2018年08月22日

みちのくの真野の草原の歌を日本の古代史と伽耶の関係で解く(2)


みちのくの真野の草原の歌を日本の古代史と伽耶の関係で解く(2)
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●真野氏とは渡来系であり伽耶と関係している?

和邇氏(崇神天皇にみる大王家〜雄略まで)→継体天皇(昆支の孫・百済王権、ただし奥様は和邇氏系〜敏達まで)→用明天皇(蘇我氏、ただしこの氏族は和邇氏の支族で朝鮮半島・伽耶にいて、滅亡とともに百済に亡命、または年代的に、蘇我稲目として渡来し、直前までは金管伽耶の宰であったかも)


金管伽耶での、宰(吉氏)と、大伽耶(狗耶韓国)の王子ソナカシチ(ツヌガアラシト)の現地での関係はわかりません。おそらく、伊都国の一大率と伊都国王のような関係かもしれません     

また吉田連は、神亀元年に吉宜や吉智主が賜わった氏姓で(『続日本紀』 ・ 『新撰姓氏録』)、 『姓氏録』や『続日本後紀』によれば、塩垂津彦(天帯彦国押人命の商) が、崇神朝に己紋(嶋津江流域にあった伽耶諸国中の小国、のち百済に併合)に派遣され、その子孫の達率吉大尚とその弟の吉少尚らが来朝したとし、 『姓氏録』は旧姓の「吉」 (キチ)を、己没で「宰」を称する言葉であるとするが、吉大(太)尚が『日本書紀』や『懐風藻』に見える天智朝頃の実在の人物で、達率という百済の官位を帯び、キチ・キシが首長を表す朝鮮語にもとづくことから、この氏の実態は7世紀後半の百済の役後に渡来した亡命百済人(己抜糸)と見て差し支えない。 さらに『姓氏録』右京皇別下に天足彦国押人命の三世孫彦国茸命の商と記す真野臣は、彦国茸命の曾孫の大矢田相称が神功皇后の新羅征伐に従軍し新羅国王の女を要って生んだ佐久命の子 孫で、その九世孫の和珂部臣鳥と忍勝らが近江国志賀郡真野村に居住したために、庚寅年籍で真野臣の姓を負ったとするが、貞観5年9月、真野臣永徳らが宿祢姓を賜わった時に百済系渡来氏族 の民首の一族の者が、これと同視と称して真野臣の氏姓を与えられており(『三代実録』)、真野氏ももとは渡来系であったと推断することができる。 

真野氏とは何者なのか?この辺で真野郷があり石巻にも真野氏の木簡が発見されている、製鉄の技術をもった集団だった、その真野氏の起こりは吉備にあった
真野とはその前に味真野が基である、味鋺(あじま)をあてている、芦の間の忌なのか
あじまとは漢字をあてているが開墾した地域ともなる


吉備津神社の社伝に、中山の麓に茅葺宮を営み、吉備津彦神を加夜臣奈留美命(かやのおみなるみみこと)が祀ったのが神社の起こりという事で、加夜臣奈留美命(かやのおみなるみみこと)とは、飛鳥の神名備に坐せた、加夜奈流美(かやなるみのこと)ことで、この賀陽氏の始祖神です。吉備津神社の主祭神は、大吉備津彦命ら八柱で、二柱は賀陽氏の祭祀神で、他は吉備臣の先祖とされる孝霊天皇の子神。

この「温羅(うら)伝説」の温羅こそ、「吉備伽耶王国」という巨大勢力を代表する人物で、吉備賀陽氏自身であり「温羅(うら)伝説」は、古代「吉備伽耶王国」の始祖伝承を伝えた話
後に、百済勢力が進出してきて吉備津彦と争うこととなる。

郎女、女郎は、身分の高い女性に用いる敬称で、
娘子は一般的な女性の呼称として使われる。

郎女、女郎は、高官のいる家の女性に対して使う。
郎女は女郎より、高い官位官職(大納言以上)の家の女性に用いる。
 
  
沙弥満誓は笠氏だから笠女郎の父親であり笠女郎の故郷は吉備の萱(カヤ郷)の出で笠氏は賀陽(かや)からの帰化人だったという説である 吉備笠垂の子とする系図がある 
笠女郎は帰化人だという説にもなる、というのは真野氏でもそうだが伽耶との関係があり吉備は伽耶の人々が移り住んだことが明確な国である、それは伽耶が製鉄の技術をもっていたので吉備は伽耶の技術者を受け入れて強国となったのである
それは大和王権を支えるものだったがやがて対立して鬼の国となり鬼退治の伝説が生まれた国なのである。
こういうふうに伽耶とかの渡来人をたどるとなぜ真野の草原という地域が実は伽耶からの渡来人のネットワークがあり笠女郎がそうした渡来人のネットワークの中にあって真野の草原という地を知っていたのである
大伴家持も涌谷で黄金を発見されたことを言祝ぐ歌を万葉集で残しているのもそうした渡来人、伽耶の人々のネットワークがあり歌われたのである、笠女郎が近江説を出している学者がいたがそれはありえないと思う
真野氏というのは吉備の出であり味鋺(あじま)野が基になっているからである。この真野氏も伽耶国から出ていたのである

●邪馬台国は伊都国にあった、そこに可也山(かややま)−伽耶山があった

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糸島市志摩には、可也山があり、万葉集にも詠まれた歌があるそうです。

巻第十五 3674 壬生宇太麿(みぶのうだまろ)の歌

草枕(くさまくら)旅を苦しみ恋ひ居(を)れば可也(かや)の山辺(やまへ)にさを鹿鳴くも  

糸島というとき伊都国があったところである 
もともと「漢委奴國王印」は伊都国に授与されたものだとしている、またこれは偽物だという説もある
魏志倭人伝には金印のことは記されていないからである。

東南至奴國百里 官曰UQ馬觚 副曰卑奴母離 有二萬餘戸

これを見る限り、抑々(そもそも) 奴国 には 王 すら存在しない
寧(むし)ろ王が いるのは 伊都国 の方で ある 

東南陸行五百里 到伊都國 官曰爾支 副曰謨觚,柄渠觚 有千餘戸 世有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐

私は これに より、金印を下賜されたのは 伊都国王の先祖で あろうと解したので ある

これは地理的にも伊都国に可也山(かややま)があり伽耶の国から移った人々が定住した
それはなぜなのか?それはそこが邪馬台国であり伽耶と密接な交流があったからだとなる
そこに官吏も常駐していた、 奴(ぬ)とはノの意味であり別称ではないとされるのもそうである
奴国とは関係ないのである。
そして考古学的にも支石墓とかが伽耶国にあり積石塚古墳も長野県とかに伝播している
これは極めて渡来系の人たちのものである、前方後円墳は伽耶国内に発見されたとしてもそれは大和の人たちが作ったものだとされる見方がありそうだと思う

●大和王権確立の過程でみちのくの真野の草原が詠まれた

会津で四道将軍が出会ったというときそれが会津の名の起こりだとするとき

会津大塚山古墳の三角縁神獣鏡は岡山県備前市の鶴山丸山古墳のものと同じ鋳型である。
吉備がここでも関係している、大和王権の成立する前は吉備は大国でありその支配領域を拡大しようとしていたのである。
真野の草原もそうした吉備勢力と伽耶の製鉄技術者の移住がありその後に大和王権が成立した 

卑弥呼の墓との説もある箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市、3世紀中ごろ〜後半)の後円部から出土した葬送儀礼用の土器「特殊器台」と「特殊壺(つぼ)」が、岡山・吉備地方から完成品として持ち込まれた可能性が高い

これも吉備が大和王権成立過程で深くかかわり敵対化して鬼退治の伝説が生まれたのである,それが蝦夷が大和王権と対立した過程ともにているのである

福島県では会津はすでに大きな国(くに)を形成していた
だから防人に出された人が
会津嶺(あいづね)の 国をさ遠(どお)み 逢はなはば偲(しの)ひにせもと 紐結ばさね」と歌ったのである。
福島県とか宮城県とかでもそうして国(くに)とは意識していない
茨城県の常陸(ひたち)でもそうである
会津だけがすでに国を形成していたのである。
だからこそ会津を臣従させようとして三角縁神獣鏡が贈られたのである。
ただ多賀城が蝦夷征服の拠点となるとき浜通りから進んだからその途中にみちのく真野があり涌谷の黄金でる山がありその資源があり伽耶の技術者などが早い時期から陸奥にかかわっていたのである。

ただ伽耶の人たちがなぜ大和王権に逆らうようになったのか?
それは出雲が縄文人の国でありそれは東北に連なるものであり長野県とかの諏訪神社系統はそうである、縄文王国があり出雲はその本拠地だったのである。
蝦夷とは縄文人とか二分した伽耶の人たちとか神道を受け継ぐ物部氏などの混成軍だったのである。
稲作民だった弥生人と狩猟や採集民族の争いでもあった、生活形態が違うと中国とモンゴルのように理解しえないから争いになる、それで万里長城が作られたからである。
もともと日本人の人口分布は西は少なかった、東が多かった、東中心の縄文勢力があり東は西とは異質な世界だったのである
西は新しい稲作技術をもたらしてできた国だったのである。

縄文人は消えたがその痕跡は地名に残されている、海老はエヒであり蝦夷である
恵比寿(えびす)であるとかその痕跡は残されている
海老の地域から弥生時代にも住んだ痕跡が発見されたというときそれだけそこは古い地域だったのである。右田とか江戸時代になったとしても烏崎も鎌倉時代にあった
でも海老はそれだけ古い地域だったとなる
そこはやはり右田とかの低地ではなく高台だったからだとなる
それでも今回の津波で壊滅したのも驚きである、津波が来たという伝承八沢浦の奥の柚木にに残っていたが海老には残っていなかった
それもなぜなのかとなる、ただ不明だが津波のことかもしれないという伝承が鹿島町誌にあったがこれは証明できない        

こういうふうにみちのくの真野の草原はただ個人的な恋の歌ではない、日本の古代史と深くかかわり歌われたのである、この一首のもつ意味は大きいのである。

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みちのくの真野の草原の歌を日本の古代史と伽耶の関係で解く(1)



posted by 老鶯 at 11:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)