2018年10月08日

精神性を追求する文明にたちかえる (すべてが大衆に迎合しすぎてモラルも荒廃した)

      
精神性を追求する文明にたちかえる

(すべてが大衆に迎合しすぎてモラルも荒廃した)

理念なき政治 道徳なき商業 人間性なき科学 ガンジー

自然がある、そこに人間は真、善、美を見出す、人間によって自然は精神性を付与される人間には心があり精神がありそれで万物に精神性が付与される
エジプト文明は何なのか?アニミズムの世界,あらゆるものが神となる偶像崇拝の世界だとも見る、でも一方で動物でもあらゆるものが神性を帯びたものとして神になる
ライオンがいればそれは人間としては勇気の象徴とかなったり鷺が学問の神になったり
牛は忍耐の象徴になる、それは高村光太郎のような牛の詩になる
虎だったらブレイクの詩として象徴化される
つまり詩によって象徴化された精神性が付与されたのである

現代に欠けているものは何なのか?精神なき文明であり物質化された荒野と化している
マルクス流に言えば貨幣による物神化とかなる
つまり唯物論とは世界を歴史でもまさに唯物的にみる、精神なきものとして見る
ところが過去の文明には精神性から見ることもできる
エジプト文明にも精神性があった、ピラミッドは奴隷によって作られた王の墓だというのは否定されているとき,では一体何なのか?
それは宗教的建造物であり一つのエジプト文明の精神的精華とも見ることができる
マルクスの唯物論だと階級制としてしか見ないからである

ピラミッドはその構築は数学的にも神秘的なものとして作られたのである
正三角形立方体ではないからである
ピラミッドはキリスト教とかイスラム教とか仏教と同じような精神性を備えた宗教的建造物なのである、それは王の墓ではない、民衆が参加して作り上げた聖堂とにているのである
一方で中国の文明には始皇帝でも巨大な権力者の墓として山のような墓が作られたのである、中国では地下まで王の宮殿となっている、死んでも地下で権力を維持して支配しようとしていたのである,そこに精神性が見れられないのである
中国文明にもちろん精神性があるが巨大な権力者が支配するという文明である

歴史を見る時人間の精神の営為として見るか?ただ生産力の増大過程としてみるか?
見方が二つに分かれる、マルキシズムは精神的なもの宗教をアヘンだとか支配階級の道具となり階級を維持するためのものだとした、確かにそういう面もあったから否定はできない、ただ文明という時、エジプト文明でありキリスト教文明であれイスラム文明であれ宗教を基にした文明なのである、その宗教をとったらなにが残るのか?
要するに精神なきモラルなき文明となる、人間には精神があって人間でありただ飲み食いするだけだったら動物と変わりなくなる

そして現代文明とは何なのか?精神なきモラルなき文明なのである
マルクスの言う唯物主義なのは共産主義でも資本主義でも同じである
世界は市場であり貨幣が神の如くなり物神化していることは同じなのである
資本主義と共産主義とは表と裏であり現代では共通した唯物論なのである
確かに宗教は支配構造の中に組み入れられているというのはある
それ以上に現代文明全体がグローバルに唯物化したものとして共通しているのである
そこにはただ世界は市場であり貨幣が神のようになり支配する、ドルが支配することはアメリカが支配することになる
現代の経済とは精神なきモラルなき経済である
すべてが金によって売買される世界市場になっている
そうなると国すら金によって売買される、現実にそうなっている、金融で銀行が世界を支配する、アメリカのドルが支配する、それに逆らうものは軍事力で制圧されるとなる

精神性というのが何かというとき一番わかりやすいのは建築なのである
建築がどこでも文明の象徴としてあるからだ、建築から文明を観るからである
ピラミッドにエジプト文明をみるしキリスト教の大聖堂にカテドラルにキリスト教文明を見るしイスラムだったらモスクになるからだ仏教でもヒンズー寺院がそうでありアンコールワットのような仏像が仏教文明の象徴になり精神性も現されている

それで感嘆するのはルネサンスが起きたフェレンツのラファエロのアティネイの学堂なのである、あのアーチが堅実性を示している、ローマの建築にはそもそもローマ人は農民だから素朴な堅実性があり建築にも反映したのである
だから不思議なのはヨ−ロッパに行くと鉄道の駅がアーチの堅固な駅であり何かその建築によって威厳を持たされるのである
そういうものが無用であり無駄だという意見がある、日本のように機能的であればいいともなる、でも何かそこに駅まで人間に威厳をもたされる空間として創造されていると感心するのである、建築に人間の精神が付与されているからそうなる
まずビジネスだけの世界になるとそこはただ機能的なものしかない、高層ビルだとただ高いというだけでありそこに精神性は付与されていない、人間の精神が欠如しているのである、ただ高いとか機能的美しかそこにはないのである
もちろん機能性が建築では重要であるがやはりそれと同時に精神性が付与されると威厳あるものとなる

現代では機能性は追求されても精神性は追求されない、だから人間の精神が養われないのである、自然があるとして人間の精神性が付与されて意味と価値をもつ、それがゲルマンの森をかたどったゴシック大聖堂になる、その石の柱は樹齢千年とかの樹と同じなのである、柱はエジプトの神殿でも樹なのである、ピラミッドは聖なる山の感覚になる
なぜなら砂漠で山がないから人工的神秘的に創造された山となるからだ
日本でも山そのものが神となり神聖化されたがエジプトには山がないから山を作り出したともなる、それは星辰の位置とも関係して作られたという時、解明されていない神秘が未だになる

ともかく精神性がない世界はもう物質の荒野である、人間はただ商品であり金で売買されるものにすぎない、グローバル化市場ではそうなる、労働力も商品化される
そのマルクスの指摘は現代文明を見る時わかりやすいから宗教のようになった
でも共産主義でもまた同じだったのである、唯物論として世界を見ていることでは同じなのである
これからの課題は精神性の追求である、精神なき世界はもう人間社会ではない
そこに育まれるのは養われるのは富であっても精神なきものでありルネサンスのような文化を創出しない、巨万の富を集めてもアメリカから精神文明が生まれないのでもわかる
巨大な科学技術文明でありそこに精神はない、ただ天をつくように高い摩天楼であり人間はそこでただ蟻のように卑小化されるだけなのである

何か文明というときあらゆるものが連関している、人間の精神性の剥奪なのである
それは報道とかマスコミでもそうである、そこに精神性はない、大衆を操作する下劣なものとしてある、つまりテレビは低俗な大衆に同化して操作するものとしてある
そこに高邁な使命感とかはゼロである、モラルはない、会社から宣伝費をもらい大衆を操作するものしとてある、ナチスとたいして変わりないのである
そこに対話もない、一方的洗脳があるだけなのである、そこで一番目立っているのは司会者でありその人が有名人となる、でもそのアナウンサーとは何なのか?

何の報道の使命感もない、まず大衆を相手に視聴率をとることが目的なのである
要するに大衆化社会には精神性はないしモラルも育まれない
商品を売る消費者として大衆はあり会社の企業が商品を宣伝して売りつけるものとしてある  
現代とは大衆に迎合がしすぎた社会である、そこに精神の退廃が社会全般に蔓延した、マスコミとテレビの影響が大きすぎたのである
マスコミから出る人物はいい加減なのが多いというより大衆にとって必要なのは芸人なのである
芸人でも芸に励むということがあるが芸人がオピニオンリーダーのようになり司会者もそうである

そして事件ばかり追ってそれが大衆の娯楽になったのである
それがお茶の間にもちこまれたから余計にそうなった
この辺だって作家だとか詩人だとかもマスコミにもちあげられた芸人なのである、売名作家なのである
結局現代の問題はアウトサイダーが指摘してきたことである
その人が客観的に社会を文明を見ていたのである
マスコミも大衆社会に組み入れられて精神を荒廃させたのである
ジャーナリストにも高邁な使命感があったかもしれない、それが大衆に迎合することによって失われた
大衆に迎合することが何でもいいのではない、それによって退廃してくる
むしろ大衆と離れて崇高なものを追求する、それが大衆にとってもモラルを向上させる、江戸時代は侍がそうした模範となっていたのである

今や模範とすべきものはない、カルト宗教団体でも大衆に迎合しすぎたのである、だから何ら普通の人と変わりない、かえって強欲になれ拝んでこの世の欲を満たせとなっている
それは大衆にこびて大衆に迎合しすぎたのである、それが政治となり一票に結びつく、数が多ければ権力を得ることになる
そうなると社会全体が荒廃したのである
一方でオウムはエリートを養成しようとしたのだが奇妙なのは大衆から遊離した結果として異常化したのである
人を殺すことを宗教で正当化できない、そうしたのはかえって高学歴の理系の若者だったとなる、つまりかえって創価のように庶民の集まりではないからそうなった、常識すらない状態になっていたのだ 

何でも大衆化することは国そのものも危うくするし荒廃するだけだとなる
原発事故だってそうしてジャーナリストでも権力に迎合するだけであり大衆は大衆で金になればいいしかないとなり故郷にも住めなくなったのである
現代社会にはもうエリートはいない、責任と矜持をもつエリートは大衆によって駆逐されたのである
大衆に迎合しないものはアウトサイダーとなる、だからアウトサイダーはこの文明を冷静にみて批判できるとなる
マスコミは害悪をもたらすものだということを知るべきだということもそうである、そういうことが日常的になっているから見えないのである
マスコミはyoutubeにふさわしい、お茶の間に入るべきではないものだった
子供にも影響するから害悪になるからだ

だから精神性を求めるものは現代では山にこもりニーチェのようになる、アウトサイダーになる、そしてこの現代文明を糾弾するようになる  
そうならざるをえないのである、現代文明社会に真善美は追及されない、ただ物質の追求であり商品を売買する巨大な世界的市場になっている
株とかでも世界市場になればもう巨大な世界市場にふりまわされるだけになる
投資は必要でも何か意味あるものとして価値あるものとして投資はできない
趣味で野菜作りしている人に投資した、そこで得られたのはキュウリが数本だった
でもその畑で作る苦労話を聞いたからその方が投資として実りがあったともなる
グローバル経済で株でもうけたとしてもそこに意味と価値を見出せないからだ
精神なきモラルなき世界だからである、人間はただそこでは金の奴隷、経済の奴隷になっているだけなのである

精神性とは何なのか?それは理念であり思想である、それは理想を追求する
会社を経営するにしても何のためなのかその理念が思想が必要になる
ただもうかればいいとはならない、だから会社を起こしたとしてそれがただ自分が優秀であり優秀さを社会に示したいとしか動機がないとしたら応援できるのか?
つまり理念なき政治道徳なき商売経済になっているのが現代なのである
ただ巨大なグローバル経済にふりまわされているだけの社会なのである
この辺でも復興は精神的なものの復興もあって復興になる

復興の実りや朝飛ぶ鳩の群れ

実りがあり鳩は平和の象徴でありそこに復興がある、実りは米を食べることだけどそこには精神的復興としてもある
そこに実り喜ぶ鳩が飛んでいるとなる、それは精神性として表現されたのである、単に食料を供給するというだけではない、実りとともに精神の復興がある、だからキュウリ一本が一万するとしても荒地になっていることは精神に影響する、復興は荒地のままではありえないとなるのだ





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北海道地震でも厚真町などでも自治体の崩壊現象が起きる (北海道の過疎化は深刻)


北海道地震でも厚真町などでも自治体の崩壊現象が起きる

(北海道の過疎化は深刻)

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厚真町では、住民の移転の動きが出始めた。町はかつて人口減少で消滅する可能性を指摘され、対策を講じ人口増に転じたところで、地震は誘致策にも打撃になる。

日本の人口5千人未満の自治体のうち29.5%が北海道に集中することになります

ここで人口が半分にも減っている、これは大きい、北海道自体の状況が反映している
鉄道でも半分以上が廃止になっていて昔ここは駅だったとなり記念の建物が残る
北海道の鉄道は惨憺たる状態である
そして北海道の過疎化も厳しい、厚真町では人口が半分に減り60歳以上の人口が多くふはり高齢化になっている
そういうところに今回の地震のような災害が起こると一挙に町自体が崩壊しかねない
復興するにも高齢化社会で老人が多くできない
老人はもうあきらめるとなる
この状況は津波とか原発事故周辺で起きたことと同じである
ただこの辺は人口が半分まで減るとまではなっていなかった
でも急速に避難区域は半分以下どころではない、三分の一四分の一となったし浪江では
二万の人口があっても千人も帰っていない
自治体の崩壊の危機にひんしている

北海道は札幌に人口の40パーセントが集中してその広大な地域に4,5000人の自治体が散らばっている、酪農とか農業でも広大な地域である
それが魅力なのだが人口に比例していろいろな店とか施設とか病院とかできる
コンビニでも2300人に一軒とかできる
それはだいだいあっている、人口がやはり経済の指標になる
ただ高齢者が多いからそれも人口が多いからといって自治体の活力があるとはならない
全般的に高齢化がどこでも影響が大きいのである

それは北海道では特にそうなのである、農業は楽ではない、美瑛というと丘の町で観光で有名だがそこで農業している人は延々と不満を言っていた、遂には中国人の方がいいとまで言っていた、私はその時自転車で旅してライダーハウスに泊まったのである
その農家ではライダーハウスをしていたからである
農業を知らないと何か広大でいいなとしか感じないがまず農業ほど手間がかかり金がかかるものはない、鎌が盗まれた、肥料が必要だとか、種が高いとか小さな趣味の畑でも金がかかる、それを支援するとなると大変である
それでもらったのはキュウリ数本であり結果的に一本一万以上になる
これでは誰もやりたくなくなる、趣味だってやりたくなくなる、必ずしも収穫もあるわけでもないからだ

北海道は特に過疎化とか高齢化になると農業でもつづけるのが厳しくなる
そして寒さが厳しいから余計に厳しくなる
旅行するにはいいところなのだが住むとなると厳しい、それはどこでも同じである
沖縄だって実際は住めないといろいろ問題がある
住むのと旅行で行くのはまるで違ったものになる
旅するだけならただ通り過ぎてゆくだけだから悪いものを見ないですむからである
そこに住めば悪いものに否が応でも接しなければならないからである

いづれにしろ東北でも津波と原発事故の打撃が大きかった
それはやはり北海道ではないにしろ少子高齢化とかが大きく影響したのである
原発事故の避難区域になったところでも解除されても帰ったのはほとんど老人であり若い人は帰らないからである、そこには過去だけになり未来がなくなってしまうのである
それが自然災害でも原発事故でもそうした大災害になるともうお手上げになる
そのことが今回の地震災害でも起きていた
復興できなくなっている、この辺では原発事故では補償金がでたが北海道では出ないからである、そして老人になるともうあきらめる人が多くなる
それも致命的なのである

人口で自治体を計られるというとき小高では3000人は帰ったというが老人の比率が多い、だからそこで復興するといってもシルバータウンのようになってしまう
必要なのは老人ホームだとなってしまう
現実に介護施設でも介護士が集まらなくて開けないとなっているからだ
立派な施設があってもそこに働く人を確保できない、なぜなら若い人が流出したからそうなっている
北海道は広いから何か福祉関係だと一軒一軒回るだけでも手間であり苦労になる
なかなか普通の福祉サービスを受けることもむずかしくなる
だから札幌に人口が集中するともなる

札幌市は、高齢者の転入が目立つ。60代、70代、80代、90歳以上のいずれのカテゴリーも、転入超過数は全国で断トツの1位だ。北海道内では、多くの地域で病院経営が難しくなっているという。このため多くの病院が札幌市内への開設を進め、つれて高齢者の札幌移住が加速している模様である。

病院となると都会が有利である、北海道とかなる広いのだから病院に通うだけで手間だとなる、そして高齢化社会では病人が増えてくるからこうなる
わざわざ仙台から東京の病院に行ったり福島医大に通っていた人もいた、だから老人も都会に集まるとなる
震災以後この辺では仙台市の人口が増えたのと似ている
近くの中核都市に人が移動している、飯館村とかが避難区域になると福島市に補償金をもらい家を建てたとかなる
その方が便利だからそうなる、多額の補償金をもらったことで余計にそうなったのである
そしてますます地方の自治体が崩壊してゆく危機になる
5000人とかなると自治体が維持できるのか?その人口構成も老人の比率が高いから自治体の活力を失うのである
三陸方面とかで津波の被害にあった所に爺婆に資金を出しても無駄だと官僚が言ったのは本音である
それはやはり少子高齢化社会が深刻な状態にありそれが災害とか今回の原発事故になると極端な現象になり自治体の崩壊の危機にさらされるのである

posted by 老鶯 at 10:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層