2018年11月03日

変わり果てた南相馬市萱浜の風景(秋の短歌) (津波から7年半でも癒えない傷跡)

                                                  
変わり果てた南相馬市萱浜の風景

(津波から7年半でも癒えない傷跡)

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萱浜には墓地だけが残って向こうにロボット工場の建っているのが見える
大規模な工場なのである

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一葉松はやがて枯れる

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この墓地は前からかあったのか?
新しい墓が多い、津波で流されたのを再建したのか?





秋の海沖に船行く二艘かな  
                                                    
                                                      
駅前に木の葉一枚散りにけり今日も我があり暮れにけるかな
                                                          
秋日さす桜井古墳に今日も寄り遠き祖(おや)なれここに眠りぬ

新田川の河口にあわれ立ち枯れの木幽鬼のごとく秋の日没りぬ

一葉松枯れゆくならむ津波来てなお傷痕の癒えざりしかな

新田川芒の白くあわれかな白髪のごとし人も世も変わる

鴨あまたわたり来たりぬ新田川冬に入るかな墓は残りぬ

津波にも残れる木にそ烏かな萱浜の墓地秋にたずねぬ


萱浜に行ったけど工場地帯のようになった、ソーラーパネルにロボットの工場は意外と大きい、ビルも建った、あそこで雇用がかなりうまれるのか?
見た感じでは大きいからそう思う、一大ロボット工場になるのだろうか?

萱浜には墓地だけが残っていた、でもそこから見る風景はまるで違ったものになった
萱浜の面影は全くなくなった、ただ萱浜は前にも行っていたけど何か特徴ある場ではなかった、松原だって右田の松原のようなものはなかった
だから何か印象としていいものではなかった
そこで女高生が死んだのも印象を悪くしたのである、それは殺されたからである
それは津波起きたすぐ前だったのである
その死体は津波に流されて不明になったのである

なぜ萱浜があまり津波の前でもいい印象をもたなかったのか、それは真野漁港のような港もない、何か生業(なりわい)がない、するとただ家があるだけだとなる
松原もない、見栄えしなかったのである、そうはいっても農家があり営みはあったのである
人間の生活はやはり土地に根付いた生業があるとき活きてくる、それがないと活きてこないのである、それで原発事故で生業を返せということで訴訟を起こした
でもそもそもが海側では港がない、漁業がない所は生業もなかったのである
つまり港でも船が出入りしたりまがりなりにも魚をとったりしていると活きているのである、だからそういう場所はなくなると惜しいとなる
ただそういうことが今はできないから船主などは多額の補償金をもらって生活には困らなかったのである、萱浜は田んぼであり越中なのどの移民が多い場所だった
漁業はしていない場所だからあまり印象がない場所だったのである

生業(なりわい)を返せというときその生業とはなになのか?
それが良くわからない、農民とか漁業していればある、でも工場で働いていたりすると生業(なりわい)という感覚がなくなる
ただ山でも炭焼きなどしているのは生業でありその時山も活きていたのである

新田川の河口には今も幽鬼のことく立ち枯れの木が立っている
あれはまさに津波で死んだ人の幽鬼だと思った
まだ倒れないのが不思議だとなる、怨念のようにここに立っている
津波で死んだ人の霊がここにとどまっているという感じである

ともかく津波の被害の傷跡はまだ消えない、それだけ大きな被害だったのである
ただあそこにソーラーパネルとかロボット工場ができるとそうした過去もやがては忘れられてゆく、ただ7年半過ぎてもまだ傷跡は消えない
それが一葉松でもある、一部枯れたしやがて枯れてしまう
あの松はいい松だったから枯れると南相馬市では相当な損失である
でも右田の一本松も枯れたように枯れる

あそこに墓地が残っているのはなぜか?
津波で流されたの再建したのだろうか?
津波にも流されなかった枯木に烏がとまっていた、墓守りのようしてとまっていた
あそこは確実に津波が来ていたし家が結構あったが流されたのである
その写真をとったことがあり流された家の人が指摘したことがあった
それも今は全くわからない変わり果ててしまったのである


ロボットのまち、南相馬を目指して−

ドイツ製のBD1は優れものだった (十年過ぎても変わらずいいものだった)


ドイツ製のBD1は優れものだった

(十年過ぎても変わらずいいものだった)

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ヤフオクで1100円で売っているのは安い
15万で私は買ったからだ、別にこれは変わっていないのである
ただいろいろてものが出ているからこんな値段になったのか?


十年間介護でこのBD1に乗っていなかった、だから乗れなくなったのかとも思ったが普通に乗れた、壊れてもいない、別に乗らないからいたまなかったともなる
これを買う時苦労した、何か折り畳み自転車でいいもを買おうとしていた
それを探していたらドイツ製のBD!がいいとインタ−ネットとに出ていた
それで買うことに決めた、でも買うのに苦労した          

自転車は通販だと後の修理とか保証がないことが不安になる
それで困って仙台の自転車屋で買った
わからないところがあり教えてもらった
自転車が意外と危険な面がありそれを知らないと事故になる

このBD1十年ぶりに乗ってみたら軽くて乗りやすい、これは構造が安定している
それと軽いのと車輪が小さいから意外と坂が上りやすかった
車輪が小さいと小回りできて坂を上りやすくなる
坂では苦労しているので電動自転車にした

でも電動自転車は重く感じる、軽快に走る快感を得られない,これはその軽快に走る
だから電動になると不自然になるのだと思った
自転車は軽いのがいいのである、ただ本当に一台一台乗った感じが違うのである
それは不思議である、それはどうしてそうなるのか?
作りとか構造とかなにか関係がある

ともかく私の一生は自転車旅行とかずいぶんしているから自転車人生だったともなる
だから自転車に愛着が生まれた、もう一つは鉄道旅行が長いから鉄道に愛着が生まれた
それで無人駅でボランティアしているのである
今の時代は何に愛着が生まれるかとなるとこうした道具とか機械類と切り離せなく暮らしているからそうなる

ただ老人にはロードは向いていなかった、電動のヤマハの軽いロードを30万くらいで買ったが意外と使いにくかった、確かに早いのだが車の多い所では危険である
そして何か体が疲れやすくなる、力が入りすぎるからかもしれない
スピードを楽しむにはいいが何かなじめなかった
だから高価なものでも使いないものには価値がない
金を無駄に使ったとなる
つまり自分の体とか年にあったものを買いとなる
それは高いものがその人に合ったものになるとはならない

特に老人は気を付けるべきである

使いこなせるもの、その人にあったものを買い!

それは高価なものでも買っても使いないからである
老人は買うことがむずかしくなった
いろいろ新しいものが出ても使いこなせなくなった
すると老人はそうして使いないものは買うなとなる
何か老人は何か多く買ったりしないで何かすることでもあきらめるというのがいいとなる断捨離は老人に向いている
もう新しいものを買うことがむずかしい、使いこなせないのである

ただこのBD!は買う時苦労した、でもその時は十年以上前のことでありそれより前だから
なんとか外国製でも選び買うことができた
とにかく自転車の種類は電動自転車も加わり膨大に増えた
それで選ぶのに困る、でも自転車の構造は本質的に変わっていないから十年たってもいいものはいいということがわかった
15万したからその値打ちがあった
ただ電動自転車になると相当に電気系統などで進歩したから古いものは使いない
新しいものでないかぎり使いない
このBD1は十年前と同じく使っていいものであり古くなってもその良さは変わらないことに感動した

それで長い距離は行けないがこれだとおりたためるから鉄道などを利用して近間ならまた旅できるなと思った、ただ問題は体力である
腰をいためたりしたからどうかなと思うがなんとか行ってみようと思ったのである
いづれにしろもう数年しか自転車で遠くには行けないだろう
最後はこのBD1に乗って終わりになる、自転車人生の終わりである
ロードなどはもう乗りこなせなかった、ただ白髪の人でもバイクに乗る気持ちがわかる
老人は今までしてきたことをつづけたいのである
だから車でも80歳になって返納して失敗したというのもわかるのである




タグ:自転車 BD1

青森の青からイメージされるもの (青森は姥捨て山ではないとコメントがあったが・・・)


青森の青からイメージされるもの

(青森は姥捨て山ではないとコメントがあったが・・・)

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東京都港区にある「青山霊園」の「青山」とは、美濃国郡上藩主の青山家の下屋敷に由来するもので、霊園はその屋敷跡に造営されたものだ。偶然ではあるが、「青山」はまさに墓地にふさわしい地名であった。福島県会津坂下町の青津には、亀ヶ森古墳と鎮守森古墳があり、隣接して青木もあり、墓地の意味の「青」だ。

ところで「青」の地名が日本海側に集中していることは早くから注目されてきた。谷川氏は、「青」地名は埋葬場所との関連とともに、古代海人族の居住地でもあることを示唆し、日本海側に集中しているのは、彼らが対馬海流に乗って移動した結果だという。

青というのは墓を意味している、そして日本海側に青とつく地名が多いという時青森は日本海を通じて交流がありその影響があったとなる
恐山とかの霊場とかイタコもいるのもそうかもしれない
何か青森とは神秘的にもなる、福島県というとき名前が良くなかった
なぜ福島県なのか皆目その由来もわからない、だから地域性がない
人間は地名が問題になるのは地名から人間はイメージする、言葉からその場でもイメージするからである、青森県は何なのだろうとなるとまず青森に注目する
岩手県だと岩手という言葉に注目してイメージする
言葉の喚起力が意外と印象を決めることがあるからなのだ
それで名は体を表すともなる

青旗(あをはた)の木幡(こはた)の上をかよふとは目には見れども直(ただ)に逢はぬかも

天智天皇が崩御の前後に倭大后(やまとのおほきさき)が詠んだ三首の歌のうちのひとつ

人魂の さ青《を》なる君が ただひとり 逢へりし雨夜の 葉非左(???)し思ほゆ

  〜作者未詳 『万葉集』 巻16-3889 雑歌
 
 
 青は森をイメージもしているが人魂のさ青・・・となるとこれは死者をイメージしている、青には何かそうしたし死をイメージするものがある
つまり青森からイメージするのはこうしたものであり神秘的になるのだ

青森は日本海と縄文時代から関係している、丸山三内遺跡でもヒスイが発見された
それは約600km離れた新潟県糸魚川周辺から運ばれた。
青森はもともと日本海沿岸と交流があり青という地名がついたのはそうした由来があってだとなる

いづれにしろ青森は最果ての地にふさわしい名である、だから姥捨て山なのかとなるとき恐山とか霊場としてあるのもわかる
日本は実際は東北でも多様な地域性がある、日本の列島の端となると長崎とかなるが青森とは全く正反対の地域である、そこは出島があったごとく江戸時代に外国との貿易があり先進地域だったからである
人間は何か最果ての地にひかれる、それが青森なのである
でも北海道の函館となると全く明治以降のいち早く近代化された港であり都市だから違っている、アイヌがいたとして全く違った都市なのである

駅の自転車置き場が狭くなった原因 (車は空間の占有率が高い)


駅の自転車置き場が狭くなった原因

(車は空間の占有率が高い)

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ここはJRの土地であり長く車はとめられない
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この標識はタクシー乗り場としてある
でもここにタクシーがとまることは一年に一二回である
でもこれは案内板があるから美観的に良くない

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車が八台とまれる場をとったため自転車置き場が狭くなった

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ここに駐車場があっても気づかない
ここの駐車場は狭すぎる
ここは長くとめられる



なぜ駅の自転車置き場が狭くなったのか?

それはどうしても5台くらいの車を置く場を確保しなければならなかったからである
ここにも車優先社会が反映されていたのである
そんなこと関係ないとうけどやはり駐車場が車社会では不可欠になる
あそこは一台一台置く場所が決まっていて使用料金も払っている
他の人はとめられない,それから駅前はJRの土地であり長くはとめられない、長くとめることを禁止している、それで駅から離れたところに狭いが長くとめる駐車場があるが
外から遠くから来た人にはわからないし狭い
つまり駅前に駐車場が確保できていないのである

それはなぜか?

鉄道ができたとき鉄道が足だったときは車社会ではない、そのために駐車場を確保していないかった、駅からバスだったりした時代があった、バスが縦横に走っていた時代があった、自家用車の時代になったとき社会自体が車社会になったのである
車社会の問題は車が意外と空間の占有率が高いのである
その視点が意外ともてない、例にすると電車だと百人運ぶことが狭い空間でできる
ところが車だと百台道路を走るとなると空間占有率が高くなる
それは駐車場でもそうなのである、だから実際は大勢の人間を運ぶには向いていないのである                                  

そのことで津波の時道路が渋滞して逃げられなくなった、それは車は空間の占有率が高いからである、車にのっていて渋滞になったら身動きできなくなったのである
だから車にも弱点がありそれに気づかなかった、災害の時は車で逃げられない
東京辺りでも地震があったら道路が走れなくなる
それで自転車か歩いて脱出する他なくなる
車というのは災いをもたらすものでもある 

日常的にも車が駐車場でも場所をとる、すると自転車置き場でも狭くさせられる
道路でも自転車道路がない、それで自転車は車にとって邪魔者になる
車にとっては歩行者も邪魔になる、車からすると自転車でも飛び出したりするから危険なのである、だから嫌がられているのである
それは結局車社会だからそうなる、車中心にすべて考えられているからだ
なぜ郊外にイオンとかができたかとなるとそこには広い駐車場がとれるからである
街の通りの店がそこでシャッター通りになったのである
車がとめられないからである
もし電車で駅におりて通りを歩けば街中の店も必要になる
車は街中を通りすぎてゆくだけなのである

いづれにしろこれから車社会を見直すようになるかもしれない、高齢化社会でこの前も駅で80歳の人が免許を返納して失敗したとか言ったいた
23万人が返納した,すると足がなくなり困る、では何にするかとなると鉄道とかバスを利用する人が増えるかもしれない、つまり高齢化社会には車は向いていないのである
そうはいっても車社会自体が簡単に変わることはないだろう
ただ車の免許を返納した老人がふえれば足を確保したいからなんとかしてくれとんいう要望がふえることは確かである

駅でも新地駅とか最初から新しい街作りとして駅があり駅前広場に駐車場もとった
駅前からアクセスしやすいようにした
それは山下駅でも駅前にスーパーができたから駅中心の町作りをした
要するに駅前開発は土地の利用の問題になる、駐車場を広くとり車でも利用しやすくして駅と一体化して人を集めるとならないとさびれたままになる
ただ車社会は見直すということも必要になる
歩行者とか自転車とかは車社会では邪魔もの扱いになっていることがおかしいのである
あまりにも車優先社会となっているからそうなる
街作りにしても車優先社会になればいい街作りにならない
実際に車社会によって街自体がシャッター通りになったことがそのことを証明している