2018年10月10日

原発事故でマスコミも共犯者だった (テレビ局六局の独占時代が終わる)


原発事故でマスコミも共犯者だった

(テレビ局六局の独占時代が終わる)

genpatuuu1.jpg

●技術やメデアの変化

時代の変革期が来ると産業の転換が起きる、大井川の川越人足は1200人もいたというから驚く、その人たちが橋がかかり失業したときお茶作りに転進した
それが静岡の茶となった
ヨ−ロッパで馬車の時代があり車に代わり鉄道に変わる、この変化も大きかった
馬車より効率的だから機械に変わる、常に人間社会は技術の進歩で変わる
産業革命でもそうである、そこで失業した人たちがいたが農民がいたが製造業に変わった技術は大きく社会を変えてしまう、ヨ−ロッパでは大砲が発明されたとき城壁は無用のもの化した、技術の変化で社会そのものが変わってきた

情報関係ではグーテンベルグの印刷機の発明で聖書がドイツ語に訳されて誰でも読めるようになりそれがルターの宗教革命までなった
その時以来大量の本が出版されるようになった
情報では明治以来大きな力をもった、まだ映像の時代になっていないからだ
その時代新聞がどれだけ力をもったか?
新聞は今のテレビと同等の力をもったのである
そしてラジオの発明があり戦争の敗戦の天皇の玉音放送があったようにラジオが主役になった時代があった
そしてナチスの宣伝がラジオでされたからラジオが国民にどれだけ大きく影響したかわかる、今ならラジオがそんなに影響するのものかと思う
NHKでもラジオが主役の時代があった、その時有名なアナウンサーがいたがテレビ時代になると消えた、テレビは顔が映るからあわなくなったのである
ラジオは声しか聞こえない、すると見栄えは関係ないとなっていたからである

テレビ時代になるとどうしても顔が映る、するとまず顔を見てしまう、その像に左右される、それで美人のアナウサンサーがもてはやされて映画俳優のようになったのである
情報の技術の変化でそうなった、そしてテレビ時代になったときテレビに子供の時群れてかじりついて見ていた、テレビに動画がニュースでも映ることは奇跡のようになり魅了されて見ていたのである、だからこのテレビの影響が本当に大きかった
テレビは映像であり動画だから大衆に受けた、本とか新聞でも活字を読むとなると頭を使うからである、テレビは頭を使わない道具なのである
だからテレビに出る人をいちいち検討したりしない、テレビに出ただけで有名になり青島とか内容もないのに知事になったりする人がいた、参議院選挙ではテレビに出る有名人がトップ当選になる、それは政党ではない、個人の人気投票みたくなっていたのである
普通の議員でもテレビに出ると顔と名前が売れるから当選しやすかったのである
別に議員としての経験とか関係なく当選したのである

こうしてテレビ時代は50年つづいた、でもインタ−ネットとかのメデアが現れ転換期になった、youtubeとかで動画を気軽に放送されるとなると対抗メデアになる
テレビ局は六局の独占だったのである、だからテレビ業界とか新聞協会とかそうした情報をにぎるものは既得権をもっていた
それは他でもそうだが六局しか政府から許可されていないから独占していたのである
そして新聞でもテレビ局でもそれは単なるメデアではない、会社の主張をもっていてそれを通すためのテレビ局なのである、だから会社の主張に合わない人は出さないのである
これはNHKでも同じである、つまりただ単なる仲介するメデアではない、主張をもっていて会社の方針がありその方針にそうことを放送するのである

だから会社の方針がありもし朝日であれ毎日であれ読売新聞の日本テレビであれ放送局を批判したら絶対にその局からは出せないのである
報道機関は共産党と同じである、その報道会社を批判することは許されない、ただの情報を流通させるメデアではないからだ
そして報道機関は連帯して既得権を守る、だから互いに放送する会社を批判しないのである、それは互いに結託していて既得権を守るものとしてあったからである
そしてそもそも報道することは電波の権利を獲得したり報道すること自体が金がかかるから一個人などでとてもできない、それで六社とかの独占状態になったのである

●原発と企業と天皇でも一体化して権力を得る

例えば日本テレビがあるとする、その創始者の正力松太郎が読売新聞社を起こして日本テレビを作った、そして原発をアメリカから取り入れた張本人である

皇族も利用したこの宣伝の効果が大きかったためか、元旦という一年で最高の時間枠だったためか、『わが友原子力』の放映は大成功を収めた。…原子力委員長としての正力もこの成功を利用した

ここに皇族ともあるが皇族も天皇家も東電の株主にもなっていた、本当は皇族は会社を応援するようなことはしてはいけいな立場にある、ここにも何か問題があった
ただ財閥と企業と国家は一体である、天皇も一体だとなる
右でも天皇を批判している人がいる、昭和天皇を批判している人がいた
それが良く解せなかったが天皇は何か軍部でも今度は大企業でも利用される存在なのか、または神輿なのかともなる謎がある

原発を海外に売りつけることで発生する利益は企業(株主)へ、事故があった場合に賠償額で一定額を超えた分については日本国民が責任を負うことになるということです。

国民はこのことを無関心であってはならないが知らない人が多いだろう
こういうのを調べるのはインタ−ネットが便利である
事故が起きたら国民の税金で今回のような補償金を払わされるのである
それは莫大なものとなり日本がつぶれるとまでなるかもしれない、そういうことに原発かあるということを知るべきである
原発は国家主導で推進されるからやめられないのである
国家は最大の権力だからである、原発とは一企業の東電の問題ではない
国家がかかわる一大事業なのである、だから事故になり失敗すれば国が傾くとなるのだ

企業がもうかるというとき原発でもそうである、企業中心の発想がありもうかればいいとなり安全はないがしろにされるのである、それで安全神話が作られた
でも東電だけではない電事連もそこで働く人々も電気事業で生活しているとなると既得権で一体化するのである
逆に日本はアメリカから古い型の原子炉を売りつけられたことも事故の原因になった、でも敗戦国だからアメリカでは事故の補償はしない、そういう契約もなかったのである、この辺も不公平であり力関係で商売もあるとなる

そういうテレビの宣伝は大衆受けする、わかりやすいからである
テレビは大衆を洗脳するのに最も適していたメデアである
そしてお茶の間にテレビが置かれたとき最も効果的なものとなった
お茶の間にあれば直接常にテレビがありその後ろにはテレビ局があるとなるからだ
そこでどれだけテレビが影響したかわかる、テレビで商品を宣伝するだけで目立ち売れるということもありテレビに宣伝費が会社でつぎこむ、それでテレビ局はもうかる
そういうふうにして政治でも経済でもテレビが大きな力をもつようになった
そのことが原発事故にも関係していた、政府とか東電とかが一致してテレビ局に宣伝費を流して安全神話を作ったからである

報道機関は独占化するとどうなるのか?それが原発事故で判明した
原発事故が起きたときテレビ局の幹部が朝日新聞でも全部六局の幹部が中国に招待されていたのである、それは何を意味しているのか?
この六局のテレビ局に800億円とかの宣伝費が流れていたのである 
ただNHKの幹部は入っていなかった、それはNHKは民間ではない、公共性があり受信料を強制的にとっているからである
だから本当はNHKはその公共性に奉仕すべきものだがそれがない、NHKもNHKの方針がしって主張があってそれに沿うものしか出さない意見は言わせないのである、だから受信料はとらないで民間にするのがいいともなる

それはNHKは税金のように受信料を国民から強制的にとっているからだ、ならば公共的なものでありメデアとしてもインタ−ネットのように利用させるべきだともなる、でもNHKにもそれはない、NHKの主張と方針がありそれに沿うものだけが出ることを許可される
電事連とかそれだけの金をもっている団体である、電気関係はやはり現代社会を支えるものだから大きな権力をもっている、今回の原発事故はそうして現代社会の権力をもつものが結託して起きた事故でもあった
国家(政治家)官僚、御用学者、マスコミ・・・とかが結託して「安全神話」を作ったからである、ただマスコミのことはあまり批判されないが明らかに「安全神話」を強力にしたのである、そこに既得権があり莫大な金が流れていたからである  

大型広告が「朝日」から始まったのは、(電力業界側が)「朝日」がそのような新聞だと一般に見られていたことを考慮してのことだと思います。「読売」がそれにつづいたのは「読売」の社長だった正力松太郎氏が、原発を日本に導入した責任者(初代原子力委員長)だったという関係があったようです。
「朝日」「読売」に定期的に広告が掲載されるようになると、「毎日」も広告を出してくれと要請します。当時、「毎日」は、原発に反対するキャンペーン記事を紙面に載せていました。後でとりやめた

福島財界でも最初原発反対の記事をのせていたがとりやめた、マスコミがおかしいなのはこうして全部が原発賛成になったことである、一社でも反対すればいいがそれがなくなった、福島県でも福島民報でも民友でも反対しない、原発推進派になっていた
だからもう報道には民主主義がなくなっていたのである
民主主義は少数派でも必ず反対がありその反対する者を一応尊重して対処するからであるそれが全部賛成推進派になったことが異常だったのである

●テレビからインタ−ネットへ

いつれにしろ戦後70年でテレビでも変革期にきた、もう六局のテレビ放送の独占時代は終わった
インタ−ネットのyoutubeなどが対抗でメデアになる、そこではNHKだけではない、会社とか銀行でも今までも既得権の団体でも組織でも訴える術を与えた、だから文字のテキストだけよりyoutubeは見る人が多くなる、大衆でもテレビと同じように見る
芸能人の馬鹿騒ぎはyoutubeと同じでありyoutubeでやれとなる
youtubeの特徴は何か学習機能がある、個々人が体験を語る時、それはテレビが大衆向きにマスメデアとして機能していたのとは違うと思った
何か社会について見え方が違ってくるのである
つまりマスコミをテレビを通してみる社会とは違っている

テレビは大衆向きに番組を作っていた、youtubeとなるとレベルもいろいろあるが
何か個々人がメデアとなって語る、そういう経験をしている人もいるのかと新たに社会に対する見方が変わる、社会というのはとてもマスコミだけでテレビだけで尻得ようかないものだったのである、テレビは社会を写す窓ではない、そこには無数の窓があったとなる
こうしてテレビの機能は変わってくる、誰でも放送できるとなると六局独占体制は維持できない
その時テレビはどうなるのか ?

国営放送とか公共放送とか何かそうした娯楽ではない真面目なものになるのか?災害放送はそういう性格がありNHKが必要だということが言われた、でも政府で放送すれば気象庁で放送すればいいとなる、インタ−ネットではしている
だから今はその変革期の過渡期でしりいすんな試みが行われる、情報の戦国時代になったのである
プログなどでも百家争鳴の時代である、誰でも意見が言える、ただ今までのように六局だけで目立つ時代は終わった
それは六局にとって独占でありあまりにも恵まれていた時代だったとなる
これからはyoutubeくらちいの視聴率くらいしかテレビでもなくなるかもしれない、すでに視聴率は減るばかりである

別に他でもいくらでも情報は得られるからである、検索もできるからである
だからテレビの役割自体が変わる、それがどうなるのか?公共の電波でも六局の独占は終わる
すでにBSもあり終わっている、だからニュースでもただ事実だけを24時間流すものが見たいという人が多い
そのニュースを勝手に解釈するのではなく解釈させるのは視聴者にゆだねる、そういう要望が多いからである
だからそういう放送に変わるのかもしれない、そういう変革の過渡期であり様々な試みが成される時代である

時代の変化についていけない老人 (昔の感覚で社会を見ている−銀行もそうだった)


時代の変化についていけない老人

(昔の感覚で社会を見ている−銀行もそうだった)


老人はこれまで生きた感覚で世の中を見ている、それが実は社会が変わっていると違っているのだ、確かにそういうことは昔からあって老人は新しいものに適合できない
もし江戸時代んのように変化してもスピードが遅ければそれほど影響を受けない
現代は変化のスピードが速い、だからついていけなくなる

銀行は何か硬い真面目な職業だと思っていた、それが投資信託のような複雑なものを老人相手に売る、それは金をもっている老人をだますために作られた商品のように思えた
毎月配当金が入るというときそれが今まで貯金していれば利子がつくもののように老人は思うのもわかる、第一株などわからないからである
投資のこともわからないからである
それで悲しいのばあちゃんが2000万とか損しても銀行を信用していたのである
つまり銀行とはそれだけ信用されていた、それを裏切ったともなる

なぜそうなったのか?銀行は地銀などは特に地元に密着して一軒一軒回る
そうして対面的に信用を得ていたのである
その信用を利用して投資信託のような複雑なだましのような詐欺的商品を売りつけるようになった
でもその時その信用というのが一番の財産だったものが失われたのである
もう銀行員が一軒一軒回っても信用できないとなる
そうしたらそもそも銀行業というのが成り立つのだろうか?
だって銀行で一番大事なのは信用だからである
信用こそ財産だった、確かにそれは目に見えないものだがその信用なくして銀行の業務が成り立つのか?

ではなぜそうなったのか?銀行はもうもうけることができない社会になった
高度成長時代なら銀行は会社の業績でもいいし起業しても成功するとかで金を貸してももうかる、だから利子が7パーセントの時代があったのだ
それがバブル崩壊とかから20年日本経済は停滞した、もう銀行もそこで金を貸してもうけることができなくなる、金を借りて起業したりする人もへるとかで投資先がなくなったのである、それで国債とかでもうけていたがこれもできなくなりマイナス金利になった
それで銀行は追い詰められたのである

人間は追い詰められると善悪がなくなる、今日食べるものがないとなれば平気で人を殺したりする、それは追い詰められているからである
追い詰められた人間は善悪はない、だから追い詰められ人間は怖いのである
そういう人に出会ったら最悪だとなる、そうして悲惨に殺された人もいる
それは個人でもそうであり会社でもそうであり銀行だって同じである
きれいごとを言っていられない、銀行を維持するためならなんでもするとなる
そういう時代になったことを老人がわからない、意識しないのである

それはなぜか?老人は昔の感覚で世の中を見るようになる
今までこうだったからこうすればいいという昔の感覚なのである
それをひきづっているのである、銀行と付き合いがある人は昔の銀行を見ているのである銀行員でもそうである、それが急に変化してきて銀行を変貌したときだまされることにもなる、投資とか株とか昔の銀行はしないしそれが業務ではなかった
だから支店長でも株のことなど知らないと言っていたのである

そういうことは他にもいろいろある、スマホがあるとしてそれをできない老人は理解できないのである、一見それは携帯電話のようにも見えるがかなり違っている
パソコンを携帯化したようなものにもみえる、自分はパソコンを20年くらいしているから同じようにやれるとみるがまた違っているのだ
そうして技術も変化しやすい、進歩すると老人はついていけないのである
どうしても昔の感覚で見るからである
昔はこうしていたからこうすればいいとなるがそれが通じないのである
たからばあちゃんは銀行をだまされても信じていたとなる

例えば中国に旅行したのでも20年前とかなる、時間はすぐにすぎさる
20年前の中国はどうなっていたのか?物価は十分の一であり鉄道は最悪である
家畜のようにして人間がぎゅうぎゅうつめで運ばれていた
とにかく人が多いからそうなった、その時都会への出稼ぎ者が多かったからそうなった
今はどうか、日本並みに新幹線が走っている,これも信じられないし、みんなスマホで決済して現金を使わない日本より進んでいる
日本より進んだものが増えてきたのである
だからこんなに変わるものかと驚きついていけない、どうしても中国でも昔の感覚で見てしまうのである
要するにグロ−バル社会というのは世界的に常に変化のスピードが速い、遅れた国だなと思っても10年とかで変化している、いつまでも遅れた国とはならないのだ
だから今タイとか東南アジアからでも金持ちになった人が日本の観光に来ている
それも今までならありえなかったからである

世の中がもともと無常の世界であるというのは変わりない、そもそも人間自体がいつまでも若くいられない、青春などあっというまに過ぎ去る、そして白髪の老人になっている
そして死んでしまう、その変化からまねがれないから無常なのである
世の中自体もまた変わる、特に現代はそのスピードが早すぎるのである
ただそうはいっても老人だと経験したことがありその経験が活きるということはある
何かしら生きて経験しているからである
でも人間はあらゆることを経験できる人はいない、投資の経験している老人は少ないのである、それも経験だったのである、知識ではない経験しないとわからないことが世の中には多すぎるのである
人間が個人で経験するのはほんの一部である、だから老人が社会のことがわかるということはないのである

江戸時代のような村のようなところでは経験したことが活きて長老のようになることはある、でも現代では老人は膨大な数になっているが無用化しているのである
それは社会が変わりすぎているから老人はかえって邪魔になるだけだとなる  
だから現代は長生きしても老人にとっては生きにくい社会である
むしろ江戸時代なら長生きすれば老人にとってはいい社会だったかもしれない
それもわからないにしろそう見えるのである

老人は本当に浦島太郎のようになる、周りの人間も変わり誰も知っている人がなくなったと現実になる、家族で公務員だった人が役所に行っても知らない人ばかりだったとか
近所でも知らない人が多くなり取り残されたような感覚になっていた
そして認知症になって信じられないけど自分の住んでいる町の名とかすら忘れて思い出せないとなる、そして若い時のことは忘れないから延々と千回も同じことをしゃべっていたのである
それは病気もあるが老人はえてしてそうなりやすいのである
認知症は老人の症状が極端化したものなのである,周りが人間でも変わり浦島太郎のようになる、そして昔のことを延々としゃべりつづける、それだけ社会でも人間そのものの変化でも激しいからそうなる
そして残されたのは死があるだけだとなってしまうのである

タグ:老人の感覚
posted by 老鶯 at 08:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 福祉医療-老人問題