2018年09月02日

ツングース系の言葉がオーストロネシアとの合成したのが日本語 (それは日本語を解析すればわかる)


ツングース系の言葉がオーストロネシアとの合成したのが日本語

(それは日本語を解析すればわかる)

 この形 態 はkalai「 犂 」、kal「 刀 」 と も直接 関係 してお り、 日本語 、ア ル タイ 諸 語 との 関係 も深 い と考 え られ る。 そ の 関係 は農 耕 文 化 と の 関連 で あ るが 、 狩 猟 や 遊 牧 を主 とす るア ル タ イ 系 民 族 の
諸 言 語 に も比 較 可能 な語 が存 在 して い る こ とは この 語 自体 が 借 用 で あ る可 能性 もあ る。


 日本語 のツングース的要 素はオー ス トロネ シア系言語 が全盛 していた 目本列島に主 に後来 のツングース系言語 に交代す るこ とで混成化 し、その ときに先来のオース トロネ シア系言語 の形 態 ・統語 の部分の ほ とん どがツングー ス化す る と同時に本 来の基礎語彙の一部 もツン グー ス化 して 日本祖語 ができた とす る。その よ うに考 えたとき始 めて、 日本語の中にツングース
系語彙 が多 く存在す る原 因が理解で きる

高句麗 の地名 か ら高句麗語 と朝鮮語 ・日本語 との史的 関係 を さぐる

セレンガ川やバイカル湖畔の周辺から来たとする仮説を2人のソ連人(ロシア人)学者が唱えた。モンゴル系民族、テュルク系民族を合わせたアルタイ系民族の祖地もこの辺りと考えられる。
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日本語の起源 (狩猟民と農耕民の言葉がまじりあったものか?)の続きだけど日本語の起源をたどる方法はまず日本語である
日本語を今も日本人は使っている、だから言語の起源を探るには日本語を解析することである

それでエとつくのが蝦夷(えみし、えぞ)とかなるがこのエは獲物(えもの)とかなる
そして狩りという言葉は刈りにもなる、狩猟民の言葉なのだが農耕民の刈るという言葉にもなる

kalai「 犂 」、kal「 刀 」 と も直接 関係 してお り、 日本語 、ア ル タイ 諸 語 との 関係 も深 い と考 え られ る

狩りと刈るは一体化したことはもともといた縄文人やツングース系の人々が入る前にいた人たちはいたとして刈る(かる)はその人たちの言葉ではない
でも高句麗とかを通じてツングース系の言葉が入ってきて狩りは刈るとなったのである。狩浜というのもそうである、ただkalは犂とか刀との意味である時農耕とも関係していたのである

ただ日本語では刈るとは草を刈るとか稲を刈るという意味であり犂とか刀とはなりえないただツングース系の人が入ってきて狩りが刈るとなって日本語となった
ツングース系の言葉はアイヌ語にもその痕跡を残している、アイヌ語もツングース系の言葉の一部なのかとなる
縄文語が何かというときオーストロネシア語とツングース系の言葉の合成語だとなる
それは縄文人の採集とか狩猟とかの生活形態から蝦夷とはエミシとかエゾとはツングース系である、アイヌもそうだからである
確かなことは縄文人はオーストロネシアの言葉をしゃべっていた
次に農耕民や弥生人が入ってきたのではなくツングース系が入ってきた、なぜならツングース系とかは古いからである、農耕は新しい技術であったからだ
狩猟とか採集は縄文人の生活でありツングース系の人たちと似ていたからである

日本語 のツングース的要 素はオー ス トロネ シア系言語 が全盛 していた 目本列島に主 に後来 のツングース系言語 に交代す るこ とで混成化 し、その ときに先来のオース トロネ シア系言語 の形 態 ・統語 の部分の ほ とん どがツングー ス化す る と同時に本 来の基礎語彙の一部 もツン グー ス化 して 日本祖語 ができた とす る。その よ うに考 えたとき始 めて、 日本語の中にツングース系語彙 が多 く存在す る原 因が理解で きる

この指摘が当たっていた、それは私は別に言語学に詳しい訳ではない
ただ日本語の謎に興味があり日本語なら今も日常的に使っているからか解析しやすい
普通は別に日本語そのものもを解析しては使わない、でも自分たちの使っている言語を起源をしることはやはり民族のなりたちを知ることで大事である

海(うみ)という言葉はもともとオーストロネシアではうむでありツングース語ではミ(水)である、それが合成すると海(うみ)になる
海はまさに命を産む場だから意味としてもわかる、二つの言葉が合成したものなのであるただ海をワタともいう、これもツングース系でアルタイ語で共通性がある
古代ではワタというとき大海や大洋のことであり海(うみ)はむしろ湖(みずうみ)となり湖水を言っていたのである。それが混同されたのである。
中国の大陸には大きな湖がある、それはまさに海のようになっていたこともあるのかもしれない。

ワタというとき綿の漢字にこだわると見えてこない、綿は海とは関係ない
渡る(わたる)のワタなのである、ワタルが基でありそれが名詞化したのだ
こういうことは日本語に多いのである。動詞が名詞化する、これも日本語の他にない特徴である、英語だと名詞が動詞化することが多い、mountain→mountained stone →stonedとかなる、日本語は動詞が名詞化する

春は張りであり張るになる、張るという動詞が春という名詞になった、夏はなづむでありなづむが夏(なつ)になったのかもしれない
秋はあきなうであり商うが秋になった、冬は(ふゆ)であり増えることから名詞化したのである冬が増えるということは不思議に思うが畑では冬は農作物をかえって栽培しやすいというときそれと関係している、冬の方が農作物をふやしやすいから農民の生活感覚から生まれた言葉だとなる、秋も商うとすればそうである
まず言葉でも詩的な言語でも最初はそうして実生活から生まれたからそうなる
こうした農耕関係の言葉はオーストロネシア語が基本になっているのかもしれない
ただ南方だとすると根菜類は栽培するにしても冬がないからどうなのかともなる
ただ日本語の起源を探求する時に動詞が名詞化していることに注意して分類するとわかりやすいかもしれない、つまり日本語の起源はわからないにしても現実に今も使っていることでこじつ,けがあっても研究しやすいのである
何か研究する対象が残らないともうお手上げだとなるからだ

不思議なのは狩りとあるとしたら借りると共通である、狩りから借りるという言葉が生まれたのか?何の関係もないのか?
狩りをするとは動物を殺すことであるからそれが神から借りたものとして意識したのか?アイヌの熊祭りでは人間界に熊が遊びにきて肉を与えてくれる、それでまた神に返すということで祭りになる、聖書の思想でも何でもこの世の一切のものは神のものとしている
だから土地でもなんでも神から賜ったものであり返さねばならない
何一つ人間の所有するものはない権利はないとしているのである
ただ神から借りて使用さこせてもらっているという思想が人間社会にはあった
食べるというとき賜る(たまわる)であり食べるは賜ぶ(食(た)ぶ)であり食う(くう)は咥える(くわえる)だからまるで違った言葉なのである
たまわるとかなるとそれは神を自然を意識しているからである
狩りでも借りるでも食べるでもそこには人間の根源的な営みがありそれで神とか自然とかを意識していたともなる、ただがつがつ食べるとしたらそれは動物だとなるからだ





日本語の起源 (狩猟民と農耕民の言葉がまじりあったものか?)


日本語の起源

(狩猟民と農耕民の言葉がまじりあったものか?)

日本人起源説として最近バイカル湖畔のブリヤートが顔が似ているのと遺伝子に共通性があるとして注目されている、マンモス追って北海道に渡ってきた人たちだという
それは二万年前だが4万年前に南方から船で渡ってきた人たちの説がある
あとは朝鮮半島経由で渡ってきた人たちである

なぜ日本語の起源が解き明かされないのか?
それは日本語が相当に古いし日本民族の起源もまた何万年かとさかのぼる古い民族だからである、そのために言葉も古いからである

これも仮説だがどうしてもこじつけになるが前にも江(え)の地名の不思議で書いた
なぜか(え)とつく地名が海岸線に多い、この辺の海老はエヒであり海老のことではない蝦夷(えみし)にもエがつく、このエとは何なのだろうとなる

える(得る、獲る)とかあてられる、これは英語のgetと同じように基本となる言葉である、動詞である、える→獲物になる、得たものが獲物なのである
これは狩猟民の言葉なのである。
だから縄文語は狩猟民の言葉でありそこから言葉を考察する

例えば狩り(かり)とは狩りすることだがここから刈るということに変わる
狩浜(かりはま)とかあり魚をとることも狩りだった
もともとはマンモスを狩りしていたとして魚をとるときも狩りすることと同じなので狩浜となったともとれる
つまり狩りというとき魚をとることが先にあるのではなくマンモスがいたとしたらマンモスを狩りすることからその言葉がうまれて次に魚をとることにも利用されたとなる

ただ文法としては英語だったら印欧語だったら最初に主語がきて次に動詞がくる
それは狩猟民とか牧畜民の生活からそうなった、でもアジア系は主語の次に動詞がこない

私は森の中にいる鹿を狩りする   

I hunt a deer in the forest

英語だと動詞が最初にくるが日本語だと風景がきて獲物をとるとなる
それはなぜなのだろうとなる、ここに自然でも外界でも意識する差がある
森とかに囲まれて住んでいれば森というのを最初に意識するからそうなるったのか?
平原のようなところだと最初に動くものが目につくからそれを追いかける
でも森とかが豊かにある世界では最初に目につくのは森だから森がくるのか?

ともかく文法にしても日本語は英語など印欧語と違う、中国語も主語の後に動詞が来る
同じ狩猟民の言葉でも違っているとなる

エの言葉が基本にあるとするときイ−エ(家)はどうしてこうなったのか?
エは獲物(えもの)であり獲物を置いておくところが家(イーエ)となったのかもしれない、ただ南方語ではイは接頭語になる、これは南方特有なものである
日本語には接頭語がついた言葉が多いのである
ということは北方の狩猟民の言葉と南方語が合体したのが日本語なのかとなる
不思議なのは森(もり)ともるとかもりあがるとか朝鮮語らしいとなるときではなぜ森だけが朝鮮語なのか?
朝鮮系統の人たちが入ってきてその言葉が生まれたのかとなる

日本語の成り立ちが相当に古いというときアイヌ語も謎だがアイヌ語よりずっと古いとなる、だからこそアイヌ語は縄文語より新しいから連続性がなく比較的新しい民族だともなる、それは謎にしても今使っている日本語とアイヌ語は違いすぎるからわからない
朝鮮語にしてもそうである、わずかに共通語があるとしてもほとんどないに等しいのである、ではどこの言葉と共通性があるのか明確にならないのである

ただエに注目するとこの辺で江垂(えたり)という地名がある
それは実は津波でわかたっように6号線まで江垂でありそこまで津波が来ていたのであるとすると江垂は江というのは獲物の江であり江というのはただ当て字である
獲物のとれる所に江という地名がついたのかもしれない、なぜなら獲物をとることが人間にとって一番大事な場所であり重要なことだからである
日々獲物をとることで生活しているからである。
つまり江垂とは獲物が足りる場所だったともなる
それを後から地名伝説でこじつけた説明をしたからさ地名伝説はあてにならないのである

不思議なのは植える(うえる)という言葉がありこれはウ−エるでありエにウが接頭語としてついたものなのである。
もともとは狩猟民の獲るが植える(うえる)になったともとれる
これは接頭語ではなく生む(うむ)と得るが合体した言葉ととるのが理屈に合う
生む+得る=うえるとなった
海(うみ)はうむ+み(みず)となる

なんらかで南方系統の言葉と北方系統の狩猟民の言葉が結びついてそうなったのだろうか日本語の謎はこうして合成語のためなのだがまたその基本語となるものが他の言葉にないからである
ただ狩猟民の言葉が基本にありそれに南方からまたは農耕をもたらした人たちが一緒に住んで合体した言葉となった
ただいくらでも言葉でも地名でもこじつけできるから言葉だけからでは証明できない
考古学とか遺伝子とかいろいろな分野の人たちが研究してそれでその謎を解く
ただ日本語はもし二万年であれ4万年前であれ使われていたものが今も使われているとなると他はみんなすたれても継続しているものだから興味をもつのである。