2018年09月23日

月明りの里(月影の道を歩く)


月明りの里(月影の道を歩く)

晩年や月満ち明るし心澄む
月ひそか我が部屋のぞき消えにけり
誰知るや人は知らじも月は知る
紗(うすぎぬ)の雲のかかりて秋の星

月影の明るし里や虫の音の澄みてひびきつ夜のふけゆきぬ
いつしかに忘らる人や常なき世彼岸の入りと夜虫の鳴く

月読みの光に来ませ あしひきの山きへなりて遠からなくに(湯原王・万葉集673

夕闇はみちたづたづし 月待ちて行ませ吾が背子その間にも見む
(大宅女・万葉集712) 

月影に明るい道だった、でも自転車のライトをつけると月明りは消えた、電動自転車でそのライトが明るいからだ
だから自然というのは人工的なもの電気の光でも自然状態を消すのである、月光で町全体で明るいから見通しが良かった
つまり月明りでも十分に歩ける、電気がない時、月明りの中を歩くのは幻想的である、この辺はまだいいが都会だとあまりにも電気で明るすぎるのである
自然が消失すると詩も消失するのである
だから夕闇は道たづたづしというのはどういうことなのか?
夕闇の方が暗く月が照らしたとき明るいとなる
これも自然の中で生活していればわかるが今はわからない
夕闇の方が普通はまだ明るいと見ているからだ
いづれにしろ月の光のなかでも十分に通うことはできたのである
それは記憶に残る思い出となる
あまりに今のように電気の光に満ちていると何かそれによってかえって心の印象が散らされるともなるからだ
電気を否定はできないが月明りというのも消失すると何か失うことなのである


吉野に遊ぶ(32) 藤原不比等

    夏身 夏色古り
    秋津 秋気新たなり
    昔 汾后に同じく
    今 吉賓を見る
    霊仙 鶴に駕して去り
    星客 査に乗りて逡る
    清性 流水をくみ
    素心 静仁を開く

  夏身(※)の地は夏景色も深まり
  秋津の辺りは秋の気配が立っている
  昔、堯皇帝が汾の地に籠もられたように
  今、そのような地によき人を迎えている
  鶴に乗ってこの地から去った人や
  筏に乗って星に行った人も帰ってくるだろう
  清を好む性格は清らかな水を汲み
  まじり気のない心性は山の情趣に浸っている
     
※現在の菜摘の地
 ・『懐風藻』講談社学術文庫
  現代語訳は、同書にある江口孝夫のもの

菜摘は山蔭にあり清流が流れる場所にある、そこに行ったことがあった
菜摘は夏身としているからこの字とは関係ないのか?
もともとは夏身だったとなる

 山高み白木綿花に落ちたぎつ夏身の川門見れど飽かぬかも

  式部大倭(しきぶのやまと)が菜摘(なつみ)の川の流れを詠んだ歌です。

この漢詩のような気分になった、むしろ晩年になると心が澄むということがある、若い時はやはり欲がむきだしになるからなかなかこうした心境にはなれない、いろいろなものに惑わされすぎるのである、自然に没入できないのである
おそらく今日は満月になるだろう、わずかに時計を見たら月の満ち欠けを示すものだが完全な満月ではない、明日は完全な満月になる
でも今日は雲がでてきた
そっと月が我が部屋をのぞきそっと消えてゆく、月は自分を知っているともなる
でも今日は暑かった、気候の変動が何かずっと大きい、だから秋なのかともなっていた、夕べは秋らしい、それは月見にふさわしいものだった






タグ:月影 月明り

激務で疲弊した地方医師が、続々と都会の病院へ? 急成長する「医師エージェント」ビジネスの舞台裏


激務で疲弊した地方医師が、続々と都会の病院へ?
急成長する「医師エージェント」ビジネスの舞台裏



医局制度の崩壊で
大都市を目指す医師が増加

医師は大学を卒業後、研修医として「医局」に入った。「医局」は、教授を頂点とし、診療から研究、教育を担う機関。さらに医局は人事も握り、所属する医師を系列の病院に派遣。教授の意に沿わない医師が不当な待遇を受けたり、過酷な勤務を強要されたりするなど、弊害が指摘されてきた
いま、大都市の医療機関は、利用者からの厳しい評価にさらされている。医師の対応に少しでも不満を持たれると、すぐに悪い評判がネット上で広がる。逆に「いい医者」が来れば患者が増えると、ある病院の事務長は言う。
「いままでだったら、医者は来てあたりまえじゃないけど、でんと構えていた部分もあったけど、いまは、患者様に来ていただく、優しい先生のほうがいいですから。患者さんからしてみれば、結局、病院っていうのもサービス業なんで、各病院気にしていると思います」

仕方なく、総合病院の整形外科を受診すると、専攻医の医師が診てくださいました。
「専攻医」とは後期研修医のことだそうですが、診察は非常に丁寧でレントゲンに異常はなく「使い痛みでしょう」と診断して下さり、「一ヶ月もすれば治るでしょう」ときちんと予後も言って下さいました。
実際にそのとうりの予後になりました。
医学部を卒業して30年も経ってる医師よりも、勤務医の専攻医の方があらゆる面で上なのです、普通に考えるとこれは逆なのです。
改めて開業医のレベルの低さを実感したと同時に、開業医受診の危険性も実感しました。

ここのサイトは介護のことに詳しい、在宅介護すべきだという論には賛成する
それもむずかしいが本来はそうあるべきだというのは理解できる


その人はまず仙台の医者に行った、腰が悪いから整形外科なのか?
その医者は原町の病院で医者をしていたことがあり知っていたので仙台で診てもらった
次にその医者の紹介で東京の設備のいい病院の医者に診てもらった
大学関係で仙台の医者と東京の医者は知り合いであり連絡をとりあう仲だった
そしてわざわざその仙台の医者も東京にきてくれたという
でもその交通費はどうしたのだろうか?
その女性はさくらバスで東京まで行って安い宿泊所に医療関係なのか二日泊まることができて全身を検査した
その医者は親切だったという、あれでははやると言っていた

これでわからないことは仙台ならそれなりにいい医者がいると思う
現実に糖尿病で白内障になった人は仙台の医者で手術した、もう二か月もいる
白内障だから手術かむずかしいからだ
でも仙台から東京まで行って医者に診てもらうというのは普通はあまりないだろう
そして金もかかりすぎる、その人はいつも食べることがやっとしか金がないからだ
でもなぜ仙台の医者が親切にいろいろめんどうみてくれるのだろうか?
それはその女性がとにかくコミ二ケーションに優れているのである
何も取柄がないようでそれだけは感心する、ただ悪い方になるとクレマーになる
底辺層だから下の者にはうるさくなる、鬱憤をはらす対象になるからだ

いづれにしろ開業医は相当に医療の技術が劣っていることは間違いない
医療には医者の腕には相当な差がある、それは必ずしも出身大学では決まらない
職業には常に適性がありそれで決まる、手術がうまいというとき生まれつき器用な人がいてそうなる、一流大学でもそういう器用さがない人はうまくなれないのである
そうして医療技術の差が怖いのは命にかかわるからである
だから江戸時代でも目が悪い人が栄養の関係で多かった
それで優秀な医者を求めて遠くまで行って診てもらっていたのである

とにかく医者の技量の差は大きい、例えば認知症に家族がなったとき頭の写真をとったが三万かかった、その機械ではまず脳の写真はとれないのである
脳の写真をとれる診れる機械は福島県では郡山市とか二か所しかないのである
ではなぜ脳の写真をとれないのにとったのか?
それは金をとるためでしかなかったのである
それで保険料も入るから楽に10万以上は収入となるからである
今病院でも設備とか機械に金がかかるから薬でもいらない薬を飲まされたりしてかえって病気を悪くしたりすることがある
開業医は専門医からすると相当に劣っていることは確かである
でも田舎だとまずそんな設備の整った優れた医者のいる病院ではみてもらえないのである、まず医者自体が選ぶことができないのである
田舎で損なのは十分な医療が受けられないことなのである。

都会ではなんでも競争が激しい、だから新しいもの店でもそれがいいものなら客が入り一躍有名になり金持ちにもなれる、でもその盛衰が激しいのである
だめならもうすぐにつぶれるとなる、だから都会からいいものが生まれる
医者だって山ほどいるのだから選ばれる
それで今なら優しい医者がいいとなれば医者だって威張っていられない、優しい医者が病院でも選ぶともなる
それは田舎と違って医者でも選ぶことができるからである
自分と合わないとなれば別な医者をいくらでも選べるからである

仙台の医者でも熱心である、ドイツにも研修に行っている
前はドイツ語で診断書を書いていたが今は英語になっている
つまり医療の中心は技術はアメリカが上になったからである
開業医ではドイツまで行ったりしないだろう
そこに病院との専門医者との差が大きいのである
そもそもどうしても仙台の病院から東京の病院まで行かねばならないのかわからないからだ
仙台と東京でも医者に関してはそれだけの差があるということになる

地方だと前はもっといろいろなことで損していた、自分の場合は本を買うことができず知識の分野では相当なハンディキャップだったとことを知った
今はアマゾンでボタン一つで古本でもなんでも買えるから知識の分野では差別がなくなったのである
この前ロングパンツを買ったが千円でいいものだった、それはこの辺で売っていないものだった、だから得だったと思う、でも合わないものがあったりしたから着るものは問題がある
でも明らかに田舎では依然として売っていないものがある
衣服関係は種類が多いからそうなる

とにかく東京に医者が集まるというのは待遇でもそうだし医者にとっては地方はいいものではないことはわかる
技術をみがけないし先進医療もできないとなるからだ
でも南相馬市立病院の脳外科の脳出血関係の専門病棟ができたのは手術のうまい優れた医者がいて副医院長になっていて若い医者が習いに集まるからである
だから地方の病院でもそういうことがある
ただ断然東京に優れた医者が集まるし若い医者も集まる
それはまた医局制度が悪いものとされたがそれが廃止されて地方に優秀な医者は来ない、東京に集まるというのが問題なのである。