2018年10月17日

昔の消防の話 (消防車がない苦労−火事は恐れられていた)


昔の消防の話

(消防車がない苦労−火事は恐れられていた)

川の土手で休んでいる老人と話した、海老の人で津波の被害は高台にありまねがれた
その人は昔は一軒一軒火の用心と回って歩いたという
良く時代劇で火の用心と江戸の町を歩いている
江戸で一番怖かったのは火事である、でもその時水をかけて消すということはない
ただ延焼をおさえるために家を壊すことであり後はいち早く逃げることが命を救うことである

なぜそうなるのか?それはまず今のように消防車がない、火事は早くいかなければ燃え広がり消せなくなる、いかに早く行くかが問題になる
でも消防車がないのだからリヤカーのようなものに手押しポンプをのせて運ぶ



車がない時代なんでも運ぶこと自体が容易ではない,この辺だとなんとか原町とか相馬氏はリヤカーで梨を運んで売ったという人の話を聞いた
これは信じられないが屋形の人が鰻売りに川俣まで天秤棒をかついで行ったという
鰻は高く売れた、川俣は絹織物で有名だから金がある人がいたからだとなる
それにしてもそれは江戸時代でありイメージもできない、なぜなら八木沢峠は今でも車で超えるにしても難所だからである、今はトンネルができて楽にはなった
ともかく車がない時代はいかに運ぶことに苦労していたかわかる
簡単には運べないとなるとどうするのか? 

近くであるもので生活する他ないとなっていたのだ、自給自足とかになる
ただ炭とかは山の村から運ぶことが必要だったのである
その時馬車が使われていた、馬車だとかなりのものが運べるからである
でも消防のことを考えると今の救急車のように一刻も早く行かないと間に合わない
燃え広がったいて何の役にもたたないとなるのだ

半鐘の打ち鳴らし方を変えて、様々な情報を知らせたのである。
 半鐘の音は公的な信号であるから、その鳴らし方は恣意的ではなく、周知のパターンが定められていた。

 その人もこのことを言っていた、その半鐘で聞き分けていたという
この半鐘は今でもある、小さな部落ごとに今でも残っている
子供の時近くの神社にもあった、でもそういう半鐘はスピーカーのようにはいかない
部落ごとの地区でしか役たたない、そんなに遠くまでひびかないからである

ただその人の話では狭い地域でも火事が恐れられていた
それで毎日欠かさず火の用心に歩いていた、それも一軒一軒回っていて火の用心をよびかけていた、海老でも町となっていたからそこはばらばらに離れてある農家とは違っていた 
とにかく今簡単にできていることが昔は簡単にできない、第一車がないのだから火事だことかけつけるのにも時間がかかる、すると家自体が燃え広がりもう消せないとなる
それは北海道の雄冬とかでも赤ん坊が病気で背負っていくうちに死んでいたとか
飯館村でも病院に行くうちに死んだとかある
つまりその時救急車がないから緊急の場合、死ぬということが江戸時代から普通にあった電話一本で救急車が来るということがいかに恵まれているか昔のことを知らないとそのありがたみがわからないのである、そういうことはいろいろある

いづれにしろ火事は一番田舎でも恐れられていたのである
どこの町でも大火事の歴史があり火事は恐れられていた
地震、雷、火事、親父・・・となるのが日本である
地震には津波もあり恐れられていた

ともかく毎日一軒一軒火の用心と回って歩くのは手間であるがそうしたのは火事が怖いからである、海老でも家が連なっているから一か所火事になると延焼するから怖いのであるそれは一軒だけでくいとめられない、それだけの消防の備えがない、車もないからであるだから今はそういう点ではいかに恵まれているかわからないのである

不思議なのは新聞は配られていたがそれは一日後になる、では速報するには何で知らせたのか?
それはラジオだったとなる、動画は映像は映画館で写していたが蒸気機関車で運んだとすると東京からだと八時間以上かかる
だから二日くらい遅れてニュースが放送される、ただニュースだけを放送するのではない、映画の劇を見る時その前にニュースを写していたのである、その時動画というのは映画館でしか見れなかったのである
速報するのは今だと早い緊急時でも早い、そうであっても津波では遅れた、それは逃げろと放送しても間に合わない
それで逃げ遅れて死んだ人が多い、テレビで逃げろといってもすぐに逃げられるとはならない

だから警告されても津波であれ洪水であれ必ず逃げないで死ぬ人がでてくる
そういうのは日ごろから心がけなのだろう
だから部落で一軒一軒回って火の用心を訴えていれば用心するとなる
だからそういう人的な安全管理も必要だとなるが今はみんな忙しいからできない、それで危機管理ができないともなる
つまり手間でも一軒一軒火の用心と回ることが安全のためにも必要だったとなる
そういうことで防災意識を高めるからである、ただ便利な道具ができたからといって必ずしもそれで防災意識が高まるとは限らない、津波でもそうだったからである



posted by 老鶯 at 16:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

南相馬市の病院から青森の施設に移される人 (姥捨て山へやられるのか?)


南相馬市の病院から青森の施設に移される人

(姥捨て山へやられるのか?)


その人は南相馬市の病院に入っていた,知的障害者の息子がいてその人が病院に通って
頼まれたものを買って届けていた
その障害者は外見はどこが悪いのかわからない、仕事もしている
でも不思議なのは父親のことを思っている、だから病院に通っている
その父親は別に子供が3人とかいる、でも世話しない
離婚した妻が障害者の母親は常に通って息子をみている
かわいそうだと言っている、その父親は何か離婚されたり子供も世話しないとなると
問題があった

ではなぜ青森の施設に移されるのか?

これはこの辺でめんどうみる施設がない、満員だとは聞いた、それでいわき市とか中通りの施設に入った人は知っている
例えば小高では立派な施設があっても入れない、介護士とかが集まらない
若い人は流出したからである、病院でも看護師がたりないとか苦労している
それでいつまでも病院に置くわけにいかず青森が空いているからと移された

しかしそこには知っている人すらいない、いたとしても青森までは簡単に行けない
最初聞いた時青森は遠いなもう行けないな日本の果てだなとか思った
ただ新幹線があるら二時間で今は行けるとは思った
でもそこで金がかかるからなかなか行けない、そもそも金で苦労しているのだから
行けない、一瞬前の感覚だと流刑地にでも行かされるのかとも思った
青森となるとそれだけ遠いという感覚があったからだ

ともかくなぜ青森なのか?

それは南相馬市だと特に施設が空いていない、特養などは特にあいていない
だから青森であいているからと施設関係者や市の方で相談してそうなった
これはここだけの問題ではない、例えば東京は深刻である
それで東京のある区では伊豆の方に要介護者を移すとかしている
東京ではまかなえない、東京はそうした介護される老人は増える、その数が多いからである、だからこれはここだけの問題ではない
青森だとそもそもそこは職がなく出稼ぎ者が多い地域である

すると介護でも仕事になるとして引き受けるようになったのかもしれない
それにしても青森は一瞬遠すぎると思った
だってそこはなじみがない場であり知り合いとかもいない場である
ただ今の社会は広域化しているからこういうことにもなる
でもそんなに遠くに行くということは何か最後は姥捨て山にやられるのかという心境になるかもしれない,身寄りがないとなるとそうされやすい
ただその人は子供も何人かいるからそういう人でもない
障害者がいて世話できないとかなりそんな遠くに行き死ぬほかないとなるのかもしれないともかく最後になると労力も金もかかる
病院にいつまでも置けない、特養には入れないとなるとそんな遠くで世話されて死ぬほかないとなるのが現実だとなる

abstract river


abstract river

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River flowing to space


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抽象画は一つのものからいくつにも変化するのが特徴である
これも一つの者から変化したものなのである
それで大量生産になるからいくらでもできるとなる
ただ創造的作業というより機械的作業なのである   


Abstract painting is characterized by changing from one thing to several
This also changed from one thing
So it will be mass production so you can do as much as you want
It's just mechanical work rather than creative work