原町の駅前に移る)


鹿島の仮設商店街は終わり

(はる食堂は小高に移り整体師は原町の駅前に移る)


鹿島の仮設商店街のはる食堂は小高に移って再開
なぜなのか?小高で商売になるのか?
双葉食堂は小高でも満員だった、外で並んでいた
その時は工事関係者とか除染関係者が多かった
だから鹿島の仮設のように繁盛していた
双葉食堂のラーメンとかはそもそも評判がいいし味が良かった

でも小高で商売になるのか?
何か商売となるから再開するのか?
それとも何か援助があったのか?
整体師は復興のためらしいとか言った
とすると市の方から復興のために頼まれたのか?
その辺の事情がわからない
人が帰ってもらいためだとかも整体師は言っていた

はる食堂にはずいぶん通った
あそこのカレーがうまかったし餃子定食なども食べていた
ごはんものを出している
ラーメンも味がいいし盛り付けが豊富である
だから双葉食堂と比べて悪いとは言えない

考えられることは鹿島に新しく東京で修行した人がラーメン店をはじめたからかもはしれない、そこは繁盛しているからである
他に新しい食堂もできた、コバケンなどがそうである
小高には食堂もないからまた工事関係者も来るからかもしれない、なぜなら浪江はまだ工事が多いからである
何かその辺の事情はわからない
ともかく鹿島の仮食堂は終わりである、後は仮設はみんな壊される

小高の人に駅で聞いたのだけどその人は仮設では隣の音が気になるとかそれより自分自身が掃除の時など音たてるのが嫌だった、気を遣うから嫌だったと言っていた
その人は相当神経質な女性だったのだろう
一方でいつも会えて楽しいという女性もいたのである
その女性は社交的な人だったのかもしれない、音を気にする女性はそういう仲間に交わらなかったらしい、人もいろいろだからそうなる
なんでもいい面と悪い面が生まれる
仮設がすべてのひとにとって悪いとはなっていない、でも隣につつぬけになると嫌だとなる、長屋でもいい面と悪い面があったのである

posted by 老鶯 at 15:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

新地の右近清水の溜池は広い (鴨の詩)



新地の右近清水の溜池は広い

(鴨の詩)


広き溜池に渡りの鴨や
色鮮やかにつつがなく
荒き波もたたず
ここに交わり安らぐ
そは争うことなく
ここに集い憩いぬ
人は常に争いやまず
故に人はみな疲れぬ
今安らぐ鴨を見て
我も安らぎにけり


鴨は冬の季語である、渡り鳥でありきれいな鴨もまじる、鴨の種類は多い
冬に鴨が渡ってくるから冬の季語になる
ここの溜池は広々としている、溜池でも気持ちいいとなる
溜池でも広い沼のような溜池もある、日本では溜池は多い

ともかく人間には争いが絶えない、どんなにしても争いが絶えない、終わることがない
家族だって争いがあり平和がない、男女間でも争いがあり平和がない
三分の一が離婚することでもわかる
この辺は原発事の補償金でもめた平和がなくなった
それで復興しにくいということもある

まず田舎の人間が素朴などということはない、畑している女性が前の畑の人を嫌がっていた、でも最近病気が悪くなり畑をできなくなったので喜んでいる
また住宅の隣にも嫌な人がいると常に言う
田舎の人間が素朴だとかは今はない、飯館村などはいい村だったけど原発事故以後はやはりいろいろなことでもめる、一番もめいてるのは補償金のことでありそれで村が二分した

要するに飯館村でも隠されるようにしてあったときが良かったのである
その時は自分は何もかかわっていないから良かったのである
新地に行ったとき良かったのもその土地の人とかかわらないからである
近くだから関係あるにしてもその土地に住んでいるわけではないからである

だから私自身が田舎を嫌って旅ばかりしていたというのもそういうことがあった
田舎からの脱出願望は誰でももっているのである
その人間関係が嫌になるのである
ただ遠くから外から来た人なら自然があっていいなとなるのである

ただ何か新地までは故郷の延長のようになる
山元町となると遠いと感じる、そこは宮城県と感じる
新地は特殊な事情で相馬郡になった、もともとは伊達藩だったのである

私の家の父親の前の妻は新地出身の人だった、その人とは会ったことがない
戸籍を見てわかった、戸籍から親類の系統をたどることができる
その新地の女性は自分の家の墓に埋まっている
それでお参りしているのも不思議だとなる
新地とかでも婚姻関係を結ぶ人が多いということである
しかし今はとんでもない遠くの人と結婚する
だから原発事故で避難した人たちは全国に散らばったのである
結婚した妻でも遠い地域に住んでいるからである

自然には平和を感じるが人間社会にはない、自然を見てなごむというときそこに人間社会にはないもの、争いがないから何でもない風景でも平和を感じるのである

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