2018年09月14日

ニチニチソウ(俳句は写生であり説明しない)


ニチニチソウ(俳句は写生であり説明しない)


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この回りも荒地

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隣は荒地

三色のニチニチソウやレストラン

カタバミにニチニチソウに蜆蝶

赤黄白バラ一列に映えて咲く

同じ道通りて聞こゆ秋の蝉


高見食堂で食事した、ニチニチソウが三色咲いていた
これはいいなと見た、街中はあまり花は見ないからだ
あそこは結構いいものを出す、広いからゆったりする
レストランとはレストであり休む場所だから狭いと嫌になるからだ
食事はくつろいでしたいからである
そこの花壇にはカタバミの花も咲いていた、良くみないと見えないものだった

原町の郊外に畑が薔薇を一面に植えた所があった、これはいいなと写真にとった
ところがこの辺では必ず荒地になっている所がある
その隣は荒地なのである、たたはもともと何か野菜を植えていたけど震災以後荒地化してバラを植えるようになったのかもしれない、薔薇は売ることもできるからだ

この辺の問題は荒地になっていることなのだ、近くでも半分くらい荒地になっているから草がぼうぼうと回りから生えてきて困っているのである
でもそれが荒地のままなのは畑で野菜作るにしろ花を作るにしろ手間だから金にもならないからやらないのである
塩崎の津波をかぶった所は広いが部落の人が草を刈っていた、定期的に刈っている
それは金をもらっているからしているという、そうなのかと納得した
他では金をもらえないから草も刈らずに荒地化しているのである

これはここだけではない、全国的に耕作放棄地が問題になっているのだ
近くの知っている人の畑の隣は家族の人に車に乗せされて這って畑仕事していたが
遂にやめた結果草ぼうぼうになったのである

ともかくこの辺の問題は畑では荒地化しているのをどうするのか?
それが大きな問題である、それは他でもそうである
少子高齢化とかもあり跡継ぎがいない、金にならないし手間だからやらない
すると荒地として放置されたままになってしまうのである

ニチニチソウには季語はない、ここでも俳句が写生であることを示している
何も作り出したものがない、ただありのままを俳句にしただけである
カタバミが咲いている、ニチニチソウ咲いている、そこに蜆蝶が飛んでいたと見たままだからである
ところがみんな何かとそこに理屈みたいなものをそえる、それで俳句をだめにしている
説明をしているから良くないのだ、つまり写生ではカタバミとニチニチソウと蜆蝶とあればそのものが説明している、説明させるのである
だからそれがなにかにと修飾しないことなのである
だから写生俳句はつまらないようで奥深いものとなるのである