2018年08月24日

赤いカボチャは熟年の田舎の女性


赤いカボチャは熟年の田舎の女性

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熟年や赤きカボチャのなる田舎

露地もののキュウリをもらう夏の暮

今日も映ゆ畑にカンナ人なしも

若葉して山に轟く滝二つ


蝉一つ我に向かいてひたすらにまた鳴く声や真昼静けし

カボチャは秋の季語であり漢字にすると南瓜になる
良く花は題材にするが野菜とかはあまりしない
でもこの赤いカボチャはいいなと思った

それは熟年の女性をイメージした、老人でもあるけど田舎の熟年の女性である
その女性は太っているからあたたかみを感じる
何かこの南瓜とにていたのである。
自然でも人間をイメージしている、赤いから温かいなと感じる
その人間をイメージするからそうなる

人間は女性でも男性でもそうだがその年によって魅力がある
女性でも別に年とったからといって魅力が出るとは限らないのである。
もちろん若い女性はいいとなるのはやむをえない
でも年を取ることで女性でも魅力が生まれる
その女性は若い時なら近づくもの嫌になったろう
見栄えが良くないからである

でも老人になると見栄えや外見もあるとしても何かその内面的なものが出るのがいいとなる、その女性は農家の出だから生まれつき農民的体質をもっていた
根っからの農民というのが女性でもいるものだと思った
その人を見るとき根っからの職人とか商人とかいる
農民でもそういう人はいる,それは農家に生まれて育ちそうなったともなる

田舎の良さは本当は農業を知らないとわからない、そもそも田舎は農業から成り立っていたからである。あとは漁業であり林業とかで成り立っていたからである
だからこそ田舎なのである。田んぼや畑がない田舎はイメージできないからだ
でもこの辺では原発事故で放射能で汚染されて田畑が荒地化したり住めなくなった
今でも荒地が多い、それはもともと農業をやる人が減っていて後継ぐ人もいなくなっていたからである
田舎でも8割はサラリーマンになっていたからである。

ともかく田舎の魅力は工場があることではない、東電のような発電所と原発があることではない、ソーラーパネルだってふさわしくない、風力発電でもそうである
田畑があり森があり山がありとかそこで営まれる生業(なりわい)があるとき田舎なのである。
その生業の中に実りがあり赤いかぼちゃがありそれが人間をイメージする
その赤さなんとも田舎の熟年の女性を象徴していたのである。
女性は田舎では方言では女子(オナゴ)というから方言だとその感じが出る

ただ女性にしても田舎的な女性は少ない、都会化した女性になっている、サラリーマン化した女性になっている、いかにも田舎で育まれたという女性は本当に少なくなったのである。つまり全国でも一様化して都会化したの現代である。
そもそも田舎的なもの農民的なものを嫌って拒否してきたからである
だから田舎の人間も都会人と変わらないのである。
いかにも田舎で素朴だなという人はまれだとなる
みんな金にあくどいしそういう社会だからどうにもならないのである

現実その熟年の女性でも田舎で暮らしていけない、収入がない、年金も雀の涙だとなっているからだ、そこに田舎の矛盾がある
病院に通っているしそこで金かかったりしているからどうにもてらないのである。
ただ田舎的なものが何かとなるとこの赤いかぼちゃに象徴されていると見たのである。




ニュースとは何なのか? (地域では個々人の動静もニュース)

                      
ニュースとは何なのか?

(地域では個々人の動静もニュース)


●知人が仙台の病院に入院して長引く
白内障の手術だが糖尿病があるので仙台の病院に入院手術

●知人が東京の建築現場で出張で働きに出る
お盆には帰ってくるからと言ったが来ない
会社はいわき市にあり派遣された

●福島生協に自分が加入

チラシを見て買うのがめんどうだった、オカズになる冷蔵食品とか冷凍食品が多いが
チラシでは料理したものが写真として出ている
でもオカズの種類は少ない、豆腐ハンバーグとかを買う
ハンバーグの種類は毎週違っている、それほどオカズになるものはなかった
ただ自分はオカズに困っているので入った
毎日配達するだけでしなくても180円とられるから得なものではない
スーパーの方が金はかからないがとにかく自分はオカズと買い物で苦労している
一日二つのスーパーに行き三回も行くこともある
それはオカズを用意できないためである

まず食事の用意が手間であり家事もありこれをしていたら何もできなくなる
だから簡単にすませるために入ったのである
配達しているのは相馬市の人であり相馬市に支店がある
営業にきて勧誘した人も60以上の老人であり配達する人もそうだった
これを見るともう老人も働く時代である
相馬市の人が鹿島のスーパーで働いている、退職した人である
その人は暇だから働いているというから動機が違っている
今はそういう人は少なく金が必要になるから働いている人が多い

生協ではその他いろいろサービスしている
電気までサービスしている、でも一年で2000円安くなるだけだとなるとめんどうだからしないとなる、そのサービスも不安になるからだ
その他通信関係のサービスとか保険とかいろいろしている
それが地元密着型になれば一人暮らしとかにサービスしてもらえればいいなと思った

前に仙台から来たユニットバスを作る会社に頼んだことを書いた
100万であり安いから頼んが、その代金はガス会社のイワタ二だと二百万かかると言っていたから安いしその仕事はいいものだった、不都合はなかった

今の社会はこうしてみると広域化している、むずかしい病気は地元では直せない
それで福島医大に通っていた人もいる
福島は車で相馬市から高速ができたから早くなったので便利である

ともかく広域社会でありグロ−バル化社会である
個々人がどういう動静にあるのか?
どういう仕事をしているのか?問題をかかえているのか?
それが地域だと見いやすいが実際はその知る範囲はつきあう範囲は限られているから
わからない、たかだニュースは無数にある
個々人の動静もニュースだからである
ただそれが国民的関心事とはならない、地元ならそうしたささいなことでも関心になる
それは地元に住んでいるから直接何かあれば影響があるからだ
それで交通事故に敏感になる,どこで事故が起きたのか知らないと危険にもなるからだ

posted by 老鶯 at 11:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層