原発が日本に作られた経過
(正力松太郎からテレビで宣伝されることで始まった)
原発はなぜ日本で50基以上も作られたのか?
地震国の津波もある日本にもたらされたのか?
それは政治的意図があり安全性より優先された
政治的意図とはアメリカの意向があった
日本はアメリカの従属国だから逆らえなかった
衆院議員に当選した正力松太郎・読売新聞社主とCIAは、原子力に好意的な親米世論を形成するための「工作」を開始する。原潜、読売新聞、日本テレビ、保守合同、そしてディズニー。正力とCIAの協力関係から始まった巨大メディア、政界、産業界を巡る連鎖とは
1958年ディズニーの科学映画『わが友原子力(原題Our Friend the Atom)』の放映、そして東京ディズニーランド建設へと続いていく。その連鎖の一方の主役が正力であり、もう一方の主役がCIAを代表とするアメリカの情報機関、そしてアメリカ政府であった。
正力松太郎は結局は総理大臣にはなれなかったが、初代科学技術庁長官に就任、
アメリカの原発製造企業(その多くは原潜や原子力爆弾、戦闘機なども
製造しているGE社などだった)から原子炉を購入して始まったのが日本の原発政策
だった。
原発には最初から不純な動機があった、安全性とかも追求されていない
湯川秀樹博士が原発は時期が早いとしてまだやるべきではないと言ったのは科学者として原発の危険性を知っていたし日本がまだ原発に対しては未知であり技術的に無理があったからである
ただそうした無理があっても強行されたのは個人的な欲と意図があったためである
そしてアメリカの意図もありマーク1という旧式の原子炉が与えられたのである
ここでメデアとかマスコミが原発の宣伝部隊となったのである
ここからすでにマスコミとかは事実だけを報道するのとは違う、明らかな意図があり放送する,だからこそディズニーの科学映画『わが友原子力』の放映をした
映画だと庶民に親しみやすいからである。
テレビでも親しみやすいからである、ただまだその時テレビは普及していない、だから映画だったとなる、アメリカではテレビで放送されていたのである
ここでその映画見られる、他では映らなくなっている、ここも削除されるとか書いてある
科学技術というのはもともと両側面があった、それは人間の歴史が始まって以来そうだったのである、石器を発明すればそれは強力な殺傷武器となり大きなマンモスでも倒すことができて人類は増えたし世界中に広がった
それで最近はマンモスを追って日本へシベリアからやってきたブリヤートが縄文人だったとかいう説がでてきている
石器の発明はまさに画期的なことでありそれは原発とは比べようがなくても同じ性質のものだったのである
なぜならその石器は平和的に使えば強力な生きる手段となる
でもそれを悪として利用すれば人間でも殺すことができるし現実にそうなった
原発でも同じである、それを平和利用すれば強力な生活の手段になるが悪く利用すれば今度は石器のようにはならない、人類が滅亡するほどの協力な武器となる
また今回の事故のように平和利用でも事故になればもう人間は住めなくなる
平和利用でも原発事故で人類は滅びる恐ろしいものだったのである
つまり文明の発展とは逆に大量殺戮の時代でもあった
強力な科学技術兵器がそれを可能にしたからである
1958年はまだテレビは普及していない、白黒の小さいものでありその時テレビの前に群がったことを覚えている、つまりテレビが出たときものすごい反響があった
みんな食い入るようにテレビを見ていたのである
だからテレビがその時放送の主流となっていったのである
その時はテレビの番組というよりテレビで映画のように動画が見れるということで大人気になったのである。
それまではメデアはまだ活字の時代であり動画は映画館で見るほかなかったからである
そして当時はまだ蒸気機関車でフィルムが運ばれてきていたのである
テレビは電波だからリアルタイムで報道できる、ニュースでもそうである
その相違は大きかったのである
人間は今何が起きているのかを知りたい、そのことでニュース番組が今でも視聴率が高いことでもわかる
いづれにしろ原発の危険性が無視された、そしてチェルルブエリで事故が起きたときも日本では危機感がなかった、ロシアはずさんなのだとか技術力がないのだとか日本は違うとか日本の科学技術力を自慢していたのである
だからこそ「安全神話」が作られていたからである。
人間はグロ−バル化しても国際化しても日本は外国のことに敏感にならない
スマトラ津波の時もあれも日本のように津波の備えができていなかったのだと言っていたそして東日本大震災が起きた、その時日本は津波の備えができていないので同じように信じられな被害になった
日本は島国で海外事情にうとくなる、そのことはこれだけ情報化しても変わらないのかもしれない、陸続きでないということは常に外国に対して危機感がもていなのである
外国がいつ攻めてくるかわからないという危機感を持てないのである
外国を知らないから島国で誇大妄想的にもなる、奢りにもなる
それが太平洋戦争の敗因にもなっていた、インパール作戦では突然大河が現れそれにはばまれて苦しみ敗北したとかある、日本にはそうした大河がないからそうなった
予想もつかない事態に地理に遭遇して敗北したとなる
そもそも日本が地震国で災害多く津波もあるという自分の国のことを考慮しなかった
そして安全よりまずアメリカの押し付けとか正力松太郎の野望の道具として原子力が使われたりしていたのである。
その動機が不純だったのである。自分の野望の達成のためとかなればそれは日本国民を無視したものだからである、そういう不純な動機にも問題があった
原発はそういうものでなく国の運命を左右するようなものだった
そして50基もの原発が日本に作られた、そして地震が最近頻発しておびえていなければならないのだ
その最初の責任の発端は正力松太郎にあったとなる
この人が力を持ったのはメデアをテレビで放送できたからである
それで読売巨人軍が大人気になったのもテレビ放送ができるようになったからである
ともかく戦後十年すぎて60年くらいはテレビの時代だったのである。
みんな茶の間でテレビを見ていることは影響が大きかったのである
だから不思議なのは今茶の間でyoutube見ていることである
ええ、誰でもテレビ放送できるのとなる、それが結構見ているのはやはり動画だとわかりやすいからだと思った、文章だとわかりにくいし大衆は読まないからである。
ただより深く知るには文章なのである
でも映像の力は本当に大きいなと実感する、その宣伝力も強大なものとなる
だからこそマスコミが大きな力をもったのが20世紀だった
ナチスが生まれたのはラジオだったという思想家がピカートなどがいた
テレビの前はラジオだったのである、子供の時は粗末なラジオがあるだけだったのである飯台一つにラジオがあるだけの生活だったのである
ラジオにもそんな宣伝効果があったとしたテレビの映像がどれだけ庶民に影響してかおしてしるべきである。
テレビによって世論が形成されたし政治家でもテレビで有名になった人が司会者とかが参議院選挙とかでトップ当選したのはテレビでなじみになっているからその影響力が大きいから有名人となりあれだけの票を集めたのである。
それは本でも「冠婚葬祭」とかの本がベストセラーになり百万部売れたり芥川賞の「あかづきちゃん気をつけて」などが売れたのは宣伝力だった
中味はどうでもいい、それを本屋の目立つ所に置くだけで売れた
なぜならそもそも本屋には本の数はその時でも膨大なのにわずかしか置いていなかったからである、本屋に置くだけで目立ったから売れたとなるのだ
今は情報化社会になると目立つことがむずかしい、様々な情報があり容易に個人でもテレビ放送できる時代になったからである
一局のテレビ放送から千局万局の放送となったらもうある一つのものが目立つことはできなくなったのである