2018年08月20日

今年の高校野球は面白い (一回勝負だから真剣になる−人生も同じ)


今年の高校野球は面白い

(一回勝負だから真剣になる−人生も同じ)


今年の高校野球は面白い、野球はずっと見ているからわかる、でもサッカーはゴールするとかしかわからない、どういうふうに勝敗が決まるのかわからない
どの人がうまいのかもわからない、ただゴールするところだけがわかる
そしてゴールは一試合で二回が限度だからその間だらだら何をしているのかわからないのである

野球はサッカーとはかなり違ったゲームである
今回わかったことはやはり投手が要であり投手がいいと打者がそれほどでなくても勝ち進むことができると見た
投手が打者をおさえてくれればそれなりに力を発揮できるのが野球だと思った
それで金足農業の投手がプロ級だとか言われるのもわかる
吉田投手を打てない、打たれても大きく崩れない、だから4点とるのが限度とかなる
守りがしっかりしているから見方でも4点以内とれれば勝つということでバントする試合運びができる、それは守りが投手が崩れないから4点以内には収めてくれるからそうなる

ただツーランスクイズとか決まった時は良かったが今日の日大三校でワンアウトで満塁ではスクイズが失敗した、これも同じことをしても必ずしもうまくいかない
その時々で状況が変わったりするからである
ただここで監督の指示が大きな勝敗を分けるものとなると見た
うまくあたればいいが失敗すると負けに通じる
その決断は選手ではなく監督がしていたからである。
そういう点で監督を見ることも必要になるのが野球だと見た
監督の采配によって勝敗が決まることもあるのだと見た

それから高校野球は一回勝負だから面白いともなる、一球入魂のピッチングというとき
一球を油断して打たれて試合が負けになるからだ、油断できないのだ
高校野球は一回失敗したら終わりになる負けになる
そこが高校野球の面白さを作り出している
必死でベースにヘッドスライディングするのもそのためである
それは一回勝負だからそうなっているだ
何か高校野球はトーナメント制でなく総当たり制とかにすると実力がわかるからいいとう意見もある
それはそうだと思うがそうなると高校野球の甲子園の面白さはなくなる
一回勝負ということで選手も一回限りだとして真剣になる
また次があるとしたら適当になるかもしれないからだ

その意味するところは人生でも同じである。人生はチャンスがあるとしても一回限りということがある、若い時は人生は長いのだから何回もチャンスがあると思ってしまう
でも実際は人生のチャンスはまれなのである。
一回で終わってしまうこともある、一回のチャンスを逃すと終わりだとなってしまうことがある
だからチャンスに打てるか、打てないかが野球にありそれが醍醐味だとなる
プロ野球のようにいくらでも次があるとなるととても毎回真剣にはなれないからである

剣術の試合でも一回負ければチャンスを逃し這い上がれないということがある
だからこそ真剣になる、何度もチャンスがあるとなれば真剣にはならないからだ
人生はゲームと違うのは真剣勝負であり本当に一回の勝負で負けたら命をとられるとまでなる、戦国時代ならそうだろう、別に戦国時代でなくても実際の人生でも一回の勝負が人生を左右してしまうのである
それで男はギャンブルをやめられないのである。
一回の勝負に賭ける、それで人生が決まるということがあるからやめられないのである。
今回面白いのは金足農業が全員地元の選手であり私立ではない、他はみんな私立で優秀な選手を集めて構成している、

福島県の聖光学院でも福島県出身者が一人でもいるのか?
みんな全国からの優秀な選手の寄せ集めであり八戸光星でも同じである
だから高校野球が元は全国の地域同士の戦いで盛り上がった、郷土愛が生まれて応援したそういうことがなくなったとき高校野球の意味がなくなった
何か高校野球はプロ化したのである、地元とは関係ないプロ化したチームの戦いになっていたのである、金足農業は最近ではめずらしく全部地元の選手なのである
それが高校野球のあるべき姿だったのである

桐蔭高校はそうした強力なプロ集団ともなっている、でもみんな応援するのは金足農業である、そして判官びいきもある、実際の社会でも強いものばかり勝つのはつまらない
アメリカは戦争でも勝って当然なのである。
でもベトナムに負けたということがどうしてなのかとなった
人間社会では必ずしも強い者が勝つとは限らない、そうだとしたらつまらないとなる
時には何かの調子で弱い者でも強い者でも勝つということで面白い
信長でも桶狭間で絶体絶命で非力でも大軍団に買ったから歴史に残った
桐蔭とかは大軍団なのである。日大三校にしても投手陣が何人もいた、でも負けたからそこで面白いとなった
だから決勝戦はみんな金足農業を応援している、それと東北に初の優勝旗をもって来てほしいとなる

勝負でもゲームでも勝敗を左右するのが何になるのか?
何かいろんな条件がありいくらプロ集団のようなチームでも負けることがある
それは一回限りの勝負だからそうなる、何かの調子でそうなるからである
これが三回勝負だとなるとプロ集団にはとても勝てないからである
だから一回限りということで勝ちが転ぶということありえる、ただそれも実力がないと無理である、金足農業の吉田投手が調子が良ければ守れるからそれがありうるのかと楽しみにはなる、日本全国で桐蔭には勝って欲しくないのである。

ともかく人生でも一回勝負を意識することである、なぜだらだらとして時間を無駄にしているのか?
それは一球入魂がないからである、人生は長いとなりだらだらとしまりなく生きる
人生が今日で終わりだとなると誰でも真剣になり生きようとするだろう
それがないからただだらだらと時間を浪費しているのである
今日が終わったが明日もあるとなる、でももし明日がないとしたらそうはならない
いづれにその日がくる、明日がなくなってくるのだ
老人になればわかる、もう明日はないのである。そして何かをするチャンスは失われたし何もできなくなってしまうからである
そしてみんな後悔しているがそのチャンスは若い時に活かせるが老人になったらできない体力もなくなるしそれだけのエネルギーがなくなっているからだ
あっいうまに青春など過ぎ去る、後は後悔が残るだけだったとなってしまうのである。

posted by 老鶯 at 17:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2018年08月21日

なぜ地理がわからないのか? (鉄道ではなく城と城を結びつける地理)


 なぜ地理がわからないのか?

 (鉄道ではなく城と城を結びつける地理)

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 なぜ地理がわかりにくいのか?
それは鉄道を利用した地理は本来の地理と異なるからである。
例えば相馬から岩沼に行き福島市に行くことは本来ありえないことである
鉄道がなければ阿武隈高原を越えねばならない、江戸時代までは街道があり宿場町があり宿場と宿場を結ぶ道としてあった
その街道が鉄道によってすたれたのである
白河街道は会津と結ぶ道だが鉄道ができたらそこを通らないから忘れられた道となる
そこは芒の原の中に街道があり埋もれていたのである
七ヶ宿街道でもそうである、鉄道で行けばそこは通らなしいからだ
つまり鉄道からはずれた所は廃れたのである
それによって本来の地理がわからなくなったのである。

まず地理を知るにはもともとの地形があるが歴史としての道がありそこから知る必要がある,だから城があったところを結ぶことで地理と歴史の感覚を身につける
丸森には金山城がありそこで伊達と相馬氏の領地争いがあったからである
それから地理を知るには川とかの役割も大きい、阿武隈川をたどり地理を知る
川が目安として地理を把握する,外国だと川が地理の中心になる
川が国境にもなり運河の役割があるから交通路になっていたからである
日本の場合は川が交通路になりにくかったから川が地理の目印になりにくい
でも阿武隈川は大きい長い川だから目安になりやすいのである
丸森から亘理の荒浜までは大きな川であり交通路になる
ただ福島市からでも米が船で運ばれていた、でも途中難所がありむずかしかった

とにかく江戸時代の街道が主要な交通路として知ることが地理を知るには大事である
七ヶ宿街道もわかりにくいしさびれていた
それがどうして上山城に通じているのかわかりにくかった
それはかなりの急峻な山を越えるからである、そこはもう幹線道路からも鉄道からも隔離されたような所になったからである。
みんな東北本線とか東北高速道路とかから地理を意識する
確かにそこが奥の細道の幹線道路だった
でも白河街道とか七ヶ宿街道も幹線道路だったが忘れられたのである。

旅する時自転車などだとどうしても今の幹線道路を行く、浜通りだったら6号線を行く
でも本当は城と城を結びつける昔の街道を行くと歴史の道と自然の道が合体してイメージできるようになる、でも遠くからだとめんどうになるから行けない、近くだとなんとか行けるとなり自転車で自分は行った
ただふりかえると上山城とかに行った経路は七ヶ宿街道だけどどういうふうな経路をたどって行ったのかわからなくなる
旅は意外と記憶が大事だと言ってきたけど記憶するというのは鉄道になると線路をあるところしか行けない、でも江戸時代は鉄道がないのだから道をたどる旅になる
道は山の中でも通じている、それで何か昔の街道はさびれたものになった
でもまたそれで地理がわかりにくくなったのである。
地理というのは一部分を切り取るように見るとわかりにくい
全体としてみる、全体として知ることが必要である
この辺だと相馬藩を基点として丸森とか白石城とか上山城とかと結びつける
すると地理が具体的に全体としてとらえることができる
江戸時代は城と城とを結ぶのが道でありそこで交流があったからである

いづれにしろ地理が具体的にわかるのはこの辺ではこの地図に記した範囲になる
福島県は広すぎるからわからない、まず会津は広すぎて山が多いからわからなかった
ただふりかえると自分は自転車で相当に回った、それで地理的感覚が身についたとはなるある意味でそれが仕事だったのである。その時家族が留守を守ってくれたとかしたからできたと今では思う
今になると介護十年とかなり今度は家族がみんな死んだが留守する人がいないということで出かけられない体力的にもきついとなってしまった
ただ記憶をたどる旅ができるのはこうして自転車で旅したことによっていたのである
鉄道の旅はそれなりに役にたつにしても決められたルートしか行けないし地理感覚は身につかないのである 

みちのくの真野の草原の歌を日本の古代史と伽耶の関係で解く


みちのくの真野の草原の歌を日本の古代史と伽耶の関係で解く

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インドと仏教でこの金銅双魚佩は関係していたのか?


●草原(かや)原は萱(かや)のことではない

みちのくの真野の草原(かやはら)遠けれど面影にして見ゆというものを(笠女郎)

この万葉集の歌は邪馬台国の成立から中国と韓半島の国際情勢とか歴史から見ないとわからない、この歌はみちのくの辺境の一地域の歌ではない
古代国家成立の歴史の関係の中で作られたのである。
その場所は二つある、石巻に萱原という地名があるからそこが江戸時代までは真野の草原となっていた
現実に真野と記された木簡も発見されたりしている
でも地理から見るとどうしても真野があり多賀城がありその線の中に黄金が発見された涌谷がありその歌は万葉集に記されている
だからみちのくの真野は考古学的にも古墳が多く前方後円墳がありそこから金銅双魚佩とかが発見されたことでここは中央の奈良の大和政権と関係かある場として認識された

これまで書いてきたようにこの歌の謎を解き明かすにはそうした中国とか韓半島の情勢が深く関係していている、一地域のことではないのである
古代国家成立と深く関係している,すると大和王権成立までの過程も知らなければならないとなる、それは骨の折れる作業なのである。
古代史は複雑怪奇になっているからだ
これまで伽耶(かや)について度々書いてきた
それはなぜか?それは福島県の海岸線にその跡があるからだ
伽耶は鉄を生産して技術をもった国であり韓半島で新羅とか内部でも争いがありその一団が福島県の海岸線をさかのぼりその跡を記したからである

末続の地名は須恵のことであり須恵器を作る渡来人が移動して移住して名付けられた
それが鳥取の末続神社と関係しているのは出雲由来で渡来人が伽耶の国の人たちが日本に移民となって入ってきたからである
天皇が伽耶から来たというとき伽耶は日本の国の大和王権の発祥の地となっている
大和王権の前の邪馬台国でもそうである


金=kasi(カシ)  宮=palli(ハル) 
駕洛国(任那)の王姓である金官-金海 のことである。

26代の継体天皇(507〜531)の後、27代安閑天皇は在位2年、宣化天皇が4年で崩御、そして29代が欽明天皇(539年即位)である。
そして、この時代に「仏教伝来」となる,,,,,,,,,,,,,。
https://tokatu1.at.webry.info/201009/article_1.html                             

ここでも橿原(かしはら)とあっても原はは韓国語でハルであり宮だとある
つまり草原はカヤハラは誰も人が住んでいない草原ではないのである
そこには宮なのある、むしろ新しく人が移り住んで宮を作った所なのである。
それは橿原と草原は同じなのである。カシというとき木をあてていてもそうではないからだ カシはカサでありそれは韓国語になる、ここでもまきらわしいものとなる

駕洛国(任那)の王姓である金官-金海 のことである

カラとは伽耶国のことであり唐神と真野にも地名があるが実は伽耶の神のことである
それは仏様になる
伽耶というのはなじみがないというか正史に記されない、それは伽耶は史実から消されたからである。何か不都合があって消されたのである。
でも地名をたどるとそれが記されているのである
飛鳥とかもスカヤとか伽耶国にありその名からとったのである。
だからそうして伽耶がかかわったとすると飛鳥王朝時代までは伽耶が深く関係していたのかとなる
その後の藤原宮から平城宮の奈良時代となるとそうした伽耶とか渡来人勢力は大和王権にとりこまれて伽耶は消滅したのである。

ツノガノアラシトとは伽耶の王子のことである、そのツノガノアラシトの角(つの)のつく地名が小高にある、角部(つのべ)がそうである
他に津神社とあるときツノミヤ神社でありツノガノアラシト神社のことである。
それは伽耶の王子のことなのである。
相馬市の松川浦にも津神社(ツノミヤ)神社があるがこれはツノガノアラシトからきている、他にも津神社はこの辺の海岸線とか他にも多いのである。
津軽(つがる)もツノガノアラシトがなまったものである
正史から伽耶は消されたが地名に日本の大地に地名として記したとなる
その地名は消すことができなかったのである。

草原(かやはら)の歌はただの萱が茂っている場所ではないことは間違いない
ただ不思議なのは萱浜と原町にありこれはカイ浜と呼ばれていた
それで甲斐と関係していてその伝説が残された、それはもともとここがカイと呼ばれていたからだろう
甲斐とあるとき武田信玄だがこの甲斐もカイに由来している、すると二つの説があることになる

●草原(かやはら)はカイでありこれは蝦夷とアイヌと関係している

●草原(かやはら)は伽耶(かや)と関係している

この二つの説になる、北海道の海はカイのことでありアイヌ族のことである
でもこの二つの説を考えるともしカイであればそれは蝦夷とかアイヌに由来している
ところが蝦夷には伽耶(かや)が関係していた
出雲は伽耶が二分した勢力があり九州と出雲に分かれたという説がある
出雲は縄文人が形成したのであり出雲は大和王権と対立した大きな勢力だった
その出雲は縄文人の勢力として残った、その勢力が強力だったのは伽耶がその中に入っていたからである、伽耶の人たちは鉄を作る技術をもっていたから強力な敵となったのである。

ずーずー弁が出雲地方で鳥取とかで聞かれるというときもそうである
なまえとか方言はなかなか消えないのである。
それで面白かったのは丸森の金山城の麓に住んでいる人が病院で一緒になった
その人はんだちゃと言っていた、相馬弁では語尾はんだになる
でも伊達藩とか宮城県になるとだっちゃになる
新地は伊達藩でありその人がだっちゃと言っていたのはそのためかもしれない
新地は相馬藩ではないからだ
つまり相馬藩内の方言と伊達藩の方言が合体した言葉になる
それは金山城では一時相馬藩が支配していたからその影響でそうなった
伽耶というのは出雲にも縄文人とも関係していた、出雲は蝦夷であり大和王権と対立した勢力だからである。
長野県でも諏訪神社が多いがこれは出雲と関係している、タケミナカタの神とは出雲の神だからである。

いづれにしろこの伽耶が関係していることで古代史は複雑怪奇になっている
ただ真野の草原をただ萱(かや)がなびいている場として見るのは間違っていることは確かである
真野の草原は遠いけど開かれた場所として奈良の人たち知られていたのである。
遠い場所にある知られた場所だったのである。
だから地名なことは確かである。
それは遠い場所にあるということで恋の歌として喩えになったのである。
真野の草原は遠い地だけど恋するあなたを私は偲びます、あなたは大伴家持は面影に見えますという意味なのである。
これは単なる恋の歌ではない、その背景を考えると中国や韓半島の歴史と日本の大和王権成立する過程の中で作られた歌なのである。

天皇(すめろき)の 御代栄(さか)えむと 東(あづま)なる 
陸奥山(みちのくやま)に 金(くがね)花咲く
(大伴家持)

みちのくの真野の草原遠けれど面影にして見ゆというものを(笠女郎)

この二つの歌は多賀城への経路にあり関係ないとも言えない、ここの真野と黄金が発掘された涌谷はそれほど遠くない、ただ石巻に萱原の地名があっても遠いのである。
だから江戸時代までは石巻の萱原だったが考古学が発展してここがこの歌の地域だとなったのである。
ただここに伽耶がからんでくると複雑になる、それは中国や韓半島とかの情勢と深く関係して大和王権成立を読み込まなければならないからだ



謎の出雲伽耶王朝(天皇家朝鮮渡来の妄説を撃つ)関祐二

この本は面白かった、伽耶が何だったのかわかりやすい、本元は出雲であり大和であり縄文人であったことを解き明かしている
伽耶はそこにかかわったとしても主勢力ではない、日本ではすでに大きな勢力が出雲を中心とした縄文人の勢力や奈良を中心とした勢力があった、それが日本の基であり伽耶は外来の渡来人であり主勢力ではなかったのである。
ただ伽耶が二分されたということは複雑である、大和王権が成立する過程でそうなった






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2018年08月22日

みちのくの真野の草原の歌を日本の古代史と伽耶の関係で解く(2)


みちのくの真野の草原の歌を日本の古代史と伽耶の関係で解く(2)
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●真野氏とは渡来系であり伽耶と関係している?

和邇氏(崇神天皇にみる大王家〜雄略まで)→継体天皇(昆支の孫・百済王権、ただし奥様は和邇氏系〜敏達まで)→用明天皇(蘇我氏、ただしこの氏族は和邇氏の支族で朝鮮半島・伽耶にいて、滅亡とともに百済に亡命、または年代的に、蘇我稲目として渡来し、直前までは金管伽耶の宰であったかも)


金管伽耶での、宰(吉氏)と、大伽耶(狗耶韓国)の王子ソナカシチ(ツヌガアラシト)の現地での関係はわかりません。おそらく、伊都国の一大率と伊都国王のような関係かもしれません     

また吉田連は、神亀元年に吉宜や吉智主が賜わった氏姓で(『続日本紀』 ・ 『新撰姓氏録』)、 『姓氏録』や『続日本後紀』によれば、塩垂津彦(天帯彦国押人命の商) が、崇神朝に己紋(嶋津江流域にあった伽耶諸国中の小国、のち百済に併合)に派遣され、その子孫の達率吉大尚とその弟の吉少尚らが来朝したとし、 『姓氏録』は旧姓の「吉」 (キチ)を、己没で「宰」を称する言葉であるとするが、吉大(太)尚が『日本書紀』や『懐風藻』に見える天智朝頃の実在の人物で、達率という百済の官位を帯び、キチ・キシが首長を表す朝鮮語にもとづくことから、この氏の実態は7世紀後半の百済の役後に渡来した亡命百済人(己抜糸)と見て差し支えない。 さらに『姓氏録』右京皇別下に天足彦国押人命の三世孫彦国茸命の商と記す真野臣は、彦国茸命の曾孫の大矢田相称が神功皇后の新羅征伐に従軍し新羅国王の女を要って生んだ佐久命の子 孫で、その九世孫の和珂部臣鳥と忍勝らが近江国志賀郡真野村に居住したために、庚寅年籍で真野臣の姓を負ったとするが、貞観5年9月、真野臣永徳らが宿祢姓を賜わった時に百済系渡来氏族 の民首の一族の者が、これと同視と称して真野臣の氏姓を与えられており(『三代実録』)、真野氏ももとは渡来系であったと推断することができる。 

真野氏とは何者なのか?この辺で真野郷があり石巻にも真野氏の木簡が発見されている、製鉄の技術をもった集団だった、その真野氏の起こりは吉備にあった
真野とはその前に味真野が基である、味鋺(あじま)をあてている、芦の間の忌なのか
あじまとは漢字をあてているが開墾した地域ともなる


吉備津神社の社伝に、中山の麓に茅葺宮を営み、吉備津彦神を加夜臣奈留美命(かやのおみなるみみこと)が祀ったのが神社の起こりという事で、加夜臣奈留美命(かやのおみなるみみこと)とは、飛鳥の神名備に坐せた、加夜奈流美(かやなるみのこと)ことで、この賀陽氏の始祖神です。吉備津神社の主祭神は、大吉備津彦命ら八柱で、二柱は賀陽氏の祭祀神で、他は吉備臣の先祖とされる孝霊天皇の子神。

この「温羅(うら)伝説」の温羅こそ、「吉備伽耶王国」という巨大勢力を代表する人物で、吉備賀陽氏自身であり「温羅(うら)伝説」は、古代「吉備伽耶王国」の始祖伝承を伝えた話
後に、百済勢力が進出してきて吉備津彦と争うこととなる。

郎女、女郎は、身分の高い女性に用いる敬称で、
娘子は一般的な女性の呼称として使われる。

郎女、女郎は、高官のいる家の女性に対して使う。
郎女は女郎より、高い官位官職(大納言以上)の家の女性に用いる。
 
  
沙弥満誓は笠氏だから笠女郎の父親であり笠女郎の故郷は吉備の萱(カヤ郷)の出で笠氏は賀陽(かや)からの帰化人だったという説である 吉備笠垂の子とする系図がある 
笠女郎は帰化人だという説にもなる、というのは真野氏でもそうだが伽耶との関係があり吉備は伽耶の人々が移り住んだことが明確な国である、それは伽耶が製鉄の技術をもっていたので吉備は伽耶の技術者を受け入れて強国となったのである
それは大和王権を支えるものだったがやがて対立して鬼の国となり鬼退治の伝説が生まれた国なのである。
こういうふうに伽耶とかの渡来人をたどるとなぜ真野の草原という地域が実は伽耶からの渡来人のネットワークがあり笠女郎がそうした渡来人のネットワークの中にあって真野の草原という地を知っていたのである
大伴家持も涌谷で黄金を発見されたことを言祝ぐ歌を万葉集で残しているのもそうした渡来人、伽耶の人々のネットワークがあり歌われたのである、笠女郎が近江説を出している学者がいたがそれはありえないと思う
真野氏というのは吉備の出であり味鋺(あじま)野が基になっているからである。この真野氏も伽耶国から出ていたのである

●邪馬台国は伊都国にあった、そこに可也山(かややま)−伽耶山があった

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糸島市志摩には、可也山があり、万葉集にも詠まれた歌があるそうです。

巻第十五 3674 壬生宇太麿(みぶのうだまろ)の歌

草枕(くさまくら)旅を苦しみ恋ひ居(を)れば可也(かや)の山辺(やまへ)にさを鹿鳴くも  

糸島というとき伊都国があったところである 
もともと「漢委奴國王印」は伊都国に授与されたものだとしている、またこれは偽物だという説もある
魏志倭人伝には金印のことは記されていないからである。

東南至奴國百里 官曰UQ馬觚 副曰卑奴母離 有二萬餘戸

これを見る限り、抑々(そもそも) 奴国 には 王 すら存在しない
寧(むし)ろ王が いるのは 伊都国 の方で ある 

東南陸行五百里 到伊都國 官曰爾支 副曰謨觚,柄渠觚 有千餘戸 世有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐

私は これに より、金印を下賜されたのは 伊都国王の先祖で あろうと解したので ある

これは地理的にも伊都国に可也山(かややま)があり伽耶の国から移った人々が定住した
それはなぜなのか?それはそこが邪馬台国であり伽耶と密接な交流があったからだとなる
そこに官吏も常駐していた、 奴(ぬ)とはノの意味であり別称ではないとされるのもそうである
奴国とは関係ないのである。
そして考古学的にも支石墓とかが伽耶国にあり積石塚古墳も長野県とかに伝播している
これは極めて渡来系の人たちのものである、前方後円墳は伽耶国内に発見されたとしてもそれは大和の人たちが作ったものだとされる見方がありそうだと思う

●大和王権確立の過程でみちのくの真野の草原が詠まれた

会津で四道将軍が出会ったというときそれが会津の名の起こりだとするとき

会津大塚山古墳の三角縁神獣鏡は岡山県備前市の鶴山丸山古墳のものと同じ鋳型である。
吉備がここでも関係している、大和王権の成立する前は吉備は大国でありその支配領域を拡大しようとしていたのである。
真野の草原もそうした吉備勢力と伽耶の製鉄技術者の移住がありその後に大和王権が成立した 

卑弥呼の墓との説もある箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市、3世紀中ごろ〜後半)の後円部から出土した葬送儀礼用の土器「特殊器台」と「特殊壺(つぼ)」が、岡山・吉備地方から完成品として持ち込まれた可能性が高い

これも吉備が大和王権成立過程で深くかかわり敵対化して鬼退治の伝説が生まれたのである,それが蝦夷が大和王権と対立した過程ともにているのである

福島県では会津はすでに大きな国(くに)を形成していた
だから防人に出された人が
会津嶺(あいづね)の 国をさ遠(どお)み 逢はなはば偲(しの)ひにせもと 紐結ばさね」と歌ったのである。
福島県とか宮城県とかでもそうして国(くに)とは意識していない
茨城県の常陸(ひたち)でもそうである
会津だけがすでに国を形成していたのである。
だからこそ会津を臣従させようとして三角縁神獣鏡が贈られたのである。
ただ多賀城が蝦夷征服の拠点となるとき浜通りから進んだからその途中にみちのく真野があり涌谷の黄金でる山がありその資源があり伽耶の技術者などが早い時期から陸奥にかかわっていたのである。

ただ伽耶の人たちがなぜ大和王権に逆らうようになったのか?
それは出雲が縄文人の国でありそれは東北に連なるものであり長野県とかの諏訪神社系統はそうである、縄文王国があり出雲はその本拠地だったのである。
蝦夷とは縄文人とか二分した伽耶の人たちとか神道を受け継ぐ物部氏などの混成軍だったのである。
稲作民だった弥生人と狩猟や採集民族の争いでもあった、生活形態が違うと中国とモンゴルのように理解しえないから争いになる、それで万里長城が作られたからである。
もともと日本人の人口分布は西は少なかった、東が多かった、東中心の縄文勢力があり東は西とは異質な世界だったのである
西は新しい稲作技術をもたらしてできた国だったのである。

縄文人は消えたがその痕跡は地名に残されている、海老はエヒであり蝦夷である
恵比寿(えびす)であるとかその痕跡は残されている
海老の地域から弥生時代にも住んだ痕跡が発見されたというときそれだけそこは古い地域だったのである。右田とか江戸時代になったとしても烏崎も鎌倉時代にあった
でも海老はそれだけ古い地域だったとなる
そこはやはり右田とかの低地ではなく高台だったからだとなる
それでも今回の津波で壊滅したのも驚きである、津波が来たという伝承八沢浦の奥の柚木にに残っていたが海老には残っていなかった
それもなぜなのかとなる、ただ不明だが津波のことかもしれないという伝承が鹿島町誌にあったがこれは証明できない        

こういうふうにみちのくの真野の草原はただ個人的な恋の歌ではない、日本の古代史と深くかかわり歌われたのである、この一首のもつ意味は大きいのである。

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みちのくの真野の草原の歌を日本の古代史と伽耶の関係で解く(1)



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2018年08月23日

抽象画は一つのソフトから大量生産できる

抽象画は一つのソフトから大量生産できる

Abstract painting can be mass-produced from one  software


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silent lined stones

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抽象画は一つのソフトから大量生産できる
それは機械的作業なのである。
何の創造力も必要ないのである。
ただ機械的に変形してそれが絵になっている
普通はどいな芸術でも才能なしではありえない
でも私がしてきたことは才能と全く関係ないのである。

ただそううして機械的に作られたものが何なのか見る目が必要になる
森があり石が並んでいるとしたら石は沈黙している、それが列をなして沈黙しているとかなる

でも絵は見ればたいだいわかる、説明が要らないのである。

詩は言葉になると一番難解であり外国語になると通じないのである。

Abstract painting can be mass-produced from one software
It is a mechanical work.
I do not need any creativity.
It is just a mechanical deformation and it is a picture
In general any art can not be without talent
But what I have done has nothing to do with talent.

However, we need an eye to see what is mechanically made in that way
If there are forests and stones lined up, the stone is silent, it is silence that is in line

But I can understand much if I see the picture, I do not need explanation.

Poetry is the most challenging when it comes to words and it does not make sense when it comes to a foreign language.

古墳時代中後期の集落発見、 渡来人〈伽耶)と日本人が一緒に暮らした証し (牡鹿半島の名の由来−そこにも真野氏がかかわっていた)


古墳時代中後期の集落発見、 渡来人〈伽耶)と日本人が一緒に暮らした証し 

(牡鹿半島の名の由来−そこにも真野氏がかかわっていた)

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洛東江の上流に伽耶国の本体があり河を通じて下流に鉄の資材が運ばれたのか?
河口で金官とあるとき加工したりしたのか?
黄色の部分が伽耶とか日本府任那であった
多羅とはタタラであり日本の地名に多い、つまり製鉄遺跡である

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真野公(まのぎみ)の木簡が石巻の真野地区から出た

古代の行方郡衙の場所は新田川の河口付近、現在の南相馬市原町区泉にある泉廃寺跡と推定されています。また和名類聚抄には「奈女加多(なめかた)郡」とあり、

奈女とあるのは奈女加多(なめかた)郡のことである、ここから真野氏が来たと記してあったとなる



兵庫県教育委員会は22日、姫路市網干区高田の前田遺跡と中筋遺跡で、古墳時代中後期の集落跡が見つかったと発表した。古墳中期(5世紀)の前田遺跡には竪穴住居跡が少なくとも12カ所あり、朝鮮半島から流入した渡来人の居住を示す須恵器も多く出土。

 集落跡は県道整備に伴う5月からの発掘調査で発見された。前田遺跡の須恵器はくし状の工具で模様が付けられており、京都橘大学の中久保辰夫准教授(東アジア考古学)によると、朝鮮半島南東部の「加耶」から伝わった技術という。



須恵器と関連したものが地名でも姓名でも多い、常磐線の末続がそうである。


須衛都久(すゑつく)の社

(主祭神)
 伊弉冉尊(いざなみのみこと)
 素戔嗚尊(すさのおのみこと)

<由来>(神國島根より)
 往古は末次亀田山(現在の城山)にあったが、慶長年間の築城の際に末次茶町へ移転、延宝年間に洪水で倒壊し現在地へと移った。

 <由来>(神國島根より)
 往古は末次亀田山(現在の城山)にあったが、慶長年間の築城の際に末次茶町へ移転、延宝年間に洪水で倒壊し現在地へと移った。

昔、宍道湖と中海を望む末次(すえつぐ=松江の古名)は農耕も適さない湿地帯でした。そこで、里人は現在松江城のある末次山に農耕の守護神として
「宇賀御魂神」を、文武の徳によって郷内の秩序を整えるため「誉田別命」を祀りました
現在「須衛都久(すゑつく)の社」は松江市西茶町に祀られている。また、松江市内のあちこちに「末次」と付く地名が残っている

松江は渡来人の国だった、

意宇郡(おうぐん)

意宇郡(おうぐん)の神社

韓国伊太神社(からくにいたてじんじゃ)
阿太加夜神社(あだかやじんじゃ)

中国山地と瀬戸内をつないだ「縦の道」である主要河川の発達は、さらに山陰の豊富で高品質な砂鉄や鉄鉱石など鉄素材の開拓を呼び、瀬戸内に注ぐ河川と日本海に注ぐ河川をつなぐ「陰陽連絡路」を開拓し、山陰地方の製鉄開拓に拍車がかかった。

古代の日本と加耶(田中俊明)

陸奥のオホ氏は、おそらく同族の信濃國造の縁で、浅間山の火山灰で壊滅させられた信濃を逃れ栗原に移住したであろう高句麗系騎馬民とも密接であったと考えます。
 オホ氏は、三輪山祭祀に代表される神と天皇を結び付ける“中ツ臣氏族”としての座をかなり早い段階でワニ氏に上塗りされていたかに思われ、辺境に散ったオホ氏の多くも、徐々にワニ色に染められていったのではないでしょうか。

 ワニ氏は、人皇五代「孝昭天皇」の子、すなわち六代「孝安天皇」の兄弟「天足彦国押人命――天押帯日子命――」の子、「和爾日子押人命――稚押彦命――」が始祖とされているわけですが、
 ワニ氏初祖の「天足彦国押人命」の母である孝昭皇后「世襲足媛(よそたらしひめ)命」の父は「天忍男命」でありますが、「押媛(おしひめ)」の又の名が「忍鹿比売(おしかひめ)」であることから、この「忍」も「押」と同韻であったと推察されます。

意宇氏は渡来系でありこの氏族が天皇に直結する氏族となった
それだけの力をもっていた、ただこれは伽耶国出身でありのちに和邇(ワニ)氏に属するようになったという説をここで書いている
この和邇氏の一族となったのが真野氏だから真野氏はもともと吉備から発して渡来人だった、伽耶の出だったのである。
牡鹿(おしか)半島の名の由来が和邇氏と関係している「忍鹿比売(おしかひめ)」だというのは納得がいく
なぜなら考古学の証拠として真野という記された木簡が石巻で発見されたからである。
だから真野の草原がどこかというとき石巻には萱原という地名があり江戸時代まではそこが真野の草原(かやはら)だとされていたのである。
全く裏付けがないということではなかったのである。

出雲に伽耶が入りそこから信州とかにも渡来人が入り長野県に積石塚古墳とか作ったりして福島県の浜通りに砂鉄を求めて産鉄集団が移住してきた
その経路にみちのく真野の草原の歌が万葉集に残った、それは牡鹿半島まで続いていた
なぜなら牡鹿(おしか)とは和邇氏系統であり和邇氏に意宇氏(オホ)がとりこまれたからである。その和邇氏の一族として真野氏もとりこまれたのである。
製鉄技術集団の真野氏が石巻に移住して行ったことは確かなのである。





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マスメデアは感情的にさせる客観性がないバッシングメデア (対抗メデアになっている武田邦彦氏の発言)


マスメデアは感情的にさせる客観性がないバッシングメデア

(対抗メデアになっている武田邦彦氏の発言)

武田邦彦氏が盛んに日本人は感傷的感情的になりすぎる、客観的冷静に見て判断しない
合理的ではないというとき日本人にはもともとそうした科学的合理的精神が育たなかったとなる
科学的合理的精神がなぜヨ−ロッパに育だったのか?
それは一神教でありキリスト教から育まれたという見方がある
なぜ宗教から合理的精神や科学的精神が育つのか?
それは一神教というときあらゆるものが神となるアニミズムから解放されるからである
偶像崇拝から解放されるから科学的合理的精神が育つとみる

日本人は感情的だというとき義理人情の世界だから情に重きを置くからそうなる
日本人には法の精神とは育ちにくいだろう。法律は情を極力入れな、感情移入しないところに成り立つからである
感情的ではなく冷静な客観的判断をすることに重点を置くからだ
日本にはこういう精神が欠けているのは確かである

明治になるとそうしたヨ−ロッパの文明が入ってきたとき思想でも何でも日本人は同化しようとしたがなかなかできなかった
例えばこの合理的客観的精神は文学にも影響したのである
正岡子規の俳句の写生論がそうである
「鶏頭の十四五本ありぬべし」の俳句がその代表だったのである。
こういう俳句はありえなかったからである、それはヨ−ロッパの文化が入ってきたとき写実主義が絵でも現されているそれを取り入れたからそうなった
極力悲しいとか淋しいとかうれしいときいう感情は入れない、なぜならそうすると俳句は短いから表現できないからである
短歌だとそうした淋しいとか悲しいとうれしいとか悔しいとかの感情が入れやすいのである、俳句は感情的なものを入れるとも短いから成り立たなくなるからだ

客観性は科学や法の精神である、主観とか感情移入すると客観的判断はできなくなる
だから親族の発言は認めないとなる、どうしてもそこに感情が入るから公正な判断ができなくなるからだ
法で裁くというとき何かの事件でも殺人事件でも客観的な判断になるもの証拠が必要になる、すると科学的にその証拠を集めてそれが有力な判断基準になる
推理小説ではドラマではそうなっている、つまり人間の争いは複雑であり感情的になると誤るし利害とかからむとまた判断を誤る
それで客観的証拠として科学で追求するようになったのである。
私もそのことで失敗した、親戚でも双方の言い分を聞かなくて一方的に一人の言い分だけを聞いていたからである。それで判断を誤ったのである。
それは利害も関係していてそうなった

人間はそもそも客観的に冷静に判断することがむずかしいのである

objectとなると【哲学】 対象,客観,客体 (⇔subject)の意味になる

objectには物体という意味があり物体から見れば客観的になる
人間だと感情移入するから客観的になりにくいのである
科学者はobjectの追求しているから客観性を維持できる
文系は感情的になりやすい傾向がある
それで武田邦彦氏の言うことは科学者であり文系にも詳しいから参考になる
考えさせられるものとなるからだ

マスメデアは文系なのである、理系の研究者などいない、だからどうして科学的なことについて追求できるのかとなる、何の専門性もない素人である、
それでもマスメデアはただ大勢の人が見るということで力をもっていたのである
大勢の人に訴えるにはわかりふすいことである。
それは感情に訴えることなのである。

ともかくニュースでも犯罪があれば感情を刺激する報道をする、何かをハッシングの対象にする、裁判官のようになっている
それはマスコミはマスメデアは単なるメデアではない、媒体ではない
自分たちの思う通りにしたいという明確な意志があって報道している
だからそれに反するものは発言させない、正しくても発言させないし取り上げないのである。またマスコミのマスコミ会社の意にかなわないものは排除する、報道もしないのである。

そしてマスコミはマスメデアは洗脳機関なのである。何か客観的に正しいものを追求していないのである。
この辺で起きたことでもそうである。補償金問題でもめていたとき一方的に原発避難民側に立って番組を作っていた
それでもし原発避難民を批判したらNHKでマスコミでそんなことを言わないとなりハッシングされる、なんて冷たい奴なのだとなり自分も批判されたのである
それはNHKにマスコミにお墨付きをもらったからそうなったともなる

でも現実問題として飯館村でも補償金で二分したけど牛を飼っている農家が9億円もらったというときそれは報道されないし真実かどうかわからない
でも大熊では5億円もらったというとき嘘ではないと思う
なぜなら事業している人とか土地をもっているとか酪農とか肉牛を飼っている人は多額の補償金を出たことは確かだからである。
それが現実であるが報道はされないから誤った判断になる
飯館村の村長が寄付金を募っていた、9億円ももらった人がもしいたらなぜその人たちは飯館村の復興に金を使わないのかとなるからだ 

でもそういうことは隠されるから飯館村ではかわいそうだなとなる
私も飯館村には思い入れがあるから批判はしたくない、飯館村は双葉とか大熊とは違う
原発とは関係ない所に位置していたからである
ただ金の問題になったときそんなに補償金をもらう人がいてなぜその人たちは村の復興に使わないのか?ただもう村を出てゆくことが優先されるだけだとなってしまった
これも外部の人はそういうことが報道されない隠されるから判断を誤る
ただ補償金では利害からんでいるから当事者だと客観的になりにくい
ここは30キロからはずれて補償金ももらったとしても少なかったから私は発言できたともなる

いづれにしろマスメデアとかマスコミの時代は終わったと思う、新聞とかもやがてなくなるかもしれない、すでに若い世代は新聞もテレビも見ないからである。
そしてでは判断基準をになるのは何になるのか?
それを象徴していたのが武田邦彦氏の科学者としての発言である
反対することがあってもインタ−ネットでは個々人の発言でありマスコミの会社としての発言ではない、すると何であれ考えさせる
つまり個々人だから対話的になるのである。この人はこんなことを言っている、そういうこともあるの,そういう考えもあるのとなり自らも考えるようになる

でもマスコミは煽情的であり何かをあおりバッシングさせるメデアである
まず阿部首相は気に食わない、自民党は気に食わない、だからやめさせるべきだ
そこから出発して会社として朝日新聞社とか毎日新聞社の意見として編集して放送しているのである。その会社の意向に反する者は発言できないのである。
それはカルト宗教団体ともにているし感情をあおるナチス的手法でもある
ゲッベルスになっているのがマスコミである
だからこそ朝日新聞は戦争を一番あおったのである

インタ−ネットにも問題があるが個々のメデアだから対話的であり考えさせるとはなる
大衆を対象にもしていないからである。
インタ−ネットでも大衆を対象にするとき感情をあおるようになる
でもそういうメデアではないからてりにくい、マスメデアはマスコミはあくまでも大衆をマスを相手にしている、だから考えさせないで感情的にあおる
まず犯罪の報道でも裁判官になっている、何かの報道でも裁判官になる
だからそういう資格があるのかという疑問がある
科学的に専門知識をもっている経歴の人がいないということは言えるからだ
武田邦彦氏の経歴はやはり他者の追随できなものである
ただすべてを容認はできないにしても科学については詳しいからそこから客観的判断ができるとてり考えさせるとなる

2018年08月24日

ニュースとは何なのか? (地域では個々人の動静もニュース)

                      
ニュースとは何なのか?

(地域では個々人の動静もニュース)


●知人が仙台の病院に入院して長引く
白内障の手術だが糖尿病があるので仙台の病院に入院手術

●知人が東京の建築現場で出張で働きに出る
お盆には帰ってくるからと言ったが来ない
会社はいわき市にあり派遣された

●福島生協に自分が加入

チラシを見て買うのがめんどうだった、オカズになる冷蔵食品とか冷凍食品が多いが
チラシでは料理したものが写真として出ている
でもオカズの種類は少ない、豆腐ハンバーグとかを買う
ハンバーグの種類は毎週違っている、それほどオカズになるものはなかった
ただ自分はオカズに困っているので入った
毎日配達するだけでしなくても180円とられるから得なものではない
スーパーの方が金はかからないがとにかく自分はオカズと買い物で苦労している
一日二つのスーパーに行き三回も行くこともある
それはオカズを用意できないためである

まず食事の用意が手間であり家事もありこれをしていたら何もできなくなる
だから簡単にすませるために入ったのである
配達しているのは相馬市の人であり相馬市に支店がある
営業にきて勧誘した人も60以上の老人であり配達する人もそうだった
これを見るともう老人も働く時代である
相馬市の人が鹿島のスーパーで働いている、退職した人である
その人は暇だから働いているというから動機が違っている
今はそういう人は少なく金が必要になるから働いている人が多い

生協ではその他いろいろサービスしている
電気までサービスしている、でも一年で2000円安くなるだけだとなるとめんどうだからしないとなる、そのサービスも不安になるからだ
その他通信関係のサービスとか保険とかいろいろしている
それが地元密着型になれば一人暮らしとかにサービスしてもらえればいいなと思った

前に仙台から来たユニットバスを作る会社に頼んだことを書いた
100万であり安いから頼んが、その代金はガス会社のイワタ二だと二百万かかると言っていたから安いしその仕事はいいものだった、不都合はなかった

今の社会はこうしてみると広域化している、むずかしい病気は地元では直せない
それで福島医大に通っていた人もいる
福島は車で相馬市から高速ができたから早くなったので便利である

ともかく広域社会でありグロ−バル化社会である
個々人がどういう動静にあるのか?
どういう仕事をしているのか?問題をかかえているのか?
それが地域だと見いやすいが実際はその知る範囲はつきあう範囲は限られているから
わからない、たかだニュースは無数にある
個々人の動静もニュースだからである
ただそれが国民的関心事とはならない、地元ならそうしたささいなことでも関心になる
それは地元に住んでいるから直接何かあれば影響があるからだ
それで交通事故に敏感になる,どこで事故が起きたのか知らないと危険にもなるからだ

posted by 老鶯 at 11:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

赤いカボチャは熟年の田舎の女性


赤いカボチャは熟年の田舎の女性

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熟年や赤きカボチャのなる田舎

露地もののキュウリをもらう夏の暮

今日も映ゆ畑にカンナ人なしも

若葉して山に轟く滝二つ


蝉一つ我に向かいてひたすらにまた鳴く声や真昼静けし

カボチャは秋の季語であり漢字にすると南瓜になる
良く花は題材にするが野菜とかはあまりしない
でもこの赤いカボチャはいいなと思った

それは熟年の女性をイメージした、老人でもあるけど田舎の熟年の女性である
その女性は太っているからあたたかみを感じる
何かこの南瓜とにていたのである。
自然でも人間をイメージしている、赤いから温かいなと感じる
その人間をイメージするからそうなる

人間は女性でも男性でもそうだがその年によって魅力がある
女性でも別に年とったからといって魅力が出るとは限らないのである。
もちろん若い女性はいいとなるのはやむをえない
でも年を取ることで女性でも魅力が生まれる
その女性は若い時なら近づくもの嫌になったろう
見栄えが良くないからである

でも老人になると見栄えや外見もあるとしても何かその内面的なものが出るのがいいとなる、その女性は農家の出だから生まれつき農民的体質をもっていた
根っからの農民というのが女性でもいるものだと思った
その人を見るとき根っからの職人とか商人とかいる
農民でもそういう人はいる,それは農家に生まれて育ちそうなったともなる

田舎の良さは本当は農業を知らないとわからない、そもそも田舎は農業から成り立っていたからである。あとは漁業であり林業とかで成り立っていたからである
だからこそ田舎なのである。田んぼや畑がない田舎はイメージできないからだ
でもこの辺では原発事故で放射能で汚染されて田畑が荒地化したり住めなくなった
今でも荒地が多い、それはもともと農業をやる人が減っていて後継ぐ人もいなくなっていたからである
田舎でも8割はサラリーマンになっていたからである。

ともかく田舎の魅力は工場があることではない、東電のような発電所と原発があることではない、ソーラーパネルだってふさわしくない、風力発電でもそうである
田畑があり森があり山がありとかそこで営まれる生業(なりわい)があるとき田舎なのである。
その生業の中に実りがあり赤いかぼちゃがありそれが人間をイメージする
その赤さなんとも田舎の熟年の女性を象徴していたのである。
女性は田舎では方言では女子(オナゴ)というから方言だとその感じが出る

ただ女性にしても田舎的な女性は少ない、都会化した女性になっている、サラリーマン化した女性になっている、いかにも田舎で育まれたという女性は本当に少なくなったのである。つまり全国でも一様化して都会化したの現代である。
そもそも田舎的なもの農民的なものを嫌って拒否してきたからである
だから田舎の人間も都会人と変わらないのである。
いかにも田舎で素朴だなという人はまれだとなる
みんな金にあくどいしそういう社会だからどうにもならないのである

現実その熟年の女性でも田舎で暮らしていけない、収入がない、年金も雀の涙だとなっているからだ、そこに田舎の矛盾がある
病院に通っているしそこで金かかったりしているからどうにもてらないのである。
ただ田舎的なものが何かとなるとこの赤いかぼちゃに象徴されていると見たのである。




2018年08月25日

好きこそ物の上手なれ (人間向き不向きがある)


好きこそ物の上手なれ

(人間向き不向きがある)


人間にはつくづく生まれつきがあり向き不向きがある、そればとうして作られるのか?
それは必ずしも遺伝とかでもない、家庭の環境とかも大きく作用している
モーツアルトが生まれたのは幼児の時から親が音楽家であり音楽一家だったからである
そういう家に生まれたから感性が自ずと養われたのである。
もちろん才能とか遺伝も関係している
でも才能が生まれつきあったとしてもそういう環境がなかったらその才能は活きてこないのである。
だから才能を活かした人はまれなのである。
時代でも才能は活かされない、戦争では優秀な才能ある人でも天才でも若いうちに戦場の露と消えたのである。

才能というとき何かノーベル賞をもらうとか天才芸術家のようなものをイメージする
でもこの世には無数の職業がある、そこに向き不向きがある
畑をしている女性は農家の生まれである、その女性はつくづく農民として生まれもまた体つきでも力あるから向いていると思った
そうして根っからの農民とかの人がいるのだと思った
その女性は生まれつき環境でせ農民だった、だから本当は農業しているのが向いていたのである。金にならないから農業を継ぐ人がいないと荒地が増えた
でも農業に向いた人はいるから本当は農業をしていた方がいいとなる

大工さんでも知ったがその人の体をみると自分などと全然違うのである。
体がしまっている、柔道の有段者のような体をしていた
きびきびと体が動くのである。その人は一人親方でもあり経営もできる
その人はそうしていろいろなことができる、大工でも庭作りでも壁塗りまでしているとか一人で何でもできるのだ、庭作りもできる
その人は最初は大工でもうまい方ではなかったというが生まれつきだといとき体力も関係している、体力は生まれつきである
その人の欠点は何かということ奇妙だが何でもできること八方美人であり器用貧乏になっている、その人の問題はそうして稼ぐことができるが稼げるならなんでもいいということでなんでもするのだがブラックなことにも手を出している
そんなことをしなくてもその人はそれだけの才能があるのだからする必要がない
でも金がいくらでも欲しいとなりそうなった、原発でも金になるからと賛成していたのである。
その人は大工として大成している、だからそんなにいろいろなことをする必要はなかったのである。

要するに人間は根っからの農民とか職人とか商売人がいる
それはどういう土地で生まれたかにもよる、環境にもよる、大阪とかだったらもうかりまっかとか普通にずけずけいう、それは大阪ではみんなそういう商人の言葉使いになっているからである。それは日常語になっているのだからそうなる
当然商売人に向いている、近江商人の出の人と出会ったが外国でもねぎるのがうまいのである、自分もまねてしてみたがかえって失敗した
そんなに値切る場面ではなかったからだ、そこでしかられたりした
そして東北人はまず商売に向いていない、言葉からしてズーズー弁であり向いていない
東北人は一見見るとわかる、真面目で硬い表情でありうちとけない
だから東北人は農民とか職人とかに向いているが商売人には向いていない

それで知っている人は理系の職人の仕事を会社でしていたが事業起こして借金になり失敗した、事業になると商売人にもなるし職人ではできないからである。
向かないことをすると失敗する、金になるならない前にその人はすでに向かないことをしているということで失敗しているのである
ただ常に例外があるしみんながそうではない、伊達政宗などは商人的気質があったのかもしれない、仙台弁は語尾にだっちゃだっちゃという、これは相馬弁のんだとはかなり違った響きなのである。仙台は繁華な町だったからそうなったのかともなる
そういう土壌があったのかとなる

人間はこうして生まれ育った地域でも向き不向きが生まれる、そして向かないことをやると不幸になる、医者の家に生まれたからとみんな医者に向いてはいない
例え一流大学の医学部を出ても手術がうまいのは手の器用さだとかなり学歴ではない
それは生まれつきなものだろう、だから親が医者だからと医者になるのがみんな向いているわけではない、でもそうなっていることが問題であり結果的に患者がそういう医者にあたると被害まででるから怖いとなる

人間は向かないことをしていたら不幸になる、それがいくら金になるとしても不幸になる性格でも内向的な人間は外交的な営業とかするのは向いていないだろう
政治家などにも向いていない、学者とか職人とか芸術家なら向いているとなる
自分は内向的だから何か学問とか芸術とかを追求するのに向いていた
ただ学問を学校時代は大学でも嫌っていたのである。
もし死ぬ頃になって自分は学問に向いていたなどと知る
人間はこうして本当にその人に向いたもの才能でも開花させることが至難なのである。
それは生まれつきが才能があったとしも活かされないからである

なぜ三分の一が会社に入ってもやめるとか離婚が三分の一とか江戸時代でも多かったのかそれはやはり性格でも違っているし育ちも違っているし会わなくなるである
つまりそれぞれの才能でも性格でも違っているし育った環境も違っているからである
第一才能を活かすにしてもそういう場が与えられる人はまれだからである
自分の場合は特殊であり自分なりのものを追求できたとはなる
それでも自分にはほかにいろいろな可能性があったとか老人になって悔やんでいるのである。それは人間の才能とかは本当に埋もれてしまう、活かされない方が圧倒的に多いからである。
別に数学が得意でなくても何か教育で興味をもつ方法はあった、でも受験勉強だけで本当に興味のあることを追求できなかったとなり後悔しているとかなる

結局諺は今も生きている真理である

好きこそ物の上手なれ

好きでないことを無理やりしてたらいくら金になっても不幸て人生だったとなってしまうのである。

 この諺についての関連したサイト             

ここでは好きだと長続きするが好きでないものは長続きしない、強制されてやることはかえって他者も不幸にする、その人のあったことをしていれば他の人にもいい影響がある
つまりり花でもいろいろな花があり咲くにふさわしい場所がある
生け花をフラワーアレンジメントをしていだかあきて中止している
それはなぜか?
花は野に咲いているのがふさわしいからである。野に山に咲いている花は自然である
生け花は人工化したものだからである。それはそれとして意味があっても野に咲いている花は飽きない、畑に咲いている花でもそうだしもともと花は自然の野に咲いていたからである。自然の光と風と風景の中にマッチして咲いている時一番美しいからである。
人間もまた同じだったのである。その人なりのあった所に生きるのがふさわしいとなる
そして人間社会が不幸なのはみんなそうなっていないからである。
いろいろなことで金になるならないとかで人生が決められたり時代の影響でもその人なりに生きられないから不幸な人が多いのである。