2018年09月18日

月曇る(秋の夜の相馬市) 月曇る(秋の夜の相馬市)


月曇る(秋の夜の相馬市)


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この写真は相馬市のだてやのものではない



家の跡松一本残り落ちし柿

街道の松一本一本秋没陽 

月曇る相馬の城下路地の道

月曇る着物店かな城下町

月曇る着物の柄や衣替え

月曇るスナック一つ路地裏に


残る蝉奥に聞こえて家のあり夕暮れあわれ柚木村かな

ここにある三本の松我知りぬ秋の夜静か月曇るかな   


家の跡が空き地になりそこに一本の松がある、それは家がなくなってもずっとある
何年もある、近くなのだけど誰か住んでいたのだけどそれがわからないのだ
これも不思議である、近くに柿が落ちていた

今日はロードで夕方に相馬市に行った、途中坂になり歩いた、浜街道の日立木の松並木のところである
歩くと確かに景色は違って見えるのだ、つまり一本一本の松を見て歩くのである
自転車でも一本一本の松は見ない、車だと過ぎ去るだけである
街中を歩くときも一軒一軒の店を必ず見るのである、車だと通りすぎるだけなのである

夜の街と昼の街は見え方が違う、夜にしか見えないものがあるのだ
かえって夜だと店でも電気で明るくなり目立つのである
それで相馬市の夜の街を歩いたのである。
そこに着物店があり「だてや」とあった、いかにもこの辺らしいとなる
だてやは伊達氏であり伊達政宗である、仙台屋というのもあるがだてやというのはわからなかった
つまり昼間ではこの着物店はわからなかった、見えなかったともなる
今回デジカメをもっていかなかったので写真はインタ−ネットから拝借した 

衣替えというとき今は夏から秋である、衣替えとかなると女子高校生などは衣替えがある
しかし着物は日常的に着ていない、ハレの日のものとなってしまった
でも江戸時代から明治でも着物は日常的に着ていた
すると衣替えというのはそういう時代のものであり季語になった
現代は着物が日常的なものでないから衣替えという言葉も死語になってしまうこともある

当初は、貴族社会だけの習慣で、年に2回、夏装束と冬装束に替えるだけでしたが、江戸時代の武家社会では年に4回になり、期間も着るものもそれぞれ定められていました。

・4月1日から5月4日までが袷(あわせ)という裏地付きの着物
・5月5日から8月末までは帷子(かたびら)という裏地なしの単衣仕立ての着物を着用
・9月1日から9月8日までの1週間程、また袷を着用
・9月9日から3月末までは綿入れ(表布と裏布の間に綿を入れた着物)を着用

このように細かく定められていたそうです。   

今日は月が曇って光っていた、それがなんとも相馬市の城下町にあっていたのだ
相馬市の不思議は何度もプログで書いているがしんみりしていることである
それはやはり城下町としての歴史がありそれが残ってる
原町市には相馬市に感じる情緒を感じない、だから何でもないようだが店でも城下町にふさわしいなと見る
陶器店でもそこで飾っているものが見るのが楽しいとなる
店とは見せるだったのである、店で見る楽しみがあった

そして相馬市は城下町であり雰囲気的に古風な店があっている、陶器店とか着物店とかお茶屋とかである
原町にもあるのだけど何か相馬市の城下町とは違う、着物店が呉服店があるのだけど相馬市の着物店は街全体の中に調和してあるとなる、ただそれは外部の人には気づきにくい、相馬市は雰囲気が違うのである
それでなんとも月が雲の中に光っているのがにあっていたのである
陰々とした感じなのである

帰りは五本松の脇道を通る、その五本松も日本は枯れてなくなり三本しかなくなった
でも秋の夜にその松は夜でもあることを知っている、闇の中でも知っているから見えるのである。
認知症になると常にもともと知っている人と場所ならなんとかわかるが地理的感覚がわからなくなる
それで知っている人がそばにいないと不安になる、でも闇の中でもこの松のように知っていれば見えるのである
ここに松があることを何度も見ているから知っているから見えるのである