2018年10月26日

飯館村の大倉で小高の人と話する (その人も親を介護していた−帰ったのは実際は二割だという)


飯館村の大倉で小高の人と話する

(その人も親を介護していた−帰ったのは実際は二割だという)

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鹿島のSAのレストランでご飯は鹿島であり麺は小高になっている
ここでは協力している
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大倉のダムの公園ではごみを持ち帰りましょうと書いてあったが
ゴミが捨ててあった
やはりどこでも管理する人がいないと荒れる
大倉でも人がほとんど住んでいないと管理する人がいないから荒れたままになる
無人駅でもそういうことが起きる
ただ鹿島の場合は原町駅の人が常に回っているから違っている
でも無人駅でもそうだがこうして人が住まないということは荒れるのである
ここは南相馬市の管轄ではない、飯館村なのである
飯館村では広いし全体を管理することがむずかしくなる、そこに人が住んでいないことが問題なのである
住んで入れば汚いとかなり自主的に掃除する人もでてくるからである


その人はいろいろしゃべる人である、親を介護していて疲れたといういつも一緒にいるのもお互い嫌だから息抜きに来たという、その人は車をもっている
鹿島駅に来た人も厚生病院に親を入院させているので通っていた
でも車がないから通うが不便になる、まず小高だと車がないと生活できないように思う
店だってコンビニが一つくらいしか今はないからだ
それで帰ってきた人は三割というが二割だという、何が水増ししているという
そういうものなのかとも思った

とにかく老人が残されていて親の介護でありやがては介護している人が介護されるようになる、それで小高で一番困っているのは施設はあっても建物はあっても介護士が集まらないとかで開けないとなる、なぜなら若い人が流出したからである
もう若い世代がいれば施設で働くことがありえるからだ
それから小高病院も建物があっても開けないとかある、その後水道管の修理に7億円かかるとかいっていたがどうなったのか?
鹿島の厚生病院に通っている人も小高のそうした病院がないとか医者がいないとかの事情による

何でも農業を会社組織にして外部の若い人を入れてしているという、20人くらいでしているという、そういう人たちには13万支給しているという、それではたりないから原町区で働いていて農業もしているという、トラクターかなにかで一生懸命働いているというまず小高を見たら田んぼは草ぼうぼうで荒地になっている
それがほとんど全部なのである、第一農業をしているのは60歳以上とかの人たちでありそれは全国的にそうである、耕作放棄地が問題になる
この辺で畑で野菜を作っている女性は腰が悪いとかで他にも悪く常に病院に通っているのである、もう病人でありやっとしている、金がかかるのは医療費なのである
整形で整体でうまい人がいるからとそこで保険がきかないと金がかかる
しかし金がないのでどうするのか?自分のところに要求するとなるから困る

そして前の畑で野菜作っていた人は透析していたが脳梗塞になったという
隣の畑に来ていた人は娘に車に乗せられてきて這って農作業していたのである
でも遂に力尽きて草ぼうぼうになり荒地と化してしまった
こういうふうに跡継ぎがいないから老人が病気になったり弱ったりするともう畑も維持できないのである、そうして全国的に耕作放棄地が増えてくる

小高ではそうした耕作放棄地はソーラーパネルになる、ただ土地を持っていてもしょうがないから収入になるのはソーラーパネルだとなる
小高はもう田んぼでも荒れ放題でありでは何に利用するのかとなればソーラーパネルしかない、すでに工事は始まっている、でも景観は悪くなる、ソーラーパネル工場みたくなるそれもどうにもならない、土地を活かせないのだからそうなる
そして農業ではいくらでも今は外から入ってくる、すると買った方がいいとなるのだ
でも地元で食料も供給できないとどうなるのか、何か仕事がないことには住めない
小高のドリンク剤の会社は百人くらい勤めていたとか会社があったがなくなった
すると若い人の勤め先がないとして帰ってこないのである
他で子供も移り住んだ所になじみ親が仕事をもって家まで建てて定着したら帰ってこない親の部屋まで用意したから住んでくれというのもありがたいが親はなじんだ小高の新しく建てた住宅に夫婦で住んでいる
そして子供は帰ってくるというが帰っては来ないのである

だから何かおかしいと思う、親を捨てて自分たちだけは補償金もらって他に家を建てて親を故郷に残す捨てるとまではいかなくてもそれと同じような状態にしている
それなら親を世話するのは介護するのは地元の人たちだとなるとそのための金は払ってもらいたとかなる
現実介護したり世話するのは残った人たちだからである
そもそも補償金はただそうして外に移るために使われたのであり復興するためではなかったのである
確かに鹿島と小高は補償金でもめた、でも小高内にも問題があった
それは飯館村でも補償金で残る人と出ていく人で分断された
いづれにしろ人が住まないとなれば町でも村でも維持できるのかとなる

この問題はここだけではない、全国的に過疎地の限界集落で起きている
もう人が住まないと村は維持できないとなり外国人に住んでもらうということを決断した村もある、それで切羽詰まっている問題なのである
とにかくまず人が住んでもらわないことには村自体が維持できない消滅してしまうという危機なのである
ただ一方で都会の人たちは東京などでは田舎志向が強くなっている
田舎に住みたいという人が多くその機会がない人がいる
だから今回のようになんとかして住んでくれという要望があれば住みやすいのである
待遇も良くなるからである、それで13万を支給して農業に従事させて住まわせる試みが南相馬市ではしたのである
別に働く場は原町にもありそこで勤めて農業もしているのである

いろいろロボットとかドローンの工場ができるのはいいとして基本的に農業が復活しないと復興とはいえないともみる
農業の時代ではないにしても田舎は田畑があって田舎だと私はみる、それはただ田畑だけではない、米とか野菜をとるというだけではない、それはやはり千年とかつづいた自然との共生の人の営みだからである
だからその営みに生業(なりわい)に価値がある、ただ食料をとるだけではない、私の見方は米は日本の文化なのである
食料というだけではない文化なのである、畑でもそうである
田舎から田畑をとったら何が残るのか?それはまさに文化の喪失だから空虚に感じるのである
そこに水の循環とかあり自然の中で営みが続けられてきたことは文化なのである

つまりculrureはまさにcultivate(耕す)からきている、農業は文化なのである
だから農業が失われると何なるのか?ソーラーパネルになったりして景観も失われる
文化が喪失するのである、ソーラパネルもすべては否定できないにしろそうして工場地帯のようになったとき田舎ではなくなる
文化の喪失だからそこで生きる価値はなくなる、人間は単に食べるだけではない、文化を生きるのである
そのことでグローバル経済を批判する人がいたが同調する
グローバル経済は地域の文化を破壊したからである、文化の基はその土地を耕すことかさ発している
それが失われるときそこに文化は喪失する、工場地帯のようになり景観も失われるのである
原発事故はそうして千年とかつづいた文化も破壊したのである
歴史でも先祖とのつながりを断たれたり家族でも分断されたり補償金では村や市でも分断されたのである

ともかく自分もそうだったが介護する人が多いと思う、ということは介護される人も多い
介護社会になっている、これもこの辺では極端なものとなる
小高とかでは避難区域になったところでは帰るのは老人がほとんどでありその不安を言うのもわかる
親を介護して今度は自分の番になる、介護される方になる、するとそこに若い世代はいないのである
いくら故郷に住みたくてもそこで介護ができるのかとなる
肝心の子供世代は流出しているからだ、だから嫌でも親のところにひきとってもらうほかなくなる
現実そうっないる人が結構いるようである、この前駅にきたのは子供が親をひきとった横浜の人だったりとそういう人も多いからである
まず介護社会となるとそれは国全体に影響する、国力の低下になる、だから小高でもそうだがそういう限界集落が維持できなくなる
全国的に耕作放棄地が増えてくる、この辺ではそうした問題を先取りして極端化した場所なのである
(南相馬市)
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看護師が減ったことが大きな問題である

posted by 老鶯 at 18:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

神の庭の花(詩) (詩のフログは中止しているか多数作っている)

神の庭の花(詩)

(詩のフログは中止しているか多数作っている)

神の庭の花

花が一つ
それではさみしかろう
花には花がそえられる
赤い花に黄色い花に
青い花に白い花
花には花がそえられる
天使はその庭であそぶ
あきることなくあそぶ
神の庭であそぶ
昨日と今日の庭は違って見える
庭はいつも同じではない
神の業は尽きることがない
常に変化であり
新たなものを作り出す
それは常に調和の世界
花々は光の中に映える
花には花がそえられる
今日も神の庭で天使は遊ぶ

God's garden flowers

One flower
That would be lonely just that
Flowers are bloomed in flowers
to make accompany
On a red flower to a yellow flower
White flowers on blue flowers
Flowers are bloomed in ones
An angel plays in that garden
Play innocently
Play in the garden of God
Yesterday and today's garden look different
The garden is not always the same
The work of God never runs out
It is always changing
Produce new things
It is always a world of harmony
Flowers shine in the sunny light
Flowers are bloomed in flowers
Today the angel plays again in God's garden

詩でも単純なものがいいとなる、むずかしくなるといいとはならない
詩の部をプログで別に作ったがそこは中止している
今日の一句一首と相馬郷土史研究は同じものである
でもそこに二回同じものを毎日アップすると手間になる
それで三つになるとできないとなる
プログは結構手間なのはまず書く内容でありこれが私の場合は長くなるから時間がかかる
詩は相当数作っているが発表していない
それをまとめるのにも相当時間がかかる
ただ草稿のようなものを直すこともしている
いづれにしろ詩のプログは中止しているが実際は詩は相当数作っている、発表しないだけである

グーグルの翻訳は優れている、詩となると翻訳するのはむずかしいが基本的にはできている
それでA!から学ぶということが起きている
本当は英語の先生に訳してもらいたいのだがそれはできない
そういう人がいたとしても知り合えないからできない
すると常に翻訳できるAIが便利になるのだ

簡単に優れた人がいたとしてもそういう人とは接することができない
それはどこでもそうなのである、もし機械がAIが身近にいて指導してくれれば楽だとなるのだ
翻訳というのも膨大なビッグデーターから解析する
それで最近ポケトークを買った
まだ試していないがこれはクラウドで通信できるからコンピュターの頭脳と結ばれているから精巧なものとして通訳できるとなっている
その頭脳とはビッグデーターを駆使するコンピュターなのである
posted by 老鶯 at 11:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩全般