2018年08月15日

人間は二つのものを同時に得られない (得るものがあれば失うものがある)


人間は二つのものを同時に得られない

(得るものがあれば失うものがある)


人間はつくづく二つのものを得られないようにできている
才能だってそうである、一つのことができてもあらゆる才能はない
知能に優秀な人がいても体力がない、体力があるとしても知能に劣るとかなる
一般的にはそうである、でも知能に優れて体力も優れている人もいる
そういう人はうらやましいとなる
なぜそんな人がいるのかと不思議になる

人間はそもそも二つの能力を兼ね備える人はいない、何か優れていることは何かに劣っていることにもなる、知能でも知的なものでも何かに詳しくなれるとしてもいくら天才でもあらゆることに詳しくなれる人はいないのである
なぜ天才でもそれほど成果がでないということもある
それは人間の生きる時間が限られているからである
あらゆることに優れた人はいないのである   
天は二物を与えずである

そしていくら天才でも天分があっても発揮できない人が本当に多い
時代によって環境によってできない、そしてたいした才能もないのに環境とかに恵まれてそれなりに才能を発揮できる人もいる
だからいくらいい天分をもっていたとしても才能があっても発揮できないことがつくづく多い
この人は医者であり文学的才能もあり武道家でもあったが病で病室にとじこめられて最後は早死だった人もいる
どうしてそうなったのかわからない、いくら恵まれてもそうして無念に死ぬ人もある
たいして才能なくても何かそれなりに才能を発揮したとなる人もいる

いづれにしろ何かも備わった人はいない、何かに必ず人は欠けている
神だったらオールマイティである、神だけがそうであり人間は何か欠けている
その人が活きるかどうかはまた時代と環境にも影響される、だから優れた人でも何も力を発揮せずに終わることもある
たいして才能がないのに時代によって英雄にされたりする
明治維新ではそういうことが起きた、その時代が英雄を作ったのでありその人間ではないのである
現実に現代のような社会になるとそんな英雄は生まれ得ようがないからだ

人間は国によっても地理によっても運命づけられている
国によって地理によって恵みも違う、日本は海に囲まれて海の幸に恵まれているとか海が防壁となって侵略されなかったとかなる
でも逆に海によって閉ざされて大きくなれなかったとかともなる
それぞれの国にそうした地理的制限が必ずありその地理的制限の中で生きてきたしそこで歴史や文化を作ってきたのである。
一つの国であらゆるものに恵まれた国はないのである

この辺でつくづく感じたことは漁師がいたとしてその人たちは実は東電に漁業権を売り渡していい生活をしていたのである
それはどういうことなのか?二つのものを得ようとしたのである。
東電に漁業権を売りいい生活をする、もちろん魚もとるのだがそれは別に魚をとることだけに専念することではない、東電の補償金で事故前も事故後も十分だったからである
要するにここでも二つのものを得ようとしていたし実際に得ていたのである
でもそれができななかった、原発事故でそうなった
確かに船主などは事故前も事故後も補償金を十分にもらえるから変わっていない
でも周りからなんで漁業関係者は手厚い補償金がもらえるんだとうらやまれることになった、事故前からそういうことはあったにしてもそれはしかたないものとして容認されていたしそのことについて文句をおおぴらには言えなかったのである。
事故後がそうはいかなかった、周りの目が厳しくなったのである
そんなことが許されるのかとなった、そのことは前にも書いた

この辺では漁業関係者だけではない、二つのものを得ようとしていたのである
原発で金を得て豊かになりたい、その気持ちが非常に強かった
そして原発で豊かになりまた一方で自然とともに生活をするとかなる
両方を得て生活したかったのである
現代人は二つだけではない、ABCDと欲しいものがあればみんな欲しいとなっている
欲が限りないのである。そこに落とし穴があった

人間は何かを得れば必ず何かを失うという法則のようなものがある
江戸時代をふりかえると貧乏だけどそこに景色もいいし車もないからのんびりしていいと今では見る、でも現代は豊かになってもそうした景観は破壊されている
義理人情すらない金だけを求める殺伐とした社会になっている
それは江戸時代にあったものが失われたからである。
その代わりに豊かになった、贅沢できる時代になった
時代的にもなんでも良くなったというのではなく何かを得れば何かを失っているのである原始時代の生活が悪いかとなるとそうでもない、狩猟でも何でもその生活は今と違って興奮するものであり面白いものであったともなる
鹿を獲止めてそれをみんなで食べるとき充実感があったとなる
でもそういう生活を失った時今度米が食べられるとなったがそれで狩猟時代にあったものは失われたとなる

人間は何かを得ると必ず何かを失っているのだ
青春とかはたちまち過ぎて失う、あっというまに白髪の老人老女になっている
でもまた老人になると何でも深い見方ができるとか経験からいろいろなことがわかるとかなる、そういう知恵とか悟りとは若い時は得にくい、だからいくら本読んでも理解できないことが多いのであ

要するに人間は二つのものを同時に得られないようにできている
青春には体力があるが知恵はなく深い見方ができない、それで芸術なども深く鑑賞できないのである。
だから二つのものを同時に得ようとすることが間違っていたのである。
二つのものは得られない、都会で豊かな生活ができるが田舎には田舎の良さがある
自然の中でゆったり暮らすとかある
でも田舎では給料も安いと質素な暮らしする、都会のような贅沢はできないとなるが田舎には田舎の良さがありそれで満足するとなる
しかし今や田舎ではその両方を得ている、でも本当はそういうように世の中はできていない、飯館村などでも原発事故で住めないようになっても多額の補償金をもらった
ありあまる金を得た、でも何かを失った、他の避難区域でもそうである
何か常に二つのものを得られないのである。

でも人間は二つも三つも四つも得ようとしている、その欲が限りないのである
宗教などは本来は世俗に分かれていてこの世のものを得るものは天のものは得られないとなっていた、でもカルト宗教団体でも宗教は世俗でも聖なるものでも一緒になっている
政教分離というとき政治と宗教は別物であり一体化すべきではない
でも人間は世俗的なものと天なるものも得よとしている
この世のものも天国的なものも得たいとなって活動しているのが実体である
この世の欲を認めているし宗教団体の方がこの世の欲を増進させているのだ
だからどこでも何百万人もの会員がいる
それだけ数が多いことは世俗化したことなのである、だからこそ増えるのである

人間は二つの物は得られない、そこにこの辺の問題もあった
原発で豊かになりたい、貧乏は嫌だ、農業とか漁業とかでは今は豊かになれない
ただその二つのものを得ようとしたとき両方失うということもあった
第一人が住めなくなるということはもう最悪である
何でもいい故郷に住めればいいとなる、いくら豊かになっても故郷に住めなくなればもう終わりだとなる、それで事故後は蝋燭でもいいから家族一緒に故郷で暮らしたいとまでなったのである
人間は二つのものを同時に得られない、どんな国でもそこには良いことと悪いことがある貧乏でもそうである、その中で良くしようとするのがいいとなる

本当は漁師は魚をとり供給することで故郷に生きる
農民は米や野菜を作りそれで生活する、農民は米や野菜を漁師に提供して互いに豊かな生活となる、でも魚をとりさらに東電に漁業権を売り渡して富を得る
そこに問題があった、そしてその両方も失うということがある
確かに別に補償金もらって同じように豊かな暮らしができてもそれが回りから許されないものとして見られるようになった

金があってもそれですべてが満たされるない、金があることで失うものがある
人はまずその金に目をつけるからだ、それで本当の愛は得られないとなる
金でなんでも買うことはできないからである。
金がなくていいということではない、金ですべてが得られることはない
愛などでも買うことはできない、金がいくらあっても買うことはできない
人はただその金を求めるのであり愛は関係ないからである
金を得て得るものがありまた失うものもある
つまり両方を得ることはできないのである
今の時代ほどう豊かな生活をしている時代はないがそこにたりないもの失ったものがあるいくら科学技術が進歩したとしてもこれは同じなのである。
進歩とは何か新しいことを得ることだがまた同時に何かを失うことなのである
そうなると進歩がすべていいものとしては働かないことを知るべきである
核を発明したことは科学技術の進歩である
でもそれと同時にその核によって甚大な被害があり核戦争になり人類が滅びることにもなるとしたらそれはいいものではなかったのである。
むしろ進歩しない方が良かったとなるのである 

結局個人の人生でも国でも世界でも歴史が残すのは教訓である、失敗したとしてもそれが教訓として後世に残される
それを鑑みて今生きることの指針にする、人間は過去から学ぶことはできる、そして未来は実は過去からくる
維新とあれば明治維新でありこれは実はもともとあったものを改める新しくするという意味である
全く新しいものではないのだ
ともかくこの辺では津波とか原発事故で後世への教訓を残した
それはここだけではない、他でも世界でも教訓とすべきものとなった
ここでは様々なことが問題となりそれを解決する方法もなくなったからである


失われる故郷や家の記憶 (精神的なもの目に見えない価値は受け継がれにくい)


 失われる故郷や家の記憶

(精神的なもの目に見えない価値は受け継がれにくい)

双葉町には特攻隊を訓練した飛行場があった、それは原発のあった地域でありそれを記録するもの伝えるものがいなくなった、地域はばらばらになり崩壊した
記録でも記憶でも伝えるものがいなくなれば伝えられない
記録や記憶はやはり共同体がないと伝えられないということがある
なぜならそうした歴史の記録とか記憶はその共同体にとって重要なものとなっていたからである
津波の記録がこの辺で二行しか記されていなかった、700人溺死としか記されていないでも一応記されているのだからそれが嘘とは思えないから津波があったとみる

不思議なのは最近リバースモゲージとか家を担保に銀行で金を貸すという
そこで家の価値は耐震性があるのが第一であり後は省エネになっているとかである
家の価値は日本では10年過ぎると半分に下落するという
それは家というのを土地とか家という建物しか見ていないからである
建物は価値がなく土地だけだとなる、それで地方では家に価値がないから銀行ではそういうことはしない、それを価値をあるものと見ないからである

この辺で起きたことはこうした故郷とか家で営まれたものの価値は賠償されない
なぜなのか?それは金で計ることができない価値だったからである
だから賠償の対象になるのは家でもその建築物であり土地でありその他は賠償対象にはならない、それは土地や家のように具体的に見えるものでないからである
家というのはただの箱ではない、そこで家族が長い間暮らしたものとてし家がある
するとその家に精神的価値が付与されているのである
日本では家というというときただのハウスではない、家というとき代々の家という意味もあり侍だったら御家中となっていた、お家大事になっていた
それは建物だけを言っていたのではない

その家で暮らした人なら家族の思い出としての家がある
外からの人だったら家はた快適に安全に暮らすものとしてしか見ない
そこでどういう営みが行われていたか考慮しない
そこは単なる一区画の土地であり家という建築物でしかないのである
ただその家で自殺者が出たとかなると縁起が悪いとかなり売れない
それはやはり家には何か建物だけではない、何かそうした住んだ人の何かがまとわりついている、だからただそれを家という箱のようにみて古い家を買ったりして住むと災いを受けるとか不安になる、それは人間には物は物ではない、ものには心がつくものだからである

故郷とか市町村でもその地域地域によってかもしだす雰囲気がある
その雰囲気はやはりその土地土地で長い歴史のなかで作られた来たものである。
だから避難区域になった所で人が住まなくなった、廃墟の街となりゴーストタウンになるでも依然としてここに住んだ人たちが幽霊となっても住み続けているという感じになる
先祖が故郷には代々生きて葬られているからである。
それは墓だけではない、その土地全体になお生きているという感じになる

家族がみな死んだが自分の家にしてもそうである
何か長く一緒に家族が生活したということでその記憶がこの家からにじみでてくる
なおまだ家族がいるような気分になるのが家なのである
ただ他人から見れば外部から見ればそうしたものは何の価値もないのである。
ただ耐震性とか安全性とか利便性とか値段しか関係ないのである。
そういう物の怪(もののけ)とか何か精神的なものは金で計れない、だから賠償の対象にならないのである。
でも本当はそういうものに価値がありそれが失われたことが大損失だと気づく人もいるだろう、それはいくら賠償金もらっても取り戻せないものだからである。

津波で流された江戸時代からあった右田の松原は貴重だった
それは単なる木ではなく長い間故郷の原風景として心と一体化したものだった
だからそれがなくなったことは精神的な面でも喪失したものが大きいとなる
それはもう二度とありえないものとなりただ記憶としてしか残っていないのである
そして次の世代の人は何もわからない、ただ風力発電の風車が回っていることが風景となったからである
江戸時代にあったものでもそうである、江戸に縦横に水路があり舟が行き来していた
その中で生きていた人たちがいてその風景と一体となっていた
それは高層ビルの谷間になりもう回復できない、その時代にあったものは永遠に回復できないのである、その時代に戻ることは絶対にできないのである。
ただ残されたもので想像の世界でしかありえない、でもその想像する時その当時のものとはまるで違ったものとして想像しているかもしれないのである。

こうしたことでこの辺では人が住まない区域ができて相当に金で計れないものを失った
いくら賠償金をもらってもそれをとりもどせないのである
人生でも決してもう一回やり直すことはできない、過去にもどることもできないし青春にももどれないのである。
人間は金で計れるもので生きている、毎日の価値を計るのは金である
食料でもいくらで買って得した損したとかで暮らしている
でも金で計れないものが人間関係でもその営みのなかに生まれている
ただそれが金で計れないから意識しないのである
空気が最も大事なものでも意識しないと同じである
ただ故郷を失うとか家族が死んで残ったものは記憶でありそれが貴重なものだとしても
他人には外部の人には価値として計れない、見ることはできない

鉄道を利用しないのに鉄道を廃止させたくないというとき鉄道には長い歴史がありそこに人間の営みがつづけられてきた、出会いがあり別れがありそこに様々な人間の営みがつづけられてきた、何かだから駅でも鉄道でもレールにさえ愛着を感じる
何か哀愁を感じるのが鉄道なのである。それはただ物を人間を運ぶというたげではない
人間の営みが演じられたものがそこに付着しているからそうなる
だから鉄道がなくなると淋しいとなるのはただ鉄道という物や人を運ぶものがなくなるのではない、そこに営まれた人間の汗と涙でも付着しているからである
そこに何か哀愁が生まれる、ただ人が乗らないとかもう鉄道は不便だからいらないとなるが一旦廃止にしようとすると反対があるのはそれは鉄道は長い歴史の中で単に物を運ぶとか人を運ぶものではない、人間の営みとともにそこに人間の情がのりうつっているからである。高速には車には何かそうしこたものを感じないのである

人間は毎日金のやりとりで金で価値を計って生活している
でも人間の営みにはそれだけではないものが必ずある
それは金で計れないものでありそれこそ貴重なものだったと意識させられる時がくる
それは人生の最後に来るかもしれない、本当の価値は金にはなかったな、ともに苦労して喜び、悲しみ生きたことだったなとかなり涙を流す
青春時代の歌を歌って涙を流している人がいた、それはその時代が永遠に戻らないからである。失わたものは永遠にもどらない、それは時代でもそうである
過ぎ去った時代は永遠にもどらない、そこは想像の世界であり決してその時代に生きた実感ではありえないのである。
その時代に作った俳句でもその時代でしか作れないのはそういう時代が過ぎ去ったからである、それを体験することは不可能だからである、ただ想像する世界としてしか過去はありえないからである。右田の松原は何の痕跡もなくなったようにそれはただ記憶としてあるだけである、次の時代の人は全く想像すらできない、なぜならその片鱗すらも何も残っていないからである

posted by 老鶯 at 21:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2018年08月16日

津波で流された海老の隣の湊が実家だった人


津波で流された海老の隣の湊が実家だった人

(闇米の話)

闇米田購入拒否で判事

日本は戦争中、「配給制度」をとっていました。米、味噌、醤油、砂糖などの食料、調味料からマッチ、石鹸、ちり紙などの日常品までが、配給されていました。各家庭に、あらかじめ人数分だけの引換券(切符)が配布され、これを商品と引き換える方式です。こうした商品を配給以外の手段で手に入れることは法律違反でした。

  敗戦とともに、この配給制度はマヒしました。米の配給はわずかで、さつまいもやとうもろこしなどの「代用食」が配給になりましたが、それも遅配や欠配が続きました。
 人々は配給を頼っていては、食べるものを手に入れることができなかったのです。配給に頼れない国民は、法律違反とわかっていても、「闇市」と呼ばれる市場で食料などを手に入れるしかありませんでした。

 特に都会の住民が食料を手に入れるのは困難で、しばしば農村に買い出しに行くことになりました。それでも現金を持っている人はいいのですが、現金がない人は、衣類を売って現金を手に入れ、その金で生活物資を買いました。着ているものを次々に脱いで食べ物に換えていく様子が、まるで食用のタケノコの皮を一枚一枚はがしていくようだったので、「タケノコ生活」と呼ばれました。
 このころ、日本の国民にショックを与える事件が起きました。1947年(昭和22年)10月、東京地方裁判所の山口良忠判事(34歳)が、栄養失調のために死亡したのです。法律違反の闇市で食料を買うことを拒否し、正式な配給の食料だけで生きようとしたためでした。
 山口判事本人は、闇市で食料を売ったり買ったりしている庶民を「食糧管理法」違反で裁く立場にありました。
 法律を守る立場から、法律違反のヤミの食料に手を出すわけにはいかないと考えたのです。
 逆に言えば、当時の日本人は配給だけでは生きてゆけず、ヤミの食料に手を出さなければ死んでいたのです。  

951(昭和26)年7月3日、東京・上野駅で警察官による闇米の一斉手入れ。乗客は手荷物に隠し持っていた米を没収された。食糧統制下の戦後は配給米だけでは足りず、都会の人々は農家で闇米を手に入れてしのいでいた。組織的な運び屋を乗せた「闇米列車」まであり、取り締まる側とのいたちごっこが繰り返された。
<あのころ>闇米の一斉手入れ 上野駅で乗客を急襲

共同通信2018年07月03日08時00分

 闇米を買う列車の写真


その人は駅でおくさんの写真を鹿島駅を背景にしてとっていた
その人は「私は原高に通っていたんですよ、そこでね向かい側のホームの方が田んぼになっていて闇米を積んで運んでいたんですよ,日暮里に運んでいたんですよ」
「闇米の話は聞きましたよ、家の人も仙台まで買い出しにとか行った話聞きましたし」

その人は原高だというとき戦後原高に通っていた、自分よりは年上である
なぜなら闇米のことを実際に見ているとなると戦後まもなく物がないときの話である
だからその時配給米でたりなくて盛んに闇の流通があった
ただ米を東京まで運んだとすると相当な時間がかかるし金をもかかる
蒸気機関車の時代だったからである、時間でも八時間かかる 
ただ金になるから東京まで闇米を運んだとなる

その時農家では食料がありかえって豊かだった、第一農家では納豆まで作っていたとか鶏がいて卵を食べていた、卵はその頃食べらなかった、卵が食べられるようになったのは戦後十年以上たってからなのである。
それで自分の家では店をしていたがその卵を農家に買うことをさせられていた
それは自転車でしていた、箱に糠をつめて割れないようにして運んだが必ず一つ二つ割れるのである、それは道が舗装されていなかったからである
真野川の橋でも木の橋でありゆれるから怖かった
その頃は何も物がないから物があれば売れた時代だったのである

まず戦争が終わったとき食料不足が深刻だった、だからそういうとき子供が団塊の世代が爆発的に増えたのに良く育ったとふりかえれば思う
食料もないのにそんなに大勢の子供が育ったことの不思議である
アメリカからの食料援助はあった、脱脂粉乳などが学校で配られたがまずかった
戦後十年は貧乏だった、炭がエネルギーであり囲炉裏が街内でもあった
過去をふりかえるとなぜそんな極貧の食料もない時代に子供が爆発的増えて育つことができたのか?それが今少子化になっていることと比べると不可解だとなる
なぜなら今なら食料はあふれているし捨ててもいるからだ、子供に食べるものがないということはありえていからである。

その人は湊出身でありその湊の40軒くらいあった家は全部流されて何もなくなった
その人の話を聞けば面白かった、駅にはそうしたここに住んで老人になった人が結構来る今日来た人の話を聞けばこれも郷土史の一端を語るものだった
戦争の話は姉がシンガポ―ルに従軍看護婦として四年間いたから嫌というほど聞かされたそれは認知症になってもからもそうであり死ぬ間際まで語って死んだ

その人はその闇米のことを知っているということは自分より十年くらいの年の差があるのか?それにしても自分だって蒸気機関車の時代を経験しているのだから年とっている
ただ記憶があいまいになっている、
残念だったのはその人ととは数分も話できなかった、すぐに電車が来たからである

いづれにしろ時代を象徴する事件というものがある、判事が闇米を拒否して餓死して死んだのもそうである

渇しても盗泉とうせんの水を飲まず・・・とはこのことである

戦争とか戦後でもその話が無数にある、でも戦争を経験している人も死んでゆく
現実に今戦争を経験している人はその頃小学生とか中学生の人である
戦後の食糧難の時代を経験している、つまりギブミーチョコレートの時代の人である
その時アメリカに負けてなんでも食べ物が欲しいからそうなった
そのことが日本人の精神を退廃させた、アメリカに負けて貧困化して何でもいいから食べ物をもらえばいいとなったのである
その後経済でアメリカに追いつこうとした、高度成長時代になり団塊の世代はただ経済的豊かさを求めて企業戦士となって働いたのである

戦後70年で一時代がつくづく終わった、団塊の世代は豊かな時代を生きた
ただこれからは日本は厳しくなる、すでになっている、貧困化している
ただ時代はこれからの人が作るのでありではこの後の50年はどうなるのか?
それは世界情勢にしてもわからないのである
戦後の焼け野原から高度成長時代になることはその時予想もつかなかったからだ

戦後70年で津波とか原発事故があったのも大きな時代の区切りだった
何か日本はいろいろな方面で疲弊したのである、だから改革がまた望まれるのである
戦争が終わった時はかえって既得権者とか今までの組織などが財閥などでも解体して
発展したとなるからだ、戦争は大きな破壊だったがその後に新たな日本が生まれた
それは明治維新ともにているのだ、明治維新から70年で戦争になりアメリカに敗れた
そしてまた70年すぎて大きな変革が迫られているのである
70年が時代の節目であり何かその時規制のものが崩壊してゆく、制度疲労をしてくる
だから改革しないと日本は衰退して後進国並みになる
その兆候として観光立国とかカジノとかを作り売りこむのはまさに後進国的発想なのである

ともかく駅はいろいろな人がくる、それでちょっとで話すと面白いし郷土史を知る場にもなる、お盆だからそういう人も来る、ただ高速のSAのセデッティの数とは比べようがない千倍もの人間の数の差があるかもしれない、ひっきりなしにお盆で来ている
どちかとういと高速は家族連れが子供連れが多い、それで子供の遊び場まで用意してあるでも高速は人が多すぎてそこが会話することはできないからつまらないとなる
どういう人が来ているから全くわからないからである
でも高速と鉄道の差はあまりにも大きいと思う、それだけ車社会になっているのである
ただ東京辺りから来るのだったら新幹線できて鉄道でも便利だとなる
でも実際は車で来る人が多いのである

タグ:闇米

2018年08月17日

グロ−バル経済を歴史的にふりかえる (東京に本社があり社長がいる問題)


グロ−バル経済を歴史的にふりかえる

(東京に本社があり社長がいる問題)

Economy"(経済)という言葉の語源を辿ると、"Eco-"はギリシャ語で「家・家庭・家計」などをあらわす"oikos(オイコス)"に由来する接頭語で、"-nomy"はギリシャ語で「法・秩序」をあらわす"nomos(ノモス)"に由来し、秩序や法則性、あるいは学問をあらわす語につく接尾語になります。つまり"Economy"というのは「家計の学問」という意味であり、いわゆる「家計のやりくり」から発展して今日の「経済」という意味になったものと思われます


経済学は家計から家政からはじまった、それがグローバルになり途方もないもう天文学的な世界の経済になった
日本でも働くという語源が端(はた)を楽にするというときそれは家のものが働くことで苦労しているから楽にさせたいいうことが起源になった言葉である
それは極めて狭い範囲で生まれた言葉なのである

グロ−バル経済というときこれを批判すること現代では必須である
ただそれを批判することは簡単にはいかない、グローバル経済とか資本主義とは何かという問題は大きな世界史的視野で見る必要が出てくるからだ
現代のグロ−バル経済はヨ−ロッパの大航海時代からはじまった
大航海できる技術が生まれたとき船が作られたときはじまった
グローバル経済になるにはまず距離を縮めることができないと成立しない
そのためには技術が発達しないとできなかった

大航海時代になりそれができるようになった、その時資本主義も発展した
株式会社の起源がこの船で大航海できるようになったとき生まれたからである。
その航海に投資する時株主が生まれた、その航海が成功すればその見返りが大きかった
ただ遭難して船が沈没したりするからその時は大損になったのである
それは今の株の世界とにている
それはオランダで発達してオランダが大航海時代に大儲けして豊かになったのである。
チューリップバブルが生まれたのもそのためである

距離を縮めるということでは蒸気機関車が発明されたことも大きかった
鉄道は世界に普及して距離を縮めることができたからである。
つまり船の次は鉄道でありその次は飛行機になり車になったのである
船でも帆船の時代から蒸気の時代へと技術は改善された
蒸気機関車でも電気で走るようになったとか改善されてゆく
つまり常に技術は改良されてそれに比例して距離は縮められるのである。

でもそもそもこうして利益を得たのはヨ−ロッパ諸国でありアジアは収奪の対象となったのである、植民地化されたのである
インドでもそうであり中国でも東南アジアでもイギリスの植民地化されたのである
日本だけはヨ−ロッパの植民地にされなかったのである
それが第二次世界大戦の基となったともみれる
ヨ−ロッパの延長としてアメリカがありアメリカに従わないものは征伐されるとなっていたからである
ヨ−ロッパとはインカ文明でもスペインに黄金を収奪されたように略奪者だった側面がある、アフリカから奴隷狩りして売買していたり収奪者だったのである。

ただグロ−バル経済は資本主義は外国から富を収奪するだけでは成り立たない
イギリスで産業革命があり蒸気機関車とか機械が発明されて大量生産ができるようになったこともある、大量画一生産は機械なしではできないからである
機織りでも手織りでしいたらとても大量生産はできない、手織りでしたものはだから高価になる、紡績機械が生まれたことで大量生産が可能になったからだ
現代のグロ−バル経済を作ったのはこうしたヨ−ロッパの距離を縮める交通手段の発達と大量画一生産のできる産業革命の結果である

ただそこから問題が生まれた、何事いい面と悪い面が生まれる
これは大局的な見方だが日本国内にしても距離が縮まることによりグロ−バル経済と同じような問題が起きていたのである。
例えば自分の住んでいる町は一万足らずである、でも工場がある、東北サッシとか友伸エンジニアとかある、その社長は東京に住んでいるのである。
それで社員が駅に迎えにくる、こういうことは全国であるだろう
会社が工場が地方にあっても社長とかは東京に住んでいるのである。
ということは地元に住んでいる人とか土地にそれほど関心をもたない
ただ地方で労働力をまかないそこで得た利益を東京で使うとなる
もし地方に住んでいれば地方で使うから金も地方に回るが回らないのである。
それは何かヨ−ロッパがアジアという遠い地域を植民地化して富を収奪したのとにているのだ、富が地元に還元されないのである

こういうことは原発でもそうだった、東電の本社は東京にあり東京で支持していたのである、それで吉田所長は事故の時独自に判断した、そのことで東京の本社と対立したのである、つまりそれは距離が離れていることで緊急時に対応できなかったのである。
こういうことは距離が離れていると緊急時に何が起こったかわからなくなる
いくら通信が発達しても事情がわからなくなるから対応できなくなるのである
それでローマ帝国でも離れた支配地域と中央のローマの政府の支持に従わない地方官が生まれた、その地方官が権力をもち中央に反乱することも生じた
それは日本だってそういうことが歴史にあったから共通している
遠くからだと統制ができなくなるのだ、満州で関東軍がそうなった
中央の指示に従わないで暴走して中国と戦争になったのである

確かに距離は交通手段の機械で縮めることができても依然として人間の意思疎通とかコミ二ケーションはむずかしいのである。
例えば東京に社長が住んでいると会社でも工場でも地方にあったとしてももし公害を出しても直接被害がないから無関心になる
また地元の人がどういう生活をしているかも関心がない、ただ地方は労働力を供給してくれてそこから利益をあげればいいとしか考えないのである。
それはグローバル的にも遠い外国で大企業の工場があることでも起きていることと同じなのである。

だから原発事故がなぜ起きたのか?東京に原発を作ることが正論だった書いた
もし東京に原発を作っていたらその関心度が全く違っていたからである。
すぐ近くにあるのだから関心度が違う、もし事故があったならじかに影響するからであるでも福島なら離れているからと無関心になる、そしてそこの土地のことはここと関係ないとなる、公害を出しても関係ないとなる
もし東電の幹部が住んでいたならそうはならないだろう、一番事故のことを心配するからである、家族のことを心配するようになるからだ
だから東電の人たちは福島に住むべきだったとなる、一部は住んでいたが幹部でも大勢で住むべきだったとなる、その時真剣に安全を考えるからである
離れていることはヨ−ロッパがアジアを植民地化したように富を得ればいい、その土地のことは二の次三の次になるからである。
これは国内の中央と東京と地方の関係だけどこれもグロ−バル経済の構造とにているのである

人間の生活はやはりその住んでいる場所からはじまる、そこが基なのである
だから経済のエコノミーが家政からはじまっている
そしてエコは循環だとかになるとその土地で循環する経済になる
つまり生活の場がこうして社長は東京に住んで会社や工場が地方にあることは本来の人間の生活からすれば無責任なのである
これは日本でも工場を労働力が安いからと外国に作ったのともにている
それはその土地の人々の富の収奪にもなっていたからである
そこにグロ−バル経済の矛盾がありそのシステムはヨ−ロッパの植民地と同じ構造ともなっていたのである。
つまり東京だったらどういう生活をしているかもうわからない
地元に住んでいれば社長でもその生活を見るし土地の人とかかわらざるをえないからあまり贅沢はできないとなる、社長だからといって貧しい生活をしている人が多くいたら無視できないのである。でも離れていれば土地の人とは関係なくなる
東京でどんな豪勢な生活していも見えないからわからないからである
グロ−バル経済とはそうした矛盾が必ず起きている

株とかで儲ける人は税金も払わずに外国で株を投資してもうけているとかいろいろ抜け穴がある、現実にタックスヘイブンでも日本では一人だけしか追求されていない
後はわからないという、何かその後も追求されていないのである
これもグロ−バル経済の中で富裕層はその抜け穴を知っていてできることである
こういうことは地方に住んでいるとしにくい、その生活が回りから見られるからである
グロ−バル経済とか資本主義はこうしてとびぬけた富裕層には莫大な富をもたらす仕組みなのである。
自分も株をしてみたが必ずリスクがある、ある時ギリシャ危機だとか北朝鮮危機だとか今度はトルコ危機だとかなんだかとこうして世界のことが常に気になり恐怖になりおちおち安心して眠れないともなる
そんな生活は何か変だと気付くべきである。
そんなことを心配していたらきりがないし別に関係ないとして江戸時代までは生きてきたそういう世界市場の中に生きていること自体が問題なのである。
そんなことで一喜一憂していたらきりがないしもう安心して眠れないともなる

いづれにしろグロ−バル経済とか資本主義は限界にきている、金融資本主義とは投資ではない、ただ右から左と金を動かしてその差益でもうけているだけなのである
為替差益でもうけるのと同じなのである。それは本来の投資ではないのである。
それがバブルとなり世界恐慌となる、資本主義はもう限界であり崩壊してゆく
グロ−バル経済資本主義は距離を縮めることからまず生まれた
でも距離を縮めることにも問題が生まれた
身近なことでも起きているのだ、人間は遠くとの関係より近くでの関係で生きるのがいいしそうでないといろいろな問題が起きる

経済でも同じである、それは地域が中央に収奪されることである
原発事故だってそういうことで起きた側面がある、距離を縮めた結果として起きた
交通が発達したことで起きた、江戸時代だったら300キロ離れていたらとてつもなく遠い距離にもなるからだ、そこと関係を保つには住むほかなるからだ
江戸時代にだから江戸に地方の藩の屋敷があったというのは幕府では手元に置いて支配するためである。離れていると支配できない、反乱することがある
人質だったとなるがやはり距離が縮めることができないとういことでそうなった
今なら新幹線と何時間飛行機で数時間とかなればそんなことをしないだろう
それでも距離を縮めることができても離れてしまうと人間の意思疎通とかコミ二ケーションができなくなり問題が生まれるのである。

原発を東京に作れというのは正論だった (人は住んでいる場所に一番関心をもつ)

駅長が草刈していた (淋しいから一人一人が目立ち記憶される無人駅)


駅長が草刈していた

(淋しいから一人一人が目立ち記憶される無人駅)


駅長の草刈りするや無人駅秋めく風の吹きて淋しも 

原町の駅長が一人草刈り機でホームの草刈りしていた、前は二人で草刈りしていたのを見ている今回は一人で草刈していたのか?
普通駅長が草刈りするだろうか?部下がするものではないか?
あの駅長は前も来ているから知っている、時刻表を自分が置いた時ルールがあるからと断られたのでいい印象がなかった
何かそうであっても言い方があったかもしれないからだ

無人駅は淋しい、それなりに人の出入りがあるのだが一人一人が気になる場所である
それで声をかけて話したりする、駅は意外と話しやすい場所なのである
ちょっとでも話すとそこに何かを記憶する
駅でボランティアして気づいたことは駅は関所でもあり何か記憶する場所なのである
関所にはいいイメージがないが区切りでありそこは記憶する場所となる
関所とか境界がないと人間は記憶できない、関所があることで区切りとなり別の世界の入り口として意識するのである
今になると関所的役割があるのは駅だとなる
なぜなら本当は勝手に出入りできない,改札口があり駅員がいたからである
無人駅は出入り自由だがやはり駅があり改札口があることで外部の人が入る境界になるのである。
だから国境でも今は簡単に通過できるとき国というのも意識できなくなる
ヨ−ロッパではそうなっている、便利なのだが国を意識しにくくなるのである

駅が人が少なく淋しいということでかえって人がそこで一人一人でもそこで意識される空間になっていることに気づいた
まず高速のSAとかなると人を意識できない、群衆が流れてゆくだけだとなる
人が少ないことで人間的になっているのも不思議である
それは何か贅沢なことなのである。

小高の人が厚生病院に母親が入院して通うと聞くと大変だなとみる
なぜなら小高から電車で原町まできてまたのりかえる,原町と小高間は便数が半分くらいになるからだ,そうなると浪江でもそうだけど遠い感じになるのだ
その人は車がないからそうなっている、車がないと電車で来るほかないからである。
車がないと病院に通うとかなると不便なのである。
小高には病院がなくなったことも原因しているのである

ともかく何にもない無人駅だと思っていたがそこには人の営みがある、草刈ることでもそうだからである、誰かが維持するために働いているのである
ロボットがいて自動化してすべてたりるわけではないのである。
駅には鉄道には長い積み重ねられた歴史がある、それで鹿島駅は開通から120年すぎたことで花文字を作ったのである
常磐線でも120年の歴史がある、だから駅で営まれたものは一つの物語りであり歴史がある
昨日聞いた闇米がここから東京へ運ばれた話もそうである
その人は原高に蒸気機機関車で通い見ていたのである

今日は急に涼しくなった、風も秋風になったようである
今は自転車置き場を工事しようとしているから自転車置き場がなくなり無造作に置かれている
駅もこうして常に変化している、毎日一回は寄っている、ただ今は案内でもたいしてすることはない、でも駅は何か人間的な場を演出することを感じたのである。
それは皮肉にも人が少ない淋しいということで人が目立つからそうなる
もし逆ににぎわう駅だったら一人一人のことに関心をもてないのである。

無人駅蕗の葉大きく雨宿り

北海道の無人駅では雨宿りだった、北海道だと無人駅は本当に淋しいとなる
電車が来るのか来ないのかもわからないようになっている
そうなるともう淋しいなどと感傷的になっていられないだろう
いつ廃止になるのかとか深刻な問題となっているからだ
北海道の路線は歯がぬけるように半分は消えたのである。

秋めいた一日 (鷺内の社も障害者の学校が建ち変わる)


 秋めいた一日

 (鷺内の社も障害者の学校が建ち変わる)

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この風景も変わる


 駅長の草刈りするや無人駅秋めく風の吹きて淋しも

 鷺内の社に杉の木立かな秋めく陽の山の端に没りゆく

 田植えする女のありしも鷺内の神社に垂れ咲く藤の花かな 



今日は涼しかった、秋めいた風が吹いた、それで駅長がホームで草刈していたことを書いた

夕暮れには菊池の近くの鷺内の社を見て山の端に陽が没る光景が印象に残る
あそこの周りは田んぼだったが障害者の学校が建つ
これも大きく風景が変わることなのだ
前は御田母神のところはダイユーが建ち田んぼはなくなり社だけが残った
ここはまだ近くに田んぼが残るようだが学校だから敷地が広い
良くあそこの鷺内の社は見ていた
女の人が田植えしていた、そこに藤の花が咲いて垂れていた

故郷の光景は長い時間で作られたものである。人の営みがあって作られたものなのであるそれは津波で流された右田の松原でもそうだった
そういうものがなくなることはやはり景観というのはそこに住む人の血肉のよになっている
景観と一体化するのが人間なのである。だから景観が変わるということは実際は相当な影響をする、精神的な影響が大きいのである。

その鷺内の社にしろ長い時間のなかでそこに木のように根付いたものだからである。
そういうことは原発の避難区域で起きた、そこにも神社や社があり人々がそこで営まれ歴史がある、そういうものが失われたのである
神社とか社とか何か信仰とは必ずしも関係ないように思う
ただ豊作を祈るものとしてあるのが多いからだ
それは土地に根付いたものであり土地から離れてありえないものである

何か秋めいたというとき秋になったのか?お盆は終わったから秋だとなる
ただまた暑くなるらしい、残暑がつづくのか?
それでも季節の変わりは早い、前のような暑さはなくなるだろう
日本は季節の変化に敏感でありそれが文化になり俳句短歌が生まれた

ともかく景観が失われることは何か心まで失う感じになる
右田の松原はなくなりここもまた学校が建ち景観が変わる、景観は何百軒もの家が建って変わった、さらに変わるものがまだある,何かこの辺は都会化したのである。その影響のカ?何の影響なのか?あまり揚羽などが見えない、少ない、やはり何か影響で減ったのかもっと飛んでもいいような気がする

2018年08月18日

丸森短歌十首(森の国で地理がわかりにくい)


丸森短歌十首(森の国で地理がわかりにくい)

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みちのく戦国絵巻、金山城攻め、伊達輝宗、真冬の山城を攻める



春日さしなお雪厚く蔵王見ゆ金山城跡に我望むかな

長々と阿武隈流る丸森に海の近しも春日さすかな

一時は相馬の城と金山城夕べ桜や坂上り帰る

白石へさえぎる夏の山なれや丸森の領地伊達に属しぬ

森深く影なす中に陰々と苔むす岩に流れ清しも

阿武隈の川をそい下り瀬音かな山吹咲きて広き川かも

秋の日に大張りの名や舟に乗り岩の謂れを聞きつつ下りぬ

阿武隈の川の岸辺に栄えたる斎理屋敷や秋の日暮れぬ

丸森に展示したれる仙台銭伊達の歴史や秋の日暮れぬ

丸森の遠きや森の影なして帰りて相馬の秋のともしび

丸森の金山城を後にして相馬の城跡我がより帰りぬ



ある地域をみるときまず地理をみなければならない、ところがその地理といっても知ることが一番難しい、丸森とかなると近いから自転車で何回も行っている
ただ丸森は遠いと常に感じていた、飯館も遠いがそこには峠がありそれを越えることが容易ではないからである
ただ坂を峠を越える距離を行くということで心にその地理が刻まれるのである
車で行ったらあまりにも簡単に行けるからかえって坂を越えるとか峠を越えるという感覚はないし心に記憶されないのである。
だから旅は歩くのが一番いいがそれだと距離は行けないから自転車がいいとなる

丸森は風光明媚な変化に富んだ地域である、丸森とあるように森に深い場所なのである
それで米沢藩と相馬藩と伊達藩で森林資源をめぐって三つ巴の争いがあったことは有名である、それだけ森が深いのである、それでその森にまぎれて出れなくなった恐怖を経験した、この辺は阿武隈高原は飯館でもそうだが森の国なのである。
森がつづいているのである。飯館村でも7割は森なのである

ともかくその土地を知るには地理だというとき例えば鉄道だけではまたわかりにくいのである、坂を峠を越える感覚は鉄道にはないからである
そして丸森は相馬藩と伊達藩が争った場所だった
金山城は一時相馬藩の領地として城主になっていた
金山城は石垣は当時のまま残っているから貴重である
ここで伊達藩と相馬藩が実際に戦闘があり相馬藩は敗れて追い出されたのである
それをゲーム化したのがyoutubeに出ていたのも面白い

丸森を知るには相馬も知る、地理的にも知るというときやはりその距離の感覚も知るべきだとなる、それが鉄道と車ではわからないのである
丸森には相馬からだと三つ四つくらい入る道があるからだ
宇多川をさかのぼって行く所は山を分け入りダムがあるところから古田という地名の所から丸森に入ってゆく
他には森の中の細い道を分け入り上る道とかもあり青葉温泉の方に行く道もある
そして丸森も広いからわかりにくいと思った
丸森はまだ未知の領域が広がっていた、白石の方に行く所も山深い
丸森から入ってゆくが山にさえぎられていた、丸森は白石と近いから白石には伊達政宗の忠臣だった片倉氏がいた、そういう地理的感覚もわからないとその土地のことはわかりにくいのだ



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インタ−ネットで変わった放送 (情報の戦国時代となり百家争鳴になった)


インタ−ネットで変わった放送

(情報の戦国時代となり百家争鳴になった)

今回の高校野球は面白い、金足農業の逆転劇もドラマチックである
野球はプロ野球をずいぶん見ていない、王長嶋の時は見ていた
あれはプロ野球人気というよりテレビで放送されるようになって人気がでた
ラジオ放送だったりしたらマニアのような人しか関心がないとなる
テレビの影響は本当に大きかった
テレビの前は映像となると映画だがその時の俳優は映画で有名になったのである
映画館とかありニュースもそこで見ていたのである。
その時鉄道でフィルムが運ばれるから遅れていたのである。
リアルタイムでは放送されなかったのである。

現代を生きた人はテレビの影響が大きかった、テレビに出ればその人を問わず有名人になった、テレビに出ればなにしろ何百万人が見ているのだから影響力が大きい
テレビで取り上げらることはそれだけで有名人になる
今振り返ると本屋でもそうである、ごくわずかの本しか置いていない
それで冠婚葬祭とかの本が百万も売れたのである。
つまりこれは内容など関係ない、宣伝で売れたのである
テレビの宣伝だけで売れた商品はいくらでもあるだろう、内容より宣伝力がものを言うからである、それでテレビは絶大な力をもった、別に内容というより放送できるということで力を持っていたのである

ニュース解説でも放送でもテレビで放送されれば何百万人も見るからである
そして六局しかテレビで放送できないのだから独占だったのである。
するとマスコミでは放送によって独占できるとなる
世論でもマスコミが作ることができた、マスコミは単なる媒体ではない、会社が意志をもって放送する内容を決めていたのである
インタ−ネットだと一応目立たないにしろただの媒体,メデアだという感じになる
誰でも放送できるからである,それでも今はインタ−ネットでも操作されているという時代になった、それはインタ−ネットがそれなりにメデアとしてみんなが見るようになったからである。

メデアというと媒体という意味だけど実際は違う、媒体には機械的なものでそこに人間の意志はない、でもマスメデアであれマスコミではあれそれは明確に意志をもって報道している、だからこれが混同しやすいのである
誰でも言いたいようにマスコミを通じしてマスメデアを通じては言えないのである。
マスコミのマスメデアの方針にそって発言しているしその方針に逆らうことはできないのである。
新聞でも週刊誌でもメデア(媒体)と報道するものが一体となっていたのである
テレビでも放送するには莫大な金がかかる、新聞でもそうである、雑誌でも金がかかる
本だって出版するには金がかかる、その金をどうするのかというのが問題になる
それは会社の宣伝費でまかなうほかないのである。
だからマスメデアは媒体をもっているからそれで権力をもつようになったのである。

でもインタ−ネットになるとほとんど手間はかかっても無料で放送できる
それで中国の現状を討論番組で放送したがそれはyoutubeでも盛んに言っていたなと見た
youtubeだって今や放送局と同じなのである。個人の放送局にもなっているのだ
プログでもそうである、個人は総一億記者になってしまったのである
リアルタイムで写真でも動画でも出せるからである
そして何か自分でもしてみて放送するということが興奮することなのである。
それでこれまでのマスコミと同じく目立つためにわざと火事を起こしてそれを動画にとり視聴率を高めるとかあった、それは絶えずテレビで刺激的なことを事件を報道して視聴率を稼いでいるのと同じなのである。

アフィリエトとかで同じように宣伝費をかせぐからである。それはマスコミも会社から宣伝費をもらっているのと同じなのである。
それで会社から金をもらうと会社の意向にそうような記事を書かねばならないと言っているのもテレビと同じなのである
違うのはほとんど金をかけずに個人でも報道できるから会社から宣伝費をもらわなくてもできることが大きな相違なのである
これまではそういうことはできなかったのである

メデアが媒体だというときそれが目立つから何百万人の眼にふれるから会社でも宣伝として使おうとする、例えばテレビでなくてもコンビニでもそこに雑誌でも本でも新聞でも置けばその見出しだけを見ても目立つのである
書店でもそうでありそこは目立つ場所なのである。でも誰でも勝手に置くことはできないのである、本でも書店で目立つ所に置けば見る人がいるとなるからだ
ただ今や週刊誌や雑誌は買わない、インタ−ネットで月400円で見れるからである
ほとんどの週刊誌や雑誌はDマガジンで見れるのである。
すると読むにしても週刊誌一冊は読まない、目次をみて興味あるものしか読まなくなったのである
そうなるとコンビニに週刊誌が置くだけ目立ったがインタ−ネットでは目立たない
無数の記事から選び読まれるとなってしまうのである
まずインタ−ネットで目立つことは至難だからである
たたテレビと同じようにyoutubeにすると見られやい、たいして内容がなくてもやはり本読むより簡単だから楽だから見る人はいるなと思った

いづれにしろ今やインタ−ネット時代になると報道でも情報の流通でも戦国時代である
百家争鳴になったのである。
どんな人でも発言できる放送できる時代になったからである
そして放送するということは地域でも無数にあるから実際は無数なのである
なぜ自分でも不思議なのは自分の住んでいる場所の駅が無人駅になっていてそこを定点観測したことを報告している
駅長が一人でホームの草刈りしていているとか報告した
写真でも報告したりした、駅で放送するようなことがそんなにないと自分では見ていたのである。

でも駅にこれだけ放送することがあるということが自分でも意外だったのであるとすればどこでも定点観測して放送することがあると思った
駅でなくても病院であれ学校であれ会社であれ工場であれ農業であれ漁業であれあらゆる職業でも毎日ウオッチして報告することがあるとなる
それはでもみんなたが興味をもつ、これまでのマスコミでテレビで何百万人とか見るようにはならない、新聞でも福島県でも百万単位で新聞を見るのとは違うのである
福島県でも広いからである。
自分の場合は自分の住んでいる一万足らずの町を中心に報道しているからである 
ここでもインタ−ネットにより報道が変わったことだと自らしてわかったのである。

いづれにしろ何かを報道することは興奮することだと思った
それで津波の時にその映像をとることに夢中になって助けなかったとか問題になった
反省した人もいた、それはマスコミが今までしていんたことなのである。
まず刺激的な映像をとることが第一になるからだ、それが商売だからである。
その映像を見せることによってみんなが見ることによって会社からの宣伝費ももらえる、大勢見ることによって成り立つ商売だからである
だからこの辺で津波が起きたとき八沢浦が江戸時代の入り江にもどったと写真を出してのせた、それを相当の人が見たのである。
でも地元では現場では津波の後に泥に埋もれた幼児の死体を掘り出しているのになんなのだとしかられたのもそうである
それが自分はマスコミと同じようになっていたのである。
津波の刺激的な映像を報道したかったのである。
ただ無料だし宣伝するプログではない、金をもらっていないことが違っていたのである。別に金をもらわなくても人間は報道する本能があると思った
何か変わったことがあれば何でも口伝いでも伝える、口コミが常にテレビがなくても何がなくも人間はしてきたからである

ただインタ−ネットの問題はあまりにも放送する人がふえすぎたことである
プログしている人でも何百万にもなるとかなれば異常な多さでありそこから今度は読まれることは至難になるのだ、よほどのことでないと読まれないということにもなる
すると公的なもの国民として知るべきものや深く議論などして知るべきものがわからなくなるということはある、そこには確かにオピニオンリーダーのような人がいることはいるがその他にも無数に意見を言う人はいるからである。
そしてそこでもキケルゴールの言う水平化の原理が働くことになる
お前の言っていることはたいしたことはないとか水平化されて何が重要なことなのかもわからなくなるのである。指標となるものがなくなる
すると情報の海でおぼれるということもある、捕まる杭とか何かそういうものがないと判断できなくなるからだ      

インタ−ネットにもいい点と悪い点がありそれをうまく使えるのかということもある
ただマスコミとかマスメデアとか雑誌とか週刊誌とか新聞紙の時代は終わったというのは確かである。それはメデアをもっていたからでありそのことで力をもっていたからである新聞でもそれを配るには大変な金がかかるしテレビでもそうだったからメデアを独占できたからである、今はそれができなくなると報道するのでも内容が問題にされるようになったのである。
ただインタ−ネットではあまりにも数が多いので指標を見失うということはある
ただ個人でもメデアを報道する媒体をもったことは権力が与えられたことだったのであるだから中国ではインタ−ネットでも規制している、政府の批判はさせないのである。

2018年08月19日

海底の通路(path of the seabed)


海底の通路(path of the seabed)

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私の作る抽象画はしばらく休んだ、何かソフトを操作するのに疲れる
何十回もいろいろ試して実験のようにして作っているからだ
絵の才能が全くないのに作っているということでも疲れるのかもしれない

それと今まで見ていたアメリカの人が見なくなった?
常時50人以上は見ていたのである。
アクセス解析では一人か二人になっている
それもやる気をなくした
抽象画とか絵の分野は国際的になる、文とか詩になると言葉の障壁で通じない

そういうことで熱心に抽象画に取り組んでいた
最後の建築の抽象画というより具象画は我ながらこんな絵になることに驚いた
それが抽象画をしてしきた成果だった
具象画でも作れる、それは著作権違反にならない
なぜなら全く別物だからである。

ただ別にやめたわけではない、ただ疲れたので一時休んだというだけである
とにかく私には絵の才能が全くない、しかしこれだけ多く抽象画を作り出したのは新しい技術が生まれたからである。
artは技術なのである。

path of the seabed


The abstract picture made by me was absent for a while, I am tired of operating something software
Because I tried dozens of times and made it like an experiment
It may be tiring even to make it that there is no talent for painting

Also, have you not seen the American people you have been seeing?
It was always watching more than 50 people.
In access analysis it is one or two people
It also lost motivation
The field of abstract painting and painting becomes international, when it comes to sentences or poetry it can not be understood through language barriers

I was eagerly working on abstract painting with that kind of thing
I was more surprised that it would be such a picture while I was drawing rather than an abstract painting of the last architecture
It was the result of painting abstract paintings
It can also be made with a concrete picture, it does not become a copyright violation
Because it is totally different thing.

I just did not quit separately, I just got tired so I just took a rest
Anyway, I have no talent for painting, but I created as many abstract paintings as new technology was born.
art is technology.


家業が喪失して実家に頼れない (一人暮らしや孤独死の増えた原因)


家業が喪失して実家に頼れない

(一人暮らしや孤独死の増えた原因)

もちろん戦前にも独身者は存在していました。結婚しなかった人、離別した人。例えば江戸時代の東北地方の離婚率はほぼ1/2だったそうですよ。結婚しても約半分の夫婦が別れる、まるで離婚大国です。
別れた人は実家に戻り、未婚の人は実家に住み続けた。それが成立していたのは、戦前の家制度がそれぞれの家業のもとに成立していたからなんです。戦前の社会にはシングルの居場所があったんです。
家業を基盤とした家というものが確固として存在し、そこを個人が出入りしていたのが戦前までの家制度といえるでしょう。
                               
一方、男性側も家事を女性に頼っていたのは今と同じ、やもめ暮らしはなにかと不便で再婚を望むことが多かったとか。

武家の場合、離婚率は10〜11%、離婚後の再婚率はなんと50〜59%にもなったといいますhttps://edo-g.com/blog/2016/03/divorce.html/3


どれぐらいメイド雇用が広く普及していたかは、東京都内にある「江戸東京たてもの園」に残された建物を見ると分かるかと思います。様々な年代の家には、そこそこ「女中部屋」が存在しているからです


過去は意外である、江戸時代は制約が多く離婚などできないと思っていた
それが東北でも二分の一が離婚していた?これも信じられないとなる
ではなぜそういうことができたのか?
そういうふうにできる社会があったからだとなる

戦前とか戦後十年は江戸時代のつづきである、水道も電気もない、洗濯は裏の小川でしていたから原始的生活と変わりないところがあった
そして農家でもそうだが家業中心であり農家では自家生産で納豆まで作っていた
極力今のような買う生活、消費生活はないのである

家業中心の生活となると少人数の家族では成り立たない、労働力が必要になるから大家族になっていた、それで離婚しても実家で暮らすことができた
つまり実家では働き手として受け入れていたのである。
家業というときまず家事の仕事が大きな部分をしめる
だから中流家庭でも二人の女中を雇い女中部屋を用意していたのである
自分の母親は東京で女中をしていたからである。
女中は差別語になっているがその頃は女中は女性の普通の仕事だったのである
なぜなら女中がいなかったら家事だけに追われるからである

そしてなぜこれほど一人暮らしが増えたのか?
それも産業構造の変化だったのである。
みんなが今度は会社員とてり工場労働者となっていったからである。
そこでは雇われる身であり家業とは違うのである。規模も違う
家事は今度は電化製品が担うようになった
その時女性は家事労働から解放されたのである。

ともかく家事労働にかなりの労力が費やされたのが戦前であり戦後10年だった
自分の家でも店をしていたら変なんだけど子供の時店を常に手伝わされていた
それは家業だからそうなっていたのだ、子供でも手伝わないと家業は成り立たないからである。大家族だったのはそうして家業であれば労働力として大家族である必要があった
それは戦後の高度成長期の核家族とは正反対のものである
家族は社会の構造によって変わるということである

戦前でも実家の重みは家業をしていたことによっていたのだ
そこで大家族が労働力として必要であり離婚しても実家で暮らすことができたのは労働力を必要としていたからである。それは家事でも相当な労力を費やしていたからである。
つまり家事の労働力は社会全体にとっても相当な負担であり労働力を必要としていたのである。
女性にしても家事労働から解放されたい願望は強かったとなる

なぜこれほど一人暮らしが増えたかというと家事が電化して楽になったからと消費社会になりオカズでも買えるからである、まず戦後十年まではオカズとか惣菜は売っていない
料理しなければならなかったからだ、コメを炊くのでも竈でまだしていたから手間だったのである。家事は実際今でも相当な手間である
自分が十年くらい家事するようになったけど介護は家事と一体だったのである。
料理して出すとかがそうである、だから介護は女性に向いている
息子がするようになったがそれで介護疲れで親を殺しているのは息子が介護している時なのである、それは家事になれていないからである。

でも家事は料理でも電化してほとんど一人でできる、そうなると結婚しなくても家事はできるからしなくてもいいと思う人も増える
江戸時代は離婚が簡単でもまた再婚率も高いのである、それは家事を男一人ではできないからそうなった、結婚しないと家事をしてくれる女性がいないと生活すらできないとなる自分は今一人で十年くらい家事をしている
実際していることは買いものが主であり後はめんどうだから弁当とか買う、料理はほとんどしない、料理はいろいろめんどうだからである。それに凝っていたら他のことができなくなるからだ

一人女性が家に来るとして三日に一度それも皿を二三枚洗うだけでありその人は後は一切なにもしない、掃除もなにもしない、ただ金をせびりにくるというだけなのである
その女性が熱心なのは畑で野菜を作ることなのである
でも家事が容易になりそれに費やす労力や時間が省かれることはやはり社会を変えたのである
なぜ貧乏になったと言っても日本ではニートでも百万近くとか老人でも働かない人が一千万人単位でいる、働く老人も増えたが働かない老人の方が多いのである。
ではなぜそれだけ働かなくてもいいのか?
それは家事が電化したことが大きいのである。別に一人暮らしでも食事の用意はできる
それも時間をかけずにできるようになっているからだ

家事に労働力を費やさなければ時間をとらなければ暇が生まれる、それでゲートボールなどして遊んでいる老人が本当に多いのである。
ギリシャとかローマでは貴族は奴隷に労働させていた、家事をさせていたから暇な時間が生まれた、今は機械がしてくれるからそこで暇が生まれているのである。

一人暮らしが今問題になるけど一人暮らしは水道費とか電気代、風呂代が個々にかかる
これが貧乏な時代になると負担になる、だから必ず電気をとめられたとたか、水道がとめられたとかなる、もし大家族だったら共有だからそういうことはなかった
水汲んだりした労働は大家族などの労働力でまかなっていたのである

みんなが会社員になっている時代は家業とは違う、決められた時間を働いて給料をもらう非正規は時給いくらとなる、それは家業で働くのとは相当に違ったものなのである。
家族でも会社の一員として雇われている感じになる
それで高度成長時代は会社は終身雇用であり家族のめんどうまでみるようになっていたのである。大家族の代用として会社があるとなっていた
でも不景気になると貧乏になると会社はそうはならない、会社も倒産するからである。
終身雇用もなくなる、不安定なものとなった

いづれにしろ一人暮らしの増加とか孤独死の問題は社会構造の変化とともに起きたことである。それは過去との比較でわかる、過去にはそういう大家族があり家業があり成り立っていた、でも今はそうはならない、いまの社会は大きな会社という枠がありそこにはめこむものとして人がいて労働力が必要としている
家族も会社の枠の中にとりこまれる、それが核家族になった原因だし一人暮らしでも孤独死でも増えた原因なのである。
困ったとしてももう実家に頼れない、そこの家業はない、実家でも会社員になっているからである、実家でも代々つづくということはないから墓を受け継ぐ人がいなとなったりする、それは家業としての実家が喪失したからだったのである。

posted by 老鶯 at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題