2018年10月06日

責任をとらない,自覚しない、そしてまた同じことをする (戦争も原発事故も同じだった)


責任をとらない,自覚しない、そしてまた同じことをする

(戦争も原発事故も同じだった)


人間は何かというと責任が問われると思った、責任が問われるのは重要な地位にあり権力を持っている人である、権力という時それは今なら金が大きな権力になる
金で人を支配できる世の中だからである
それで東電とか電事連とかから莫大な宣伝費がマスコミに流れた
しかし戦争と同じく今回も誰も責任は問われていない、責任を課せられないのである
これだけの重大な被害があったのに過失致死傷にもなっているのに責任が問われない
それはなぜなのだろうかとなる
そういう無責任体制がもともと日本人にあったからだとなるのか?

戦争の責任は別に日本だけにあるのではない、アメリカにもあるしヨ−ロッパ側にもあった、なぜならなぜアジアまで進出する理由があるのか?
そんな遠くからなぜアジアまで来て侵略して自分の領土とする納得する理由があるのか?植民地にする理由があるのか?それは一方的なものであった
アメリカとの戦争でもアメリカに正当な理由があるわけでもない、真珠湾攻撃だってそれはアメリカがしかけたものだともされる
アメリカに別に正義があって戦争したのでない
とにかく日本を潰したいということでした戦争である
要するに喧嘩両成敗なのである、そしてアメリカが原爆を落としたことはこれはどんな言い訳をしてももう人類に対する重大な犯罪だった、それがカルマとなってアメリカに永遠にふりかかる、だから原子力発電でも核兵器につながるから最初日本にもたせたくなかったというのもわかる、また北朝鮮のような小国をあれほど恐れるのも核の呪いがありアメリカは日本に原爆を落としたことで恐れているのだ

でも一方で日本はどうだったのか?その責任は問われたのか?責任を果たしたのか?
これもほとんどなかった、これは別にアメリカが裁けるものでもない、日本とアメリカの喧嘩両成敗になるべきものだったが勝者が敗者を裁いたというだけである
そもそも戦争というそのものが犯罪なのである、その犯罪は裁かれることもないし責任を問われることもない、でも確実に何か事を起こすと人間は責任を課せられる
その責任とは三百万人が死んだということである
この事実はあまりにも重いのである、天皇もその罪を担うことになった
天皇にも責任があった、これも逃れることはできないことだったのである
天皇は神ではない、それで神ではないとしてアメリカにGHQに命乞いして助かったとされる、天皇が罪人となることは日本人にとって耐えられないこととなったからそうなったともなる

ともかく人間社会で例えば犯罪を犯しても別に反省することもない人も普通にいる
第一その人は犯罪の自覚がないのである、自覚がないから反省もしないし罪の自覚もない犯罪を自覚する人はそれだけモラル的には優れている
なぜなら犯罪を自覚しない、そういう人は自覚させられない限り犯罪したとも思わないとういこともある,いろいろな理屈を並べて自覚しないことがある
オウムだってそうだろう、宗教のためにポアしてもいい、殺すのは罪にならない、むしろ救済だとして殺人団体になったのである
人を殺すことになんら罪悪感もなく自覚もなく殺したのである
そういうふうに殺人すら理屈をいい正当化されるのである
戦争でもそうである、おそらく本当は戦争自体が人類の罪でありどちらが正しいとういことはない、どらちにも正義があるからだ
ただ力の強いものが正義だとされる

戦争でも誰も責任はとらなかったが300万人が死ぬことで責任をとらされた
原発事故でも誰も責任はとらないが地元で故郷に住めないとか荒廃してしまった
責任は地元でとらされたのである
でも事故を起こした「安全神話」を作った人たちは政治家でも官僚でも東電でもマスコミでも誰も責任はとらない、裁判になっても裁判する法の官僚にも責任が問われた
東電に天下りしていたとかなるからだ、そこで利益にあづかっていたからである

そもそも責任を明確にしないことは善悪でも明確にしないことである
あいまいに終わり何が悪いのか罪なのかすらわからなくなる、結果的に日本軍を正義の戦いで死んだのであり英霊として祭ることになる
そうなれば別に日本の戦争は聖戦であり誰も責任は問われないのである
日本の英雄として祭られることになり戦争を推進した人たちは褒められるべきものであり責任を問うことなどしなくてもいいとなるのだ
でも300百万人が死んだことや原爆を落とされたことは永遠に消えないのである

つまり日本がアメリカに謝るとか韓国や中国に謝るということではない
何か責任があるという時日本は永遠に中国や韓国に謝ることになりそのことでつけいれられて賠償金を延々と要求され悪者にされる
でも戦争の責任はアメリカにもありヨ−ロッパにあったのだから不公平だとなる
でも日本は攻め安いから責めているだけなのである
人を裁くなと神が言う時人は人を裁けないからそうなる

いづれにしろ戦争でも原発事故でもその責任の所在を明確にして責任をとらせないかぎりまた同じことが起きる、それは何が責任なのかも明確にしないからである
もし責任の所在を明確にして責任をとらせれば次はそれでその過ちと罪を自覚するから同じ過ちはしないとなる
でもそれが明確にならないとするとやはり同じ過ちを日本人は繰り返すことになる

原発事故は国家的犯罪で起きたとういことがある、「安全神話」は日本の権力をもつものによって作られたからである
そこにはマスコミも明確に入っていた、マスコミという報道機関も犯罪者だったのであるそれは朝日新聞が戦時中戦争をあおったことと同じである
朝日新聞も東電の幹部に中国に招待接待されていたとき事故が起きたことはそのことを象徴していたのである

要するに責任というとき権力をもつものがまず責任がある
権力がなかったら何もできない、報道すらできない、そしたら責任をもていってももてないのである、マスコミは六局は報道する権利を与えられていたから責任を言われる
特別な権利を与えられていたから責任を問われる
それは政治家でも官僚でも東電でもそうである、御用学者でもそうである
「安全神話」を作ったのはこうした権力をもった人たちだったからである
それは戦争の構図と同じだったのである
日本は神国であり天皇は現人神(あらひとかみ)であり神であるから戦争に負けないと同じだったのである、そうしたものは誰なのか?
国民も加担して戦争に熱狂していたというとき原発は電気が必要であり国民が望んだものだというのとにているのである
つまり国民が望んだものだから国民にも責任がありみんなに責任があるから結局誰も責任がないとなる、それは戦争を起こした構図と同じなのである

そうなると誰も犯罪であっても自覚しない、悪いとも思わない、別に東電でも月給が下がったりしないし被害はそれほどない、評判が悪くなったとしてもそれほど実害がない
でももしオウムの幹部のように死刑になったらいくらなんでも自分はなぜ死刑になるのだと反省するだろう、現実にオウムの幹部は麻原にだまされたとその時反省したが時すでに遅しであり死刑にされたという責任をとらされたのである
死刑になるくらいの責任をとらされてはじめてその罪でも過ちでも人間は自覚するとなるそれで死刑になったことは外から見ても厳しいなと見るが当然だったともなる

東電の幹部でも官僚でもマスコミでも御用学者でも数人でも死刑になったらどうなるのか?

その時その責任の重さにふるえあがり責任が否が応でも自覚されるのである
だから原発事故でも誰も責任をとらない,とらされない、その罪の自覚はない
あれは津波という天災の結果であり責任はないとなってしまう
そして戦争でも同じだが原発事故でも反省しないから原発推進にまたなるしなっている
人が死んでいるわけでもないとか軽くみる、でも故郷に住めないということは甚大な被害だったのである、これまで積み重ねた歴史が奪われてしまった
それは人生と同じである、自分たちが生きた証が故郷にあった時そこに住めないということで奪われたとなるからだ



posted by 老鶯 at 19:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連