2018年10月07日

韓国の人が茨城県の鹿嶋市と間違えて来る (風の遅れは7,8分)


韓国の人が茨城県の鹿嶋市と間違えて来る

(風の遅れは7,8分)

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鹿嶋市は水戸でのりかえる、でもこの線はそんなに電車がでていない
だから今日のうちにたどりつくように思えない、代行バスでいわき市でまたのりかえて
水戸まで行ってまたのりかえだからである


韓国の女性が駅に来てタクシーを呼んだ、タクシーに乗ったがその女性は茨城県の鹿嶋市と間違えたのである
それで原町に行くように指示した
原町で代行バスが4時に出る、それにしてもそれからいわき市に行き水戸に行きまた電車に乗り換える、鹿嶋市までは電車が出ていてもあそこは辺鄙である
そんなに電車が出ている線ではない、一度は乗ったことがあった
それにしてもこういう間違いは外国人だとありうるともなる
とんでもない所に行ってしまうことがある
韓国旅行してわからなかったのがハングル文字だった、あれには苦労したしアルハベットより読めないから困った

それからもう一人も末次に行くという、代行バスがあるからと案内した
今日はめずらしく案内があった、案内は風で遅れたときとまどう人がいてある
ただ自分は一日一回買い物に行ってたちよるだけでありわずかの時間しかいないのであるだから最近は案内はしていない
今日は他にも杖つえた老人がいて案内した
向こう側のホームだったのでそこまでわたるのが大変なのである
鹿島でも病院に来る人がいて良く杖ついた人も来るのである
すると向こう側に渡るのが苦労なのである

今日は風吹いたけどさほどの遅れはなかった、ただまず鹿島でも茨城県の鹿嶋市とまちがうことは日本人だらありえない、外国だとそういうことも起こると思った

タグ:鹿嶋市

つらぬく、生きぬく、耐えぬく人生


つらぬく、生きぬく、耐えぬく人生
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つらぬく
生きぬく
耐えぬく

生きるということは何か?何か信仰で信念でも仕事でもこの三つが必要になる
そのつらぬくものが何かは人によって違ってくる
どうしても人間は曲がったものになるのはやはりそれだけこの三つが実行できないからである

国家的規模で歴史でもそれができない,それで戦争で負けたら全く日本人はあっさり転向した、アメリカにすべて従い日本人の自主性を失った
だから小野田少尉はジャングルで依然として戦闘状態にあり帰ってきたときがっかりしたのである、日本にはあれだけアメリカとも戦っていたのにアメリカに従うだけの国になっていたからである

そこに一貫性が国としてなくなっていたのである
国にも骨格のようなものがありそれが喪失したら国として一貫性もなにもなくなり成り立つのかともなる、だから戦後はただ経済的豊かさを求めるだけであり日本人としての一貫性は喪失して日本人の独自性も喪失したとなる
民主主義をとりいれてもただ権利だけを主張するエゴ的なものとして主張するようになった

右であれ左であり人間は一貫性があればそれそれで辻褄があってくる
でも転向すると何であれ辻褄があわなくなる
そういうことはすでに青春時代、若い時方向が決まってしまう
若い時妥協して曲がってしまうとその後も曲がったままになりやすい
カルト宗教団体でも何かおかしいのではないか?
そう思ってもずるずるそこにあって脱出できなくなる
若い時何かそうしてそれぞれに違っていても方向を決めるものにぶちあたる

ただ人間の一生は時代によっても違うしいろいろだから家庭環境でも生活する場も性格も違うから外から見て何を貫くは違うものになる
なぜ師がいたとしてもすでに師との世代差があり生きる環境も違うとか生い立ちも違うとかあり必ず師と違ったものとなってゆく
師の人生であり弟子の人生は人生で別に築いてゆくものになる
必ずそこで時代の影響を受けるから違ったものになる   
師とは別個の人間であり師と同じになることではないがカルト教団では師が絶対化して師のコピー人間にされる
大量の奴隷のようにされる、そこに師の危険性がある、師は学ぶとしても否定されるべきなのである
師と同じになることではないのである
正直あまりにも過酷だと自分の場合は耐えられないものとなった
環境に恵まれた結果として今日がある
だからそれぞれの条件は違っているのである                          
もし偉大な人なら過酷な条件でも耐えられるからである。

ただこの三つの戒めがあって人生は何かなしたとか実りが生まれる、満足が生まれる
でもどこかで曲がった方向に行きやすい、そこに強大な力が圧迫がある
それで曲がった方向に行ってしまう、その強大な力に従った方が楽だからである
でも若い時その方向性が決まることが怖いとふりかえり思う
一旦その方向が曲がった方に行くと正しい方向にもどせないのである
カルト教団に入ってもそこから脱出できない、それには相当なエネルギーが必要になるからだ 

それはだいたい30くらいまで決まってしまう、だからその後に変更することはむずかしくなる、ということは若い時にその方向が決まってしまうとなる
「若き日に汝の神を覚えよ」というときそうである  

「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。/苦しみの日々が来ないうちに。/『年を重ねることに喜びはない』と/言う年齢にならないうちに。」

その時を逃したら神を知ることができないともなる、だから若い時方向性が決まるから怖いのである、もちろん自分の一生は何か間違っていたしふがいないものだった
何か特別優れたことをしたということはなかった
社会からはずれたものであり参考にはならないかもしれない
ただ若い時の方向は間違っていなかったことは確かである

ともかく人間にはこの三つがないと満足したものとはならない
第一何をするにしても簡単に成ることはないからだ
即席に何かうまくいく成ることはない、するとどうしてもこの三つが必要になる
地道に努力して最後に成功するということがある
でも日の目を見ないとなかなかそうして継続して努力しつづけることが嫌になるだろう
それでも継続してこの三つを守れば最後に実りがあり満足がある

大地に根を張り
まっすぐに伸びた木よ
そはここに力強く根付き
その生は全うされた
そしてここに倒れた
その倒れた木はなおここにに立っている
一つの標としてここに立っている
その姿は不変でありゆるがない
その木はまっすぐに立ち
曲がることなく立ち倒れた
そこに悔いはない
その生は正しく全うされたから

人間はやはり土着的なものとしてある、その土地に木のように根付く
その土地に根を張り生きてゆく、そういう場が必要なのである
あちらこちらと移動していたらそういう強いアイディンティティではもてない
そこから文化も生まれるからだ、だから人間も土着的なものしとてある
だから都会には現代にはこうした土着なものは欠如しているからアイディンティティがもてず浮遊している感じになる
そこに生の充実感が得られないのである

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この最高裁判所の真ん中にあるのは樹の幹である、そして石に囲まれている
これは最高裁判所にふさわしい建築だと思った
木というのが真ん中にあり石という堅固なもので囲まれている
それは正しさを追求する場にふさわしいとなる
建築にも思想が反映されると重みを増すのである

一般的に日本の建築はそうした重みがないのである
現代文明にある建築にはそうした重みがない
ただビジネスする金儲けの場としての建築である
つまり精神性がないのである
精神性が養われない世界なのである
煉瓦作りの盛岡銀行のも何か堅実なものを感じる
高層ビルとかあってもそこに精神性がないからただ高いというだけになっている
ともかく樹の太い幹が柱となり石に囲まれているのは最高裁判所の内部にふさわしい














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