2018年09月12日

人間から仕事を奪ったら何が残るのか? (高齢化社会、AI化社会で仕事が奪われるとどうなるのか?)


人間から仕事を奪ったら何が残るのか?

(高齢化社会、AI化社会で仕事が奪われるとどうなるのか?)

人間から仕事を奪ったら何が残るのか?
それが起きたのは原発事故以後漁業関係者にもあった
そのことは補償金問題などで私は指摘してきた
現実に魚をとることを仕事がなくなったとき漁師はなぜ自分はここにいるのかわからないと考えたのである
ただ漁業関係者は事故前も事故後も一番手厚く補償金がもらえたから全く生活には困ることがなかったのである、魚一匹もとれなくても困らなかったし今もそうである
船主になると立派な家をいち早く建てたからである

それとは別に人間から仕事を奪ったら何が残るのか?
これは意外と人間にとって重要な問題である
たいがい別に人間は食べるために仕事をしている、金を稼ぐために仕事をしている
だから普通は仕事の意義など考えないのである
考えているのは給料の多寡である、どさだけ稼げるか金になるかを常にみているのである
でもこの辺で起きたことは一時的に仕事をしなくても良い状態になったのである
仮設に住んで補償金で暮らせるから仕事はしなくなった
その時何が起きたのか?毎日パチンコ通いだったのである、あとは競馬であり競輪であり他のギャンブルに東京とか仙台にも行っていた
結局何もすることがなくギャンブルになった
そして外部の人が復興の仕事をしたのでありボランティアも多数来たが被害にあった人はなにもしなかったのである。
そういうことができる社会になっていたのである
大手の建築会社が建売の家を一週間くらいで組み立てるから別にそこで地元の人が今は働かなくてもいいようになっていたからである。

だからかわいそうだと毎日のようにボランティアが炊き出しやらなにやら来ていたが仮設に入っている人たちは毎日パチンコ屋通いだったのである
だから何がかわいそうなのかとも思った
その時NHKやらマスコミはテレビで盛んにかわいそうだと連日報道していたから全国の人もかわいそうだと見ていた
確かに津波の被害者はかわいそうだったというのは本当である
でも原発避難者は補償金をもらえた、人によって額は違っても一か月百万以上もらっていた人もいたのである。
それでかわいそうだかわいそうだというのには違和感があったがそれを公に言うことはできなかった、NHKでもマスコミは原発避難者の味方だったからである

ただここで問題にするのはそういうことではなく人間から仕事を奪うとどうなるのかということである、それは定年後にも起きているしAI化でも起きると予想している
身近なところで考えてもそうである、漁師から魚をとる仕事を奪ったら何が残るのか?
その人はただ港でうろうろして何もしなくなったからである
その人は役目がなくなったのである、人間は役割があって与えられて生きている

漁師の役割は何ですか?

魚をとることです

魚はとらなくても金を与えます、仕事はしなくていいです

私は何のために生きているの?

あなたの役割は仕事は魚をとることです、それがなければ不必要な人です

俺はここには必要ないいらない人間なのか、とするとここに住む理由もなくなる?

こういうふうになってしまう、何か漁業関係者はもう漁業を生業とするより実質は東電の社員と化していたのである。そして補償金で不労所得者になっていたのである
そういう人を地域から見ればどうなるのか?

何の役割があるのか?

漁師はもともと地域の人たちに魚をとり売るにしても与えることにあった
それが地域での役割だったのである。ただ高価な魚は新鮮なうちに東京に運ばれて高く売られていたから地域の人のためにだけあるのではなくなっていた
でも地域の人に魚を供給することが仕事であり役割なのである
そのために尽くすのが漁業関係者であり漁業権もそのために与えられていたのである。
東電に漁業権を売り不労所得者になるためではなかったのである

これは特殊な事情でこうなったが他でも人間をみれば人間から仕事をとったら何が残るのか?
農業という仕事がある、その女性は畑で野菜を作っている、そのことは私のフログで度々紹介してきた、その女性は根っからの農民であることを知った
農家の生まれであり農業を体で知っているともなる
でもその畑で野菜を作っても相当て赤字であり金にはならない、金をかえって使うのである、それを自分が援助したとなる
そしてその女性に何の価値があるのか?
それは畑で野菜を作ることにあった、畑で仕事することにあった、そこにはカンナなどを植えて咲かせて映える、周りに荒地が多いからそこで美観を作り出すことも仕事となっていたのである、金にはならないがやはりそれも復興の仕事になっていたのである。

他でも自転車屋でもそうである、この前は古い自転車でタイヤが癖になりのめりこんでいた、その歪(ゆが)みをなおすのに大変な苦労をした
それを自分は見ていたのである。自転車屋の仕事は結構熟練がないとできない、技術者なのである。
そしてこの人から仕事をとったら奪ったら何が残るのか?
その人は他に何ができるのか?何もなくなってしまうかもしれない。
そこで自転車屋をしていることが街の中の重要な役割となっているのだ
なぜなら今や一軒しか街に自転車屋がなくなったからである
だからこの一軒なくなると本当に困ることになる
なぜなら自転車屋は修理が多いからである、それが主な仕事ともなっているからだ
ただ売るだけではない、修理が必要だからアフターケアが必要だから他の商品とは違うからである。だから通販では自転車は普通は買いないのである
ただ仕事は身近に見ていると覚えることがあると思った
自転車屋の後継ぎは息子が多くなるのはそのためである
人間は見よう見まねで覚えることがあると思った
だから江戸時代はたいがいそうして親の跡を継いだのである

いづれにしろ昨今しきりにAIのことを言うがそこで人間の仕事が奪われることを言う
そして人間は仕事がなくなるからみんな芸術家にアーティストになるとかいうこと自体がありえないことだった
仕事がなくなる奪われるということが人間にとって何を意味するのか?それは相当な変化であり人間は暇を有効に活かせるのかともなる
ただそれは豊かになれば起きてくることである
暇が生まれる、スコーレが生まれてスクールになったからである
現実に暇な人は増えているのが現実である
仕事をしないニートも多いしどこにでもいる時代である
それから定年後に暇の問題が起きてくる、その数も団塊の世代とかで何千万にもなるからそれだけの人が年金暮らしとか働かないで暮らせるのか?
そういう時代にすでに突入しているからである

人間は仕事がなくなり役割がなくなることは実際相当に重大な問題な問題である
それが家族の一人が認知症になったことで前にも書いてきた
一人は趣味もなにもない働きづめの大正生まれの女性だった
一人は公務員であり55歳くらいで退職してそのあと仕事はなくなり何もしなくなった
家事すらしない、ただ趣味をしていてもそれもあったものではない
三食は用意されているし家事もなにもしないのである
そうしてテレビなどばかりみていてたがボケてしまったのである
一方奴隷のように働かせられた女性は94歳頃まで現役として家事をしていたのである
そうして95以上になってボケたけど百歳まで生きたのである
だから役割がなくなる仕事を奪われることは認知症になることにつながるから笑っていられないのである。認知症ほど残酷な病気はないからである
もう人間ではないとすら見られからである

人間は仕事をして役割が与えられより高等になると使命感をもって仕事をすることに生きがいが生まれるからである
人間は何か意義ある仕事をしなければ生きる価値がなくなるのだ
家事でも仕事でありそれすらしなければ女性として何の価値があるのかとなる
畑で野菜を作っている女性から畑仕事を奪えばその女性に何の価値があるのかとなる
人間は仕事をもつことにより価値を作り出している
ニートとか無職で遊んでいるとかがいいことではない、有名な女優の息子は覚せい剤を
38になってもやめることができなかった

一か月百万の金を与えられていたという、だから仕事をしなくてもいい身分だったのである、でも仕事がないからこそ価値あることができないからこそ薬で堕落したのである
何か社会で有意義な仕事を見出していればそうはならなかったのである
バーとか資金援助されてしたりしていたが仕事とならなかったのである
だから人間に仕事がない役割がないことは本当に深刻なことなのである
そのことで今ニートであれ退職者であれ少子高齢化で本当に仕事をしない人が膨大に増えた、そのことが社会問題化する、それは人間は暇を活かすということはギリシャのように一部の天才しかでぎなかったことでもわかる
だから暇を活かすということはこれからの社会の大きなテーマとなる
AI化によって仕事を奪われるとういことは相当に深刻であり経済的問題だけではない
精神的問題としても深刻なのである。
それは高齢化社会で現実化している、でも趣味が仕事になるということは簡単にはできない、趣味でも相当な訓練が必要であり簡単にはできないからである
高齢化社会とかAI化社会の備えができていないから深刻になるのである。


posted by 老鶯 at 19:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

原発が日本に作られた経過 (正力松太郎からテレビで宣伝されることで始まった)


原発が日本に作られた経過

(正力松太郎からテレビで宣伝されることで始まった)

原発はなぜ日本で50基以上も作られたのか?
地震国の津波もある日本にもたらされたのか?

それは政治的意図があり安全性より優先された
政治的意図とはアメリカの意向があった
日本はアメリカの従属国だから逆らえなかった


衆院議員に当選した正力松太郎・読売新聞社主とCIAは、原子力に好意的な親米世論を形成するための「工作」を開始する。原潜、読売新聞、日本テレビ、保守合同、そしてディズニー。正力とCIAの協力関係から始まった巨大メディア、政界、産業界を巡る連鎖とは

1958年ディズニーの科学映画『わが友原子力(原題Our Friend the Atom)』の放映、そして東京ディズニーランド建設へと続いていく。その連鎖の一方の主役が正力であり、もう一方の主役がCIAを代表とするアメリカの情報機関、そしてアメリカ政府であった。

正力松太郎は結局は総理大臣にはなれなかったが、初代科学技術庁長官に就任、
アメリカの原発製造企業(その多くは原潜や原子力爆弾、戦闘機なども
製造しているGE社などだった)から原子炉を購入して始まったのが日本の原発政策
だった。


原発には最初から不純な動機があった、安全性とかも追求されていない
湯川秀樹博士が原発は時期が早いとしてまだやるべきではないと言ったのは科学者として原発の危険性を知っていたし日本がまだ原発に対しては未知であり技術的に無理があったからである
ただそうした無理があっても強行されたのは個人的な欲と意図があったためである
そしてアメリカの意図もありマーク1という旧式の原子炉が与えられたのである

ここでメデアとかマスコミが原発の宣伝部隊となったのである
ここからすでにマスコミとかは事実だけを報道するのとは違う、明らかな意図があり放送する,だからこそディズニーの科学映画『わが友原子力』の放映をした
映画だと庶民に親しみやすいからである。
テレビでも親しみやすいからである、ただまだその時テレビは普及していない、だから映画だったとなる、アメリカではテレビで放送されていたのである


ここでその映画見られる、他では映らなくなっている、ここも削除されるとか書いてある
科学技術というのはもともと両側面があった、それは人間の歴史が始まって以来そうだったのである、石器を発明すればそれは強力な殺傷武器となり大きなマンモスでも倒すことができて人類は増えたし世界中に広がった
それで最近はマンモスを追って日本へシベリアからやってきたブリヤートが縄文人だったとかいう説がでてきている

石器の発明はまさに画期的なことでありそれは原発とは比べようがなくても同じ性質のものだったのである
なぜならその石器は平和的に使えば強力な生きる手段となる
でもそれを悪として利用すれば人間でも殺すことができるし現実にそうなった
原発でも同じである、それを平和利用すれば強力な生活の手段になるが悪く利用すれば今度は石器のようにはならない、人類が滅亡するほどの協力な武器となる
また今回の事故のように平和利用でも事故になればもう人間は住めなくなる
平和利用でも原発事故で人類は滅びる恐ろしいものだったのである
つまり文明の発展とは逆に大量殺戮の時代でもあった
強力な科学技術兵器がそれを可能にしたからである

1958年はまだテレビは普及していない、白黒の小さいものでありその時テレビの前に群がったことを覚えている、つまりテレビが出たときものすごい反響があった
みんな食い入るようにテレビを見ていたのである
だからテレビがその時放送の主流となっていったのである
その時はテレビの番組というよりテレビで映画のように動画が見れるということで大人気になったのである。
それまではメデアはまだ活字の時代であり動画は映画館で見るほかなかったからである
そして当時はまだ蒸気機関車でフィルムが運ばれてきていたのである
テレビは電波だからリアルタイムで報道できる、ニュースでもそうである
その相違は大きかったのである
人間は今何が起きているのかを知りたい、そのことでニュース番組が今でも視聴率が高いことでもわかる

いづれにしろ原発の危険性が無視された、そしてチェルルブエリで事故が起きたときも日本では危機感がなかった、ロシアはずさんなのだとか技術力がないのだとか日本は違うとか日本の科学技術力を自慢していたのである
だからこそ「安全神話」が作られていたからである。
人間はグロ−バル化しても国際化しても日本は外国のことに敏感にならない
スマトラ津波の時もあれも日本のように津波の備えができていなかったのだと言っていたそして東日本大震災が起きた、その時日本は津波の備えができていないので同じように信じられな被害になった

日本は島国で海外事情にうとくなる、そのことはこれだけ情報化しても変わらないのかもしれない、陸続きでないということは常に外国に対して危機感がもていなのである
外国がいつ攻めてくるかわからないという危機感を持てないのである
外国を知らないから島国で誇大妄想的にもなる、奢りにもなる
それが太平洋戦争の敗因にもなっていた、インパール作戦では突然大河が現れそれにはばまれて苦しみ敗北したとかある、日本にはそうした大河がないからそうなった
予想もつかない事態に地理に遭遇して敗北したとなる

そもそも日本が地震国で災害多く津波もあるという自分の国のことを考慮しなかった
そして安全よりまずアメリカの押し付けとか正力松太郎の野望の道具として原子力が使われたりしていたのである。
その動機が不純だったのである。自分の野望の達成のためとかなればそれは日本国民を無視したものだからである、そういう不純な動機にも問題があった
原発はそういうものでなく国の運命を左右するようなものだった
そして50基もの原発が日本に作られた、そして地震が最近頻発しておびえていなければならないのだ
その最初の責任の発端は正力松太郎にあったとなる
この人が力を持ったのはメデアをテレビで放送できたからである
それで読売巨人軍が大人気になったのもテレビ放送ができるようになったからである
ともかく戦後十年すぎて60年くらいはテレビの時代だったのである。
みんな茶の間でテレビを見ていることは影響が大きかったのである

だから不思議なのは今茶の間でyoutube見ていることである
ええ、誰でもテレビ放送できるのとなる、それが結構見ているのはやはり動画だとわかりやすいからだと思った、文章だとわかりにくいし大衆は読まないからである。
ただより深く知るには文章なのである
でも映像の力は本当に大きいなと実感する、その宣伝力も強大なものとなる
だからこそマスコミが大きな力をもったのが20世紀だった
ナチスが生まれたのはラジオだったという思想家がピカートなどがいた
テレビの前はラジオだったのである、子供の時は粗末なラジオがあるだけだったのである飯台一つにラジオがあるだけの生活だったのである
ラジオにもそんな宣伝効果があったとしたテレビの映像がどれだけ庶民に影響してかおしてしるべきである。

テレビによって世論が形成されたし政治家でもテレビで有名になった人が司会者とかが参議院選挙とかでトップ当選したのはテレビでなじみになっているからその影響力が大きいから有名人となりあれだけの票を集めたのである。
それは本でも「冠婚葬祭」とかの本がベストセラーになり百万部売れたり芥川賞の「あかづきちゃん気をつけて」などが売れたのは宣伝力だった
中味はどうでもいい、それを本屋の目立つ所に置くだけで売れた
なぜならそもそも本屋には本の数はその時でも膨大なのにわずかしか置いていなかったからである、本屋に置くだけで目立ったから売れたとなるのだ
今は情報化社会になると目立つことがむずかしい、様々な情報があり容易に個人でもテレビ放送できる時代になったからである
一局のテレビ放送から千局万局の放送となったらもうある一つのものが目立つことはできなくなったのである





posted by 老鶯 at 09:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連