2018年09月01日

最後に家族にも和解が来る (死んだ後の家族の不思議)


最後に家族にも和解が来る

(死んだ後の家族の不思議)

家族がみんな死んだけど今日は夢で父親と母親の夢を見た
父親はもう子供の時死んだから夢にみることはなくなっていた
もう実の父親でも先祖のようなものになっていた

でも夢を見たのは不思議である
母親が笑っていて父親と仲良くしていたのである
母は後妻であり問題があり父とは仲良くなかった

でも夢で見たのは父親は早く死んだのだが母親そのあと百歳まで生きた
父親といた歳月は10年ほどだった、その後の人生が長かったのである
でも今頃なぜそんな夢を見たのだろうか?
夢とは何なのだろうかとなる

夢はカルタシスなのかもしれない、夫婦がいたとして喧嘩ばかりして争ったり離婚するのも多い、すると子供は仲良くしてもらいたいとずっと思っている
そのことは大人になっても潜在意識としてつづく
そこで自分の場合もそういうことがあって母親と父親が長生きしてまだ一緒に暮らして笑っていた夢を見たとなる

ただこの夢を見た時、不思議なのは自分が救われたといえばおおげせだが何か肩の荷がおりた、ほっとしたという感覚になった
これも何とも不思議と言えば不思議である
カルタシスとは魂の浄化のことである、何かそういうことが夢を見て起きたのである
それはなんともいえぬものであり幸福感があった

自分の家は争いの家だった、でも最後に和解があった、ただ一人は和解しているかどうかわからないが恨んではいない、家族はみんな死んだ
人間は争っていても死後に和解がありうる
死が問題を解決することがある、生きているうちは解決しなくても死んで解決することがある

なにがそういうことが夢を見て起きたのかもしれない、なんとも不思議な夢だと思うからである
夫婦でも仲良く年取れば幸福であるがみんなそうにはらない、必ず争いが生まれるのが人間である

自分は家族では苦しんだ、最後は一人が認知症になり家族はばらばらになった
でも最後には死ぬときに正気にもどり和解があり死後にもあった
人間はどんなにしろ争いから逃れられない、家族でもそうだし共同体同士でも国同士でも争う、その争いはやむことがない、でも最後に和解が来る
ただそれは人類がハルマゲドンとかで滅んだ後かもしれない、人類レベルとなるとそうなる
ただ家族と狭い範囲の争いだと和解が来る、和解とは和になって解けることである
私が見た夢はまさ家族が和解した夢だったのである

悲しむ者は幸いである、神はその涙をぬぐってくれる、というキリストの言葉がある

この世には争が絶えない、そこで悲しむ泣く人は絶えないのである。
それは家族レベルでもあるし地域レベルでもあるし大きくは国レベルでもあるしそれが歴史だともなる
でも最後に和解の時がくる、争ったものが手を結び合うのである
ただそれが国レベルとかになると人類レベルとかなるともう人類が滅びる後だとなってしまう
ただ天国でそうして和解した人たちが家族を共同体を築いているのかもしれない
この世とはなぜ悲しむことが多いのか?そして解決しないのか?
人間はこの世でそうした負の部分を体験する、それは来世での天国を築くためだともなるそういう不和とか争いを心底経験するから来世での和解は本物となる
もしそれが安易なものとして和解ならまた争いになるからだ
もう争いたくないということを心底思えば本物に和解になるからである。

銀行がコメ・野菜づくり?  (三井住友、秋田、鹿児島銀が農業法人を設立した狙い)


銀行がコメ・野菜づくり? 

三井住友、秋田、鹿児島銀が農業法人を設立した狙い

メガバンクや地方銀行が農業参入を決めた背景には、企業の資金需要が伸び悩む中、コメの減反廃止を決めるなど政府が規制緩和に乗り出し、農業の成長力を高めようとしていることがある


銀行は何するところなのか?前は銀行に貯金していれば利子がついていた
それも7パーセントとか利子がついていた時代があった
だから貯金があれば利子で食べていけるとみんな思っていたのである。
その時は貯金の価値は高かったのである。

それはなぜだったのか?

今になると高度成長時代であり経済が好調だったからである。
それで銀行でも金を貸し付ける会社が多く会社ももうけるから銀行も余裕で利子をつけて預金者に払っていた、そして銀行は固い職業であり地域の就職先としては公務員と同等の安心した就職先だったのである
つまり銀行はたいして努力しなくても経済が好調ならもうかる商売だったとなる

銀行というのは社会でどういう役割を果たしているのか?
地元にあってもわかりにくい、金を集めてその金を何に使っているのか?
地元にその金を使って何をしようとしているのか?
それがわかりにくい、具体的にわからないのである。

銀行は金貸しなんだから金を貸さないでどうするんだと財務大臣に言われた
でも金を貸すにしてもそれがもうかるものでないと銀行は金を貸さない
確実にもうかるということでなければ損してまで金は貸さない
そんなことしていたら商売あがったりだからである

それで金貸す先がなくなり投資信託を売りつけるようになった
それはアメリカだと0.5パーセントとかである、日本では3パーセント手数料としてまずとるのである、そして絶対に銀行は損しない商売なのである
投資信託は損してもみんな客がその損を被るのである
そして銀行は全くの証券とかには素人だったのである。
自分は金融を扱うのだからプロだと思っていたのでまかせたのである。

普通は医者でも一応プロだからまかせる、手術するにもまかせる、そうするほかないからだ、銀行も証券のプロだと思ってまかせたのである。
なぜなら証券とか株に詳しくなることは素人では不可能だからである
それに時間も費やせないからである。じも素人でも株をしている人は四六時中パソコンの画面を見て売り買いしているのである。
そういう人こそ実はプロであり銀行員は素人並みだったのである。

それを証明したのがリーマンショックの時買った株が半分になったが上がってきたとき投資信託に回したからである。それはJ-リートだった
それをなぜそこに回したかというと担当の若い銀行員が投資信託のノルマを課せられているからである、投資信託を売れば銀行の利益になるからそれで上司に成績をあげたとなるからである、認められるからである
だから客のことなど全く考えていないのである。
手数料をとればいいしかない、それは郵貯でもしていた
それだけ投資信託は売る方にとっては確実にもうかり絶対に損しない商品なのである
株だったら確実に損する、でも投資信託は売る方で損しないのである

確かに銀行で農業に投資することはそれだけ成長産業が日本になくなったためである
農業は高度成長時代に低く見られるようになったけど最初はやはり農業は成長産業であり戦争の引揚者が土地を求めて辺鄙な所に開墾に入ったのである
それはこの辺ではいたるところにある、浪江の奥の津島ではそうだった
そこは苦労して開墾したから団結しているというのもわかる
ともに苦労した仲間だから団結がある
高度成長時代は最初は農業も成長産業だったのである。それで農家でも豊かになった家は結構ある、ただそこにも能力の差が出た
浪江の病室が同じだった人は広い畑で野菜を栽培して昔の平(たいら)に売って財をなして娘三人を大学に出したのである。
篤農家といかのは前らいて農業でも裕福になっていた人はいたのである。

銀行が農業が成長産業とみているというときまた製造業が衰退して日本の農業が外国よりいいものを作るということでもそうなる、品質がいいからである
でも東京の銀行員が実地に畑で田んぼで働くとなると容易ではない
こんなこと銀行に入ってするとは思わなかったともなる
事務とか金勘定が銀行の仕事だとも思っていたかもしれないからだ
銀行は土にまみれと汗だくで働くのとは違う、ビルの中でクーラーのついた所で金の計算をしているところでありきれいな仕事としてイメージして入ってくるのが普通である

現実に雑草をとっていたら足が痛くなって動けなくなったとか言っていた
玉ねぎも雑草のために3割くらいしか収穫がなかったとも言っている
知っている人が小さな畑で野菜作りしているのを報告したが肥料代、農薬代、種代、道具代からその他もろもろでその出費は大きい
そしてもらったのはキュウリ何本かだった、それはうまいものだったが一本一万以上したものだった、その他にもらえるものもとれていないからである。
ただ毎日キジに食われた、キジはうまいところだけ食うんだよとか、モグラに食われた、ネズミもでてくる、虫にやられたとか次から次と被害がある、盗まれるのもそうである
畑のものは盗まれ安いのである。
農業はそれだけ苦労が多いものなのである。

だからこそみんな跡を継がない、そして農業をする平均年齢が67歳くらいになっいてるその知っている女性も年であり病気もちでありいつも体が痛いとなって今度は仙台まで診てもらいに行った、その金を要求されるのである。
隣の畑は家の人に車でのせてもらって来ていたが這って農作業していたが遂に力尽きて耕作放棄地となり草ぼうぼうとなった
この辺ではこうして放射能汚染で草ぼうぼうなったところがまだ多いのである。
それはここだけではない全国的に問題になっているのだ

自分は変なのだが収益がないにしろ銀行のような役割を担った
金持ちだとするとその人は何か銀行とにてくる、金貸してくれとかもあり貸したりしたがその人は貸して返せないからくれると同じである
銀行とは何なのか?それは何か養蚕業で商売でもうけた人が銀行をはじめたのである。
金をもうけたからその金を使って貸してもうけようとしたのである。
だから金が蓄えられた人は資本家となり銀行とにてくる
銀行を金を集めを組織的にしているだけだともなる、単純に考えればそうである

では組織的に金を集めてそれをどうするのか?

それが問題なのである。それで国債を買って日本銀行から利子がついていたこともあったがなくなってマイナス金利となり銀行は苦しくなった
金を集めてもそれを誰かに貸してもうけられないからである。
それで銀行は窮地にたたされて全く素人の投資信託でもうけようとしたのである。
人間はおいつめられると善悪でも何でも見えないなくなる
今日食べるものがないとまではならないにしても追い詰められると何でもいいか金儲けしようとするのである
それは会社でも同じだったのである、それでスルガ銀行が不正していたことでもわかる
銀行は今追い詰められているから何とかして儲けようとして不正になる

ただでは農業に投資してもうけるとなると容易ではない、現実に雑草のために三割しか玉ねぎがとれなかったとういことでもわかる、農業はいろいろな作用があってむずかしいのである
でも金足農業が話題になったがそこでは女子も多いというとき今農業は人気がでているのだ、花栽培でも農業だし果物でもそうだしいろいろなものがありこれからの成長産業になりうるし地元志向だからいいともなる
それでも農業に銀行が投資するというとき銀行員も楽ではない時代になったなとつくづく思う、田畑で草取りして汗をかく,肉体労働者になる、これは楽ではない
つまり銀行は今や楽な仕事ではなくなった、肉体労働までさせられる
侍が農業するようになったのともにている、時代が大きく変わる時そうなる
そういう時代に適応できるかどうかは厳しいとなる
人間はどうしても楽な方に向かう、だからこそ投資信託という絶対に損しないものを売りつけるようになったからである。

posted by 老鶯 at 20:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2018年09月02日

日本語の起源 (狩猟民と農耕民の言葉がまじりあったものか?)


日本語の起源

(狩猟民と農耕民の言葉がまじりあったものか?)

日本人起源説として最近バイカル湖畔のブリヤートが顔が似ているのと遺伝子に共通性があるとして注目されている、マンモス追って北海道に渡ってきた人たちだという
それは二万年前だが4万年前に南方から船で渡ってきた人たちの説がある
あとは朝鮮半島経由で渡ってきた人たちである

なぜ日本語の起源が解き明かされないのか?
それは日本語が相当に古いし日本民族の起源もまた何万年かとさかのぼる古い民族だからである、そのために言葉も古いからである

これも仮説だがどうしてもこじつけになるが前にも江(え)の地名の不思議で書いた
なぜか(え)とつく地名が海岸線に多い、この辺の海老はエヒであり海老のことではない蝦夷(えみし)にもエがつく、このエとは何なのだろうとなる

える(得る、獲る)とかあてられる、これは英語のgetと同じように基本となる言葉である、動詞である、える→獲物になる、得たものが獲物なのである
これは狩猟民の言葉なのである。
だから縄文語は狩猟民の言葉でありそこから言葉を考察する

例えば狩り(かり)とは狩りすることだがここから刈るということに変わる
狩浜(かりはま)とかあり魚をとることも狩りだった
もともとはマンモスを狩りしていたとして魚をとるときも狩りすることと同じなので狩浜となったともとれる
つまり狩りというとき魚をとることが先にあるのではなくマンモスがいたとしたらマンモスを狩りすることからその言葉がうまれて次に魚をとることにも利用されたとなる

ただ文法としては英語だったら印欧語だったら最初に主語がきて次に動詞がくる
それは狩猟民とか牧畜民の生活からそうなった、でもアジア系は主語の次に動詞がこない

私は森の中にいる鹿を狩りする   

I hunt a deer in the forest

英語だと動詞が最初にくるが日本語だと風景がきて獲物をとるとなる
それはなぜなのだろうとなる、ここに自然でも外界でも意識する差がある
森とかに囲まれて住んでいれば森というのを最初に意識するからそうなるったのか?
平原のようなところだと最初に動くものが目につくからそれを追いかける
でも森とかが豊かにある世界では最初に目につくのは森だから森がくるのか?

ともかく文法にしても日本語は英語など印欧語と違う、中国語も主語の後に動詞が来る
同じ狩猟民の言葉でも違っているとなる

エの言葉が基本にあるとするときイ−エ(家)はどうしてこうなったのか?
エは獲物(えもの)であり獲物を置いておくところが家(イーエ)となったのかもしれない、ただ南方語ではイは接頭語になる、これは南方特有なものである
日本語には接頭語がついた言葉が多いのである
ということは北方の狩猟民の言葉と南方語が合体したのが日本語なのかとなる
不思議なのは森(もり)ともるとかもりあがるとか朝鮮語らしいとなるときではなぜ森だけが朝鮮語なのか?
朝鮮系統の人たちが入ってきてその言葉が生まれたのかとなる

日本語の成り立ちが相当に古いというときアイヌ語も謎だがアイヌ語よりずっと古いとなる、だからこそアイヌ語は縄文語より新しいから連続性がなく比較的新しい民族だともなる、それは謎にしても今使っている日本語とアイヌ語は違いすぎるからわからない
朝鮮語にしてもそうである、わずかに共通語があるとしてもほとんどないに等しいのである、ではどこの言葉と共通性があるのか明確にならないのである

ただエに注目するとこの辺で江垂(えたり)という地名がある
それは実は津波でわかたっように6号線まで江垂でありそこまで津波が来ていたのであるとすると江垂は江というのは獲物の江であり江というのはただ当て字である
獲物のとれる所に江という地名がついたのかもしれない、なぜなら獲物をとることが人間にとって一番大事な場所であり重要なことだからである
日々獲物をとることで生活しているからである。
つまり江垂とは獲物が足りる場所だったともなる
それを後から地名伝説でこじつけた説明をしたからさ地名伝説はあてにならないのである

不思議なのは植える(うえる)という言葉がありこれはウ−エるでありエにウが接頭語としてついたものなのである。
もともとは狩猟民の獲るが植える(うえる)になったともとれる
これは接頭語ではなく生む(うむ)と得るが合体した言葉ととるのが理屈に合う
生む+得る=うえるとなった
海(うみ)はうむ+み(みず)となる

なんらかで南方系統の言葉と北方系統の狩猟民の言葉が結びついてそうなったのだろうか日本語の謎はこうして合成語のためなのだがまたその基本語となるものが他の言葉にないからである
ただ狩猟民の言葉が基本にありそれに南方からまたは農耕をもたらした人たちが一緒に住んで合体した言葉となった
ただいくらでも言葉でも地名でもこじつけできるから言葉だけからでは証明できない
考古学とか遺伝子とかいろいろな分野の人たちが研究してそれでその謎を解く
ただ日本語はもし二万年であれ4万年前であれ使われていたものが今も使われているとなると他はみんなすたれても継続しているものだから興味をもつのである。


ツングース系の言葉がオーストロネシアとの合成したのが日本語 (それは日本語を解析すればわかる)


ツングース系の言葉がオーストロネシアとの合成したのが日本語

(それは日本語を解析すればわかる)

 この形 態 はkalai「 犂 」、kal「 刀 」 と も直接 関係 してお り、 日本語 、ア ル タイ 諸 語 との 関係 も深 い と考 え られ る。 そ の 関係 は農 耕 文 化 と の 関連 で あ るが 、 狩 猟 や 遊 牧 を主 とす るア ル タ イ 系 民 族 の
諸 言 語 に も比 較 可能 な語 が存 在 して い る こ とは この 語 自体 が 借 用 で あ る可 能性 もあ る。


 日本語 のツングース的要 素はオー ス トロネ シア系言語 が全盛 していた 目本列島に主 に後来 のツングース系言語 に交代す るこ とで混成化 し、その ときに先来のオース トロネ シア系言語 の形 態 ・統語 の部分の ほ とん どがツングー ス化す る と同時に本 来の基礎語彙の一部 もツン グー ス化 して 日本祖語 ができた とす る。その よ うに考 えたとき始 めて、 日本語の中にツングース
系語彙 が多 く存在す る原 因が理解で きる

高句麗 の地名 か ら高句麗語 と朝鮮語 ・日本語 との史的 関係 を さぐる

セレンガ川やバイカル湖畔の周辺から来たとする仮説を2人のソ連人(ロシア人)学者が唱えた。モンゴル系民族、テュルク系民族を合わせたアルタイ系民族の祖地もこの辺りと考えられる。
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日本語の起源 (狩猟民と農耕民の言葉がまじりあったものか?)の続きだけど日本語の起源をたどる方法はまず日本語である
日本語を今も日本人は使っている、だから言語の起源を探るには日本語を解析することである

それでエとつくのが蝦夷(えみし、えぞ)とかなるがこのエは獲物(えもの)とかなる
そして狩りという言葉は刈りにもなる、狩猟民の言葉なのだが農耕民の刈るという言葉にもなる

kalai「 犂 」、kal「 刀 」 と も直接 関係 してお り、 日本語 、ア ル タイ 諸 語 との 関係 も深 い と考 え られ る

狩りと刈るは一体化したことはもともといた縄文人やツングース系の人々が入る前にいた人たちはいたとして刈る(かる)はその人たちの言葉ではない
でも高句麗とかを通じてツングース系の言葉が入ってきて狩りは刈るとなったのである。狩浜というのもそうである、ただkalは犂とか刀との意味である時農耕とも関係していたのである

ただ日本語では刈るとは草を刈るとか稲を刈るという意味であり犂とか刀とはなりえないただツングース系の人が入ってきて狩りが刈るとなって日本語となった
ツングース系の言葉はアイヌ語にもその痕跡を残している、アイヌ語もツングース系の言葉の一部なのかとなる
縄文語が何かというときオーストロネシア語とツングース系の言葉の合成語だとなる
それは縄文人の採集とか狩猟とかの生活形態から蝦夷とはエミシとかエゾとはツングース系である、アイヌもそうだからである
確かなことは縄文人はオーストロネシアの言葉をしゃべっていた
次に農耕民や弥生人が入ってきたのではなくツングース系が入ってきた、なぜならツングース系とかは古いからである、農耕は新しい技術であったからだ
狩猟とか採集は縄文人の生活でありツングース系の人たちと似ていたからである

日本語 のツングース的要 素はオー ス トロネ シア系言語 が全盛 していた 目本列島に主 に後来 のツングース系言語 に交代す るこ とで混成化 し、その ときに先来のオース トロネ シア系言語 の形 態 ・統語 の部分の ほ とん どがツングー ス化す る と同時に本 来の基礎語彙の一部 もツン グー ス化 して 日本祖語 ができた とす る。その よ うに考 えたとき始 めて、 日本語の中にツングース系語彙 が多 く存在す る原 因が理解で きる

この指摘が当たっていた、それは私は別に言語学に詳しい訳ではない
ただ日本語の謎に興味があり日本語なら今も日常的に使っているからか解析しやすい
普通は別に日本語そのものもを解析しては使わない、でも自分たちの使っている言語を起源をしることはやはり民族のなりたちを知ることで大事である

海(うみ)という言葉はもともとオーストロネシアではうむでありツングース語ではミ(水)である、それが合成すると海(うみ)になる
海はまさに命を産む場だから意味としてもわかる、二つの言葉が合成したものなのであるただ海をワタともいう、これもツングース系でアルタイ語で共通性がある
古代ではワタというとき大海や大洋のことであり海(うみ)はむしろ湖(みずうみ)となり湖水を言っていたのである。それが混同されたのである。
中国の大陸には大きな湖がある、それはまさに海のようになっていたこともあるのかもしれない。

ワタというとき綿の漢字にこだわると見えてこない、綿は海とは関係ない
渡る(わたる)のワタなのである、ワタルが基でありそれが名詞化したのだ
こういうことは日本語に多いのである。動詞が名詞化する、これも日本語の他にない特徴である、英語だと名詞が動詞化することが多い、mountain→mountained stone →stonedとかなる、日本語は動詞が名詞化する

春は張りであり張るになる、張るという動詞が春という名詞になった、夏はなづむでありなづむが夏(なつ)になったのかもしれない
秋はあきなうであり商うが秋になった、冬は(ふゆ)であり増えることから名詞化したのである冬が増えるということは不思議に思うが畑では冬は農作物をかえって栽培しやすいというときそれと関係している、冬の方が農作物をふやしやすいから農民の生活感覚から生まれた言葉だとなる、秋も商うとすればそうである
まず言葉でも詩的な言語でも最初はそうして実生活から生まれたからそうなる
こうした農耕関係の言葉はオーストロネシア語が基本になっているのかもしれない
ただ南方だとすると根菜類は栽培するにしても冬がないからどうなのかともなる
ただ日本語の起源を探求する時に動詞が名詞化していることに注意して分類するとわかりやすいかもしれない、つまり日本語の起源はわからないにしても現実に今も使っていることでこじつ,けがあっても研究しやすいのである
何か研究する対象が残らないともうお手上げだとなるからだ

不思議なのは狩りとあるとしたら借りると共通である、狩りから借りるという言葉が生まれたのか?何の関係もないのか?
狩りをするとは動物を殺すことであるからそれが神から借りたものとして意識したのか?アイヌの熊祭りでは人間界に熊が遊びにきて肉を与えてくれる、それでまた神に返すということで祭りになる、聖書の思想でも何でもこの世の一切のものは神のものとしている
だから土地でもなんでも神から賜ったものであり返さねばならない
何一つ人間の所有するものはない権利はないとしているのである
ただ神から借りて使用さこせてもらっているという思想が人間社会にはあった
食べるというとき賜る(たまわる)であり食べるは賜ぶ(食(た)ぶ)であり食う(くう)は咥える(くわえる)だからまるで違った言葉なのである
たまわるとかなるとそれは神を自然を意識しているからである
狩りでも借りるでも食べるでもそこには人間の根源的な営みがありそれで神とか自然とかを意識していたともなる、ただがつがつ食べるとしたらそれは動物だとなるからだ





2018年09月03日

民族でも国でも衰退する時他国の他民族の侵攻を受ける (世界史の法則を知るべき)


民族でも国でも衰退する時他国の他民族の侵攻を受ける

(世界史の法則を知るべき)

もしもある民族がすでに活発さをを失っているならば、その民族は遅かれ早かれ必ず他のいっそう生活力の強い民族の襲来を受けその結果歴史が示すように大規模な異種交配がまったく自然に行われるいたる
(天才の心理学−E.クレチュマー)

民族の力が衰退する時、こういうことが起きる、それは歴史を見ればわかる
ローマ帝国が衰退した時にゲルマン人の移動がありそれによって新たな文明文化が生まれ天才も生まれる、
国の力でも何か衰退している時、世界史的に考えるとそれは民族の新陳代謝の時だともなる、それは世界的に見たとき一つの国にだけ神は特別なものとして見ていない
世界史という観点から民族の移動とか交代で新陳代謝を計り新たな文明を築くことを望むとなる

個人的ににも経験したのともにている、自分の家が病気とか介護とかでがたがたになったとき弱体化したとき攻めるには一番いいのである
相手が病気になったり何か困っていればそこにつけ入れ安いのである
それが自分の家で起きた、弱体化したことで攻めてくる
家は泥棒に占拠されたり事業に失敗した人は借金をせまる、脅迫にもなる
異常人格化した親戚はこういう場ではとがめられもしないのである
弱者に対するとき一番人間の本性が出やすいのである
それで若い人が父親が認知症になったことで頼った親戚が神のようになったと言って
そのことをインタ−ネットで書いていたことがあった

頼る者がいないから何かに頼らずにいられない、若いから余計にそうだった
家自体が乗っ取られたようになったのである。
そんなときつけこむのがカルト教団でもある、弱みにつけこむとき会員にしやすいからである。その人たちは会員増やして勢力を拡大して幹部が議員になったり地位を得ようとしている、同情など全くないのである
でも藁でもつかむように人は苦しい時頼る者がないとき頼るのである
自分もそういう状態になってひどい目にあったからである

この世界は弱肉強食の世界である、それはなぜなのか?
動物でも弱肉強食である、弱い物は駆逐される、食べられる、子孫を残すにしても強い種を残すために熾烈な争いを雄はするのである
それはより強い種を残すためにそうさせているのである
それは人間でも同じなのである。
民族単位でもなぜそうした異種が交わる時より強固な民族が形成される
日本は島国だが日本語がオーストロネシアと狩猟民で遊牧民のツングースと交わり日本語が形成された経過がある
他にも中国の江南んとかの交わりもあったとなる

そういうことは明治にも起きたのである、西欧列強の侵入によって日本が危機にたたされたとき日本民族は試されたのである。
その時日本民族が西欧列強の植民地にならなかったのはそれだけの民族の国家の力があったからだとなる、でなければ東南アジアと中国のように植民地化されていたのである。
それは信長の戦国時代でも起きた、スペインとかポルトガルとか植民地にされることもあったが侍の時代であり武力があるから怖くてできなかったのである

中国とか朝鮮を見ればわかる、その時中国は衰退して欧米にでもなすがままになっていたイギリスにアヘンを売りつけられて植民地化されていたのである。
朝鮮などは国の体を成していなかったという、だから歴史があってもそういう状態になっていたのだから他国が支配されてもどうにもならない状態だったのである
つまり中国でも朝鮮でも日本の戦争のことを非難するが世界史的に見れば神の摂理が働く弱体化した国は民族は他の強力な民族によって侵入される
それは世界全体からみたとき民族の力を弱ることを防ぐためだともなる
そういうふうに弱体化したとき必然的に強壮な民族が侵入してその民族の力をかえって強化するからである、そしてそこに天才が生まれるというのもわかる
天才というときとても一個人のことではない、バックグランドがあって生まれるからである、そうして民族が文化が交わるところに天才が生まれる
ヨ−ロッパでなぜ天才が多いかというと異人種が文化が交わる地域となっていたからである、それぞれの国が個性がありそれが交わりその交わった地域に天才が生まれたというのもわかる

なぜ今こういうことを言うかとなると今の日本は民族が明治から興隆したが衰退の時期に入っているということが見られるからである
経済的なことだけではない、何か民族の力が弱体化している
民族の力とは経済力だけではない、アメリカとベトナムが戦争してなぜ強大なアメリカに負けなかったのか?経済力だけではない、また軍事力だけでもない、何か民族精神としての力があったからだとなる
ただ民族精神を高揚するのはそれが前のように戦争に結びつくから危険でもある
日露戦争はみんな今も賛美している
でも内村鑑三が日露戦争に反対していたのである。宗教の立場から反対していた
そのことでまた批判された、天皇に対しての不敬事件があった
日露戦争がこれほど賛美されることはまた危険なのである
日本は強いのだという奢りが怖いのである。奢りから滅びにいたることはいくらでもあるからだ、個人的にもあるし国レベルでもそうなのである
太平洋戦争の敗北は日本の奢りがあったからである
原発事故も日本の技術は優秀だから事故はないと安全神話が作られたのである。それは奢りだった
日本は半導体とか他の技術は優れていても原発はアメリカの方が優れていたのである。
日本は未熟な技術で原発を作ったから事故になったのである。
ただ国が民族が弱体化すれば必然的に他国や他の民族の侵攻をうけるのは世界史の法則なのである、要するに日本が侵攻しないなら欧米が侵攻したとなるからだ

そしてこのことを歴史をふりかえるのは今日本が衰退している?
そうならば日本は他国の侵攻を受けやすいということである
それは日本の危機だともなる、その衰退している弱体化しているというとき経済力だけではない、日本の極端な少子高齢化とかも影響する
つまり日本が衰退しているというとき他の国でも民族でも侵攻を受ける
それは戦争でなくてもヨ−ロッパの移民でもそうだが新たな民族が侵攻してくる
それはその国が民族の力が衰えているからだとなる
世界史的にみれはそうして国でも民族でも新陳代謝が行われるのである。
今日本は衰退しているというとき弱体化しているというとき侵攻を受けやすいということである
だから日本を建て直す時でありそれは大きな変革が必要だとなる
それができないとなると日本は他国にまた民族の侵攻を受ける
でもそれが世界史の法則であり日本だけを神は見ていない、世界史として見るからやむをえないとなるのである。







2018年09月04日

公益を目指すべきが個益になり社会は分裂分断 (原発事故でもそうであった、ただ公益共益が何かは決まっていない)


公益を目指すべきが個益になり社会は分裂分断

(原発事故でもそうであった、ただ公益共益が何かは決まっていない)

人間の経済活動でも社会活動でもそもそもは公益を目指すべきものだった
ところが資本主義であれ民主主義であれ私有権とか個人の権利のみを主張して認めるものとして明治以降変えられた
だから今になると江戸時代が遅れた封建制で民はただ税を納める搾取する対象として見られていた
入会権でも山で採れるも山菜でもまた木材でも共有する共益になるものであり個益は許されない、だから何か古いものが常に遅れたものとして西欧化されたとき見るようになった入会権とは別に遅れたものではなくその当時の人がみんなで仲良く生活するために考えた知恵から生み出されたものである
人間はそもそも公益とか共益なしでは生活できないからである。

資本主義が自由市場主義で市場の原理にまかせる、見えざる手にまかせるというとき私有の追求になった、公益とか共益は自ずから個々の私有とか利益を求めるとき達成されるとしたルールだったのである
でもそれがうまくいっているかとなると公正な世界市場などありえなかったのである。
それはアメリカを中心にして金融で支配される世界支配のための金融になっていた
第一ドルがアフリカの奥地まで通用することがアメリカが支配していることなのである。実体経済と関係なくドルという紙幣をすれば世界を支配できるとなるからだ

なぜこの辺で原発事故でいろいろもめたのか?
それはやはり公益とか共益とかなくなりみんな個々人の利益を求めるだけになったからである、補償金でも個々人に与えられたからである
本当は自治体に与えられたものなのだが個々人に与えられたから個々人はその金で自分の勝手に使うとなりそうならめんどうな苦しい避難区域に住みたくないとなり外に出たのである、それだけの資金があったし金さえあればどこでも住めるとなるから外に出た
もうばらばらになってしまったのである 

いわき市に二万人も双葉や大熊や富岡の人たちが避難して次々に家を建てたというとき地元では不満になった、そこで家など建てられない人たちも多いからである
なんてあの人たちはよそから来たのに家を建てられるのかとなった
その家も建て売り住宅の会社だからできた、そんなに多くの家を地元の大工では建てられない、ほとんど外部の会社が一週間くらいで組み立てて建てたからできたことである
でもいわき市の人たちから見れば双葉とか大熊とかの人たちが公益共益として原発を積極的に誘致したのである
それが事故になって住めないとなっていわき市に避難したときあなたたちはあなたたちで原発を誘致して決めたのだから放射能汚染してもそこに住めともなる
それがあなたたちの責任だともなる、何か今回の原発事故は距離に比例して責任が課せられていたのである。飯館村をのぞいてはそうである
20キロ内は避難区域になり30キロ内までは補償金がもらえた、ただ30キロからはずれても鹿島とか久ノ浜は多くはないが一応補償金はもらえたのである

例えば公益とか共益というとき漁業権でもそうである
それは漁業者だけが持つ権利になっていたとき漁業者は漁業権を東電に売り渡して原発御殿を建てていたとなる
今でも原町でもこの辺でも立派な家を建てているのは船主であり漁業関係者だとなる
原町で大きな石の庭を作ったのを見たがそこは船主の家だった
トリチウムを海に流すな魚が汚染されるというけどテレビで死活問題などと放送しているけど漁業関係者は特に船主は生活には全く困らないのである
まず30年とか楽に補償金で生活できる、それだけ原発事故の後の処理はつづくからである
魚を一匹もとれなくても困らない、むしろトリチウムを流すなと交渉して補償金をつり上げることができるのだ、これも矛盾しているのである
それはこうして他でもそうだが組合も一見労働者のためのように見えて私益を追求しているからである。利権獲得のために動くからである
電気関係の電事連も原発で働き収入を得るのだから原発に反対はできない
そこは労働者も利益共同体となっているから電事連からマスコミに巨額の宣伝費が出ていたのである゜

山でも私有権をが明治以降認められた結果無数に分割されて共同で何か利用できなくなった、共益というときグロ−バリゼーションでもそうである
自由市場競争が公正な世界を作るというのもそうではなかった
結局アメリカ一極の金融支配でありそれに対抗しているのがロシアとかだったが排斥される、シリアの問題も実はシリアではIMFに加入していない、ドルが通用しない社会主義国家だったのである
それにアメリカでは不満がありロシアに対抗して反政府運動が自由の旗印のもとに行われた、その結果はいいものではなかった、ロシアの支配下にあった方が良かったのである
なぜならシリアに行った人がシリアの人は素朴だとと何度も言っていたからである
それなりに貧乏でも平和に暮らしていたのである。
それが欧米とロシアの対立で壊された、クリミアでもアメリカ側の金融支配がありそれが対立の原因になるし中国でもそうである
グロ−バリゼーションによって後進国でも利することはあるが金融でも支配するためにある

公益など世界レベルにはない、アメリカとかに利するものとしてグロ−バル社会があるとなるからだ
この辺でもなぜ地域社会が破壊されたのか、それは何度も書いてきたけど公益の共益の共同体を越えて金だけがばらまかれたためである
漁業関係者がそうであり原発事故の補償金でもそうである
地域共同体を越えて金がばらまかれた、すると一億円とか以上もらえればも自治体のことなど考えない、その金で外にでて楽して暮らした方がいいとなったのである
それも放射能汚染があるから悪いとはされないからである。
そうして自治体は破壊されて崩壊したともなる
補償される権利があるとしても自治体の復興のために使われたわけではないのである。

いづれにしろ公益とか共益といってもそれが何なのか?
原発でも別に金になればいいとしか考えない人もいる
原発は金になるものとして受け入れて賛成していたのである
それは市町村でも公益的な共益となるものとして賛成していたのである。
例えばソーラーパネルでも最近自然を景観でも破壊する抑制するべきだというときもそうである、
ソーラーパネルは原発事故のために安全な電源として奨励された
それは公益にかなうものとしていたるところに設置された
でもそれが公害にもなりつつある、だから公益共益とはなにかということが実際はわからないのである、一般的には便利なものが公益共益的なものとなる
民主主義だからみんなが多数のものが決めたことは公益になるとしても結果的にならないこともある

いづれにしろ会社でも会社の利益のみを求めたらそれが社会に認められて成功するとはならない、事業を始める人でも失敗したがその人の経営理念は自分が優秀だと認められたいということからはじまり田舎では金にならないから金持ち相手に全国相手に事業を起こしたのである。
そこに共益とか公益はなかった、自分の利己的エゴから始まったともなる
だからその事業が失敗しても同情しにくいのである

公益的とは何か共益は何かはまた共生とは共存とは何かにも通じている
自分は景観を大事にしてもそれは金にならないから金になるなら公害があってもいいとかなる人がそれなりに多いからである。
だから公益とは何かというとき多数がいいと思うものが公益なのかとなる
多数であれば何でも許されるのか?
その公益を決めるのはどうして決められるのか?
それが結構むずかしい問題なのである。
例えば小さな畑で野菜を作っている人は農業はそれが利益を産まないにしても公益性がある、環境の保存とか景観の維持とかがある、それはこの辺では原発事故以後荒地化しているのが多いからである。農業は自然と深く関係しているから公益性がある
荒地になっているよりはそこに野菜を作り花でも咲かせると景観的にいいとなるのであるそれは公益であり共益になっているのである。
でも利益を生まないものには投資しない、銀行でも金を貸さないのである。
どうしても経済優先だから原発だって誘致された、それは公益共益でもあったからである
だから公益共益とか共生とか共存とかは思想的問題であるのかもしれない
一つの価値観を共有することで公益とか共益は何か決まる
もし車などいらなくてもいいとして暮らすこともできなる
その為の不自由があまりにも大きいからそうならないだけでありもしみんながそう決意すれば車がない生活が公益に共益になるのである
原発だってみんながいらない決意すればそれはできる
でも原発とかなると国と関係して国際関係とも関係してくる
アメリカには逆らえないとかなり日本ではやめることができないとなる

ともかく共益とか公益がどうして決められるのか?
それをよくよく考えてみるべきであり人は公益共益を優先して生きるべきものであり
それがなくなりただ私有とか私権とか私益のみの追求となるとき共同体でも破壊されてしまうのである、金だけでもそうしたことは解決しないのである
かえってこの辺の補償金で分断されたように公益共益を損なうものとなる
ただ人間は便利なものぜいたくを追求する、それが公益出り共益になりやすい
人間の欲は限りない、それを抑えろといっても反対されるだろう
なぜ原発が金のなる木だったからこそ積極的に地元でも誘致されたのである
小高の腕のいい大工さんでもそうである、家を建てて借金していたから原発を作れば金になるからいいと言っていた、その息子でもいい車に乗っていたりした

つまり人間の欲を抑(おさ)えろということは共益にならない、共益になるのは人間の欲を満たすものだとなってしまう
そんならお前は寺で肉も食べない最低限の生活をする出家僧になれ、修道院に入り世俗的欲をたつ生活をしろとなる、それは共益とはならない、便利なこと豊かな贅沢な暮らしができることが共益だからである
ただいくら欲を抑えられないにしても限度があった
人間の欲は切ないからである。いい家が欲しい、いい車が欲しい、いいものを身につけたいとかうまいものを食べたいとか今はきりなく欲望が拡大する
欲望はさらに高い地位につきたいとか自分を優秀にみせたくて事業した人もいる
人間の欲望は経済的なもののに加えて地位が欲しい名誉が欲しい、優秀であると認めさせる、そのためにしのぎをけずっているともなる

ただ公益共益というときそうした利己的動機を否定するものが公益共益にもなる
利己的なもの個益を否定して公共のために共同体のために尽くすということもある
実は共同体にはそうして公共のために全体のために共同体のために犠牲が強いられることがあるのだ、人柱伝説などでもそうである、公益事業のために犠牲が強いられる
戦争で3百万人が死んだというときもその戦争は共同体の命運を賭けたものであり犠牲が強いられたとなる、それはその時はみんなが戦争に積極的に公益と思って参加したとなるからだ、だからただ便利になるからとか欲望を満たすためにだけではない、他の理由でも人間は死ぬまでの犠牲を払うともなる

戦後はギブミチョコレートとなりただ日本人は欲望の追求となりなりふりかまわず世界にトランジスターを売りに行ったとなる、そして高度成長になったのである。
資本主義ではその欲望が肯定される、欲望があった方がいいとされるからである
今の若者は常に欲望がかえってたりないから駄目だともなっているのである
そのために人は働くとなるからである、でも何が間違ったのか?
その欲望も限度を越えたとき危険な原発も積極的に誘致されたとなる
もう欲望の故になんでもいい金になればいいとなっていたからである
現代ではみんな金の亡者になっているからである
何かそこに歯止めがなくなっているからである、それで原発は積極的に誘致されたからである、そして事故になってからは補償金をもらえばいい、もうそれがすべてだともなる
何か復興とかは関係なくなっていた、何か公益とかではない、自分たちがどれだけ補償金をもらえるかもらうかしか関心がなくなったのである
それも共同すれば共益になる、だから共益というのは何なのか?
それが問題だからみんなで考えねばならないのである。


posted by 老鶯 at 15:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2018年09月05日

AI化時代に対応しないと遅れをとる (情報の集積化で答えを出す)


AI化時代に対応しないと遅れをとる

(情報の集積化で答えを出す)

AIとは何か?それはインタ−ネットしてみていればわかる、膨大な情報がある
それを検索して結びつける、人間の知能は今までなぜ限られていたのか?
それは情報の量だったのである、情報が限られていれば学術論文などを書くにしても
いくら知能が高くても独創性があっても無理なのである。
情報量が多ければそれだけですでに有利な立場にたてるのである
それはあらゆる分野で言えるのである、理系、文系を問わず情報量によって優劣が決まる例えば学者がいたとすると欧米の学者の知識を本を紹介する、翻訳するだけで学者になれたということがある
明治以降はヨ−ロッパの文明を取り入れるためにそうなっていたのである
そこに学者の独創性はそれほどなくても良かったとなる
インタ−ネット時代になると直接外国の知識にふれることができるからそれがなくてもできるとなればただ紹介するだけでは認められなくなる

情報量が勝負だというとき最近をそれを実感したのはこんなに本があるのかという驚きである、その本の読み方が変わった
インタ−ネットの検索のようにして本を探す、すると探しているものに合った本があるという不思議である、まず本の数は本当はインタ−ネットの出る前から膨大なものだった

ただ本があることを知らなかった

それは出版されていたのだがその本のあることを知らなかった
だから私は一週間に一回ほど仙台に行っていたのは本を買うためだったのである
でもその仙台の大きな本屋でも本は限られていたのである。
それで知的探求には地方では相当なハンディキャップがあったなとふりかえる
学問とは確かに自分で思考することだが知識は情報量で優劣が決まる
いくら独創性があっても情報量がたりないと足りないものが生じる

それはなぜなのか?

今回本を買ったがこんな本があること自体不思議だった
それは自分が今まで追求してきたことをよりわかりやすく書いてあったのだ
他にも自分が探求してきたことを書いてある本があった
それはその本の一部なのだがそうだった
今回の全体的に自分が探求したことを書いてあったので驚いたのである。
本は前は高かった、古本が極めて少ないし買えなかった
今はアマゾンで古本を探すと安いのでいくらでもある
それで千円以下だとまるで蒐集するように買っている、それはインタ−ネットで検索するのとにている
ではなぜそういうことが起きるのか?

それは人間でも知識でも世界的になると広い
すると同じようなことを追求して考えている人がいる、それはインタ−ネットでもそうである、同じようなことを追求して書いている人がいるからだ
するとそこでそうした知識を結びつけるとそれだけ物事を深化して見れるのである
だから人間がインタ−ネットとかでAI化しているのである
AIの強みは膨大な情報量を処理できることなのである。
それは桁違いの情報なのである。人間はもうそうした膨大な情報を処理できない
それで株式情報でも膨大だからとても人間では予測できない
AIの方がずっと有利になるのである。

AI化というとき人間が何もすることがなくなるのではなく人間自体がAI化してくる
インタ−ネットの情報検索であれ本であらゆる本がボタン一つで買える
ただ学術書となると高くなる、でももし大学に授業料を払うより文系ならそうして本を買った方がいいとなる、情報量で優位にたてるからである
私のインタ−ネットの写真とか絵を利用した抽象画創作も全く絵の才能がないのにできた理由は膨大な写真でも絵でも抽象画でもインタ−ネット上にあったからそれをソフトで操作しただけなのである
ただ最近その操作に疲れたので休んでいるともなる、それは全く化学実験と同じだったのである。

現代は勉強するには知識を探求するには向いている
それはもうインタ−ネットできればどこでも可能である
最近はスマホでもアクセスしているからパソコンがなくても知識は吸収できるしパソコンがあれば全国にも世界にも発信できる
だから情報分野ではインタ−ネットをしないことはもう相当なハンディキャップを負うことになる、時代に乗り遅れてしまう
図書館不要論がでるというときその場所まで行きそこでまた本を探して読むというのが手間なのである、それで私は介護になってからでも終わってからでも家事に時間をとられるから行っていないのである
その場所まで知識を得るために行かねばならないこということはそれだけ時間の無駄なのである
だから当然本屋は消滅してゆく,図書館も不要論がでてくる
それは知識を探求する人はインタ−ネットしている人はわかる
AIはむずかしいにしてもある程度理解できる
医療分野でも膨大な情報量を処理することなのである
膨大なレントゲン写真から癌を見つけ出すとかその情報量によって効果を発しているのである

まず古本だけでも膨大であり安いから買える、今回買った二冊の本は自分が追求していることを語っていたということで驚いた
つまり人間は一人で考えることには限界がある、一人の知識には限界がある
それだけ知識の分野は広いからそうなっていたのである。

場所の現象学(没場所性を越えて)−エドソール・ルレフ

この本は私が自分の住んでいる場所からあらゆることを発想してアイディンティティを作ってきたようにそのことを明快に書いていたから驚いた
つまりまさにぴったりの本だったのである
ここでは住んでいる場所がいかに大事かそこをベースにして人間が形成されることをわかりやすく書いてある
現代はの場所が没場所化している、そこに人間存在そのものが希薄して意味なきものとしている、マスコミでもそれは没場所性の報道なのである
私がプログで地域の報道でもするとき没場所性にはならない、土着的な報道となっているのである、こういうことは今まではできなかった
メデアをもたないからできなかったのである。

大衆的アイディンティティはそれは集団や個人の経験から発展したというよりも世論を誘導する者によって与えられ、できあいのアイディンティティを人々に与え商業広告を代表とするマスメデアを通じて広められる
それは感情移入的内側性の余地を全く残さず場所との一体化の基礎を破壊することによって実存的内側性をむしばむ
大衆的アイディンティティが象徴や深い意味に基づかず気まぐれで寄せ集め的に生み出されたまことしやかで作為的なステレオタイプに基づくものだからである
マスメデアはその受け手が直接に経験できない場所に偽りの場所の偽りの世界を作り上げようとする

Massedia tries to build up a fake world of a false place in a place the recipient can not directly experience

報道とは何かというときそこも土着性が必要だったのである。
その住んでいる場所から物事をみる、でもマスメデアになると全国的とか福島県でも広いから没場所性になる、そこに何が真実なのかも事実なのもかすら明確なものとならないし何か意味づけることもできない、ただニュースとして一過性に流れて消えてゆくだけだとなるのである、場所には永続性があるから場所をもたないものはただ一過性になってしまうのである
また直接的な経験ではないからフェクニュースになりやすい、世界的ニュースになるともう完全な没場所性になるからフェクニュースでも真実になる、その場所のことを理解することは不可能だからである
何か起きるというとき take place であり場所と関係していたからである。

2018年09月06日

人間の道の回復(詩) (現代文明批判)


人間の道の回復(詩)

(現代文明批判)

道の辺に芙蓉の咲きぬ
ゆったりと大らかに咲きぬ
その道は田んぼの中を
農家につづく
農家の庭は広い
あなたはその道を歩くがよい
今はここに車が通っていない
昔のようにその道を歩くがいい
歩けばその家までは遠い
その道を歩いてやっとつく
そして人は近くでも
道で結ばれていたことをしる
車の通過するだけの道ではない
人と人を結ぶ道なるを知る
芙蓉がゆったりと咲いている
時間と空間をその道を通じて
人は体得する
人は道を記憶して
道も人を記憶している
その時その場所は切り離せない
永続する場所となる

この詩をイメージしたのは小高に行ったときだった、そこはまだ人が住んでいるのが少ない、だから車も通るのが少ない、田んぼはないが草ぼうぼうである
すると芙蓉が咲いている、するとそこは江戸時代にもどったような気分になった
これも変なのだけど街中でも不思議だった
江戸時代に戻りたい知りたいなら車がないと江戸時代になるのだ
感覚的にそうなる、江戸時代に戻れないのだが車がないと空間も時間も違って見えるのだだからどうして時間感覚が空間感覚が作られるのかというとそれは環境が影響していたのである、現代では明治から機関車が走りやがて電車となり特急となり新幹線となる

それからモータリゼーションの時代になる
車時代になると何か常に車が猛スピードで走りぬけてゆくから時間が早く過ぎる感覚になる、そしてキレル感覚になるのだ
道にしても歩いてい行けばそこは人間に空間を体に刻むとか記憶するとかなるが車で突っ走る時体にも脳にも記憶されないのである
つまり空間を体験するというか記憶することができないのである。
だから現代の旅は浅薄なものになりあとでふりかえると記憶するものがなくなるのである
現代の人間は没場所性の中で生きている、都会を歩いていてもそこに何か記憶しない
記憶に残るのがどういう場所なのか?
例えば原町に行く道は自分にとっては日々の生活道路である
そこに一本の松がある、それは変わらずある、そこに秋になり蝉の声がひびく

一本の松の変わらず秋の蝉

そんな句ができる、その松はここに変わらずあったからである
ただそれも回りは相当に変化した、新しい家が建ったりソーラーパネルになり変わった
労務者の仮設も建っていた、この辺はそうして自然すら変わった
右田の松原は永続的な自然だと思っていたが津波で根こそぎ消失したのには驚いた
だから本当に変わる、無常をこの辺では経験したのである。
変わらないものかあるというとき安心するとなったのである

道も人を記憶している
その時その場所は切り離せない

記憶するというとき場所が記憶するのである、場所がないと記憶されないのである
都会では没場所性だから記憶されない、なんか茫漠たる雑然性の中に人工空間のなかに人は埋没して群衆として記憶からも消えてゆく
群衆とか大衆という概念は明治以降生まれたものである
江戸時代には群衆でも大衆でも存在しない、民衆というのはまた違ったものである
大衆化が現代の特徴だというとき大衆はマスコミなどによって新たに作り出されたものである、大衆というとき何百万とかが単位になる
テレビではその何百万を対象として放送する、番組編成する
テレビによってマスメデアによって作り出されたのが大衆だともなる
テレビがなければ大衆はまた存在しないからである。

NHKの大河ドラマでもそうである、NHKがかって歴史像をドラマで作る
そこで歴史の歪曲が起きる、でも見る人が多いからそれで歴史が誤認されるのである
つまり歴史番組でも何の番組でも多様な作り方があるからだ
報道でもそうである、今ではインタ−ネットで自由に報道番組も作れる
すると多様な見方が生まれる、これまではテレビを通じてマスコミが大衆を導く
テレビが判断したものを大衆が受け入れるようになっていたのである。
その中でもNHKが一番影響力が大きいからNHKが言っているかじゃないかということで大衆の権威となっていたのである
それに反逆する者が今度はyoutubeで放送するようになった
それで相対化される、今ではマスコミのマスメデアの報道が絶対化されていたのである

汽車が通るようになり電車でもそして車時代になってもそういう機械は道具はまた人間性を奪うものとして働く、つまりそういう機械によって空間でも時間でも切り取られという感覚になる、電車でも歩く時代からすると空間をきりとることである
歩く経験とは相当に違うのである、車でもそうである、車は空間を切り裂くように走るからである、そこでの空間の体験は記憶に残らないのである。
また空間の体験は電車でも車でもあまりにも早く距離を短縮することは距離感覚がなくなる、すると空間の体験も浅薄になり記憶されないものとなる
だから現代は便利な機械によって人間的な深い体験ができないということにもなる
だから旅でもその場所の体験ができない、ただ空間をきりとり一過性に過ぎてゆくだけだとなる 

だから短い距離でも歩いた方が空間を体験して記憶に残るとなる
何か今や歩くことが新鮮な体験であり人間発見であり自然発見にも通じているのである
それだけ人間の原体験となる歩くことすらしなくなったからだとなる
自分も歩く旅はしていない、自転車の旅が主だからである
ただ自転車で名古屋から伊勢から奈良に行き飛鳥に行ったとき伊勢と奈良が空間的に通じたという感覚になった、それは相当な距離だったが自転車で行った結果結びついたという感覚になった、これは電車で行ったらそうはならないのである

昔の道は一つの場所であり、他の場所をつなぐ一片の土地だった

昔の道は基本的に場所の延長だから、それはその道を通るすべての場所の性質を拾い集めて道そのものや終着地の地理だけではなく道の傍らの地理にも結びついている
現代の道は乗り物の延長でありそれは場所を結びつけることをしない
周囲の景観とも結びつかない

現代の道はどこからでも始まるけどどこへもつながらない・・・
(場所の現象学)

現代の道はただ物資の輸送の距離の短縮なのである
だから高速道路とかなるとただ車が流れ作業のように流れてゆくだけで景観とは切り離されるのである。一種の長いベルトコンベアーなのである
その場所の風景と切り離されてただ距離を縮めるものとしてある
それは物資を車で運ぶベルトコンベアーなのである
それはやがて自動運転で現実に本当に人が乗らない車が物資でも運ぶベルトコンベアーになる、それは近い将来にそうなる
ただそこでは物資を運ぶのであり人間的体験は省かれるのである

安平町の位置 (北海道地震の被害の地域の地図)


 安平町の位置

 (北海道地震の被害の地域の地図)

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 苫小牧には何度も行っている、電車だと三つに分かれていた、一つは千歳空港のある千歳線である、意外なのは安平町は苫小牧から近い、そこにも電車が通っていた
 それから高山植物が小高い山で見れるアポイ岳へ行く様似駅までの日高本線が台風の大雨の被害で不通になった

 日高本線・鵡川〜様似間の復旧を断念 JR北海道、地元と協議へ

 私は千歳線と日高線には乗ったが安平町に行くのには乗っていない、ただ室蘭本線には乗っている、苫小牧から線路がいくつかに分かれていたから三つの路線が出ていた
ただ日高本線は復旧不可能となった
苫小牧からは本当に景色は北海道になる、湖もあり原始的なものが残っている

今回起きた地震は室蘭まで影響したことも地理的にわかる、でも室蘭は遠いとも感じる
苫小牧には相当に近い、隣の街の感覚である、ただ北海道の距離感覚は本州の二倍くらいの感覚になる

北海道ではたいがい千歳空港から回る人が多いからなじみのある場所である
ただ安平町には寄っていないしなじみがなかった
ても苫小牧の隣だったのである

北広島とかも近い、そこは広い地域である、そこは自転車で通過した
北海道はほとんど全部回ったから地理的にわかる
ただ安平町は小さな町でありわからなかった
でも苫小牧の隣だからあの辺だったのかとなる

今回の地震では結構被害があった、札幌もあったし室蘭まであったということはやはり安平町からそれなりに近いということがあった
室蘭は遠いようにも感じるがやはりそれくらいの距離までは震度が高かった

ともかくあの辺はなじみの場所であり思い出す、あの辺のほとんどは回っているからイメージできる、湖とかも多くいい場所だった

何か今日本列島は自然災害が多くなった、もともと日本は自然災害が多い
でもこれほど東日本大震災から災害が多い国だということを知らしめられたことはない
それで日本には無常観が生まれたことを実感した
いつでもどこでも常に自然災害があり死んだり家が壊されたり流されたりするのが日本だったのである。

自分の家も床上までに二回洪水で浸水被害にあっている、今回の津波の被害はまねがれた北海道の泊原発も電源がとまって予備の電源になったから心配した
原発は地震でも怖いものなのである。
大規模な停電もあり停電になるとその影響は大きい
ごはんがたけなくなったり料理ができなくなるとその影響が大きい
今の社会は電気がなくなるパニックになる
通信網もたたれたりするからだ

コンビニに行列ができたのもわかる、電気がとまり暗い中で買いだめしているのはここと同じだった、ただすぐに品物はなくなった
ここでは二週間外から物資が入らなかった
その時丁度米も一週間分があり電気も通っていたからなんとかしのげた
あとで古米を町で配ってくれたのでも助かった
それにしても東日本震災以降は日本列島は災害が多くなった
みなさんも気をつけて備蓄はしていてください

早めの復旧を願います
posted by 老鶯 at 10:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

山形の大学生が折り畳み自転車で来る (駅前のドアと盲人の標識のタイルは完成)


 山形の大学生が折り畳み自転車で来る

 (駅前のドアと盲人の標識のタイルは完成)

stkk456.jpg

stk123.jpg
ここにある八重桜の根っこもなくなる



 折り畳み自転車で来た人がパンクで駅前の自転車屋で直してもらった
 それが古いものでさびついていたしタイヤを交換したり
 ブレーキを直したり大変な作業になった
 タイヤが古くて癖になっていてもどらないのが苦労だった
 それでもなんとか直した
 一万で買ったというがもう使えないようなものだった

 駅前の自転車屋は何か好感がもてる、接客がいいのである
 普通は自転車は愛想が悪いのでとっつきにくい
 あの人はそうではない、だからいつも人がいて話しているのである
 この前は駅で電車賃のこまかがないと交換してもらったりした
 あの自転車屋は駅前の案内所にもなっている
 津波で死んだ人の碑をその学生は見に来たというので説明した
その学生は大船渡出身だったのである
だから津波に関心があったとなる

 駅前の半自動ドアは入り口も直した
 冬になると閉めれるからいい
 盲人用の標識の黄色タイルも直した
 今は一人が浜吉田から通っている

 今工事しているのは駐車場と自転車置き場である
 写真の所が駐車場でありその脇に自転車置き場を作る
 駐車場の所が自転車置き場になると思ったが
 金を払って駐車する場だった
 駐車場は鹿島駅ではたりないのである
 駅舎の前は一時的にしかとめられないからだ
 それが駅の問題なのである

 あそこには八重桜が咲いていたが根っこが残ったがそれもなくなるだろう
 すると思い出の桜は何の痕跡もなくなる
 一本あった八重桜も切ったからである
 それも淋しい、何かこの辺ではそうして思い出になるものが消えてゆく
 津波で右田の松原は消えたしいつもゆく原町への金沢への道もソーラーパネルになったりして変わった
 ただ池の所の松一本は残っている
 でもまたそこには廃棄物を処理する会社ができたから風致は乱された
 ともかく思い出の場がなくなるのは淋しい

 変わらずに松一本や秋の蝉

 何か駅前でも木があったりとするいいのだ、それは思い出の風景として記憶されるからである、駅は高速のSAとは違って自然でも映える場所だとなるからだ
 それで鉄道が好きなのである。鉄道が写真になるのはそのためである
鉄道には情感がある、それは鉄道には人間の長い時間の中で人間の情はしみこんでいるからである、そこが高速とかとは違っているのである。




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