2018年09月07日

ミャンマーが中国人に席巻される (マレーシアのジョホールバルは姉が従軍看護婦で4年過ごした地)


ミャンマーが中国人に席巻される

(マレーシアのジョホールバルは姉が従軍看護婦で4年過ごした地)


大陸・中国からの大量移民が、ミャンマーの伝統文化、歴史的価値観を軽視し、中国の文化、伝統を押し付ける事態に発展しているからだ。

 今では、毎朝、旧王宮の美しい壮大な堀のある街の中心部で、太極拳の練習をする中国人が大挙し、大音量の中国の音楽が鳴り響く。天空のミンドン王におかれては、さぞかしお悩みのことだろうとお察しする。

 結局、古の王都は、現在人口120万人ほどだが、その半数以上に相当する約60万から70万人(中国人

前回、「ついに頓挫か 中国人100万人マレーシア移住計画」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53936)で、マレーシア第2の都市、ジョホールバルに移住計画を企ててきた中国が、マハティール首相の誕生で苦境に立たされている様子をお伝えした。


東南アジアの歴史は戦争の時日本が深くかかわった
この記事で注目したのがジョホールバルである
シンガポールの対岸にありシンガポールは昭南島と戦時中言われていた
イギリスが支配していたときジョホールバルには赤十字の病院がありそこを日本軍が落としたことは大きな戦績であり西欧列強に勝ったことで記念すべき戦いだったと評価するのもわかる
東南アジアへの日本軍の拠点となったからである
ビルマへのインパール作戦などもイギリス軍を日本軍が追いやった結果としてビルマが最前線になった、日本はビルマまで侵攻することはできなかった

そのことをジョホールバルで四年間従軍看護婦として姉が死に物狂いで青春時代を過ごしたのでそのことが認知症になっても忘れることができなかった
そして死ぬ間際までその戦場のことを語りうなされるようにして死んだのである
最後は千回くらい同じことをしゃべりつづけたのである

東南アジアというときカンボジアに行ったがアンコールワットの壁には中国人の兵隊が彫られている、その時から中国人は関係していたのである。
カンボジアでは中国人がバイクを貸してカンボジア人を使っている
格安で5ドルくらいで雇っている、なぜならバイクを貸しているからである
つまりそこで中国人は資本家となっているからである
その時経営がわからなくてももし金があれば資本があればバイク十台くらいでもそれを貸せば安く地元の人を雇って経営者になれるとも思った
それくらい物価が安いのである。カンボジアは今でも十分の一くらいで安いのである
そしてそこの宿にもビルマ人がヤンマー人がいたのである

ともかくジョホールバルというとき日本が戦争でイギリス人を追い出したことから始まっている、イギリス人でもオーストリア人でも捕虜になったから今でも恨んでいる
日本はアメリカと戦争しなければ負けることはなかったのである
そして今は中国人が経済的に発展して東南アジアを席巻する、もともとベトナムでも漢字を利用していたとかあり中国は常に影響していた地域である

それにしてもミュンマーでも

古の王都は、現在人口120万人ほどだが、その半数以上に相当する約60万から70万人(中国人

それにしても多すぎるのではないか?
中国人に国がのっとられるてしまうのか?それだけ中国の力が強くなっているのだ
日本だって沖縄辺りが中国人にのっとられるとかなる
それを沖縄人は望んでいるのだとかも言う
中国がこのまま巨大化するとどうなるのか?それは日本でも大きな問題となる
アメリカは衰退しているから中国が次の支配者となるとか騒がれる
ただインドが経済成長してくると対抗する勢力となる

いづれにしろネパールも一時イギリスに支配されたから英語を話す人がいる
東南アジアでは英語が話す国が多いのはイギリスに支配されたからである。
インド自体がそうだったからである

今日本の企業がベトナムに進出している、中国は物価や人件費が高くなりすぎたからである、つまりまだ遅れているのはミャンマーとかネパールは最貧国なのである
ベトナムもそうだったがだんだん豊かになってゆくだろう
貧乏な国とはグローバル経済では工業化できない国なのである。
中国は工業化に成功したからこそ経済成長して巨大化したのである

東南アジアではタイとカンボジアには行ったがマレーシアのジョホールバルには行っていない、それが失敗だった、それから介護十年とかで海外も日本でも旅ができなくなったからだ
だからジョホールバルには姉があれほど語っていたから行ってみる義務があるようにも思えるから行きたいのだがなかなか今度は前のような気力がでてこないのである
そして暑い所が苦手になったのだ
でも短い期間で行けば行けないことはないかもしれない、それは何か自分の義務のように感じているからである
姉の場合戦争に負けてからもジャングルに逃げたとき最も辛酸をなめたのである
食べるものないとか苦しんた、ジャングルに逃げて日本兵が生き延びた
その苦しみはもう想像を超えているのである
posted by 老鶯 at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

実り(近間を回る)


実り(近間を回る)

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朝風に風車の回り実りかな

墓もうで深野に休み実りかな

めぐれるや長野深野の実りかな

珍しき蝶のとまるや森の道

前畑に落ち着く菊や古りし蔵

一本の松の変わらず秋の蝉

森に鳴く蝉の余韻や夕暮れぬ


右田の風景は変わった、前は「故郷は実りに松に漁の船」となっていた
松と実りと海に漁師の船がでているという風景だった
それが今や風力発電の風車が回っている
これもこの辺の風景としてなじむのか?
風で回るから自然の影響があって電気が起きていることは意識する
すると何か自然と融和しているのかとも感じる

風車はここだけではない、どこでも設置された、そして台風で倒れたのもあった
だから意外と日本では災害が多いからソーラーパネルでも壊されるということがある
日本は災害の国である、原発でも地震とかで北海道で電源が予備の電源になったり怖いのである、東日本震災以来本当に日本は災害の国だということをみんな意識したのである
だから原発など日本に向いていなかったのである

今日は深野(ふこうの)の方をまわり橲原に出て帰ってきた
大原から橲原の道は森の道である、あそこは車がまれにしか通らない
考えてみるとあそこになぜ道を作ったのかともなる
飯館村でも前にも書いたが大倉から坂を越えた共栄橋があるところの道は森に隠された秘境の道だった、それも原発事故前に道にして消えた
何か公共事業として必要でなくても道を作ることがある

なぜそうなのか?田舎では土木建築関係の会社が多いからである
それで今回の津波原発事故では特需のようになり仕事が生まれて土木建築関係は豊かになった、一時は仕事がないと倒産するとか減っていたが持ち直したのである
相当に金が入った土木建築関係者がいる
補償金をもらってさらに仕事で収入があった人もいたからである 

田舎だと蔵ある家は普通にある、蔵があると何か違っている
それは古い家だと見るからである。そして蔵があると落ち着くということがある
ただ今は蔵はそんなに利用していない、原町で見せてくれた蔵には孫の写真が飾ってあるだけだった、ただ蔵には古い農家だと郷土史の資料になるようなものが埋もれている場合がある

一本の松というとき小島田から金沢へ坂を上る所の池の岸にある
でもそこも池あるとしても変わってしまった
ソーラーパネルになったり廃棄物の処理場とか家も建ったので変わってしまった
あそこはいつも通るので気になる場所だったのである
ともかくこの辺は変わりすぎたのである
だから変わらないものが貴重になったのである

深野(ふこうの)はこれも実際はありふれた名だけど地名の名の影響もある
長野と深野はつづいているからどこが境かわからない
ただ大原にはソーラーパネルになったり田んぼも荒地になっているのがほとんどである
長野深野は実りがあった、この辺は放射性廃棄物の置き場になったところがまだある
それはいつかたづけられるのか?景観として良くないのである
荒地になっているのが良くないのである、田んぼにしなくても何か荒地を利用する方法があってもいいと思う
ただソーラーパネルになるのは土地を貸しているだけで金がもらえるとなるからもう田んぼでもめんどうで金にもならないとなると土地利用のためにそうなる
それは土地をもっていれば所有権があり何に使ってもいいとなるからだ
だからこの辺では荒地化したところはソーラーパネルになりやすいのである

まだ夏のかもしれない、今日だって蒸し暑い、だから秋になっているのだが秋の蝉という感じでもない、やはり気候がおかしくなっているから俳句が季語の芸術だという時それが狂ってしまうのである



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