2018年09月29日

故郷やの俳句鑑賞 (故郷は原風景としてあり津波で右田の松原は消失した)

     
    故郷やの俳句鑑賞
    
    (故郷は原風景としてあり津波で右田の松原は消失した) 
    
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故郷や晩菊そえし古き松

故郷や松に実りに漁の船

故郷や木の根元に虫の声



旧里や臍の緒に泣く年の暮    松尾芭蕉

(ふるさとや へそのおになく としのくれ)

故郷やどちらをみても山笑ふ:正岡子規。

古郷やよるも障るも茨の花  一茶

故郷や酒はあしくも蕎麦の花 蕪村



これは芭蕉が、ふるさと・伊賀上野に戻った時の句。
紀行文「笈の小文」に登場する。
年の瀬の帰省である。
ふるさとに残って家を継いでいる長兄から、母が大事にしまっておいた、芭蕉の「臍の緒」を見せられた。
  
故郷とは何か?それが津波や原発事故で避難したりして問われた
故郷を離れ他郷に住むことを余儀なくされた
故郷自体が無人化して消失する危機にもなったし今でも帰らない故郷となっている人が多い、故郷とは何かということで哲学的にとかいろいろ探求してきて書いた

芭蕉の句は母を思う親を思う場が故郷だという句である
子供の時故郷で両親の元で育つ場が故郷なのである
一方で一茶は継母に育てられたり村人うとまれたりいじめられたりといいものはなかったそれも故郷なのである

正岡子規となると故郷はいいものだった、肯定になる
蕪村は食べ物で故郷を思う、蕎麦の花というとき蕪村は農村出身であり農家の出らしいからそこで蕎麦というのが原風景にのようになっていたことがわかる
故郷の酒はまずくても蕎麦はうまいということかもしれない

私が故郷という時も故郷はそれぞれの原風景なのである
両親の愛のもとで育てられたものとしてあるのも故郷である
ただ一茶のようにそうして継母に育てられたら両親の愛がないから故郷を嫌悪するようになった、そういう人は確かにいる
故郷は全部肯定できるいいものとしてはない、なぜならそこに人間の醜さが露骨に現れやすいからである、田舎の人が素朴な時代はとっく終わっているからだ
やはり欲が深く金を追求しているのは全世界でもう同じなのである

今はホームページの方の俳句日記を整理した
2001年頃から書いていた、もう20年前となるから時間が過ぎるのが早い
そんなに過ぎてしまんたのかとなる
その時は津波もないし原発事故もなかったからもともとあった風景は400年とか変わらなかったのである、右田の松原は江戸時代からあったらしい
だから松が太くいい松だった、松川浦の松と細いから年数がたっていない
いつも右田の松原に行っていた、それは故郷の原風景となっていた

秋には実りがあり黄金色に染まり松原がある
写真には松原と晩菊が映っている、その菊は野路菊とかあつぼったいものであり普通の山城菊とかとは違う種類である
この松がなくなったことは信じられない、松原がなくなったことは信じられない
それは故郷の原風景が全く消失したことだからである
海老村も右田村も烏崎村も津波で消失した、何もない、右田では当時を偲ぶものはなにもない,高い土盛りした防波堤と風力発電の風車が回ってソーラーパネルの風景となってしまった、何か工業地帯のようになってしまった
火力発電所ができたときも原風景は壊された
でも右田の松原がまだ残っていたから松は活きていたのである
それが根こそぎ津波で流されて残っていて一本松も枯れてなくなった
本当に右田の松原を知らない人が生まれて7年とかなる
もうそれを知ることはできない、つまり津波以後の世代は全くここにあった松原をイメージすることもできなくなったのである

ともかく故郷は原風景だというとき風景と生業が一体となったものが故郷である
その原風景が消失したのである、この変化はあまりにも大きいのでとまどう
ありえないことでありどう心の中で消化していいのかわからないのである

  俳句日記(2001−2005)

2018年09月30日

日本の地方の自治体の依存体質(原発事故の原因) (日本では自治体は市民共同体という意識が育っていない)

日本の地方の自治体の依存体質(原発事故の原因)

(日本では自治体は市民共同体という意識が育っていない)


ほとんどの先進諸国には、交付金制度に類似した財源調整制度があります。皮肉なことに、アメリカにはありません。そこでデトロイト市の破産が起こるわけです。

ただしアメリカの自治体は、警察、消防、都市計画などが主な仕事で、日本のように市民生活全体をカバーしているわけではありません。だから破産しても、パトカーが減ったり、街灯が点灯しない程度で済むわけです。

地方に原発を作ってしまえば、その地方は原発の補助金べったりになりますから、補助金を切られるとボス猿以下、生活が困窮してしまうので、何が何でも「お上」の言う事を聞かないといけない。例えその近隣地域の市民、市長が原発が危ないから止めてくれと言っても、

「いやいや、我々は補助金がないと生きていけないから、原発が危険だろうが何だろうが原発を維持します」


社会というのはどこの国でも歴史的に形成されている
だから社会をみるとき同じ民主主義国だから同じだとはならない
アメリカでも歴史的に形成された過程を見ないとわからない
ヨ−ロッパでは都市が形成された歴史には都市が一つの国家となっていた経過がある
だから城壁をめぐらして他の都市から攻められるの防いでいた
そこに市民共同体というのが生まれた歴史的経過がある

日本にはそもそもそうした歴史はない、パスポートにcitizenという欄がありそこに所属する市を書かされる
これはやはり日本の感覚ではわからない、ヨ−ロッパの歴史から生まれたことなのである
つまり社会で歴史的に形成されているからそうなる
日本なら行政単位が村であり村が自治体の機能としてあった
治めるのは侍だけど村にはそれなりに自治体としての機能があった、ただそれは市民共同体とかとは違って小規模であり大きな政治機能は藩がになっていた
その藩とはお上のことでありそれに従うということで成り立っていた、そこでお上に従属するという態度が自ずと生まれた

アメリカや外国では政府のことを信用していないという
だから個人情報でもうるさい、政府に知られたくないとなる
日本はお上を信じて従う性質がある
そもそもアメリカでは西部劇でもそうだがインディアンが住んでいて無法地帯に牧場とか作る
でも守る者はいないから銃をもって自ら守る他ない
だからこそ銃社会になっている、そういう歴史があるからそうなったのである、日本では戦国時代が終わると刀狩りが行われて
治安が保たれたのである

アメリカの自治体は民間でするものが多いというときそもそもお上に頼ってやっけいけない歴史的なものとしてあるからだ
治安でも自分のことは自分で守らねば生きていけなかったからである、だからアメリカは個々人が自立していなければ生きていけない厳しい社会だったとなる

明治以降外国の制度とか思想を受け入れたとしても日本の歴史がありそれを変えることはむずかしかった
歴史的に形成されたものとしてあるものを簡単には変えられないからである、だから未だに日本社会はそういう体質なのである
日本は市民という感覚ももてない、自立して市民として社会を積極的に作ってゆくという感覚がともしい
そういう歴史的経過を経ていないからである
お上の力が強すぎるのもそうである
そうして原発でも安全神話が今のお上によって形成された
政府と官僚と大企業とマスコミとかが一体となり原発神話が形成されたのである
そして住民は補助金頼りになったのである

ただ不思議なのはでは過去の日本の村では自立心がなかったのか?
それがあったともなる、なぜなら村単位で自給自足の生活をしていたから東京からとか中央政府から地方交付税とかもらっていない、それぞれが地域で貧しくても自給自足の生活していたから
経済的にも自立していたから中央にも政府にも頼っていないから精神的にも自立していたというのも意外だとなる

富めりとも翁の身には知らざらん木の間のけむり絶えずのぼりて
(大和田建樹)

この短歌は富む人があっても翁の自分には関係ないことだ
自分はただ年老いても炭焼きして生活している、都会の人には頼らないという意味である
こういう自負があったことも不思議である
人間は貧しくても自立心というのをもてることがある
貧乏だと依存するとばかりみるがそうでもない
かえって豊かな生活をするために依存して自立心がなくなる
それが原発事故で判明した
豊かな生活をするために依存体質が自治体でも生まれていた
地方が補助金頼りだという時それはどこでも地方交付税の割合が大きくそれがないと運営できないからである
そこで自立心が失われお上の言いなりになるだけだとなる
経済的自立というのが大事だとなる
ただそうなると貧しくなるから誰も同意しないのである

現代はあまりにも贅沢な暮らしになれてしまったからである
その贅沢の味を覚えると減らすことができないのである
一旦うまいものの味を覚えるとまた食べたくなる
これは猫でも同じだった、魚を与えるとまたせびるからである
その味を覚えているからである
ただ自立というとき貧しくても自立することはできるということは知るべきである
かえって豊かになると贅沢すると自立心がなくなる
これを国家にすればもう石油がなければどうにもならない、死ぬほかない、戦争する他ないとしきりにいうときもそうである
でもぎりぎりになったら炭でも生活できるしそうしてきたのである、電気はここ50年くらいしか十分に使っていないのだ
戦後10年は裸電球一つしか家になく電気製品もゼロだったからである、戦前も同じような生活だったからである

今回の原発事故では地方自治体も問われた
富岡町長の5億円入っている金庫が津波で流されて探してくれと頼まれたとかも噂でもそうである
原発にはそれだけの金が流れる、その後の除染作業とかでもそうである、何兆円のも金が湯水のように使われたからだ
地方公務員も批判の対象となる
地方公務員は優遇されすぎているのは本当だからである

普段まともに仕事もせず、市内のサービス残業やブラック企業は何ら知らぬ存ぜぬで通しているにも関わらず、税金だけは必死で集めようとする

こうなるのはわかる、自分たちの生活を優先するからそうなる
これは具体的でわかりやすい、江戸時代だった年貢を納めさせなければ侍の生活が成り立たないからそうなる
そういう体質は公務員に受け継がれているのである
公務員は何かと得するようにできているからである
国家レベルでも財政難を言って消費税を税金をあげようとするのもそうである
官僚とかは国民から税金をとり生活している、だから税金をとることには熱心になるからだ
だから今のような貧乏化する社会では公務員への反感が強くなるのである、官僚となると東電に天下りしたのが多いからである

自治体とは自ら治めるということてのだが実際はそうなっていない,中央に依存したり大企業に東電に依存したりと自主的な自立したものではなくなった
飯館村などはまでいな生活とかで炭焼きで自立していた村と多少はにていたが原発事故で破壊されて補償金をどれだけもらうかだけが関心の的ととなってしまった
飯館村は別に原発とはほとんど関係していなかったからだ
ただ原発は金になるから東電に働きに行っていた人はいたのである、そさだけ原発は事故前でも経済的影響が大きかったのである




posted by 老鶯 at 09:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

仮設暮らしは昔の長屋のようにいいものとしても体験した (かわいそうだけではなかった)


仮設暮らしは昔の長屋のようにいいものとしても体験した

(かわいそうだけではなかった)

 不衛生な環境でしたから、 子供がよく死にました。 統計はありませんが、 長屋では4、 5歳くらいの子供がよく死んだと聞きます。 長屋には年寄りも含めていろんな年代の人が住んでいました。 昼間に両親が働きに出ている間、 子供たちは長屋の老人たちとも自分の家族のように接して遊んでいたのです。 ですから子供が死ぬと、 長屋全体の悲しみとなりました。
死んだ子供のために大家さんが地蔵をつくってくれることも多かったようです。 

原発事故では誤解がある、津波と原発事故の避難者が混同されたのである
津波被害者は家族も失い、家も失い、住んでいる村とかさえ失った
その衝撃はあまりにも大きかったのである
そして仮設に住んでいたのは原発事故避難者と津波被害者が交わて住んだのである
原発避難者には手厚い補償金が支払われた
それで仮設で暮らす人を補償金がもらえない人はうらふましく思っていたのである
津波被害者は最も反発していたのである
その待遇の差があまりにも大きかったからである

だから何か外部から見たとき誤解がある、両方が一つのものとして見られた
それは原発避難者が圧倒的に多いということでもそうなった
そして原発避難者と津波被害者は違うのだが同じように見られた
ただ小高でも津波被害者はいたのである
両方の被害にあった人もいた

ここで誤解が生じたのは原発避難者が常にかわいそうだとされたことである
NHKでもマスコミでも原発避難者を応援する立場にたった
だから相馬市のトマト農家が飯館村の人を雇わないということをテレビで訴えさせたのである、全国で見た人は相馬市のトマト農家は冷たいというように見るようになった
これも原発避難者と津波被害者がいることによる誤解を生んだ
飯館村は原発とは関係なかったのだから特別同情があってもしかるべきであった
ただ相馬市には津波被害者が相当にいて苦しんでいたのである
補償金は相馬市では全くもらっていなかったからである
それで働かないで遊んでいる仮設の原発避難者を見て怒っていた人も多かったのである
この辺は複雑になって外からわかりにくくなっていた

でも仮設暮らしというのがそんなにひどいものだったのか?
部屋は確かに狭いし長屋のようになって隣が気になって嫌だということがあった
でも人間の生活は悪いことがあっても同時にいいこともある
仮設で暮らしていた山の奥に住んでいた年配の女性は毎日会えるから楽しいと言っていた仮設に暮らしている人がみんな暗い顔していたのか?
明るい顔をしていた人も多いのである

それはなぜか?

原発避難者の場合かなりの額を補償金をもらった、一か月百万とかもらった人もいる
そこが津波の被害者との大きな差だった
一財産築いたという人もいる、あらゆることで補償金がもらえたからである
そして毎日のようにボランティアがきて炊き出しをしたり娯楽を提供したり何かとしてくれた、これも仮設暮らしをいいものにしたのである
その時仮設を提供した地域では補償金がもらかないから不満になっていたのである
特に津波被害者は同じ仮設に住んでもその差が大きいから怒りにもなっていたのである

私が仮設に住んでいる人と親しくしたわけではないが、暗い感じはない、何か明るい楽しい感じにも見えた、これは住んでいる人でもいろいろあるから誤解がまた生まれる
それは外部の援助とか応援が常にありボランティアが来ていたということも影響しているそこで皮肉なことに仮設暮らしの人は毎日パチンコとかギャンブルになっていてそのことでまた怒っていた
ただこれは行政の問題もあった、本当は地元の人が除染でも復興する仕事を与えてさせるべきだった、毎日ギャンブルをしている人をみたら回りでは不満になるからだ
行政というのも全く良いものとして働かなかったのである
第一働くと給料をもらうと補償金がもらえないというなれば誰も働かないからである

ともかく仮設がすべて悪いとはなっていてかった,外国の難民生活とはまるで違っていたからである
「私たちは消費して金を使って地元の人を助けているよね」と知り合いの女性が言ったときそうである、それは現代社会を反映したものだった
消費者は王様だとなっているから金を持っていればそうなる
だから地元で働く人がいても金をもっていればギャンブルして遊んでいてもいいとなる
でも周りからみればこれはなんなのだとなった
仮設暮らしは経験していないが何かそこにはいいものがあったことは確かである
それはみなんかわいそうな被害者として外部からも扱われたし補償金も多額だったからである
田舎では本当に明日食べるものがないとかガス電気がとめられたとか困窮している人がいた、その人は常に原発避難者をうらやましがって批判していたのである

江戸時代のことを興味がある、それで長屋の暮らしとはどういうものだったのか?
引用したサイトでそのことを書いている
長屋では子供が多く死んだ、それは農村でも子供で死ぬのが多かった
そのために地蔵を作ったとなる、長屋でも京都辺りでも地蔵盆とかあるのはそのためだった、長屋は一つの家のようになり精神的連帯が生まれたから悲しみも共有していたのである、つまり長屋というのでも人間生活には悪い面があってもいい面も必ずある
時代でもそうである、江戸時代が貧乏だからすべて悪いとはならないし現代が豊かだからすべていいものとはななっていないことでもわかる

かえって現代はそうして長屋のような共同がなくなり精神的にも連帯がなくなったからである
長屋には何かそうした精神的連帯が生まれたのである
それで三陸辺りで津波の被害者が老人が仮設に住んで喜んでいたのである
それはそこに長屋の共同生活が生まれて一人暮らしでも気遣ってくれたからである
今老人は孤立化しやすいのである、社会でもそういう社会である
長屋では老人が住んでいるとしてそこに住んでいる子供は家族の一員のようになり老人も孤立しない、それよりその時代は老人といってもまた80歳とかの人はいないから別であるにしてもそこは一種の大家族のようになっていたから子供が死ぬと長屋のものみんなで悲しんでいたのである

だから誤解しているのは仮設の人がみんなかわいそうであり同情すべきだと強制のようにされた、NHKでもマスコミでもそのことでは一致していた
だから仮設を建てて受け入れた地元では批判することはできなくなった
南相馬市では小高と鹿島は反目するようになった
小高の人にすれば全国の人は遠くからかけつけて応援しているのになんなのだ
金の不満ばかり言っているとなり仲たがいするようになり分断されたのである
金になると人間はうるさい、それで飯館村でも補償金のことでもめて二つに分断したのである

外部の人でもボランティアでもかかわるとき地元の事情に通じるのはむずかしい
紛争地域でもそうである、そこに介入するとかえって悪く影響することもある
ボランティアはもともと行政がするものでありそれを無料で仕事させることを批判している人もいる
人間の世界の複雑さは善意をもっていてもその善意が思ったように通らないことである
その善意もは悪く作用することすら普通にある
善意でしたとしても迷惑な場合がある、障害者でも本当は自立したい、だから駅で盲人を手をとって電車に案内したとき嫌がっていた
その人は自分で電車にのれるからだ、ただドアをあけるくらいはしてもよかったが手を取って誘導するのは嫌がっていたのである、自分でできることは自分でしたいのである

ともかく仮設暮らしというのは外部から理解しにくい、でもそれが全部悪いことではなかった、いい面がかなりあった、それは今の社会が失ったものが再現したともなる
長屋暮らしは共同であり精神的連帯が生まれた
ただそれは仮設に暮らしている人たちの連帯であり仮設を提供した人たち地元の人はそういうことはなかった、そこには反目があった
ただ老人問題を考える時長屋暮らしというのが意外といいものだったということである
女性にとってもそうであり一人暮らしの老人にとってもそうである
毎日顔を見合わせて気遣ってくれるということがあったからだ

今の社会は本当に無縁社会とか孤立しやすいのである、そういうシステムの中で生活しているからである
一番の問題は何か物質的経済的にも精神的にも共同するものがない
そこに介在するのは金だけになってしまった、金さえあればいいとなる社会である
そこに人間と人間の関係も金だけの関係となってしまった
それが貧乏であっても江戸時代の長屋には共同生活がありそこで悲しみも共有されたとなる

ただ江戸時代でもこれも必ず誤解してみている、時代があまりにも違うから今からみるから誤解になる、そこで暮らしたら地獄だったともなるからだ
ただ仮設暮らしは悪いことばかりではなかった、いい面も多かったのである
それは特殊な状態が生まれてそうなったとなる
だから何かそこで原発避難者に対して過剰な同情が生まれたのも問題だったのである
でもマスコミでもNHKでも応援したから何も言えなくなったのである
今でもそういうことで反発しているからだ
そして南相馬市などで内部では分断されてしまったのである
それは飯館村でも他でもそうである、行政でも何かかかわり指導して働く必要があったが何もなかったことも問題だったのである

posted by 老鶯 at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連