2018年09月25日

本当はブラックな江戸時代 (戦後十年までは江戸時代の継続だった)


本当はブラックな江戸時代

(戦後十年までは江戸時代の継続だった)

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●美化される過去と歴史

江戸時代に興味がある、でも江戸時代を知ることは今になるとむずかしい、具体的にわかりにくい、でも人間の歴史は連続性がある、江戸時代から明治になっても全部が変わったわけではない
人間の生活は継続だから変わらないものがある
農民が明治になって楽になったわけではなかった、かえって地租とか貨幣で一定化されて苦しんだとか入会権が奪われて苦しんだとかそこで騒動があり反乱があった
そして歴史を見るとき過去は常に美化されるのである
その時代のことは過去のことでありそこで苦しんで生きていた多数の人たちのことを思わないのである
京都の金閣寺にしてもその時農民は飢えに苦しんでいたが今は金閣寺だけを見て感嘆しているのである
だから歴史は過去は常に美化される、別に人間には悪い面といい面が必ずある

この本でブラックなことばかりを書いているが確実にいい面もあった
何故なら人間社会にはそうして悪い人も必ずいつの時代でもいたからである、ではみんなが悪い人かとなるとそうではない
ただ江戸時代はいい人ばかりでヨ−ロッパの人が来たときいい顔していた幸福そうな顔をしていたというときそれも一面的な見方でありブラックな面はあった
それが人間社会である限りどうにもならない、これだけ豊かな社会でも常にブラックな面があり現実その時代に生きている人はそのブラックな面の方が優先される、テレビでも毎日事件のことが報道されるからである
だから江戸時代でもそうだったのだがもうそのことは遠い過去のことだからいい面だけを見るとなるから過去は人間でも死んだ時点であいまいなものとなりそれぞれの人のイメージの世界になる
肉親の家族の死とかなると現実を知っているからそうはならないが他人だとわからないしまた過去の遠い歴史でもわからないから
非現実的なイメージ、空想の世界になることが多いのである
つまり過去はその人がイメージする世界になりやすいのである

それでドラマが現実ではなくてもそれが現実だと思っている人が多くなるのだ、ただそこにも現実が反映しているが非現実的なことも多いのである
毎日時代劇を見ているから一体それのどこが真実なのか知りたくてこの本を買った、とにかく何か関心があるとき古本でも本が買えるので本は前より読んでいる
何かプログに書くにしても参考になるものが必要だからである
この本を私が良く理解できたのはそういう経験とかじかに親から聞いているとかがあって理解した

●自分の父親は酒屋で丁稚奉公だった
(休日は年に2日しかなかった!)

丁稚奉公が過酷だったという時休みもない絶対服従だったというときもそうである、それが今のブラック会社よりひどいというときもそうだった
それは私の父親が酒屋で丁稚奉公していたからである
葛尾村(かつろうむら)から双葉の新山に出て丁稚奉公して暖簾分けして今の土地に住んだからである
ただ直接話を聞いていないからどういう暮らしをしたのかはわからない、でも不思議なのはどこで字を覚えたのか知らないが良く炭で筆で字を書いていたのである
最後に将棋盤に私の名前を書いた、字を書けるから酒屋で通帳をもって集金していたのである、その通帳が今も残っているからだ
ともかく貧乏であり最後サシミを食えるようになった食いたくないといって死んだのである
酒の肴は味噌を焼いたものだった、何度も言っているが今の団塊の世代は戦後10年は貧乏を経験している
それは江戸時代の続きだったのである

なぜなら燃料は炭だったし街中では囲炉裏があり水道もなかった
電気は裸電球一つでありトイレは外のトイレであり農家ではその糞尿を汲み取りにきて肥料にしていた
風呂は鉄砲風呂とかでその風呂は父親が作ったものだった
燃料は新聞紙にバタをくべるものでそれは子供の時自分の仕事だったのである
それは江戸時代とほとんど変わりなかったのである
ところが風呂というとき江戸時代は下級武士の家でも風呂がなかった、だから銭湯に行ったがそんなにめんどうだから行っていないから不潔だったとかある
一応粗末なものでも戦後でも風呂があったということは恵まれたともなるのである
だから戦前でもそういう生活であり江戸時代の続きだったのである、蒸気機関車が走っていたことなどは違っていたけどほとんど
戦後10年は江戸時代の継続だったのである

●江戸時代でも識字率が高いの嘘

江戸時代の暗黒面になると時代劇では常に遊女がでてくる、遊女にされるのが日常的だからそうなっていた、何か家族が貧乏だから簡単に娘を売りに出してしのいでいるのである
それは時代劇で良く見るからそこは真実だったのである
若い女性がそうして使い捨てにされたというのもわかる

今若い人がブラック会社で使われて問題になり訴えているが江戸時代はもっと過酷だったのである。
丁稚奉公でも休みがとれない、店のいいなりになるほかなかったとかある
一旦悪い噂がたつと他の店でも雇ってくれないとか店の力が強かったからである、それを後押ししたのが役人だとなっていたからである

遊女でも親が困って遊女にするのは普通のことであり世間から批判されない、かえって親孝行者とされていたのである
当時の道徳は親孝行だからである、今のように福祉などないからである、訴えようがないのである
今は貧乏人は生活保護とかを権利と思っているから役所に訴える
それはめぐんでくださいというのではない、権利だと思っているから訴える、権利を実行しているだけだという考えでしている

でも江戸時代は貧乏でも訴えることはできない、だから物乞いになる、生活保護時代が戦後十年とかなかった
だから自分の家の隣では餓死した人がいたのである
家族がいたがその家族が非情だから死んだという事情はあるが生活保護とか何か今なら保護されて救済されていたからである
今でもおにぎり食いたいと餓死した人がいるから豊かな時代でもそういうことはありうる
すると今が過去になり歴史になるときそういう一つの例で貧乏だったのかとも判断される過ちがあるのだ

ただ江戸時代が全般的に貧乏であり家には風呂がないし水道も電気もない、毎日の食事はあまりにも質素だった、魚がついたらいい方であり味噌汁と豆腐と納豆くらいが毎日の食事だった
私の母も大正生まれで原町紡績で糸取りを十年していたがそこのおかずは味噌汁と大根だけだったのである
それで良くわからないのだが昼休みを休みたくて遊びたくて早くいして早死にしたという女性のことを言っていた
そんなことで死んだのかということで理解できなかった
それは丁稚奉公でも年に休みが二三日というときその時代も昼休みもゆっくりとれないからそうなっていたのだとなる
戦前でも労働は過酷だったのである

母の一生も過酷だった、父親の事業が失敗してから過酷になった
糸取り十年してあとは東京に行き女中で働いた
そして子供の時は継母に育てられたからひどいめにあった
弁当を作ってもらったが残したら
俺の作ったものは食えないのかと怒られその弁当を投げられて泣いたという
その継母は最後に施設で目が見えなくなり母に頼ってきて「悪かったな」と言って大学病院で解剖されて骨は私の家に来た
この継母は字が読めなくて良く人に頼んでいたのである
その時なぜか明治生まれでも字を書けない人が読めない人がいたのである

だから自分の父親は字を書けたから丁稚奉公して集金の仕事ができたのである
江戸時代でも小藩では文盲が多かったとか寺子屋でも裕福な家の子供が通っていたのである
おそらく自分の父親は酒屋の丁稚奉公して字を覚えたのかもしれない
教育担当の番頭が入店した丁稚の11歳12歳の丁稚に手習いさせたとか書いてある
ただ大店だとなるとそれもよくわからないがそうだろうとなる
他にも大正生まれだと学校にも通えず小説とかで字を覚えたとかいひ人もいた
明治以降でもなかなか字を全部書けたとか読めたとかでもなかったのである、江戸時代だったら余計に読み書きがみんなできたわけではないのである

●侍は模範的な存在ではなかった

侍というのも相当に美化されている、武士道とかで美化されている、でも侍の実態も違っていた
侍でも若殿様はこれが成人したら馬鹿になると見られていた

大名なる者はとるたらない存在だった、彼らには近代型の立憲君主制の権力もなく、教育の仕方が誤っていたために知能の水準ははるかに下回っていた
その理由は日本が諸外国から孤立したためだったためだった
(一外交官の見た明治維新)

将軍の子供は「大奥」で大名の子供は「奥」でそれで奥女中に囲まれ育てられ長じて側近から
「それはなりませぬ」
などど制止される生活だった、世の中のことは何も知らない
ただ家臣からすれば操るための存在に過ぎなかった
(江戸時代はブラックだった−長井義男)

「それはなりませぬ」というとき会津ではこのことを良くもちだす
首相候補になる政治家がこの言葉を持ち出して辞退した
会津の侍に伝わっていたのが
「ならぬものはならぬ」という言葉だったのである
それはなんでもしてはならないと制止された殿さまへの言葉だったのである
だから会津というのは明治以降悲劇の場としてドラマとして観光として売り出されたのである
その真実はまたわからないまま美化されたのである
事実ヤーヤー一揆が農民から起きたことでもわかる
会津の侍の悲劇など農民にとっては好機となっていただけなのである
なぜあれほど美化されているのか?
もちろん薩摩長州がいいわけではない、薩摩長州は権力をにぎったとき別に農民は生活が楽になったわけでもないからだ
でも会津も異常に美化されることは問題なのである

つまり明治維新が起きたのは必然だったともなる、もう江戸幕藩体制は制度疲労起こし内部的にも崩壊しつつあった
300年の太平の世を経て内部腐敗して崩壊しつつあった
そこに外国からの攻撃にあったからひとたまりもなく崩壊したとなる
その時立ち向かったのは殿さまとか既得権者ではない
貧しい下級武士だったということでもわかる
もともと殿様とかは飾りにすぎないし上層部も堕落していたのである、文武両道などもなかったというのわかる
ただその侍の中でも優秀な人は優秀だったのである
だから全部が全部そうではない、それで侍全部がだめだったとはならないのである

とにかく過去は歴史は美化されやすいのである
江戸時代はイメージの世界でしか今は知り得ようがないからだ
そこで苦労した人のことは見ずにすむからである
もしそこに住んでいたら苦労する人が現実にいるらかのんびり見ていられないのである
でも過去とか歴史は人間の遺産でありそれを様々な視点で見れる
そこに苦労した人ばかりを見るのではない、繁栄したものとしても見ることができる
もし苦労ばかりを見ていたらまさに歴史には暗黒しかないとなるからだ江戸時代の景観は自然が豊かだからすばらしいとかなるときもそうである、そこに暮らす人の苦労を見ないでいるからそうなるのである、別にそれがすべて悪いとはならない、どこの国に行っても悪い面があるがいい面だけを見て帰れというときもそうである
貧民街のような所ばかりみていたら嫌になるからである
だからこの本でも暗黒ばかりを指摘するのは問題なのである
江戸時代にはいい面をあったし全体的にはいいものがあった
ただ部分をとればやはりそこには暗黒があるのは今でも同じなのである

そしてなぜ過去とか歴史でも昔が良かったとなるのか?
それは今の時代は常に暗黒がありそれを感じぜずに生きていけないからである、毎日のように事件がありそれがテレビで報道される、すると過去になった時この時代は暗黒しかなかったとなるのである
つまり何か現代の生活で嫌になると昔は江戸時代はのんびりして良かったなとかなる、昔が良く見えるのである
それは江戸時代はただイメージの世界となっているからそれぞれに解釈できるからである
今は金だけの世界であり人情もないとかなるのもそうである
では江戸時代が人情豊かな世界だったとかなるそうでもないがそう見させるのである

posted by 老鶯 at 10:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)